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おしかくさま   

最近、読んだ本。

タイトルだけだけど。
谷川直子著『おしかくさま』。
フシギな読後感でした。

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by kuni19530806 | 2013-03-29 11:25 | 読書 | Trackback | Comments(0)

この光景ともお別れ   

震災以降、私はこの風景にものすごく励まされてきたのだった。

ありがとーヽ(´▽`)/

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by kuni19530806 | 2013-03-24 23:45 | その他 | Trackback | Comments(0)

白紙のままで   

父親のいる老人ホームに行く。

いつものように、大宮ルミネで昼食やらなにやらを買って、駅からバス。
この方式だと、家を出てから2時間半でホームに到着。
今は月に2~3回のペースで行っているが、それ以上はちょっとキツいなあ。

入院ということになったら、提携病院が大宮の先だし、いつなんどき不測の事態になるかわからないので、いろいろ覚悟をしておかなければならないし、同居している夫の母ももしかしたら近い将来、また手術ということになるかもしれないし、今のところ体調が安定している夫の父も、いよいよ90代突入だし、老親がいっぱい(笑)なので、4月からの自分の仕事も、正直、本腰を入れて探す気になれない。

ひとつ受けたところは、近かったし、労働時間が短めで待遇が良かったので、まあそこならもし働いてもなんとかなるかと思ったが、それがダメだったので、4月以降は全く白紙。

一応、派遣登録だけはしてみる予定だが、そうそう都合のいい仕事があると思えないし、あっても、今の自分の状況でやれるのか、わからない。
わからないからとりあえずギリギリの準備、とは思うのですけれどね。

かといって、深刻に悩んでいるわけでも、毎日あたふたしているわけでもなく、相変わらずダラダラ暮らしています。
花粉症、今年は実はくしゃみ鼻水はラクで、まあ出かけるときには薬にも頼っていますが、そんなにつらくない。
じわじわと症状は強くなっている気はするのだけれど、例年よりはマシなのだ。
そのかわり、先月の下旬に風邪を引いて以来、咳が完全に抜けてなくて、ちょっとうっとうしい。
風邪の咳から花粉症の咳になって、いわゆる咳喘息に移行したのかも、また。
でも、咳き込んで夜眠れないということは全くなくて、どちらかというと、日中、それも夕方あたりに咳が出る。
夜は安らか。
なのでついつい、医者には行っていない。
眠れないと辛くて行くのですけどね。

そういう日々を送っているせいか、それは関係ないのか、もう今の仕事に行くモチベーションはなくなってしまいました。
半年ぐらい前は、この仕事が終わるときはどんなに寂しくて悲しいだろう、ぐらいに思っていたけれど、今は全くクールな気分だ。
そりゃあ、同僚の方達と別れるのは淋しいし、図書館の仕事は慣れているので残念な気持ちは大きいが、なんかもういいかな、と思ってしまっている。

好きな同僚とはこれからも会えばいいし、とか。
そんなことを言っておきながら疎遠になる、を今まで繰り返してきた感じもあるけれど、それでもそこはあまり気にしていない。

理不尽な気持ちとか、腹立たしさとか、も今はさほどなく、出勤するたびに自分の居場所が狭くなっていくなあと、まるで他人事のように感じています。
今までもわりとそうだったかなあ。
終わるときは意外と冷静でピンとこない。

のちのちきたりもするけれど、それはもうあとの祭り。
ちょっと離人症みたいな心持ちになることが多い。
これもまた、花粉症とか家のことに気が行っているせいなのかもしれませんが。
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by kuni19530806 | 2013-03-12 23:36 | その他 | Trackback | Comments(0)

あれから2年   

2011年3月11日から2年になりました。

あの後しばらくの間は、自分達はもうそれまでとは違う世界に来てしまったのだなと何度も思いました。
自分が生きてきた、という意味での見慣れた世界は終わってしまうのではないかと感じる瞬間も何度かありました。
被災地の報道を見たり自分の故郷を思うと、胸が痛んでどうしていいのかわからないので、あっちこっちに募金して(微々たる金額ですが)自分の気持ちを鎮めている時期もありました。

震災以降、初めて福島市に行ったのは2011年の秋でした。
親戚や友達から「見た目はもう何事もなかったかのように静かなもんだよ」と聞き、自分もうっかりそのつもりで行きましたが、私の目にはおよそ、何事もなかったかのようには映りませんでした。

そこここの家の屋根にはブルーの養生シートが乗っかったままで、「地震で屋根が壊れたのに半年過ぎても修理の手が追いつかない」ことが明らかでしたし、自分が小四から中三まで住んでいた地域近くの広い空き地には、遠目には巨大な梱包容器が並んででもいるように見える仮設住宅がビッチリ建っていました。

幹線道路にはいたるところに「本日の放射線量」がデカデカと掲示されていましたし、叔父は日課だと言いつつ、自分の家の内外の放射線量を計測していました。
その手際の良さと、「木の下が若干高いんだ。下より2階の方が低いから、2階でお茶を飲むがい?」と自然に聞かれたこと、そして「Mのご両親にお土産を買いたいんだけど、福島の饅頭は持って行きたくないがい?」と遠慮がちに言う叔父に、私は居たたまれない気持ちになりました。

叔父の車から降りて駅前を歩いてみましたが、平日の昼下がりだとはいえ、県庁所在地の目抜き通りなのに人影もまばらで、自分がこどもの頃の、あの賑やかな印象はどこにもありませんでした。

その後、福島にはもう一度行きました。
そのときは車で通過するほとんどの学校の校庭に養生シートの山、除染された土が置かれているのが目立ちました。
小雪が降っていて、青いシートの上に、あたりまえのように雪が積もっていました。
不自然な光景が雪によって、まるで自然なもののようにカムフラージュされていました。

あの光景からまた新しい冬が来て、それも終わろうとしています。
私は相変わらずぼんやりしています。
この日が来ると、震災や原発事故を思い、涙すらし、それでもぼんやりとしたままです。

日常に忙殺されているんでもなく、ただ目の前の日常の流れに乗っかって、薄れていく記憶や感情を追いかけるのでもなく、でも目の端にはとどめつつ、また震災孤児育英資金に募金しようと思ったりしています。

情けなく、だらしなく、時折これじゃいかんと反省し、また忘れ、そして憂いながら暮らしています。

そんな、雑感にもならない今日のつれづれです。
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by kuni19530806 | 2013-03-11 20:20 | その他 | Trackback | Comments(0)

とにかくうちに帰ります   

津村記久子著『とにかくうちに帰ります』を読む。

ああ、面白かった!
この方の小説は3冊目ぐらいだと思うけれど、いちばん面白かった。
『八番筋カウンシル』に至っちゃ、途中で挫折してしまったんだけど、もう一回チャレンジしてみようかしら。
『やりたいことは二度寝だけ』というエッセイも面白かったし。

連作短編的な5編と表題作の中編ひとつが収録されていますが、どれもそれぞれよかった。
でも、今こうしてそのよさについて書こうとすると、書けない。
日々、うっすら感じていたり、その瞬間瞬間にはけっこう心を占めていたりすることだけれど、一日が終わったときにはそれほど大きな存在にはすでになっていない、実感と忘却のちょうど中間にあるような感情が的確に記録されているのを読んでるみたい、とでもいいましょうか。

人は一日の間、いろんなことを思って生きてる。
そこには、ときめいたり腹を立てたり傷ついたり感動したり、以外の思いがある。
むしろ、日常はそっちの方が多い。
・・とあらためて思ったりしました。

それと、なりゆきだと思うことも、細かい決断の連続で成り立っているなあ、と思うと同時に、やっぱりなりゆき引力は強いなあという、相反する気持ちにもなりました。

ああ、ヘタクソな感想!
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by kuni19530806 | 2013-03-08 22:17 | 読書 | Trackback | Comments(0)

展覧会いまだ準備中   

山本幸久著『展覧会いまだ準備中』を読む。

わが偏愛作家(?)山本幸久さんの小説ですから、面白くないわけはありません。
ありませんが、今回のお仕事小説は、シリーズの中の一部を切り取ったような印象。

なにより、主人公の応援団出身の学芸員と、別れた年上の彼女とのことが気になってしょうがない。
断片的には描かれていますが、そもそもどうして付き合うようになったのよ、と。
概ね善良だけれど無骨で、女性に対しては不器用そうな主人公と、10才上の勝気なキャリアウーマン(死語?)という組み合わせだもん、断片的な描写じゃ物足りません。
まあ、この主人公、なんだかんだいってモテるみたいなんですけどね。
そのあたりも含めて、「あとはご想像にお任せしますよ」的で、いろいろ思わせぶりなんだよなあ。

そんなわけで、beforeとAfterがあった方が自然な感じ、という意味で、シリーズの一部を読んだような読後感でした。

それと・・・今回はちょっと予定調和だった気が。
山本幸久さんの小説って、設定はごくごく一般的だったり、主人公は一見平凡に見えても、なぜか展開が全く読めないのが大きな魅力だと思ってましたが、これはわりと流れに乗ったような展開だった。

でも、学芸員や応援団の世界は未知だったので面白かった。
相変わらず、すんなり読ませるし。
それってスゴイことだよなあ。
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by kuni19530806 | 2013-03-07 23:49 | 読書 | Trackback | Comments(0)

笑い三年、泣き三月。   

木内昇さんの『笑い三年、泣き三月。』を読む。

戦後の浅草を舞台にした庶民達の物語です。
敗戦翌年、九州出身の万歳芸人である45才の善造が上野駅に到着するところから話は始まります。

善人で、世間知らずで、だからこそなのか自分の芸に絶対の自信を持つ善造
戦争孤児で厭世的で活字中毒のこども、武雄
映画人として生きてきたものの、口が悪く人の気持ちに無神経な復員兵の光秀
自分は深窓の令嬢だったと言い張る踊り子のふう子
そして、彼らを束ねるストリップ小屋浅草ミリオン座支配人の杉浦

誰もが、欠点だらけで処世術も下手で、しくじったり衝突したり傷ついたり傷つけたり勘違いしたりしながら、それでも戦後の東京でたくましく、時にはたくましくなく生きて行きます。

↑なんだか下手な解説文になっちった。
こう書くと、ありがちな、ステレオタイプ総動員のベタな話のようだけれど、なにしろ木内昇さんの小説ですからそんなことはまったくありません。

すごく良かった。

戦争直後の浅草という設定こそ特別ではあるものの、物語の進行をことさら大事件には頼らず、もちろん予定調和にも勧善懲悪にはせず、真面目に実直に生きる人間を茶化さず揶揄せず、でも報われなさやままならなさは十分に読み手に響かせ、ノドごしはごつごつしていたりもするけれど、後味はすこぶるよい小説でした。

人はみな屈折しています。
まっすぐな人も曲がってる。
そして、だからこそ面白い、と思えた。

笑った箇所。
市民団体がミリオン座で戦争について考える会合を開けと何度もやってきます。
自分達が正しいことをしていると信じて疑わない類の上から目線で強要する団体に、支配人の杉浦は手を焼き、のらりくらりと躱すのが精いっぱいでしたが、光秀(みっちゃん)は猛反発し、罵詈雑言を浴びせ、しまいには肉体的欠陥をあげつらう、人としてどうよ?のセリフで追い払います。
それについての杉浦の感想。
「さすが、みっちゃん。こういうときは頼りになるね。なんていうの、物事を深く汲まずに生きてきた者だけが持つ底力っていうかさ」

みっちゃんのダメ男ぶりもこの小説の読みどころです。
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by kuni19530806 | 2013-03-01 23:12 | 読書 | Trackback | Comments(0)