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伯父の訃報3   

眠れずに朝を迎えたとはいえ、告別式の朝はお天気もよく、寒すぎず、爽やかでした。
セレモニーホールには20人からの親族が宿泊して賑やか。
故人の妻である伯母が11人兄弟ということもあって、顔の知らない親族もいっぱいいました。

告別式は朝9時半から。
最初に聞いたときは「早っ!」と思ったし、実際、その時間開始で日帰りはムリなので一泊にしたのですが、泊まったら泊まったで、みんな朝は早いし、大勢がうろうろしていて落ち着かないし、結局、8時には宿泊者のほとんどが会場前のラウンジに集合してしまい、地元の参列者も1時間前ぐらいから続々とつめかけ、「1時間前倒しで始めてもいいんじゃね?」ぐらいの雰囲気になりました。

喜多方で生まれ育ち、戦争に行き、無事帰り、喜多方で酒屋を継ぎ、結婚し、子どもを育て、隠居し、喜多方で逝った伯父だったので、たくさんの人が告別式に来ました。
同級生はもう少なかったかもしれませんが、とにかく、お焼香の列が長く続く告別式でした。
孫達がひとりひとり別れの言葉を述べました。
全員に「じいちゃん」と呼ばれていた晩年の伯父は、なんだか生きている間もすでに仏様みたいな雰囲気でした。

告別式の親族の席順は決まっていて、イスに名前を書いた紙が貼ってあったのですが、私は2列目で、伯父の孫の隣でした。
私の後ろに、伯父の妹である叔母とそのご主人。
私より年長の従兄も私の後ろです。
あれ?これでいいの?私、前過ぎない?

途中で気づきました。
私が座っている席は、母親が生きていたら座っていたであろうT橋家の長女の席だと。
母親は40年近く前に離婚して実家に戻り、自分の兄(伯父)より15年も早く死んでしまい、その息子である私の兄も9年前に逝ってしまった。
私は、自分の母親と兄の代わりに伯父の葬儀に来た意識は全くありませんでした。
それでも、結果的に、私は母親と兄の代理という役割でもあったのだ、とそのときはじめて気がつきました。
生きているということ、生きていくということは、先に逝った人間の分も生きるということなのだなあ・・途切れないお焼香の列を眺めながら、そんなことを考えていました。

告別式が終わり火葬場へ。
15年前の母親のときも同じ火葬場でした。
当時と全く変わらない建物を見てあらためて、伯父と母親、たぶん祖父母もこの同じ場所で灰になって空と大地に還っていくのだなあと思いました。

私の伯父の法要はここまで。
そのまま、なるべく早い列車に乗って東京に戻るつもりが、時刻表を見ると、約2時間先まで電車がありません。
それじゃあここに行くしかないと、友人まりちゃんの甘味処に寄ることに。
そこで私はとても驚かされることになります。

by kuni19530806 | 2015-04-05 14:58 | その他

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