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てらさふ   

朝倉かすみ著『てらさふ」を読む。

『肝、焼ける』『田村はまだか』の朝倉かすみさん、自分と同世代で、デビューは決して早いとは言えない朝倉さんに、勝手に親近感を覚えていました。
力のある、予定調和ではない小説に好感もあって。

これは、昨年発表された小説。
Twitter文学賞で、朝倉さん自身がこの小説に投票してました。
『てらさふ』朝倉かすみ 文藝春秋 自作。いままで書いたもののなかでいちばん好きだった。でも多くのひとに読んでもらえなかった。ちょっと絶望した。
というコメントで。
それで読んでみました。

北海道のオモタイという町に住む中学生、弥子。
大人からみれば、よくいがちな、十代特有の自意識肥大症を患っているとも思える彼女ですが、「なにかをやりたい」弥子の前に、「どこかへ行きたい」転校生ニコが登場して、ふたりの脳内世界が、実際に外に動き出します。

モノを書くということに才覚を示す弥子は、偶然見つけたある女性の昔の文学賞の応募作品を、ニコを世に出すプロデュースに利用します。
それはどんどん上手く行き、やがてニコは・・そして弥子は・・という物語。
(↑なんだ?この下手なあらすじ紹介的な文章は!)

う~ん。
力作だし、時折、心に響く箇所もありましたが、正直言って、好きな小説ではなかった。
なんでだろう。
朝倉かすみさんの小説はどれもある種の「意地の悪さ」があり、それが魅力になっているように思うのですけど、それはあくまで、どうしようもない、市井の人間の弱さ、哀しみをバックボーンにしてる気がします。
でもそのバックボーンがこの小説には感じられなかったからだろうか。
いや、違うかも。

もしかしたら自分は、「十代」とか「少女」特有の思考形態に理解が足りないというか、あまり理解しようとしていないのかもしれない。

きな臭いエンディングに対しても、ただただ後味の悪さを覚えてしまった自分は、結局、弥子を肯定することなく、最後まで否定し切ってしまったのかなあと思った。

タイトルの「てらさふ」は、自慢する、みせびらかすという意味だそうです。
衒さふ。
私はてっきり「照らそう」だと思ってました。
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by kuni19530806 | 2015-02-28 23:57 | 読書 | Trackback | Comments(0)

敬語で旅する四人の男   

麻宮ゆり子著『敬語で旅する四人の男』を読む。

初めて読む作家。
Twitter文学賞で投票している人がいて、タイトルにそそられました。
こういうタイトルを持ってくるセンス、好きかも、と。

特に親しくもない、最初は初対面だったりするアラサー男性4人が、佐渡、京都、鳥取、熱海を旅します。
ジャンルはロードノベル?

厳密には、全行程が4人というのは佐渡だけですが、他の場所も、なんだかんだ言って不参加者もからむ設定。

4人それぞれが旅ごとにメインを張って、脇役のときのエピソードが前面に出たり、意外な面を見せたりします。
そういう構成、好みです。

時々、展開がわかりづらかったり、このエピソード要らなくね?というのもあって、ちょっと引っかかるところがないわけでもなかったけれど、全体的には好感が持てる小説でした。

明らかにアスペルガーな斎木の描写も、ものすごく掘り下げているわけではないけれど、うわっつらで描いている感じはなく、私などはついつい「ビッグバン☆セオリー」のシェルドンをイメージしてしまった。
斎木クンとアルエさんの回は、実は私はイマイチでしたが。

佐渡のときはチャラい感じだった仲杉クンがメインの鳥取編は、少女マンガっぽい展開でちょっと胸キュン(死語!)になりました。

映像化されたら、4人は誰がしっくりするか、ついつい考えてしまいます。
斎木クンは高良健吾かなあ。
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by kuni19530806 | 2015-02-16 20:18 | 読書 | Trackback | Comments(0)

くだらねえな自分、だけど。   

義父母と暮らして、今年で丸30年だ。

結婚したのはその2年前なのだが、同居は1985年の6月からで、引っ越しの正確な日付も覚えている。
その日が自分の誕生日だったから。

義父母も夫も私も、そして同居の際に立て替えた今の家も、30年ですっかり年をとった。
そうだよなあ、なにしろ30年だもの。

義父母の健康状態はここ数年はとても不安定だが、基本的に命にかかわる病気は患っていないし、寝たきりではないし、認知症でもないので、切迫した状況ではない。
それは百%いいことだ。
でも、このところ、家での自分の精神状態はあまり良好とはいえない。

ちょっとしたことに苛立つ。ため息が出る。なんだか、家に縛られている気がする。

そういう、被害者意識に近い鬱々とした気持ちに対しての対処法はわかっている。
もうこの生活もけっこう長いから。
そして、常に鬱々しているわけではなく、特に具体的に何かがあったりしたわけではなくても、理由なく気持ちが上向くことがあるのも知っている。

それを繰り返し、言ってみれば「騙し騙し」この生活を続けてきたのだけれど、だんだんリフレッシュが効かなくなってきたみたいだ。
くたびれている。
飽きているのかもしれない。

ありがたいのは、全く体調は悪くないことと、常に気鬱なわけではないこと。
こういう状況だからこそ、定期的に家を離れる必要を感じて来年度も今の仕事を続けることにしたし、スキあらば友達に会いに、何かを見に、数時間でも出かけようと画策しているし、スポーツクラブにも週2を目標に通っている。

そして、今の自分には、本、なにより小説を読むことが必要とあらためて気づいたりもした。

世の中が本当に物騒で、きな臭く、でも、だからといって、ネットで声高に騒ぐ気にはなれない。

Twitterで、特に文章を書くことをなりわいにしている人が、自分に近い考え、心にヒットした意見をやたら次々とリツイートしていることにはなんだかとても違和感を覚える。
簡易理論武装に見える。
自分の意見じゃない分、ちょっとカッコ悪く思える。
気持ちはわからないでもないけれど、なんだか子どもの頃の自分を見てるみたい。

自分の脳裏に浮かんだ感情や考えをまっさらな状態で人に言うのは躊躇するくせに、自分と同じような意見を聞いたとたん、突然、水を得た魚のように饒舌になる。
私も前からそう思ってた!と。
後ろ盾を得て、強気になる。

たとえ、その考えや感情そのものには共感できても、その姑息さに引く。
子どもの頃の自分に大人の自分が引いてどうよ、ですが。

かといって、まったく世の中の不穏さには触れずに、世界はまるでなにも変わっていない風なツイートを繰り返す著名人にもちょっとモヤモヤとしたりする。
狡いとすら思う。
日常は日常として存在するわけだから、は理解しつつ、日常を隠れ蓑にしてないか、と思ったり。

それって、要するに、自分が動揺している、気持ちが落ち着かないってことなのだろう。
だから、振幅大きく心がざわつく。

当然だけど、家のことと世の中のことは結びついている。
今の自分の閉塞感も危機感も動揺も苛立ちも、内と外が連動してのこと、なのだ。
共鳴し合って、悪い意味で相乗効果になってしまっているような気がする。

結論を急いじゃダメなのだなと思う。
現実だけが世界の全てじゃないと思うこと、目に見えるもの、耳で聞こえるもの、はとても大事だけれど、それと、肌で感じる押しの強いものだけで世界を判断してはいけない、と折に触れ思うことが、その奥や裏側にあるものに想像を働かせることが、あらゆる意味で自分を、自分を末端構成員とする世界を、救う数少ない糸口のような気がする。
そして、そのためにはフィクションが大事だと思った。

全然上手く言えていないけれど、友人のTwitterの言葉を借りれば「他者への想像力ひとつとっても、今ほどフィクションが必要とされている時代はないんじゃないか。じっさいどんな「実用書」より実用的だと思う。そのために読むわけではないけれど結果として。」だ。

そしてそして、海外ドラマ「ビッグバンセオリー」は今の自分には強い味方だし、ネコは可愛いし、夫は情緒が安定してよく話をするし、ネガティブな話を聞いてくれる友人もいる。
好きな文章を書かせてもらってもいる。

じゃあ、あとはどうすればいいの?


私はきっと、私こそがきっと、義父母の老いを受け入れられていないのだ。

足腰が弱るとか、耳がますます遠くなるとか、物忘れが激しいとか、そういうことはいいのだ。
私が落ち込むのは、ふたりが年老いて、今まで清らかだと思っていたふたりの人間性のメッキが剥がれたような気持ちになる自分の底意地の悪さに対して、なのかもしれない。

とにかく優しかったふたりが、徐々に自分のことでいっぱいいっぱいになり、意固地になり、気分が変わりやすくなって前言撤回を繰り返す、それを毎日目の当たりにすることが哀しい・・というより、正直うんざりなのだ。

それはしょうがない、誰だって年をとればそうなる・・わかっています。
30年間暮らしてきたのだから、わかりすぎるくらいだ。

でも、温かでほがらかで穏やかなふたりが恋しい。
もちろん、その要素がすべてなくなってしまったわけじゃないし、今でも、そのへんの91才、86才に比べれば相当残っている(そのへんの高齢者に対してなんて失礼な言い草!)。
私を誰よりも気遣ってくれる。

きっと私は、25年間、甘やかされ過ぎてきたのだろうなあ。
言葉や態度で庇護されまくってきたってことなのだろう。
ちょっとしたことで感謝され、当てこすりもひけらかしもなく、恩着せがましいことを言われたことは一度もなかった。
義母はがさつでおせっかいで無神経なところもあるけれど、一貫して善意の人だ。
義父もこの上なく優しかった。
今だって、悪意のかけらもないのだ。
そう言い聞かせて受け入れるしかないのだろう。

そうは思いつつ、溜め込んでいたものをいったん外に出したく、これを書きました。
書いたらスッキリした。
くだらねえな自分、とも思った。
書いて初めて「自分はこんな風に思っていたのか」とびっくりもした。

お目汚しでスミマセン。
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by kuni19530806 | 2015-02-13 18:57 | その他 | Trackback | Comments(0)

沈黙博物館   

小川洋子著『沈黙博物館』を読む。

そうかー、小川洋子さんは15年も前にこんな小説を書いていたのか。

私は「クラフト・エヴィング商會」のことはよく知らなくて、去年行った世田谷文学館の展示で見たもの、そこで知った情報が全てなのだけれど(そのときの感想はこれ→)この小説はまるでクラフト・エヴィング商會じゃないか、と思った。
装丁もクラフト・エヴィング商會の二人だしね。

でも、単行本と文庫本の表紙は違う。
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相変わらず、「優れた村上春樹」という読後感。
今回は特に『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』の「世界の終わり」の方が脳裏をよぎった。

先日読んだ『ことり』でも感じた、平穏さと不穏さの混在が醸し出す独特の不安感がすごい。
閉じているからこその平穏、閉じているからこその不穏、その共存がこの作者の一貫したテーマなのかもしれない。

すごく恐れ多いことを言うが、もし小説を書くとしたら小川洋子さんみたいな小説がいいな。
「小川洋子さんみたいな」と言ってる時点で終わっているわけですが。

関係ないけど、先日のお出かけ先の画像も貼っておこう。
楽しかったから。
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by kuni19530806 | 2015-02-10 21:06 | 読書 | Trackback | Comments(0)

2月を迎えて   

朝から辛いニュースが駆け巡っていますが

悲しみや悼みや憤り、恐怖をどんなに感じても
集団ヒステリーになるなよ、みんな
それじゃISISの思うツボだし、これからも同じ土俵に上がり続けることになる
報道はそこを言うべきなんじゃないか

などと思っています。



そして、モデルの雅子さんの訃報にとても驚きました。
1980年代、アンアンが好きだったので、デビュー当時からその存在を認識していました。

浮世離れしているけれど、甲田益也子さんほどではなく
田中久美子さんほど威圧感はなく
当初、よく一緒に特集されていたとよた真帆さんのように
早い段階でタレントにシフトチェンジせず。

その後、たおやかにますます静的なイメージになり
唯一無二の独特の雰囲気の存在感で
ほぼ30年、一貫して気になるモデルさんであり続けていました。

最近は「大人のおしゃれ手帖」とか「ナチュリラ」とかに
よく登場していて、年齢を重ねても雰囲気は不動だなあと思ってました。


毎年毎年、明けるたびに、「今年はよい年になりますように」と心から願うのになあ。
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by kuni19530806 | 2015-02-01 12:02 | その他 | Trackback | Comments(0)