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柴又黄金のコース、他   

最近、忙しぶっていてナンですが、別な場所に書いた数日前の記録。
↓↓
出勤したら、図書担当の先生から

「1時間目と3時間目と4時間目に1年生のオリエンテーションをお願いします」と言われました。

ひゃあ!来週の約束だったのに~。

今日はまず、その仕込み(オリエンテーション用紙芝居作り)をするつもりが、急遽、それなしでの本番。

と、途中までできていたのに。

あと小一時間で完成するのに。




しかも、2時間目にも3年生が図書室に来て、紙芝居を完成させることも

1時間目の失敗(?)を立て直す策を考えるヒマもなく

その合間に校長先生(女性)に「今月号の図書だより、まだもらってないんだけど~」と言われ

(そりゃそうだ。まだ出してないからよ)

作ってはあったので汗だくで600人分印刷して、クラスごとに数えて

午後は、PTAの図書係の連絡ノートの

「先週のノートにも書きましたけど、学級文庫の運営計画はどうなってますか」の返事を書き(大作)

3年生のオリエンテーションの日程を調整し、どさっと届いた図鑑の装備と登録をして

ヘロヘロで帰宅・・・。
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とまあ、こんな感じ。

それでも、慣れた、ずいぶん。
何より、子どもの前で話すことに慣れた。

昨日は、友達と柴又散策へ。
私は見てないんだが(というか、一度も見たことがないんですが)モヤさまで最近、柴又をやって、友達が急に行きたくなったとのことで、当初、会う予定だった人形町から変更になった。
考えてみると、私は柴又に一度も行ったことがなく、とてもいい機会だった。
お天気もちょうどよかったし。

帝釈天⇒山本亭⇒寅さん記念館&山田洋次ミュージアムという、黄金のトライアル(?)訪問。
っていうか、柴又に行ったらまあまあたいていの人はそうでしょう、みたいな感じだけど。

山本亭が存外によかった。
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そして「寅さん記念館」はすごく楽しかった。
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葛飾区、いい仕事をしてるじゃないか。


ところで、今日会った友達は、この春、30年ぐらい(たぶん)勤めた会社を辞めた。
いろんな思いがあるだろうけれど、すっきりした顔をしていた。
だんなさんと、大事にしている犬と、夫婦の親のこと・・そしてもちろん自分のこと、を考えながら、少しのんびりして、そして仕事をまた探すのかもしれない。

ひとつの会社に30年!
あたりまえだが私とは違う人生だ。
でも、「自分と対象的」だとも思わない。
同じ会社で働き続けることも、転職を繰り返すことも、フリーになることも、家のことに従事することも、「優先順位を考えて決める」という意味では同じことなのかもしれないし。
自分の友達には意外と、ひとところで働き続けている人、が多いことにいまさらながら気づく。
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by kuni19530806 | 2015-04-23 22:01 | お出かけ

新年度は忙しい   

私の今の仕事での1日の勤務時間は6時間だけれど、昨日は残業することなく倍ぐらいの時間、働いた気分。

年度始めはメチャクチャ忙しいなあ。
そして、先生の無茶ぶり。
2時間、突然のオリエンテーションをやった。

まだ準備はしてないんだよねー、やるときは2週前には言ってよねーなんだけど、頼まれてやらないのもなんかイヤなのでやった。
会社には内緒だ。
当然、準備不足の内容だったが、昨年のオリエンテーションのテンパリストっぷりに比べればまだましか、と思った。

私はかれこれ35年ぐらいどっかで働いている。
その中でフルタイムの会社員だった時期は1/3ぐらいで、あとはパートとか、図書館の非常勤とか2つの図書館の掛け持ちとかをやってた。
もちろん、中にはすっごく忙しい仕事もあった。

40代のはじめの事務のパートなんて、規模のデカい会社の本社だったので大人数の中に埋没してテキトーに働けると思いきや(動機が不純)、とんでもなかった。
それ以前の正社員での事務職より数段忙しかった。

パートなのに工場の生産管理なんかをやらされ、全国津々浦々のシステムキッチンの生産計画は私が作っていました(もちろん上司のチェックは入ってたけどさ)。

毎年、計画を立てる1~3月の時期はしょっちゅう残業だったし、あまりの仕事の多さに、その時期はナチュラハイみたいになってた。
たいした話じゃないのに爆笑したりとか。

北海道の工場長から名指しで電話が来て「数字がおかしい!」と怒られ、でも話しているうちになんだかフレンドリーになり、出張で本社に来たその人に、会社の隣のショールームのレストランのランチをごちそうになったりしたっけ。
「あなた、パートさんなんだってねえ」とか微妙なことを言われながら。

今思えば、むしろパートだから「失うものなんて最初からないしよ」でやれていたのかも。
特にたいした研修もなく配属されて、まるでスキーの上級者コースに連れて行かれ、「さ、ここから滑り降りなさい」と言われたみたいな感じ。
滑り方がわかりません、と言うと、人生経験で行け、と言われたみたいな。
開き直って滑るしかなかった。
そこに居ても寒いだけだし。
ま、年下上司も、なんだかんだ言って、きちんとフォローしてくれていたような気がする・・ような、しないような。

泣きながら覚えたExcelも、今もけっこう役に立ってるし、いまだにテニスも一緒にさせてもらっているし、Jリーグの選手を間近に何度も見ることができたし(?)すっごく忙しい4年半だったけれど、お給料が安かった以外はイヤな思い出はない。
・・給料が安いのがいちばんイヤっちゃあイヤだが。

それに比べれば、図書館はぬるま湯だった。
たいへんだったけど、環境はぬるかった。
そのぬるさの心地よさが今でも忘れられないんだけどね。

今の仕事の忙しさは独特。
自分ではいかんともしがたい忙しさ。
自分がどんなに前もってスケジュールを作って動いても、雇用主の委託会社や、学校や、先生や、子ども達次第で、全てムダに終わる。
返事が来ない、予定が変わる、忘れられる、至急の案件が入る・・などなど。

正直、今いちばんネックになっているのは、会社からの連絡が遅いこと。
GOサインが出ないと次に動けないことがたくさんあるのだが、これがなかなか出ないのだ。
理由は明らかに人手不足。
大勢の現場のスタッフをこの人数で動かしているのかよ!?とビックリする。
しかも、私のエリアを取り仕切っているのは実質1名。
この人じゃないとわからないことだらけ。
なのに、この時期、新人に同行して学校に行っていて会社にいないことが多い。
急がない用件はメールにしているが、そんな流暢なことを言っていられない事態も多々あって、そういうときは電話をするのだが、わかる人がいない。
困る。
すごく困る。
こっちも、これでもかなり事前にいろいろ準備したり、前の週に「来週までご回答を」的な連絡をしているつもりなのだが、徒労に終わる。

とはいえ、子どもは面白い。
数多い現場のスタッフ達もみな私と同じように不安や不満をたくさん抱えながらこの仕事を続けているのは、結局、これに尽きるんだろうなあ。

オリエンテーションでも、昨年度によく図書室を利用した子たちは、私を見るなり「あ、同じ先生だ」「どっかで見た人」「今年もよろしく!イエ~イ!」とか言っちゃって、自分が図書室のこの人とけっこう昵懇であることをアピールしたりしておかしかった。

そういう、「なんか面白い」子ども達はある意味、麻薬なんだろうな。
たとえが不穏当ですが、なんだかんだ言って抜け出せないみたいな。

あ、やっぱり不穏当。
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by kuni19530806 | 2015-04-17 10:21 | 仕事

伯父の訃報4   

まりちゃんのお店の入店の儀式はいつもと同じ。
ドアを開けると、まりちゃんが元気に「いらっしゃいませ」と言い、私が「まりちゃ~ん!お久しぶりです」と厨房に声をかけて、「Mちゃん!なんだべ!いっつも急に」と言うお決まりのやりとり。
今回もそうでした。
ただ、今回は前回からあまり間があかず、しかも最近は携帯でやりとりもしているので、そんな中、連絡もせずに急に来た私をまりちゃんがちょっといぶかしがるように「なんかあったの?」と。

「あったんだよ~。去年の秋、ここに来たときに一緒にお夕飯を食べた伯父さんが急に亡くなっちゃったんだ」
それに対してのまりちゃんの返答は「うぢのおかあちゃんもだよ~」でした。
え~!?((((;゚Д゚))))

去年の秋、友人3人と喜多方に行き、まりちゃんのお店で伯父伯母従兄と会食をしたことはこの日記にも書きました。
伯父はまるで生き仏か仙人のようで、ニコニコ元気に微笑んでいましたが、まりちゃんのおかあさんもちらっと元気な姿を見せてくれたのでした。
風邪気味で「みなさんに伝染しては申し訳ない」と近くには来ませんでしたが、声は力強く、いつもの「まりちゃんのおかあちゃん」でした。
そのまりちゃんのおかあさんが?
まりちゃんのおかあさんも?

そうだよー。2月に急に。
病気があるのはその前にわかったんだけど、トイレで倒れただあー。
とのこと。
82才だったそうです。
なんてことでしょう。

まりちゃんの甘味処は、まりちゃんとおかあさんでやっていました。
メインはまりちゃんですが、繁盛しているお店なのでひとりでは切り盛りしきれず、おかあさんが手伝っていました。
かきいれどきの夏場は人を雇ったりもしていたようですが「やっぱ、気つかうべ。だがらなるべく自分でやりっちだ。おかあちゃんも手伝ってくれっから」と言うのを聞いたことがあります。

大変だったね、まりちゃん。
そして、これからも大変じゃないか、まりちゃん。
私が泣きそうになりながら言うと、彼女は「大丈夫だあ。今は気が張って大丈夫なんだべって言われっけど、Mちゃんのことどか思い出してんだよ、私」
あたし!?

そうだあ。
お母さんの看病をしに喜多方に帰って来たときの頑張ってるMちゃんを見てっから、私。
あんどき、ああ、自分にもいつかこういう日が来るんだなあって思っただ。
Mちゃんのお母さんはちょっと早すぎだけど、あのどきのMちゃんを見てて、なんかこういう言い方もへんだけど、自分もそういうときが来ることがイメージできたの。
あれがら、いろんな友達の親が亡くなるのを見て、少しずつ覚悟してきたっていうか、後悔しないようにお母ちゃんに優しくすっぺど思ったり、病気がわかったどきも、迷わねで「在宅で、店をやりながら看ます」って言ったんだよ私。
お母ちゃんも入院したくねえって言ってたし。

夜、ひとりで寝でっと不安になって「やっぱり病院にお願いした方がいいがも」と思ったりもしたけど、店の隣の部屋でお母ちゃんを看る方が病院と往復するより自分には合ってるって思ったし、そのためには体力つけなきゃど思って、スクワットとかピラティス始めただ。
そういうのに詳しいお客さんに教えてもらって。
足に筋肉もついただよー。
お母ちゃんには活かせなかったんだけど。


まりちゃん、エラいね。がんばったねえ。

んだよー、がんばってっぺ。
なんで自分にはいろいろ降りかかってくんのがなーと思ったりすっけど、わたしは大丈夫だ。
お店があるがら救わっちる。

私、母親のときはこのお店にしょっちゅう来て、弱音ばっかり吐いてたなあ。
恥ずかしいよ。

んなごどねえよ。
わたし、Mちゃんがあんどき言ったことどか、すごく覚えてて、今回もいっぱい思い出したんだよ~。

時間はあっという間に過ぎました。
まりちゃんに駅まで車で送ってもらい、私は東京に帰って来ました。
2日間、あまりにいろいろな濃い感情を味わったので咀嚼しきれず、列車に乗るやいなや目を閉じ、まるで記憶を遮断するように、うつらうつらしながら東京に戻ってきたのでした。

終わり


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by kuni19530806 | 2015-04-05 16:30 | その他

伯父の訃報3   

眠れずに朝を迎えたとはいえ、告別式の朝はお天気もよく、寒すぎず、爽やかでした。
セレモニーホールには20人からの親族が宿泊して賑やか。
故人の妻である伯母が11人兄弟ということもあって、顔の知らない親族もいっぱいいました。

告別式は朝9時半から。
最初に聞いたときは「早っ!」と思ったし、実際、その時間開始で日帰りはムリなので一泊にしたのですが、泊まったら泊まったで、みんな朝は早いし、大勢がうろうろしていて落ち着かないし、結局、8時には宿泊者のほとんどが会場前のラウンジに集合してしまい、地元の参列者も1時間前ぐらいから続々とつめかけ、「1時間前倒しで始めてもいいんじゃね?」ぐらいの雰囲気になりました。

喜多方で生まれ育ち、戦争に行き、無事帰り、喜多方で酒屋を継ぎ、結婚し、子どもを育て、隠居し、喜多方で逝った伯父だったので、たくさんの人が告別式に来ました。
同級生はもう少なかったかもしれませんが、とにかく、お焼香の列が長く続く告別式でした。
孫達がひとりひとり別れの言葉を述べました。
全員に「じいちゃん」と呼ばれていた晩年の伯父は、なんだか生きている間もすでに仏様みたいな雰囲気でした。

告別式の親族の席順は決まっていて、イスに名前を書いた紙が貼ってあったのですが、私は2列目で、伯父の孫の隣でした。
私の後ろに、伯父の妹である叔母とそのご主人。
私より年長の従兄も私の後ろです。
あれ?これでいいの?私、前過ぎない?

途中で気づきました。
私が座っている席は、母親が生きていたら座っていたであろうT橋家の長女の席だと。
母親は40年近く前に離婚して実家に戻り、自分の兄(伯父)より15年も早く死んでしまい、その息子である私の兄も9年前に逝ってしまった。
私は、自分の母親と兄の代わりに伯父の葬儀に来た意識は全くありませんでした。
それでも、結果的に、私は母親と兄の代理という役割でもあったのだ、とそのときはじめて気がつきました。
生きているということ、生きていくということは、先に逝った人間の分も生きるということなのだなあ・・途切れないお焼香の列を眺めながら、そんなことを考えていました。

告別式が終わり火葬場へ。
15年前の母親のときも同じ火葬場でした。
当時と全く変わらない建物を見てあらためて、伯父と母親、たぶん祖父母もこの同じ場所で灰になって空と大地に還っていくのだなあと思いました。

私の伯父の法要はここまで。
そのまま、なるべく早い列車に乗って東京に戻るつもりが、時刻表を見ると、約2時間先まで電車がありません。
それじゃあここに行くしかないと、友人まりちゃんの甘味処に寄ることに。
そこで私はとても驚かされることになります。

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by kuni19530806 | 2015-04-05 14:58 | その他

伯父の訃報2   

会津では法要時に「歌詠み」という風習があります。

会津にある三十三観音、それぞれの歌を、独特の節に合わせて、隣組の有志の叩く鐘に合わせ、関係者こぞって唱和するのです。
たぶん無尽講と縁があるような風習だと思います。
きっと会津に限らず、いろんなところでやっているのではないかと思われます。

今回も、お通夜の前にきっちり行われました。
これはけっこう長く、節が間延びしていて眠くなる感じだし、三十三だけかと思いきや、番外編もあり、子どものときは苦痛でした。
座りっぱなしなので足もしびれるし。

現在は、地方も自宅での法要が減り、よって畳に正座することもなく、足のしびれ問題は解消されつつあります。
若いときと違って、詠まれる歌の意味にしみじみしたりもします。
そうとなれば、情緒のある風習に思えるものですね。



歌詠みに続く通夜は、会津の場合、親族とごくごく近しい人だけで行われ、友人知人はほとんど来ません。
通夜ぶるまいで、こじんまりと故人を偲ぶ習わしです。

そして私はそこで、おもいがけない人から声をかけられたのでした。



伯父は、約50年間、喜多方で酒屋を営んでいました。
今は親族に店を継ぐ人がいなくて権利を他の人に譲ってしまいましたが、そもそも祖父は酒をつくる杜氏をしながら酒屋をやっていて、長男である伯父が店を継いで、昭和の時代を生き抜いたのでした。

伯父の二人の息子はどちらも医者になりました。

国立の大学とはいえ、息子(年子)を同時期に、親元から離れた場所の医学部に通わせることは、伯父伯母にとっては経済的にかなり大変だったと思います。

このふたりの兄弟が、本当に笑っちゃうほど仲がよくて、子どもの頃から一緒に肩を組んで学校に通っていたとか、片方が医者を志すと決めたら、もう片方がせっかく入った国立大学(当時は一期校と呼ばれていた)を辞めてしまって、同じ大学の同じ医学部をめざすことにした、とか、とにかく仲良しエピソードに事欠きませんでした。

そういえば、ふたりが中学生のとき、親は忙し過ぎて子どもに対して干渉する余裕もないのに、ふたりともよく勉強が出来て、しかも運動部でも頑張っていて、休みとなれば楽しそうに酒の配達の手伝いをしていることを知ったふたりの中学校の校長先生が、どんな子育てをすればそんな子が育つのか、伯父のところに「取材」に来たことがある、と聞いたことがあります。

・・でき過ぎてウソくさい、いやらしいほどの話ですが、本当にそうだったんだよなあ。

私から見れば、子どもの頃は他の従兄より田舎臭い、ヘラヘラしたふたりに見えたけれど、親が必死で働いている姿を目の当たりにし続けることの威力はすごいのかもしれません。
夏休みは当然のようにふたりは親を手伝ってた、そういえばホントにそうしてた。


今も営業中のT酒店。
「夢心」は、祖父が杜氏をしていたお酒の名前です。↓↓
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私が高校生の頃の伯父の酒屋で従業員をしていたのが、当時、30代ぐらいだったタナカさん。
声をかけてくれたのはそのタナカさんでした。

「Mちゃんだべ?覚えでっかよ?」と言われ、すぐに思い出しましたが、私はタナカさんとは高校卒業以降、一度も会っていないし、正直、私はタナカさんのことを、以来一度も思い出したことがないし、まさか先方も私のことを覚えているとは思いませんでした。
「タナカさん!よく私のことを覚えててくれましたね」と心底ビックリして言うと、「そりゃー、覚えでるよお。変わってねえものお」と。

えっええぇーーー!?
変わったべしたあ!
35年以上も経ってんだがらああ(思わず会津弁)。

続いて、もうひとり私に声をかけてきた男性がいました。
「Mちゃん、僕のこと、覚えでっかよ?」
「Mクン!」
私が高2の春休みにアルバイトをした時計屋(伯父の奥さんの実家)の息子Mクンでした。
彼は私より2才下の、いつもニコニコしている男の子でした。
「私のこと、覚えていてくれたの~?」
「うん。ウチでアルバイトしてだべえ。そりゃー、覚えでるよお。変わってねえものお」

ん?最近、いや、つい今しがた聞いたようなセリフ。
あの、しつこいようですけど、35年ぶり以上なんですけど。その間、一度も会ってないんですけど。

でも、タナカさんとMクンに声をかけられて本当にうれしかった。

高校の同級生や近しい親戚以外にも、35年の時を経ても自分を記憶にとどめていてくれた人がいるとわかることが、こんなにも心に灯をともしてくれる心持ちになることとは。

それは私の、ちょっと独特の環境での高校時代のせいもあるのかもしれませんが、既に親がなく、帰るべき実家はない喜多方を遠くに感じるばかりのここ数年だったからこそなおのこと、二人がなんの迷いもなく「Mちゃん!」と声をかけてきてくれたことが心に沁みました。

その日の宿泊はセレモニーホール。
伯父さんが安置されている添い寝部屋(というのか?)になぜか私も押し込まれ、男女入り混じっての雑魚寝の落ち着かなさと、人の出入りの激しさと、絶やしてはいけない線香の煙と、再発した腰痛のせいで、ほぼ一睡もできず、朝を迎えたのでした。
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by kuni19530806 | 2015-04-03 12:45 | その他

閑話休題   

花粉の時期、お腹がゆるくなって困ります。
ここ数日、特にお腹が不穏です。

ネットで調べると、体内に入った花粉が胃腸の粘膜に付着して胃腸症状が出ることもある、的な記載があります。
周囲にも、同じ症状を訴える人がいます。

私は、それが花粉の症状なのか、服用している鼻炎薬の副作用なのか、花粉症の時期はどうしても自律神経が乱れがちになるのでそのせいなのか、ずっとわからず、今も実際のところはわかりません。

今回は、3月の初旬から腰痛があり、何度か鎮痛剤のロキソニンを服用したし(鼻炎薬とはズラした。そして今は腰痛からは開放された)、喜多方に行って、不規則でジャンキーな食事をしたり、喪服で足が冷える自覚もあったし、で・・もう、原因候補が多すぎる!

明日は丸一日研修なのだけれど、下痢止めを飲んで行くべきか迷い中。
勝手にトイレに行けないしなあ。

ふだんはなるべく薬をのまないようにしていますが、花粉の時期は一年分、のんでるかも。
ああ、やだやだ。
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by kuni19530806 | 2015-04-01 16:34 | その他