<   2015年 01月 ( 9 )   > この月の画像一覧   

元・門外不出   

図書館の分類の3桁の数字をゴロ合わせにする性癖については、他の場所でもカミングアウトしていますが、最近、訳あってその門外不出のゴロ合わせを思い出す作業をしました。
全部は思い出せませんでしたけど。

公立図書館で働いていた頃に考えた(このうち1個は友人の作品)ものばかりですが、どこにも保存しておかなかったので、ここに貼っておこうっと。

159      異国(159)の言葉か「人生訓」
361      寒い(361)学問「社会学」
489      弱く(489)ないでしょ「哺乳類」
498      よくは(498)ならない「予防医学」
592      ごくつ(592)ぶしの「日曜大工」
640      悩み無用(640)の「畜産業」
712      無いに(712)に等しい「彫刻史」
774      名無し(774)じゃなれない「歌舞伎」界
783      悩み(783)無用の「野球」少年
795 796  泣く子(795)を殴ろ(796)う「囲碁将棋」





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by kuni19530806 | 2015-01-30 16:06 | その他

去年の冬、きみと別れ   

中村文則『『去年の冬、きみと別れ』を読む。

図書館から「予約の本がご用意できました」と連絡が来たが、このタイトルに全く心当たりがなく、でも自分が予約したことは間違いなく、どういう経緯で「読みたい」と思ったのか思い出せないまま読んだ。

中村文則さんは名前だけは知っていたが初めて読んだ。
そして、正直、自分はもうこの人の小説は読まないだろうと思った。

そう思ったこと自体も忘れそうなので、その備忘録のためにここに読んだことを記しておこう、というのもどうかと思うけれど、それが正直なところだ。

狂気って、復讐って、こんなにわかりやすく表現できるものではない気がする。
わかりやすさが作者の力量なのか、とも思いかけたけれど、途中までの意味ありげなシーンやセリフが、終盤、語り手の「語り」によってのみ解き明かされる構成は、腑に落ちつつ納得できないというか、むしろ途中までの不穏さを台無しにするというか。

あ、これ以上、やめとこう。
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by kuni19530806 | 2015-01-28 17:05 | 読書

20年目に思うことに思ったこと   

友達のブログを読んだら、それで感じたことを書きたくなった。
本当は、コメントをつければいいのかもしれないけれど、きっと長くなるし、個人的なことまみれだからここに書こうと思う。

友達のブログはこちら ⇒ 



知り合ったとき、もうさらださんはお父さんを亡くしていた。
なので、そのときの彼女を私は知らない。

お父さんについては、元気な頃のことも闘病中のことも含め、多くを聞いたことはなかったし、なんとなく、私たちが知り合うずっと前に亡くなったのかと思っていたが、そうでもなかったことを今日のブログで知って、ちょっと驚いた。
どうして驚くのか自分でもよくわからないのだけれど。


自分が先に死なない限り、親や配偶者や兄弟や子ども、そして友達、を亡くすことは避けられないのだ。

あたりまえの言わずもがななことを言っていると重々承知してわけだが、あらためてそんなことを思う。

兄の命日が来て、さらださんの文章を読んで、肉親の死が近い気分になっているからそう思うのかもしれないけれど(間違いなくそうだ)、27年前に自分の子ども、15年前に母親、9年前に兄、そして一昨年前に父親、を亡くした自分は、今までの自分の人生の半分の年数は近しい人間の死を感じて生きていることになる。
ずっと後悔しながら。
そして、その後悔は、些細なことほど残り、ふとした拍子にやたら鮮明に蘇る。

治療法をもっと検討すべきだったとか、転院すればよかったとかの、命とダイレクトに繋がる後悔もたくさんあるのだけれど、何年も時が過ぎた今は、そういうことより、あの日のお見舞いにイチゴを買っていけば良かったとか、あのとき、あともう少し病室に入ればよかった、話を聞けばよかった、愛想笑いでもしてあげればよかった、というような、日常の瞬間の後悔を感じることが多い。

そして、感じたからといって慟哭するわけでも、畳をかきむしるでもなく、鋭角的ではない哀しみが押し寄せてくるのを感じ、しばらくすると引いていったなあと思う。

長くとどまることはない。
でも、後悔の残滓みたいなものが自分に降り積もり続けている感覚がある。

今回、勝手に「さらださんもそうなのかもしれない」と思った。
それが、なんだか切なくてやるせなくて、ちょっとだけ心強いと思った。

サンキュー!・・というのもおかしいかもしれないけれど、サンキューです。
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by kuni19530806 | 2015-01-27 20:57 | 友達

ラカグ&昔勤めていた会社   

神楽坂に行く。
21才~27才まで働いていた某公益法人(現在は一般社団法人)の会社がそこにあって、今もそこで働いているかつての職場の先輩で、長年親しくしているKさんに面会に。
私の古い友達には「なっちゃんのお母さん」と言った方がとおりがいいかも。

なっちゃんが生まれたときのことを書いて、私はCREAという雑誌のコラムの賞に応募してグランプリをもらったのだ。
そのなっちゃんが今年は大学受験だってよ。
CREAは遠くなりにけり、です(まだあるけど、心情的に)。

Kさんはいつもすっごく大変な人生で、今もそうだ。
私は手をこまねいているばかりで、早、付き合い出して30余年になる。

たった1時間の面会だったけれど、行ってよかった。
そのうちの20分ぐらいはネコの自慢をしていた気がする。

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ラカグ正面。ウッディー!


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ラカグ側面。別モノみたいだ。


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ラカグ背面。もっと別モノ感。


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かつての会社はそのままでした。
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by kuni19530806 | 2015-01-26 17:42 | お出かけ

いまさらなお礼   

2000年、母親が死んだときはたくさんの友達にお世話になった。

その中のひとりである友人から先日、「お母さんが亡くなって14年だなんて本当に早いものだね」とメールが来た。

私は昨年、季刊レポという雑誌のライター募集に応募したのだけれど、書いたのは母親のことだった。
その友人は、最近それを読んでくれて、「面白いお母さんだったんだろうなあ。一度お会いしたかったなあ」という感想をくれた。

私は母親と上手くいっている娘ではなかったが、確かに母親はある意味、面白い人間だった。
でも、そう思えるようになったのは、残念ながら母親が死んでからだ。
そしてそれはキツい。
一貫して「被害者意識丸出しの、気分屋で子どもっぽい、面白みのかけらもない母親」と思っていられた方がずっとラクだ。
きっと、母親を若干肯定的に思い出せるようになったのは、自分が本格的に中年になったからだろう。

年齢を重ね、一人暮らしで、健康面と経済面に不安があれば、そりゃあかなりの孤独感を覚えるだろう。
そして、子どもに救いを求めたりもするだろう。
でも、子どもは親の孤独感、寂しさ、つまりは弱さ、に理解が足りない。
少なくても私はあまり理解しようとしなかった。
「自分はなんて不幸なんだろう」という被害者意識に凝り固まった母親をうっとうしいとさえ思っていた。
そういうアピールを感じれば感じるほど、どんどん冷淡になった気がする。

寂しかったんだろうな、母親は。
そして、私が思うよりずっと体調が不安定だったのだ。
母親は若い頃からしょっちゅう具合が悪いと言っていて、そのわりに早食いで運動が嫌いで栄養のことも気にしない、病院にもきちんと行かないようなタイプだったので、私は電話で愚痴をこぼされるたびに「具合が悪いならちゃんと病院で検査を受ければいいじゃない」と言うだけだった。
本気で心配しなかった。
母親から電話がくるたびに、自分が暗い気持ちになるのがイヤだったのだ。

ここ数年、母親のことであらためて後悔と自責の念にかられることがまた増え、だからといってどうしようもなく、そのたびに軽く落ち込んだりしているのだけれど、上述の友人の「一度会いたかったなあ」にちょっと気持ちを持って行かれた。

会ったってどうってことない、むしろがっかりさせたり不快な印象を与えたかもしれない、と思いつつ、その言葉がとてもうれしかった。


そうこうしているうちに、もうすぐ長兄の命日だ。
あれから9年かあ。
はっやいなあ。
生前はすごく年上だと思っていたのに、年齢を追い越しちゃったぜ。

兄は2006年までの世の中しか生きていないから、東日本大震災を経験せずに逝ったのだなあ。
小学生の時期のほとんどを福島県浜通りで過ごした兄が生きていたら、私とは違う心痛だったのだろう。
原町市(現・南相馬市)の友達や恩師とは大人になっても連絡を取り合っていたみたいだった。
そして、兄は福島市で働いているとき、コーヒーを飲みにわざわざ飯舘村に行っていたらしいのだった。

兄が亡くなったときも、私は本当にいろいろな人にお世話になったのだった。
上述の友人にも。

いまさらですが、みなさん、あのときは本当にありがとうございました。
私はなんとか元気です。
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by kuni19530806 | 2015-01-20 22:08 | その他

文章4種4様   

私は文章を書くのが好きらしい。

「好きらしい」なんてイヤらしい言い方だが、誰に頼まれるでもなく、昔から「書く」のだけは自発的にやってきたので、好きなのだろう。
好きじゃないかも、と思うこともたまにあるが、それは書きたくないことだったり、体調が悪かったり、強制されたり、のときだけだ。
考えてみると、仕事にしていないからそんなことは滅多にないな。

紙媒体で仕事として書かせてもらった時期もあるが、それはほんの一時期で、図書館だよりを作っていたことを除けば、この十年強はほぼインターネット上で書いてきた。

現在は
ウェブのほぼ女性誌 どうする?over40
チチカカ湖でひと泳ぎ

③エンジェルフォールで修行中
twitter


で、まちまちの頻度、それぞれの長さ、形式、で文章を書いている。

閲覧者の数(④は単純にフォロアー数)で並べると
①>④>②>③ だと思う。

はダントツの閲覧数。
私は末端構成員だが、もう丸2年、楽しく書かせてもらっている。

他のメンバーは、書くこと、描くこと、家のこと、育児、勉強、もちろん仕事全般の、私からみればそれぞれプロだと思う人達で、読んでくれている人も含めて、生活すること、考えること、トシを重ねること、楽しむこと、に真剣でマジメで、でも堅苦しくない、頭脳明晰な人の構成比率が高いイメージだけれど、誤解をちょっと恐れて言うと、それって全方位的に素晴らしいことだとは思わない。

もちろん、大いに触発されるし、コメント欄も面白いし、ここの雰囲気が好きだから、参加している人たちに好感を持っているから、こそ自分も参加し続けているわけだが、だからといって、①を読まないような、その存在を知ったとしても食指が動かないような、いいね!とは無縁だったり、コメント欄に参戦しようとはついぞ思わないような、人々が、①を読んでくれている人より劣る、わかってないな、とは全く思わない。
あたりまえっちゃああたりまえだが、そういう人がいていいし、いるべきだし、それは、自分の近距離の人たちに対しても同じように思う。

・・あれ、この書き方、間違ってるような、すごく言葉が足りてない気がする。
まあ、あとで考え直したら修正しようっと。

でも、どんなことでも、続ければそれなりに迷いが生じたり立ち止まったりするものだ。
私はそうだ。
①に関しても、「ゾロメ女」はもう50回以上書いていることもあって、このまま続けるかどうか、ちょっと考えたりしている。

ネタ切れ、という意識はあまりないのだ。
それが面白いか否かは別として、書くことはいくらでもある。
ただ、まずテーマありきで書くことに、たまに疑問は感じたりしている。

つい、そのテーマにとって収まりのいい場所に持って行くために、着地点ばかり年頭に置いて書いてる、ことがあって(それが成功しているしていないは別問題)、それはなんだかしっくりこなくて、途中でやめたりもよくしている。
時間を置くと、また違った視点が見えてきて復活することもあるけれど。

で、今年も続けるのであれば、自分の心に本当にヒットした本についてだけ書くことにしようと思ったりしている。

続けていると、どこかで「こんなもんでよかろう」という、こんなもんでよかんべイズムが生まれ、じわじわと肥大する気がする。
本人には気づきづらかったもして。

そのせいか、それが鼻につくのか、なんだか最近、人の書評というか本の感想があまり面白くないのだよ。
プロアマ問わず。
特に、自分は読書に関して一家言ある、と自負している人のそれがつまらないと思うことが多い。
グッとこないのだ。

もちろん、グッとくるこないは主観的で、私の「グッとくる」が私以外にはつまらない感想でしかないことも充分に有り得るが、そんなことを危惧し出したらなにも書けないので、今年は自分の「グッとくる」嗅覚を頼りにやってみようかと思う。
しくじって、即刻や~めた!になるのかもしれないが。(なんだ、この最高にかっこわるいエクスキューズは!?)

本を読むことに意味があるとしたら、想像力というか選択肢を増やすことなんじゃないかと思う。
なんの選択肢かは上手く言えないが、それが増えると生きやすくなるわけでは決してない。
私は、小説を読めば読むほど、いろんなことがわからなくなる。
答えはひとつじゃない、どころか、答えなんて存在しないよな、と思う。

でも、そう思うことが自分には必要なのだ。
ひとつの事実には百の背景があるかもしれない、あるのだろうとできれば思いたい。
同時に、ひとつの背景で百の事実が生まれることもある、とも。
難しいけれど。
そして、自分の周りもそう思う人が多いといいなあと思う。


に関してはもう、自動運転感覚。
蓋を開けないとどう展開するか、私もまゆぽさんも全くわからない。
常識とか良識をタテにしないことぐらいかな、気をつけているのは。
腹に一物がないこと、この上なし。
でも内心、「すっごく面白いぜオレタチ」と気色の悪いことはたまに、よく、思ってる。
そして、ある意味、ここでの自分を信頼してもいるのだ。
これも気色悪い言い草か。


は、きっとこのままだ。
ここは、リアルなお知り合い、リアルではなくても、もう長い付き合いの方にしか告知していない。
うっかり読んでいるいちげんさんもいるのかもしれないが、日々の閲覧者数を見る限り、ほとんどいないと思われる。
閲覧者数は一桁だったりするし、そのことに安心している。
たまに増えると不安になったりして。

いくらほとんど告知していないとはいえ、公開している以上、全てに門戸を開いて発信されているわけなので、「ここでしか書けない」的なことを書く場所にしているのは間違っているとは思うのだが、している。
そして、だから楽しい。
なので、これからも大々的には告知しない。
①で、よくコメント欄に書いてくださる方々に告知しようと思ったこともあったが、しなかった。
これからもたぶんしない。


問題はだ。

私は、twitterの140字という字数上限でつぶやくことが好きだ。
最近では愛猫ミィ嬢の写真upにも積極的だったりする。
フォロアーの人達の、直球や変化球や超スローボールなつぶやきにハッとするのも大好物。
でも、そこ止まりなんだよなあ、好きなのは。

リアルなお知り合いから返信があったり、思いがけない人からリツイートされて、途絶えていた音信が復旧するのは楽しいのだが、①経由以外の、twitter上でしか知らない人にはまー興味がないのだ、私。

最近、しばらく音信が途絶えていた友人と久々に会ったり、ネット上やメールでのやりとりはしていない友人知人と電話や年賀状などで連絡を取り合ったり、テニスで久々に会った人々と旧交を温め合う会話をして思った。
彼女ら彼らより、twitterのフォロアーの方が自分の近況を知っているのって自分はしっくりしないな、と。

もちろん、twitterで晒している(曝している?)自分の情報なんてたかが知れているし、そもそも情報の種類も質も違うのだけれど、やはり自分は、twitterに関しては、宙に言葉を放つ感覚がイチバンしっくりする。

誰かが反応してくれるのはうれしいけれど、たまにでいいなあ。

twitter、やめればいいのかな。
でも好きなんだよね。
そんな矛盾を自覚しているから、「④は問題だ。」と思うわけなのだ。

ネット上だけの、本名は知らない知り合いは要らない、と思ってるってことか。
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by kuni19530806 | 2015-01-17 13:24 | インターネット

ことり  その女アレックス   

最近、読んだ本。

小川洋子著『ことり』。

感想を、15日更新の『帰って来たゾロメ女の逆襲』に書きました。
今週の木曜日です。
よかったらご一読下さいまし。
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ピエール・ルメトール著『その女アレックス』を読む。

感想はtwitterの転載。
スミマセン。

去年の海外ミステリベストを総ナメにした文庫を買った。確かに凄い小説で一気読みしたけど「超面白かった!」とか「大満足」とか、興奮した陽の感想は全く出てこないな私は。暴かれる悪意、残酷さ、悲しみがたまらなくて、元気な感想を嬉々とした文脈で書いている輩は不快なくらい。もちろん極論です。

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by kuni19530806 | 2015-01-12 17:40 | 読書

元気になりました。   

インフルエンザにかかっていました。
A型でした。
ご心配をおかけしましたが、今はもうほぼ元気です。

ただ、今日までは出勤してはいけない日になっていて、本日の初出勤は週明けに順延になりました。
インフル、蔓延しているみたいだし、もちろん伝染したらたいへんってこともあるけれど、出勤してB型をもらってきたりするのは絶対に避けたい。

・・あれ?
AとBは別々にかかったりしないのかな。
わからん。

熱は5日には下がって、今のところ、ノドハナアタマに残滓も少ないのですが、まだ身体がなんとなくふわっとしています。
体力が戻っていない感じです。
でも、6日あたりから、溜まった洗濯物とか、拭いていない廊下とかが気になって気になって、ふだんはそういう部分は全然神経質じゃないのになんだよこれ、と思いつつも、起きたらとにかくやらなくちゃと寝ていたものだから、昨日から妙に家事に勤しんでいます。

もちろん、3日と4日はほぼ絶食だったので、上述のとおり体力がなく、そうそう動きまわってるわけじゃないんですが。

しかし、出鼻を挫かれた年明けでした。
特にこれといってポジティブな展望や豊富で臨んだ2015年ではなかったとはいえ、気がついたら8日とはね。
1日2日は元気に過ごしていたわけですが、今となってはそれは去年の尻尾みたいだ。

インフルと診断されてから本格的に起き出すまでの、辛さのピークを過ぎた時間、布団の中で【インフルエンザあるある】をいっぱい考えて、元気になったらツイートしてやる!と思っていたのですが、今思い出すと全然面白くない!ふんっ!
それ全部より、年明けのお笑い番組に出ていたヒロシのネタ「麦茶を飲んでいたら『偉そうに!』と言われたとです」ひとつの方が百倍面白いと、比較してどうすんだよ、ということを比較する8日の昼下がりです。

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目つき悪し。

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目つき良し。
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by kuni19530806 | 2015-01-08 14:17 | その他

とりとめもない年のはじめ   

明けましておめでとうございます。

暮れから義父母がそろって風邪をひいています。
二人共、久しぶりの罹患です。
熱はほとんどないのでインフルエンザではないと思います。

義母はめったに風邪をひかない人で、もう10年以上、風邪らしい風邪とは無縁でした。
入退院を繰り返した昨年も、病院のナースや理学療法士、作業療法士の人たちに「体力がありますよね」と言われていました。
義父も、70代あたりはしょっちゅう風邪をひいていた印象ですが、犬を飼うようになってパタッとひかなくなりました。
1日3回のマロとの散歩が本当に健康のためによかったようです。
マロよ、ありがとう。
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そんなふたりも、もう91才と86才。
バリバリ高齢者であることは間違いありません。
風邪がきっかけで肺炎にでもなっては困るし、特に義母は、ちょっと寝込むだけでますます歩行状態が悪くなるのが予想されるので、早く治ってもらわねば。

そんなわけで、今日は出かける用事があったのですが取りやめ、昨日の紅白と、お笑い関係の録画を見ました。

紅白は、アナ雪関係と薬師丸ひろ子と中森明菜と石川さゆりと中島みゆきと松田聖子を見た。
女性ばっかりですね。

May J.ってよく知らないし、気持ちより技術で歌ってる感じに好感が持てないんだけど、紅白の扱いはかわいそうだった。
あれじゃ、前座というかバッタもんというか立つ瀬ないじゃん。
イディナ・メンゼルはやっぱりスゴくて、どうしても霞んでしまう。
気の毒。

薬師丸ひろ子の「Woman"Wの悲劇"より」好きです。
ユーミンの最高傑作ぐらいに思っています。

しかし、松田聖子を筆頭に、みんなアガってたなあ。
緊張すると、ノドが開かないということがすごくわかった。
石川さゆりも声があまり前に出ていなかった気がしたのは、緊張や体調の関係ではなく、音響のせいだったのか。
凄味は健在でしたが。

松田聖子は、キャリアはすごいし、若いときはすっごく歌が上手かったと思うけれど、もしかしたらそれに甘んじて練習を怠ったのかなあ。
ヘンにタメに走って、聞きづらい歌声になってしまって残念だ。

夫を見ていても、夫の音楽関係の知り合いの話を聞いていても、どんなに上級者でも、いや上級者だからこそ、日々、練習してるものなあ。
技術は意外とカンタンに錆びつくらしい。
これといった技術は持ち合わせていないが、この前久々に、本にブッカーをかけたら、ちょっと下手になっててショックだった。

そんなわけで、今年もよろしくお願いいたします。
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by kuni19530806 | 2015-01-01 23:55 | その他