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長い備忘録   

しかし今年の夏は本当に暑いですね。
日中の最高気温はさておき、夜も気温が下がらないのが不快指数MAXです。
一昨日なんて、夜7時直前のNHKの天気予報で、平井さんが「渋谷はこの時間、まだ32.4度あります」と言ってました。
最近、日没が早くなったし、7時といえば夕方というより、もう夜。
なのに気温が32.4度ってなんだか不快というより不気味だ。

そんなわけで、私のギプスシーネ生活もますます暑さとの闘いになってきました。
本ギプス(?)と違って、着脱可能で外してお風呂も入れる(シャワーだけですが)なんて、ギプスシーネ(副え木ギプス)はラクだしマシ、ガマンしろ、なのでしょうが、そうはいってもやはりこの時期の半ギプス+包帯ぐるぐる巻はちょっとした・・・っていうより、かなりの罰ゲームです。
相変わらず、ふくらはぎは攣るし、指は浮腫むし。

骨折なんてするもんじゃないですよ(あたりまえだ!)。

でも、足をケガすると、ふだん気づかないことに気づきますね。
まず、室内を歩くのと外を歩くのは全く違うということを思い知りました。
しばらく仕事を休んだり、通勤もタクシーか夫の車、という生活をしていて、それでも、家の中や職場では歩いていたので、自分では「歩きづらいけど歩ける」ぐらいに思っていました。
ところが、いざ単独で公道に出てみると、怖い。
痛いんじゃなくて、怖くて歩けない感じなのです。

まず、申し訳ないけれど道路の点字ブロックが怖い。
あの突起に左足がハンパにかかると、グキッといきそうになり、点字ブロックの歩道では足がすくみます。
ホント、申し訳ありません。

それと、傾斜全般が怖い。
歩道と車道の境目はゆるやかなスロープ(?)になっていて、それが歩道全般まで波及しているところが存外に多いものですが、ここを歩くときの足の裏の力の調節加減がけっこう難しいのです。
これも、ケガするまでは気づかなかったなあ。

あとは、バスの優先席が怖い。
今朝、生まれて初めてバスの優先席に座ったのですが、都バスの優先席は車体の前半分の左側で、進行方向向きの席ではなく、電車のように車体の内側向きの席です。
そして、構造上の問題なのでしょうが、足をイスの下にほとんど入れられないのです。
よって、ほぼ通路に足を投げ出すかっこうになります。

朝のバスはけっこう混んでいて、停留所ごとに人がドカドカ乗り込んでは降りていくので、その人々に足を踏まれそうで怯えました。
ま、目立つ分、そんなことはないんでしょうけど、歩道で人とすれ違う際も、なんだか怖いんですよね。

でもこれが、人が私の足に確かに視線を向けたな、と確認できれば怖くないのです。
認識されたのがわかれば安心する。
ただし、たとえ視界に入っているだろうなあとは思っても、気づいているんだかいないんだか確信が持てない人が至近距離を通るときはやたらビクビクしたりしてしまう。
見ず知らずの人間同士の微妙なリアクションっていうんでしょうか、それって思いのほか大事だなあと思ったりしました。

このご時世、面識のない人間に対しては、たとえ明らかにその人に目立つ箇所があっても、基本的にはなんの反応も示さないことが礼儀みたいになっていたりします。
特に東京はそうかもしれません。
たとえば、障害を持つ人でも芸能人に対してでも、その人が自分からなにか言わない限り「特別扱いしないことが大人の正しい対応」っていうか。
それは基本的には間違ってはいないんだと思ってました。

でも、以前、重度の障害を持つ子ども達とディズニーランドに行ったとき以来、自分の中での認識に少し変化があった気がします。
それを今回、思い出しました。

車イスの子ども達にはミッキーやミニーなどのキャラクターが頼まなくても勝手に寄ってくるので(←この言い方にトゲがある?)それ目当てに他の子ども達もいっぱい集まってくるわけです。
ちっちゃい子ども達のことですから、障害やチューンナップされた車イスがめずらしい。
これはもう、ふつうに「めずらしい」わけです。
で、じっと見つめて「この子ヘンだよ」と率直に感想を述べたり、自分の親やこっちに「なんでこんなのに乗ってるの?」とか、車イスの装備を指して「これはなに?」とか聞いてくるわけです。

そのときの親の反応はたいてい以下のふたつに分かれました。
①あわてて「いいからこっちに来なさい」と言って、子どもを車イスから離す
②「お身体の具合が悪いみたいだから、それを守ってる機械だよ」とやんわり説明して、子どもを離す

ま、ふつう②の方に好感が持てますよね。
私もそうでした。
②がある意味、「正しい」親のリアクションかと。

でも、中に、一緒に質問してきた母親がいました。
特注でキーパッドが付いているSクンの車イスを私は押していたのですが、子どもが「このボタンは何をするの?」と言い、母親がこちらに「ご迷惑じゃなければ教えてもらっていいですか」と。
それは一見、特にディズニーランドという場所柄、なんだかやけに現実的で夢のない(?)デリカシーに欠けた質問のようにも思えました。
でも、Sクンはふつうに「ボクはこっちの指しか動かないから、このキーボードで少し(車イスを)操作するんです」と答えました。
質問してきた母親は、適度な感情で「そうなんですか」と言うと、子どもに「わかった?」と聞いて、ふたりでお礼を言って離れて行きました。

これって、あまりできることじゃないと思います。
在るものを無いってことにして、なんのリアクションもしない方が、もしくはわかったことにして距離を置く方が、「大人」みたいだし、何よりカンタン。
私は差別なんてしてませんよ、フラットに接してますよ、の表明にもなる。
でも、本当にそうですかね。

関心を持つってことはデリカシーがないことなんだと思います。
ある種の大人の人々は「デリカシーがない」と思われることを極度に嫌う。
恐れる、と言ってもいいかもしれない。
だから、反応しないこと、関心を持たないこと、が都合のいい落としどころになり、そうすることがデフォルトになっている。
でもそれって、思考停止だよね。

ギプスシーネで通りを歩いていると、私の足に視線を向けて、ちょっと道を譲るようにすれ違ってくれる人がいますが、実はこれはものすごくありがたいのです。
バスを降りるとき、私の足をちゃんと見て降りてくれる人にも感謝したい。
ただでさえ、いろんなことに注意を払わざるを得ないことに慣れていない私としては「そっちに対する注意はこっちでやるから、こっちのことは気にしなくていい」というサインを出してくれるのは、注意事項がひとつ減るわけで、とても助かるのです。

相手はそこまでの想像力を働かせているわけではないのかもしれません。
でも、少なくても、私は今まで、ケガをしている人にそういうサインは出してこなかったと思う。
それは、デリカシーのない人間だと思われたくなくて・・・かもしれません。

ふつうでいいんですよね。
ふつう、がイチバン難しかったりするけれど、驚いたら驚いた顔をすればいいし、興味を持ったら聞けばいい。
気遣って、気づかないふりをするのも大人の接し方だけど、反応しなさ過ぎなのも過剰反応かも、と思ったりして。

自分が今、こんな状況だから思うことなのかもしれませんが、こんな状況じゃなくなってもきちんと覚えていなくちゃかっこ悪いと思って、ここに備忘録として書いてみました。
それにしては長過ぎるし、まとまりもなさ過ぎだけど。

by kuni19530806 | 2010-08-19 22:55 | その他

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