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一気に秋深し   

仕事が一気にあわただしくなりました。
今までも充分あわただしかったのですが、オープン準備の一部を請け負う委託会社のスタッフが15人、20日から現地(12月にオープンする建物)に入りました。
週明けには私達も正式に引っ越しますが、この一週間は、間借り場所と現地を行ったり来たりしました。

この往復、どちらも交通の便が悪い場所にあるので、それだけで物理的に疲れました。
スタッフへの仕事の説明もくたびれました。
それと、なにより足が疲れます。
2ヶ月ぐらい、ほとんど歩かない人生だったので、めっきり脚力が落ちました。

10月に入ってからはヨガを復活し、柔軟度は一応、骨折前に戻ったようですし、加えて腹筋や腕立てもしていますが、足の運動はまだあまりしていません。
今月末の職場のテニスにも誘われましたが、テニスはさすがに年内は止めとくことにします。
今、気分はクルム伊達公子モードなので(どういうモードだ!?)、テニスをやりたいんですけどね。


現在、オトモダチのお母さんが何人も闘病中です。
年齢はそれぞれですが、どうして急にこうも立て続けに!?と思います。

身内の病気は、それまでの自分の平穏な生活がいかに薄氷の上に成立していたかを思い知らされることになったりします。
思い知らされたからといってどうしようもなく、どんな思いが渦巻いても、要は、目の前の現実をひとつひとつやるしかない、そんなことはわかっている。
でもやはりいろいろ考えてしまいますよね。

たとえば、親の庇護というのは、なにも金銭的な援助や身の回りの世話や精神的な援護射撃、などなどを指すのではなく、ただただ元気に存在してくれていることそのものだーと気づいたりしませんか。
たとえ、必ずしも友好な親子関係じゃなくても。

元気でいてくれたら、多少口うるさくても物わかりが悪くても反面教師でも、子どもはある程度、自分本位の生活を構築できます。
ちょっと邪険にしたり忘れたり無視しても大丈夫な基礎体力・気力のある親であれば、子どもは安心して自分の人生をやれるわけです。
成人後の子どもにとって、実はそれが何よりの親の庇護なんじゃないかと思うわけです。

それって本当に、幸せでありがたいことだと思います。
そして、その幸せは、親が健康を害して初めて気づくのがふつうです。
病床の親を見て猛省させられる。
そのありがたさにもっと早く気づいて、もっと親を大切にすればよかった、と思ったりする。

でも、親をいたわったり大切にする必要性を感じなかったことが何よりありがたかったわけですから、それまで気づけないのは当然なのです。
早々と気づいて、健康で元気な親に日々感謝して暮らす親孝行な子どももいるにはいるでしょうが、たいてい、それは親がよほど高齢か、過去になにか、家族が結束する必要性があった場合に限られるような気がします。

ですから、親が倒れても子どもは罪悪感など持たない方がいい。
これは、10年前に自分が母親にやたら罪悪感を覚えた経験上、思うことです。
病床の親に対する罪悪感なんて、誰も救わないし喜ばないし意味はありません。
自分を追い詰めないで目の前の一日一日をふつうに暮らすしかないし、それがイチバンです。
ホント、そうなんだよ。

by kuni19530806 | 2010-10-23 22:41 | その他

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