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寝ても覚めても   

柴崎友香著『寝ても覚めても』を読む。

各方面から「柴崎友香が好き」もしくは「柴崎友香が気になる」という声を聞いていたので、読んでみたいとずっと思ってました。
「読んでみたいとずっと思ってた」というのは、言い方を変えれば、「読みたい気持ちはあったものの、読まずにずっときた」ということです。
若い女性作家(「若い」はあくまで自分基準)の新規開拓にはけっこう慎重な方かも。
波長が合わない可能性高くね?とか思ったりして。
四の五の言わずとりあえず1冊読んでみればいいじゃん、と思わないでもないのですけど、それでなくても読みたい本がいっぱいあるのに、また増やさなくてもいいか、とも思う。
どんどん新しい作家を開拓し陣地を増やしていく(?)人はすげえ!と思います。
いやホント。

う~ん。
読み手を選ぶ小説だなあ。
いろんな小説があっていいし、ヒロインの価値観(倫理観?)にケチをつけたい小説なんて山ほどあるし、つまらないわけではないのだけれど、とにかく疲れた。
特殊なコイバナ以外には私はあんまり人の恋路に興味がないからかなあ。
つかみどころのない麦(ばく)という男と付き合って、予想どおり麦はいなくなり、その後、亮平という、今度は実在感のある、でもなんと元カレ麦にそっくりな新しい恋人ができるという、とりようによっちゃあ「かなり特殊なコイバナ」なんですけどね。

小説の進め方が斬新です。
あ、実は斬新なのかどうかわからない。
最近はこういうの多いよ、なのかもしれない。

疲れた小説ではありましたが、ツボも刺激されました。
人間は矛盾だらけで、整合性なんてとれてない言動や思考の積み重ねで形成されているよなという部分では共鳴できた。
この小説は、丸ごとオープンエンドっていうか、結果や結論はもとより、経年や経過や背景もほとんど描かれていなくて、それを読み手の想像力に委ねるというより、「恋愛にしろ、仕事にしろ、自分の居場所にしろ、確かなものなどないし、エピソードを羅列したからといって、それでなんらかの傾向を導き出す公式やベクトルすら存在しない。だから小説はその断片を切り取って見せるだけ。それ以上、なんかいる?」みたいな、書き手を突き放した意思みたいなものを感じて、それを面白いとは思いました。
サービス精神旺盛な小説ばっかりじゃなくてもいいと思うし。
でも、その断片自体にあまり興味が持てなかったせいか、疲れた。

この人の違う小説、もう1個だけ読んでみることにしようっと。
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by kuni19530806 | 2012-12-27 23:29 | 読書

解錠師   

スティーブ・ハミルトン著『解錠師』を読む。

2012の海外ミステリー・ベスト1を総ナメっぽい。
はい、私もその情報で読んだクチです。
なんか勝手に、哲学風味のこんがらがったミステリーかと思ってました。
「解錠」の語感のせいでしょうか。

存外に読みやすく、十代の恋愛&主人公の成長物語になっています。
幼少に遭遇した事件のせいで口が聞けなくなった少年の饒舌(なぐらいの)回顧録という設定は、巧い!と思います。
終盤まで引っ張る「事件」の真相が、期待外れ・・というと語弊があるんでしょうが、想像どおりでちょっとも意外な感じがなく、これまた語弊があるんでしょうが、肩透かしでした。

私は同じ「成長物語的海外ミステリー」というジャンルなら、ロバート・R・マキャモンの『少年時代』の方が断然好みです。
『解錠師』を読んだせいで、また『少年時代』を読みたくなりました。

ただ、『解錠師』の解錠シーンは素晴らしいと思います。
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by kuni19530806 | 2012-12-20 10:08 | 読書

女たちの武装解除   

小島慶子著『女たちの武装解除』を読む。

光文社のセレブ主婦向け雑誌「VERY」の連載コラム+αの本です。
今、さらっと「セレブ主婦」と書きましたが、その実態は私にはわかりません。
自分の生活水準がそのエリアにかすりもしないからわからない、という言い方ももちろんありますが、なんだかんだ言って、子どもがいないとセレブ主婦にはなれない、そもそも資格がない、ような気がします。
子どものいないセレブ主婦もいるのかもしれませんが、それは単なる「セレブ」であって、セレブ主婦の称号のデフォルトは、既婚であることではなく、子どもなのではないかと思うわけです。
子どもを持ってこそのセレブ主婦。
これについての一般的な意味での正解不正解は興味がありません。
ただ、自分がそう設定している、という話です。

小島さんのVERYコラムのタイトルは「小島慶子のもしかしてVERY失格!?」です。
高橋源一郎氏との対談でも明かされていますが、ポジションは「裏VERY」。
桐野夏生さんの連載(読んだことはない)と、「お受験の花道」という連載と合わせて、黒いトロイカ体制なのだそうです。
これ、素晴らしいネーミングだと思う。
しかも、VERYが書いた小島さんのプロフィールには「当たり屋」という文言があるらしい。

あんな雑誌・・と言っては失礼ですが、VERYの編集者ってイヤラシイほどバランス感覚があるんじゃないか。
確信犯とも露悪的とも言うかも。
バランス感覚があり過ぎてイヤラシイ、と言った方がいいかも。

小島さんのコラムは、そんなクセモノの依頼主の期待を裏切らない・・どころか、そいつらの想定の上を行ってるんじゃないだろうかと思われる内容です。
下品とか破天荒ではありません。
むしろ逆。
一歩間違えば宗教ちっくになりそうなぐらい、地味な日常や、欠点だらけの人間や、答えの出ない悩みや、地道な愛情の積み重ね、ささやかな幸せ・・などなどにエールを送る文章が並びます。
そこにまったくブレはありません。
だからこそ、年収やブランドや世間的ステイタスあれこれに重きを置くイメージが先行するVERY読者層の従来の価値観を打破・粉砕し、固定観念を一蹴し過ぎなんじゃね?と心配にもなるわけです。
あ、今ウソをつきました。
心配は全くしていません。

穿った見方はいくらでもできます。
雑誌的にはどうしても二律背反な感じは否めないし、上述したようにイヤラシくもある。
小島さん自身、「近親憎悪的」という言葉も使っている。
好戦的なイメージもある小島さんだから、何かを企んでんじゃないの?みたいな。
私はそうは思わないけどね。

でも、なんだかんだ言って、既成概念に対する小気味いい風穴的コラムであることは間違いないと思う。
内容が子育てがらみに終始しているけれど私もわかる・・とここは言わせてもらおう。

ただ、五月女ケイ子さんの表紙といい、タイトルといい、宋美玄さんといい、トンガったイメージが先行しちゃうよね、この本。
別にそれでもいいけれど、なんだかもったいない。
VERYも小島慶子も五月女ケイ子も武装解除も興味のない層が手にとれればいいのにね、となんだか自分でもよくわからない視点から思ったりもしました。
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by kuni19530806 | 2012-12-15 22:20 | 読書

ヘビーローテーション   

K特別支援学校のクリスマス会へ行く。

かれこれ20年近く、夫は重度の障害児の音楽療法のボランティアに参加している。
そもそもこの音楽療法サークルは、夫の後輩で、K特別支援学校(当時は「養護学校」)の教員をしていたM君が立ち上げたものだった。
主旨は「学校が週休2日になって負担が増えた保護者達のために、月に一度、半日程度だけれど、教員の有志やボランティアが障害を持つ子ども達を預かって保護者に息抜きをしてもらおう」。
つまり、当初、音楽療法は全く謳っていなかった。

月日は流れ、ボランティアに音楽療法士の資格を持つT先生(数年前に亡くなってしまった)と同じく音楽療法士のピアニストの女性Mさんが加わり、それと入れ替わるようにM君は教員を辞め活動からも身を引いた。
他にも、いろんな人の出入りはあったが、そんなこんなでいつのまにか夫がボランティアのいちばんの古株になり、音楽療法士の先生が2人加わったことで、活動は障害児とその保護者を中心とした音楽療法サークルにスライドした。
そしてそれが定着して現在に至る。

T先生が亡くなられた5年ぐらい前からは、Mさんとこども達と保護者と夫でバンドを結成し、年に5~6回、学校や老人ホームのイベントで演奏している。

私はイベント時の手伝いに行く程度の関わりだ。
人手が足りないときの助っ人というスタンス。
ここんとこ、ずっとそう。

20年という年月は、子どもを成長させるに十分な時間だが、重度障害児の親にとっては、子どもの成長は介助の負担増に直結することでもあるし、あたりまえだが自分達を老けさせもする年月でもある。
はた目、単なる助っ人要員、とはいえ、20年それらを見てきた。
振り返ると感慨深く、本当にいろんな思いの交錯する年月だった。

そして今日は、またあらたな思いを抱いた日だった。
ある意味、ショックを受けた日だ。
でも、きっといいショックだ。

このサークルに小学校入学と同時に参加したAちゃんという女の子がいる。
彼女は現在、高三なので、もう10年以上、サークルに参加しているということになる。
でも、Aちゃんは小柄だし、言葉を上手く話すことができないし、表情や手足の動きは幼い子どものようなので、私の中のAちゃんはずっと、最初に会った6~7歳のままの印象だった。

Aちゃんの病気がなんであるかはわからない。
Aちゃんはサークルの子達の中では障害が軽い方だ。
でも、参加したときからずっと、自力歩行と車椅子の併用で、こちらの話はなんとなくわかるようだが、彼女の口から出るのは「んー」だけだった。
Aちゃんは、喜びも不満も疑問も笑いも「んー」で表現する女の子なのだ。
・・・と認識していたのだけれど、彼女はいつの間にか、話せるようになっていた。
それ以上のことも。

私は今日、半年ぶりぐらいでAちゃんに会ったのだが、前回より、Aちゃんは一段階も二段階も身体の機能が回復し、向上していた。
いや、半年前の自分がその変化にきちんと気づかなかっただけなのだろう。
とにかく、Aちゃんは小さいけれど、いろいろたどたどしいけれど、めっきり大人っぽくなっていた。

うまく言葉が発せられるところまではいっていないが、「好きな芸能人は?」と聞くと、口の形が「アイバ」と動く。
嵐の相葉君が好きなんだって。
そして、いつのまにか手話もちょっとできるようになっていたし、車椅子を使わずとも歩き続けられる・・どころか、ダンスも踊れるようになっていた。

今日のクリスマス会でAちゃんは、支援学校の先生のバンドの演奏でダンスをした。
あのAKB48の「ヘビーローテーション」を、若い女の先生達と一緒に、くるくる回ったりもする完璧な振り付けで踊ったのだ。
会場は大喝采。

でも、私がいちばん驚いたのはそのことじゃない。

ヘビーローテーションはおおいに盛り上がり、アンコールとなった。
2回目のヘビーローテーションが始まるとき、先生達は「今度はみんなも踊ろうよ!」と、客席の子ども達を誘った。
ステージはうれしそうな子ども達でいっぱいになった。
曲が始まった。
子ども達が思い思いの振りで踊ったり、車椅子で動き回ったりした。

Aちゃんは舞台の真ん中で最初はちょっとみんなの雰囲気に気圧されたように棒立ちになったが、すぐに笑みを浮かべて、一度目と同じようにくるくると踊り出すか、と思いきや・・違った。
さっきの完璧な振り付けでは躍らなかった。
今度は、小さい子の手をとったり、車椅子がぶつからないように気をつけたりして、一度目とは全く違う独自の振り付けでヘビーローテーションを踊ったのだ。

私はずっと、Aちゃんは知的障害もある子だと思ってきた。
こちらの言うこと、場の状況が完全には理解できていないのだ、ぐらいに。
でも違ってた、全然間違ってた。
彼女の二回目の踊りを見て、今までのAちゃんのいろんなエピソードのピースが一瞬にしてひとつの画像になった気がした。
すごくうさんくさい言い草だけれど、まさにそんな感じがした。
Aちゃんのお母さんが口癖のようによく言ってる「Aは人に気を使いすぎるから行事の翌日は疲れて寝込んでしまうことが多い」の正しい意味とか、Aちゃんのタンバリンは、音の強弱こそあれ、全くリズムが狂わないこととか、ちょっと間が空いてボランティアに行くと、私の近くに寄ってきて、顔を見て「んー」と言って微笑むこととか。

Aちゃんに知的な障害は最初から全くなかったのだ。
それどころか、そんじょそこらの想像力が欠如した大人(たとえば私)より、ずっとわかっている人間だった。

ショックだった。
自分は気づいていたはずなのだ。
そして他の、もっと障害の重い子達に対しても、折に触れよく「本当はぜ~んぶわかっているのかもしれない。ただ、それを言葉や表情や身体の動きで表現することが出来ないだけなのかもしれない」と感じているのに。
それなのに、ついつい、知的な障害、という一括りで子ども達を見てしまっている自分の想像力の持続性のなさというか、不遜さというか、をあらためて思い知った気がした。
だって、たとえ身体が動かない子でも、うれしいことがあると表情が変わるのがよくわかるし、自分だってそういうことに今まで一喜一憂しまくってきたのだよ。
なのにさ。

Aちゃんのように、機能が回復してくる子は残念ながら少ない。
だからAちゃんは目立つし、こちらの障害に対する思いのいろんなきっかけにもなってきた。
「障害」という言葉を「障がい」や「障碍」に置き換えれば、「それに対していろいろ考えている私になる」と思うような人間に代表される、むしろ思考停止した人間に接するたび、Aちゃんの「んー」を聞き分けてみろよ、ぐらいに思ってた。
思考停止していたのは自分だ。
そしてこれからも、自分はちょくちょく思考停止するんだろうなあと思った。
それがショックだった。

気づかせてくれてありがとう、Aちゃん。
私は今後も忘れるだろうし、間違えるだろうけれど、少なくてもしばらくは「ヘビーローテーション」でいろいろ思い出すし、衿を正す気持ちになれると思う。
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by kuni19530806 | 2012-12-08 23:54 | その他

最近読んだ本   

高野和明『ジェノサイド』

すっごい力作だと思う。
それプラス、アメリカの愚かさ、日本に対する憂慮などがグリグリと抉るように描かれているところは、福井晴敏の『亡国のイージス』『終戦のローレライ』を彷彿。

物語の主たる舞台であるコンゴ(旧ザイール)での残虐シーン、特に少年が少年兵にされていく過程の描写は胸が悪くなる、どころの騒ぎじゃなく、目を背けずにそこを描いてこそ、この小説の主題が際立つと作者があえて書いたのだろうと斟酌はしても、二度と読み返したくない。

日本に対する描き方が過剰なほど厳しく感じられるが、それってやっぱり自国への憂慮なんだろうなあ。
わかるけど、そして面白い小説だと思うけれど、好きな小説ではない。
そして、二度は読まないだろう。
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ローレンス・ブロック『償いの報酬』
大好きなマット・スカダー・シリーズの新作がまた読めるとは思わなかった。
前作から6年、回顧録という形式で、初期の、まだ禁酒から1年という40代のマットが帰って来た。

ディック・フランシスもロバート・B・パーカーも亡くなり、サラ・パレツキーやスー・グラフトンとも昵懇でなくなり、この6年、海外ミステリのシリーズものはジェフリー・ディーヴァーのリンカーン・ライム・シリーズ(スピンオフもあり)ぐらいしか読んでいなかった。
でも、私は何を隠そう(隠してないけど)、マット・スカダー・シリーズがR.D.ウィングフィールドのフロスト警部モノと双璧をなすぐらい、ツートップな感じで好きだったのよ。

もはや、謎解きはもちろん、ストーリー自体、ほぼどうだっていい感じ。
ただただ、その語り口に浸っていられればそれで満足、の境地。
それのどこに問題がある?
ですね。
読み終わるのが残念だった。
次も書いてくれないかなあ。
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by kuni19530806 | 2012-12-07 19:36 | 読書

結局、自慢たらたら   

柴田元幸さんトーク&朗読イベント『世界文学を楽しもう VOL.2』 に行く。

私は、トマス・ピンチョンは読んだことがない、雑誌「モンキービジネス」も手にとったことのない、エドワード・ゴーリーの『おぞましい二人』を読んだ夜は悪夢を見た、ような人間なので、柴田元幸さんといっても特にありがたい気持ちはありませんでした。
一時期、ポール・オースターは読んでいたし好きでしたが、特に「LOVE♡」と思っていたわけではなく、実はその訳者が柴田さんと知ったのも最近です。
なので、前のめりに参加したイベントではなかった。
のですが、面白かった。
すごく。

テーマはずばり図書館。
予備知識が全くなくて存じ上げませんでしたが、柴田さんは朗読をやられている方でもあるのですね。
今年亡くなったレイ・ブラッドベリの小品の朗読に始まり、リチャード・ブローティガンの『愛のゆくえ』の冒頭、村上春樹が海外に向けて書いた文章、など、持ち時間の7~8割は朗読でした。
アナウンサー的ではないけれど、程良い抑揚で聞きやすかった。
朗読している人をじっと見ているというのも面白いものです。

朗読以外はほぼ質問タイム。
いかにもお勉強のできそうな質問者が、特にレベルが高いとは思えないふつうの質問をしていました。
それに誠実に回答しようとする柴田さんは、話の端々に知性をこぼしつつ、同時に、子どもみたいなサービス精神と、根っからの翻訳マニアっぷりも発揮していて、まるで英語と日本語の鬱蒼とした森に住む、世事に疎い年齢不詳の浮世離れ人みたいでした。
それにしても、英語を日本語に変換するという行為が純粋にお好きらしい。
それをカミングアウトするとき、照れてニヤニヤしてた。

印象に残ったこと。
翻訳の肝は、ある表現が、一般的なものなのか、レアケースなのかを察知する嗅覚、だそうです。
「もっとも、今はグーグルに入力して何万件もヒットすればよく使われてる言い方なんだとわかったりするんですけど」とのことでした。


それにしても
人選は良かったのに、なんだか主催者の体温があまり感じられなくて残念でした。
もちろん、アツければいいってもんじゃあない。
柴田元幸さんが飄々とした方なので、あれでいいのかもしれない。

けど、講師を選ぶことに一生懸命、決まれば達成感で、あとは「図書館のイベントはこんなもんでいいだろう」でやってる感じっていうの?
2回目なので私の知らない去年の実績があるわけだし、実際は違うのかもしれないけれど、そんな印象を受けてしまった。

自分が法医学者の上野正彦さんを招致したときにも感したことなので自戒を含めて思ったのだけど、「あえてここでやる意味があった?呼んだという事実で満足してないか?」と。
先月、やはり同じ居住区の図書館で大森望さんとトヨザキ社長のトークライブに参加したのだけれど、そのときは「ここでやる意味」云々の邪念は全く浮かばなかったんだよなあ。
その違いはなんなんだろう。

終了後、柴田さんが、参加者が持参した本にサインしたり歓談したりしているのをしばらく眺めていたけれど、図書館を運営する会社の、いかにもな営業マンが二人、やたらへりくだって擦り寄る感じで柴田さんに名刺を渡していて、けっ!と思った。
そもそもの「柴田元幸さんの話を聴きたい」という発案者の気持ちが汚された瞬間を見ちゃった、みたいな。
発案した人の気持ちが純粋だった、とか思ってるわけでもないんだけどね。
全然。

結局、自分の職場の行事と比較してしまうからなのかも。
先日の瞽女唄と越後の昔話は、企画内容も準備も当日の満足度も、本当に素晴らしかったから。
自慢たらたらですが、事実だからしょうがないのだ。
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by kuni19530806 | 2012-12-05 23:26 | その他

東京ソラマチ   

職場が変わってからもちょくちょく遊んでいる前の職場の4人で東京ソラマチへ。
雨で、真下でもスカイツリーのてっぺんが霞んでいました。
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Mちゃんがいろんなコースを考えてくれていたのだけれど、結局、ソラマチのフードコートで5時間、ず~っとしゃべってて、気がついたら日が暮れていました。
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それにしても、東京ってどんどん変わっていくなあ。
少なくても、押上駅は初めて降りた駅としか思えなかった。
スカイツリー周辺はどこにも以前の面影がなくて。
もちろん、東京にも変わらない場所はたくさんあるけれど、何食わぬ顔をして変わることにかけては東京はピカイチな気がする。
それは、そこにいる人が平然として(見え)るせいかも。
そうか。
何食わぬ顔してるのは街じゃないのだな。
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by kuni19530806 | 2012-12-04 23:33 | お出かけ