元・門外不出   

図書館の分類の3桁の数字をゴロ合わせにする性癖については、他の場所でもカミングアウトしていますが、最近、訳あってその門外不出のゴロ合わせを思い出す作業をしました。
全部は思い出せませんでしたけど。

公立図書館で働いていた頃に考えた(このうち1個は友人の作品)ものばかりですが、どこにも保存しておかなかったので、ここに貼っておこうっと。

159      異国(159)の言葉か「人生訓」
361      寒い(361)学問「社会学」
489      弱く(489)ないでしょ「哺乳類」
498      よくは(498)ならない「予防医学」
592      ごくつ(592)ぶしの「日曜大工」
640      悩み無用(640)の「畜産業」
712      無いに(712)に等しい「彫刻史」
774      名無し(774)じゃなれない「歌舞伎」界
783      悩み(783)無用の「野球」少年
795 796  泣く子(795)を殴ろ(796)う「囲碁将棋」





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# by kuni19530806 | 2015-01-30 16:06 | その他

去年の冬、きみと別れ   

中村文則『『去年の冬、きみと別れ』を読む。

図書館から「予約の本がご用意できました」と連絡が来たが、このタイトルに全く心当たりがなく、でも自分が予約したことは間違いなく、どういう経緯で「読みたい」と思ったのか思い出せないまま読んだ。

中村文則さんは名前だけは知っていたが初めて読んだ。
そして、正直、自分はもうこの人の小説は読まないだろうと思った。

そう思ったこと自体も忘れそうなので、その備忘録のためにここに読んだことを記しておこう、というのもどうかと思うけれど、それが正直なところだ。

狂気って、復讐って、こんなにわかりやすく表現できるものではない気がする。
わかりやすさが作者の力量なのか、とも思いかけたけれど、途中までの意味ありげなシーンやセリフが、終盤、語り手の「語り」によってのみ解き明かされる構成は、腑に落ちつつ納得できないというか、むしろ途中までの不穏さを台無しにするというか。

あ、これ以上、やめとこう。
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# by kuni19530806 | 2015-01-28 17:05 | 読書

20年目に思うことに思ったこと   

友達のブログを読んだら、それで感じたことを書きたくなった。
本当は、コメントをつければいいのかもしれないけれど、きっと長くなるし、個人的なことまみれだからここに書こうと思う。

友達のブログはこちら ⇒ 



知り合ったとき、もうさらださんはお父さんを亡くしていた。
なので、そのときの彼女を私は知らない。

お父さんについては、元気な頃のことも闘病中のことも含め、多くを聞いたことはなかったし、なんとなく、私たちが知り合うずっと前に亡くなったのかと思っていたが、そうでもなかったことを今日のブログで知って、ちょっと驚いた。
どうして驚くのか自分でもよくわからないのだけれど。


自分が先に死なない限り、親や配偶者や兄弟や子ども、そして友達、を亡くすことは避けられないのだ。

あたりまえの言わずもがななことを言っていると重々承知してわけだが、あらためてそんなことを思う。

兄の命日が来て、さらださんの文章を読んで、肉親の死が近い気分になっているからそう思うのかもしれないけれど(間違いなくそうだ)、27年前に自分の子ども、15年前に母親、9年前に兄、そして一昨年前に父親、を亡くした自分は、今までの自分の人生の半分の年数は近しい人間の死を感じて生きていることになる。
ずっと後悔しながら。
そして、その後悔は、些細なことほど残り、ふとした拍子にやたら鮮明に蘇る。

治療法をもっと検討すべきだったとか、転院すればよかったとかの、命とダイレクトに繋がる後悔もたくさんあるのだけれど、何年も時が過ぎた今は、そういうことより、あの日のお見舞いにイチゴを買っていけば良かったとか、あのとき、あともう少し病室に入ればよかった、話を聞けばよかった、愛想笑いでもしてあげればよかった、というような、日常の瞬間の後悔を感じることが多い。

そして、感じたからといって慟哭するわけでも、畳をかきむしるでもなく、鋭角的ではない哀しみが押し寄せてくるのを感じ、しばらくすると引いていったなあと思う。

長くとどまることはない。
でも、後悔の残滓みたいなものが自分に降り積もり続けている感覚がある。

今回、勝手に「さらださんもそうなのかもしれない」と思った。
それが、なんだか切なくてやるせなくて、ちょっとだけ心強いと思った。

サンキュー!・・というのもおかしいかもしれないけれど、サンキューです。
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# by kuni19530806 | 2015-01-27 20:57 | 友達

ラカグ&昔勤めていた会社   

神楽坂に行く。
21才~27才まで働いていた某公益法人(現在は一般社団法人)の会社がそこにあって、今もそこで働いているかつての職場の先輩で、長年親しくしているKさんに面会に。
私の古い友達には「なっちゃんのお母さん」と言った方がとおりがいいかも。

なっちゃんが生まれたときのことを書いて、私はCREAという雑誌のコラムの賞に応募してグランプリをもらったのだ。
そのなっちゃんが今年は大学受験だってよ。
CREAは遠くなりにけり、です(まだあるけど、心情的に)。

Kさんはいつもすっごく大変な人生で、今もそうだ。
私は手をこまねいているばかりで、早、付き合い出して30余年になる。

たった1時間の面会だったけれど、行ってよかった。
そのうちの20分ぐらいはネコの自慢をしていた気がする。

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ラカグ正面。ウッディー!


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ラカグ側面。別モノみたいだ。


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ラカグ背面。もっと別モノ感。


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かつての会社はそのままでした。
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# by kuni19530806 | 2015-01-26 17:42 | お出かけ

いまさらなお礼   

2000年、母親が死んだときはたくさんの友達にお世話になった。

その中のひとりである友人から先日、「お母さんが亡くなって14年だなんて本当に早いものだね」とメールが来た。

私は昨年、季刊レポという雑誌のライター募集に応募したのだけれど、書いたのは母親のことだった。
その友人は、最近それを読んでくれて、「面白いお母さんだったんだろうなあ。一度お会いしたかったなあ」という感想をくれた。

私は母親と上手くいっている娘ではなかったが、確かに母親はある意味、面白い人間だった。
でも、そう思えるようになったのは、残念ながら母親が死んでからだ。
そしてそれはキツい。
一貫して「被害者意識丸出しの、気分屋で子どもっぽい、面白みのかけらもない母親」と思っていられた方がずっとラクだ。
きっと、母親を若干肯定的に思い出せるようになったのは、自分が本格的に中年になったからだろう。

年齢を重ね、一人暮らしで、健康面と経済面に不安があれば、そりゃあかなりの孤独感を覚えるだろう。
そして、子どもに救いを求めたりもするだろう。
でも、子どもは親の孤独感、寂しさ、つまりは弱さ、に理解が足りない。
少なくても私はあまり理解しようとしなかった。
「自分はなんて不幸なんだろう」という被害者意識に凝り固まった母親をうっとうしいとさえ思っていた。
そういうアピールを感じれば感じるほど、どんどん冷淡になった気がする。

寂しかったんだろうな、母親は。
そして、私が思うよりずっと体調が不安定だったのだ。
母親は若い頃からしょっちゅう具合が悪いと言っていて、そのわりに早食いで運動が嫌いで栄養のことも気にしない、病院にもきちんと行かないようなタイプだったので、私は電話で愚痴をこぼされるたびに「具合が悪いならちゃんと病院で検査を受ければいいじゃない」と言うだけだった。
本気で心配しなかった。
母親から電話がくるたびに、自分が暗い気持ちになるのがイヤだったのだ。

ここ数年、母親のことであらためて後悔と自責の念にかられることがまた増え、だからといってどうしようもなく、そのたびに軽く落ち込んだりしているのだけれど、上述の友人の「一度会いたかったなあ」にちょっと気持ちを持って行かれた。

会ったってどうってことない、むしろがっかりさせたり不快な印象を与えたかもしれない、と思いつつ、その言葉がとてもうれしかった。


そうこうしているうちに、もうすぐ長兄の命日だ。
あれから9年かあ。
はっやいなあ。
生前はすごく年上だと思っていたのに、年齢を追い越しちゃったぜ。

兄は2006年までの世の中しか生きていないから、東日本大震災を経験せずに逝ったのだなあ。
小学生の時期のほとんどを福島県浜通りで過ごした兄が生きていたら、私とは違う心痛だったのだろう。
原町市(現・南相馬市)の友達や恩師とは大人になっても連絡を取り合っていたみたいだった。
そして、兄は福島市で働いているとき、コーヒーを飲みにわざわざ飯舘村に行っていたらしいのだった。

兄が亡くなったときも、私は本当にいろいろな人にお世話になったのだった。
上述の友人にも。

いまさらですが、みなさん、あのときは本当にありがとうございました。
私はなんとか元気です。
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# by kuni19530806 | 2015-01-20 22:08 | その他