わかるーの効用
2010年 07月 31日
盛夏にかまけてうっかりしてましたが、一時期よりもずいぶん陽が短くなってますね。
夕暮れが早くなったし、あたりまえだけど早朝は暗い。
夏至からひと月以上過ぎたんですもんね。
猛暑はかんべんして欲しいけれど、季節が着々と秋に向かっているのを実感するのはちょい淋しい。
子どもの頃の夏休み後半のあの特有な気分を思い出すというか。
ほどほどの暑さの夏なら嫌いじゃないんですけどね。
更年期に暑さは堪えるんだよねー。
汗、ふわっと感、頭重感、そして何よりイライラは、暑さでグンと助長されますからねえ。
自分が高校生の頃、母親が夏になるとものすごく汗をかいて、常時、首タオルを巻いていて「それって見栄え的にどうよ?」などと思ったものですが、今思えば更年期ど真ん中だったんだなあ。
当時もコウネンキという言葉の知識だけはあったと思いますが、もちろん実態など知らず、たとえ知っていてもいたわることなど思いもよらない冷たい娘であったことは間違いないのを、今更ながら申し訳なく思ったりしています。
というのも、mixiで更年期コミュニティに入ってみたのですが「母親が更年期トピ」がけっこう盛況なんですよね。
盛況という言い方はナンですが、とにかく、母親が辛そう、どうにかしてあげたい、的な書き込みがいっぱいあって、ちょっとビックリなのです。
恋愛や身体の悩みというレベルでの個人情報を共有し合う(依存し合う?)友達母娘的関係が一般的になったのか、更年期症状を訴える層のまさに“分母”自体が増えているのか、純粋に(!)心優しい娘さんが増えたのか、単に家庭内に不調で不機嫌な構成員がいることがうっとうしいのか、そのあたりはよくわかりませんが、「娘が母親の更年期を憂う」というのは自分のテリトリー(?)にはなかったことです。
確かに、更年期症状が辛い人にとって「身近な家族が理解しようとしてくれる」は大きな救いなのでしょう。
女性はいくつになっても「それ、わかるー」と言ってもらうのが好きだしな。
私は長いこと、よくわかりもしないのに気分だけで「わかるー」とクチにすることに違和感があって躊躇していましたが、今の仕事で、たとえ表面ヅラでも「わかるー」と言ってもらえると気が楽になるってけっこうあるなという蜜の味(?)を知って以来、「わかるー」は厳密ってことではなく気分だけで言ってもいいかも、と思うようになりました。
たいていのことは、誰も本当のところなんてわからないもんだしね。
なんとなく、で肯定するのも、会話や仕事の進捗の潤滑油だなと今頃、気づいたりして。
遅いか。
なにより、こと更年期などの不定愁訴系に関しては「優しくしてもらう」がイチバンの処方薬だったりするんですよね。
それでなくても、トシ食った自分という歴然とした事実に毎日直面させられて傷ついてるわけですからね、こっちは。
ま、私のように、日々職場で「私は更年期なんだから優しくしろ!」と周囲を脅すのもどうかと思いますが。
とにかく!暑さは中年には大きなダメージなのだ、という話でした。
顔も夏にイチバン老けるしね。
そんななか、バイオリンの練習をしました。
今回はカノンをみっちり!!
バテた~。
左腕が重くてダルくなり、指は攣った。
でもずいぶん弾けるようになりましたよ。
ある程度、弾けるようになると音程の狂いが気になります。
次回はチューニングメーターを装着したままで弾いてみようっと。
画像は涼しげなすいかロケ地。

▲ by kuni19530806 | 2010-07-31 23:24 | 音楽