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僕らの音楽   

10月も終わりだー。
今年もあと2ヶ月。
2ヶ月!?
本当に秋以降の「年内」は駆け足。
しかも加齢と共にその脚力(だけ)は増してる。
とにもかくにも、日没時間と比例するように1日そのものも短くなっている気がする。

「僕らの音楽」を見る。
小泉今日子に興味があるのだ、私。
若い頃はなかったんだけどね。
前にもどっかで書いたかもしれないけれど、過剰なくらい自分の年齢を前面に出すその姿勢に興味があるのかもしれない。
自分も、包み隠さず加齢していきたいと思っているから、かも。

あ、前に『原宿風景』という彼女の本を読んで、自分はこんな感想を書いてた。


この本の彼女を見て、「キョンキョンも老けたな」という感想を持つ人は老若男女を問わず、多いかもしれない。
ライティングの工夫ができなさそうな屋外撮影写真が多いし、過剰な修正、加工もされてなさそう。
特に表紙の写真は、まるであえて若くなく写っている写真を選んだ感じさえします。
そこにも、自分を客観視、必要に応じては「自分は40代だ」を強調し過ぎる主観視(?)、が感じられます。

以前、なにかのインタビューで彼女は、芸能人のわりにお肌の手入れが無頓着で、それを人に指摘されても何もしなかったと言い、その理由として、「ちゃんと年相応に老けていけばいいじゃんと思ってた。それに、タバコを喫っている自分がお金をかけてお肌の手入れをするのってなんだかおかしな話だと思えて、エステとかに行けなかった」と告白してました。
それを読んだとき、この人はかっこいいな、と思いました。
なにも、正直だから、潔いから、かっこいいわけではありません。
いや、確かに正直さ、潔さはかっこよさに繋がるかもしれませんが、底辺に「まっとうな価値観や羞恥心」あってこその正直さや潔さ、じゃなきゃ、それこそ、元アイドルのあけすけな自作自演の暴露本が皆かっこいいってことになっちゃう、とでもいうか。
上手く言えてませんね。
結局、人としてのバランス感覚、に集約されるのかもしれません。


2年前の文章だけど、今の自分より全然上手く言えてるよ、と自分に突っ込んだりして。
・・一人芝居。

自分が書いた「まっとうな価値観や羞恥心」にオフィシャルな定義などない。
でもきっと、人それぞれにはあるのだ。
周囲の人や環境や状況や体調なんかで多少ブレつつも。
まっとうじゃなく見える人にもまっとうな価値観や羞恥心はある、と思っていると、けっこう面白い。

久々に見た(テレビでだけど)小泉今日子さんはやはり年相応に加齢街道を進んでいました。
でも、悪くなかった。
「優しい雨」も聴けたし。
私にとっては往年の名曲です。
そうか、1993年なんだー。
中井貴一が、松田聖子も老眼が始まっていることを暴露しててちょっとビックリ。
いいのか、言っちゃって。

貴一曰く、小泉今日子さんはアドリブの天才だそうです。

最後から・・というドラマのスペシャル版が見たくなりました。
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by kuni19530806 | 2012-10-30 23:02 | げいのうじん | Trackback | Comments(0)

のろのろ歩け 慢慢走 man man zou   

中島京子著『のろのろ歩け 慢慢走 man man zou』を読む。

北京、上海、台湾、を舞台にした3編が収録されています。
それぞれに具体的な関連性はなく、独立した3編です。

現在の日中関係を思うと、まるでこの事態を念頭に置いて、あえてこのタイミングで刊行されたのでは?と穿った見方をしてしまいそうになりますが、この3編がいつ執筆されたにしろ、通常の書籍刊行の準備期間などを想像すると、タイミングを図った(謀った?)ものではないと思われます。
ただ、タイムリーなのは確か。

国同士がいくらぎくしゃくしていても、そこに暮らす市井の人間同士がぎくしゃくする必要はない。
もちろん、国政や国の方針や社会に漂う空気が、人々の生活に無関係、影響なし、ではないことは重々わかっている。
わかっているけれど、今の時期だと、この小説に描かれた中国と、タイトルでもある「のろのろ歩け 慢慢走 man man zou」という言葉は、著者の思惑以上の意味を、読んだ人間から付与されてしまうのは仕方がないように思います。
落ち着いて、穏やかな気持ちで、まんまんぞう、精神で中国と接して行こう、みたいな。

この小説がそういう時事問題がらみで語られがちになるとしたら、残念に思います。
小説そのものがすごく良かったから。

中島京子さんはいい小説家だ。
他の誰かにとってのいい悪いはどうでもいいけれど(たとえ高野秀行さんであっても)、私にとってはとにかくいい小説家だ。

その理由は、中島さんの小説を読むと、触発されるから。
小説を書きたくなるのではなくて、小説にしろ映画にしろ音楽にしろ、自分にとって「上手く言葉にはできないけれど好きなもの」をこれからも絶やさないようにしたいというモチベーションが高まる、という触発です。
違う言い方をすると、中島さんの小説を読むと、「自分の好きな小説ってこういうの」という査定基準がますますわからなくなる、そこがスゴイと思う。
「好き」の枠や限界がとっぱらわれるってことだから。

よく、若いお嬢さんが好きなタイプの男性について条件を言うけれど、それがたとえば「親を大切にする」だとか「ウソをつかない」とか一見まっとうであっても、私はあまり真剣に聞いてられません。
条件がまともに聞こえれば聞こえるほど、そういうことをとうとうとわかったように言う人はわかってないというか、自分とは根っこのところで相容れないと思ってしまう。
よくわからないけれど好き、の重要性(?)がわかってない人っぽくて、つまらないのだ。

そんなわけで、この『のろのろ歩け』の感想はもういいや。
具体的に、3編のどれかのこの部分が印象的、みたいなことを書こうかと思ったけれど、自分の文章が勝手な方向に行ってしまったので、やめた。

実在の周囲の人物や時に自分自身がそうであるように、小説の登場人物もこっちの予想した行動や思考はそうそうとらない。
そして、予想されなかった方向に行くような小説の方が自分は好きみたいだ。
中島京子さんの小説を読むと、あらためてそのことに気づきます。
深い小説、というより、受け取れるニュアンスの層が厚い小説、だと思いました。
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by kuni19530806 | 2012-10-24 23:45 | 読書 | Trackback | Comments(0)

雪と珊瑚と   

梨木香歩『雪と珊瑚と』を読む。

偶然だが、先日読んだ『コーヒーもう一杯』同様、カフェを開くことがモチーフになっている小説。
とはいえ、小説のタイプは全く違う。
でも、私は2冊を比較したら平さんの方が好感がもてるかも。
・・だから、タイプが違うから比較するなんてナンセンスだってば!?

自分は梨木香歩好きかと思っていたが、もしかしたら『村田エフェンディ滞土録』と『家守綺譚』特化の梨木さん好きかもしれない。
いや、やっぱり「梨木香歩好き」でいいか。
別に好きな作家の小説が全て好きじゃなくてもいいわけだしね。
今回も、あまりのれなくて残念だとは思ったが、がっかりしたわけじゃないし。
これからもまた自分にとっての『村田・・』のような小説を書いて欲しい、と思うだけで。
同じタイプの小説、という意味ではなく。


育児放棄をネグレクトって言葉に置き換えるの、一般人はやめないかなあ。
専門分野で使っていただくのはかまわないが、それをマスコミや知ったかぶりがこぞって使い出し、一般化されるのが不愉快。
なんかさ、ネグレクトとか○○ハラスメントなどという、素人に耳新しい言葉にされると、その行為がまるで一般的に承認されたって感じになりませんか。
もちろん、そういう事実がある、という意味ではすでに承認されているわけだし、その事実に苦しんでいた人々にとって、ピンポイントで伝わりやすいという利点はあるかもしれないけれど、なんていうかなあ、微妙に「許可された」という感じになるような。
そんな風に思うのは私だけかなあ。
行為や現象に名前がつき、それが新鮮な響きだったりすると、認知されるだけじゃなく妙な方向に一人歩きし始めることがあるような気がする。
バカがなにかと、まるでずっと前から知ってました的に使いたがったりするしさ。

とりあえず、自分はあんまし使わないことにしたい、ネグレクト。
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by kuni19530806 | 2012-10-22 22:04 | 読書 | Trackback | Comments(0)

コーヒーもう一杯   

平安寿子『コーヒーもう一杯』を読む。

失恋をし、仕事でも顧客と揉めた30代ヒロイン未紀が、衝動的というか一念発起というかなりゆきというかで会社を辞め、カフェを始めることとなり、そして・・・という物語。

読む前は、タイトルは人生のブレイクタイム、みたいな抽象的な意味かと思ってました。
平安寿子さんの小説ですから、予定調和な甘い話のはずはない、とは思いましたが、こうもバリバリ実用書ちっくというか、現実の厳しさをグリグリえぐるが如くリアルに描く、世の「カフェとかやってみたーい♥」女子(!)の幻想を打ち砕く話とはねー。

ヒロイン未紀、これがいけ好かない女なんだよねー。
途中まではおよそ、頑張れ!的気分にはなりません。
甘いし、弱いし、図々しいし、「それ、自業自得!」と思うシーン多々あり。
まあ、ふつう人間はそうだよね、とも思うわけですが。
平さんってそういうところが本当に巧い。
巧過ぎて作家として損をしてるんじゃない?と思うほど。
小説になにがしかの甘い夢を求める人を一刀両断する話がほとんどですから。
なので、平さんの小説については、途中で挫折したり、1冊だけ読んで「この作家はちょっと・・」と思う人がけっこういっぱいいるんじゃないかと思う。

でも、平さんの小説はそれだけじゃないんだよなあ。
この小説も単に「イヤな女の転職話」で終わってません。
なんていうか、平ワールドの然るべき関門を通過した読み手にだけ、現実の厳しさの先にあるものが垣間見えるシステム、みたいな。
この小説のテーマも「現実は厳しい」ではなく、●●●勇気、です、たぶん。
・・別に、伏字にするほどでもない気がするけど、一応、ネタバレなので。

この小説を読んだら、今まで自分が足を運んだ個人経営の飲食店全てに敬意を表したくなった、と同時に、自分がファミレスとかが好きな理由もわかった。
経営の厳しさや経営者の努力が近くで見え過ぎる飲食店は却って居心地が悪い、のかもしれないです私。
すごく勝手なことを言ってますが。
あと、気に入って、どんなにヘビロテで通ったとしても、常連扱いして欲しくないのよねー私。
・・あ、これは今回の本の感想とは全く関係なかった。

とりあえず、今度高校時代の同級生の真理ちゃんがやってる甘味処に行ったら、いつものサービスは辞退してもっとちゃんとしたものをオーダーしようっと。
しかし、真理ちゃんは20年以上もお店を続けているのだった。
すごいことだよ。
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by kuni19530806 | 2012-10-13 23:36 | 読書 | Trackback | Comments(0)

歩く   

やっと、ようやく、どうにかこうにか、暑さもやわらいで外歩きに最適なシーズン到来です。
最適シーズンは短いので心して歩かなければ!!

そんなわけで、今日は出張先の本社(?)まで徒歩で行きました。
45分ぐらい。
ついでに、本社から職場に戻るときも、最寄りの駅のひとつ手前までバスで行ってそこから歩きました。
25分ぐらい。
今日はトータルで100分ぐらい歩いた。
距離にすればどのぐらいなんだろう。
残念なのは、このところ毎日装着していた万歩計を今日に限って忘れたことだ。

歩くのは気持ち良かった。
特に、職場へ戻る道すがらは何度かバスや車で通過したことはあるものの歩くのは初めてで、新鮮だった。
川べりの遊歩道兼サイクリングロードは、片側はあたりまえだけれど川。
つり船や個人所有のヨットやクルーザー(よくわからないけど)の駐船場(?)になっていて、つり船は別として「このご時世にいかにも維持費がかかりそうな船舶を保有してる人がこんだけいるんだー」と感慨深く思うほどの数のヨットやクルーザー(よくわからないけど)が停泊していた。
そしてもう片側は民家群。
秋の味覚の木々がうっそうと取り囲んでいる家々が連なっていたりして、両側の風景がおよそ東京とは思えず面白かった。

いつもとは違う経路で職場に向かったことと、職場が高さのない2F建てということで、歩いていたらそれまで全く気配を感じさせなかった職場が突如、左側のけっこう間近に出現してちょっとビックリした。
もちろん、目星は付いていたわけだが、それでも「おおっ!」と思った。
そして、自分がその周囲からはかなり浮いている、高くはないけれど割と嵩のあるアバンギャルドな外見の建物にもう2年も棲息していることにしみじみした。

そうか、2年か。
2年前に越してきた。
2年前の今頃は、職場の内装もレイアウトも商品も表示(サイン)も、オープンに向けてのマニュアルも印刷物もお手伝いの業者さんとの仕事のすり合わせも、ついでに言うと自分の足の骨折の治癒状況も、要するになにもかも、中途半端で先の見通しが立たなくて、心底途方に暮れていた。
今思えば、よく乗り切ったなあ。
実際、乗り切ったと言えるのかどうかは別として。
そうか、2年か。

そして1年前の今頃は、イベントのために浅生ハルミンさんと猫ストーカーをした。
ハルミンさんは、キレイで可愛くて子供っぽくてアーティスティックで変わり者で賢そうで、とても素敵な人だった。
表現者として世に出る人というのはこういう人なのだなあと思った。
ちょっと、ほんのちょっとだけ玉砕気分になった。
「表現者としての世」の範囲というか範疇は人それぞれ違っているし、ハルミンさんの一般的知名度がどのぐらいなのか私にはよくわからないが、そういうマーケティングリサーチ的しゃらくさい定義はどうでもよくて、ただ曖昧に「この人は世に出るべき表現者だ」と思ったのだ。
その思いは今も変わらない。

あれからさらに1年。
2年前も1年前も、起こったことや感じたことはなにもかも、リアルタイムの自分の血肉(たとえそれが澱んだ血や要らない肉でも)になっているのだろうなとは思いつつ、だからといってそれを活かす人生を今歩んでいるとも思えず、相変わらず途方に暮れ、相変わらずいろんなことにちょっと玉砕されてばかりだ。

とりあえず、この秋冬は歩いてみよう。
自分の新機軸は見つからないまでも、今日、不意に職場が左側に出現したときのように、停滞して閉塞した気持ちにちょっとした波風が立つ瞬間がまたあるかもしれない。

私のようなちまちました人間は、旅や芸術などで丸ごと新たな気分になるより、いつもの場所、いつもの人間関係にほんの少し波風を感じる方が、むしろよりより新鮮さを覚えるというか、まあ、われながらちまちまっぷりにも程がある!と思わないでもないが、そんな感じなのであった。

あ、本の感想を書くつもりだったのに。
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by kuni19530806 | 2012-10-12 23:21 | その他 | Trackback | Comments(0)

東京ローカルサイキック   

山本幸久著『東京ローカルサイキック』を読む。

わが偏愛作家の新刊ですが、今回はいつもの山本幸久ワールドと違う雰囲気で、ティーンズ向けというか、ユーモアラブストーリーSFというか、相変わらず読みやすいものの、今までとは別な種類の読みやすさでした。

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by kuni19530806 | 2012-10-11 20:38 | 読書 | Trackback | Comments(2)

夜のピクニック   

映画「夜のピクニック」を見る。

恩田陸の原作を読んだのはずいぶん前のような気がするけれど、映画も最近じゃないんだなあとしみじみ思ったのは、多部未華子が高校生役をやっているから、では全然なくて(今、演っても違和感ないかも)、そんなにテレビを見る方ではない私もこのところちょくちょく顔を見る池松壮亮クン(週一ぐらいのペースで見ていたあの「梅ちゃん先生」でもいたいけな青年役で出てた)が、この映画ではアメリカに転校してしまった未華子ちゃんの友達、の弟役を演っているから。
ちょっと生意気な子犬みたいな顔の中坊。
池松壮亮の成長の過程の一端を見せてもらってる思いがします。
親戚のオバチャンの如く。

生徒役には貫知谷しほりや柄本佑が出ているものの、あとは私は知らない俳優さんばかりで、それがフレッシュで良かった。

大昔の感慨だし今更だけど、高校生活ってたったの3年間だったのだなあ。
大人になって、特に中年になると、子供のいない人間はよほどのことがない限り特定の3年間など存在しなくて、メリハリなく月日を重ねてしまう。

大人になって思う学生生活の本当の意義は案外この「メリハリ」なのかも。
メリハリでガッチリ記憶が固定されるから、細部も蘇りやすい。

たとえしょぼい高校生活を送った人間(私)でも、当時のときめきとか居たたまれなさとか喜怒哀楽の記憶は思いのほか今でも近くて、それは素晴らしかったからというわけじゃなくて、蘇る轍ができているから、のような気がする。
そのせいか、情けなさややる気のなさや説明できない反抗心等々、およそ爽やかさとは無縁の日々がほとんどだったのに、記憶としては濃い。
もちろん、当時はこの3年間が後々濃い記憶として中年の自分から思い出されるとはツユとも思わなかった。
そして当時は自分達がかけがえのない日々に居る自覚など全くなかった。
なので、この映画(原作)の「今、自分が青春真っ只中に居る自覚」に対しては、ホントかな?当事者はそんな風に思ってないんじゃない?と懐疑的になってしまうけれど、高校生の群れが醸し出す独特の磁場というか、深みのない諦観、厭世感、衝動的な感情、何もわかってないくせに口にするわかったようなセリフ・・などはリアルに描かれていて、とても面白かった。
轍をあらためて辿りやすいように整備してもらったような感じもした。
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by kuni19530806 | 2012-10-09 20:26 | 映画 | Trackback | Comments(0)

追撃の森   

ジェフリー・ディーヴァーの『追撃の森』を読む。

今回はリンカーン・ライムシリーズでもなければ、そのスピンオフのキャサリン・ダンスものでも、007シリーズの新作でもありません。
・・あらためてこう書くと、いろいろ書いてますね、ジェフリー。
もう前世紀になってしまうけれど、『悪魔の涙』とか『静寂の叫び』とかもあったなあ。
リンカーン・ライムが初登場した『ボーン・コレクター』で一気に超メジャーになったので、その前の作品は別の人もののようだけど。

今回も仕掛け満載で、そのサービス精神は過剰なくらいです。
ヒロインであるプリンはちょっとリンカーン・ライムシリーズのアメリア・サックスを彷彿。
考えてみると、ジェフリーの小説のヒロインって美形だけど暗いっすね。
作者の好みかも。

どんでん返しを覚悟していたけれど、やっぱりしてやられた感あり。
面白かった。
残念ながらあまり残らないかもしれないけど。
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by kuni19530806 | 2012-10-07 20:14 | 読書 | Trackback | Comments(0)

復興は現場から動き出す   

上昌広著『復興は現場から動き出す ー本気で動く個人のネットワークが、本当に必要な支援を可能にするー』(東洋経済新報社)を読む。

震災と原発事故から1年半以上経ちました。
あまりにでかい自然災害と事故で、日本が想定していた危機管理能力、もっといえば国そのものの許容量がこの事態に立ち向かうには全然足らず、その場しのぎのやっつけ対応しかできず、負の連鎖を誘発してきた感じで、いまだ一向に明るいきざしは見えません。

今、当然のように「明るいきざしは見えません」と書きましたが、たぶんそこに異を唱える人はあまりいないだろうし、それが日本に暮らす市井の民の公式見解(世論と言った方が早いのか)っぽくなっていて、「政府が無能」とセットになって語られています。

確かにそのとおりなのでしょうし、この本を読んでますますその気持ちは強まったわけですが、私にはどうしても忘れられない一言があります。
去年の夏、まだ日本中が生々しい不穏さに満ちていたとき、ボランティア活動で被災地に足繁く通っていた高野秀行さんの講演会が地元の図書館で開催されました。
その際に高野さんが「政府が信用できない、あてにならない国の国民はたくましい」とおっしゃった。
あれから今日まで、政府の無能さが報道され、多くの人々がそれに乗っかり、自分も乗ろうとするたび、その一言を思い出し、そっとそこから降りる自分、を繰り返している気がします。


この本を読んだ直接の理由は、従兄が福島県浜通りのいわき市というところで医者をしているせいです。
従兄が登場するわけでも、従兄に薦められたわけでもありませんが、震災直後から半年ほどは頻繁にメールのやりとりをしていたものの、その後、特に連絡を取り合うわけでもなくなり、正直に言うと徐々に自分の関心も薄まってきました。
法事で福島に行ったり、友達の話を聞いたり、テレビや新聞、インターネットで関連情報を見聞きすると、突発的に関心がぶり返し、このままじゃいかん!と不意にコブシを振り上げてみたくなったり、半ば衝動的に震災孤児育英資金口座に微々たる募金を再開したり・・しているわけですが、でもそれらは全て点の行為で、あの日から連綿と続く日々に沿った線として持続しているわけでは全くありません。
そこに、言いようのない罪悪感があったりもします。

そんな罪悪感など言うだけむしろいやらしいと思うし、同時に、「原発事故のことなどできれば忘れていたい」と思っているのも事実で、私に限らず、多くの人はそのせめぎ合い(?)みたいなものの中でこの1年半、現実をやっているように思うのですが、でも、まだほんの子供の頃ではあっても、自分が富岡町や南相馬市という「今回の現場」で育ち、今も顔が特定できる親戚や知人がその地で、どういう立場で復興と関わっているかはわからないけれど「暮らしている」という事実は、明らかに薄まった自分の関心に罪悪感を抱く資格(!)は十分あるし、たとえ自己満足の自己憐憫でも自分にダメ出しをし続けるべきだ、と思ったりもしています。

だから、受動的に飛び込んでくる震災と原発事故関係の情報だけでなく、せめて、自分で能動的に、できれば現場で復興のために実際に身体と気持ちを動かしている人達の声、文章に触れる作業はすべきだろうというか、まあ、ここにあらためて書くとナンなのですが、ふだん、ほとんど原発事故後の福島を忘れている自覚があるからこそ、自分に言い聞かせているっていうか・・そんな感じなのです。

1年半前から今日まで、仮に500日経っているとしたら、生きている人々にも国にも、500日分の軌跡、展開があって、隣国とのすったもんだを始め、のっぴきならないような懸案がどんどん異常なくらい大量発生していて、一体全体、最近、世の中は日本はどうなっちゃったの?!と暗澹たる気持ちになることばかりですが、それでも、神様、もしくは世界、もしかしたら自分から「もう生きるのやめ!」と査定されるまでは人は生き続けるわけだし、世の中と自分を完全に切り離して生きることはできないし、不穏なモノから目を背けることも処世術の王道ではあるけれど、目を背けることと諦めること、刹那的になること、は似ていても微妙に違っているはずで、やみくもに現実から逃避して見えてもいない希望を語る人は不気味とはいえ勝手にやってればいい話だけれど、やたらネガティブになって、実際に動いて、希望を見出そうと真剣に取り組んでいる人を否定したり邪魔をしたりする輩だけにはなりたくないなあと思い、でも受身の態勢で加工されまくった情報だけを受信していると、思考が止まり、ややもすれば、その輩の領域に入ってしまいそうでおそろしく、ジタバタしています。


この本を読むと、現実の厳しさに暗い気持ちになります。
そして組織がデカくなるほど(病院→町→県→国)視野狭窄に陥るのだなあと痛感します。
でも、仄かながら希望の光も感じます。
この本で現場の過酷さの一端をひしひしと感じるわけなので能天気なことは言いづらいですが、それでも感じます。
それは、現実から目を背け、何の根拠もなく「そのうち、国が、時間が、然るべき人達が、なんとかしてくれるだろう」という類の希望ではなく、「この時点でこの発言をし、こう動き、こう踏ん張ったこの人がいれば・・」という、他力本願であることには変わらないものの、具体的な気持ちあっての希望だったりします。

私に何ができるか・・とりあえず、この本のことを文章にすることしか思いつかなかった。
安全な場所からスミマセン。
ご静読、ありがとうございました。
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by kuni19530806 | 2012-10-04 23:11 | 読書 | Trackback | Comments(2)

ここにアップしてみるね   

突然ですが、もう1ヶ月以上前のことになりますが、職場で開催したジャズライブについて、ここを見てくれているお友達2名から「見たかった!」とメールをもらったので、今更ながら写真をアップしてみるね。
うまく載るかな。

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by kuni19530806 | 2012-10-03 23:42 | その他 | Trackback | Comments(0)