<   2014年 08月 ( 8 )   > この月の画像一覧   

猫草の成長が早すぎる   

うちの猫は猫草が大好きで、しょっちゅう鉢植えを買っていたのだけれど、これは栽培した方がいいかも、と猫草栽培セットをAmazonで購入。

単純でカンタンなのはいいのだが、猫草の成長がはやすぎる。

①8月30日の猫草
a0099446_2114163.jpg



②8月31日の猫草
a0099446_212253.jpg



鉢植えで買ったものも、どんどん伸びて、伸びたそばから枯れはじめたけれど、種植えからだと、その成長の早さもひとしお。
植物のエネルギー、すごい!
[PR]

by kuni19530806 | 2014-08-31 21:03 | | Trackback | Comments(0)

アフタヌーンティとう~んな現実   

お友達のお誘いを受け、ホテルのレストラン&バーのアフタヌーンティーに行ってきた。
しかし、暑い!

間近に東京スカイツリーが見える24Fのお店は、お値段は少々張るものの、各種サンドイッチやフルーツやケーキ、ムース、チョコレートと品数は多いし、飲み物はおかわり自由だし、ゆったりできるし、非常にいい感じだった。

なのに、ランチタイムが終わったら人っ子一人いない。
広い店内、友達と私の貸切状態。
むしろ、くつろげんわ!
くつろいだけど。

久々に会ったお友達は相変わらずのネタの宝庫っぷりで、楽しんで元気に帰ってきたら、夫が帰宅していて、左の親指が血だらけ。
どっかに挟んだらしい。
思い出したようにまだ流血中。
そのにおいにでも反応してるのか、猫も落ち着かない。
バタバタと2Fと1Fを足繁く往復中。
そして、春のライター募集に応募した「季刊レポ」が1年後に終刊されるとの報が飛び込んできた。

う~ん。
なんだかCREAのことを思い出してしまった。
雑誌CREAで昔「コラムグランプリ」というのをやっていたのだけど、私が獲った年で終わった。
そういえば、1年ぐらい前、webサイトで原稿を書くアルバイトを紹介してもらって、話がけっこう進んで、いざ!と思ったら「その枠から撤退することになりました」と連絡が来たっけ。
う~ん。
ヘンなヒキがあるのかなあ、私。
・・いや、ない!
a0099446_13535150.jpg

私が撮った画像ではありませんが、今日ノアフタヌーンティーのイメージ画像。
まあ、こんな感じだった。
[PR]

by kuni19530806 | 2014-08-21 23:26 | お出かけ | Trackback | Comments(0)

パン屋のおじさん   

近所のパン屋のおじさんが亡くなった。
69才だった。
大柄で、宮川大助(宮川大輔ではない)似だった。
一昨日の夜、隣組(?)から連絡が来て驚き、とりあえずお線香を上げに行ってきた。

以前からおじさんは糖尿病で、昨年も義母が入院中、同じ病院に入院してた。
本人曰く「恒例の検査入院」で、屋上で偶然会ったりした。

おじさんは店ではさほど愛想のいい方ではないのだが、病院の屋上では元気でにこやかで「オレは糖尿病だからしょーがないんだよ。でも元気なんだよね。マツモトさんも早くよくなってよ」と義母に言っていた。
その言葉どおり、おじさんはすぐに退院して、店を切り盛りして、私が買いに行くと「おかあさんはどお?」と言っていた。

その後も、「通院のため本日はお休みします」と張り紙が出ていることが時折あったが、また糖尿病の検査かな、ぐらいに思っていた。
この1週間ぐらいも店は閉まっていた。
やっぱり、検査かな、と思っていた。

娘さんによれば、最近、糖尿病とは全く関係のない重篤な病気が発覚したのだそうだ。

以前ほど足繁く店には行かなかったけれど、それでも7月の上旬には店で元気なおじさんを見かけている。
なので、ちょっと信じられない。

私が今の家に越してくる前からずっとあったお店だ。
おじさんはパンを焼き続け、10年前に50代で奥さんを亡くし、その後もずっとパンを焼き続けた。
3~4年前に、パン屋さんのすぐそばのお団子屋さんのご主人が亡くなり、お団子屋さん自体の存続が危ぶまれたが、息子さん夫婦が店を引き継ぎ、現在も繁盛している。
それについて、パン屋のおじさんは「やっぱり近くの食べ物屋にはがんばって欲しいよね。ずっと一緒にやってきたんだからさ」と言っていた。
パン屋は存続するのだろうか。
息子がいるが、ちゃんと父ちゃんの仕事を引き継ぐことができるのか。

おばさんが亡くなったとき、私はお通夜の受付をした。
今回も頼まれた。
お通夜は明日だ。
悲しい。
[PR]

by kuni19530806 | 2014-08-18 16:09 | その他 | Trackback | Comments(0)

自由学園明日館   

池袋の自由学園明日館に行く。

ここは3回目ぐらいの訪問。
古い洋館好きとしては、やはりジョサイア・コンドルとフランク・ロイド・ライトは外せません。
建築に疎い私でもこの2人の名前は知っています。

ジョサイア・コンドルが旧岩崎邸、旧古河庭園なら、フランク・ロイド・ライトがこの自由学園明日館。
どれも折に触れ行きたくなる建物です。


a0099446_20235930.jpg
ここは食堂。



a0099446_20245253.jpg
屋根裏部屋的なフランク・ロイド・ライト ミニミュージアムからホールを見下ろす。

この自由学園明日館の講堂では、4年ぐらい前に栗コーダーカルテットのコンサートも行われ、音楽と夕暮れのコラボにすごく感動しました。

今日はその講堂もじっくり見学。
ここは結婚式も行われるところで、一緒に行った友人と「ここでの結婚式に列席したい!」で盛り上がりました。
a0099446_2027411.jpg

a0099446_20282624.jpg

a0099446_2037616.jpg


月並みな感想だけれど、来館中は時間の流れが違いました。
ほんの数十分前までいた池袋の喧騒が嘘のようで、見学に来ている人々の顔つきも心なしか柔らかでゆったりとしているような。

私は日常至上主義を標榜する者ですが、こういう非日常空間から日常を見るという作業、至上主義こそした方がいいなあと思ったことでした。

それにしても、
池袋駅はわかりづれーよ!!
[PR]

by kuni19530806 | 2014-08-15 20:34 | お出かけ | Trackback | Comments(0)

ヤゲオ   

国立近代美術館のヤゲオ財団コレクションを見に行く。

美術には造詣が浅く、なんの知識もない自分だが、美術館に行くのは好きだ。
見たそばから忘れ、今回のも、数ヶ月・・下手すりゃ1ヶ月後ぐらいには「行ったっけ?」になるような気がするが、その瞬間の自分が新鮮。
いろんな自分が登場してきて。

別に「新鮮な自分」なわけでもないんだけれど、お久しぶりな自分もいる。
そして、自分なんてもんは、探したり見つけたりするもんじゃなく、上手く言えないけれど、身を任せるというか、意識としては、自分に自分を提供する、みたいな感覚が必要だなと思う。
探してもロクな自分が見つからない半世紀をやってきたからこそ言える境地だったりして。

でも、美術館に行ったり、旅行に行ったりすると、よくそういうことを思う。
最近、なかなか旅行には行けないので、やっぱり美術館行きは大事だ。たぶん。

今回の催しは、コレクションだからいろいろあった。
系統は全くなかった。
台湾出自の財閥(たぶん)だから、アジア、特に中国のアーティストのものは多かったが、それが特出しているわけでもそんなになくて、絵画だったり写真だったり彫刻だったり、中にはリアルな若者の人形(この手のものって何か名前があるのだろうか。50cmぐらいの人形)もあったりして、すんごくお金のかかったおもちゃ箱をひっくり返した感じ。
a0099446_739877.jpg

もちろん、そこここにコレクションの説明があり、展示のしかたのゲームもあって、系統だっていないゆえの系統の立て方というか、遊び方が掲示されていたけれど、でも要するに、「欲しいものを集めました」なんだよな。
いや、それが悪いわけじゃ全くなくて。

むしろ、他人の夢に付き合わされているようなうっとうしさは少なく、すぐ興味が変わる子どもの脳内を探索しているような面白さがあった。
でも、その脳内が意外と大きくて、常設展という「また別の脳内」も一緒に見たせいで、後半は息切れ。
混んでいなくて助かったけれど。

古さと新しさが共存したみたいな美術館の建物を出て、昭和の香りのするパレスサイドビルの地下で昭和なお蕎麦を食べて、平成の今っぽいスタバでお茶して、最近すっかり様変わりした通りを右手に見ながら神保町の駅に着いた。

今は2014年かあ。
とんだ未来だ。
[PR]

by kuni19530806 | 2014-08-13 23:59 | お出かけ | Trackback | Comments(4)

手持ち無沙汰な夏   

なんかヒマだーと思っています。
世の中の、1日が24時間じゃ足りな~い!とおっしゃる多くの方々には誠に申し訳ないと思いつつ、なんだか手持ち無沙汰な夏です。
いや、家事はやってるのですよ。
手抜きもいいところですが、3度の食事と掃除洗濯、買い物、銀行や郵便局、義母のデイサービスとデイケアの送り出し(玄関先だけど)などは月並みに。

この時期、仕事が夏休みということもありますが、それを言えば、去年の今頃は一切仕事をしてなかったし、でもこんなにヒマだったかなあ・・と思って、ハタと気づきました。

父親が死んだからじゃん。

われながら不謹慎。
それを忘れてました。
去年の今頃は、けっこう足繁く東大宮の病院まで通っていたんだった。
遠かった暑かっためんどくさかった。
病院のそばにあったせいでよく涼んだ喫茶店ジュリアンは相変わらず時間をとめたような雰囲気でやっているのだろうか、やっているのだろうな。

なにが言いたいかというと、あんな日々も、1年経つと忘れてしまうんだなあということです。
私だけかもしれませんが。

甲子園が始まりました。
先日のアメトーークの高校野球大好き芸人があんまり面白かったので、そのときは「今年は見よう!」と思ったけれど、たぶんあんまり見ないのだろうな、例年どおり。

開会式も見なかった。
でも、ついyoutubeで2012年春の選抜の石巻工業の阿部主将の選手宣誓を見てしまいました。
これ、グッときたんだよなあ。
阿部君、いい顔してるよなあ。
同じアベシュショウでもあっちのアベシュショウとはエライ違いだ。
[PR]

by kuni19530806 | 2014-08-11 17:03 | その他 | Trackback | Comments(0)

肢体不自由児たちの学童疎開   

昨夜は、らららクラシック♪のカルメン特集を見て、お風呂に入って、台風大雨情報をチェックし、さあ寝ようかなと思ったところ、猫がにゃあにゃあ騒いでいたので、まあ、落ち着くまで待つか、とまたテレビをつけてザッピングしていて、教育テレビのETV特集が目にとまり、そのまま視聴しました。
タイトルは「“戦闘配置”されず~肢体不自由児たちの学童疎開~」というもの。

古い、本当に古い映像に映る肢体不自由児と、「光明(こうめい)」という言葉に「ん?」と思いました。
もしかしてこの光明ってあの光明?と。

私の夫はもう20年ぐらい重度障害児のボランティアをやっていて、私もたまに、本当にたま~に手伝ったりしていますが、そもそも夫がその活動を始めたのは、夫のカラテの後輩M君が東京都立光明特別支援学校の教員をしていたからです。

M君は筋金入り、正真正銘のすっとこどっこいで、そんな人間のご多分に漏れず、人生山あり谷ありで、元気に先生をやっていたかと思ったら、恋人が出来ていろいろあった末に結婚したのにすぐに離婚し、そのうち急に先生を辞め、世界放浪の旅に出て行方不明になりました。
そして、すっとこどっこいの極めつけは、いつのまにか帰国して、カラテも再開していたと思ったら、酔っ払ってどっかの3階から落下し、重傷を負ったことです。
(夫は入院中のM君のお見舞いに行って、笑うと傷口が痛くてしょうがないM君を文字どおり「死にそうなくらい笑わせてやった」そうです。・・類は友を呼ぶ?)

私も夫も、M君にはよく驚かされたし呆れたし、彼のせいで我が家がなんと探偵の尾行の対象になったりしたこともあるのですが、M君は夫のパソコンの師匠で、我が家がパソコンを買った当時、わからないことがあって連絡すると、杉並のアパートからすぐに飛んできてくれたし、なにより、ボランティアのきっかけを作ってくれたのはM君だったのでした。

M君はボランティアからはとっくに離れていますが、なぜか夫は残って続けています。
今はもう、M君を知っている保護者の方が少なくなりましたが、M君が消えた当初は、保護者の方の残念がりっぷりはハンパなく、夫はそのたび「Mは死んだと思いましょう」とコメントしては、お母さんたちを悲しませていました。

とにもかくにも、ボランティアのきっかけが光明特別支援学校だったことで、今も光明は、夫、そして私にとって、なじみも思い出も深い場所なのです。
2年前まではほぼ毎年、光明のクリスマス会に参加していましたし。



話をETV特集に戻しますが、光明が日本で最初に開校した養護学校だなんて知らなかった。
そして、肢体不自由児、知的障害者が、平和時にも増して非常時にいかに弱者になるか、も想像力が働かなかった。

光明から昔の映像、特に戦時中の疎開の映像が多く見つかったということで、番組の中でそれらがふんだんに出てきますが、よくぞこんなに撮っていたなあと驚きます。
同時に、今まで「障害者が登場する古い映像」など見たことがなかったせいか、違和感と共に、「昔も障害を持った人がいたんだなあ」などという当然の事実にも驚きます。

それにしても、戦時中の松本保平校長の尽力、奔走には心から感服します。
本当にすごい努力をされたのだと感動しました。
でも、いちばん印象的だったのは、光明の子ども達を疎開させるにあたってのなによりのネックである治療器具の運搬のために軍を説得するくだり。
松本校長は「肢体不自由児を東京に置いていたら邪魔でしょう」と言ったそうです。

「邪魔」、それはたぶん校長が、光明の関係者が、それまで、特に戦争中、最も闘ってきた世間の認識だったのではないでしょうか。
闘ってきたからこそ、相手の心理を知っている、だからそれを説得に使う・・そのたくましさ、必死さ、優先順位重視の揺るぎなさ、に圧倒されました。

戦争が終わって、昭和22年、中学校までの義務教育が制度化されました。
でも、肢体不自由児の教育の義務化は制度化されませんでした。
制度化のために、また松本校長の奔走がはじまります。

そして制度化されたのは、なんと!なんと昭和54年のことだった。
その差32年!
驚いた!

2003年の春、光明の高等部を卒業予定だった慎也くんは、卒業式の1ヶ月前に亡くなりました。
夫と慎也くんは、慎也くんが10才ぐらいから大の仲良しで、ふたりは何度もお互いの家を行き来していました。
慎也くんが我が家に来るときは、もれなく当時小学生だった弟のとしちゃんもついて来たけど(笑)。
としちゃん、生意気で可愛かったなあ。

そういえば、夫が最初に慎也くんに会った日のコメントは
「今日、すっごく生意気な小学生が来た」だったっけ。
さすが兄弟!

その、慎也くんの写真と声が今でも聴けることを発見!⇒ここ
これが慎也くんです!
昼間っからちょっと泣いてしまったよ。
[PR]

by kuni19530806 | 2014-08-10 14:39 | テレビ | Trackback | Comments(0)

ミイちゃんの近況   

すっかり落ち着いたかにみえたミイちゃんですが、5日ぐらいから落ち着きがありません。
ただし、夜限定。

どうやら、ゴキブリ(以下G)を発見したことと関係があるらしいです。
突然、G退治だか捕獲に目覚め、発見した場所での見張りに心血を注いでいます。
ホームグラウンドの2Fから発見箇所の1Fに降りていく後ろ姿は、使命感に燃え、意気揚々に見えます。

そして小一時間も見張りを続けると、いったん2Fに戻り、食事と小休止を済ませると、また1Fに降りて行きます。
それを夜中まで3回ぐらい繰り返し、丑三つどきぐらいになってやっと寝床(2F出窓)に落ち着きます。

それがここ4日間、続いています。
実は、Gを見張っているのだ、と気づいたのは一昨日。
それまでの2日間は、突然の変貌に驚き、我が家に来て3ヶ月以上経って、すっかり安定して夜はおとなしく眠っているみたいだったのにどしたの?!とちょっと狼狽えました。

そのかわり、昼間はほぼ寝っぱなし。

こんな感じで日が暮れて行きます。
a0099446_1710263.jpg

a0099446_17171894.jpg

a0099446_17175592.jpg




ある夜、出窓を見たらこんな風に寝てた。
a0099446_17112574.jpg

[PR]

by kuni19530806 | 2014-08-09 17:11 | | Trackback | Comments(2)