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レモンの思い出   

たまに行く最寄り駅前の喫茶店レモン。
正式には喫茶店ではなくフルーツハウスとなっていて、その矜持(!)か、フルーツサンドが美味しいと私の周囲では評判だ。
量は少なめですけどね。

この店はけっこう古い。
1980年代なかばにはあった。
現在は60代ぐらいに見えるご夫婦が、若いときからずっとふたりで切り盛りしている・・ということは、30代で始めたってことか。
よく続いているなあ・・いや、よく続けているなあ。
この30年の世の中と価値観と駅前の変化を考えると、驚異的と言ってもいいと思う。

レモンは、オシャレでも個性的でもない、昭和の香りのするお店で、カフェ、という感じではなく、ショーケースのサンプルも長い年月で色あせ、ちっとも美味しそうに見えない。
集客にはむしろ逆効果では?と思わないでもないディスプレイだが、常連さんで持っているお店には、別に関係ないのだろう。

ここのマスターは、知り合いの男性と声が全く一緒だ。
似てる、じゃなくて同一としか思えない声音。
顔は似ていない。
でも、痩せ型のところは似ている。

毎回、「いらっしゃいませ」という声を聞くたび、うっすらとフシギな気持ちになる。

ここは、夫と行ったり、友人知人と行ったりしていて、マスターが私の顔を特定しているのは明らかだが、常連扱いはされない。
そこが気に入っている。
実は一時期、常連っぽい扱いをされそうな時期があった。
ずっと以前のことだ。
いつもコーヒーを注文していたのだが、その日はわりと直前にコーヒーを飲んでいたので、めずらしく紅茶を頼んだ。
そしたらマスターに「今日はコーヒーじゃないんですね」と言われた。
私は一瞬怪訝な表情をしたのかもしれない。
無愛想に応じたつもりはないけれど、戸惑った顔をしたのかも。
マスターはそれを察知し、以後、一度もそういうことを言わない。

私はほとんどコーヒーにミルクは入れないのだけれど、必ずミルクを持ってきてくれる。
ちゃんとミルクポットに入ったのを。
それはそれでなんかアレで、たまに入れてみたりしている。
他では入れないくせに。


こんな風に、長年、一定の距離を置いて付き合ってきたレモンだが、実は私にはこの店を舞台にしたささいな、でも個人的には忘れられないエピソードがある。
これは、前にどこかで書いた記憶があるのだが、まあいいや。


30年近く前、お店はできたばかりで、私も今の家に住み始めてそんなに経っていなかった頃のことだ。
仕事が終わって家に帰って初めて、自分が家の鍵を持っていないことに気づいた。

その日、義父母は千葉の娘(義姉)のところに行っていた。
孫(私にとっては姪)のクリスマスプレゼントか何かを届けに行ったのだと思う。
そう、季節は冬だった。

私の帰宅時、基本的に、義父母のどちらかは在宅しているのが常だったし、帰る頃合になると家の鍵を開けておいてくれていたので(今考えると、かなり無防備だ。最近はしていない)私は「家の鍵を持って出る」に人より無頓着だったのだ。

帰宅したのは6時ちょっと前で、外はもう真っ暗だった。
家に入れないことに気づき、呆然とした。
夫はまだ会社員で、残業続きの仕事をしていたし、義父母も「夕食は孫たちと食べてくる」と言っていた。
近隣に、事情を話してお邪魔させてもらうほど気の張らない付き合いをしている家はない。
間が悪いことに、私はその日、手帳も持っていなかった。
携帯電話などない時代で、義姉の電話番号がわからない。
しかも、住所もわからず、番号案内に問い合わせることもできない。

とりあえず私は、近くのスーパーに行った。
今でこそ、我が家の周辺にはたくさんのスーパーがあるが、当時は忠実屋(!)一店しかなく、そこの営業時間は午後6時までだった。
今じゃ信じられない。
更に、家の周りはもちろん、駅周辺にも、ファミレスやファーストフードが全然なかった。
時間をつぶす場所がない。
閉店時間になってスーパーを追い出された私は途方に暮れた。

万が一、義父母が早めに帰ってきてはいまいかと家に戻り、暗い家にがっくりし、じっとしていると寒いので、駅に向かい、でも駅前も居場所がなく、目的もなくうろうろ駅前を歩いていると、あかりが見えた。
レモンだった。

その店は、一度だけ入ったことがあった。
私は勇んで駆け込むと、ココアを注文した。
熱い飲み物にほっと一息ついた。

身体の芯が温まると、頭は逆に冷静になった。
義姉の住所がわからないからと番号案内に問い合わせることを諦めていたが、千葉市の●●区まではわかる。
落ち着くと、うろ覚えだが、その先もわかる・・気がしてきた。
店のピンク電話を借りて104に電話をした。

わかる範囲の住所を伝え、絵に描いたように月並みな義姉のダンナさんの名前を言ったところ、104の女性は事務的な口調で「千葉市●●区××にその名前は7名います」と言った。
私はがっくりして電話を切った。

レモンには私しか客がおらず、電話のやりとりを聞いていたマスターと奥さんが「どうしたんですか」と聞いてきた。
私は事情を話した。
「ありゃー!それは大変だ。・・でも、申し上げにくいんですが、この店も7時までなんですよ。まあ、少し延ばすのはいいんですが・・」

そうそう。
あのときのマスターは若かった、と今になってあらたに記憶が蘇る。
細面の、あまり愛想はよくない奥さんも、今よりもうちょっと表情があった。

私は、「そうですか。すみません、もう一度電話を貸して下さい」と言うと、また番号案内にかけ、7名全ての電話番号を聞いた。そしてその時点で急にひらめいた。
「あの・・もしかしたら7丁目かもしれません。7丁目の人、この中にいますか!?」
いた。

はたして、それが義姉の家だった。
7人の番号は聞いたが、最初で当たった。
義父母はまだいて、すぐに帰るが、1時間以上かかるから、どこかで時間をつぶすように、と言った。

少し時間を延長してもらい、7時15分頃、レモンを出た。
頼めば、もっといさせてくれそうだったけれど、私が居たたまれなくなりそうで遠慮してしまった。

店を出、コンビニで立ち読みし、知らない通りに入り、見かけた蕎麦屋に入って、月見うどんをゆっくり食べて家に戻ると、あかりがついていた。


それから何年もレモンに足を運ぶことはなかった。
あの一件が行きづらくさせたようだ。
お店の対応は完璧だったし、すごく助かったのに、なんとなく足が向かなかったのだ。
申し訳ないけれど、そうなのだ。

次にレモンに行ったのは、ずいぶん経ってからで、あのときの話をいまさら出すのも憚れるような気がして、結局、あの冬の夕べの話は今日までしていない。
いつか聞いてみようか、と思いつつ、トータルで30年近く経ってしまった。

覚えているだろうか。
忘れているかなあ。
確率は五分五分ぐらいだと思う。

レモンに行くたび、マスターの声と、30年前のエピソードのせいで、私は少しだけ異界に足を踏み入れる気持ちになる。

もしかしたら自分は、そんな気持ちが気に入っているのかも。

by kuni19530806 | 2014-12-08 15:57 | その他

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