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考えの整頓   

佐藤雅彦著『考えの整頓』を読む。

あの0655/2355の、あのピタゴラスイッチの、あの毎月新聞の、古くはあのバザールでござーるの、佐藤雅彦さんです。

「考えの整とん」は、暮しの手帖の連載エッセイです。
それが『考えの整頓」というタイトルで書籍化されました。
なぜ、とん→頓になったのか、どこにも説明はありません。
佐藤雅彦さんだけになんらかの理由があると思うのですが...どうなんでしょう。

まえがきより
日常には、無尽蔵と言っても良い位の
不可解な事が潜んでいます。
私たちは、それらを気にしないことで、うまく生活ができ、
時間の流れにも振り落とされずに
ついて行くことができているとも言えます。

しかし、私は二カ月に一度来る締切を契機として、
その日常という混沌の渦の中に
見え隠れしている不可解さ、特に新種の不可解さを取りだし
書くという事で整頓してみようと思いました。
すると、そこには時として、ものごとを成立させている原理が
静影のように横たわっていることがありました。
(後略)


この文章に言い尽くされている内容の本です。

私が佐藤雅彦さんの世界に惹かれるのは、自分が世界の中心にいるのではなく、世界を形作っているものの1パーツ、世界の構成員の1人、だと思わせてくれるからです。
これを「個の価値を低く見ている」ととるのは誤解であり、同時に正解です。

私は、やみくもに自分を特別な存在だと思っているやつらがうっとうしくてたまりません。
自分にはなんの価値もない、と卑下しているやつも相当うっとうしいですが、昨今の「オンリーワン」的言い草が、大事なのは自分、自分最優先の自分偏重主義みたいな方向での拡大解釈になっている気がして気持ち悪いのです。

特別な存在、という概念そのものは否定しません。
でもそれは、自分が自分に対してではなく、自分が自分以外に、もしくは自分以外が自分に、抱くものなのではないかと思うのですがどうでしょうか。

ピタゴラ装置やこの本での「言語化、数学化した思考・心理回路」的な佐藤雅彦ワールドに触れると、1パーツや突出していないものの価値が再認識できる気がして小気味いいです。
自分は特別な存在ではないけれど、特別な存在じゃないからといって価値がないわけではない、と思えるというか。

ピンポイントにたどり着けず、その周囲をぐるぐる回っているだけの文章になっちまった。
わかりづらくてすまん。
これでも一応、『考えの整頓』の感想文です。
とにかくすっごく面白かったです。
考えの整頓_a0099446_20394886.jpg

by kuni19530806 | 2011-12-05 23:37 | 読書

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