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福島へ   

兄と父のお墓参りに福島市へ。

朝、「やっぱり今日行こう」と突然出かけた。
なので、友達にも親戚にも連絡せず、まあ、お墓参りが終わったら、飯坂温泉に住む親戚に連絡だけでもするか、と思っていたら、お墓に偶然、飯坂の叔母さんが来た。
まあ、お彼岸だからさほど偶然でもないのだけれど、叔母さんは「本当は会津まつりに行くつもりだったんだけど、寝坊して置いてかれた」のだそうで、やっぱり偶然だ。

単身、会津に行った伯父さんの目的は、綾瀬はるかを見ること、だそう。
目的は達成されたのだろうか。
大河ドラマが終わっても、綾瀬はるかさんの福島の観光大使の任は解かれていないのだなあ。

お墓参りの後、叔母さんがふつうに「じゃあ、旧堀切邸に行こう」と行って、連れて行かれた。
良かった。
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足湯もあって、これがびっくりするほど熱くてびっくりしたが、徐々に慣れて、気持ちよくなった。
飯坂温泉のお湯ということもあってか、ちょっとパンチの効いた足湯だった。

その後、叔母さんちに寄ったら、もー眠くて眠くて、参った。
足が温まると眠くなるのだなあ。
そして、今回気づいたが、叔母さんちは民芸品の館だった。
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こけしが山ほどある、箱にしまってあるのがいくつもある、とのことだったので、「こけし、好きな人がけっこういますよ」と言ったら、「えっ!?売れる?高く売れる?いくらぐらいで?」とおもいっきり食いついてきておかしかった。
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by kuni19530806 | 2014-09-23 20:48 | お出かけ | Trackback | Comments(3)

土俵際のうっちゃりでも窮鼠猫を噛むでもなく   

このところ、義父がよく不調を訴える。
91才。
大正12年、あの関東大震災の年に生まれたいぶし銀である。
もちろん、over100で「どこも悪いところがない」という人もいるだろう。
現に、知り合いのお祖母さん101才はすこぶる元気だそうだ。
でも、1923年式というのはやはりかなりのオールド仕様。
そりゃあ、不具合も出るだろう。

義父は長らく高血圧で、降圧剤系の薬はもう20年以上服用している。
若いときに結核をやったので、肺に影があり、30年以上前に肺癌を疑われ、検査入院して無罪放免になったものの、70代なかばでまた引っかかり、都心の総合病院に3ヶ月おきに経過観察で10年間通い、「体力テストの数値は60代。疑わしきは切っちゃいましょう」と勧められたにもかかわらず、「手術は気が進まない」と拒み続け、結局「10年間全く影は大きくならなかった」と、80代なかばで放免になった。
ちなみに、60代前半まではがっつり喫煙者。

そんな義父の70代後半以降の健康の秘訣は、なんといっても愛犬マロだった。
今、計算したところ、マロが家に来たとき義父は75才だった。
それから14年間、ほぼ欠かさず、マロと歩き続けた。
多いときは日に3回も4回も。
間に盲腸⇒腹膜炎を併発、して1ヶ月の入院生活はあったものの、退院2週間後には、何事もなかったかのように歩いていたっけ。
入院中は弱気になり(寡黙であまり愚痴もこぼさないが、意外と痛みには弱い)「退院してももうマロとの散歩はムリだな」と言っていたくせに。

マロが死んでしまったとき、悲しさの次に家族によぎった感情は「お父さんは大丈夫だろうか」だった。
義父にとってマロとの散歩は、日課というより、人生の糧のようになっていたから。

でも大正の男は強く、義父はマロがいなくても歩く習慣を続けた。
マロとの散歩コースを歩くと、すれ違う人々にどうしてもマロのことを聞かれる。
だからルートを変えたのだ、と聞いたときは、ちょっと泣けてきたけれど、それでも歩くことはやめなかった。
一応、今も続いている。

でも、さすがにこのところの義父は年老いた。
腰椎すべり症で、足腰に痛みやしびれが頻発し、バランスも悪くなり、歩く距離も速度もめっきり下降した。
そして目。
もともと、右目の視力がほとんどなかったのだが、左目に眼底出血が起こるようになった。
正確に言うと、出血ではなく眼底腫れなのだが、腫れて水が溜まり、視力が衰える。

そこに注射を打つと、一気に腫れが引き、視力が回復する。
効果絶大だ。
が、数ヶ月経つと、また腫れてくる。
今、これを繰り返している。

最初の注射が今年の1月。
注射は効かない人もいるらしいが義父は本当によく効き、翌日には腫れが引いた。
それが4ヶ月続き、5月に再発し注射。
そして今回再発。
きっかり4ヶ月のレンジだ。

注射が効かない人はレーザーや手術になるらしい。
義父は効く、とはいえ、4ヶ月後に再発するなら根治術を、という選択肢もあるかもしれないが、逆に、レーザーや手術が効かない人もいるし、義父の場合、レーザーや手術が根治になるとは限らない。
であるならば、定期的な注射で凌いだ方が確実ではないか、という診たてだ。
あくまでも現時点での診たてではあるけれど。

そんなわけで、来週、3回目の注射をすることになった。
今までは日帰りだったが、翌日まで眼帯をし、その状態で通院する必要があるため、今回は1泊2日の入院にした。
ふだんは見える方の目に眼帯を装着してしまうので、移動が危険なのだ。
食事も満足にできないし。

今回の再発が発覚する前、先週は、足腰の不具合がひどくなったと訴え、義母がかかっている病院に急遽行き、MRIを撮ってきた。
めまいも訴えたので、足腰と脳のMRI。
脳の画像は「91才でこれは立派」と言われた。

そう。
認知症の症状はない。
ただ、判断力はさすがに鈍っている気がする。
今回の再発に関しても、目の調子が悪いから、と、家族に何も言わず、以前通っていた近所の眼科にひとりで行ってしまった。
注射をしている眼科とは別の眼科に。
それがわかって、あわててそこに行き、待合室でちょこんと座っている義父に「お義父さん、ここでは最近の経過がわからないから、注射をしてもらっている眼科の方に行きましょう」と説得して、タクシーを呼んで行った。
話を聞くと、義父には義父なりの考えがあって、「今日はとりあえず近所の眼科で診てもらおう」と来たのがわかったが、やはり判断力は鈍っているのだ。
そして、その根底には「家族(特に嫁)に迷惑をかけたくない」という気持ちがあるのだ。
それはすごくわかる。
ちょっとせつなくなる。

でも、義父がそう思って、ひとりで決めて行動すると、こちらがあわてたり、予定をドタキャンしたり、することになる。
それは義父だけでなく義母も同じで、この2年ほど、私はそういうことがすごくたくさんあった。
これからもあるのだろう。
そのことが、ひどく疲れたりする。
誰も、何も悪くないことがわかりきっていることと、ぐったりしてしまうのは別問題なのだ。

ときどき、ものすごくやさぐれて、自分のやりたいことを、やりたい時間に、やりたいだけやっているように見える人が羨ましくなる。
それが必ずしも楽しげじゃなく、ちょっと愚痴など入っていようものなら、けっこう批判的になる。
自分で好きなように動くことができるくせに、何言ってんだよこいつ、と。

文句を言うくらいなら放り出せ、という意見もあるだろう。
誰も私に「がっつり面倒を見ろ」とは言っていない。
もっともっと、夫(息子)にやらせろ、とか、義姉(娘)にも言いたいことがあるんだろ、とか。
私は2人に、多少の愚痴や弱音こそ言えど、特に要望を提出していない、する気もないのだから、ひとりで勝手に大変がって、ひとりで勝手にやさぐれている、まさに一人芝居なのだ。

週に2日の小学校の図書室の仕事にしてもそう。
義父と義母にかこつけて、不完全燃焼感を出している自分は、つくづくみっともないと思う。
仕事が中途半端、でもこれ以上日数を増やすと家のことと両立できない、仕事の日は疲れて家事をするのが大変だが誰もやってくれない・・云々。
ホント、情けない。

ただ、みっともなかったり情けない自分を否定するわけでは必ずしもないのだ。
自分は聖人君子ではないし、根性もないし、性格も悪い。
被害者意識は人並みぐらいあり、なまけものだし、僻み根性も旺盛だ。
それはもう今更、いかんともしがたいと思っている。
そういう自分とこれからも付き合っていくしかない、と。
ダメな自分を肯定しているわけではなく、受容しているというか。
肯定と受容は、私にとっては似て非なるものなのだ。

今の自分に願いがあるとしたら、あいまいな案件、よしとしない感情も白黒つけず腐らせず置いておける場所が自分にありますように、だ。
すごく抽象的だれど。
私は、自分以外の人間に「こうしたい」「こうなればいい」という感情があまり持てない。
いや、持つこともよくあるけれど、そういうときでも心の片隅では「ムリだよな」と思っている。
だから、どうしても意にそぐわぬ行動、言動をとる人とは距離を置くしかない。
距離を置かないなら諦めるしかない。

まるで諦めの人生みたいだけれど、実際にそうなのかもしれないけれど、そんなしょぼい、イベント性にも物語性にも乏しい日常でも、光輝くようななにかすごく満たされるような瞬間はあるはず、と信じたい。
現実では動かず、ルーティンワークを繰り返すような毎日でも、「自分のやりたいこと、したいことを我慢したくない」という人には負けたくない。

「負けたくない」なんて生臭い言葉を使うと、ここまで漂ってきたであろう諦観をひっくり返すみたいだけど、これはまあ、現在、あまりにくすぶっている自分を鼓舞させるためにあえて書いてます。
なんだか、この文章を「あ~あ、自分の今の生活はつまらん」で締めてしまうと、夫や義父や義母との生活を否定することになるもんで。

土俵際のうっちゃり!?
窮鼠猫を噛む!?

・・どっちも違うなあ。
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by kuni19530806 | 2014-09-20 15:01 | その他 | Trackback | Comments(0)

エブリシング・フロウズ   

津村記久子著『エブリシング・フロウズ』を読む。

今、好きな作家を何人か挙げろと言われたら、津村記久子は外せないと思う。
1人だけ、と言われたら外す気がするが(外すんかい!)、国内10人なら入る。
あとは誰と誰だよって話だが、それはまだ考えていない。
考えていないけれど、他の誰とも似ていない、唯一無二な感じのメンバーになると思う。
津村さんもまさにそんな感じの作家だ。

今回も本当に面白かった。
明るい話ではない。
中盤以降は、わりと大きな「事件的なもの」に集約されて話が進むけれど、前半は、どうということのないエピソードの羅列に思えたりする。
が、面白い。

主人公の中3のヒロシは、今年の春に読んだ『ウエストウイング』に出てくる、絵の上手な、でもなんだか屈折している魅力的な小学生のあのヒロシだった。
それに気づいた瞬間、妙に、わっ!となった。
憎いぜ津村さん!とも思った。

中3のヒロシは、絵を描くこととも距離を置く、数学が苦手なうだつの上がらない受験生だ。
イケてるグループには当然属さず、出席番号が近い、ミステリアスで孤高の矢澤(ヒロシは山田だ)とちょっと親しい。
気になる女子はいる。
ちょっと変わった女子。
母親はうっとうしく、塾はめんどくさい。
が、ヒロシは頭脳は明晰だ。
クールで達観もしていて、でも幼い。
要するに、まっとうで生きづらいタイプ。
そして10代ど真ん中だ。

受験の悩み、いじめ、虐待などもけっこう逃げずに書かれているが、だからといって、そういうものが前面に出た小説という印象はなく、ヤングアダルトというよりは、バリバリ大人向けの小説に思える。

日々の雑事がだらだらと時系列に沿って描かれているかと思えば、その中に不意に、瑞々しくて本質的な場面やセリフが登場したり、予定調和でない、現実のままならなさややるせなさが、だからこそグイグイ迫ってきたりする。
傾向と対策を練りづらい、一筋縄どころか、縄をすり抜けてしまいそうな登場人物たちが、ゴールなど目指さす生きている、そのこと自体が尊い、そう思わせる世界だ。
私にとっては稀有な世界。

やっぱり津村記久子はいい。
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by kuni19530806 | 2014-09-19 20:55 | 読書 | Trackback | Comments(0)

さようなら、オレンジ   アイ ラブ ヌーヨーク   

岩城けい著『さようなら、オレンジ』を読む。

初めて読む作家です。
これがデビュー作。
太宰治賞受賞作だそうですが、太宰治賞というのがどういう賞なのかはわかりません。

なんだかすごくよかったです、この小説。
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大々的に明記されてはいませんが、舞台はオーストラリア。
アフリカから難民として夫と子ども2人とやってきたサリマがヒロインです。
彼女はスーパーマーケットの肉の加工場に職を得、日々、血のにおいを身体にまといながら働きます。
夫には去られますが、仕事の腕を磨き、職業訓練校の語学クラスで新しい国の言葉を学び始めます。

そこで知り合ったのが日本女性。
サリマは、髪の質を見て彼女に「ハリネズミ」という名前をつけます。

ハリネズミは夫の転勤で「学ぶ」という自分の夢を諦め、かたや夢を引き続き遂行中の夫に複雑な思いを抱きつつ、子育てをしながらサリマと同じクラスに通います。
サリマとハリネズミのオーストラリアでの生活が「言葉」というものをベースに描かれます。

母国を離れ、母国語が通じない土地で生活をするという経験は、人間を丸裸にするものなのかもしれません。
自分にはその経験がなく、今のところはその予定もありませんが、ならばそういう状況が他人事、絵空事に映ったかというと、そうでは全くありませんでした。

心細さ、不安、諦めや開き直りという、異国で生きる際にもれなくついて回るであろう感情だけでなく、人間としての尊厳、生きることの意味などという根源的な命題をもガツンと自分の目の前に提示された気がしました。
サリマは弱く無知で愚かでしたが、どんどん、強く賢く優しく、そしてたぶん美しく、なります。
それは変貌したというより、目覚めた、生き始めた、という方がしっくりきます。

サリマ、そしてハリネズミの周囲の人が生き生きと魅力的に描かれています。
特に、サリマの後見人的ポジションを自認する、同じクラスのイタリア系のオリーブの、前半と後半でのイメージの違いは、違うからこそ、リアルで生々しいです。
サリマの職場の監督や、ハリネズミのアパートのトラッキーもとても魅力的。

でもなぜか2人の夫だけは、魅力なし。
深みが全く感じられず、存在感が薄いです。
まるで、異国では頼りにならないわかってない配偶者がいる方が人を成長させる、と暗示してるよな?

この小説を読んだら、最近読んだアキエダユミさんの『アイ♥ヌーヨーク』というノンフィクションを思い出しました。
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どちらも、女性が母国を離れ、新しい国で生活しようとする姿が描かれています。
どちらも、最初はパートナーがいますが、途中でいなくなります。
どちらも、そこで関わった人達に自力だけでは開かない扉を開けてもらうところが作品の肝だったりします。

異国で暮らす、かあ。
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by kuni19530806 | 2014-09-14 23:28 | 読書 | Trackback | Comments(0)

女のいない男たち   

村上春樹著『女のいない男たち』を読む。

女性に去られた男という括りの6偏からなる短編集。
括りはわかった。
このテーマで短編を書くという経緯も、タイトルの由来も、まえがきに記されている。
でも、それでも、なぜこのタイトルなのだろうかと思った。

へミングウエイのタイトルでもある「Men Without Women」をあえて即物的にこうした、とは書いてあって、それはなんだかわかる気もするのだけれど、「去られた」と「いない」は違うと思う。
否定的に言ってるわけではなくて、あえて「いない」にした、なぜか「去られた」より濃密に漂う空虚な感じが、意図するところだったのだろうかと思ったりした。

村上春樹は、短編の方が面白いと私は思う。
今回の世界が好きか、と問われるとちょっと首をひねってしまうけれど、面白かった。
思わせぶりだったり、閉じられた世界であることが示唆されたり、不気味だったり、静かな狂気だったり、大好きだった『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』の頃までの村上春樹を想って、ちょっとしんみりしたりした。
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by kuni19530806 | 2014-09-13 23:24 | 読書 | Trackback | Comments(0)

文京区シビックセンター⇒ミッキーズ   

恒例の「すいか」のロケ地訪問をしようと思ったが、お天気が悪そうだったので予定を変更して都心の展望ランチに行く。

文京区シビックセンターの展望階は、以前来たことがある。
けっこう気に入っている。
無料だし空いてるし。
今日も空いてた。
お天気のわりには遠くまで見渡せた。
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そして椿山荘的なレストランでお昼を食べた後、友達ご推薦の喫茶店へ移動。
ロールケーキがオムレツケーキのようで美味しかった。
帰りに買ったクッキーもとても美味でした。
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買って帰ったクッキーは、夫がほとんど食べた。
食い過ぎだ!

私はやはり、今の仕事にかなり不満があるらしい。
主に勤務形態。
週1ずつ2校を掛け持ちするという状況に慣れない。
夏休み直前ぐらいは一瞬「慣れたかも」と思ったが、今はすっかりリセットされてすごく働きづらい。

そして、子ども達に対する先生の叱り方にも慣れない。
教師という職業は大変なんだろうなとは思うけれど、聞いているだけで肝がすうっと冷えるあの感じはどうもダメだ。
子どもと接するのはすごく面白いんだけどなあ。
せめて、週2回、同じ学校に行けたらなあ。

というような不満や愚痴を、すごくこぼしてしまった。
すみませんでした。
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by kuni19530806 | 2014-09-01 23:45 | お出かけ | Trackback | Comments(1)