本にだって雄と雌があります   

小田雅久仁『本にだって雄と雌があります』(新潮社)を読む。

全く存じ上げない作家でした。
人に「どんな本が好き?」と聞かれることがたま~にあって、どんなって言われてもなあと思い、返答に窮する感じでとりあえず「雑食」と答えるときがありますが、なんでも読むとかオールマイティでは決してないな、私。
どっちかというと、「雑食と見せかけた偏食」の方が正しいかもしれない・・うん、今度からそう言おう、滅多に聞かれないけどね。

なにが言いたいかというと、私はいわゆるファンタジー系はあまり読みません。
そんなこともあって、小田雅久仁さんという作家はノーマークでした。
誰にも聞かれてませんが、ついでに言うと、SFもあまり読まない。
さらに言い募ると、時代小説や恋愛モノも、好きな系統はジャンル全体のごくごく一部で、とりたてて好物とは言えないような気がします。

以上のように、まるで「肉は嫌い。でも魚だって特に好きじゃないし、野菜だって美味しく料理されてれば食べるけど所詮副菜だしさあ、強いて言えば好物は大豆系?」みたいな、クソ忌々しい偏食女子のような読書生活を送っている自分は、その自覚がある分、自分をたいして本好きとは思っていません。
読書は趣味ですし、自分が好きな本を読むのはそりゃあ好きですが、好きなのは自分が好きな本だけで本全体では(たぶん)ないので、本界隈そのものに熱い思いのある方に対しては、憧憬と畏敬と引け目と若干の苦手意識をブレンドさせた感情を持ちがちです。
もちろん、人によりますけど。

この『本にだって雄と雌があります』をかなり面白く読んだので、ついつい巷(ネット)の感想をいろいろ読んだところ、「本好きにはたまらない小説」「世の本好きにこそ読んで欲しい小説」的な文章が何個もあり、正直「ちっ!」と思いました。
この小説は、本の蒐集家が蒐集家ゆえにアレしてああなってこうなってコレしちゃう話なので、「本好きにこそ・・」云々の感想は全くもって正しい。
おっしゃるとおりです。
ならばなにゆえ、「ちっ!」なのかというと、自分は多くの人がそういう感想を書くような小説は普段なら避ける派だからです。
なぜなら、そういう感想を引き出すような小説ってなんかつまらなそうという偏見がある。
自分で書いてて言いがかりっぷりにも程があると思いますが、なんだかちょっとテンションが下がるっていうの?

その手の感想を書く人々っていうのはきっと自分のことも本好きだと思っていて、だからこそ、同好の士にお薦めしているのだろうけれど、この小説の序盤は、時系列がとっちらかった、まるでちょっとメンドくさいタイプの人間の脳内ダダ漏れ風も否めない印象なので、「本好きこそ・・」という推薦文はむしろ、序盤での挫折を助長してないか、とか。
要するに、本好きを自称してる一癖も二癖もある小説を読みこなす読書体力のある輩しか読む気にならないハードル(障害物)ありの小説なのかも、と誤解されそうで心配。

実際はそんなことはありません。
たとえ序盤で挫折しそうになっても、中盤以降はぐいぐいイケます。
「本好きにこそ読んで欲しい小説」というより、私なら「あらゆる感情を味わいたい人に読んで欲しい小説」と言いたいかも。
くだらなかったり、切なかったり、息苦しかったり、愉快だったり・・驚いたり悲しんだり安心したり諦めたり懐かしかったり愛おしかったり圧倒させられたり、しました。
あ、序盤はちょっと挫折しそうになったり、もしたから、その感情も味わえた。
でも、私は43ページの<「長年もてはやされた理性なるものが、いくらか目先の利く欲望の一形態に過ぎぬ事かいよいよ明らかにな」り、>という一節がやたら心にヒットし、その後はどんどんいろんな一節がヒットしたのでした。

とにもかくにも
ああ、面白かった、です。
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by kuni19530806 | 2012-11-23 22:30 | 読書

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