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純度百%に近い未定   

4月からの身の振り方ですが・・未定です。
「未定」の中にも純度の違いがあると思われますが、今回の私の場合、純度100%に近いかと。

1個、応募はしました。
かろうじて、自分が応募できそうな物件があったので。
髪を切ってすぐに撮った、湯気が出てるような写真を履歴書に貼って、字数ピッタリに志望動機も書いて、郵送しましたさ。
まだ締切までにはいくらか余裕がありますが、すでに投函しました。
やる気があるところをアピールしたくて早めに送ったのではなく(そのくらいのポーズを見せろよ自分)、送らないと、いつまで経っても自分の書いた文章をいじりたくなる性分なので、できたらとっとと送ったわけです。

以前、「本の雑誌」でお仕事をさせてもらったときも、図書館での広報紙づくりも、同じ理由で提出(発行)が早かったのでした。
「送信済み」もしくは「完成」ってことで自分の手を離れたテイにしないと、いつまでも書いたものをお直しをしたくなる、そのうち、味見し過ぎてどんどんおかしくなる。
本の雑誌では「原稿が早い」と言われていましたが、そういう理由だったのでした。


で、なんの話だっけ?
そうそう、1個応募はしたのですが、期待していません。
したくても、できません。
なぜなら、ものすごく応募が殺到してそうだから。

若干名の募集ですが、私のお友達も含めた、複数の元同僚の方も応募するとのことです。
特に必須の資格はないし、勤務時間もお給料もそんなに悪くない、とあらば、狭き門なのは当然でしょう。
そんな状況なのに、たぶん応募者最年長組になるだろう自分が通過できるとは、さすがに思わない。
私はとりててて悲観的ではないものの、楽天的では全然ありません。
「全く期待してない」とか言いつつ、内心は・・ということも世の中には多々ありますが、今回はそれもありません。
なりゆきで応募してみることにはなった、だけです。

応募したのは今の職種ではありません。
もう今の業種はやらないだろうと思います。
学校関係で、今の業種の派遣要員登録はするかもしれませんが、自治体の施設はもういい。

燃え尽きたとか、嫌気がさしたとかではないけれど、また新たな場所で、とは全然考えられない。
あ、今の職場が最高だったから、という理由でもありません。

なんていうか、自分のような人間は働きづらい感じになってきてるのですよね。
年齢のせいより、民営化の波がその流れを助長していると思います。

マニュアルどおりに、勝手な判断をせず、個性などを前面に出すことなく、決められたことを几帳面に守れるような人が「適性がある」という業界になってきてる。

実は、自分はそういうタイプじゃない、とは必ずしも思ってません。
時間は守る方だし、お給料もらってを働いている以上、ラクしようとは思わないし、言われたことを粛々とやるのも案外好きだし、むしろ公営の施設であえて主張する個性ってなによ?個性は個人の場所でやっとけよ、ぐらいに思ったりします。

ただ、マニュアルや守るべき規範や適性が、変わってきて、どうにもしっくりしない。
扱っているモノや、自分が思うこの業界の肝が、優先順位上位ではどんどんなくなってきて、守るべきことが明らかに「つまらなくなってきた」のです。

マニュアルや、求められる几帳面さに心から納得できればがんばってそれを守ろうと思うし、「自分」を打ち出そうとは思わない。
苦手な業務も努力しましょう。
でも・・・・なんですよね。

あと、これは大きな声では言えませんが(なんじゃそれ?)、今の業界に妙に固執する人ってつまらない人が多い。
いや、もちろん全てとは言いません。
大好きな人も何人かいます。
けれど、つまらないヤツも多い(しつこい)。
自己評価だけが突出して高いヤツも多い。
あたりまえのことっていうか、正論言うのが好きなヤツ、固定観念でばかりモノを見る輩も多い。

あ、どんどん悪口になってる!
これってやつあたり?
やめよう。
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by kuni19530806 | 2013-01-29 20:37 | 仕事

みちくさ道中   

木内昇『みちくさ道中』を読む。
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『浮世女房洒落日記』も『漂砂のうたう』も『茗荷谷の猫』もものすごく面白く好みだったので、このエッセイにも飛びつきましたが、期待以上、満足以上のむしろ玉砕気分で、しばらくこの読書記録も書く気にならなかった。
もう、自分の感じてること、言いたいことは、ここに木内さんが完璧に書いてくれてるから何も付け加えることはない、みたいな。

言わずもがなですが、同じ土俵にいるつもりなわけでは毛頭ないです。
毛頭?
ヘンな言い方だなあ。

もとい。
だったら、玉砕などと言っとらんで、素直に、心にヒットしたことをしたためておけばいいだろ自分、とも思うわけですが、そういうことすらする気にならなかったのは、それはやっぱり、自分も文章を書くことが好きなのだからだろうなあと思います。

羨んだり妬んだり・・要するに「嫉妬する」とは違うけれどとても似ている感情、を抱いてしまったようなのです。

それは恥ずかしいことでももっといえばおこがましいことでもないわけで、まっとうなことだと思います。
そして、木内さんのエッセイにそんな気持ちを持ったのなら、正面からちゃんと打ちのめされて、その後は発奮するなり、模倣するなり、迂回するなり、見て見ぬふりをするなり、手を引くなり、すればいいのだ自分、と思います。
ただ、次のアクションが決まる(決めるではなく、決まる)には少し発酵時間が必要で、それが、このブログを更新しなかった空白の期間の理由でもありました。

Twitterではつぶやいていたし、縁あってお知り合いになった方のサイトで文章を書かせていただいたりはしてたんですけどね。

あ、そうだ。
実は履歴書と志望動機の作文も書いてましたよ。

この手の作文、苦手っていうか下手だー自分。
あまり成績のよろしくない中学生が書いたような動機書(?)になってしまった。
作文はダメだし、年齢は年齢だし、字は下手だし、応募者殺到みたいだし、髪を切り過ぎてまたトシ食ったコドモみたいになったし、なんかうわの空だし、負のスパイラルに陥ってる気分。

そんなわけで、私の来年度についてご心配下さっている方々、私は、就職活動に失敗し、失職して失業しそうな気配が濃厚です。
「失」人生。

録画した「マザーウォーター」でも観て、現実逃避しよ。
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by kuni19530806 | 2013-01-28 06:06 | 読書

最近読んだ本   

星野博美『コンニャク屋漂流記』

見ず知らずの人間の歴史を読んで面白いのかな?の危惧は危惧に終わりました。
面白かった。
コンニャク屋の屋号を持つ、千葉は外房の漁師の家に生まれた著者の祖父は、十代前半で上京し、町工場の工員となり、その後、独立し、日本の高度成長期を支えるひとりとなります。
祖父の死後、祖父の自分史を読み、あらためてコンニャク屋という称号とその成り立ちに興味を抱いた著者は、一族の歴史をひも解き始めます。

身内びいきな箇所が多々あるのは否めませんが、ある程度の年齢になって、若いときは全く興味のなかった「自分という人間の出自を探る」ことに目覚める気持ちはわからないでもない。
自分の性癖や考え方、今の自分に至るまでの意識的無意識的コミでの数多の選択、を後付けこじつけで血に
由来させるというのは好きではないけれども。
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ジェフリー・ディーヴァー『バーニング・ワイヤー』

リンカーン・ライムシリーズ最新作。
相変わらず、読ませるなあ。
冒険活劇的シーンはちょっと少なめだけれど、とにかく電気が怖い!
濡れた手でコンセントに近づかないようにせねば。
終盤のどんでん返しはさすがだ。
でも、アレはちょっと予想してたよ私。
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豊田拓臣『ラジオのすごい人たち 今こそ聴きたい34人のパーソナリティ』

ラジオ好きを標榜しているが、実はそんなに聴いていない。
でも、こういう本はすごく好き。
ラジオってやっぱり魅力的なメディアだと思う。
これを読んだおかげで、聴きたい番組がいっぱい増えた。
まずはポッドキャストからになるだろうけど。
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by kuni19530806 | 2013-01-16 21:54 | 読書

黒いつぶやき   

寒い!
ブームに乗っかった形で冷えとり目的の靴下重ね履きを始めて、まもなく丸2年になろうとしていますが、ちょいちょい勝手な解釈で自己流を差し挟み、正しいやりかたをしていないせいか、足の冷えはなかなか緩和されません。
最近、これまたブームに乗っかって(というか、血糖値を下げるために止むに止まれず)食事を野菜から食べるようにしているせいもあるかも。
どうしても生野菜(ほとんどトマト)を食べる頻度が高くなり、身体が冷えてしまっているような気がします。

冷えとりは夏越えが難しく、食べる順番法は冬がネックかも。
そして、このふたつを両立させるには工夫が必要そうだ。

そんなわけで、最近はもっぱら、食事の最初は茹でたキャベツを食べています。
飽きないように、ドレッシングを何種類かローテーションさせながら。
でも結局、ポン酢醤油、特にゆずかの出番が断然多い。
キャベツは茹でると甘味が出るので、ゆずか的塩分と酸味がちょうどいいのです。
しかし、キャベツを大量に食べていると、自分が草食動物・・というか、ちょっと昆虫に近づいた気分になるなあ。


寒いので、靴下だけでなく洋服も重ねています。
更年期な年頃だし、建物や乗り物の中は暑くなったりもするので、容易に着脱できる、前あきの羽織る系を重ねることが多いです。
厚手のセーターを着ることはほとんどありません。
そういえば、世の中全般から厚手のセーターが減ってるように思うのだけど、気のせいかな。
あったかそうなオーバーやコートは見かけるけれど、その下はみんなけっこう薄着じゃない?
ヒートテックが暗躍してるのでしょうか。
ブーツやレッグウォーマーで足元だけはけっこうあったかそうにしている人はすごく目につくのだけどね。

重ね着といえば、ナチュリラやリンネルなどのナチュラル系ファッションを忘れてはイケマセン。
これらの台頭で、中年のおしゃれの落としどころが確実に拡がったと思う。

前にも同様のことを書いたけれど、おしゃれに興味がないわけじゃない、でも婦人画報&家庭画報のガホガホワールドはハードルも価格もバカ高い・・以前にあんまりそそられない、STORYやHERSは好戦的過ぎる、着物リフォーム系とかエスニック、ピンクハウスダンサー系などなどの我が道を行き過ぎるのは疲れそう、かといってパリやミラノのやニューヨークのマダムに学ぶような人種を越えた(!)おしゃれを自分に取り込むほど興味にグローバルさはない・・そんな、どこにもしっくりしない層の行き場所を作った、というか。

そういう人々は以前からいたんでしょうけどね。
そして、そういう人々のみんながみんな、こぞってナチュラル系ファッションに活路を見出した(おおげさ)とは思いませんが、たとえば大橋歩さんや原由美子さん方面、イメージ的にはマガジンハウス的な元オリーブ少女やクロワッサン、あたりに近づきたいかなと思いつつ、はてさて私はホントにそこでいいの?と自問していた人々にとっては、ホッとする棲息場所が見つかったのではないかと思うのです。

なぜって、大橋、原方面も意外とハードルが高くて、もたいまさこさんのような個性が洋服を凌駕できる人や、ファッション関係者・・たとえば元スタイリストあたりなら、リネンのあっぱっぱ風ドレスも力技で着てしまえるかもしれないけれど、市井の「ちょっとだけ洋服が好きなんだけど着こなしに自信なし」には、シンプルなだけにむしろ手ごわい感じだと思われるので。
はい、そう思ったのは私です。

そこに、「とりあえず重ねましょう、巻きましょう、自然素材しましょう」の台頭ですよ。
もちろん、それだけがナチュラル系ファッションの定義ではないのでしょうけど(そして定義など知らない。あるのかないのか、すら)、とりあえずそっち方面に身体と気持ちを向けとけば、あとはそれまでの自分のなけなしの「おしゃれ遍歴」が自動的に作動して、そこそこみっともなくない着こなしになるのではないかという期待というか思い込み。

これらの雑誌に出てくるお洋服も決して安くないし、それなりのスキルが求められる、実はなかなか難易度の高い世界なのはうっすらわかってはいるものの、「まんまナチュリラ」じゃなくても、手持ちの洋服を駆使して組み合わせればそこそこナチュリラっぽい雰囲気を出せそう、いっそ自分のポジションはそこに設定、なんか文句ある?だってそもそもブランド品を買う習慣なんて金輪際ない半生だったから今更お洋服にそんなにお金かけらんないしさ、トシくって安いのを着てるのが露骨なのは淋しいけどそこは重ねて煙幕にしちゃうのも手だよ、そうすりゃそれが単なる綿100パーなのかオーガニックコットンの高級品なのか中間の無印なのかわかんないし、あ、わかる人にはわかる?でも少なくてもわかんない人にはわかんないじゃん、それでなくてもナチュラルファッションは重ね過ぎだったり丈が長くてバッサバッサ感が過剰な反面教師も多いから、そこをちょっとスッキリさせればむしろ、正面教師(造語)になれたりして、ぐふふふ・・。

あれ?なんかいつのまに心が汚れたお洋服つぶやきになってしまった。
おっかしいな。
こんなつもりではなかったですのに。
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by kuni19530806 | 2013-01-05 23:53 | その他

なんらかの事情   

岸本佐知子著『なんらかの事情』を読む。
初めて読みました。
今、一瞬、「恥ずかしながら初めて読みました」と書きそうになったけれど、恥ずかしいなんてことはありません。
あぶないあぶない。
ちょっと今、岸本さんを崇拝している人のブログを読んでしまったもので、うっかりそんな気になりかけた。

通常、「エッセイ」と聞いて思い描く世界ではないので幻惑されます。
書き出しはまるで正統派エッセイのようなので尚更です。
最初はふつうの身辺雑記風なのに、徐々に著者独特の脳内宇宙が開示され、そこに引き摺り込まれ、着地点は全く知らない場所にいる感じです。
いつもの場所に少し似ているけれど明らかに違う場所・・パラレルワールドに連れて来られたみたいな。
それが、さして長くない文章ひとつひとつ(エッセイの数は全部で47個あります)にほぼあたりまえのように起こってるのがスゴイです。
これはもう、著者の引き摺り込みスキルがハイレベルか、よほどの変わり者か。
きっとどっちも、なのでしょう。

読後感にフシギと異次元感はありませんでした。
パラレルワールドって、今いる世界を強く認識しているからこそ、そこがパラレルワールドだとわかるのね、というか、一周まわってもとの場所に着地したというか、夢から覚めて現実に立ち返ったというか。

つまんない感想しか書けなかったけれど、すごく面白かったです。
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by kuni19530806 | 2013-01-03 19:46 | 読書

風の中のすばる~   

自分はちゃんと元旦に到着するように年賀状を出していないくせに、やっぱり年賀状を見るのは正月の楽しみだ。
やりとりをしてくださっている方、私のはそのうち届きます。
いつも遅くてスミマセン。

今年も年賀状でいろいろと思うところがあった。
同い年のMさんは、2~3年前からけっこう難易度の高い資格にチャレンジしている・・と思ったら、最短コース(たぶん)で合格し、仕事のスキルアップに成功してなんだかスゴイやる気まんまんだなあ、と思った途端に離婚し、引越しもし、今は働きながら通信教育で大学生をやっているとのこと。
ジャズボーカルもやってるそうです。

前の会社で私にパソコン、特にExcelのことを一から教えてくれた、頭と容姿と性格とノリが良くて、でも仕事に関しては厳しくて、漏れ聞き及ぶ私生活はやる気がなくて家ではロクに掃除もしないらしかった、と思いきや突然会社の書道部なんぞに入ったり、超モテモテだったのに男子に媚びたり思わせぶりな態度を一切とらず、が、オシャレで休憩中はギャル語を使い、かと思えば社食では焼き魚定食に小鉢の納豆をつけてキレイなお皿で完食し、親子仲良しなんて気持ち悪い!と宣言するような、あらゆる意味で私の理想の「若い女子&OL」で5年前ぐらいに結婚したN子ちゃんは、ダンナさんの転勤で去年の4月から福島に住んでいる、ことも年賀状で知った。
郡山かあ。
転勤が決まったときは正直いろんな思いがあったのだろうなと思う。
でも年賀状の文面と写真はすっごく楽しそうだった。
ああ、N子ちゃんの「地上の星」を聴きたい!
中島みゆきのモノマネ、真剣だった。
あれは絶品だった。
カラオケで、腹筋が痙るほど笑ったっけ。

ある程度長く生きていればまあ人生いろいろあって、前もって予想できたこともいっぱいありそうに思えて、実は1個もないよな・・と年賀状を見ても自分を鑑みても、思ったりしています、あらためて。

たとえば、私は今年の3月いっぱいで失職します。
それは数年前からわかっていました。
でも、仕事をなくすこと自体より、今は職場の同僚達と別れることの方が数倍淋しいという、まるで卒業間近の女子高生のような心境です。
自分がそんな心持ちになることなんてちょっと前までは思いもよらず、微笑ましいような、うろたえてしまうような、ちょっとバカバカしいような、せつないような、そんな気持ちを抱えた年明けです。

前もって予想できることは「出来事の概要」とそれに関する漠然とした「自分ならこう感じるに違いないという固定観念」です。
リアルな感情は予想なんてできません。
予想できてるつもりでも、まず裏切られます。
自分自身のことでも。
自分自身だからこそ?
実際そうなって、自分はこんな風に感じるものなんだと新鮮に驚くことの連続です。
現実の前では、予想や覚悟なんて机上の空論で、「案じ過ぎ」で肩すかしや気の揉み過ぎだったりすることも多々あるけれど、それも含めて、ちゃんと予想できることなんて1個もない、と今更ながら思ったわけです。

アオクサイ言い方ですが、今思い描く将来は、あくまでも「今思い描いている」だけの絵で、それが現実になれば違った描法のまるで違った絵です。
それは不安なことだったりもするけれど、リアルに予測できないことを不安がっても詮ないし、まあなんとかなるだろうとあとはあの、あの「なりゆき大明神」の手管にお任せするしかないと思う年の初め。

元旦に届いたお友達のメールに「今年のテーマは『ジャンジャンバリバリ』です」とありました。
ちょっと閉塞感に苛まれていた年末から年明けの自分に風穴を開けてもらったような気持ちになりました。

今年もいろいろあるだろうけれど、現実の絵をほうほうと見続けて落ち込んだり安堵したり調子こいたり呆然としたり、を繰り返すのだろうなあ。
それでいいや・・ってか、それしかできないし。
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by kuni19530806 | 2013-01-02 23:15 | その他

今年もよろしくお願いします   

あけましておめでとうございます、と書きつつ、全くピンときてなかったりします。
若いときは、年明けこそピンとこなくても、徐々にその年号になじみ、しばらくして誰かに「今年、何年だっけ?」などと聞かれようものなら、ふっ(^_^;)的呆れ気分を言外に漂わせつつ「○○年!」と即答している自分がいたりもしましたが、最近はピンと来ないまま下手すりゃ丸々1年が過ぎ、区切り感のある年越し時もぼおっとしているので、数年間隔でハッとして、あらららと、タイムスリップというか浦島太郎状態になっている感じです。
いや、おおげさではなく。

そして気がつけば2013年。
あのミレニアムとやらから干支が一巡してるなんて、悪い冗談みたいです。
それでなくても最近は世の中が悪い冗談のオンパレードみたいなので、もし「今まで言い出せなかったけど、2011年から日本は21世紀というそれまでの時系列(?)から離れて、悪い冗談1世紀に入っていたのでした」と言われたら信じてしまうかもしれない。
いや、むしろそっちの方が納得できる、みたいな。

昨日の紅白での斉藤和義さんの「NUKE IS OVER(原子力は終わった)」というギターストラップが話題になっているようですが、みんなこそどうしたの?
年末の選挙のときはTwitterでいろんな人が原発を絡めて選挙に対する気持ちを表明していたのに、結果が出て以降、あまり聞こえてこない。
結果に呆れ果てたのはわかる。
腹立たしいことを通り越して脱力感まみれでもはや何を言う気にもならないのかもしれない。
でも、結果はどうあれ、選挙に行かなければ何も始まらない!とアツく語り、、結果を知って激怒していた(ように見えた)人達が、翌日以降、まるで祭が終わったかのように、そそくさと店じまいをし、何事もなかったかのごとく自分の身の回りの日常や仕事のことしかつぶやかなくなったような気がするのはなぜだろう。

あの、滑舌の悪いおぼっちゃま崩れは、新しいタイプの原発を作ると公言してる。
もちろん、腹話術失敗顔の担当大臣はバカだからその気満々だ。
そういう施政方針に対して、ネット上でどんなに大騒ぎになるかと思いきや、ビックリするほど静かだ。
もはや、この分野では「今朝子の晩ごはん」だけが私の心の糧です。


テレビの話。
紅白はほとんど見なかったが、たまたまつけたらプリプリだった。
期間限定だったのか。
石川さゆり、憑いてた。
テレビ東京のカウントダウンは今回はエルガーの威風堂々だったが、ピッタリでちょっと興奮した。
そして早朝からのレッドカーペット。
後半、怒涛のように面白かった。
以前と同じネタを、アレンジして進化させてやってる人を見るのが好きだ。
私は単なるお笑い好きだが、あ、ここ変えてきた、というのだけはやたら気づく。
そして、工夫してるなー努力してんのねーと感動する。
磁石とかキングオブコメディとかHI-HIとかエルシャラカーニとかウエストランドとか、何度か見たネタだったけれど、みんな変えてて面白くなってた。
ウエストランドのあのせっぱ詰まった感じが評価されて個人的にうれしかった。

突然ですが、写真は今日、家の近くの土手から撮ったスカイツリーです。
直線距離だと、きっと7キロないくらいなのだ。
今度、歩いて行ってみるかな。
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by kuni19530806 | 2013-01-01 15:37 | その他