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そろそろ旅に   

松井今朝子著『そろそろ旅に』(講談社)を読む。

この物語の主人公である若い武士、重田与七郎貞一(与七)は後の十返舎一九です。
与七が、かつての主君、小田切土佐守を慕って、家来の太吉と共に故郷の駿河を後にし、江戸経由で大坂に到着したところから小説は始まります。

長編ですが、この小説は彼の生涯をもれなく網羅したものではありません。
大坂で、芝居の面白さに目覚め、同時に、自分の本分が主君に忠誠を誓う忠義者ではないことに気づいた与七は、武士を捨て裕福な材木問屋の婿となり、浄瑠璃作家として歩み始めたものの、放蕩、自堕落な生活で美しい妻を不幸にし、離縁を言い渡され、大坂を離れ、江戸に出てきます。
そして日本橋の版元蔦屋で居候をしつつ、山東京伝の弟子になり、黄表紙作家として世に出、師匠が昵懇の質屋の娘と二度目の祝言を挙げ、今度こそは安定した生活を求める・・も叶わず、また放蕩、そして自分の心の闇にも向き合うこととなり・・で小説は終わります。

十返舎一九といえば、の「東海道中膝栗毛」が描かれる前まで、のお話しで、その後の一九については、エピローグで史実が述べられるにとどまっています。

この小説、さしずめ副題は「ダメ男十数年の軌跡」でしょうか。
与七が大坂に出てきたのはハタチちょっと前で、二度目の妻と上手くいかなくなったのが三十代後半ぐらいですが、その期間、一貫して与七は本当にダメな、困った男なのです。
最初の妻お絹も、二度目の八重も気の毒。
が、当の与七がある意味、いちばん気の毒で切なくて憎めない、と読み手に思わせるところが、この小説のなによりの魅力であり、作者のすごさだと思います。

この小説のタイトルである『そろそろ旅に』には、人間の業というか性(さが)というか、どうしようもなさ、が映し出され、ダメな人間が自分の至らなさを思い知り、受け入れるという、諦めと受容も感じられ、グッときます。
いいタイトルだ。

さすが今朝子さん、相変わらず、江戸の世の町や人の機微、特に遊郭方面の描写はよどみないだけではなく、本当に面白くて飽きさせません。
主君である小田切土佐守様とのシーンとかもすっごく良かった。
それと、今回は山東京伝の他にも、式亭三馬や滝沢馬琴なども登場し、それぞれの個性がありありと描かれています。

でもなんだかんだ言っていちばん印象的だったのは、終盤の家来太吉との真相かなあ。
まさかそっち方面とはねえ。

いろいろ面白かった。
時代小説を堪能しました。
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by kuni19530806 | 2012-11-01 23:37 | 読書

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