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チャイルド44   

遅ればせながら、トム・ロブ・スミスの『チャイルド44』(上下)を読む。
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実は、昨日の文京シビックホールの往復の電車の記憶がほとんどありません。
この本の佳境だったので。
よく、間違わず、乗り越しせずに行って来れた(ら抜き)もんです。

2008年の「このミス」の海外編1位です。
このミス離れも著しい昨今、それは全く知りませんでした。
ある日ふと「そういえば最近、ずっしりした海外ミステリを読んでないなあ」という<読み応えのある翻訳ミステリ飢え>を感じ、お知り合いのレオさんのこの本への推薦の弁に惹かれ、手にとってみました。

スターリンの圧政下の1950年代のソ連が舞台です。
KGBの前身である国家保安省の捜査官レオ(レオさん、奇遇ですよね!)が主人公。
レオはエリート中のエリート。
ちなみに、当時のソ連のエリートの必須条件は能力、理想を体現する見てくれの良さ、そしてなにより揺るぎない国家への忠誠心です。
それは、善悪の概念や人間としての良心とは別・・どころか、たいていの場合、まるで真逆な、残酷で非道な選択や行動を、国家のためとあらばなんの迷いもなくとれること、を指します。
レオは一見全ての面で盤石なエリートでしたが、狡猾で希代の悪役キャラの部下ワシーリーと捜査の過程で激しく衝突し、それを機に彼の謀略にはまり、直接的には妻をスパイとして摘発しなかった罪で、妻と共に辺鄙な町の民警に飛ばされます。
そして彼はその町で、妻の本音と向き合うことになると同時に、理想の社会主義国家では起こり得ないとされる連続殺人事件の存在に気づきます。

凄い小説です、これ。
イギリスの29才の作家の処女作だそうですが、この全編ひりひりするような、いっときもダレない緊張感がなにより凄いです。
特にしょっぱな。
この小説は1933年の、劣悪な環境と圧倒的飢えに苦しむウクライナから始まるのですが、その章の緊張感たるや。
そこでガツンとやられちゃいます。
小説に癒やしを求める人はそこで百%退散するしかない。
その後に続く1953年の描写も99%は闇です。
一縷の、まさに1%のなにかに向かって物語は進むわけですが。

小説のリアリティって、史実に忠実だとか描写が正確とか登場人物の行動や心理にシンパシー、もしくは説得力がある、なんてことでは全然ないんですね。
もっと、なんていうか、書き手の真剣さというか、姿勢のリアルさにかかっている気がします、私にとっては。
ウエットで抽象的な言い草ですけどね。

それにしても、国って組織は怖いです。
1950年代のソ連に限ったことではもちろんありません。
人は、後ろ盾が大きければ大きいほど自らの思考を止めて残酷になるものですが、宇宙戦争でも勃発して地球防衛軍でも組織しない限り、いつまで経っても人心をこぞって間違わせるという意味では国がその最たるものってことなのでしょうか。
時代や思想に関係なく。
スターリンなんて昔は、その容貌で「岡田真澄に似てる」ぐらいの認識しかなかったわけですが、社会主義の理想国家はかくあるべし、という国家の威信のためにはここまで暴走するものなんだあと、今更ながら震撼しました。
スターリンのいる国や組織は今でもそこここにあるのだろうなあと思うと、まさにブルッと震えます。
後半、特に列車のシーンや犯人との対決の場面も読ませます。
読後、ちょっと疲れましたが。

つけたし。
この小説は恋愛小説でも、家族小説でもあります。
続編が出てます。
読もうっと。

# by kuni19530806 | 2010-02-12 23:37 | 読書

栗コーダーカルテット   

栗コーダーカルテットのライブに行く。
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場所は、文京シビックホール小ホール。
ここは去年、友達に誘ってもらってお笑いのライブに行ったところです。
そのときも小ホールでした。
複数の地下鉄の駅から外に出ずに行けるので便利です。
私は、都営三田線春日駅使用。

ライブは16時からでしたが、その前にこのビルの25階のスカイレストランでランチを食べました。
このフロアには展望ラウンジもあります。
今日はお天気は良くありませんでしたが、真下に後楽園遊園地や小石川後楽園や東京ドーム、ちょっと先には新宿の高層ビル街、サンシャイン、そして現在、日に日に成長しているかの東京スカイツリーなどが一望に見渡せ、なかなかな景色でした。
この文京シビックセンターというのは文京区役所が入っているビルで(区長室は16F)、展望ラウンジは無料で昇れます。
夜景は素晴らしいに違いない。
カップルばっかりかもしれませんけどね。

しかし、確かに東京スカイツリーはちょっと不気味かも。
周りに高い建物が全然ないのに突如出現している感じなのが原因ですかね。
今の背丈(289メートル)でこんだけ不気味なんだから、これが完成したあかつき(600メートル強だそうです)にはさぞや異次元感が醸し出されることでしょう。
ゼッタイ、UFOがランドマーク(?)にするね。
お友達曰く、三角形なので角度によって違った形に見えることが不安感を助長してる、とのこと。
あのお化け煙突を彷彿させますね。
東京スカイツリーは「東京なんぞに住んでて安心してちゃダメだべ」というプロパガンダが裏コンセプトなのかも!?

あ、肝心の栗コーダーのライブの話。
良かった。
毎回思うし書いてますが、確かな技術に裏打ちされたユルさはかっこいい。
リズムとか全く狂わないし(あたりまえ?)、ひとつひとつの楽器はほぼ小さくて4人しかいないのに、すごく音が厚くて深い。
生で聴くとホント感動します。
聴きながら自分で勝手に背景をつくって、ちょっと涙が出そうになりました。

今回のホール、キャパ300ぐらいが栗コーダーのライブスペースの上限ですね。
今日もアンプやマイクを通してはいましたが、生音感が大事なリコーダーやウクレレ、ギターあたりは、これ以上のキャパになると、アンプの種類やボリュームが変える必要があるだろうし、それだと栗コーダーの持ち味が消えると思います。

それにしても客席は幅広い年齢層でした。
小学生からかなりのご高齢まで。
ご高齢、けっこういました。
祝日の16時始まりというのは、小学生と、私を含めた中高年から上にはありがたい時間設定です。

# by kuni19530806 | 2010-02-11 23:24 | 音楽

レッスン・ノート2010の4 毅然に一募金!   

一日中、暗い空でした。
東京に住んでいると、冬は青空が基本、みたいなところがあるので、いくら寒くてもお天気的で気が滅入るというのはあまりありません。
それはありがたいです、とっても。
寒暖の差は別として、空の色味(?)が不安定になると、春が近づいてきた気がします。
もう2月も中旬だもんね。
これからまだまだ寒くても、それは明らかに「冬の後半」だし、そもそも日はずいぶん長くなったしさあ。

今日のバイオリン練習はがっつりやりました。
3時間がけっこうあっという間。
ダレることもなく。
なかなかの充実度。

練習後は和風ファミレス夢庵に行きましたが、ここはランチはいつ行っても駐輪場はママチャリで溢れていて、店内では子どもが走り回ってる。
廊下が板張りなので、うるさいです。
レジ付近に絵本は置いてあるし、チビッコは走りたくもなるだろ、という作りだし、ある程度、その手の客を想定した仕様にはなっていますが、自分達の会話に夢中で子どもが騒いでも知らん顔の母親達はどうなの?と毎回思います。
もはや「この店は走らせとけ」「そういう店になってるんだからいいだろ」みたいな客の慢心やおごりや甘え(どれも微妙に違う?)を感じますね。
廊下は滑って危ないのに、なにやってんだ、親達。
そんななか、今日はウエイトレスの女性が子どもに注意していました。
けっこう厳しげに。
その毅然とした雰囲気が、注意のための注意ではない感じでよかった。

それが麗しかったことと、先日、母親や兄のメモリアルな日にはお供えとかだけじゃなく、なにか別なこともやろうと決意(?)したこともあって、帰りはレジでハイチの募金箱に募金してきました。
コンビニとかにあるこういう箱に、小銭は入れたことがあるのですが大銭(!)はありませんでした。
なんか、ホントにちゃんと現地に行ってる?とか思っちゃって。
でも、そんなことを疑い出したらキリがないしね。
今回は、「あのウエイトレスさんのいる店だから信用しましょう」と思いました。

# by kuni19530806 | 2010-02-10 22:30 | 音楽

ゴールデンスランバーあれこれ   

私の好きなエポックTVスクエア
http://giana.exblog.jp/8331102
の中に、おぎやはぎの矢作が「ショパンの『別れの曲』はどんな場面にも合うんだ」と主張する回があって、他のバカ3人が(このコメディは、矢作以外は全員アタマのネジがゆるんでいる設定なのです)それを聞いていろんなシーンを想定してみてはいちいち別れの曲をかけ、「ホントだ!合う!」と真剣に感動するのですが、ビートルズのゴールデンスランバーも別れの曲系ですね。
別れにしろ出逢いにしろ希望にしろ絶望にしろ、どんなシチュエーションで流れても合いそう。

私は「状況や心理状態によって違った印象になる、解釈のしかたが決まっていなさそうな」曲が好きなので、そういう意味でもゴールデンスランバーは好みです。

ゴールデンスランバーといえば、今発売されている「ダ・ヴインチ」はゴールデンスランバーというか堺雅人大特集です。
マルベル堂もビックリの「堺雅人フォトカード」までついています。
ポーズがスゴイです。
御三家も新御三家もジャニーズも韓流スターもビックリのアイドル的ポージングです。
堺雅人はいつからそんなポジションになったのでしょうか。

実は私、この「ダ・ヴィンチ」を買いました。
買いの理由はこのフォトカード。
いつのまに堺雅人派に!?と思われそうですが、違います。
別に私は彼のファンではありません。

私は職場で雑誌担当をしています。
雑誌担当は毎朝、納品されてきた雑誌の装備をします。
バーコードをつけたり、補強をしたり、付録をつけたり、と。
我が職場は「ダ・ヴィンチ」を買っているので、先日、私がこれの装備もしたわけですが、フォトカードを本体に貼ったところ、これが大失敗。
ダ・ヴィンチは本体の紙の質が悪く、製本レベルも良くない雑誌なので、デフォルトから雑誌がちょっと歪んでいます。
そこに無理に厚手のこのカード(けっこう大きめ)を貼ったものだから、貼った本体の部分がしわくちゃでぐじゃぐじゃになってしまった。

もちろん、言い訳です。
雑誌担当歴も3年になろうというのに、今更「失敗しちゃったあ」もないもんだ。
でも、実際にしくじったんだからしょうがない。
で、一度は「ゴメンゴメン」と思いながら最新刊としてふつうに雑誌の棚に出したのですが、どうも気になってしょうがない。
それで翌日、自分で一冊買って、もう一度装備し直して、バーコードやICタグをそのまま貼り替えて、雑誌を差し替えました。
最初のしわくちゃダ・ヴィンチを自分のものに。
でも、堺雅人のフォトカード自体は特に損傷はありません。
なので、それはファンだという同僚に進呈しました。

ちなみに、ダ・ヴィンチのロングインタビューによれば、堺雅人さんは、ゴールデンスランバーは、村上春樹の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』の影響を受けている気がしているそうで、そっちも演ってみたいそうです。

ゴールデンスランバーといえば、職場で作っている図書館だよりの正真正銘の最終号の制作に最近着手しました。
私は性懲りもなく、そこでまたくだらないパクリ小説もどきを書きつつあります。
タイトルは「ゴールデンスランパー」。
邦題(?)は「黄金の不振者」です。
私は今まで図書館だよりで、「イン・ザ・ウール」「羊をめぐる暴言」「博の愛した数式」「キャッチャー・イン・ザ・ライブラリー」「博の愛した数式&キャッチャー・イン・ザ・ライブラリー 番外編」と5編の小説もどきを書き、何度も最終回を謳っていますが、今回は自分が作る図書館だよりそのものが最終号なので、本当の最終回になります。

ゴールデンスランバーの贋作(←と名乗ることすらおこがましいですけどねゴールデンスランパーには、今までの5編を読んだ人にしかわからないエピソードも多い上に、登場人物の名前は全部、勝手に本家ゴールデンスランバーからもらった上に、
「優男」
「宅配便ドライバー」
「痴漢は死ね」
「オズワルド」
「人間の最大の武器は習慣と信頼」
という本家のキーワード(?)も拝借し、そこに、今までの「図書館の分類の数字のゴロ合わせ」も入れるという、我ながら盛り込み過ぎな超!欲張り小説なので、たぶん、面白さなど二の次、三の次です。
だったら、盛り込むのを減らして面白くしろよ、という話ですが、減らしません。
っていうか、減らせません。
そういう性分なので。
完成前に言い訳三昧で見苦しい限りですが、そんなわけですのでよろしく(と数名の人々に言ってみる)。

# by kuni19530806 | 2010-02-09 21:51 | その他

ローマの休日   

偶然見たテレビ第二弾。
BSで「ローマの休日」を見る。
やっぱりこの映画のオードリー・ヘップバーンは魅力的ですわ。
もう、キラキラ☆☆って感じ。
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王女としての最初と最後のたたずまいや表情の違い・・後者の哀愁を帯びた感じが切なかったです。
最後の会見のシーンは、名場面だなあ。
アン王女はあの後、ローマで得た恋心と思い出にどう折り合いをつけて生きていくんだろうか、と思ってグッときました。
・・なんか、素直に見たわね~アタシ。

今日は夫の父母の結婚記念日&亡き実母の誕生日です。
結婚記念日の方は、何年か前(忘れた)に無事金婚式もすませ、母は足の不調、父は血圧不安定、はあるものの、基本的には元気でほがらかで、それはもうありがたいことだと思っています。
ここ10年強のふたりの健康の秘訣は完全に駄犬マロの存在ですね。
面倒見のいいふたりにとって、自分達が全面的に面倒を見なければいけない、自分達を百%頼る者がいる、というのはこんなに生活に張り合い・・おおげさに言うと「生き甲斐」をもたらすものなのか、感動さえします。
去年は曾孫も生まれて、ふだんは電車で外出を億劫がるふたりも、曾孫の顔を見るためならば、と先日もいそいそと出かけて行きました。

そして実母。
亡くなってもう10年になろうとしています。
今でもたまに死んでいることを忘れます。
もう誰もいないのに、実家だった会津がニュースに出てきたりすると(今は大雪でタイヘンらしいのでしょっちゅうテレビで見かける印象)、ふと母親がまだそこで祖母のお店を引き継いでやっている錯覚に陥ります。
店など、もう15年前に辞めているのに。

でもこうゆう、現実と思い出の混同、それと願望や妄想の交錯みたいなものが、人を救っているんでしょうね。
常に1日24時間、「あの人はもういない」とか「あれは終わった」などの現実を突きつけられて暮らすのはしんどい。
過去や思い出を自分に都合良く改竄するのは人間の本能みたいな気がしますが、肉親や家族の死をつい失念するレベルでの情報操作もそれに近いのでしょう。

現実を受容したり諦めることはもちろん必要だけれど、それだけでは世知辛い。
まさに辛いですもん。

# by kuni19530806 | 2010-02-08 23:59 | 映画