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明るい、そして逞しい。   

福島県浪江町から隣家に避難している高齢のご夫婦(ご主人は8月21日のNHK関東ローカルニュースに登場)に3月11日の話を詳しく聞きました。

お宅は海岸から百メートル足らずで、本震は震度6強だったそうです。
あまりの揺れに転がるように二人で外に飛び出し、隣の家の人と抱き合って恐怖に震え、収まって家の中に戻ると、耐震装置を付けた家具は全く倒れていなくて、テレビ台もテレビも無事だったとのこと。
「地震じゃ家はなんでもながったんだあ」

隣の方と被害状況を報告し合い(隣は家の中がめちゃくちゃだったらしい)、戻って、ダメだろうと思いつつテレビのスイッチを入れると停電にはなっておらず、そこで初めて大津波警報が出ているのを知ったそうです。
しかも、津波到達予定時間は10分後。
あわてて、テレビが壊れてその情報を知らない隣の家に伝えるも、隣は津波より家の中の状況に気を取られていて、「逃げよう」にも生返事で、「じゃあ、先に行ってる」とご夫婦は車に乗り、とりあえず町役場の方向に走った・・ものの、途中で渋滞になり、どうしようかと思っていると、交通整理をしていた知り合いのおまわりさんが、迂回してとにかく高台を目指せ、と。
それに従い最短距離ではない道を通って、津波から間一髪で逃げ延びたそうです。
「向こうから壁みでな津波が追いかけでくんのが見えだ」

家は津波で跡形もなくなり、隣の方もおまわりさんも現在も行方不明。
隣町の大熊中学で教師をしている息子さんは翌日になっても安否がわからず「死んじまったがもと諦めかけでだら、次の日の夜中に避難所にひょっこり来た。地震の日は中学の卒業式で、礼服着てんだけど、シャツもズボンも泥だらけで礼服だがもわがんねぐらいで、雪は降ってるのに上着は着てなくて、聞いたら『裏山に駆け上ってなんとか助かったが腰まで津波が来て、もう死ぬど思った。上着?どこでなくしたかわがんね』っつってだ」

避難所ではご主人は喘息の発作を起こし救急車で搬送されるも受け容れてくれる病院がなく、結局、百キロ以上離れた会津の病院まで行ったとのこと。
そして原発から5キロ圏内の自宅はその翌日ぐらいに避難区域になり退院しても帰れないことになり(「帰っでもあどがだもねえけどな」)、そのまま娘のもとに身を寄せ今日に至る、というわけだそうです。

「こんなごとになるんだっだら、家のモノを少しは持ってくんだったー。なーんにも持って来ねがっただよー」と残念がる奥さん。
「そだごどしてだら、おれらは死んでだ」と明るく言い切るご主人。
「そだな。今こごにいんのは奇跡みでなもんだ」
「んだんだ」
お二人に家の前で会ったのは本日の夕方でしたが、今日は娘夫婦はいないので二人で一緒に銭湯に行って、その後、外で食事をするのだ、と楽しそうでした。

あ、「田んぼも畑ももうやれねがら、国がらはちゃんと補償してもらわねば」ともおっしゃってました。

いろんな、本当にいろんな思いはあるだろうけれど、とりあえず明るい。
そして逞しい。

by kuni19530806 | 2011-08-25 23:32 | その他

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