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土俵際のうっちゃりでも窮鼠猫を噛むでもなく   

このところ、義父がよく不調を訴える。
91才。
大正12年、あの関東大震災の年に生まれたいぶし銀である。
もちろん、over100で「どこも悪いところがない」という人もいるだろう。
現に、知り合いのお祖母さん101才はすこぶる元気だそうだ。
でも、1923年式というのはやはりかなりのオールド仕様。
そりゃあ、不具合も出るだろう。

義父は長らく高血圧で、降圧剤系の薬はもう20年以上服用している。
若いときに結核をやったので、肺に影があり、30年以上前に肺癌を疑われ、検査入院して無罪放免になったものの、70代なかばでまた引っかかり、都心の総合病院に3ヶ月おきに経過観察で10年間通い、「体力テストの数値は60代。疑わしきは切っちゃいましょう」と勧められたにもかかわらず、「手術は気が進まない」と拒み続け、結局「10年間全く影は大きくならなかった」と、80代なかばで放免になった。
ちなみに、60代前半まではがっつり喫煙者。

そんな義父の70代後半以降の健康の秘訣は、なんといっても愛犬マロだった。
今、計算したところ、マロが家に来たとき義父は75才だった。
それから14年間、ほぼ欠かさず、マロと歩き続けた。
多いときは日に3回も4回も。
間に盲腸⇒腹膜炎を併発、して1ヶ月の入院生活はあったものの、退院2週間後には、何事もなかったかのように歩いていたっけ。
入院中は弱気になり(寡黙であまり愚痴もこぼさないが、意外と痛みには弱い)「退院してももうマロとの散歩はムリだな」と言っていたくせに。

マロが死んでしまったとき、悲しさの次に家族によぎった感情は「お父さんは大丈夫だろうか」だった。
義父にとってマロとの散歩は、日課というより、人生の糧のようになっていたから。

でも大正の男は強く、義父はマロがいなくても歩く習慣を続けた。
マロとの散歩コースを歩くと、すれ違う人々にどうしてもマロのことを聞かれる。
だからルートを変えたのだ、と聞いたときは、ちょっと泣けてきたけれど、それでも歩くことはやめなかった。
一応、今も続いている。

でも、さすがにこのところの義父は年老いた。
腰椎すべり症で、足腰に痛みやしびれが頻発し、バランスも悪くなり、歩く距離も速度もめっきり下降した。
そして目。
もともと、右目の視力がほとんどなかったのだが、左目に眼底出血が起こるようになった。
正確に言うと、出血ではなく眼底腫れなのだが、腫れて水が溜まり、視力が衰える。

そこに注射を打つと、一気に腫れが引き、視力が回復する。
効果絶大だ。
が、数ヶ月経つと、また腫れてくる。
今、これを繰り返している。

最初の注射が今年の1月。
注射は効かない人もいるらしいが義父は本当によく効き、翌日には腫れが引いた。
それが4ヶ月続き、5月に再発し注射。
そして今回再発。
きっかり4ヶ月のレンジだ。

注射が効かない人はレーザーや手術になるらしい。
義父は効く、とはいえ、4ヶ月後に再発するなら根治術を、という選択肢もあるかもしれないが、逆に、レーザーや手術が効かない人もいるし、義父の場合、レーザーや手術が根治になるとは限らない。
であるならば、定期的な注射で凌いだ方が確実ではないか、という診たてだ。
あくまでも現時点での診たてではあるけれど。

そんなわけで、来週、3回目の注射をすることになった。
今までは日帰りだったが、翌日まで眼帯をし、その状態で通院する必要があるため、今回は1泊2日の入院にした。
ふだんは見える方の目に眼帯を装着してしまうので、移動が危険なのだ。
食事も満足にできないし。

今回の再発が発覚する前、先週は、足腰の不具合がひどくなったと訴え、義母がかかっている病院に急遽行き、MRIを撮ってきた。
めまいも訴えたので、足腰と脳のMRI。
脳の画像は「91才でこれは立派」と言われた。

そう。
認知症の症状はない。
ただ、判断力はさすがに鈍っている気がする。
今回の再発に関しても、目の調子が悪いから、と、家族に何も言わず、以前通っていた近所の眼科にひとりで行ってしまった。
注射をしている眼科とは別の眼科に。
それがわかって、あわててそこに行き、待合室でちょこんと座っている義父に「お義父さん、ここでは最近の経過がわからないから、注射をしてもらっている眼科の方に行きましょう」と説得して、タクシーを呼んで行った。
話を聞くと、義父には義父なりの考えがあって、「今日はとりあえず近所の眼科で診てもらおう」と来たのがわかったが、やはり判断力は鈍っているのだ。
そして、その根底には「家族(特に嫁)に迷惑をかけたくない」という気持ちがあるのだ。
それはすごくわかる。
ちょっとせつなくなる。

でも、義父がそう思って、ひとりで決めて行動すると、こちらがあわてたり、予定をドタキャンしたり、することになる。
それは義父だけでなく義母も同じで、この2年ほど、私はそういうことがすごくたくさんあった。
これからもあるのだろう。
そのことが、ひどく疲れたりする。
誰も、何も悪くないことがわかりきっていることと、ぐったりしてしまうのは別問題なのだ。

ときどき、ものすごくやさぐれて、自分のやりたいことを、やりたい時間に、やりたいだけやっているように見える人が羨ましくなる。
それが必ずしも楽しげじゃなく、ちょっと愚痴など入っていようものなら、けっこう批判的になる。
自分で好きなように動くことができるくせに、何言ってんだよこいつ、と。

文句を言うくらいなら放り出せ、という意見もあるだろう。
誰も私に「がっつり面倒を見ろ」とは言っていない。
もっともっと、夫(息子)にやらせろ、とか、義姉(娘)にも言いたいことがあるんだろ、とか。
私は2人に、多少の愚痴や弱音こそ言えど、特に要望を提出していない、する気もないのだから、ひとりで勝手に大変がって、ひとりで勝手にやさぐれている、まさに一人芝居なのだ。

週に2日の小学校の図書室の仕事にしてもそう。
義父と義母にかこつけて、不完全燃焼感を出している自分は、つくづくみっともないと思う。
仕事が中途半端、でもこれ以上日数を増やすと家のことと両立できない、仕事の日は疲れて家事をするのが大変だが誰もやってくれない・・云々。
ホント、情けない。

ただ、みっともなかったり情けない自分を否定するわけでは必ずしもないのだ。
自分は聖人君子ではないし、根性もないし、性格も悪い。
被害者意識は人並みぐらいあり、なまけものだし、僻み根性も旺盛だ。
それはもう今更、いかんともしがたいと思っている。
そういう自分とこれからも付き合っていくしかない、と。
ダメな自分を肯定しているわけではなく、受容しているというか。
肯定と受容は、私にとっては似て非なるものなのだ。

今の自分に願いがあるとしたら、あいまいな案件、よしとしない感情も白黒つけず腐らせず置いておける場所が自分にありますように、だ。
すごく抽象的だれど。
私は、自分以外の人間に「こうしたい」「こうなればいい」という感情があまり持てない。
いや、持つこともよくあるけれど、そういうときでも心の片隅では「ムリだよな」と思っている。
だから、どうしても意にそぐわぬ行動、言動をとる人とは距離を置くしかない。
距離を置かないなら諦めるしかない。

まるで諦めの人生みたいだけれど、実際にそうなのかもしれないけれど、そんなしょぼい、イベント性にも物語性にも乏しい日常でも、光輝くようななにかすごく満たされるような瞬間はあるはず、と信じたい。
現実では動かず、ルーティンワークを繰り返すような毎日でも、「自分のやりたいこと、したいことを我慢したくない」という人には負けたくない。

「負けたくない」なんて生臭い言葉を使うと、ここまで漂ってきたであろう諦観をひっくり返すみたいだけど、これはまあ、現在、あまりにくすぶっている自分を鼓舞させるためにあえて書いてます。
なんだか、この文章を「あ~あ、自分の今の生活はつまらん」で締めてしまうと、夫や義父や義母との生活を否定することになるもんで。

土俵際のうっちゃり!?
窮鼠猫を噛む!?

・・どっちも違うなあ。

by kuni19530806 | 2014-09-20 15:01 | その他

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