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あれから2年   

2011年3月11日から2年になりました。

あの後しばらくの間は、自分達はもうそれまでとは違う世界に来てしまったのだなと何度も思いました。
自分が生きてきた、という意味での見慣れた世界は終わってしまうのではないかと感じる瞬間も何度かありました。
被災地の報道を見たり自分の故郷を思うと、胸が痛んでどうしていいのかわからないので、あっちこっちに募金して(微々たる金額ですが)自分の気持ちを鎮めている時期もありました。

震災以降、初めて福島市に行ったのは2011年の秋でした。
親戚や友達から「見た目はもう何事もなかったかのように静かなもんだよ」と聞き、自分もうっかりそのつもりで行きましたが、私の目にはおよそ、何事もなかったかのようには映りませんでした。

そこここの家の屋根にはブルーの養生シートが乗っかったままで、「地震で屋根が壊れたのに半年過ぎても修理の手が追いつかない」ことが明らかでしたし、自分が小四から中三まで住んでいた地域近くの広い空き地には、遠目には巨大な梱包容器が並んででもいるように見える仮設住宅がビッチリ建っていました。

幹線道路にはいたるところに「本日の放射線量」がデカデカと掲示されていましたし、叔父は日課だと言いつつ、自分の家の内外の放射線量を計測していました。
その手際の良さと、「木の下が若干高いんだ。下より2階の方が低いから、2階でお茶を飲むがい?」と自然に聞かれたこと、そして「Mのご両親にお土産を買いたいんだけど、福島の饅頭は持って行きたくないがい?」と遠慮がちに言う叔父に、私は居たたまれない気持ちになりました。

叔父の車から降りて駅前を歩いてみましたが、平日の昼下がりだとはいえ、県庁所在地の目抜き通りなのに人影もまばらで、自分がこどもの頃の、あの賑やかな印象はどこにもありませんでした。

その後、福島にはもう一度行きました。
そのときは車で通過するほとんどの学校の校庭に養生シートの山、除染された土が置かれているのが目立ちました。
小雪が降っていて、青いシートの上に、あたりまえのように雪が積もっていました。
不自然な光景が雪によって、まるで自然なもののようにカムフラージュされていました。

あの光景からまた新しい冬が来て、それも終わろうとしています。
私は相変わらずぼんやりしています。
この日が来ると、震災や原発事故を思い、涙すらし、それでもぼんやりとしたままです。

日常に忙殺されているんでもなく、ただ目の前の日常の流れに乗っかって、薄れていく記憶や感情を追いかけるのでもなく、でも目の端にはとどめつつ、また震災孤児育英資金に募金しようと思ったりしています。

情けなく、だらしなく、時折これじゃいかんと反省し、また忘れ、そして憂いながら暮らしています。

そんな、雑感にもならない今日のつれづれです。

by kuni19530806 | 2013-03-11 20:20 | その他

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