ことり  その女アレックス   

最近、読んだ本。

小川洋子著『ことり』。

感想を、15日更新の『帰って来たゾロメ女の逆襲』に書きました。
今週の木曜日です。
よかったらご一読下さいまし。
a0099446_1738927.jpg




ピエール・ルメトール著『その女アレックス』を読む。

感想はtwitterの転載。
スミマセン。

去年の海外ミステリベストを総ナメにした文庫を買った。確かに凄い小説で一気読みしたけど「超面白かった!」とか「大満足」とか、興奮した陽の感想は全く出てこないな私は。暴かれる悪意、残酷さ、悲しみがたまらなくて、元気な感想を嬉々とした文脈で書いている輩は不快なくらい。もちろん極論です。

a0099446_17395922.png

[PR]

# by kuni19530806 | 2015-01-12 17:40 | 読書

元気になりました。   

インフルエンザにかかっていました。
A型でした。
ご心配をおかけしましたが、今はもうほぼ元気です。

ただ、今日までは出勤してはいけない日になっていて、本日の初出勤は週明けに順延になりました。
インフル、蔓延しているみたいだし、もちろん伝染したらたいへんってこともあるけれど、出勤してB型をもらってきたりするのは絶対に避けたい。

・・あれ?
AとBは別々にかかったりしないのかな。
わからん。

熱は5日には下がって、今のところ、ノドハナアタマに残滓も少ないのですが、まだ身体がなんとなくふわっとしています。
体力が戻っていない感じです。
でも、6日あたりから、溜まった洗濯物とか、拭いていない廊下とかが気になって気になって、ふだんはそういう部分は全然神経質じゃないのになんだよこれ、と思いつつも、起きたらとにかくやらなくちゃと寝ていたものだから、昨日から妙に家事に勤しんでいます。

もちろん、3日と4日はほぼ絶食だったので、上述のとおり体力がなく、そうそう動きまわってるわけじゃないんですが。

しかし、出鼻を挫かれた年明けでした。
特にこれといってポジティブな展望や豊富で臨んだ2015年ではなかったとはいえ、気がついたら8日とはね。
1日2日は元気に過ごしていたわけですが、今となってはそれは去年の尻尾みたいだ。

インフルと診断されてから本格的に起き出すまでの、辛さのピークを過ぎた時間、布団の中で【インフルエンザあるある】をいっぱい考えて、元気になったらツイートしてやる!と思っていたのですが、今思い出すと全然面白くない!ふんっ!
それ全部より、年明けのお笑い番組に出ていたヒロシのネタ「麦茶を飲んでいたら『偉そうに!』と言われたとです」ひとつの方が百倍面白いと、比較してどうすんだよ、ということを比較する8日の昼下がりです。

a0099446_14121975.jpg
目つき悪し。

a0099446_14141815.jpg
目つき良し。
[PR]

# by kuni19530806 | 2015-01-08 14:17 | その他

とりとめもない年のはじめ   

明けましておめでとうございます。

暮れから義父母がそろって風邪をひいています。
二人共、久しぶりの罹患です。
熱はほとんどないのでインフルエンザではないと思います。

義母はめったに風邪をひかない人で、もう10年以上、風邪らしい風邪とは無縁でした。
入退院を繰り返した昨年も、病院のナースや理学療法士、作業療法士の人たちに「体力がありますよね」と言われていました。
義父も、70代あたりはしょっちゅう風邪をひいていた印象ですが、犬を飼うようになってパタッとひかなくなりました。
1日3回のマロとの散歩が本当に健康のためによかったようです。
マロよ、ありがとう。
a0099446_19122421.jpg



そんなふたりも、もう91才と86才。
バリバリ高齢者であることは間違いありません。
風邪がきっかけで肺炎にでもなっては困るし、特に義母は、ちょっと寝込むだけでますます歩行状態が悪くなるのが予想されるので、早く治ってもらわねば。

そんなわけで、今日は出かける用事があったのですが取りやめ、昨日の紅白と、お笑い関係の録画を見ました。

紅白は、アナ雪関係と薬師丸ひろ子と中森明菜と石川さゆりと中島みゆきと松田聖子を見た。
女性ばっかりですね。

May J.ってよく知らないし、気持ちより技術で歌ってる感じに好感が持てないんだけど、紅白の扱いはかわいそうだった。
あれじゃ、前座というかバッタもんというか立つ瀬ないじゃん。
イディナ・メンゼルはやっぱりスゴくて、どうしても霞んでしまう。
気の毒。

薬師丸ひろ子の「Woman"Wの悲劇"より」好きです。
ユーミンの最高傑作ぐらいに思っています。

しかし、松田聖子を筆頭に、みんなアガってたなあ。
緊張すると、ノドが開かないということがすごくわかった。
石川さゆりも声があまり前に出ていなかった気がしたのは、緊張や体調の関係ではなく、音響のせいだったのか。
凄味は健在でしたが。

松田聖子は、キャリアはすごいし、若いときはすっごく歌が上手かったと思うけれど、もしかしたらそれに甘んじて練習を怠ったのかなあ。
ヘンにタメに走って、聞きづらい歌声になってしまって残念だ。

夫を見ていても、夫の音楽関係の知り合いの話を聞いていても、どんなに上級者でも、いや上級者だからこそ、日々、練習してるものなあ。
技術は意外とカンタンに錆びつくらしい。
これといった技術は持ち合わせていないが、この前久々に、本にブッカーをかけたら、ちょっと下手になっててショックだった。

そんなわけで、今年もよろしくお願いいたします。
[PR]

# by kuni19530806 | 2015-01-01 23:55 | その他

2014年総括 ビッグバンセオリー BAZINGA!!   

一年前の年末の夕方、そのときは退院していた義母が不調を訴えた。
電話で近隣の救急病院を探したのに埒があかず、結局、入院して手術して退院して再入院した病院に時間外で駆け込んだのだった。
大事にはならなかったのですけどね。
帰ってきたら、空腹のあまり目が回ったっけ。

去年は本当にいろいろあった。
義母ひとりだけでも、四半世紀あまり一緒に暮らしていた期間のアクシデントを全てひっくるめた以上のことがあった。
そのうえ、秋には、浦和の自宅から大宮の老人ホームに移り、一年後に大宮の病院に入院した父親(ろくでなし)が亡くなり、義父も夏に具合が悪くなり、緊急検査をしたりした。

自分自身を振り返っても、春に職場を追われ、一日も間を開けずに某区の教育委員会の事務のフルタイムのアルバイトを始めたものの3ヶ月で辞め、夏以降はとにかく老親3人の間を日々ぐるぐる動き回っている感じで、疲れ、やさぐれ、自分もガン検診で引っかかって暗くなり、なんだかもう、と思った。
それに比べれば、今年のなんと平穏だったことよ。

5月の上旬に最後の退院をした義母の足腰は全然良くなっていないし、義父も黄斑変性症を繰り返し、今年だけで3回目の注射治療をしたし、自分も、4月後半から、小学校の図書室という、今までに足を踏み入れたことのない未知の場所でパートを始め、まあ、いろいろあったといえばあったのだけど、去年に比べれば、ジェットコースターと山手線に乗ってるぐらい違う(喩えが意味不明)。

そんなわけで、今年の終盤・・11月下旬からこっちは、正直、海外ドラマ「ビッグバンセオリー」を見ていた記憶しかない。

現在はシーズン5まで見終わり、またシーズン3の途中から見直し中。
この部分はCSに録画できたので何度でも見返すことができるのだ。
うふふふ。

かなりハマってるみたいです、私。
主要メンバー5人(途中から2人増え、シーズン5の時点では7人)のエピソードを見るのがもう習慣化して、シリーズ5までが終わってしまい、続きを見ることができないのが淋しくてたまらないレベル。

私は英語がまったくダメだけれど、英語版で必死に字幕を追って見ています。
吹き替え版の方が、情報がすんなり入ってきていい、しかもこのドラマの吹き替えはレベルが高い、というコメントも漏れ聞き及ぶけれど、吹き替え版じゃ全然面白くないんだよなあ。

内容はよくわからなくても、早口でやりとりされているいまどきの、マニアックであけすけで、でもわりと礼儀正しくもある若者の会話のリズムが心地よい。
たとえ皮肉が含まれてたりすることがあっても、エクスキューズミー、エクセレント、サンキュー、イグザクトリー、ソーリー、ハーイ、が多用される日常会話が心地よかったりする。

登場人物の中ではやっぱり私もシェルドン、シェルドン・ク-パー博士推しだ。

IQはバカ高いのに(だから?)、コミュニケーション能力に問題がある、アスペルガー説は製作者側から否定されてはいるもののその疑いが取り沙汰されるシェルドンがメチャクチャ魅力的だ。
他者を蔑み、自己主張を押し通す最低のヤツで、実際に近くにいたら殺意すら抱くかもしれないけど。

同じIQが高く、シェルドンと同じ大学で研究をする、でもシェルドンよりは格段に常識人の同居人レナードとその友人たちのおかげで、少しずつシェルドンが他者を受け入れていく過程がすごくいい。

そんなシェルドンが、ふざけたり冗談を言ったりしたときに言うのが
BAZINGA!!
なんちゃって、みたいなものか。
このTシャツ、欲しい!
a0099446_923599.jpg

a0099446_9232919.jpg

[PR]

# by kuni19530806 | 2014-12-30 23:08 | テレビ

ローインパクト   

大掃除、してません。
今日も今日とて、時間はあったものの、掃除関係には見向きもせずに午後からスポーツクラブへ。
今回のお試しコースは、年内は今日までしか使えないからな、と自分に言い訳して。

今日は
①ストレッチを念入りにやった後、室内トラックを7周(630メートル)歩く
②ローインパクトエアロ(45分)に参加。

ローインパクトエアロは、その名のとおり、インパクトが少ない、ぴょんぴょん飛び跳ねないエアロビクスで、その昔、私がエアロビクスをやっていた頃、1980年代からすでにありました。
両方の足が同時に地面を離れないのがローインパクト、という括りでいいような気がします。
当然、カロリー消費はジャンピング、ランニングステップの多いハイインパクトの方が多いわけですが、膝や腰を痛める危険性もあるし、なにより、若くない身にはローインパクトが味方。
ローでもけっこう汗をかきます。

そうそう。
一昨日のラテンエアロもほぼローインパクトでした。
汗だくになり、その夜の体重はここひと月ではいちばん少ない数値だった・・けれど、昨日友達と神保町の中華料理ランチをみっちり食べ、その後、友達の事務所にお邪魔してお菓子を食べコーヒーを飲みながらおしゃべりし、家に帰って夕食もしっかり食べたら、一日でまた体重は戻っていました。
あっけない、というか、素直なり我が身体!?

そんなわけで、スポーツクラブに正式に入会手続きをしました。
お試しコースの料金がキャッシュバックされ、マツキヨの商品券をもらいました。
そしてリアルドラフトの「超高濃度水素水」というのをもらった。

疲労回復に効果があり、肌もすべすべになって、新陳代謝がよくなるらしいですぜ。
福岡ソフトバンクホークスの選手はみんな飲んでるらしく、今年は日本一に。

次々にいろいろ出てくるなあ。
とりあえず、飲みますよ、そりゃあ。
[PR]

# by kuni19530806 | 2014-12-28 21:47 | スポーツ

ワーカーズ・タイジェスト   

津村記久子『ワーカーズ・ダイジェスト』を読む。

今年はホントに、津村記久子さんばかり読んでいた印象。
最後(たぶん)も津村さん。

これも良かった。
表題作と、「オノウエさんの不在」が収められているが、どちらもグッとくる。
この、ウソくさくない世界はなんなんだろう。

全然ポジティブじゃなく、どちらかといえばネガティブに思えるのだけれど、なんだかじわじわと励まされる。

会社という組織の理不尽さや残酷さやアタマの悪さや停滞っぷりや時代錯誤感、そしてそこで働くことのキツさ、諦め、ちょっとした風穴、などなどが、大きな事件ではなく、日々のルーティンを軸に描かれているのだが、読後感が清々しい。

具体的にはなにも解決していないし、登場人物に特に爽やかさは感じないのだが、だからこそ、みんなそんな風にがんばっているのだなあと心強く思うのかもしれない。

津村さんの小説を読むと、特に専門知識を持たない事務職や営業職が肯定されている気がするのだきっと。

お茶を入れたり、コピーをとったり紙やトナーを入れ替えたり、数字の入力、電話の応対、ちょっとしたお使い、備品の管理、集金、支店や業者さんとのやりとり、新人や派遣社員の指導、苦情受付、出張の手配、冠婚葬祭や親睦会のあれこれ、交通費の精算、などなどの、専門職や技術職では決してメインではない、これといって名前のない仕事の価値を、認めてもらったような、、あらためて認めようと思い直すような、そんな気持ちになる。

それが高じて、そういう仕事を自分が経験してきて良かった、その職種特有の理不尽さの感触を実際に知っていることはいいことだ、とすら思える。
だからこそ、今の自分がいるのだ、ぐらいに。
a0099446_204940100.png



今日のスポーツクラブ。
①準備体操後、ラテンエアロ(1時間)を初体験。

汗だく。
意外とバテなかったが、中盤からはステップがよくわからず。
飛び跳ねたりはしない、ローインパクトの動きだが、1時間、ほぼノンストップでステップを踏むので、かなりの運動量だと思う。
ただ、黙々と走ったり自転車を漕いだりするよりは楽しいかも。

しかし、ラテンエアロってやたら腰を振るのね。
続けたら、さぞやくびれるだろう。
[PR]

# by kuni19530806 | 2014-12-26 20:50 | 読書

冷えと運動   

24日で私の今年の仕事は終わりでした。

しかし職場が寒い。
2校どちらとも、暖房を入れて、温度を上げても底冷えがたまらない。
世界でいちばん寒いのは学校の図書室ではないかと思う。
靴下を重ね履きしても全然ダメだ。
以前働いていた区立図書館もかなり底冷えがすると思っていたが、今思えば生易しかった。
カチンコチンになった身体は夜まで解けず、お風呂で解凍しないと眠れないレベルだ。

それなのに、子どもたちは、頭がおかしいんじゃないかと思うほど薄着だ。
図書室に入ってくるとこぞって「ここはあったか~い」と言うから、教室はもっと冷えているのだろうに、クラスに数人は半袖(のバカ)がいる。
11月の下旬ぐらいはいちいち「半袖?!寒くないの?」と聞いたりしていたが、もうやめた。
人種が違うのだ。
よく、浅草とかでアングロサクソン系っぽい人が、かなり寒いのにタンクトップなどで観光しているが、そういう感じがする。

今日もスポーツクラブへ。
備忘録として記録。

①スタジオでボディメイクレッスン。
これは30分で、体幹トレーニングというか、ストレッチの軽いやつだった。
足に指サックみたいなのをかませ、足の指をひらかせた状態で30分続行。
ヨガより動きが少ないせいか、足が冷えてちょっと辛かった。
私は本当に重度の冷え性だなあ。

②1周90メートルの室内トラックを、歩いたり走ったりして14周。
前回より4周増やした。
自分に負けず嫌いっていうか、こと運動は、前回より回数を増やしたいタイプなのだ、私。
それにうんざりして、やる前に疲れた気分になることもままある。
自縄自縛、みたい。

③バイクも前回より増やし、22分5.5キロやった。
息が上がるというより、少し気分が悪くなった。
すぐに治るけど。
要するに、「疲れる」という感覚が「なんか気持ち悪い」なのだ。
自転車をこぎながら、テレビ東京の「ホームアローン3」のラストを見た。
面白かった。
[PR]

# by kuni19530806 | 2014-12-25 17:42 | スポーツ

銀座   

銀座に行ってきた。
到着したのは昼前だったが、すでにすごい人出。
でも東銀座方面の裏通りに入ったら人がまばらになった。
福井料理のお店でお昼。

久々のメンバーで話し込んだ。
楽しかった。
a0099446_17162169.jpg

a0099446_17184217.jpg
教文館書店は毎年恒例のこれ。


a0099446_17193021.jpg
メインは、ミキモトのツリーを見ること、だったが、こっちのインパクトが凄かった。
ブルガリの白蛇。
正直、悪趣味だと思った。



a0099446_17205767.jpg
夕暮れの空がキレイだったが、大勢の人はみなクリスマスツリーを撮るばかりで注目されてない。
しかも、自分のこの画像では美しさが伝わらん。
まあ、いいけど。



a0099446_17241835.jpg
一応、今回のメインのツリーも。
[PR]

# by kuni19530806 | 2014-12-23 23:12 | お出かけ

私のスポーツクラブ半生記   

近所のスポーツクラブYに再々入会・・正確には入会のためのお試しコースに申し込んだ。

Yに最初に入ったのは、オープンしてしばらく後の1980年代後半。
私も20代でした。
5~6年は通っただろうか。
その前は当時勤めていた会社の健保のトレーニングセンターで、エアロビクスや縄跳びをやっていたのだけれど、Yでは主に、筋トレとエアロバイクをやった。

一時期はかなり本気で通っていたのだが、あるときから「場」に飽きちゃって、インストラクターや常連会員に親しく声をかけられるのもめんどくさくなり、駅前に当時新しくできたコナミ(最初はエグザスという名前だった)に鞍替えした。

でもそこは月曜日が定休日で、途中で月曜日に休みが多い仕事に転職したり、テニススクールに行くようになったのでやめて、でもテニススクールは移転してしまい、運動不足を痛感したので、Yに再入会した。
40代になってからだ。

二度目の入会は、ヨガやピラティス狙いだった。
3年ぐらい通ったかなあ。
区立図書館の非常勤をやっていたので、平日の方が行きやすく、平日会員になったが、休みが不定期だとなかなか回数は行けず、そのうち、新館準備の仕事になり、忙しかったことと、そこは休みは土日中心だったので、すっかり足が遠のいて退会した。

退会した2週間後ぐらいに、ふつうに歩いていて足を骨折したわけですが。
あれから4年半か。
早いなあ。
ん?早いのかなあ。

今回は血糖値を下げることを目的の入会。
年齢と共に、入会理由もきちんと(?)加齢に則しているなあ。

スポーツクラブには行っていなかった4年半、ヨガはちまちま続けていたのだけれど、最近は運動不足だなあと思っていた。
そして健康診断でまた血糖値を指摘され、問診の担当医に「どうすりゃいいっていうんですか」と泣きついたところ(おおげさ)、クールに「やはり運動ですね」と言われた。

じゃあ、やってやろうじゃないの。
本当はウォーキングが安上がりだしいいのだけれど、年明けから5月ぐらいまで、花粉症で外にあまり出なくなる十数年を過ごしているので、再々入会の道を選んだ。

そんなわけで、お試しを利用して行ってきた。
内容は
①ウォーミングアップに、1周90メートルの室内トラックを、歩いたり走ったりして10周。
②ストレッチ後、ヨガのクラス(1時間)に参加。
③エアロバイクで18分4.6キロ。

初日はこんなもんすかね。
さしあたっての目標は、1.5キロ増えたまま戻らない体重を前の数値にすることだ。

そうそう。
Yのトレーニングルームの内装は4年半前と変わっていなくて、部屋の明るさも同じ感じだったので、そこの鏡に映る自分は、4年半という時間以外は条件が同じ、定点観測されてる人、みたいだった。

その時間分、順調に老けてる。
当然だけど、ガックリだ。
特に、ストレッチで、顔を倒したり斜めにしたときの顔面のたるみがハンパねえ。

いやあ、現実を突きつけられたぜ。現実は厳しいぜ(なぜか、どんどん言葉がワイルドになっちまった)。
[PR]

# by kuni19530806 | 2014-12-22 16:32 | スポーツ

猫を抱いて象と泳ぐ   

小川洋子『猫を抱いて象と泳ぐ』を読む。

しょっぱなからナンですが、村上春樹より小川洋子の方がずっとスゴイと思います。

正確な文脈は忘れましたが、以前、豊崎社長がtwitterで「どんなに断定的な書き方をしても、個人の見解は主観でしかない。それはあたりまえの大前提なのだから、いちいち『自分にとっては』とか、『思う』とか書く必要はないし、書いていないからと言ってナニサマだ!と目くじらを立てるのはおかしい」というようなことを言っていて目ウロコでした。
だからあえて断定的に大文字で書きます。

小川洋子の方が村上春樹より優れた作家だ。

どうして、このふたりを比較するのかというと、描こうとする世界に共通のものを感じるからです。

現実と似ているけれど明らかに違う、作者の脳内で格別な篩(ふるい)にかけられ、変換され、価値観や倫理観、時に法律や社会のしくみも唯一無二のものにとってかわった世界、という意味でも似ていれば、その変換方法も途中まで近いものがあるなあと思うのです。

でも、私にとっては、村上春樹さんのそれより小川洋子さんの方が、ごまかしてない気がする。

村上春樹はごまかしてるのか、というと、必ずしもそうではないのですけど、彼にとっては小説の肝になることが多い性や悪意、または独特な不条理に幻惑され、読んでいる最中はなんとなくその世界の磁場に絡め取られて腑に落ちても、読後しばらく経つと、「結局なんだったんだあれ?」と思ったりすることがけっこうあります。

その世界の磁場に絡め取られることは小説を読む醍醐味でもあるのですが、時に覚めた(冷めた)とき、違和感を覚えたりする。

小川洋子さんの小説にはそれがない。

今回の小説も、チェスという、自分には全く未知の世界が描かれ、アリョーヒンというロシアの実在の人物がモチーフとして物語の中枢を担っていて、幻惑される要素はてんこ盛りで、実際、自らの成長を止めたという意味では「ブリキの太鼓」的なリトル・アリョーヒンの存在も、マスターもインディラもミイラもお祖父さんもお祖母さんもみな現実離れしていて、唯一、地に足がついているのは弟だけ、という印象だったのですが、不思議と幻惑された感じではありませんでした。

自分の描きたい、描くべき世界に真っ向から挑んでいるなあという、静謐だけれども力強い「意思」を感じ、圧倒されました。
終盤は落涙。

いい小説でした。
a0099446_173994.jpg

[PR]

# by kuni19530806 | 2014-12-21 17:44 | 読書

桐島、部活やめるってよ   

映画「桐島、部活やめるってよ」を見る。

原作は読んでいない。
映画も、映画館に足を運んだわけでも、TSUTAYAで借りてきたわけですらなく、CSのをなんの気なしに録った。
この映画、数年前に話題になってなかったっけ?
ああ、「あまちゃん」のユイちゃん(橋本愛)と、「ごちそうさん」の悠太郎さん(東出昌大)が出てるのか、という程度の予備知識。
監督も知らない人だったし、神木隆之介クンは雑誌やネットでそのビジュアルは知っていたものの、役者としては「千と千尋・・」の坊の声、としてしか、その存在を知らなかった。

これが・・なんかすっごく良かった。
高校生ってナマモノだ。
自分がやっていたときだってそうだったのだけれど、振り返るとよけいにそう思える。
傷みやすいし、加工前の可能性は計り知れないし、くさいし、食べ合わせでいろいろ起きるし、時にグロテスクだし。

昨今、身近に高校生がいないし、彼ら彼女らがどんな高校生活を送っているのか想像しきれなかったりするが、この映画を見て、なぜか「これこれ!」と思った。
知りもしないくせに、すごく腑に落ちた。

求めることと拒絶することを同時にやってるんだよなあ、高校生は、いや、人は皆か。
それを意識的ではなく、かといって無意識でもなく、立場や役割として演じるというか、軌道に乗っかってて、でも違和感がないわけじゃなく、声高にもなれず、地に足が着いていないまま、日々を送ってしまいがちなのではないだろうか。
日常こそが緊張感があって、非日常に安堵する、みたいな。
全然うまく言えてないけれど。

とにかく、同じ時間事象を、違う視点から繰り返し描く手法にやられた。
こういうの、大好きなのだ。

東出クン扮するモテ男子宏樹の彼女役、「あまちゃん」にも出てた松岡茉優がよかった。
性格の悪い女子。
いそう。
こういう女子がかなりの数の高校生の生活に暗い影を落とすんだよなあと思わせる。
そしてやはり、映画部前田の神木隆之介と、宏樹を好きな吹奏楽部部長の大後寿々花は芸達者だった。

ラストの屋上の大乱闘シーンは素晴らしかった。
a0099446_14123071.jpg

[PR]

# by kuni19530806 | 2014-12-17 14:12 | 映画

深川散策   

12月12日、深川散策。

まず清澄白河駅近くの「深川江戸資料館」へ。
江戸的なものは好きだけれど、区の施設だし・・と期待度はふつうだったが、裏切られた。
いい意味で。
思っていたのより10倍ぐらいは大掛かりで、100倍ぐらいお金をかけてる感じがした。
江東区、お金持ちなのか?!みたいな。
だったら小学校も・・以下自粛。

平日で来館者が少なめだったこともあってか、入るなりボランティアのガイドの人がすかさずやってきて、ずっとガイドしてくれた。
入口のすぐ近くの屋根にネコがいるのだけれど(もちろん本物ではない)、それが定期的に鳴く・・のかと思いきや、センサーが作動して、人が入ってくると鳴いてお知らせするらしい
その鳴き声でガイドさんがやってくるシステム・・・ということを後でガイドさんに聞いて知った。
a0099446_1018542.jpg



江戸の深川の町が再現された館内は、とにかく、家の中に入っても、モノを触っても、引き出しを開けても、写真を撮っても、全てOKというのがすごく麗しい。
触ることを想定してるせいか、作り物の、たとえば野菜、こんにゃく玉、の手触りもわりと本物に近くて、リアリティがあって面白かった。
a0099446_10201825.jpg



商家、職人の家、川べりの船宿(宿というより休憩所)、蔵、屋台の蕎麦屋、お茶屋(違う呼び名だったかも)、火の見櫓、長屋、トイレ、ゴミ捨て場、などなどまでが緻密に再現されていた。
a0099446_2053526.jpg


ガイドのオジサマの「教えたい!」「言いたい!」の前のめりな姿勢が、来館者によってはどうなのか微妙だけど、ただ館内を巡るのとは違って、小さい草履や「久松るす」のお札の意味、船宿の台所が意外に狭いこと、厠の扉が関東と関西では違うこと、などを教えてくれて楽しかった。

後半、あまりに空腹でちょっと上の空になってしまって、申し訳なかった。


深川名物の深川飯(炊き込みご飯の方)を食べた後は、深川東京モダン館へ。

ここは、昭和のはじめに東京市深川食堂としてオープンしたところだそうで、現在はこのあたりの観光案内所の役目を担っているらしい。
「モダンな食堂」は土日のみの営業だそうで、垣間見ることはできなかったが、建物がオシャレで、階段などもステキだった。
a0099446_20595039.jpg

[PR]

# by kuni19530806 | 2014-12-14 21:00 | お出かけ

健康診断と1990年頃の好きな顔ナンバー1の芸能人について   

雨で暗い一日だったけれど、昨日に比べて寒さは和らいだ感じ。
昨日は寒かった。
木曜日の学校に振替出勤だったが、暖房をつけても底冷えは解消されず、身体の芯がガチガチになってしまった。

学校って寒いのだなあ。
去年の春までの職場も、川べりで、作業室には窓もなく、風の音も相まって「ここは越冬基地かよ!?」と思う寒さだったけれど、デカいコンクリートの箱の学校の寒さはまた格別。
子ども達は全く平気そうだけど。


思えば、自分も小学生の頃は、寒いのなんてへっちゃらだったな。
福島市はとにかく西風が強かった。
北西にある吾妻山から吹いてくる風は吾妻おろしと呼ばれていて、北西方向に4キロの距離の中学に通っていた私は、中1のときは毎朝の自転車通学が辛くて、1時間目の授業ぐらいまでは力尽きてた。
通学路は田んぼの中の一本道で、周囲に風を遮るものは皆無、今思うと、中学方向が若干登りだったような・・。
マジで、中学生になったら太ももが逞しくなったのだった。
身体が小さくて、好き嫌いも多くて、虚弱だったけれど、あの中学生活があったから、その後はけっこう丈夫になった気さえする。


そんなわけで、今日は区の健康診断に行ってきた。
去年は、基本検診と一緒に受けた肺癌検診に引っかかってトラウマになりそうだったが、なんとか年内に間に合った。
もっとも、今回は肺癌検診はなし。
10月に呼吸器専門のクリニックでレントゲンを受けて、とりあえずのお墨付きをもらったので。

血糖値、上がってはいなかったが下がってもいなかった。
相変わらずのグレーゾーン。
でもまあ、去年より体重が増えているので、実は血糖値も上がっているかと心配していたので、よしとしよう。
コレステロール、中性脂肪はなぜか全部下がっていた。
体重の増減が生活習慣病の値と直に連動しているわけではないのだな。
でもとにかく私は血糖値が懸案だ。
もうこの状況は長い。
気をつけているつもりなのだけれど、と問診の医師に訴えたら、「だから横ばいなのかも」とのこと。

母親も血糖値が高かったのだろうか。
あまりきちんと健康診断を受けていなかったようなのでよくわからない。
もう今となっては。

それにしても、去年も書いたかもしれないけれど、検査終了時に自分の結果が冊子になって渡される(心電図は後日だけど)区民検診、なかなか優秀だ。
一昔前までは、近くの学校の体育館とかに受けに行ったものだけど。
隔世の感あり。


明日、更新の「いどばた。」がらみで、youtubeでいろんな曲を聴いていたら、「愛が生まれた日」に到達(?)。

藤谷美和子、どうしているのかなあ。
精神を病んでしまっているらしいと聞いてから、もう何年にもなる気がするが、ハタチぐらいのとき、千駄ヶ谷付近で見かけた藤谷美和子は本当にキレイで、肌も透き通るようで、圧倒された。
当時、彼女はまだ十代だったと思うけれど、一度見かけたことで、なんとなく注目していて、その後の活躍を好ましく思っていた。
そして、1990年頃は「好きな顔、なりたい顔の芸能人ナンバー1」だった。
「愛が生まれた日」で知った声も好感が持てた。

芸能界にいるには繊細過ぎたのだろうか。
[PR]

# by kuni19530806 | 2014-12-11 17:35 | その他

レモンの思い出   

たまに行く最寄り駅前の喫茶店レモン。
正式には喫茶店ではなくフルーツハウスとなっていて、その矜持(!)か、フルーツサンドが美味しいと私の周囲では評判だ。
量は少なめですけどね。

この店はけっこう古い。
1980年代なかばにはあった。
現在は60代ぐらいに見えるご夫婦が、若いときからずっとふたりで切り盛りしている・・ということは、30代で始めたってことか。
よく続いているなあ・・いや、よく続けているなあ。
この30年の世の中と価値観と駅前の変化を考えると、驚異的と言ってもいいと思う。

レモンは、オシャレでも個性的でもない、昭和の香りのするお店で、カフェ、という感じではなく、ショーケースのサンプルも長い年月で色あせ、ちっとも美味しそうに見えない。
集客にはむしろ逆効果では?と思わないでもないディスプレイだが、常連さんで持っているお店には、別に関係ないのだろう。

ここのマスターは、知り合いの男性と声が全く一緒だ。
似てる、じゃなくて同一としか思えない声音。
顔は似ていない。
でも、痩せ型のところは似ている。

毎回、「いらっしゃいませ」という声を聞くたび、うっすらとフシギな気持ちになる。

ここは、夫と行ったり、友人知人と行ったりしていて、マスターが私の顔を特定しているのは明らかだが、常連扱いはされない。
そこが気に入っている。
実は一時期、常連っぽい扱いをされそうな時期があった。
ずっと以前のことだ。
いつもコーヒーを注文していたのだが、その日はわりと直前にコーヒーを飲んでいたので、めずらしく紅茶を頼んだ。
そしたらマスターに「今日はコーヒーじゃないんですね」と言われた。
私は一瞬怪訝な表情をしたのかもしれない。
無愛想に応じたつもりはないけれど、戸惑った顔をしたのかも。
マスターはそれを察知し、以後、一度もそういうことを言わない。

私はほとんどコーヒーにミルクは入れないのだけれど、必ずミルクを持ってきてくれる。
ちゃんとミルクポットに入ったのを。
それはそれでなんかアレで、たまに入れてみたりしている。
他では入れないくせに。


こんな風に、長年、一定の距離を置いて付き合ってきたレモンだが、実は私にはこの店を舞台にしたささいな、でも個人的には忘れられないエピソードがある。
これは、前にどこかで書いた記憶があるのだが、まあいいや。


30年近く前、お店はできたばかりで、私も今の家に住み始めてそんなに経っていなかった頃のことだ。
仕事が終わって家に帰って初めて、自分が家の鍵を持っていないことに気づいた。

その日、義父母は千葉の娘(義姉)のところに行っていた。
孫(私にとっては姪)のクリスマスプレゼントか何かを届けに行ったのだと思う。
そう、季節は冬だった。

私の帰宅時、基本的に、義父母のどちらかは在宅しているのが常だったし、帰る頃合になると家の鍵を開けておいてくれていたので(今考えると、かなり無防備だ。最近はしていない)私は「家の鍵を持って出る」に人より無頓着だったのだ。

帰宅したのは6時ちょっと前で、外はもう真っ暗だった。
家に入れないことに気づき、呆然とした。
夫はまだ会社員で、残業続きの仕事をしていたし、義父母も「夕食は孫たちと食べてくる」と言っていた。
近隣に、事情を話してお邪魔させてもらうほど気の張らない付き合いをしている家はない。
間が悪いことに、私はその日、手帳も持っていなかった。
携帯電話などない時代で、義姉の電話番号がわからない。
しかも、住所もわからず、番号案内に問い合わせることもできない。

とりあえず私は、近くのスーパーに行った。
今でこそ、我が家の周辺にはたくさんのスーパーがあるが、当時は忠実屋(!)一店しかなく、そこの営業時間は午後6時までだった。
今じゃ信じられない。
更に、家の周りはもちろん、駅周辺にも、ファミレスやファーストフードが全然なかった。
時間をつぶす場所がない。
閉店時間になってスーパーを追い出された私は途方に暮れた。

万が一、義父母が早めに帰ってきてはいまいかと家に戻り、暗い家にがっくりし、じっとしていると寒いので、駅に向かい、でも駅前も居場所がなく、目的もなくうろうろ駅前を歩いていると、あかりが見えた。
レモンだった。

その店は、一度だけ入ったことがあった。
私は勇んで駆け込むと、ココアを注文した。
熱い飲み物にほっと一息ついた。

身体の芯が温まると、頭は逆に冷静になった。
義姉の住所がわからないからと番号案内に問い合わせることを諦めていたが、千葉市の●●区まではわかる。
落ち着くと、うろ覚えだが、その先もわかる・・気がしてきた。
店のピンク電話を借りて104に電話をした。

わかる範囲の住所を伝え、絵に描いたように月並みな義姉のダンナさんの名前を言ったところ、104の女性は事務的な口調で「千葉市●●区××にその名前は7名います」と言った。
私はがっくりして電話を切った。

レモンには私しか客がおらず、電話のやりとりを聞いていたマスターと奥さんが「どうしたんですか」と聞いてきた。
私は事情を話した。
「ありゃー!それは大変だ。・・でも、申し上げにくいんですが、この店も7時までなんですよ。まあ、少し延ばすのはいいんですが・・」

そうそう。
あのときのマスターは若かった、と今になってあらたに記憶が蘇る。
細面の、あまり愛想はよくない奥さんも、今よりもうちょっと表情があった。

私は、「そうですか。すみません、もう一度電話を貸して下さい」と言うと、また番号案内にかけ、7名全ての電話番号を聞いた。そしてその時点で急にひらめいた。
「あの・・もしかしたら7丁目かもしれません。7丁目の人、この中にいますか!?」
いた。

はたして、それが義姉の家だった。
7人の番号は聞いたが、最初で当たった。
義父母はまだいて、すぐに帰るが、1時間以上かかるから、どこかで時間をつぶすように、と言った。

少し時間を延長してもらい、7時15分頃、レモンを出た。
頼めば、もっといさせてくれそうだったけれど、私が居たたまれなくなりそうで遠慮してしまった。

店を出、コンビニで立ち読みし、知らない通りに入り、見かけた蕎麦屋に入って、月見うどんをゆっくり食べて家に戻ると、あかりがついていた。


それから何年もレモンに足を運ぶことはなかった。
あの一件が行きづらくさせたようだ。
お店の対応は完璧だったし、すごく助かったのに、なんとなく足が向かなかったのだ。
申し訳ないけれど、そうなのだ。

次にレモンに行ったのは、ずいぶん経ってからで、あのときの話をいまさら出すのも憚れるような気がして、結局、あの冬の夕べの話は今日までしていない。
いつか聞いてみようか、と思いつつ、トータルで30年近く経ってしまった。

覚えているだろうか。
忘れているかなあ。
確率は五分五分ぐらいだと思う。

レモンに行くたび、マスターの声と、30年前のエピソードのせいで、私は少しだけ異界に足を踏み入れる気持ちになる。

もしかしたら自分は、そんな気持ちが気に入っているのかも。
[PR]

# by kuni19530806 | 2014-12-08 15:57 | その他

今年はあまり本を読んでいない   

12月の声を聞き、さて、今年も極私的ベスト本を選定しようかと思ったものの・・・


読んでない!
今年は本当に本を読んでいない。
その年の読書量と自分の人生の充実度が比例しているわけではないし、むしろ、忙しくて本を読むヒマがなかった一年の方が、振り返ると思い出深かったりするのは当然だったりするわけだが、今年の、特に後半は、義母のめまぐるしい入退院もなく、仕事も少し落ち着いたし、検診に引っかかったりすることもなく(受けてない、わけですが)自分としては、ここ数年の中では物理的にはヒマな方だったと思うのだが、読んでいない。

目のせいもあるなあ。
老眼が進んだ。
いまどきの単行本は眼鏡をかけなくてもかろうじて読めるのだが、2段組や、ちょっと前の字の小さい文庫本は完全にアウト。
よく今まで平気で読んでいたなあと過去の自分に感心するくらい。

先月、時刻表を見ようとしたときは参った。
全然ダメだった。

そんなわけで、読書に老眼鏡が必需品にはなったのだが、でもまあ、本を読まなかったのはそれだけではないなあ。

自分は、読むより書く方が好きという自覚があったが、最近は実は、書くのもあまり楽しくないのだ。
書くことを仕事にしている人って、大変だよなあ。
「楽しいとか楽しくないなんて言ってられない」と叱られそうだけど、本当に言ってられないんだろうか。
気が進まないけれど仕事だからきちんとこなす、はある意味、仕事をする人間の基本だけど、書くこともこなせる種類のことなのだろうか。
書くことを特別視する私の方がどうかしてるのか。

たとえば、数字を入力したり、電話の応対をしたり、レジを打ったり、人の流れを整理したり、ものを運んだり、接客したり、品物を売ったり、教えたり、教わったり、音を出したり、まとめたり、会議に出たり・・することと、ものを書く仕事のなにが違うか、と言われるとよくわからない。

仕事はすべてクリエイティブだと思うので、書くことがことさらそうだとは思わないし。
ただ、自分が好きだと思っていることを「仕事にしている」というレベルで、書くことが私にとっては特別な仕事だと思うだけだ。


話は変わって
先週の夫のコントラバス発表会、ピアノの伴奏をしてくれた先生のブログが、夫にとっては最高の賛辞だった模様。
こっそり貼ってしまう。
ここです。⇒
[PR]

# by kuni19530806 | 2014-12-07 09:33 | 読書

近頃のミィちゃん   

はい、バカ飼い主です。
a0099446_21322430.jpg
くるまれているのは、夫のボロボロのトレーナー。どうでもいいけど部屋が汚い。養生テープがそこここに。


a0099446_21332643.jpg
腹周りがダボダボ。


a0099446_21342571.jpg

a0099446_21345564.jpg
あまりに動かないので、掛け物を裏返してみました。


a0099446_213634.jpg
あれ?出られない?


a0099446_21365552.jpg
そ、そんなはずは。


a0099446_21374646.jpg
ちょっとー!


a0099446_21384170.jpg
助けて。


おまけ。
a0099446_21393089.jpg
この人もミィ。
よく私はミィに似てると言われるが、これは特に似てるらしい。

[PR]

# by kuni19530806 | 2014-12-03 21:40 |

慣れないスーツの弊害   

夫のコントラバス発表会に行ってきた。

4回目か5回目。
昨年に続き、トリだ。
これは何も、紅白歌合戦のように、大御所or実力者最後の方式、ではなく(圧倒的に最年長ではあるが)、他の方々は学校の楽器を使い、夫のみが自分の楽器で演奏するので、楽器チェンジの時間短縮のためと思われる。

今年も、夫は注目されていた、楽器が。

ジャズ界隈ではわりと知られているガット弦が、クラシック業界ではとても珍しがられるのだ。
客席は、発表者の身内、知人、そして、先生経由のコントラバス関係者で占められていたが、何人もの人に「写真を撮ってもいいですか」(もちろん楽器の)と言われていた。

演奏は、ここ数ヵ月、毎日聴かされていたのですっかりなじみになったエルガーの「夜のうた」。
そもそもは全然知らない曲だったが、最近では自分の鼻唄にまで登場してた。

やはり素晴らしいピアノの伴奏がつくと映える。
今回もH先生のピアノが素晴らしかった。

発表会では、尋常じゃない緊張からか、音やリズムを外す人がけっこういるのだが、ピアノのカバーがすごかった。

夫は、特に緊張も感じさせず、ふだんの練習どうりの演奏に聴こえたが、終わった後、「もう途中でやめようかと思った」という泣きのコメント。

聞けば、スーツの胸ポケットにスマホを入れたまま壇上に上がり、ちょうど、楽器を支える位置にぶつかり、全然安定しなかったのだそう。
ジャズのピチカート奏法ならまだしも、ボウイングだと、楽器を固定させるのがより重要なので、本当に弾きづらかったらしい。

シャツの胸ポケットに入れても邪魔にならないらしいのだが、スーツのそれはシャツより下にあり、ちょうど当たるらしいのだ。

慣れないスーツの弊害。
[PR]

# by kuni19530806 | 2014-12-01 20:03 | 音楽

卒業写真のあの人は   

高校時代を過ごした場所に行ったので、久しぶりに高校の卒業アルバムを引っ張り出して見た。
十数年・・いや、下手すりゃ数十年ぶりに開いた。

なんか、ゲラゲラ笑ってしまった。
前回(30代ぐらい?)に見たときは、笑ったりはしなかった。
確かそのときは、誰かの消息を聞いて、「その人、どんな顔をしてたっけ?」と確認するために開いたと思うのだけれど、そこに写るかつての同級生にも、その近くに写っている自分にも、特に感慨も可笑しみも覚えず、平坦な顔と気持ちでアルバムを閉じたのだったと思う。

でも今回は笑った。
年月の隔たりが、なにかのラインを超えたのかもしれない。
もう笑うしかないラインを踏み越えたのだきっと。

18才との年齢差があり過ぎて、でもそこに写る自分や、先日会った友達は、老けたけれど基本路線は全く変わっていないことが、やけにおかしいというか、愛おしいというか、少し情けないというか、要するに笑ってしまうのだ。

今回、宿を予約してくれた同級生男子(!)は、当時は「小さな恋の物語」のサリーに激似で、今アルバムを見ても似ている。
今回は会えなかったけれど、十年前ぐらいに会ったときはすっかりオジサンで、全くサリーには似てなかった。
電話で「元気?」と言ったら、「うん。でも髪はなくなった」だって。
飄々としたその言い方は相変わらずだった。


体育祭のリレーの写真が載っている真理ちゃんは「正しい走り方の見本」みたいで、当時から今に至るマジメな人柄がにじみ出ていて可笑しいし、喜多方から会津若松まで車で「輸送」してくれて鶴ヶ城に連れて行ってくれた友達のアルバムの集合写真の表情は、今回、お城を背景に撮った写真と全く同じだ。

もう、笑うしかないでしょう。

きっと、私も似たようなものなのだと思う。

すっかりオバサンで、かつて似ていたかもしれない何かにはもう全然似てなくて、無防備なスナップに人間性がにじみ出て、写真では驚くほど十代と同じ表情をしてたりするのだろう。

月並みな言い方だけれど、あのときがあるから現在(いま)の自分がいるのだ。

いろ~んなことがあって、貴重だったり、しなくてもよかったりする経験もいっぱいして、自分が損なわれるような恐怖を覚える瞬間も知り、至福の気持ちで世界に感謝したいと思うことだってあり(たぶん)、歯を食いしばったり、脳内をフル稼働したり、弛緩したり・・それこそ、十代の自分には想像もできない人生を歩んでいるはずが、同じ表情でカメラを見たりしているのか。

なんだ、そんなもんか人生って。
[PR]

# by kuni19530806 | 2014-11-29 10:33 | その他

顔面遊園地 ナンシー関 消しゴムの鬼   

11月22日、渋谷PARCOで開催していた『顔面遊園地 ナンシー関 消しゴムの鬼』に行く。

PARCOの告知を貼ろうとしたけれど、25日までだったから貼れなかった。


そうか、ナンシー関が亡くなったのは2002年だったのか。
2003年だと思っていた。
っていうことは、13回忌に合わせての開催だったのか。
ってことは、2008年に同じ場所で開催された大ハンコ展は、7回忌だったってことなんだな。
当時は認識していたのかもしれないけれど、今、腑に落ちた。

2008年の展示の方が面白かった。
それは自分の気持ちのありように由来するのかもしれないけれど、ナンシーの仕事部屋が再現されていたり、ゆかりある人々のいろんなコメントが流れていたり、随所に遊び心・・裏を返せば、ナンシーの不在がまだ生々しかった。
5年以上経っても、自分を含めてそうなんだあと、ある意味、衝撃だった記憶あり。

今回、やはり「この世界はナンシーを喪ってしまったのだ」感はひしひしと覚えたけれど、月日の分、諦観は強くなった。
その諦観と、それをヨシとするのはまた別で、6年前より「それじゃマズイだろう」は上回っている気もしたのだけれど、ナンシーの死を受け入れてしまっている世間、関係者、自分がいた。


twitterでもちょっとつぶやいたけれど、ナンシーの死後、ナンシーと交流のあった人々の仕事が気になる。
今回の展示の主催者の町山広美右衛門とか。

ナンシーの対談相手の中でも、私は町山さんがいちばん好きだった。
『隣家全焼』や『堤防決壊』。
リリーや大月教授との化学反応も好きだったけれど、女同士特有のシニカルさは、ナンシーものにはちょっと貴重で、暴走っぷりもなんだか歯止めが効かないデンジャラスな感じがあって、読んでいてワクワクした。

正確な文脈では覚えていないけれど、町山さんが他の媒体での自分の文章や発言を恥じたり、「ナンシーに怒られるのは覚悟」と開き直ったりしていることがけっこうあった気がする。
そういうことにもシンパシーを覚えた。

今、町山広美のナレーションをたま~に聞くことがあって、そのたび「これ、ナンシーが生きててもやってたのか」と思う。

要するに、私がそのナレーションに違和感を持ってるということなのだけれど、ナンシーでもないくせに、ナンシーの威を借りて批判ポジションに立ちそうになるわけだ。
われながらかっこ悪いので、ギリギリで気づいてやめるけれど、ここで書いちゃったら、やめてないのと同じだ。
バカ。

バカついでに書くと、糸井重里と妙に昵懇な最近の清水ミッチャンにも、ナンシーの威を発動しそうになる今日この頃。

実は、ナンシーが生きていたらいちばん読みたいのは、最近(特に震災以降)の糸井重里評なのだ。

私には、どこかうさんくさくて、でもなんだかんだと気になるほぼ日の世界観(!)を、あのコラムを、ナンシーに看破して欲しい気持ちがある。

でも、この感情のめんどくさいところは、同時に、ほぼ日に安心させられている自分のいるところで、そのあたりも含めて「ナンシーがいればなあ」と思う。
あらためて思っちゃう。


ナンシーを見てランチを食べた後は、誘ってくれた友達ご推薦の喫茶店に行く。
マメヒコというお店だった。
こだわりのお店っぽかった。

オーダーしてからかなり待たされたが、「このお店の雰囲気は待つことも楽しいでしょ」的お店の自負を感じた。
実際にそうだったけど。

一緒に行った友達は、話が面白くて、洞察力があって、そういう人との会話は「ふだん使っていない自分の脳を動かしている」自覚があって楽しい。
だから、待たされてもいいわけだけどね。

カンボジアプリンが美味しかった。すごいボリュームだった。
a0099446_103389.jpg


友達が食べた焼きリンゴも相当なシロモノだった模様。
a0099446_104245.jpg

[PR]

# by kuni19530806 | 2014-11-26 10:08 | お出かけ

喜多方記録⑤   

お昼前の磐越西線の上り会津若松行きが来なかった。

五十島(いがしま)駅付近で落石のため、というアナウンス。
落石!?

五十島は、喜多方と新潟(磐越西線終点)のちょうど中間ぐらいの場所で、新潟県東蒲原郡阿賀町の駅だ。
行ったことはないが知っている。
なぜ、知っているかというと、「いがしまのおばさん」なる伝説の人物がいたから。

このおばさんが、どういう血筋に当たるのかは全くわからないのだが、とにかく母方の祖父の親戚で、嫁に行った先がお金持ちで、でもものすごく吝嗇だとかなんとか、私の子どもの頃、ほぼ伝説になっていた。

五十島で水害があり、家が流されかけたときは、手伝いに来てくれた善意の人を「お金を盗られるから」と追い返しただの、お札を庭に並べて干しただの、真偽が定かではない話を漏れ聞いた。

なにしろ、伝説だから。

とにかく、ひどく山奥らしい、五十島。
そういう意味では、落石もさもありなん。

駅員さんに聞くと、実際に落石があったわけではなく、落石の警報が鳴ったということらしい。
でも、詳細はわからないようで、もしかしたら実際に落石があった可能性も否めない。
復旧の見通しを聞いても「わかりません」で、友人の「こういうことはよくあるのですか」という質問には「めったにありません。1年に1回ぐらいです」とのこと。

けっこうあるじゃん!!

とりあえず、会津若松で会う予定の、磐梯町在住の友達に電話を入れる。
たぶん、もう磐梯町の家を出、若松に向かっているはずだから、状況を説明せねばならん。
そもそも、電車が止まってるって、帰れるのか、私たち、みたいな。

友達の判断は早かった。
「止まってる?じゃあ、喜多方に迎えに行くから、そこで待ってて。ひとつ用事を済ませて行くから、40分ぐらいかな」

ありがたく好意に甘えることにし、帰りの乗車券を喜多方~東京⇒会津若松~東京に変更した。

そして、友達の車で会津若松に行き、5人で鶴ヶ城でお昼を食べた。
お城は紅葉がすごくキレイだった。
a0099446_17445854.jpg

a0099446_17453738.jpg

a0099446_17461060.jpg


バタバタと観光し、3時過ぎの郡山行きに乗って、新幹線に乗り継ぎ返って来た。

落石の影響で会津若松~郡山の電車の遅れも懸念されたが、定刻どおりに到着し、よかった。

これで記録は終わり。


いろんな思いが交錯した2日だった。

自分がかつて3年間暮らした家のこと以外にも、50代なかばの現在と10代なかばが時に共存し、その間の数え切れないほどの帰省、母親の、交通事故、側溝への転落による骨折、そして死に至る病、のときのことなども思い起こされた。

そして、喜多方の閑散とした街並みに、まるで現在すら過去のような寂寥感を覚えた。
市内全体が過去を生きているような。
もちろん、そんなことはないし、それは失礼な話なのだけれど。

でも、最後に立ち寄った会津若松がやけにわかりやすい、リアルタイムな観光地に映ったので、なおさら喜多方の寂しさが際立った。

それはそれとして
とても楽しかった。
大げさだけれど、奇跡のような時間だった気がする。
[PR]

# by kuni19530806 | 2014-11-23 20:23 | お出かけ

喜多方記録④   

あまり眠れなかった。
でもそれは想定内。
枕が変わった初日は眠れないのだ、私。
暖房の音も意外とうるさかったし、寝たり起きたりしていたら朝になった。

部屋の窓を開けて飛び込んできた風景。
会津の初冬の朝という感じ。
a0099446_14565323.jpg

a0099446_14572275.jpg


早めに目が冴えてしまったので朝風呂に行く。
これぞ温泉の醍醐味。

予想より美味しかった朝食。
黒豆の納豆と、やまめの甘露煮、そして大根と油揚げとウチマメのお味噌汁が美味しかった。
ウチマメ、福島に住んでいる頃はよく食べたけれど、すっかりその存在を忘れていた。
また食べたい。
見かけたら買おうっと。
a0099446_14541539.jpg



食後は、非体調不良の1名を残して近場を散策。

旅館の前の小山(だと思う)をちょっと登ったが、足元が滑りそうな帰りが怖くて早々に引き返す。
4年前の左足骨折以来、足元が滑ることに、異常に恐怖心を覚える私。
あの、骨が折れていつまでもくっつかないトラウマはデカい。
引き返した地点の風景。
a0099446_1502423.jpg


旅館の前まで下り、今度は道なりにちょっと上に歩いてみる。
温泉神社の大杉があるというので、行ってみる。
けっこう階段が多い。

見事な大杉だった。
樹齢千年を超えているらしい。
a0099446_153564.jpg

a0099446_15448100.jpg



短い時間だったが森林浴をして気持ちよかった。
そして、10時の送迎バスで喜多方駅へ戻り、駅前の超有名喫茶店「煉瓦」でコーヒー。
a0099446_157278.jpg


昼ちょっと前の磐越西線で会津若松に行って、そこで別の高校時代の友人とお昼を食べ、ゆっくりし、3時過ぎの会津若松発の列車で郡山に出て、そこから一気に新幹線で戻る・・はずが、そうは問屋が下ろさないのであった。
[PR]

# by kuni19530806 | 2014-11-21 15:08 | お出かけ

喜多方記録③   

夕食は友達まりちゃんのお店、うららで食べた。

数日前の日記にも書いたが、今回の宿や食事などは、事前にまりちゃんにアドバイスをしてもらった。

彼女のアドバイスで朝食のみで宿を決め、夕食は喜多方市内でとることにし、ではどこに?とまりちゃんに相談したところ、あそこはこんな感じ、あっちはこういう風、と説明され、ふんふんと聞いていて、「じゃあ、どこがおすすめ?」と問うたところ、まりちゃんがしばし黙考の後、ぼそっと「うぢの方がうめがもしんになあ」とつぶやいた。

まりちゃんのお店は甘味処と銘打っているが、実はメニューが幅広い。
おにぎりも鍋焼きうどんもピザもある。
そして、アルコール類は持ち込みしてもらって、宴会も承っている。
その料理も美味しいと聞いたことはある。

今回、私を含めて4名のうち半分は肉が苦手だし(はい、その半分は私です)お酒は特に所望しないと思うし、美味しくてのんびりできて、事前に参加表明をしている伯父伯母従兄の家から徒歩数分と近いうららは、まさに渡りに舟、なのだけれど、いくら友達とはいえ、甘えていいのかなあという思いはあった。

しかもまりちゃん、食事をしたら熱塩温泉の宿まで車で送ってくれると言う。
熱塩、喜多方市内から、車で15分強、タクシーなら5千円ぐらいかかるのだ。

そんなに甘えていいのかなあと、まりちゃんとの電話口で私が躊躇すると、彼女は「いいんだよ~。私もいろんな人にお世話になって今日まで来ただから~。私も楽しいよ。みんな楽しい方がいいべ」。

そんなわけで、甘えることにした。
千円で美味しいお弁当を作る!と宣言してくれたまりちゃん。

私は写真が下手なので、美味しさが伝わらない気がするが、本当にすごく美味しかった。
郷土料理こづゆも作ってくれたし、ご飯にはお赤飯も乗っていた。
絶品はずんだ餅。
枝豆が粗くつぶしてあるところがすこぶる美味しい。
これぞ、心づくしだ。

ちなみに、お米もかつての同級生で農家をやっているAちゃん(女子)の手によるものだっだ。
a0099446_14114526.jpg



そして、うららの真骨頂、デザート。(自分が頼んでいないモノも含む)
a0099446_14123095.jpg

a0099446_14131660.jpg


いやあ、美味しかった、なにもかも。

看板メニューのかき氷は、伯父伯母従兄が頼んだ。
ちょっと味見をさせてもらったが、きめ細やかな氷で噂に違わぬ美味しさ。

まりちゃん、もう20年以上もこのレベルを保持してがんばっているのだなあと思ったら、ちょっと泣きそうになった。

まりちゃん、いろいろあったしなあ。
私もいろいろあったけれど、ほぼ親兄弟のことだった。
まりちゃんにはずいぶん弱音を吐いた。
そんなあれこれが、一瞬だけれど文字どおり走馬灯のように駆け巡り、消えた。


シアワセな夕食を済ませ、8時頃に熱塩温泉、山形屋へ。

夕食をつけない分、部屋のグレードを上げた。
私の中に「3人にいい旅館だったと思ってもらいたい」というスケベ心が発動したのかもしれない。
広くてキレイな部屋だった。

同行者3名のうち、1名が風邪で、ちょっと調子が悪そうだった。
うららの夕食は完食していたが、1日の疲れが出たらしいのと、熱塩までの車に酔ってしまった模様。
もしかしたら、朝からこちらが思うより調子が悪かったのかも。

一緒に新しい図書館を作る仕事をしていたときも、いちばんの繁忙期にいちばん無理をして体調を崩していた1名。
そのことをちょっと思い出す。

とりあえず一眠りするというので、3人で温泉へ。

チャコール・バーデンという炭床低温サウナなるものがあるというので行ってみる。

まったりして気持ちよかった。
ちょっとだけ汗ばむ程度で、特に下半身がホカホカして心地よい。
ちょっと寝てしまった。
偶然だが、このサウナは、やはり高校時代の友人で、現在は郡山市在住のSさんの会社で作ったものだそうだ。
いや、何かと繋がりがあるなあ。

その後、通常の大浴場へ行った。
熱塩温泉のお湯は、その名のとおり、塩分が含まれていてしょっぱい。
身体も浮く。
そして、浸かった部位がツルッとするのを実感できる。
顔もお湯をかけるとツルスベ。


1時間以上経って部屋に戻ると、1名は起きていた、ちょっと復活していた。
そこからトランプの大貧民大会。

言いだしっぺは体調不良の人。
全員がほぼまんべんなく大富豪~大貧民を行き来し、日付が変わったので就寝。
これがヤング(!)なら夜通しやるところかもしれないが、平均年齢は40を超えてるし(私が上げてるわけですが)、やはり風邪の人は心配なので、私が寝よ寝よと言ったのであった。
明日もある、と。
[PR]

# by kuni19530806 | 2014-11-21 14:38 | お出かけ

喜多方記録②   

電話で教えてもらっていたお墓は、祖父母も眠っている、親戚の家の近くの某寺。

Tおばさんは子どもはいないのだけれど、自分の実家のお墓の近くに自分たちのお墓も買ったとのことで、探してみる。
実家とおぼしきお墓は見つかったが、Tおばさんの名字のお墓がない。

思いのほか広い墓地だったので、早急にギブアップしてお寺の人に聞きに行ったが、墓地の管理はしていないと言われ、東京から来たことを強調し、「今年の6月に亡くなった人の台帳」的なものを見てもらうが、そこにTおばさんの名前はないと言われた。

途方に暮れるオレ。

で、そもそもこのお寺にあるという情報源だった伯母さんに電話。

「ねえの?なんだべ。わがりづれえどころだがら見つかんねんだど思う。自転車ですぐ行ぐから待ってらんしょ」と言われ、実際に10分ぐらいで伯母さん到着。

久しぶりのあいさつもそこそこに、伯母さんがT家のお墓だと思っていたところに向かう。
違う。
確かに名字は一緒だが、墓碑の名前が全然違った。
伯母さん、「オラ、ずっどこれがそうだど思ってだ」。
情報の根拠はその「これがどうだど思ってだ」だったことを知る。

5人であらためてT家のお墓探し。
陽も翳り、どんどん寒くなる。

ない。

T家のお墓がもうひとつあったが、これも墓碑が違ってた。

トータルで1時間はいただろうか。
全てのお墓を見て、そこにないことがわかったので、とりあえずは諦めるしかないなと思い、諦めた。
自分ひとりならまだしも、友達も一緒だし。

伯母さんとは夕食を一緒に食べる予定にしていたので、お墓でいったん別れた。

で、4人で喜多方散策再開。
a0099446_2037975.jpg

上の写真は、祖父母が1960年頃まで、その後は伯父伯母が1990年代後半までやっていた酒屋。
現在は、権利を譲渡したかつての従業員Sさんが屋号はそのままに営業を続けている。



観光客として巡ってみて撮った写真。
a0099446_2041891.jpg

a0099446_20421088.jpg

a0099446_20423917.jpg

a0099446_20435224.jpg

a0099446_20442157.jpg

a0099446_20445263.jpg

a0099446_20455458.jpg



自分が高校時代に3年間住んでいた祖母の家(お店をやっていた)の前までも行き、写真に撮った。
が載せない。

すごく寂れていた。
築50年以上で、老朽化は当然だけれど、老朽化の寂れ具合ではないのだよなあ。
見棄てられた家みたいな。

人が(お墓の情報源の伯母と伯父)が住んでいるし、お店は、自販機置き場とちょっとしたイスとテーブルが置いてある。
店の引き戸も開いていた。
が、ちょっと入る気にならない暗さと荒み具合。

営業してるとしても、あれはダメだろう。

とにかくもう店のシャッターは降ろしてしまえばいいのに。

下宿屋として建て増しした部分も築40年近くになり、外壁にはカビのような汚れがあった。
90近い老夫婦の二人暮らしではしょうがないのだろうなあ。
[PR]

# by kuni19530806 | 2014-11-20 20:55 | お笑い

喜多方記録①   

喜多方に行ってきた。

日曜日、東京発8時の新幹線に乗り、郡山で磐越西線に乗り換え、会津若松で更に新潟行きに乗り換え、喜多方に到着したのは11時ちょっと過ぎ。
自分が上京した頃の、東北新幹線がまだない、喜多方~上野、急行で直通5時間の時代に比べれば近くなったけれど、それでも中通りに行くことに比べれば、同じ福島なのに格段に遠い。
今、浜通りはもっと不便だったりするわけだけれど。

そうそう。
8年前にはあった、郡山~喜多方の直通快速は消滅していた。
在来線1本で行けるというのと、乗り換えあり、というのでは、イメージが違う。

そんな諸事情のせいか、それとも時代が諸事情を誘発したのか、喜多方は閑散としてた。
駅舎はキレイになったけれど、降り立ったときの寂寥感は以前より増した気がした。
a0099446_1715373.jpg

a0099446_1716615.jpg

これが駅前?!みたいな。

お昼は同行者のリクエストで喜多方ラーメン。
ネットのクチコミと地元の親戚の評価が一致した松食堂へ。
それまでの寂寥感がウソのように、その一角だけ、突如人口密度が高くなっていた。
行列!
でもそれは松食堂の列ではなく、隣の超有名店坂内の列。

そんなわけで、松食堂には並ばずに入ることができた。
ラーメンは美味しかった。

ラーメンのあとは、隣の古民家カフェに入る。
予定していたわけではなく、流れで。
これが正解でした。
a0099446_17213567.jpg

椅子席がふさがっていたので、別室である畳の部屋に通された。
最初は寒かったけれど、石油ファンヒーターが点火され、一気に温まり、写真のコーヒーは美味しかった。
友達んちに上がり込んだような気分で、なぜか部屋にいたカマキリを眺めたりしながら、まったりした。

聞けば、昔は料亭だったそう。
自分が住んでいた頃には全く気づかなかった喜多方がそこここにあることを実感。

店を出、高校時代に見慣れた景色や新しい景色を眺め、今回の主目的であるお墓参りへ。

これが予想だにしない展開へ。

次回に続く。
[PR]

# by kuni19530806 | 2014-11-19 22:11 | お出かけ

予定を書く   

喜多方に行くことにした。

今、行くと書いたけど、感覚的にはいまだ「帰る」だったりもする。
でも8年ぶり。
前回は2006年、母親の七回忌だった。

その七回忌を機に、母親のお骨をこちら(正確には埼玉県坂戸市)に持ってきたので、実質、喜多方に私は用事がなくなった。

友達とか親戚は複数いるわけで、用事がなくなったという言い方はわれながらSo Cool!!だけれど、それでも、定期的に帰省する理由が全くなくなったのは事実だ。

母親が亡くなって以降は、実家と呼べるような気の張らない家もないわけで、そうなると法事でもない限りどうしても足が遠のくのはしょうがないのだ。

ただ、喜多方にはとてもお世話になったおばさんがいる。
Tおばさん。
母親の従姉にあたるTおばさんは、私から見れば遠縁になるのかもしれないけれど、Tおばさんには子どもがいなかったせいもあって、折に触れ、私たち兄弟(3人)の面倒をとてもよく見てくれて、母親の闘病の際も、私はどれだけ世話になったかわからない。

母親が入院するまで一人暮らしをしていた借家はTおばさんの家の近所だった。
母親が自分の実家を出たのは、Tおばさんが旦那さんを亡くし、一人暮らしになった時期とほぼ重なっていた。

母とTおばさんは、どちらも相手を頼りにするようになったのかもしれない。

母が入院し、私がその付き添いで喜多方に帰省したのは2000年の春先だった。
母は3ヶ月後、6月の下旬に亡くなったが、今思っても短い期間ながら、なかなかハードな日々だった。
そんなときも、私が母親の付き添いからくたびれて帰ってくると、Tおばさんは見計らったように暖かいおかずを届けてくれたりした。

夫の母が私の母親のお見舞いに来てくれたときは、夫の母と私のふたりでTおばさんの家に泊まったりもした。

Tおばさんは、いわゆる潔癖症で、他人にそれを強いることはなかったけれど、いつ行っても家の中は異常なくらいピカピカだった。

廊下は黒光りし、全ての食器は棚に整然と並び、サイドボードのこけしも三春駒も赤べこも常に買いたてのように輝いていた。
突然の宿泊でも、寝具類は清潔で、夫の母は小声で私に「旅館かなにかで働いていた人なの?」と言った。
ちなみに、Tおばさんは元ナースだ。


そのTおばさんには会いたい、会わなければ、と思って、8年経ってしまった。

震災直後、喜多方の従兄に連絡をとって福島の親戚全員の無事を確認したとき、Tおばさんの消息も尋ねた。
従兄は「Tさんには会っていないのだ」と言い、早速Tおばさんの実家に連絡をとってくれ、Tおばさんが入院していると知ると、すぐにお見舞いに行ってくれた。

「かなり認知症が進んでいるけれど、Mちゃん(私)のことは覚えていたよ。Kちゃん(2006年に亡くなった兄)が死んでしまったことはすぐに忘れてしまうみたいで、その都度、初めて知ったように泣いてしまうからかわいそうだった」と連絡をくれた。
Tおばさんは、長兄をいちばんかわいがっていたのだ。

そんな経緯があったので心配はしていたが、もしTおばさんに何かあれば従兄経由で連絡が来るはずで、来ないということはTおばさんは元気なのだ、と思っていた。
でも会うなら今年のうちだ、いろんな意味で、と。

そして喜多方に行くことに決めた。
夫の父母のことはいろいろあるけれど、全部夫に任せることにした。
そして従兄にメールをしてTおばさんの様子を聞いたところ、翌日、従兄から返事があった。

Tおばさんは今年の6月に亡くなっていた。

間に合わなかった。

従兄も、震災直後のあのとき以来、Tおばさんとは会っていなくて、訃報も耳に入って来なかったのでてっきり存命だと思っていたと言う。

Tおばさんが亡くなったことは、90才の伯父さん(母の兄。従兄の父)で止まっていたのだ、きっと。

まあ、それは責められない。
私がもっと早く行ければよかったけれど、それもまたしょうがない。

でも、Tおばさんには会いたかったなあ。
ごめんね、おばさん。

そんなわけで、今回の主目的はTおばさんのお見舞い⇒お墓参り に変わった。



今回の喜多方行きは、私ひとりではなく、友達と行くことになった。
総勢4人。
かつての同僚、4年前に一緒にT図書館を立ち上げた華の(!)4人だ。

口にしたりはしていたのだ、4人でどっか行きたいねー、私、喜多方に行きたいんだよね、一緒に行く?みたいな。
まさか実現するとはなあ。

でも、段取りが苦手な私は、このところけっこう右往左往している。
ぐずぐず風邪が抜けきらなかったことも相まって、「こういうの、向かない」とか思ったり。

でも、従兄や友達が、いろいろアドバイスをしてくれるのでありがたい。
ちょっと過剰だったりもするけれど、それこそ福島県民性、みたいな気もする。

○○旅館はやめなさい!寂れ過ぎて、汚くて、泊まると悲しくなる(逆に興味がわくよ)

夕食は、親戚も加わることも可能か(えー!?そ、それはどうなのか)

帰りの電車は△△にしなさい!料金は変わらないのに、イスもいいし快適(そうする!)

その日は、残念ながら用事があってお世話できない!(頼んでないよ)

などなど、笑ってしまう。


1泊2日、それも勝手知ったる元実家(?)だけど、私にとっては久々の泊まり旅だ。
本当に泊まりでは何年も出かけてなかった。
今行かないと、という思いもある。

行く予定の日の向こうの天気予報を見たら、最低気温が0℃とかになってる!
寒い{{ (>_<) }}!
そうであった。
喜多方は寒いのだ。

寒くてもいいから晴れるといいなあ。
喜多方の星空を見たい。
[PR]

# by kuni19530806 | 2014-11-12 15:07 | お出かけ

風邪2日目   

朝起きたら、平熱に下がっていた。
が、ノドは痛いし、頭痛も残っていたので、大事をとって今日行く予定だった甲斐みのりさんのトークイベントはパスさせてもらう。

でもまあ、洗濯も溜まってるし、冷蔵庫もカラだし、と家事をして買い物に行ったら、やっぱりダルい。
昼食後にまた熱を計ったら、やっぱり上がってた。

ふうー。

そんなわけで、午後からはおとなしくしていた。
明日は仕事だし。

こういうときは、バラエティ番組、しかも短め、を見るに限る。
タモリ倶楽部を見た。
飛び猫の回はもう3回見た。
あと、鉄道の回。
自分は鉄オタじゃないし、その予定もないのだけれど、タモリ倶楽部の鉄道の回は好き。

本当は、最近見始めた「ビッグバンセオリー」の続きを見たいところだけど、TSUTAYAに行きそびれている。

久しぶりの友達からメール。
「風邪をひいている」と返信すると、「私も。9月から治らない」と返って来た。
だ、大丈夫なの!?

猫のお尻のへんが好きだ。
歩く後ろ姿を見ていると幸せな気持ちになります。
[PR]

# by kuni19530806 | 2014-11-03 17:40 | その他

まともな家の子供はいない   

昨日の夜、ノドが痛いなあとは思ったけれど、外気が澱んでいる感じだったので、そのせいかと。
もしくは、友達としゃべり過ぎたせいかと。

今朝、ふつうに7時前に起きたが、あまりだるいので二度寝して、9時過ぎに熱を計ったら、微熱があった。
微熱のわりに、徐々に身体の節々が痛くなり、ほぼダウン。

夕方の時点で7度ちょっと。
去年1年と今年の前半はほとんど風邪をひかなかったんだけどなあ。
ここに来て、ちょっと風邪にやられ気味。

でも、寝過ぎて、寝飽きて、腰も痛くなってきたので、津村記久子さんの『まともな家の子供はいない』の続きを読む。

体調のせいもあったのかもしれないが、疲れを感じる内容だった。

津村さんの小説だから面白いのは面白いんだけど、両親が揉めていた自分の中学時代を思い出し、私はセキコや室田さんのようにナイーブじゃなくてよかったのかもしれない、と思った。
自分の中学時代の心理状態を「まだましだった」と思ったのは、もしかしたら初めてかも。

それにしても、日常の、友達や家族とのちょっとしたやりとりの描写とその際の気持ち、こんなんだったら辛すぎるなあ。

この小説はある意味、図書館小説だろう。
有川浩や村上春樹の描く図書館とはまるで違うが、図書館には、こんな風な側面もあるのだ、とちょっとハッとした。

そういえば、明日は元の職場の図書館にトークイベントに行く予定なのだが、熱が下がらなかったらパスだなあ。

冷えピタシートを貼りかえて寝よう。
a0099446_2295837.jpg

[PR]

# by kuni19530806 | 2014-11-02 22:13 | 読書

頼もしい老人(役)   

私はこの半年、週1ずつ2つの小学校の図書室で働いています。

ここで書いたり、twitterでつぶやく頻度に対して、仕事の日数少ねっ!とお思いの方がいらっしゃるやもしれませんが、そのとおり、少ねえのです。

週1のみの司書配置、は区の教育委員会の方針です。
小中学校に司書を全く置かない自治体もあれば、週5(毎日)置くところもあります。

自治体によって千差万別、東京23区に限っても、0と5、どちらのパターンもあります。
要するに、学校司書の位置づけの共通認識はまだ確立されていないってことです。

そんな状況で、週1という設定がどうなのかはさておき、私はA小学校では火曜日の女、B小学校では木曜日の女です。

この2校、笑ってしまうほどいろいろ対照的です。

A校・・司書配置以前からPTAが活発に図書室を運営してきて、今もいろいろ意見が多く、蔵書がけっこう充実し、図書準備室まで備わっているけれど、14時半以降は学童クラブが図書室を使用し、その時間は準備室にしかいられず、しかも図書室のPCにExcelとwordが入っていないせいで図書だよりや掲示物がめちゃくちゃ作成しづらい。


B校・・PTAの援護も圧力もなく、教員の選書のせいかクビを傾げる蔵書構成で、おまけに学級文庫がクセモノで、蔵書の5分の1は野放し状態で、図書室自体の本は少なく、準備室もない・・代わりに、学童クラブの使用はなく、PCにExcel、wordの最新版が入っていて、掲示物も集計も加工もやりやすい。


児童との交流は圧倒的にB校の方が多く、ほぼ毎週欠かさず図書室に来る2年生と1年生はすっかりおなじみさんです。
たぶん、向こうにとっての私も。

でも、学校側の司書に対する理解を感じるのはA校。


いやはや、自分で書いてても、この2校、どっちもどっちだなあ。


そんなわけで、一昨日はB校の出勤日でした。

B校はもうすぐ学芸会。
図書室がその練習会場になっているとのことで、机とイスが廊下や書架の方に追いやられていました。
ちょっとあぜん。
でも毎年恒例のことらしく、業務日報を遡ったら去年もそんな表記が。

仕方がないので、カウンターまわりで、本の修理や装備、PCを使った仕事をすることにしました。

1時間目からとっかえひっかえ、各学年がクラスの枠をとっぱらって練習に登場する一日でした。

twitterでもつぶやきましたが、3時間目にやってきた4年生の練習風景がダントツに面白かったです。

4年生は、単なる劇ではなく、グループに分かれて、楽器を使ったり唄を唄ったり、寸劇をするらしいのですが、マジメに打楽器や鉄琴を駆使して詩を朗読したり、男子と女子がペアで「やさしさにつつまれたなら」をアカペラでものすごく上手に唄って大人をまんまと感動させるようなグループもあれば、練習を見てもなんだかよくわからないグループも。

たぶん、個々のグループが最後は大団円でひとつに収束されるのでしょうが、一昨日の段階ではそこまでのリハーサルには到ってはいない模様。

中に、老人役だけ4人というグループがありました。
この4人、ふだんの図書室利用でも目立っています。
なぜなら、しょっちゅう先生に怒られているから。
あ、廊下でものすごく怒られている姿も見たことがあります。
全然反省してない感じでしたが。

この4人、全員が杖を持って登場して、順番に薀蓄を言うのですが、とにかく演技過剰。
杖にすがってコケたりのけぞったり、「わ、わしは・・」と言いかけて苦悶の表情を浮かべたり。
そういう老人たちの役なのかと思いきや、先生曰く「おじいさん役をやれとは言ってるが、死にそうなおじいさんとは言ってない!」

そうなの?そうだったの?
勝手な役作りだったのか。
もう、可笑しくて可笑しくて。

先生がダメ出しをしても、おとなしい老人にシフトチェンジするような奴らではありません。
ますます調子に乗って、床に突っ伏して事切れる老人まで登場。
先生は呆れて、「撤収撤収!」。

大人が子どもに真顔で「撤収」と言う姿、初めて見たかも。

昼休みに、この4人のうちのひとりがクラスで借りた本を返しに来たので「さっきは熱演だったねー」と言ったら、「本番はもっとやる」だって。

頼もしい。
っていうか、先生、大変だなあ。
[PR]

# by kuni19530806 | 2014-11-01 17:25 | 仕事

不便のねうち   

山本ふみこ著『不便のねうち』を読む。

図書館で借りてちょっと前に読み終わり、すでに返却してしまった。
よって、現在、手元にはありません。

雑誌・・「暮しの手帖」か「天然生活」、もしくはどちらも、で、その名を目にしていた人です。
実は、名前を見て「ああ、あのグループか」と思って、お手並み拝見的な方向で手にとりました。

例の(って、初めて書くけど)本名(たぶん)の名前だけをひらがなにする感受性の人々。

私だけの括りでしょうが、天然生活や暮しの手帖あたりをホームグラウンド的に活動している人で、この表記方式(?)を採用している人達に、私はどこか同じにおいを感じるのです。

伊藤まさこ
根本きこ
中川ちえ
平井かずみ
高山なおみ
服部みれい
平澤まりこ
甲斐みのり

もっといるかな。

その「におい」とは、すごくざっくりした言い方をすれば「生活の延長上にあるものを飯のたねにしている、一見穏やかそうだけれどこだわっていることを隠さず、けっこう企んでもいる、女性性を前面に出してそうな人」でしょうか。

誤解をおそれ・・て付け加えるわけですが、企んでいることも、女性性を前面に出すことも、仕事としては正攻法だと思うし、決して揶揄ではありません。

ただ、これらの方々が、そういう方向を否定するかのごとき文章を書いたりコメントをしているのを読むと、私はつい「見せたい自分とにじみ出る自分は違うよね」とか思ってしまいます。

彼女達は私にとって、賢くてセンスもよくて周りが見えていて、決して奢らず、でも必要以上に謙らず、生活の志向や嗜好、ときには我が道を行くことの迷いすら、仕事にしてしまうメンツ、って感じなのです。
一言で言えば、たくましい。
たくましい女性は、名前だけひらがなにしてしまう道を選ぶ、と(笑)。

こじつけでしょうか。

でも、飯島奈美が飯島なみ、平松洋子が平松ようこ、ではないことは、偶然ではなく必然のような気がする。
飯島さんも平松さんもたくましいと思うけれど、違うたくましさなんだよなあ、私にとっては。

あ、『不便のねうち』についてだった。

山本ふみこさんって、すごく文章が上手だと思います。
そして、便利と不便は親和性が高いという見解は新鮮で、好感が持てました。

でも、私は実は、暮しをていねいに、とか、ふだんの生活が大事と言う人が食洗機を使っていることに違和感を持つ程度の器の小さい人間なので、山本さんが、震災を機に、完全に食洗機をお役御免にした的な描写にはわりと「そういう感じ?」と思ってしまいました。
が、文章が読ませるから読み切った。

そして、読んでいる途中、彼女が自由学園の出身者と知って「筋金入り」という言葉が浮かんだのでした。
a0099446_17234745.jpg

[PR]

# by kuni19530806 | 2014-10-26 18:00 | 読書

瞽女唄   

瞽女唄の月岡祐紀子さんの演奏を聴きに行く。
場所は、近隣にある江戸時代に建てられた名主屋敷。
「椿の里瞽女唄ライブ8」と銘打たれた・・そう、もう回を重ねて8回目となる恒例のイベント。

聴きに行くのは2回目。
2年前以来だ。
そのときは、前の職場で、月岡さんと昔話の語り部である中野ミツさんのコラボイベント「瞽女(ごぜ)唄と越後の昔話」の開催間近なときで、幕間にイベントの告知をさせていただいたりしたのだった。

職場でのイベントをきっかけに月岡さんとは何度か食事をさせていただいた。

面白い人なのだ、月岡さん。
ビジュアルは本当に着物と三味線が似合う、純和風のツヤっと艶っとしたすごく美しい人なのだけれど、天然で無防備。
作為的なところや狡猾さがあんなに感じられない人も珍しいんじゃないか、ぐらいな。
いや、芸事に秀でた人で、俗世間のどよっとしたものとは無縁な人はいっぱいいるのかもしれないけれど、なんかそういう人ってちょっと乾いているイメージがある。
思考経路というか、人間性に。
自分のやっていることに対するこだわりも、突き抜けている分、熱さはあっても湿気はないっていうか。

でも、月岡さんにはすごく湿度を感じる。
見た目も、ちょっとした会話も。
でも、粘着性は感じない。
すごく俗っぽいことも平気で言うのだけれど、俗っぽくならない。
人にどう思われるかを気にしない、というより、人にどう思われるかという思いの存在に気づいてない、みたいな。
もちろん、気づいているはずだけど。

ベタっとしていない湿度が稀有、という感じ。

あ、全然上手く言えてませんね。

幼い頃から三味線を弾くという環境にあったとはいえ、瞽女さんの存在がまさに消えようとするタイミングに、高校生という若さで、視覚障害を持たない月岡さんが瞽女唄に魅せられたという事実はすごいことだと思う。
今回の立ち話でも、継承者という重荷を感じている様子だったけれど、月岡さんは選んだのだし、選ばれたのだと思う。

ライブを堪能した後、最寄り駅に戻って、誘ってくれた友人と駅前の日高屋でラーメンを食べた。
初日高屋。
決して上品ではない客層が面白かった。
乳飲み子から老人まで。
喫煙席と禁煙席の近さがごった煮感を象徴している感じ。

夕食のしたくをしなかったのは本当に久しぶりだ。
お寿司を買って家に置いてきた。
またやろう。
[PR]

# by kuni19530806 | 2014-10-26 17:07 | お出かけ