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ヘビーローテーション   

K特別支援学校のクリスマス会へ行く。

かれこれ20年近く、夫は重度の障害児の音楽療法のボランティアに参加している。
そもそもこの音楽療法サークルは、夫の後輩で、K特別支援学校(当時は「養護学校」)の教員をしていたM君が立ち上げたものだった。
主旨は「学校が週休2日になって負担が増えた保護者達のために、月に一度、半日程度だけれど、教員の有志やボランティアが障害を持つ子ども達を預かって保護者に息抜きをしてもらおう」。
つまり、当初、音楽療法は全く謳っていなかった。

月日は流れ、ボランティアに音楽療法士の資格を持つT先生(数年前に亡くなってしまった)と同じく音楽療法士のピアニストの女性Mさんが加わり、それと入れ替わるようにM君は教員を辞め活動からも身を引いた。
他にも、いろんな人の出入りはあったが、そんなこんなでいつのまにか夫がボランティアのいちばんの古株になり、音楽療法士の先生が2人加わったことで、活動は障害児とその保護者を中心とした音楽療法サークルにスライドした。
そしてそれが定着して現在に至る。

T先生が亡くなられた5年ぐらい前からは、Mさんとこども達と保護者と夫でバンドを結成し、年に5~6回、学校や老人ホームのイベントで演奏している。

私はイベント時の手伝いに行く程度の関わりだ。
人手が足りないときの助っ人というスタンス。
ここんとこ、ずっとそう。

20年という年月は、子どもを成長させるに十分な時間だが、重度障害児の親にとっては、子どもの成長は介助の負担増に直結することでもあるし、あたりまえだが自分達を老けさせもする年月でもある。
はた目、単なる助っ人要員、とはいえ、20年それらを見てきた。
振り返ると感慨深く、本当にいろんな思いの交錯する年月だった。

そして今日は、またあらたな思いを抱いた日だった。
ある意味、ショックを受けた日だ。
でも、きっといいショックだ。

このサークルに小学校入学と同時に参加したAちゃんという女の子がいる。
彼女は現在、高三なので、もう10年以上、サークルに参加しているということになる。
でも、Aちゃんは小柄だし、言葉を上手く話すことができないし、表情や手足の動きは幼い子どものようなので、私の中のAちゃんはずっと、最初に会った6~7歳のままの印象だった。

Aちゃんの病気がなんであるかはわからない。
Aちゃんはサークルの子達の中では障害が軽い方だ。
でも、参加したときからずっと、自力歩行と車椅子の併用で、こちらの話はなんとなくわかるようだが、彼女の口から出るのは「んー」だけだった。
Aちゃんは、喜びも不満も疑問も笑いも「んー」で表現する女の子なのだ。
・・・と認識していたのだけれど、彼女はいつの間にか、話せるようになっていた。
それ以上のことも。

私は今日、半年ぶりぐらいでAちゃんに会ったのだが、前回より、Aちゃんは一段階も二段階も身体の機能が回復し、向上していた。
いや、半年前の自分がその変化にきちんと気づかなかっただけなのだろう。
とにかく、Aちゃんは小さいけれど、いろいろたどたどしいけれど、めっきり大人っぽくなっていた。

うまく言葉が発せられるところまではいっていないが、「好きな芸能人は?」と聞くと、口の形が「アイバ」と動く。
嵐の相葉君が好きなんだって。
そして、いつのまにか手話もちょっとできるようになっていたし、車椅子を使わずとも歩き続けられる・・どころか、ダンスも踊れるようになっていた。

今日のクリスマス会でAちゃんは、支援学校の先生のバンドの演奏でダンスをした。
あのAKB48の「ヘビーローテーション」を、若い女の先生達と一緒に、くるくる回ったりもする完璧な振り付けで踊ったのだ。
会場は大喝采。

でも、私がいちばん驚いたのはそのことじゃない。

ヘビーローテーションはおおいに盛り上がり、アンコールとなった。
2回目のヘビーローテーションが始まるとき、先生達は「今度はみんなも踊ろうよ!」と、客席の子ども達を誘った。
ステージはうれしそうな子ども達でいっぱいになった。
曲が始まった。
子ども達が思い思いの振りで踊ったり、車椅子で動き回ったりした。

Aちゃんは舞台の真ん中で最初はちょっとみんなの雰囲気に気圧されたように棒立ちになったが、すぐに笑みを浮かべて、一度目と同じようにくるくると踊り出すか、と思いきや・・違った。
さっきの完璧な振り付けでは躍らなかった。
今度は、小さい子の手をとったり、車椅子がぶつからないように気をつけたりして、一度目とは全く違う独自の振り付けでヘビーローテーションを踊ったのだ。

私はずっと、Aちゃんは知的障害もある子だと思ってきた。
こちらの言うこと、場の状況が完全には理解できていないのだ、ぐらいに。
でも違ってた、全然間違ってた。
彼女の二回目の踊りを見て、今までのAちゃんのいろんなエピソードのピースが一瞬にしてひとつの画像になった気がした。
すごくうさんくさい言い草だけれど、まさにそんな感じがした。
Aちゃんのお母さんが口癖のようによく言ってる「Aは人に気を使いすぎるから行事の翌日は疲れて寝込んでしまうことが多い」の正しい意味とか、Aちゃんのタンバリンは、音の強弱こそあれ、全くリズムが狂わないこととか、ちょっと間が空いてボランティアに行くと、私の近くに寄ってきて、顔を見て「んー」と言って微笑むこととか。

Aちゃんに知的な障害は最初から全くなかったのだ。
それどころか、そんじょそこらの想像力が欠如した大人(たとえば私)より、ずっとわかっている人間だった。

ショックだった。
自分は気づいていたはずなのだ。
そして他の、もっと障害の重い子達に対しても、折に触れよく「本当はぜ~んぶわかっているのかもしれない。ただ、それを言葉や表情や身体の動きで表現することが出来ないだけなのかもしれない」と感じているのに。
それなのに、ついつい、知的な障害、という一括りで子ども達を見てしまっている自分の想像力の持続性のなさというか、不遜さというか、をあらためて思い知った気がした。
だって、たとえ身体が動かない子でも、うれしいことがあると表情が変わるのがよくわかるし、自分だってそういうことに今まで一喜一憂しまくってきたのだよ。
なのにさ。

Aちゃんのように、機能が回復してくる子は残念ながら少ない。
だからAちゃんは目立つし、こちらの障害に対する思いのいろんなきっかけにもなってきた。
「障害」という言葉を「障がい」や「障碍」に置き換えれば、「それに対していろいろ考えている私になる」と思うような人間に代表される、むしろ思考停止した人間に接するたび、Aちゃんの「んー」を聞き分けてみろよ、ぐらいに思ってた。
思考停止していたのは自分だ。
そしてこれからも、自分はちょくちょく思考停止するんだろうなあと思った。
それがショックだった。

気づかせてくれてありがとう、Aちゃん。
私は今後も忘れるだろうし、間違えるだろうけれど、少なくてもしばらくは「ヘビーローテーション」でいろいろ思い出すし、衿を正す気持ちになれると思う。

by kuni19530806 | 2012-12-08 23:54 | その他

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