1ヶ月
2012年 01月 31日
今日はマロの初めての月命日です。
1ヶ月経ちました。
昨日までマロと一緒だったような、もう何年も会っていないような、マロとの振り返り時間軸はものすごく不安定です。
気持ちも同じです。
悲しくてじたばたしてしまうときと、淋しいけどなんとかやっていけると心でこぶしを握り締めるときと、なんとなればマロの不在を失念してしまうときが、こっちにも予測不能な頻度のシャッフルで登場します。
もちろん、その3種にも微妙な温度差がありますが、奈落の底気分はずいぶん薄まりました。
同じ「悲しさ」でも、尖ったものから丸味を帯びたものに変わってきた、とでもいいましょうか。
正月、兄の7回忌、職場の棚卸し、と非日常でなんとなく気忙しい気分の1月も終わりです。
職場の棚卸しに関しては、実は特に自分は何もしていなくて、ただ結果を見て暗澹たる気持ちになっただけです。
プチ人間不信。
2月からは例年どおり、確定申告と花粉で大忙しです。
今年は1日多くて、有難いようなよけいなような。
昨日、会議で本部(とは言わないが)に行きました。
会議そのものにもいろいろ思うところがありましたが、そこで久々に会った前職場の同僚の現在の家族の状況に言葉を失いました。
彼女はよく言えば元気、ふつうに言えばうるさくて人の噂が好きでツンデレで男子に対しては中学生みたいな言動で、私が彼女に命名したあだ名は「牢名主」。
私は前職場では彼女にしょっちゅう説教・・というか文句を言っていました。
が、それで彼女の素行(?)があらたまることはなく、馬耳東風とはこのことか!と痛感させられる日々でした。
一昨年の4月から前の職場は民間運営になり我々は解散しました。
そして5箇所に散らばり彼女と一緒に仕事をすることはなくなりましたが、その後、特に最近になって漏れ聞こえてくる彼女の話は、おめでたいこととその逆のことの、振幅の大きいものでした。
そして昨日、直接本人の口から最新情報を聞きましたが、片方の親の病気だけならまだしも(それだって大変ですが)、両親こぞって危機的状況になることが、いくら成人後とはいえ子供たちにどんなに大変なことなのかをあらためてまざまざと思い知らされました。
思い知らされた証拠に、今朝方、久々に母親の夢を見ました。
引っ越しが間近なのにちっとも準備を進めていない母親にイライラしながら手伝うという、20年ぐらい前に現実にもあったことの夢版です。
でも私は、夢の中でうっすら「今はもう母親に苛立っていはいけないのだ」と気づいていました。
それが、夢を自覚しているからなのか、20年という月日のせいなのか、かつての現実に対する反省なのか、やっぱりその数時間前、かつての同僚から聞いた話に起因するものなのかは定かではありません。
ただ、「自分が一時の強い負の感情で言葉を発すると後で悔いることになる」という意識だけはやけにありありとして、内心は苛立ちながらも努めて平静を装って手伝って目が覚め、夢だとはっきりしてからも「ああ、文句を言わないで手伝って良かった」とホッとしました。
20年前の現実では、もちろん私は母親にいっぱい文句を言いました。
肉親に関する思い出は後悔ばかりですが、今、夢でなんとか取り繕うとしているのか自分、と思ったら、おかしいようなぐったりするような・・やっぱり笑っちゃうなあ。
1ヶ月経ちました。
昨日までマロと一緒だったような、もう何年も会っていないような、マロとの振り返り時間軸はものすごく不安定です。
気持ちも同じです。
悲しくてじたばたしてしまうときと、淋しいけどなんとかやっていけると心でこぶしを握り締めるときと、なんとなればマロの不在を失念してしまうときが、こっちにも予測不能な頻度のシャッフルで登場します。
もちろん、その3種にも微妙な温度差がありますが、奈落の底気分はずいぶん薄まりました。
同じ「悲しさ」でも、尖ったものから丸味を帯びたものに変わってきた、とでもいいましょうか。
正月、兄の7回忌、職場の棚卸し、と非日常でなんとなく気忙しい気分の1月も終わりです。
職場の棚卸しに関しては、実は特に自分は何もしていなくて、ただ結果を見て暗澹たる気持ちになっただけです。
プチ人間不信。
2月からは例年どおり、確定申告と花粉で大忙しです。
今年は1日多くて、有難いようなよけいなような。
昨日、会議で本部(とは言わないが)に行きました。
会議そのものにもいろいろ思うところがありましたが、そこで久々に会った前職場の同僚の現在の家族の状況に言葉を失いました。
彼女はよく言えば元気、ふつうに言えばうるさくて人の噂が好きでツンデレで男子に対しては中学生みたいな言動で、私が彼女に命名したあだ名は「牢名主」。
私は前職場では彼女にしょっちゅう説教・・というか文句を言っていました。
が、それで彼女の素行(?)があらたまることはなく、馬耳東風とはこのことか!と痛感させられる日々でした。
一昨年の4月から前の職場は民間運営になり我々は解散しました。
そして5箇所に散らばり彼女と一緒に仕事をすることはなくなりましたが、その後、特に最近になって漏れ聞こえてくる彼女の話は、おめでたいこととその逆のことの、振幅の大きいものでした。
そして昨日、直接本人の口から最新情報を聞きましたが、片方の親の病気だけならまだしも(それだって大変ですが)、両親こぞって危機的状況になることが、いくら成人後とはいえ子供たちにどんなに大変なことなのかをあらためてまざまざと思い知らされました。
思い知らされた証拠に、今朝方、久々に母親の夢を見ました。
引っ越しが間近なのにちっとも準備を進めていない母親にイライラしながら手伝うという、20年ぐらい前に現実にもあったことの夢版です。
でも私は、夢の中でうっすら「今はもう母親に苛立っていはいけないのだ」と気づいていました。
それが、夢を自覚しているからなのか、20年という月日のせいなのか、かつての現実に対する反省なのか、やっぱりその数時間前、かつての同僚から聞いた話に起因するものなのかは定かではありません。
ただ、「自分が一時の強い負の感情で言葉を発すると後で悔いることになる」という意識だけはやけにありありとして、内心は苛立ちながらも努めて平静を装って手伝って目が覚め、夢だとはっきりしてからも「ああ、文句を言わないで手伝って良かった」とホッとしました。
20年前の現実では、もちろん私は母親にいっぱい文句を言いました。
肉親に関する思い出は後悔ばかりですが、今、夢でなんとか取り繕うとしているのか自分、と思ったら、おかしいようなぐったりするような・・やっぱり笑っちゃうなあ。
by kuni19530806 | 2012-01-31 23:47 | その他