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特別な時間を生きるということ   

しかし今日はあぢかった!
午後からバスで区内の本社(←便宜上、こう書く)にちらっと行きましたが、道中一瞬クラッときた。
一瞬でしたけど。
ここに来て熱中症行きのドアを開けかけました。



明日で半年、そして10年。
双方の報道量が俄然増えてきた。

半年、かあ。
時間に対する気持ちは伸縮しますね。
もうそんなに?まだそんな?が日々交錯する感じ。
そんななか、今間違いなくあるのは「特別な半年だった」という感慨です。

本当に、本当に私達は特別な時間をもう半年やってるんだなあ。
直接の被災者じゃない自分は、最近はうっかりすると何事もなかったかのような錯覚に陥ることがあり、その錯覚頻度は時間の経過と比例して増えている、と思う。
人はそうそう長く非常時態勢を続けられないのだろうし、その錯覚はきっと息抜きで、きっと必要なのだ。
たとえ被災者でも。
被災者こそ、かも。
自己防衛本能、と言ってもいいのかもしれない。

けれど
これからも確実に続く原発事故の影響や大きな地震を示唆する不穏な報道は、まるで居眠りをすると自動的に流れる電気ショックの如く、錯覚モードに入りかける自分に警鐘を鳴らし揺り起こし続ける、はず。
耳を塞ぎたくても。
しばらくは忘れていたいのよ、と思っても。
そこに選択の余地ない。
きっとそれが「特別な時間を生きる」ということなのだろう。

そして、これからも私達は生きている限り、「特別な1年」「特別な2年」をやっていくしかないのだ。
残念ながら。
その覚悟というか受容というかちょっとした諦観が、今、自分に出来る数少ないこと、と思ったりしている。

「特別な時間じゃないとき」は無頓着だったり念頭になかった、電気の使い方だとか、細々した義援金振り込みとか、報道の取捨選択・・飲み込み方とか怒り方とか、しょうがないこと、しょうがなくないことの仕分けとか、今後もきっとずっと続くし、続けていかなくちゃ、という覚悟とでもいいましょうか。


だって違う世界に来ちゃったからね。

あ~、桃源郷のようだった福島市北部の春の風景を思い出すと涙が出ます。
こっちの世界にもあの平和な風景がありますように。
(夜、書いてるのでつい叙情的)

by kuni19530806 | 2011-09-10 23:49 | その他

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