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1Q84   

村上春樹『1Q84』book1,2,3を読む。

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自分の1980年代は村上春樹と共にあった、と言っても過言ではなく、特に『風の歌を聴け』から『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』あたりまでは、短編やコラムも含め、彼の作品は繰り返し繰り返し、ひとつにつき、最低でも5回は読んでいました。
特に『風の歌・・』は20回ぐらいは読んでいますし(もっとかも)人にあげるために、文庫版を5冊ぐらい買ったかもしれません。
それまでの私は、人に本をプレゼントする、という習慣はあまり持ち合わせていなかったのですが、これは特別で「この小説、なぜかたまらなく好きなんだよね」と言いつつ人にあげる、というのを何名かに敢行しました。
本当に「特別な作家」だったのです、私にとって村上春樹は。

あの『ノルウェイの森』も、店頭に並んだまさに初日に購入し、一気に読みました。
が、初めて「ちょっとしっくりこない」と感じました。
いや、もちろん、すっごく面白かったのですけれど。

それが、最初は当然ながら自分の中だけの違和感だったのですが、作品が社会現象的ベストセラーになるにつれ徐々にすり替えられ(たぶん)、「私の村上春樹がみんなにわかるわけはない」的間違った違和感になった気がします。
メジャーデビューして一気にブレイクしたバンドのマイナーの頃からのファンが、「私だけのものじゃなくなった」と距離を置くみたいな?
村上春樹はノルウェイ以前も決してマイナーではありませんでしたけどね。

とにかく、それ以降は、新刊が出れば読むけれど、それまでのようにやみくもに「村上春樹、大好き!」と言わなくなりました。
ねじまき鳥もカフカも、つまらなくはなかったけれど、そんなにのめり込めず、好きな作家は?と聞かれてストレートに彼の名前を挙げることは少しずつなくなり、「世界の終わり・・・までの村上春樹は好き」みたいな、ちょっとイヤラシイ回答をするようになりました。

そして『1Q84』です。
予備知識はほとんどなく、読みました。
3巻、読み終わった現在も、書評的なものは全く読んでいません。
いろいろ、穿った読まれ方をしているんだろうなあと思うと、腰が退けて。
と言いつつ、自分もその一員なわけですが。

これを読んで、『ノルウェイの森』で感じた違和感の正体があらためてわかったように思います。
性と残酷さ、だったんだと。

人間にとって、性的なものと残酷なものは避けて通れない。
そして、それを表現する文学もいっぱいある。
村上春樹も、わりとそれを正面から描いてきた。
もちろん、村上春樹というフィルターを通してですが、ノルウェイ以前のフィルターと以降のそれとは、変わったように感じられたんです、私には。
自分はノルウェイ以前のフィルターの方が好みだった、ということなんでしょう。

『1Q84』も私にとっては「以降のフィルター」です。
でも悪くなかった。
その肝は、私が違和感を感じるフィルターを採用しつつ、村上春樹の小説の大きな魅力である「気分」や「雰囲気」も損なわれていない、から。
というより、きっと志しの高い小説なんですよね、これ。

人は変わるし、小説の確固たる世界観、なんて単なる幻想とも言える。
この小説は、なにかに突き動かされて書いた感が漂っている。
そして、登場人物も作者も、物語の中に埋没したり逃げているわけではない、という矜恃を感じる。
長さだけではなく、内容も含めた「超!大作」だと思います。

でも、その矜恃はプロの小説家にとっては当然だし、なにも村上春樹センセーだけが頑張っているわけではない。
そういう意味では、ふつうの小説だとも思います。

正直、何百万部も売れる小説ではないと思うし(万人ウケする話ではないでしょう、という意味)、書くに至った経緯になにがあるにせよ、この小説は、良くも悪くも、お勉強は出来て難しいことを考えたり文章にできたりはするけれど一般社会生活のスキルの低い「偏屈な万年大学院生の脳内妄想」みたいです。
でも、それこそが村上春樹の持ち味だと思うし、今回、語り手に「僕」という一人称が登場しなかったり、登場人物1人1人にきちんと名前が振られていたり(奇妙だったりもしますが)、実在の固有名詞や地名がいっぱい出てきても、往年の「どこか所在をあいまいにする感」は健在です。

穿った読み方をしたい人はすればいい。
自分なりの解釈で、感動したり、がっかりしたり、眉をひそめたり、世をはかなんだり、明日への希望を抱いたりすればいい。
どんな読み方をしようが、読むたびに解釈が変わろうが、いや、読むたびに解釈が変わることこそ、物語を読む醍醐味だし、それを思い出させてくれたという意味では、やはり村上春樹は凄いよな、と思いました。

大人になって、好みの気分や雰囲気だけを糧に現実はやっていけない、と思いつつ、村上春樹にはそれを求めたがる1980年代の村上ファン(私ですけど)なんてどんどん裏切って、性と残酷さを、他の誰もマネできない筆致でこれからもがんがん書いて、エルサレム賞でもノーベル賞でも文化勲章でも、気安くとって欲しいものだと思います。
本屋大賞はダメです。
主旨が変わっちゃいますから(笑)。

あ、内容には全く触れなかった。。。

by kuni19530806 | 2010-05-15 23:58 | 読書

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