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卒業写真のあの人は   

高校時代を過ごした場所に行ったので、久しぶりに高校の卒業アルバムを引っ張り出して見た。
十数年・・いや、下手すりゃ数十年ぶりに開いた。

なんか、ゲラゲラ笑ってしまった。
前回(30代ぐらい?)に見たときは、笑ったりはしなかった。
確かそのときは、誰かの消息を聞いて、「その人、どんな顔をしてたっけ?」と確認するために開いたと思うのだけれど、そこに写るかつての同級生にも、その近くに写っている自分にも、特に感慨も可笑しみも覚えず、平坦な顔と気持ちでアルバムを閉じたのだったと思う。

でも今回は笑った。
年月の隔たりが、なにかのラインを超えたのかもしれない。
もう笑うしかないラインを踏み越えたのだきっと。

18才との年齢差があり過ぎて、でもそこに写る自分や、先日会った友達は、老けたけれど基本路線は全く変わっていないことが、やけにおかしいというか、愛おしいというか、少し情けないというか、要するに笑ってしまうのだ。

今回、宿を予約してくれた同級生男子(!)は、当時は「小さな恋の物語」のサリーに激似で、今アルバムを見ても似ている。
今回は会えなかったけれど、十年前ぐらいに会ったときはすっかりオジサンで、全くサリーには似てなかった。
電話で「元気?」と言ったら、「うん。でも髪はなくなった」だって。
飄々としたその言い方は相変わらずだった。


体育祭のリレーの写真が載っている真理ちゃんは「正しい走り方の見本」みたいで、当時から今に至るマジメな人柄がにじみ出ていて可笑しいし、喜多方から会津若松まで車で「輸送」してくれて鶴ヶ城に連れて行ってくれた友達のアルバムの集合写真の表情は、今回、お城を背景に撮った写真と全く同じだ。

もう、笑うしかないでしょう。

きっと、私も似たようなものなのだと思う。

すっかりオバサンで、かつて似ていたかもしれない何かにはもう全然似てなくて、無防備なスナップに人間性がにじみ出て、写真では驚くほど十代と同じ表情をしてたりするのだろう。

月並みな言い方だけれど、あのときがあるから現在(いま)の自分がいるのだ。

いろ~んなことがあって、貴重だったり、しなくてもよかったりする経験もいっぱいして、自分が損なわれるような恐怖を覚える瞬間も知り、至福の気持ちで世界に感謝したいと思うことだってあり(たぶん)、歯を食いしばったり、脳内をフル稼働したり、弛緩したり・・それこそ、十代の自分には想像もできない人生を歩んでいるはずが、同じ表情でカメラを見たりしているのか。

なんだ、そんなもんか人生って。
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by kuni19530806 | 2014-11-29 10:33 | その他 | Trackback | Comments(0)

顔面遊園地 ナンシー関 消しゴムの鬼   

11月22日、渋谷PARCOで開催していた『顔面遊園地 ナンシー関 消しゴムの鬼』に行く。

PARCOの告知を貼ろうとしたけれど、25日までだったから貼れなかった。


そうか、ナンシー関が亡くなったのは2002年だったのか。
2003年だと思っていた。
っていうことは、13回忌に合わせての開催だったのか。
ってことは、2008年に同じ場所で開催された大ハンコ展は、7回忌だったってことなんだな。
当時は認識していたのかもしれないけれど、今、腑に落ちた。

2008年の展示の方が面白かった。
それは自分の気持ちのありように由来するのかもしれないけれど、ナンシーの仕事部屋が再現されていたり、ゆかりある人々のいろんなコメントが流れていたり、随所に遊び心・・裏を返せば、ナンシーの不在がまだ生々しかった。
5年以上経っても、自分を含めてそうなんだあと、ある意味、衝撃だった記憶あり。

今回、やはり「この世界はナンシーを喪ってしまったのだ」感はひしひしと覚えたけれど、月日の分、諦観は強くなった。
その諦観と、それをヨシとするのはまた別で、6年前より「それじゃマズイだろう」は上回っている気もしたのだけれど、ナンシーの死を受け入れてしまっている世間、関係者、自分がいた。


twitterでもちょっとつぶやいたけれど、ナンシーの死後、ナンシーと交流のあった人々の仕事が気になる。
今回の展示の主催者の町山広美右衛門とか。

ナンシーの対談相手の中でも、私は町山さんがいちばん好きだった。
『隣家全焼』や『堤防決壊』。
リリーや大月教授との化学反応も好きだったけれど、女同士特有のシニカルさは、ナンシーものにはちょっと貴重で、暴走っぷりもなんだか歯止めが効かないデンジャラスな感じがあって、読んでいてワクワクした。

正確な文脈では覚えていないけれど、町山さんが他の媒体での自分の文章や発言を恥じたり、「ナンシーに怒られるのは覚悟」と開き直ったりしていることがけっこうあった気がする。
そういうことにもシンパシーを覚えた。

今、町山広美のナレーションをたま~に聞くことがあって、そのたび「これ、ナンシーが生きててもやってたのか」と思う。

要するに、私がそのナレーションに違和感を持ってるということなのだけれど、ナンシーでもないくせに、ナンシーの威を借りて批判ポジションに立ちそうになるわけだ。
われながらかっこ悪いので、ギリギリで気づいてやめるけれど、ここで書いちゃったら、やめてないのと同じだ。
バカ。

バカついでに書くと、糸井重里と妙に昵懇な最近の清水ミッチャンにも、ナンシーの威を発動しそうになる今日この頃。

実は、ナンシーが生きていたらいちばん読みたいのは、最近(特に震災以降)の糸井重里評なのだ。

私には、どこかうさんくさくて、でもなんだかんだと気になるほぼ日の世界観(!)を、あのコラムを、ナンシーに看破して欲しい気持ちがある。

でも、この感情のめんどくさいところは、同時に、ほぼ日に安心させられている自分のいるところで、そのあたりも含めて「ナンシーがいればなあ」と思う。
あらためて思っちゃう。


ナンシーを見てランチを食べた後は、誘ってくれた友達ご推薦の喫茶店に行く。
マメヒコというお店だった。
こだわりのお店っぽかった。

オーダーしてからかなり待たされたが、「このお店の雰囲気は待つことも楽しいでしょ」的お店の自負を感じた。
実際にそうだったけど。

一緒に行った友達は、話が面白くて、洞察力があって、そういう人との会話は「ふだん使っていない自分の脳を動かしている」自覚があって楽しい。
だから、待たされてもいいわけだけどね。

カンボジアプリンが美味しかった。すごいボリュームだった。
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友達が食べた焼きリンゴも相当なシロモノだった模様。
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by kuni19530806 | 2014-11-26 10:08 | お出かけ | Trackback | Comments(0)

喜多方記録⑤   

お昼前の磐越西線の上り会津若松行きが来なかった。

五十島(いがしま)駅付近で落石のため、というアナウンス。
落石!?

五十島は、喜多方と新潟(磐越西線終点)のちょうど中間ぐらいの場所で、新潟県東蒲原郡阿賀町の駅だ。
行ったことはないが知っている。
なぜ、知っているかというと、「いがしまのおばさん」なる伝説の人物がいたから。

このおばさんが、どういう血筋に当たるのかは全くわからないのだが、とにかく母方の祖父の親戚で、嫁に行った先がお金持ちで、でもものすごく吝嗇だとかなんとか、私の子どもの頃、ほぼ伝説になっていた。

五十島で水害があり、家が流されかけたときは、手伝いに来てくれた善意の人を「お金を盗られるから」と追い返しただの、お札を庭に並べて干しただの、真偽が定かではない話を漏れ聞いた。

なにしろ、伝説だから。

とにかく、ひどく山奥らしい、五十島。
そういう意味では、落石もさもありなん。

駅員さんに聞くと、実際に落石があったわけではなく、落石の警報が鳴ったということらしい。
でも、詳細はわからないようで、もしかしたら実際に落石があった可能性も否めない。
復旧の見通しを聞いても「わかりません」で、友人の「こういうことはよくあるのですか」という質問には「めったにありません。1年に1回ぐらいです」とのこと。

けっこうあるじゃん!!

とりあえず、会津若松で会う予定の、磐梯町在住の友達に電話を入れる。
たぶん、もう磐梯町の家を出、若松に向かっているはずだから、状況を説明せねばならん。
そもそも、電車が止まってるって、帰れるのか、私たち、みたいな。

友達の判断は早かった。
「止まってる?じゃあ、喜多方に迎えに行くから、そこで待ってて。ひとつ用事を済ませて行くから、40分ぐらいかな」

ありがたく好意に甘えることにし、帰りの乗車券を喜多方~東京⇒会津若松~東京に変更した。

そして、友達の車で会津若松に行き、5人で鶴ヶ城でお昼を食べた。
お城は紅葉がすごくキレイだった。
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バタバタと観光し、3時過ぎの郡山行きに乗って、新幹線に乗り継ぎ返って来た。

落石の影響で会津若松~郡山の電車の遅れも懸念されたが、定刻どおりに到着し、よかった。

これで記録は終わり。


いろんな思いが交錯した2日だった。

自分がかつて3年間暮らした家のこと以外にも、50代なかばの現在と10代なかばが時に共存し、その間の数え切れないほどの帰省、母親の、交通事故、側溝への転落による骨折、そして死に至る病、のときのことなども思い起こされた。

そして、喜多方の閑散とした街並みに、まるで現在すら過去のような寂寥感を覚えた。
市内全体が過去を生きているような。
もちろん、そんなことはないし、それは失礼な話なのだけれど。

でも、最後に立ち寄った会津若松がやけにわかりやすい、リアルタイムな観光地に映ったので、なおさら喜多方の寂しさが際立った。

それはそれとして
とても楽しかった。
大げさだけれど、奇跡のような時間だった気がする。
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by kuni19530806 | 2014-11-23 20:23 | お出かけ | Trackback | Comments(0)

喜多方記録④   

あまり眠れなかった。
でもそれは想定内。
枕が変わった初日は眠れないのだ、私。
暖房の音も意外とうるさかったし、寝たり起きたりしていたら朝になった。

部屋の窓を開けて飛び込んできた風景。
会津の初冬の朝という感じ。
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早めに目が冴えてしまったので朝風呂に行く。
これぞ温泉の醍醐味。

予想より美味しかった朝食。
黒豆の納豆と、やまめの甘露煮、そして大根と油揚げとウチマメのお味噌汁が美味しかった。
ウチマメ、福島に住んでいる頃はよく食べたけれど、すっかりその存在を忘れていた。
また食べたい。
見かけたら買おうっと。
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食後は、非体調不良の1名を残して近場を散策。

旅館の前の小山(だと思う)をちょっと登ったが、足元が滑りそうな帰りが怖くて早々に引き返す。
4年前の左足骨折以来、足元が滑ることに、異常に恐怖心を覚える私。
あの、骨が折れていつまでもくっつかないトラウマはデカい。
引き返した地点の風景。
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旅館の前まで下り、今度は道なりにちょっと上に歩いてみる。
温泉神社の大杉があるというので、行ってみる。
けっこう階段が多い。

見事な大杉だった。
樹齢千年を超えているらしい。
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短い時間だったが森林浴をして気持ちよかった。
そして、10時の送迎バスで喜多方駅へ戻り、駅前の超有名喫茶店「煉瓦」でコーヒー。
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昼ちょっと前の磐越西線で会津若松に行って、そこで別の高校時代の友人とお昼を食べ、ゆっくりし、3時過ぎの会津若松発の列車で郡山に出て、そこから一気に新幹線で戻る・・はずが、そうは問屋が下ろさないのであった。
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by kuni19530806 | 2014-11-21 15:08 | お出かけ | Trackback | Comments(0)

喜多方記録③   

夕食は友達まりちゃんのお店、うららで食べた。

数日前の日記にも書いたが、今回の宿や食事などは、事前にまりちゃんにアドバイスをしてもらった。

彼女のアドバイスで朝食のみで宿を決め、夕食は喜多方市内でとることにし、ではどこに?とまりちゃんに相談したところ、あそこはこんな感じ、あっちはこういう風、と説明され、ふんふんと聞いていて、「じゃあ、どこがおすすめ?」と問うたところ、まりちゃんがしばし黙考の後、ぼそっと「うぢの方がうめがもしんになあ」とつぶやいた。

まりちゃんのお店は甘味処と銘打っているが、実はメニューが幅広い。
おにぎりも鍋焼きうどんもピザもある。
そして、アルコール類は持ち込みしてもらって、宴会も承っている。
その料理も美味しいと聞いたことはある。

今回、私を含めて4名のうち半分は肉が苦手だし(はい、その半分は私です)お酒は特に所望しないと思うし、美味しくてのんびりできて、事前に参加表明をしている伯父伯母従兄の家から徒歩数分と近いうららは、まさに渡りに舟、なのだけれど、いくら友達とはいえ、甘えていいのかなあという思いはあった。

しかもまりちゃん、食事をしたら熱塩温泉の宿まで車で送ってくれると言う。
熱塩、喜多方市内から、車で15分強、タクシーなら5千円ぐらいかかるのだ。

そんなに甘えていいのかなあと、まりちゃんとの電話口で私が躊躇すると、彼女は「いいんだよ~。私もいろんな人にお世話になって今日まで来ただから~。私も楽しいよ。みんな楽しい方がいいべ」。

そんなわけで、甘えることにした。
千円で美味しいお弁当を作る!と宣言してくれたまりちゃん。

私は写真が下手なので、美味しさが伝わらない気がするが、本当にすごく美味しかった。
郷土料理こづゆも作ってくれたし、ご飯にはお赤飯も乗っていた。
絶品はずんだ餅。
枝豆が粗くつぶしてあるところがすこぶる美味しい。
これぞ、心づくしだ。

ちなみに、お米もかつての同級生で農家をやっているAちゃん(女子)の手によるものだっだ。
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そして、うららの真骨頂、デザート。(自分が頼んでいないモノも含む)
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いやあ、美味しかった、なにもかも。

看板メニューのかき氷は、伯父伯母従兄が頼んだ。
ちょっと味見をさせてもらったが、きめ細やかな氷で噂に違わぬ美味しさ。

まりちゃん、もう20年以上もこのレベルを保持してがんばっているのだなあと思ったら、ちょっと泣きそうになった。

まりちゃん、いろいろあったしなあ。
私もいろいろあったけれど、ほぼ親兄弟のことだった。
まりちゃんにはずいぶん弱音を吐いた。
そんなあれこれが、一瞬だけれど文字どおり走馬灯のように駆け巡り、消えた。


シアワセな夕食を済ませ、8時頃に熱塩温泉、山形屋へ。

夕食をつけない分、部屋のグレードを上げた。
私の中に「3人にいい旅館だったと思ってもらいたい」というスケベ心が発動したのかもしれない。
広くてキレイな部屋だった。

同行者3名のうち、1名が風邪で、ちょっと調子が悪そうだった。
うららの夕食は完食していたが、1日の疲れが出たらしいのと、熱塩までの車に酔ってしまった模様。
もしかしたら、朝からこちらが思うより調子が悪かったのかも。

一緒に新しい図書館を作る仕事をしていたときも、いちばんの繁忙期にいちばん無理をして体調を崩していた1名。
そのことをちょっと思い出す。

とりあえず一眠りするというので、3人で温泉へ。

チャコール・バーデンという炭床低温サウナなるものがあるというので行ってみる。

まったりして気持ちよかった。
ちょっとだけ汗ばむ程度で、特に下半身がホカホカして心地よい。
ちょっと寝てしまった。
偶然だが、このサウナは、やはり高校時代の友人で、現在は郡山市在住のSさんの会社で作ったものだそうだ。
いや、何かと繋がりがあるなあ。

その後、通常の大浴場へ行った。
熱塩温泉のお湯は、その名のとおり、塩分が含まれていてしょっぱい。
身体も浮く。
そして、浸かった部位がツルッとするのを実感できる。
顔もお湯をかけるとツルスベ。


1時間以上経って部屋に戻ると、1名は起きていた、ちょっと復活していた。
そこからトランプの大貧民大会。

言いだしっぺは体調不良の人。
全員がほぼまんべんなく大富豪~大貧民を行き来し、日付が変わったので就寝。
これがヤング(!)なら夜通しやるところかもしれないが、平均年齢は40を超えてるし(私が上げてるわけですが)、やはり風邪の人は心配なので、私が寝よ寝よと言ったのであった。
明日もある、と。
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by kuni19530806 | 2014-11-21 14:38 | お出かけ | Trackback | Comments(0)

喜多方記録②   

電話で教えてもらっていたお墓は、祖父母も眠っている、親戚の家の近くの某寺。

Tおばさんは子どもはいないのだけれど、自分の実家のお墓の近くに自分たちのお墓も買ったとのことで、探してみる。
実家とおぼしきお墓は見つかったが、Tおばさんの名字のお墓がない。

思いのほか広い墓地だったので、早急にギブアップしてお寺の人に聞きに行ったが、墓地の管理はしていないと言われ、東京から来たことを強調し、「今年の6月に亡くなった人の台帳」的なものを見てもらうが、そこにTおばさんの名前はないと言われた。

途方に暮れるオレ。

で、そもそもこのお寺にあるという情報源だった伯母さんに電話。

「ねえの?なんだべ。わがりづれえどころだがら見つかんねんだど思う。自転車ですぐ行ぐから待ってらんしょ」と言われ、実際に10分ぐらいで伯母さん到着。

久しぶりのあいさつもそこそこに、伯母さんがT家のお墓だと思っていたところに向かう。
違う。
確かに名字は一緒だが、墓碑の名前が全然違った。
伯母さん、「オラ、ずっどこれがそうだど思ってだ」。
情報の根拠はその「これがどうだど思ってだ」だったことを知る。

5人であらためてT家のお墓探し。
陽も翳り、どんどん寒くなる。

ない。

T家のお墓がもうひとつあったが、これも墓碑が違ってた。

トータルで1時間はいただろうか。
全てのお墓を見て、そこにないことがわかったので、とりあえずは諦めるしかないなと思い、諦めた。
自分ひとりならまだしも、友達も一緒だし。

伯母さんとは夕食を一緒に食べる予定にしていたので、お墓でいったん別れた。

で、4人で喜多方散策再開。
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上の写真は、祖父母が1960年頃まで、その後は伯父伯母が1990年代後半までやっていた酒屋。
現在は、権利を譲渡したかつての従業員Sさんが屋号はそのままに営業を続けている。



観光客として巡ってみて撮った写真。
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自分が高校時代に3年間住んでいた祖母の家(お店をやっていた)の前までも行き、写真に撮った。
が載せない。

すごく寂れていた。
築50年以上で、老朽化は当然だけれど、老朽化の寂れ具合ではないのだよなあ。
見棄てられた家みたいな。

人が(お墓の情報源の伯母と伯父)が住んでいるし、お店は、自販機置き場とちょっとしたイスとテーブルが置いてある。
店の引き戸も開いていた。
が、ちょっと入る気にならない暗さと荒み具合。

営業してるとしても、あれはダメだろう。

とにかくもう店のシャッターは降ろしてしまえばいいのに。

下宿屋として建て増しした部分も築40年近くになり、外壁にはカビのような汚れがあった。
90近い老夫婦の二人暮らしではしょうがないのだろうなあ。
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by kuni19530806 | 2014-11-20 20:55 | お笑い | Trackback | Comments(0)

喜多方記録①   

喜多方に行ってきた。

日曜日、東京発8時の新幹線に乗り、郡山で磐越西線に乗り換え、会津若松で更に新潟行きに乗り換え、喜多方に到着したのは11時ちょっと過ぎ。
自分が上京した頃の、東北新幹線がまだない、喜多方~上野、急行で直通5時間の時代に比べれば近くなったけれど、それでも中通りに行くことに比べれば、同じ福島なのに格段に遠い。
今、浜通りはもっと不便だったりするわけだけれど。

そうそう。
8年前にはあった、郡山~喜多方の直通快速は消滅していた。
在来線1本で行けるというのと、乗り換えあり、というのでは、イメージが違う。

そんな諸事情のせいか、それとも時代が諸事情を誘発したのか、喜多方は閑散としてた。
駅舎はキレイになったけれど、降り立ったときの寂寥感は以前より増した気がした。
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これが駅前?!みたいな。

お昼は同行者のリクエストで喜多方ラーメン。
ネットのクチコミと地元の親戚の評価が一致した松食堂へ。
それまでの寂寥感がウソのように、その一角だけ、突如人口密度が高くなっていた。
行列!
でもそれは松食堂の列ではなく、隣の超有名店坂内の列。

そんなわけで、松食堂には並ばずに入ることができた。
ラーメンは美味しかった。

ラーメンのあとは、隣の古民家カフェに入る。
予定していたわけではなく、流れで。
これが正解でした。
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椅子席がふさがっていたので、別室である畳の部屋に通された。
最初は寒かったけれど、石油ファンヒーターが点火され、一気に温まり、写真のコーヒーは美味しかった。
友達んちに上がり込んだような気分で、なぜか部屋にいたカマキリを眺めたりしながら、まったりした。

聞けば、昔は料亭だったそう。
自分が住んでいた頃には全く気づかなかった喜多方がそこここにあることを実感。

店を出、高校時代に見慣れた景色や新しい景色を眺め、今回の主目的であるお墓参りへ。

これが予想だにしない展開へ。

次回に続く。
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by kuni19530806 | 2014-11-19 22:11 | お出かけ | Trackback | Comments(0)

予定を書く   

喜多方に行くことにした。

今、行くと書いたけど、感覚的にはいまだ「帰る」だったりもする。
でも8年ぶり。
前回は2006年、母親の七回忌だった。

その七回忌を機に、母親のお骨をこちら(正確には埼玉県坂戸市)に持ってきたので、実質、喜多方に私は用事がなくなった。

友達とか親戚は複数いるわけで、用事がなくなったという言い方はわれながらSo Cool!!だけれど、それでも、定期的に帰省する理由が全くなくなったのは事実だ。

母親が亡くなって以降は、実家と呼べるような気の張らない家もないわけで、そうなると法事でもない限りどうしても足が遠のくのはしょうがないのだ。

ただ、喜多方にはとてもお世話になったおばさんがいる。
Tおばさん。
母親の従姉にあたるTおばさんは、私から見れば遠縁になるのかもしれないけれど、Tおばさんには子どもがいなかったせいもあって、折に触れ、私たち兄弟(3人)の面倒をとてもよく見てくれて、母親の闘病の際も、私はどれだけ世話になったかわからない。

母親が入院するまで一人暮らしをしていた借家はTおばさんの家の近所だった。
母親が自分の実家を出たのは、Tおばさんが旦那さんを亡くし、一人暮らしになった時期とほぼ重なっていた。

母とTおばさんは、どちらも相手を頼りにするようになったのかもしれない。

母が入院し、私がその付き添いで喜多方に帰省したのは2000年の春先だった。
母は3ヶ月後、6月の下旬に亡くなったが、今思っても短い期間ながら、なかなかハードな日々だった。
そんなときも、私が母親の付き添いからくたびれて帰ってくると、Tおばさんは見計らったように暖かいおかずを届けてくれたりした。

夫の母が私の母親のお見舞いに来てくれたときは、夫の母と私のふたりでTおばさんの家に泊まったりもした。

Tおばさんは、いわゆる潔癖症で、他人にそれを強いることはなかったけれど、いつ行っても家の中は異常なくらいピカピカだった。

廊下は黒光りし、全ての食器は棚に整然と並び、サイドボードのこけしも三春駒も赤べこも常に買いたてのように輝いていた。
突然の宿泊でも、寝具類は清潔で、夫の母は小声で私に「旅館かなにかで働いていた人なの?」と言った。
ちなみに、Tおばさんは元ナースだ。


そのTおばさんには会いたい、会わなければ、と思って、8年経ってしまった。

震災直後、喜多方の従兄に連絡をとって福島の親戚全員の無事を確認したとき、Tおばさんの消息も尋ねた。
従兄は「Tさんには会っていないのだ」と言い、早速Tおばさんの実家に連絡をとってくれ、Tおばさんが入院していると知ると、すぐにお見舞いに行ってくれた。

「かなり認知症が進んでいるけれど、Mちゃん(私)のことは覚えていたよ。Kちゃん(2006年に亡くなった兄)が死んでしまったことはすぐに忘れてしまうみたいで、その都度、初めて知ったように泣いてしまうからかわいそうだった」と連絡をくれた。
Tおばさんは、長兄をいちばんかわいがっていたのだ。

そんな経緯があったので心配はしていたが、もしTおばさんに何かあれば従兄経由で連絡が来るはずで、来ないということはTおばさんは元気なのだ、と思っていた。
でも会うなら今年のうちだ、いろんな意味で、と。

そして喜多方に行くことに決めた。
夫の父母のことはいろいろあるけれど、全部夫に任せることにした。
そして従兄にメールをしてTおばさんの様子を聞いたところ、翌日、従兄から返事があった。

Tおばさんは今年の6月に亡くなっていた。

間に合わなかった。

従兄も、震災直後のあのとき以来、Tおばさんとは会っていなくて、訃報も耳に入って来なかったのでてっきり存命だと思っていたと言う。

Tおばさんが亡くなったことは、90才の伯父さん(母の兄。従兄の父)で止まっていたのだ、きっと。

まあ、それは責められない。
私がもっと早く行ければよかったけれど、それもまたしょうがない。

でも、Tおばさんには会いたかったなあ。
ごめんね、おばさん。

そんなわけで、今回の主目的はTおばさんのお見舞い⇒お墓参り に変わった。



今回の喜多方行きは、私ひとりではなく、友達と行くことになった。
総勢4人。
かつての同僚、4年前に一緒にT図書館を立ち上げた華の(!)4人だ。

口にしたりはしていたのだ、4人でどっか行きたいねー、私、喜多方に行きたいんだよね、一緒に行く?みたいな。
まさか実現するとはなあ。

でも、段取りが苦手な私は、このところけっこう右往左往している。
ぐずぐず風邪が抜けきらなかったことも相まって、「こういうの、向かない」とか思ったり。

でも、従兄や友達が、いろいろアドバイスをしてくれるのでありがたい。
ちょっと過剰だったりもするけれど、それこそ福島県民性、みたいな気もする。

○○旅館はやめなさい!寂れ過ぎて、汚くて、泊まると悲しくなる(逆に興味がわくよ)

夕食は、親戚も加わることも可能か(えー!?そ、それはどうなのか)

帰りの電車は△△にしなさい!料金は変わらないのに、イスもいいし快適(そうする!)

その日は、残念ながら用事があってお世話できない!(頼んでないよ)

などなど、笑ってしまう。


1泊2日、それも勝手知ったる元実家(?)だけど、私にとっては久々の泊まり旅だ。
本当に泊まりでは何年も出かけてなかった。
今行かないと、という思いもある。

行く予定の日の向こうの天気予報を見たら、最低気温が0℃とかになってる!
寒い{{ (>_<) }}!
そうであった。
喜多方は寒いのだ。

寒くてもいいから晴れるといいなあ。
喜多方の星空を見たい。
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by kuni19530806 | 2014-11-12 15:07 | お出かけ | Trackback | Comments(2)

風邪2日目   

朝起きたら、平熱に下がっていた。
が、ノドは痛いし、頭痛も残っていたので、大事をとって今日行く予定だった甲斐みのりさんのトークイベントはパスさせてもらう。

でもまあ、洗濯も溜まってるし、冷蔵庫もカラだし、と家事をして買い物に行ったら、やっぱりダルい。
昼食後にまた熱を計ったら、やっぱり上がってた。

ふうー。

そんなわけで、午後からはおとなしくしていた。
明日は仕事だし。

こういうときは、バラエティ番組、しかも短め、を見るに限る。
タモリ倶楽部を見た。
飛び猫の回はもう3回見た。
あと、鉄道の回。
自分は鉄オタじゃないし、その予定もないのだけれど、タモリ倶楽部の鉄道の回は好き。

本当は、最近見始めた「ビッグバンセオリー」の続きを見たいところだけど、TSUTAYAに行きそびれている。

久しぶりの友達からメール。
「風邪をひいている」と返信すると、「私も。9月から治らない」と返って来た。
だ、大丈夫なの!?

猫のお尻のへんが好きだ。
歩く後ろ姿を見ていると幸せな気持ちになります。
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by kuni19530806 | 2014-11-03 17:40 | その他 | Trackback | Comments(0)

まともな家の子供はいない   

昨日の夜、ノドが痛いなあとは思ったけれど、外気が澱んでいる感じだったので、そのせいかと。
もしくは、友達としゃべり過ぎたせいかと。

今朝、ふつうに7時前に起きたが、あまりだるいので二度寝して、9時過ぎに熱を計ったら、微熱があった。
微熱のわりに、徐々に身体の節々が痛くなり、ほぼダウン。

夕方の時点で7度ちょっと。
去年1年と今年の前半はほとんど風邪をひかなかったんだけどなあ。
ここに来て、ちょっと風邪にやられ気味。

でも、寝過ぎて、寝飽きて、腰も痛くなってきたので、津村記久子さんの『まともな家の子供はいない』の続きを読む。

体調のせいもあったのかもしれないが、疲れを感じる内容だった。

津村さんの小説だから面白いのは面白いんだけど、両親が揉めていた自分の中学時代を思い出し、私はセキコや室田さんのようにナイーブじゃなくてよかったのかもしれない、と思った。
自分の中学時代の心理状態を「まだましだった」と思ったのは、もしかしたら初めてかも。

それにしても、日常の、友達や家族とのちょっとしたやりとりの描写とその際の気持ち、こんなんだったら辛すぎるなあ。

この小説はある意味、図書館小説だろう。
有川浩や村上春樹の描く図書館とはまるで違うが、図書館には、こんな風な側面もあるのだ、とちょっとハッとした。

そういえば、明日は元の職場の図書館にトークイベントに行く予定なのだが、熱が下がらなかったらパスだなあ。

冷えピタシートを貼りかえて寝よう。
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by kuni19530806 | 2014-11-02 22:13 | 読書 | Trackback | Comments(0)