今日の夕食4   

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豚肉と厚揚げとキャベツの味噌炒め
スナップエンドウと舞茸の卵とじ
大根とニンジンと里芋と油揚げのお味噌汁

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# by kuni19530806 | 2017-12-05 21:37 | 献立

今日の夕食3   

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鍋(鶏肉、鱈、うずら揚げ、白菜、豆腐、ネギ、舞茸、大根、ニンジン、マロニー)
カボチャと枝豆煮
二十穀米

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# by kuni19530806 | 2017-12-04 21:27 | 献立

今日の夕食2   

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シシャモの南蛮漬け
ブロッコリーとコーンと枝豆のマヨネーズ和え
キュウリの漬物
キャベツと舞茸のお味噌汁
二十穀米ごはん

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# by kuni19530806 | 2017-12-03 20:27 | 献立

今日の夕食   

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野菜炒め(豚バラ肉、キャベツ、玉ねぎ、ピーマン、ニンジン、ブロッコリーの茎、しょうが、オイスターソース)
小松菜と油揚げの煮浸し
牛肉のしぐれ煮(佃煮)
豆腐、エノキダケ、あおさのお味噌汁
二十穀米


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# by kuni19530806 | 2017-12-02 20:48 | 献立

ご無沙汰・稲子   

一年ぶりにここに書いてみる。
この一年、このブログは全くの放置状態だったが、久しぶりに開けたら、ちゃんとあってホッとした。
あたりまえっちゃあ、あたりまえだが、自分の可動範囲外にも世界は存在し続けているってことで(なんのことだか)。

そうか。
一年前は、お勝手口のカオスに突然猫が住み着いていて大変だったのだなあ。
あれから一年過ぎたのか。
あのときもさんざんテンパったが、今年もいろいろテンパった。
去年の10月はまだ肺の病気は発覚していなかったわけだし、一寸先は暗闇だ。

近況はここ(⇒)でも書いているけれど、さすがに、内々な感じでは書いていない。


で、久しぶりのエンジェルフォールだが、今日は、木曜日のパート勤務校の学芸会なのだ。
実はこっそり見に行こうかと思っていたのだが、夫が急に仕事になって断念した。
ああ、残念だ。
見たかったなあ。
勤務校の町内会の今日のTwitterに、学芸会のtweetがあって、画像を食い入るように見ている。

肺の病気の方は、9月の下旬から、わりと攻めの漢方薬を飲み始めた。
もう一個、私には懸念する、こちらは生活習慣病があって、漢方薬局に行ったら、まずそちらを指摘され、ふたつの病気のための二種類の漢方薬を服用することになった。
一種類は朝と夕、もうひとつは、昼食前と就寝前。
もはや、漢方薬を飲むことを幹とするような生活である。

いろいろ調べて、料金的にはちょっときついけれど、「治る」ことを期待してもいいかもと判断し、パート収入はそこに全てつぎ込むつもりで、えいやっ!と始めた。
しょっちゅう病気のことを考え、悪化の一途の気分で生きて行くのはイヤだから。
要するに、ヘタレなのだ。
それを自覚しているからこそ、まずは一年はやってみようと。
西洋医学で根治薬があれば当然服用するが、ないので。
病院への定期通院は続けて、そこで画像や検査値で効果を見つつ、になる。

漢方薬を飲み始めた時期と、義父の入院と退院後の混乱の時期が完全にバッティングした。
一連の義父の状況は正直、自分にとっていっぱいいっぱいで、肉体的にも精神的にもかなり厳しく、それに比例するように、咳もひどくなった。
露骨だよ、自分。

今月上旬の定期検査では、CTの影の状況は一年前より悪化していた。
でもそれは、病気の進行なのか、一時的な炎症なのかわからないらしい。
主治医に家庭の事情を説明したところ、「ストレスなどのダメージで症状が悪化するのもこの病気の特徴なので、今回の影はそのせいかもしれない」と言われた。
その後の漢方薬局の薬剤師の見解も同じだった。
なので様子見。

それから半月、このところ、義父の心身が落ち着いていることもあってか、私の咳も落ち着いてきた。
そして、これはこの2ヶ月、一貫してそうなのだが、私は食欲旺盛である。
快食快便。
快眠ではないけど。

ストレスがわりと胃腸にくる、と思い続けていた。
その証拠のように、実母や兄が病気のときはしょっちゅうお腹をこわしたり、食欲不振になっていた。
が、今回はそれがない。
漢方に処方されている、滋養強壮、免疫力向上の効果があるという風参、紅参のせいかもしれない。
体重は増えたが、身体はちょっと軽くなった。

そんなわけで、始めた以上、漢方の薬剤師の見解は基本的に信用しようと思っている。
一日四回の漢方薬はめんどくさいが、スムーズに動く身体とほぼ平常心を保てる気持ちあっての人生、と今は痛切に思うので、しばらく続けるつもりである。
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# by kuni19530806 | 2016-11-26 10:34 | その他

近況2   

子猫の最新情報です。

今日、友人が、猫が欲しいと思っているという友達ご夫婦を連れて来てくれました。
すでに猫を1匹飼っている(犬も2匹いる)お宅らしいのですが、な、な、なんと!!2匹もらってくれることに!

ありがたいやらうれしいやらで送り出しましたが、さきほど、友人経由で2匹の画像が送られてきて、思わず落涙。

なんだかんだ言って、この2週間、子猫にかかりっきりだったので。
しかもこの2匹は、人懐こくて、すり寄ってきてかわいかったからなあ。

黒白ハチワレはオスで、シロがメスだそうです。
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いい人にもらわれて、本当によかった。
シアワセになれよ~!
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# by kuni19530806 | 2015-10-11 21:16 |

近況   

久しぶりの更新。

今の状況を、なぜかTwitterでは公開する気にならず、ここで。

1週間前、勝手口を開けたら、こうなってた。
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どっひゃあ((((;゚Д゚))))

な、なんなの、これ。
いつから?
なんでうち?
どうする?

最初は1匹だけ見かけたのだけれど、どんどん増えてこの惨状。
しかも、4匹ではなく、5匹の子猫だった。

そのうち、母猫が登場。
なんなのさ、キジトラかよ!
受け継いだ子、1匹もいないじゃん!!
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でも、授乳を終えると、どこかへ行ってしまう母。
エサをもらえる家、もしくはエサ場があるのかもしれない。

爆弾低気圧の夜は、こうやって寝てた5匹。
かわい過ぎる。
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朝、起きたらいない。
どうした?風で飛ばされた?
雨で流された?と思いきや
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もちろん、我が家の猫ミイちゃんを仲介してくれたボランティアの方にも相談してるし、区にも問い合わせをしたし、頼りがいのある猫飼い友達のアドバイスもいっぱいもらっていますが、とりあえず、母猫が授乳しているうちは離さない方がいいということで、やきもきドキマキしながら見守り中です。

ただ、トイレを、人間の目に触れないところでやっているらしく、徐々に臭いが気になっています。
隣人Kさんにもお話しし、理解してもらい、もらい手探しを始めようかと思っています。

この5匹+母猫に興味のある方、メールか、このコメント欄でよろしくお願いします。
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# by kuni19530806 | 2015-10-03 14:46 |

柴又黄金のコース、他   

最近、忙しぶっていてナンですが、別な場所に書いた数日前の記録。
↓↓
出勤したら、図書担当の先生から

「1時間目と3時間目と4時間目に1年生のオリエンテーションをお願いします」と言われました。

ひゃあ!来週の約束だったのに~。

今日はまず、その仕込み(オリエンテーション用紙芝居作り)をするつもりが、急遽、それなしでの本番。

と、途中までできていたのに。

あと小一時間で完成するのに。




しかも、2時間目にも3年生が図書室に来て、紙芝居を完成させることも

1時間目の失敗(?)を立て直す策を考えるヒマもなく

その合間に校長先生(女性)に「今月号の図書だより、まだもらってないんだけど~」と言われ

(そりゃそうだ。まだ出してないからよ)

作ってはあったので汗だくで600人分印刷して、クラスごとに数えて

午後は、PTAの図書係の連絡ノートの

「先週のノートにも書きましたけど、学級文庫の運営計画はどうなってますか」の返事を書き(大作)

3年生のオリエンテーションの日程を調整し、どさっと届いた図鑑の装備と登録をして

ヘロヘロで帰宅・・・。
↑↑↑
とまあ、こんな感じ。

それでも、慣れた、ずいぶん。
何より、子どもの前で話すことに慣れた。

昨日は、友達と柴又散策へ。
私は見てないんだが(というか、一度も見たことがないんですが)モヤさまで最近、柴又をやって、友達が急に行きたくなったとのことで、当初、会う予定だった人形町から変更になった。
考えてみると、私は柴又に一度も行ったことがなく、とてもいい機会だった。
お天気もちょうどよかったし。

帝釈天⇒山本亭⇒寅さん記念館&山田洋次ミュージアムという、黄金のトライアル(?)訪問。
っていうか、柴又に行ったらまあまあたいていの人はそうでしょう、みたいな感じだけど。

山本亭が存外によかった。
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そして「寅さん記念館」はすごく楽しかった。
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葛飾区、いい仕事をしてるじゃないか。


ところで、今日会った友達は、この春、30年ぐらい(たぶん)勤めた会社を辞めた。
いろんな思いがあるだろうけれど、すっきりした顔をしていた。
だんなさんと、大事にしている犬と、夫婦の親のこと・・そしてもちろん自分のこと、を考えながら、少しのんびりして、そして仕事をまた探すのかもしれない。

ひとつの会社に30年!
あたりまえだが私とは違う人生だ。
でも、「自分と対象的」だとも思わない。
同じ会社で働き続けることも、転職を繰り返すことも、フリーになることも、家のことに従事することも、「優先順位を考えて決める」という意味では同じことなのかもしれないし。
自分の友達には意外と、ひとところで働き続けている人、が多いことにいまさらながら気づく。
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# by kuni19530806 | 2015-04-23 22:01 | お出かけ

新年度は忙しい   

私の今の仕事での1日の勤務時間は6時間だけれど、昨日は残業することなく倍ぐらいの時間、働いた気分。

年度始めはメチャクチャ忙しいなあ。
そして、先生の無茶ぶり。
2時間、突然のオリエンテーションをやった。

まだ準備はしてないんだよねー、やるときは2週前には言ってよねーなんだけど、頼まれてやらないのもなんかイヤなのでやった。
会社には内緒だ。
当然、準備不足の内容だったが、昨年のオリエンテーションのテンパリストっぷりに比べればまだましか、と思った。

私はかれこれ35年ぐらいどっかで働いている。
その中でフルタイムの会社員だった時期は1/3ぐらいで、あとはパートとか、図書館の非常勤とか2つの図書館の掛け持ちとかをやってた。
もちろん、中にはすっごく忙しい仕事もあった。

40代のはじめの事務のパートなんて、規模のデカい会社の本社だったので大人数の中に埋没してテキトーに働けると思いきや(動機が不純)、とんでもなかった。
それ以前の正社員での事務職より数段忙しかった。

パートなのに工場の生産管理なんかをやらされ、全国津々浦々のシステムキッチンの生産計画は私が作っていました(もちろん上司のチェックは入ってたけどさ)。

毎年、計画を立てる1~3月の時期はしょっちゅう残業だったし、あまりの仕事の多さに、その時期はナチュラハイみたいになってた。
たいした話じゃないのに爆笑したりとか。

北海道の工場長から名指しで電話が来て「数字がおかしい!」と怒られ、でも話しているうちになんだかフレンドリーになり、出張で本社に来たその人に、会社の隣のショールームのレストランのランチをごちそうになったりしたっけ。
「あなた、パートさんなんだってねえ」とか微妙なことを言われながら。

今思えば、むしろパートだから「失うものなんて最初からないしよ」でやれていたのかも。
特にたいした研修もなく配属されて、まるでスキーの上級者コースに連れて行かれ、「さ、ここから滑り降りなさい」と言われたみたいな感じ。
滑り方がわかりません、と言うと、人生経験で行け、と言われたみたいな。
開き直って滑るしかなかった。
そこに居ても寒いだけだし。
ま、年下上司も、なんだかんだ言って、きちんとフォローしてくれていたような気がする・・ような、しないような。

泣きながら覚えたExcelも、今もけっこう役に立ってるし、いまだにテニスも一緒にさせてもらっているし、Jリーグの選手を間近に何度も見ることができたし(?)すっごく忙しい4年半だったけれど、お給料が安かった以外はイヤな思い出はない。
・・給料が安いのがいちばんイヤっちゃあイヤだが。

それに比べれば、図書館はぬるま湯だった。
たいへんだったけど、環境はぬるかった。
そのぬるさの心地よさが今でも忘れられないんだけどね。

今の仕事の忙しさは独特。
自分ではいかんともしがたい忙しさ。
自分がどんなに前もってスケジュールを作って動いても、雇用主の委託会社や、学校や、先生や、子ども達次第で、全てムダに終わる。
返事が来ない、予定が変わる、忘れられる、至急の案件が入る・・などなど。

正直、今いちばんネックになっているのは、会社からの連絡が遅いこと。
GOサインが出ないと次に動けないことがたくさんあるのだが、これがなかなか出ないのだ。
理由は明らかに人手不足。
大勢の現場のスタッフをこの人数で動かしているのかよ!?とビックリする。
しかも、私のエリアを取り仕切っているのは実質1名。
この人じゃないとわからないことだらけ。
なのに、この時期、新人に同行して学校に行っていて会社にいないことが多い。
急がない用件はメールにしているが、そんな流暢なことを言っていられない事態も多々あって、そういうときは電話をするのだが、わかる人がいない。
困る。
すごく困る。
こっちも、これでもかなり事前にいろいろ準備したり、前の週に「来週までご回答を」的な連絡をしているつもりなのだが、徒労に終わる。

とはいえ、子どもは面白い。
数多い現場のスタッフ達もみな私と同じように不安や不満をたくさん抱えながらこの仕事を続けているのは、結局、これに尽きるんだろうなあ。

オリエンテーションでも、昨年度によく図書室を利用した子たちは、私を見るなり「あ、同じ先生だ」「どっかで見た人」「今年もよろしく!イエ~イ!」とか言っちゃって、自分が図書室のこの人とけっこう昵懇であることをアピールしたりしておかしかった。

そういう、「なんか面白い」子ども達はある意味、麻薬なんだろうな。
たとえが不穏当ですが、なんだかんだ言って抜け出せないみたいな。

あ、やっぱり不穏当。
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# by kuni19530806 | 2015-04-17 10:21 | 仕事

伯父の訃報4   

まりちゃんのお店の入店の儀式はいつもと同じ。
ドアを開けると、まりちゃんが元気に「いらっしゃいませ」と言い、私が「まりちゃ~ん!お久しぶりです」と厨房に声をかけて、「Mちゃん!なんだべ!いっつも急に」と言うお決まりのやりとり。
今回もそうでした。
ただ、今回は前回からあまり間があかず、しかも最近は携帯でやりとりもしているので、そんな中、連絡もせずに急に来た私をまりちゃんがちょっといぶかしがるように「なんかあったの?」と。

「あったんだよ~。去年の秋、ここに来たときに一緒にお夕飯を食べた伯父さんが急に亡くなっちゃったんだ」
それに対してのまりちゃんの返答は「うぢのおかあちゃんもだよ~」でした。
え~!?((((;゚Д゚))))

去年の秋、友人3人と喜多方に行き、まりちゃんのお店で伯父伯母従兄と会食をしたことはこの日記にも書きました。
伯父はまるで生き仏か仙人のようで、ニコニコ元気に微笑んでいましたが、まりちゃんのおかあさんもちらっと元気な姿を見せてくれたのでした。
風邪気味で「みなさんに伝染しては申し訳ない」と近くには来ませんでしたが、声は力強く、いつもの「まりちゃんのおかあちゃん」でした。
そのまりちゃんのおかあさんが?
まりちゃんのおかあさんも?

そうだよー。2月に急に。
病気があるのはその前にわかったんだけど、トイレで倒れただあー。
とのこと。
82才だったそうです。
なんてことでしょう。

まりちゃんの甘味処は、まりちゃんとおかあさんでやっていました。
メインはまりちゃんですが、繁盛しているお店なのでひとりでは切り盛りしきれず、おかあさんが手伝っていました。
かきいれどきの夏場は人を雇ったりもしていたようですが「やっぱ、気つかうべ。だがらなるべく自分でやりっちだ。おかあちゃんも手伝ってくれっから」と言うのを聞いたことがあります。

大変だったね、まりちゃん。
そして、これからも大変じゃないか、まりちゃん。
私が泣きそうになりながら言うと、彼女は「大丈夫だあ。今は気が張って大丈夫なんだべって言われっけど、Mちゃんのことどか思い出してんだよ、私」
あたし!?

そうだあ。
お母さんの看病をしに喜多方に帰って来たときの頑張ってるMちゃんを見てっから、私。
あんどき、ああ、自分にもいつかこういう日が来るんだなあって思っただ。
Mちゃんのお母さんはちょっと早すぎだけど、あのどきのMちゃんを見てて、なんかこういう言い方もへんだけど、自分もそういうときが来ることがイメージできたの。
あれがら、いろんな友達の親が亡くなるのを見て、少しずつ覚悟してきたっていうか、後悔しないようにお母ちゃんに優しくすっぺど思ったり、病気がわかったどきも、迷わねで「在宅で、店をやりながら看ます」って言ったんだよ私。
お母ちゃんも入院したくねえって言ってたし。

夜、ひとりで寝でっと不安になって「やっぱり病院にお願いした方がいいがも」と思ったりもしたけど、店の隣の部屋でお母ちゃんを看る方が病院と往復するより自分には合ってるって思ったし、そのためには体力つけなきゃど思って、スクワットとかピラティス始めただ。
そういうのに詳しいお客さんに教えてもらって。
足に筋肉もついただよー。
お母ちゃんには活かせなかったんだけど。


まりちゃん、エラいね。がんばったねえ。

んだよー、がんばってっぺ。
なんで自分にはいろいろ降りかかってくんのがなーと思ったりすっけど、わたしは大丈夫だ。
お店があるがら救わっちる。

私、母親のときはこのお店にしょっちゅう来て、弱音ばっかり吐いてたなあ。
恥ずかしいよ。

んなごどねえよ。
わたし、Mちゃんがあんどき言ったことどか、すごく覚えてて、今回もいっぱい思い出したんだよ~。

時間はあっという間に過ぎました。
まりちゃんに駅まで車で送ってもらい、私は東京に帰って来ました。
2日間、あまりにいろいろな濃い感情を味わったので咀嚼しきれず、列車に乗るやいなや目を閉じ、まるで記憶を遮断するように、うつらうつらしながら東京に戻ってきたのでした。

終わり


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# by kuni19530806 | 2015-04-05 16:30 | その他

伯父の訃報3   

眠れずに朝を迎えたとはいえ、告別式の朝はお天気もよく、寒すぎず、爽やかでした。
セレモニーホールには20人からの親族が宿泊して賑やか。
故人の妻である伯母が11人兄弟ということもあって、顔の知らない親族もいっぱいいました。

告別式は朝9時半から。
最初に聞いたときは「早っ!」と思ったし、実際、その時間開始で日帰りはムリなので一泊にしたのですが、泊まったら泊まったで、みんな朝は早いし、大勢がうろうろしていて落ち着かないし、結局、8時には宿泊者のほとんどが会場前のラウンジに集合してしまい、地元の参列者も1時間前ぐらいから続々とつめかけ、「1時間前倒しで始めてもいいんじゃね?」ぐらいの雰囲気になりました。

喜多方で生まれ育ち、戦争に行き、無事帰り、喜多方で酒屋を継ぎ、結婚し、子どもを育て、隠居し、喜多方で逝った伯父だったので、たくさんの人が告別式に来ました。
同級生はもう少なかったかもしれませんが、とにかく、お焼香の列が長く続く告別式でした。
孫達がひとりひとり別れの言葉を述べました。
全員に「じいちゃん」と呼ばれていた晩年の伯父は、なんだか生きている間もすでに仏様みたいな雰囲気でした。

告別式の親族の席順は決まっていて、イスに名前を書いた紙が貼ってあったのですが、私は2列目で、伯父の孫の隣でした。
私の後ろに、伯父の妹である叔母とそのご主人。
私より年長の従兄も私の後ろです。
あれ?これでいいの?私、前過ぎない?

途中で気づきました。
私が座っている席は、母親が生きていたら座っていたであろうT橋家の長女の席だと。
母親は40年近く前に離婚して実家に戻り、自分の兄(伯父)より15年も早く死んでしまい、その息子である私の兄も9年前に逝ってしまった。
私は、自分の母親と兄の代わりに伯父の葬儀に来た意識は全くありませんでした。
それでも、結果的に、私は母親と兄の代理という役割でもあったのだ、とそのときはじめて気がつきました。
生きているということ、生きていくということは、先に逝った人間の分も生きるということなのだなあ・・途切れないお焼香の列を眺めながら、そんなことを考えていました。

告別式が終わり火葬場へ。
15年前の母親のときも同じ火葬場でした。
当時と全く変わらない建物を見てあらためて、伯父と母親、たぶん祖父母もこの同じ場所で灰になって空と大地に還っていくのだなあと思いました。

私の伯父の法要はここまで。
そのまま、なるべく早い列車に乗って東京に戻るつもりが、時刻表を見ると、約2時間先まで電車がありません。
それじゃあここに行くしかないと、友人まりちゃんの甘味処に寄ることに。
そこで私はとても驚かされることになります。

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# by kuni19530806 | 2015-04-05 14:58 | その他

伯父の訃報2   

会津では法要時に「歌詠み」という風習があります。

会津にある三十三観音、それぞれの歌を、独特の節に合わせて、隣組の有志の叩く鐘に合わせ、関係者こぞって唱和するのです。
たぶん無尽講と縁があるような風習だと思います。
きっと会津に限らず、いろんなところでやっているのではないかと思われます。

今回も、お通夜の前にきっちり行われました。
これはけっこう長く、節が間延びしていて眠くなる感じだし、三十三だけかと思いきや、番外編もあり、子どものときは苦痛でした。
座りっぱなしなので足もしびれるし。

現在は、地方も自宅での法要が減り、よって畳に正座することもなく、足のしびれ問題は解消されつつあります。
若いときと違って、詠まれる歌の意味にしみじみしたりもします。
そうとなれば、情緒のある風習に思えるものですね。



歌詠みに続く通夜は、会津の場合、親族とごくごく近しい人だけで行われ、友人知人はほとんど来ません。
通夜ぶるまいで、こじんまりと故人を偲ぶ習わしです。

そして私はそこで、おもいがけない人から声をかけられたのでした。



伯父は、約50年間、喜多方で酒屋を営んでいました。
今は親族に店を継ぐ人がいなくて権利を他の人に譲ってしまいましたが、そもそも祖父は酒をつくる杜氏をしながら酒屋をやっていて、長男である伯父が店を継いで、昭和の時代を生き抜いたのでした。

伯父の二人の息子はどちらも医者になりました。

国立の大学とはいえ、息子(年子)を同時期に、親元から離れた場所の医学部に通わせることは、伯父伯母にとっては経済的にかなり大変だったと思います。

このふたりの兄弟が、本当に笑っちゃうほど仲がよくて、子どもの頃から一緒に肩を組んで学校に通っていたとか、片方が医者を志すと決めたら、もう片方がせっかく入った国立大学(当時は一期校と呼ばれていた)を辞めてしまって、同じ大学の同じ医学部をめざすことにした、とか、とにかく仲良しエピソードに事欠きませんでした。

そういえば、ふたりが中学生のとき、親は忙し過ぎて子どもに対して干渉する余裕もないのに、ふたりともよく勉強が出来て、しかも運動部でも頑張っていて、休みとなれば楽しそうに酒の配達の手伝いをしていることを知ったふたりの中学校の校長先生が、どんな子育てをすればそんな子が育つのか、伯父のところに「取材」に来たことがある、と聞いたことがあります。

・・でき過ぎてウソくさい、いやらしいほどの話ですが、本当にそうだったんだよなあ。

私から見れば、子どもの頃は他の従兄より田舎臭い、ヘラヘラしたふたりに見えたけれど、親が必死で働いている姿を目の当たりにし続けることの威力はすごいのかもしれません。
夏休みは当然のようにふたりは親を手伝ってた、そういえばホントにそうしてた。


今も営業中のT酒店。
「夢心」は、祖父が杜氏をしていたお酒の名前です。↓↓
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私が高校生の頃の伯父の酒屋で従業員をしていたのが、当時、30代ぐらいだったタナカさん。
声をかけてくれたのはそのタナカさんでした。

「Mちゃんだべ?覚えでっかよ?」と言われ、すぐに思い出しましたが、私はタナカさんとは高校卒業以降、一度も会っていないし、正直、私はタナカさんのことを、以来一度も思い出したことがないし、まさか先方も私のことを覚えているとは思いませんでした。
「タナカさん!よく私のことを覚えててくれましたね」と心底ビックリして言うと、「そりゃー、覚えでるよお。変わってねえものお」と。

えっええぇーーー!?
変わったべしたあ!
35年以上も経ってんだがらああ(思わず会津弁)。

続いて、もうひとり私に声をかけてきた男性がいました。
「Mちゃん、僕のこと、覚えでっかよ?」
「Mクン!」
私が高2の春休みにアルバイトをした時計屋(伯父の奥さんの実家)の息子Mクンでした。
彼は私より2才下の、いつもニコニコしている男の子でした。
「私のこと、覚えていてくれたの~?」
「うん。ウチでアルバイトしてだべえ。そりゃー、覚えでるよお。変わってねえものお」

ん?最近、いや、つい今しがた聞いたようなセリフ。
あの、しつこいようですけど、35年ぶり以上なんですけど。その間、一度も会ってないんですけど。

でも、タナカさんとMクンに声をかけられて本当にうれしかった。

高校の同級生や近しい親戚以外にも、35年の時を経ても自分を記憶にとどめていてくれた人がいるとわかることが、こんなにも心に灯をともしてくれる心持ちになることとは。

それは私の、ちょっと独特の環境での高校時代のせいもあるのかもしれませんが、既に親がなく、帰るべき実家はない喜多方を遠くに感じるばかりのここ数年だったからこそなおのこと、二人がなんの迷いもなく「Mちゃん!」と声をかけてきてくれたことが心に沁みました。

その日の宿泊はセレモニーホール。
伯父さんが安置されている添い寝部屋(というのか?)になぜか私も押し込まれ、男女入り混じっての雑魚寝の落ち着かなさと、人の出入りの激しさと、絶やしてはいけない線香の煙と、再発した腰痛のせいで、ほぼ一睡もできず、朝を迎えたのでした。
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# by kuni19530806 | 2015-04-03 12:45 | その他

閑話休題   

花粉の時期、お腹がゆるくなって困ります。
ここ数日、特にお腹が不穏です。

ネットで調べると、体内に入った花粉が胃腸の粘膜に付着して胃腸症状が出ることもある、的な記載があります。
周囲にも、同じ症状を訴える人がいます。

私は、それが花粉の症状なのか、服用している鼻炎薬の副作用なのか、花粉症の時期はどうしても自律神経が乱れがちになるのでそのせいなのか、ずっとわからず、今も実際のところはわかりません。

今回は、3月の初旬から腰痛があり、何度か鎮痛剤のロキソニンを服用したし(鼻炎薬とはズラした。そして今は腰痛からは開放された)、喜多方に行って、不規則でジャンキーな食事をしたり、喪服で足が冷える自覚もあったし、で・・もう、原因候補が多すぎる!

明日は丸一日研修なのだけれど、下痢止めを飲んで行くべきか迷い中。
勝手にトイレに行けないしなあ。

ふだんはなるべく薬をのまないようにしていますが、花粉の時期は一年分、のんでるかも。
ああ、やだやだ。
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# by kuni19530806 | 2015-04-01 16:34 | その他

伯父の訃報   

3月28~29日で喜多方に行ってきました。

母方の伯父が亡くなったのです。
90才という年齢ですし、心臓に持病を持ち、今までニ度、なぜかどちらも旅行先で倒れたとのことなので、傍目には「ある程度の覚悟はしていただろう」ですが、覚悟なんてできないもんです。
それは自分の経験でもよくわかる。

伯父は、自転車に乗って近所のスーパーに行くのを日課にしていたようで、その日も出かけ、スーパーの駐輪場で倒れ、そのまま逝ってしまったのでした。

救急車が到着し、心肺停止状態であることがわかると、救急車は近隣の中心都市である会津若松市の大きなA病院に連絡をとり、そこからドクターカーを走らせてもらい、途中で合流して、伯父はドクターカーの中で専門的な蘇生処置を施されたようです。
それでも残念ながら戻ってくることはなかった。

伯父が住所や名前や連絡先を携帯していたことと、伯父の長男(私の従兄)Rちゃんは地元で小児科医をしていて、偶然にも週に一回A病院の小児科で診察を受け持っていたことで、Rちゃんのところにはドクターカーから直接連絡が入り、蘇生が叶っていないことを知らされたそうですが、Rちゃんは、近所に住む自分の母親にはそのことを電話では伝えられず、ただ「お父ちゃんがスーパーの店先で倒れて救急車でA病院に向かっている。今から車で迎えに行くから、お母ちゃんも準備して待っていて」と言ったそうです。

それを聞いた伯母は、自転車で転倒してケガをしたのだろうと思い、まさか心肺停止とは思わず(当然です)、入院の準備をせねば、と、下着や洗面道具を集めはじめたそうですが、それが終わらないうちに息子の車が到着し、「まだ入院の準備ができないからもう少し待っててくれ」と言ったとのこと。
Rちゃんはそれを聞き、意を決して「お母ちゃん、その用意は要らないと思うよ」と告げると、伯母は一瞬きょとんとした顔をし、「そうか。わかった」と答えたそうです。

そして車は30分ほどでA病院に到着。
連れて行かれた場所は、診察室でも手術室でも集中治療室でもなかった。
そして部屋に入って、あまりのことに驚き言葉を失った伯母。

そう。
伯母の「わかった」は、Rちゃんの意図したことを察したのではなかったのでした。
入院の必要がない軽いケガ、もしくは、A病院は病院で指定された入院着や洗面道具しか使わせてもらえないのかと思った、だったようなのでした。
なんだか、そういう「非常時はことさら自分にしっくりする解釈をついしてしまう」ってものすごくわかる。



去年の11月、私は急に思い立って、友人3人と喜多方に行き、伯父伯母、Rちゃんと一緒に夕食を食べました。
それまでは何年も喜多方には行っていなくて、伯父にとって私はイチバン不義理な姪だったのに、そんな私が、甥姪の中で元気な伯父に会った最後の人間になったのでした。

去年の11月の伯父はとても元気そうで、終始ニコニコしていました。
私に「元気でやってるか。うんうん。ならいいんだ」と言った伯父。
一緒に喜多方に行った友人のひとりが、会食の数分間を動画に撮影してくれました。
そこには、好々爺の見本みたいな伯父が映っています。
行ってよかった会えてよかった動画を撮ってもらってよかった。


今回、連絡をもらい、義母のデイサービスへの送り出しを済ませ、土曜日の午後に喜多方に到着しました。
そのままタクシーでセレモニーホールに行くと、ちょうど納棺式が始まったところでした。
そこには、見慣れない若者がたくさん。
全員、伯父の孫でした。

伯父にはRちゃんを筆頭に、Hちゃん(男)、Fちゃん(女)と3人の子どもがいますが、3人にはそれぞれ、2人、3人、3人の子どもがいます。
少子化のこのご時世にはめずらしいことに、伯父は8人の孫がいたのでした。

末っ子のFちゃんが私より2才年上なので、その子供たちもみな20代~30代前半。
伯父にはひ孫もふたりいて、どちらも最近生まれたばかり、そのうちのひとりRちゃんの長女のAちゃんの子どもは、伯父が亡くなった翌日に初めてひいおじいちゃんに会いに来る予定だったそうです。
伯父はそれを心待ちにしていて、認知症でもないのにそれまでの一週間は毎日伯母に「Aと子どもはあと何日で来るのか」と聞いては呆れられていたそう。
今回倒れたスーパーも、伯父は、やって来る孫とひ孫のために何か買おうとして行ったのではないかと言われています。


Aちゃんは18才まで喜多方で暮らしていました。
15年前、私の母親が喜多方の病院で危篤状態になったとき、夜中だというのにRちゃんと一緒に病院に駆けつけてくれて、私の母親の足をずっとさすってくれたのが、当時高校生だったAちゃんでした。
それ以来、15年ぶりに会うAちゃんは、顔立ちは高校生のままながら獣医になっていて、乳飲み子を抱きながら号泣していました。
(続くかも 続かないかも
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# by kuni19530806 | 2015-03-31 21:34 | お出かけ

年度末   

今年度最後の出勤でした。
来年度の残留が決まり、しかも明日と来週はそのための研修があるので、一段落感はあまりありません。
が、昨日と今日、それぞれの学校で年度末の挨拶をし、昨日の学校の図書担当の先生は転勤が決まって、ちょっとふたりでしんみりしちゃったり、今日の学校は、隣の1年生の教室で新入生を迎える準備が始まっていたりで、年度末の雰囲気を味わっています。

5月からの勤務だったので11ヶ月、正直、よく持ったなと思います。
週2仕事なので肉体的にキツいわけではなく、その証拠に体調も割合安定していたし、義父母もギリギリ小康状態を保っていましたが、なんだかやけにハードな1年だった印象。
小学校という職場はやっぱり独特だし、直接雇用ではなく業務委託の会社雇用というのは、自分にはなかなか馴染めず、今も正直馴染めないところがあって、よけいな疲労感が加味された1年間だったような気もします。

いろいろ面白いこともあったけれど。
来年度の目標、面白いと思うことを増やす!
学校や委託会社との距離感が少しわかってきたので、ちょっと肩の力を抜くことができればいいなあ。
ハードルの高いプレゼンをして採用されてしまったので、夏休みはまた愚痴まみれになっているかも、ですが。
ま、今は考えないでおこう。


それにしても今知ったニュースのインパクトがあり過ぎる。
香川のため池で男の子が亡くなった事件、5年前にその子のお姉さんも同じため池で亡くなっているって!

15年前、母親が会津の大きな病院に入院して集中治療室に入ったとき、隣のベッドは、ため池に落ちて意識が戻らない女の子でした。
両親を見てられなかった。
お母さんはずっとずっと泣いてて。
でも、数日経って、女の子の意識は戻りました。
あの女の子、今も元気だろうか。

しかし、姉弟が同じため池ってなんなんだろう。
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# by kuni19530806 | 2015-03-26 22:09 | 仕事

夜の木の下で   

昨日は参った。

義父の眼科に付き添ったのだが、3~4時間の拘束は覚悟していたものの、12時半に家を出て、帰って来たのは18時半だった。
怒涛の6時間コース。

通院している眼科は今月から新しい場所に移って、今までのように、受付と眼底カメラ、診察と視力検査、の待合室が一緒でカオス状態になっていない分、ゆったり人が少なく見え、こりゃあ今回は早く終わるかなあと思ったら甘かった。

義父の担当医は院長で、院長だけ午後の診察が15時開始だった。
どうも、午前中の診察がメチャクチャずれ込んだらしい。
緊急オペとか、多い人なのだけれど。

義父は15時半に診てもらったが、その前の視力検査で、前回より視力が極端に落ちていることがわかり、でも原因がわからず(眼底カメラなどでは問題なし)、最初の診察後、急遽、造影剤を入れて血管の状態を調べることになり、それにけっこう時間がかかり、その後、また診察があり、造影検査でも異常が認められず、とりあえず様子見になり・・・で、なんだかんだで18時を過ぎていた。

私はその間、ほぼ座っているだけだったが、座っているだけって疲れる。
腰痛もぶり返してしまった。
病院の待合室は、読書も進まないし。
みんなは進むのかな。
私はダメだ。




湯本香樹実著『夜の木の下で』を読む。

湯本さんは『夏の庭』しか読んだことがなかった。
『夏の庭』は確か今から20年ぐらい前の小説だが、めきめきと児童文学の名作になり過ぎて、すごく好きなのだけれど、ちょっと勝手にひとり歩きしているイメージ。
比喩が正しくないかも、ひとり歩きって。

私にとっての2作めの今回の湯本さんの本は短編集。

表紙の色味がとても好きだ。
『夏の庭』の表紙は緑系だった気がするが、湯本さんの文章には緑や青が似合うなあ。

長いスパンで書かれた短編を集めた本だし、連作ではないが、トーンは揃っている。

テーマがあるとすれば、死と隣り合わせの生・・というか、生と死に境目などない、かな。
それが一貫して描かれている感じ。

そして、兄弟、姉妹の独特の距離がもうひとつのテーマのような気がする。

誤解を恐れずに言うと(少し恐れてるけど)狡いテーマだ。
地味だけど磐石というか。
でも、死を扱っても、湯本さんの小説には初期の吉本ばななのような鼻につく感じはない。
もちろん、全て私の主観ですが。
あ、断るまでもないか。

死んでしまった双子の弟と隠れたアオキの木の「洞窟」について書かれた「緑の洞窟」と、事故に遭って意識不明になった弟を思う姉の目線で語られる表題作「夜の木の下で」が好き。

この2作は15年の時を隔てて書かれているのも感慨深い。

「思い」と「思い出」は違う・・というとあたりまえみたいだけれど、「思い出」と「思い出す」も浮かぶことが違うなあ。

私は2006年に兄を亡くしているけれど、これを読んだら、兄に対する「思い」と「思い出」と「思い出す」を書き出してみたくなった。
それぞれ、浮かぶことが違って、しかもタイミングや自分の精神状態で、思いも思い出も思い出すも変わってくる。

変わるっていいなあ。
終わってないってことだもんな。
終わってないって、自分の中では生きているってことだ。

若いときには気づかなかったそんなことが、あたりまえのようにわかるようになる。
不思議だ。
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# by kuni19530806 | 2015-03-24 20:33 | 読書

恋するソマリア   

高野秀行著『恋するソマリア』を読む。

面白かった!
前作『謎の独立国家ソマリランド』で基本的知識を得ている分、今回はすんなりその世界が理解でき(たような気分になれ)、なんとなれば、旧知の人たちに再会した心持ちにもなれ、グングン読めた。
今回は本の雑誌社刊行じゃないんだ、という一抹の残念さ、みたいなものはあったにせよ。

しかし高野さんは文章が上手いなあ。
内容にインパクトがあるので文章は見過ごされそうだけど(そうでもないか)、すっごい文才だと思う。
そして、喩え上手。

腰痛を秘境に喩えて、そこを探検するというテイにした『腰痛探検家』にも唸ったけれど、今回の「ソマリアに恋した自分」という設定も秀逸だ。
的確な喩えをすることで、こんなに状況がわかりやすくなるかとびっくりした。

更に、今なにかと問題や話題になっているイスラム教について、なぜ、民主化するとイスラム厳格派が選挙に勝つのか、それは日本でもおなじみの「宗教は選挙に強い」「宗教にはお金がからむ」あたりまではなんとなく予想できたけれど、そこにはもっと複雑な心理が交錯して、それは世俗的な、宗教による規制を嫌うインテリ層は理想に走りがちで仲違いしやすいとか、イスラム厳格派に反対する層がデモを行い、政府に弾圧されることで、ますます国を不穏にしたり、エジプトのように、非民主的な軍と非イスラム派が結託して、正攻法、民主的な手続きで政権を握ったイスラム厳格派政権を弾圧するという、ねじれた事態にもなっている、などなど、日本の報道だけではなかなか想像できなかった「現実」もこの本で少しわかった。

それはなんとなく、今の日本にも当てはまる流れでもあるような気がするのがとても引っかかる。
「規制を嫌うインテリ層は理想に走りがち」あたりとか。

理想に向かって走らなくてどこに向かって走る!?と言われると、とっさに返す言葉が見当たらないんだけど。

話は変わるけれど、今回のル●ネのCM騒動は気持ち悪い。
あのCMを作った人は相当バカだと思うけれど、ここぞとばかりに声高に理攻めの正論で批判してる人々も苦手だ。
自戒の念も込めて思うのだけれど、今自分は誰恥じることなく正しいことを言っているという感覚は、正しいこと以外を丸ごと排斥する気がする。

それって、本当に世の中をよくするのかな。

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# by kuni19530806 | 2015-03-21 11:20 | 読書

東京プカプカ⇒洋子さんの本棚⇒狗賓童子の島⇒さすらい猫ノアの伝説   

最近、読んでいた本。
忘れそうなのでとりあえずタイトルだけ。
感想は書きたい。
『狗賓童子の島』は、 【帰って来たゾロメ女の逆襲】で取り上げたけれど、読了直後にバタバタと書いたので、数日経った今はちょっと気に入らないところもあるのであった。
なので、あらためてここに書きたい。

中野翠著『東京プカプカ』
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小川洋子・平松洋子著『洋子さんの本棚』
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飯嶋和一著『狗賓童子の島』
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重松清著『さすらい猫ノアの伝説』
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# by kuni19530806 | 2015-03-15 17:33 | 読書

すごい私たち!?   

昨日は東京図書館制覇!というサイトを運営している竹内庸子さんの講演会に行ってきた。

竹内さんとは7~8年前から面識があって、一時期は、竹内さんに勤務先の愚痴を聞いてもらったり、竹内さんからもプライベートな話を聞いたり、懇意にさせてもらっていた。
住んでいる地域もわりあい近かった。

けれど、竹内さんは数年前に都の西の方に引っ越し、その頃からめきめきと「図書館の目利き」というか「図書館マスター」的ポジションになった。
講演をしたり、メディアにもよく登場したりするようになり、自分が公立図書館を離れたこともあって、最近はあまり連絡をとることがなかった。

でも、かつての同僚が勤務している図書館で竹内さんの講演会があると聞き、ふと「行ってみようかな」と思った。

自分は今、公立図書館で働いてはいないし、竹内さんが支持する昨今の図書館のイベントに必ずしも諸手を挙げて賛同する者でもないのだけれど、一度、彼女の話をきちんと聞いてみたいと思っていたのだ。
特に、公立図書館を辞めてから。
外側にいる者だからこそ、そして内側を知っているからこそ、理解できる、あるいはできない、ことがあるかもしれない、と思って。

そして、自分が知っている(つもりになっている)竹内庸子さんという女性が人前でどんな風に話をするのか、ということにも単純に興味があった。

行ってよかった。
竹内さんのまっすぐな感じと、自分の言葉で語ろう、これも伝えたいあれも話したい、という前のめりなちょっと不器用なところに好感が持てた。
そういえばこの人は前からこういう人だったよなあと思えてなんだかうれしかった。

そして、自分が最近の図書館に感じる違和感もあらためて浮き上がって見えたような気がした。

このことに関してはもっとちゃんと考えて言葉にしたい。


いろいろなことをやっている図書館の実例で、自分がかつて開館準備から関わった図書館の「お散歩MAP」も登場した。

地の利が悪く、最寄り駅から徒歩20分強で周囲1キロの円の半分は川になるような図書館に来てもらうために、私と同僚が考えた図書館のキャッチコピーは「散歩のついでにT図書館」だった。
誰にも聞かれていないのに「健康をテーマにします」とした。
だって、そうでもしないと誰も来そうにない立地条件だったから。
そして、周囲のお散歩MAPを作ることにしたのだった。

描いたのは絵心のある同僚Hさん。
私たちのすごいところは(笑)、そのMAPの拡大版を開館の日にエントランスに張り出し、「あなたのおすすめスポットを教えてください」と表記し、付箋を置いたことだ。
詳しくは当時の日記を⇒ 

私たちのもっとすごいところは(苦笑)、その付箋の情報をもとに、改訂版を作ったことだ。
写真を撮り、MAPに付け加えた。
楽しかった。

それが今回、竹内さんに紹介された。
講演会に一緒に行ったのは奇しくもHさん。
自分たちの仕事が紹介されているとき、私は隣のHさんに小声で「いい仕事するよねー」と言った。
Hさんは照れたように見えた。
私も照れて言ったんだけどね。

講演後、竹内さんに挨拶に行ったら、開口一番、「別にマツモトさんがいたからあのMAPを紹介したわけではありませんからね」と言われた。

いや、別にどっちでもいいんです。

自分は思いつきで動くだけの、決して能力のある図書館員ではなかったし、あの日々に戻りたいとも今はもう思わないけれど、あの付箋付きMAPを久々に思い出せて、なんだか現在の視界のくもりがちょっと晴れた。
もうそのことだけで十分でした。
その一点だけでも、本当に行ってよかった。
そして、今、図書館に残っている、あるいは残っていない、かつての同僚たちもみな、視界がくもったりしても、たまにあの頃を思い出して、ちょっと晴れやかな気分になることがあればいいなあと思った。


いつまで過去の栄光(?)にすがってるんだよ!と言われそうだが、いいのだ。
私は過去にすがります。
ネガティブな過去だって不本意であっても抱えて暮らしてる。

だってさ、過去の喜怒哀楽の延長が今の自分だとしか思えないからさ。
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# by kuni19530806 | 2015-03-01 21:25 | その他

てらさふ   

朝倉かすみ著『てらさふ」を読む。

『肝、焼ける』『田村はまだか』の朝倉かすみさん、自分と同世代で、デビューは決して早いとは言えない朝倉さんに、勝手に親近感を覚えていました。
力のある、予定調和ではない小説に好感もあって。

これは、昨年発表された小説。
Twitter文学賞で、朝倉さん自身がこの小説に投票してました。
『てらさふ』朝倉かすみ 文藝春秋 自作。いままで書いたもののなかでいちばん好きだった。でも多くのひとに読んでもらえなかった。ちょっと絶望した。
というコメントで。
それで読んでみました。

北海道のオモタイという町に住む中学生、弥子。
大人からみれば、よくいがちな、十代特有の自意識肥大症を患っているとも思える彼女ですが、「なにかをやりたい」弥子の前に、「どこかへ行きたい」転校生ニコが登場して、ふたりの脳内世界が、実際に外に動き出します。

モノを書くということに才覚を示す弥子は、偶然見つけたある女性の昔の文学賞の応募作品を、ニコを世に出すプロデュースに利用します。
それはどんどん上手く行き、やがてニコは・・そして弥子は・・という物語。
(↑なんだ?この下手なあらすじ紹介的な文章は!)

う~ん。
力作だし、時折、心に響く箇所もありましたが、正直言って、好きな小説ではなかった。
なんでだろう。
朝倉かすみさんの小説はどれもある種の「意地の悪さ」があり、それが魅力になっているように思うのですけど、それはあくまで、どうしようもない、市井の人間の弱さ、哀しみをバックボーンにしてる気がします。
でもそのバックボーンがこの小説には感じられなかったからだろうか。
いや、違うかも。

もしかしたら自分は、「十代」とか「少女」特有の思考形態に理解が足りないというか、あまり理解しようとしていないのかもしれない。

きな臭いエンディングに対しても、ただただ後味の悪さを覚えてしまった自分は、結局、弥子を肯定することなく、最後まで否定し切ってしまったのかなあと思った。

タイトルの「てらさふ」は、自慢する、みせびらかすという意味だそうです。
衒さふ。
私はてっきり「照らそう」だと思ってました。
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# by kuni19530806 | 2015-02-28 23:57 | 読書

敬語で旅する四人の男   

麻宮ゆり子著『敬語で旅する四人の男』を読む。

初めて読む作家。
Twitter文学賞で投票している人がいて、タイトルにそそられました。
こういうタイトルを持ってくるセンス、好きかも、と。

特に親しくもない、最初は初対面だったりするアラサー男性4人が、佐渡、京都、鳥取、熱海を旅します。
ジャンルはロードノベル?

厳密には、全行程が4人というのは佐渡だけですが、他の場所も、なんだかんだ言って不参加者もからむ設定。

4人それぞれが旅ごとにメインを張って、脇役のときのエピソードが前面に出たり、意外な面を見せたりします。
そういう構成、好みです。

時々、展開がわかりづらかったり、このエピソード要らなくね?というのもあって、ちょっと引っかかるところがないわけでもなかったけれど、全体的には好感が持てる小説でした。

明らかにアスペルガーな斎木の描写も、ものすごく掘り下げているわけではないけれど、うわっつらで描いている感じはなく、私などはついつい「ビッグバン☆セオリー」のシェルドンをイメージしてしまった。
斎木クンとアルエさんの回は、実は私はイマイチでしたが。

佐渡のときはチャラい感じだった仲杉クンがメインの鳥取編は、少女マンガっぽい展開でちょっと胸キュン(死語!)になりました。

映像化されたら、4人は誰がしっくりするか、ついつい考えてしまいます。
斎木クンは高良健吾かなあ。
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# by kuni19530806 | 2015-02-16 20:18 | 読書

くだらねえな自分、だけど。   

義父母と暮らして、今年で丸30年だ。

結婚したのはその2年前なのだが、同居は1985年の6月からで、引っ越しの正確な日付も覚えている。
その日が自分の誕生日だったから。

義父母も夫も私も、そして同居の際に立て替えた今の家も、30年ですっかり年をとった。
そうだよなあ、なにしろ30年だもの。

義父母の健康状態はここ数年はとても不安定だが、基本的に命にかかわる病気は患っていないし、寝たきりではないし、認知症でもないので、切迫した状況ではない。
それは百%いいことだ。
でも、このところ、家での自分の精神状態はあまり良好とはいえない。

ちょっとしたことに苛立つ。ため息が出る。なんだか、家に縛られている気がする。

そういう、被害者意識に近い鬱々とした気持ちに対しての対処法はわかっている。
もうこの生活もけっこう長いから。
そして、常に鬱々しているわけではなく、特に具体的に何かがあったりしたわけではなくても、理由なく気持ちが上向くことがあるのも知っている。

それを繰り返し、言ってみれば「騙し騙し」この生活を続けてきたのだけれど、だんだんリフレッシュが効かなくなってきたみたいだ。
くたびれている。
飽きているのかもしれない。

ありがたいのは、全く体調は悪くないことと、常に気鬱なわけではないこと。
こういう状況だからこそ、定期的に家を離れる必要を感じて来年度も今の仕事を続けることにしたし、スキあらば友達に会いに、何かを見に、数時間でも出かけようと画策しているし、スポーツクラブにも週2を目標に通っている。

そして、今の自分には、本、なにより小説を読むことが必要とあらためて気づいたりもした。

世の中が本当に物騒で、きな臭く、でも、だからといって、ネットで声高に騒ぐ気にはなれない。

Twitterで、特に文章を書くことをなりわいにしている人が、自分に近い考え、心にヒットした意見をやたら次々とリツイートしていることにはなんだかとても違和感を覚える。
簡易理論武装に見える。
自分の意見じゃない分、ちょっとカッコ悪く思える。
気持ちはわからないでもないけれど、なんだか子どもの頃の自分を見てるみたい。

自分の脳裏に浮かんだ感情や考えをまっさらな状態で人に言うのは躊躇するくせに、自分と同じような意見を聞いたとたん、突然、水を得た魚のように饒舌になる。
私も前からそう思ってた!と。
後ろ盾を得て、強気になる。

たとえ、その考えや感情そのものには共感できても、その姑息さに引く。
子どもの頃の自分に大人の自分が引いてどうよ、ですが。

かといって、まったく世の中の不穏さには触れずに、世界はまるでなにも変わっていない風なツイートを繰り返す著名人にもちょっとモヤモヤとしたりする。
狡いとすら思う。
日常は日常として存在するわけだから、は理解しつつ、日常を隠れ蓑にしてないか、と思ったり。

それって、要するに、自分が動揺している、気持ちが落ち着かないってことなのだろう。
だから、振幅大きく心がざわつく。

当然だけど、家のことと世の中のことは結びついている。
今の自分の閉塞感も危機感も動揺も苛立ちも、内と外が連動してのこと、なのだ。
共鳴し合って、悪い意味で相乗効果になってしまっているような気がする。

結論を急いじゃダメなのだなと思う。
現実だけが世界の全てじゃないと思うこと、目に見えるもの、耳で聞こえるもの、はとても大事だけれど、それと、肌で感じる押しの強いものだけで世界を判断してはいけない、と折に触れ思うことが、その奥や裏側にあるものに想像を働かせることが、あらゆる意味で自分を、自分を末端構成員とする世界を、救う数少ない糸口のような気がする。
そして、そのためにはフィクションが大事だと思った。

全然上手く言えていないけれど、友人のTwitterの言葉を借りれば「他者への想像力ひとつとっても、今ほどフィクションが必要とされている時代はないんじゃないか。じっさいどんな「実用書」より実用的だと思う。そのために読むわけではないけれど結果として。」だ。

そしてそして、海外ドラマ「ビッグバンセオリー」は今の自分には強い味方だし、ネコは可愛いし、夫は情緒が安定してよく話をするし、ネガティブな話を聞いてくれる友人もいる。
好きな文章を書かせてもらってもいる。

じゃあ、あとはどうすればいいの?


私はきっと、私こそがきっと、義父母の老いを受け入れられていないのだ。

足腰が弱るとか、耳がますます遠くなるとか、物忘れが激しいとか、そういうことはいいのだ。
私が落ち込むのは、ふたりが年老いて、今まで清らかだと思っていたふたりの人間性のメッキが剥がれたような気持ちになる自分の底意地の悪さに対して、なのかもしれない。

とにかく優しかったふたりが、徐々に自分のことでいっぱいいっぱいになり、意固地になり、気分が変わりやすくなって前言撤回を繰り返す、それを毎日目の当たりにすることが哀しい・・というより、正直うんざりなのだ。

それはしょうがない、誰だって年をとればそうなる・・わかっています。
30年間暮らしてきたのだから、わかりすぎるくらいだ。

でも、温かでほがらかで穏やかなふたりが恋しい。
もちろん、その要素がすべてなくなってしまったわけじゃないし、今でも、そのへんの91才、86才に比べれば相当残っている(そのへんの高齢者に対してなんて失礼な言い草!)。
私を誰よりも気遣ってくれる。

きっと私は、25年間、甘やかされ過ぎてきたのだろうなあ。
言葉や態度で庇護されまくってきたってことなのだろう。
ちょっとしたことで感謝され、当てこすりもひけらかしもなく、恩着せがましいことを言われたことは一度もなかった。
義母はがさつでおせっかいで無神経なところもあるけれど、一貫して善意の人だ。
義父もこの上なく優しかった。
今だって、悪意のかけらもないのだ。
そう言い聞かせて受け入れるしかないのだろう。

そうは思いつつ、溜め込んでいたものをいったん外に出したく、これを書きました。
書いたらスッキリした。
くだらねえな自分、とも思った。
書いて初めて「自分はこんな風に思っていたのか」とびっくりもした。

お目汚しでスミマセン。
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# by kuni19530806 | 2015-02-13 18:57 | その他

沈黙博物館   

小川洋子著『沈黙博物館』を読む。

そうかー、小川洋子さんは15年も前にこんな小説を書いていたのか。

私は「クラフト・エヴィング商會」のことはよく知らなくて、去年行った世田谷文学館の展示で見たもの、そこで知った情報が全てなのだけれど(そのときの感想はこれ→)この小説はまるでクラフト・エヴィング商會じゃないか、と思った。
装丁もクラフト・エヴィング商會の二人だしね。

でも、単行本と文庫本の表紙は違う。
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相変わらず、「優れた村上春樹」という読後感。
今回は特に『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』の「世界の終わり」の方が脳裏をよぎった。

先日読んだ『ことり』でも感じた、平穏さと不穏さの混在が醸し出す独特の不安感がすごい。
閉じているからこその平穏、閉じているからこその不穏、その共存がこの作者の一貫したテーマなのかもしれない。

すごく恐れ多いことを言うが、もし小説を書くとしたら小川洋子さんみたいな小説がいいな。
「小川洋子さんみたいな」と言ってる時点で終わっているわけですが。

関係ないけど、先日のお出かけ先の画像も貼っておこう。
楽しかったから。
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# by kuni19530806 | 2015-02-10 21:06 | 読書

2月を迎えて   

朝から辛いニュースが駆け巡っていますが

悲しみや悼みや憤り、恐怖をどんなに感じても
集団ヒステリーになるなよ、みんな
それじゃISISの思うツボだし、これからも同じ土俵に上がり続けることになる
報道はそこを言うべきなんじゃないか

などと思っています。



そして、モデルの雅子さんの訃報にとても驚きました。
1980年代、アンアンが好きだったので、デビュー当時からその存在を認識していました。

浮世離れしているけれど、甲田益也子さんほどではなく
田中久美子さんほど威圧感はなく
当初、よく一緒に特集されていたとよた真帆さんのように
早い段階でタレントにシフトチェンジせず。

その後、たおやかにますます静的なイメージになり
唯一無二の独特の雰囲気の存在感で
ほぼ30年、一貫して気になるモデルさんであり続けていました。

最近は「大人のおしゃれ手帖」とか「ナチュリラ」とかに
よく登場していて、年齢を重ねても雰囲気は不動だなあと思ってました。


毎年毎年、明けるたびに、「今年はよい年になりますように」と心から願うのになあ。
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# by kuni19530806 | 2015-02-01 12:02 | その他

元・門外不出   

図書館の分類の3桁の数字をゴロ合わせにする性癖については、他の場所でもカミングアウトしていますが、最近、訳あってその門外不出のゴロ合わせを思い出す作業をしました。
全部は思い出せませんでしたけど。

公立図書館で働いていた頃に考えた(このうち1個は友人の作品)ものばかりですが、どこにも保存しておかなかったので、ここに貼っておこうっと。

159      異国(159)の言葉か「人生訓」
361      寒い(361)学問「社会学」
489      弱く(489)ないでしょ「哺乳類」
498      よくは(498)ならない「予防医学」
592      ごくつ(592)ぶしの「日曜大工」
640      悩み無用(640)の「畜産業」
712      無いに(712)に等しい「彫刻史」
774      名無し(774)じゃなれない「歌舞伎」界
783      悩み(783)無用の「野球」少年
795 796  泣く子(795)を殴ろ(796)う「囲碁将棋」





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# by kuni19530806 | 2015-01-30 16:06 | その他

去年の冬、きみと別れ   

中村文則『『去年の冬、きみと別れ』を読む。

図書館から「予約の本がご用意できました」と連絡が来たが、このタイトルに全く心当たりがなく、でも自分が予約したことは間違いなく、どういう経緯で「読みたい」と思ったのか思い出せないまま読んだ。

中村文則さんは名前だけは知っていたが初めて読んだ。
そして、正直、自分はもうこの人の小説は読まないだろうと思った。

そう思ったこと自体も忘れそうなので、その備忘録のためにここに読んだことを記しておこう、というのもどうかと思うけれど、それが正直なところだ。

狂気って、復讐って、こんなにわかりやすく表現できるものではない気がする。
わかりやすさが作者の力量なのか、とも思いかけたけれど、途中までの意味ありげなシーンやセリフが、終盤、語り手の「語り」によってのみ解き明かされる構成は、腑に落ちつつ納得できないというか、むしろ途中までの不穏さを台無しにするというか。

あ、これ以上、やめとこう。
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# by kuni19530806 | 2015-01-28 17:05 | 読書

20年目に思うことに思ったこと   

友達のブログを読んだら、それで感じたことを書きたくなった。
本当は、コメントをつければいいのかもしれないけれど、きっと長くなるし、個人的なことまみれだからここに書こうと思う。

友達のブログはこちら ⇒ 



知り合ったとき、もうさらださんはお父さんを亡くしていた。
なので、そのときの彼女を私は知らない。

お父さんについては、元気な頃のことも闘病中のことも含め、多くを聞いたことはなかったし、なんとなく、私たちが知り合うずっと前に亡くなったのかと思っていたが、そうでもなかったことを今日のブログで知って、ちょっと驚いた。
どうして驚くのか自分でもよくわからないのだけれど。


自分が先に死なない限り、親や配偶者や兄弟や子ども、そして友達、を亡くすことは避けられないのだ。

あたりまえの言わずもがななことを言っていると重々承知してわけだが、あらためてそんなことを思う。

兄の命日が来て、さらださんの文章を読んで、肉親の死が近い気分になっているからそう思うのかもしれないけれど(間違いなくそうだ)、27年前に自分の子ども、15年前に母親、9年前に兄、そして一昨年前に父親、を亡くした自分は、今までの自分の人生の半分の年数は近しい人間の死を感じて生きていることになる。
ずっと後悔しながら。
そして、その後悔は、些細なことほど残り、ふとした拍子にやたら鮮明に蘇る。

治療法をもっと検討すべきだったとか、転院すればよかったとかの、命とダイレクトに繋がる後悔もたくさんあるのだけれど、何年も時が過ぎた今は、そういうことより、あの日のお見舞いにイチゴを買っていけば良かったとか、あのとき、あともう少し病室に入ればよかった、話を聞けばよかった、愛想笑いでもしてあげればよかった、というような、日常の瞬間の後悔を感じることが多い。

そして、感じたからといって慟哭するわけでも、畳をかきむしるでもなく、鋭角的ではない哀しみが押し寄せてくるのを感じ、しばらくすると引いていったなあと思う。

長くとどまることはない。
でも、後悔の残滓みたいなものが自分に降り積もり続けている感覚がある。

今回、勝手に「さらださんもそうなのかもしれない」と思った。
それが、なんだか切なくてやるせなくて、ちょっとだけ心強いと思った。

サンキュー!・・というのもおかしいかもしれないけれど、サンキューです。
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# by kuni19530806 | 2015-01-27 20:57 | 友達

ラカグ&昔勤めていた会社   

神楽坂に行く。
21才~27才まで働いていた某公益法人(現在は一般社団法人)の会社がそこにあって、今もそこで働いているかつての職場の先輩で、長年親しくしているKさんに面会に。
私の古い友達には「なっちゃんのお母さん」と言った方がとおりがいいかも。

なっちゃんが生まれたときのことを書いて、私はCREAという雑誌のコラムの賞に応募してグランプリをもらったのだ。
そのなっちゃんが今年は大学受験だってよ。
CREAは遠くなりにけり、です(まだあるけど、心情的に)。

Kさんはいつもすっごく大変な人生で、今もそうだ。
私は手をこまねいているばかりで、早、付き合い出して30余年になる。

たった1時間の面会だったけれど、行ってよかった。
そのうちの20分ぐらいはネコの自慢をしていた気がする。

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ラカグ正面。ウッディー!


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ラカグ側面。別モノみたいだ。


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ラカグ背面。もっと別モノ感。


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かつての会社はそのままでした。
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# by kuni19530806 | 2015-01-26 17:42 | お出かけ

いまさらなお礼   

2000年、母親が死んだときはたくさんの友達にお世話になった。

その中のひとりである友人から先日、「お母さんが亡くなって14年だなんて本当に早いものだね」とメールが来た。

私は昨年、季刊レポという雑誌のライター募集に応募したのだけれど、書いたのは母親のことだった。
その友人は、最近それを読んでくれて、「面白いお母さんだったんだろうなあ。一度お会いしたかったなあ」という感想をくれた。

私は母親と上手くいっている娘ではなかったが、確かに母親はある意味、面白い人間だった。
でも、そう思えるようになったのは、残念ながら母親が死んでからだ。
そしてそれはキツい。
一貫して「被害者意識丸出しの、気分屋で子どもっぽい、面白みのかけらもない母親」と思っていられた方がずっとラクだ。
きっと、母親を若干肯定的に思い出せるようになったのは、自分が本格的に中年になったからだろう。

年齢を重ね、一人暮らしで、健康面と経済面に不安があれば、そりゃあかなりの孤独感を覚えるだろう。
そして、子どもに救いを求めたりもするだろう。
でも、子どもは親の孤独感、寂しさ、つまりは弱さ、に理解が足りない。
少なくても私はあまり理解しようとしなかった。
「自分はなんて不幸なんだろう」という被害者意識に凝り固まった母親をうっとうしいとさえ思っていた。
そういうアピールを感じれば感じるほど、どんどん冷淡になった気がする。

寂しかったんだろうな、母親は。
そして、私が思うよりずっと体調が不安定だったのだ。
母親は若い頃からしょっちゅう具合が悪いと言っていて、そのわりに早食いで運動が嫌いで栄養のことも気にしない、病院にもきちんと行かないようなタイプだったので、私は電話で愚痴をこぼされるたびに「具合が悪いならちゃんと病院で検査を受ければいいじゃない」と言うだけだった。
本気で心配しなかった。
母親から電話がくるたびに、自分が暗い気持ちになるのがイヤだったのだ。

ここ数年、母親のことであらためて後悔と自責の念にかられることがまた増え、だからといってどうしようもなく、そのたびに軽く落ち込んだりしているのだけれど、上述の友人の「一度会いたかったなあ」にちょっと気持ちを持って行かれた。

会ったってどうってことない、むしろがっかりさせたり不快な印象を与えたかもしれない、と思いつつ、その言葉がとてもうれしかった。


そうこうしているうちに、もうすぐ長兄の命日だ。
あれから9年かあ。
はっやいなあ。
生前はすごく年上だと思っていたのに、年齢を追い越しちゃったぜ。

兄は2006年までの世の中しか生きていないから、東日本大震災を経験せずに逝ったのだなあ。
小学生の時期のほとんどを福島県浜通りで過ごした兄が生きていたら、私とは違う心痛だったのだろう。
原町市(現・南相馬市)の友達や恩師とは大人になっても連絡を取り合っていたみたいだった。
そして、兄は福島市で働いているとき、コーヒーを飲みにわざわざ飯舘村に行っていたらしいのだった。

兄が亡くなったときも、私は本当にいろいろな人にお世話になったのだった。
上述の友人にも。

いまさらですが、みなさん、あのときは本当にありがとうございました。
私はなんとか元気です。
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# by kuni19530806 | 2015-01-20 22:08 | その他

文章4種4様   

私は文章を書くのが好きらしい。

「好きらしい」なんてイヤらしい言い方だが、誰に頼まれるでもなく、昔から「書く」のだけは自発的にやってきたので、好きなのだろう。
好きじゃないかも、と思うこともたまにあるが、それは書きたくないことだったり、体調が悪かったり、強制されたり、のときだけだ。
考えてみると、仕事にしていないからそんなことは滅多にないな。

紙媒体で仕事として書かせてもらった時期もあるが、それはほんの一時期で、図書館だよりを作っていたことを除けば、この十年強はほぼインターネット上で書いてきた。

現在は
ウェブのほぼ女性誌 どうする?over40
チチカカ湖でひと泳ぎ

③エンジェルフォールで修行中
twitter


で、まちまちの頻度、それぞれの長さ、形式、で文章を書いている。

閲覧者の数(④は単純にフォロアー数)で並べると
①>④>②>③ だと思う。

はダントツの閲覧数。
私は末端構成員だが、もう丸2年、楽しく書かせてもらっている。

他のメンバーは、書くこと、描くこと、家のこと、育児、勉強、もちろん仕事全般の、私からみればそれぞれプロだと思う人達で、読んでくれている人も含めて、生活すること、考えること、トシを重ねること、楽しむこと、に真剣でマジメで、でも堅苦しくない、頭脳明晰な人の構成比率が高いイメージだけれど、誤解をちょっと恐れて言うと、それって全方位的に素晴らしいことだとは思わない。

もちろん、大いに触発されるし、コメント欄も面白いし、ここの雰囲気が好きだから、参加している人たちに好感を持っているから、こそ自分も参加し続けているわけだが、だからといって、①を読まないような、その存在を知ったとしても食指が動かないような、いいね!とは無縁だったり、コメント欄に参戦しようとはついぞ思わないような、人々が、①を読んでくれている人より劣る、わかってないな、とは全く思わない。
あたりまえっちゃああたりまえだが、そういう人がいていいし、いるべきだし、それは、自分の近距離の人たちに対しても同じように思う。

・・あれ、この書き方、間違ってるような、すごく言葉が足りてない気がする。
まあ、あとで考え直したら修正しようっと。

でも、どんなことでも、続ければそれなりに迷いが生じたり立ち止まったりするものだ。
私はそうだ。
①に関しても、「ゾロメ女」はもう50回以上書いていることもあって、このまま続けるかどうか、ちょっと考えたりしている。

ネタ切れ、という意識はあまりないのだ。
それが面白いか否かは別として、書くことはいくらでもある。
ただ、まずテーマありきで書くことに、たまに疑問は感じたりしている。

つい、そのテーマにとって収まりのいい場所に持って行くために、着地点ばかり年頭に置いて書いてる、ことがあって(それが成功しているしていないは別問題)、それはなんだかしっくりこなくて、途中でやめたりもよくしている。
時間を置くと、また違った視点が見えてきて復活することもあるけれど。

で、今年も続けるのであれば、自分の心に本当にヒットした本についてだけ書くことにしようと思ったりしている。

続けていると、どこかで「こんなもんでよかろう」という、こんなもんでよかんべイズムが生まれ、じわじわと肥大する気がする。
本人には気づきづらかったもして。

そのせいか、それが鼻につくのか、なんだか最近、人の書評というか本の感想があまり面白くないのだよ。
プロアマ問わず。
特に、自分は読書に関して一家言ある、と自負している人のそれがつまらないと思うことが多い。
グッとこないのだ。

もちろん、グッとくるこないは主観的で、私の「グッとくる」が私以外にはつまらない感想でしかないことも充分に有り得るが、そんなことを危惧し出したらなにも書けないので、今年は自分の「グッとくる」嗅覚を頼りにやってみようかと思う。
しくじって、即刻や~めた!になるのかもしれないが。(なんだ、この最高にかっこわるいエクスキューズは!?)

本を読むことに意味があるとしたら、想像力というか選択肢を増やすことなんじゃないかと思う。
なんの選択肢かは上手く言えないが、それが増えると生きやすくなるわけでは決してない。
私は、小説を読めば読むほど、いろんなことがわからなくなる。
答えはひとつじゃない、どころか、答えなんて存在しないよな、と思う。

でも、そう思うことが自分には必要なのだ。
ひとつの事実には百の背景があるかもしれない、あるのだろうとできれば思いたい。
同時に、ひとつの背景で百の事実が生まれることもある、とも。
難しいけれど。
そして、自分の周りもそう思う人が多いといいなあと思う。


に関してはもう、自動運転感覚。
蓋を開けないとどう展開するか、私もまゆぽさんも全くわからない。
常識とか良識をタテにしないことぐらいかな、気をつけているのは。
腹に一物がないこと、この上なし。
でも内心、「すっごく面白いぜオレタチ」と気色の悪いことはたまに、よく、思ってる。
そして、ある意味、ここでの自分を信頼してもいるのだ。
これも気色悪い言い草か。


は、きっとこのままだ。
ここは、リアルなお知り合い、リアルではなくても、もう長い付き合いの方にしか告知していない。
うっかり読んでいるいちげんさんもいるのかもしれないが、日々の閲覧者数を見る限り、ほとんどいないと思われる。
閲覧者数は一桁だったりするし、そのことに安心している。
たまに増えると不安になったりして。

いくらほとんど告知していないとはいえ、公開している以上、全てに門戸を開いて発信されているわけなので、「ここでしか書けない」的なことを書く場所にしているのは間違っているとは思うのだが、している。
そして、だから楽しい。
なので、これからも大々的には告知しない。
①で、よくコメント欄に書いてくださる方々に告知しようと思ったこともあったが、しなかった。
これからもたぶんしない。


問題はだ。

私は、twitterの140字という字数上限でつぶやくことが好きだ。
最近では愛猫ミィ嬢の写真upにも積極的だったりする。
フォロアーの人達の、直球や変化球や超スローボールなつぶやきにハッとするのも大好物。
でも、そこ止まりなんだよなあ、好きなのは。

リアルなお知り合いから返信があったり、思いがけない人からリツイートされて、途絶えていた音信が復旧するのは楽しいのだが、①経由以外の、twitter上でしか知らない人にはまー興味がないのだ、私。

最近、しばらく音信が途絶えていた友人と久々に会ったり、ネット上やメールでのやりとりはしていない友人知人と電話や年賀状などで連絡を取り合ったり、テニスで久々に会った人々と旧交を温め合う会話をして思った。
彼女ら彼らより、twitterのフォロアーの方が自分の近況を知っているのって自分はしっくりしないな、と。

もちろん、twitterで晒している(曝している?)自分の情報なんてたかが知れているし、そもそも情報の種類も質も違うのだけれど、やはり自分は、twitterに関しては、宙に言葉を放つ感覚がイチバンしっくりする。

誰かが反応してくれるのはうれしいけれど、たまにでいいなあ。

twitter、やめればいいのかな。
でも好きなんだよね。
そんな矛盾を自覚しているから、「④は問題だ。」と思うわけなのだ。

ネット上だけの、本名は知らない知り合いは要らない、と思ってるってことか。
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# by kuni19530806 | 2015-01-17 13:24 | インターネット