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Twitter考   

ツイッター、まだよくわからないところが随所にあるくせに気がついたら200以上つぶやいてる。
私のツイートは全部どうでもいいことで、しかも誰にも依頼されていないのに140字という字数ちょうどに収めることにムダにエネルギーを費やしている気色の悪さ。
時折、どうなんだろうこれ?と思わないわけでもないけれど、じゃあ、フォロアー数十万という人のツイートも含め、どうでもよくない意義のあるツイートってあるのかというと、それは人間の価値に重さ軽さはあるのか?的な壮大な設問と同じレベルで「ない」だと思うので、同じ「どうでもいいつぶやき」という土俵なら、数十万人より20人のタイムラインに乗る方が罪が軽いというか、人々の人生の邪魔をしないということも言えるのではないかと思い、まあいいか、と大手を振ってどうでもいいことをつぶやく今日この頃です。
なんだ、それ。

どうでもいいつぶやき満載のツイートの中にも時には(というか、わりとしょっちゅう)こちらの心にヒットするツイートがあります。
でも、こちらの心にヒットしたからといってそれは当然「私以外の人にとっても素晴らしいツイート」ではなく、単に「私の心にヒットした」だけで、やっぱりツイートはそれもこれも皆平たくどうでもいいつぶやきだと思うのです。
そんなことを思いつつ、自分の近しい人に読んで欲しくて時々自分にヒットしたツイートをリツイートしたりもするんですけどね。

そんなツイッターですが、やっていると気づくことは他にもあります。
いったい、私をフォローしてくる面識も好みの共通項も全くないと思われる人の意図は結局なんだ!?とか、オフィシャルな顔(文)とツイートの内容に落差がある文筆業の方がけっこういて面白いとか、第三者には全く意味の通じない会話をまるで通じないことを周囲に見せつけることが目的のように延々と続ける輩がわりに多いな、とか。

そんななか、いちばん気になるのは、自分を褒め称えるツイートをリツイートする人、ですかね。
いや、たとえば自分の作品という商品に対してなら全く気にならない。
本にしろ映画にしろ音楽にしろ、商品になったら多くの人が関わってくるし、商品は「売る」ことが目的ですから。
リツイートに文句はありません。
じゃなくて、自分の主観や人間性に対する賛同や賛美のリツイート。
うれしいのはわかるけれど、コメントしてくれた人に一言「ありがとうございます」と返信すればいいのに・・っていうか、その方が百倍好感が持てるのに。
その人にとっては自分の人間性も商品だから1人でも多くの人の目に触れるように、と思うのかなあ。

でも、もはや確固たる地位のあるベテランサブカル系の人にそれをされると、私などちょっと引いてしまうわけです。
たとえ主義や主張があっても、自分は正しいでしょ?正しいでしょ?と連呼されてるみたいで、その主義主張がむしろうさんくさく思えてしまう。
そんなわけで、某○○さんのタイムラインに胃もたれして思わずフォローを外してしまったよ。
自分にとってはこうなるともはや、その主義主張の正しさとかは関係ないのね、と気づきました。
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by kuni19530806 | 2012-02-27 20:34 | インターネット | Trackback | Comments(0)

遍路組曲   

久しぶりにじっくりテレビを見ると、芸能人の歯並びが変わっていることに隔世の感すら抱きます。
特にお笑い系。
チュートリアルの福田はずいぶん前になるけれど、その後、バナナマンの日村もおぎやはぎの矢作もイモトも。
芸能人は歯が命、ですからねー。
芸人の場合、たとえビジュアルで笑いをとろうとしても、歯並びは別モノなのだ、と日村の整った口元を見て思った。
ま、歯並びが悪いことは必ずしも笑いに繋がらないだろうし、健康に直結する部位でもあるし。
こうなると、最後の砦はエレキコミックのやっつんか・・と思ったら、彼も矯正中みたいだ。
やっつん、凄かったもんなー。

土曜日のライブで購入した月岡祐紀子さんのCD「遍路組曲」を何度も聴いている。
約十数分のCDなのですぐに聴けるのだけど、冒頭の鈴の音も三味線も尺八も二胡も、もちろん唄もいいなあ。
四国の有名な民謡がメドレーになっているのもいいですが、ラスト4章「歩きへんろのテーマ」の詞が心の深部に沁み入ります。
あの「花」に通じる唄だ。
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by kuni19530806 | 2012-02-26 23:48 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

横道世ノ介   

吉田修一『横道世ノ介』を読む。

つらつら思い出してみるに、吉田修一ってあんまり読んでなかったのでした。
『最後の息子』と『パレード』ぐらいか。
書いているモノの傾向が似ているとも思わないのですが、私の中で、吉田修一と奥田英朗を混同していることがたまにあって、「伊良部一郎ってどっちだっけ?」などとわからなくなることがあります。
そして今気づいた。
私は吉田修一には特に興味がなくて、好きなのは奥田英朗だった(なんだそれ?)。

そんなわけで吉田修一の『横道世ノ介』です。
これって1~2年前、けっこう評判になりましたね。
吉田修一っぽくないタイトルだなあと思った記憶あり(奥田英朗っぽくもない)。

フシギな小説です。
登場人物全員、つかみどころがないっていうか。
バブリーな時代に大学生になって九州から東京に出てきた主人公世ノ介と彼の周囲の人々が、とりたてて大きな事件もなく描かれていきます。
各章の最後には、その人々の現在(20年後?)の姿が登場しますが、世ノ介が直接出てくることはありません。

まっすぐなんだか世渡り上手なんだか、臆病なのかずうずうしいのか、純粋なんだかそうでもないんだか、よくわからない大学生世ノ介がとてもリアルです。
世ノ介の言動や気持ちの振幅が大きい分、彼にはこれから無限の未来が拡がっているような、なんだかこっちまで人生に可能性を感じられるような、清々しさがあります。

中年になったかつての若者たちの日常は決して明るいものばかりではありません。
誰もが、現実との折り合いに苦慮したり諦めたり開き直ったりしているわけですが、そこでふと思い出すのが「あの頃の世ノ介」だったりします。
誰も世ノ介の近況を知りません。
付き合いは20年前以降、連綿とは続いてはいなかったわけです。
でも、ふっと彼を思い出したり、ある事件で彼の名前を見聞きした者はみな、大事なものを思い出したような格別な感情を覚えます。
それは、世ノ介自身に対してというより、あの頃の自分や時代に対する思いなのでしょう。
付き合い続けていなかったからこそ、世ノ介を思い出すことは若かった自分への郷愁に直結する。
読み手も疑似体験できます。

これは映画化されるそうで、世ノ介はあの高良健吾クンだとか。
なんだかんだ言ってイチバン変貌を遂げる祥子は吉高ナントカさん。
世ノ介役は難しいと思うけれど、素が無色そうな(あくまでも私の印象)高良クンは合ってるかも。
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by kuni19530806 | 2012-02-25 23:40 | 読書 | Trackback | Comments(0)

瞽女唄ライブ   

月岡祐紀子さんの瞽女唄ライブに行く。

会場はとても小さく、すでにイス席は満席だったので、かぶりつきの板の間席に案内される。
瞽女唄はもちろん、生三味線をちゃんと聴くのも私は初めて。

数日前から本格的に私の花粉症シーズンが始まり、今日も薬を飲んでしまったので、実はライブ中に寝てしまうかも、とl危惧していた・・が、全然!
月岡さんの目の前の席という立地条件+引き締まった演奏と唄とトークで、ダレる瞬間は全くなく、心地よい緊張感に満ちた時間だった。
素晴らしかった。
三味線と唄はもう聴き手として感心するばかりだが、まだ30代の月岡さん本体の、落ち着いて臈たけたとでもいうような物腰やしゃべりは、わが身をなさけなく思わせるに充分。
いくら民謡の下地があったとはいえ十代で瞽女唄に魅せられる人というのは、持っているモノが違うのかもしれない。
品というのはそれを意識した人間にのみ宿る、というのをどっかで聞いたが、遅ればせながら自分もちょっと考えるべきか、と思ったりして。
ま、ムリだろうけどねー。

ライブ、無料というのが申し訳なくて、CDを買った。
サインもしていただきました。
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by kuni19530806 | 2012-02-25 20:31 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

最近読んだ本の覚書   

『気仙沼に消えた姉を追って』生島淳。
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著者はあのヒロシの弟で、本業はスポーツライター。
アナウンサーヒロシとそのすぐ下の弟(職業不詳)は以前とある場所で何度も見かけましたが、そのまた下にも弟がいるとは知らなかった。

淳氏は、ずいぶん前に自殺した桂三木助という落語家に声も顔も似てる気がします。
最初に似てる思ったのは声です。
彼はラジオ「小島慶子 キラ☆キラ」月曜日レギュラーなのですが、声を聴いていて三木助の顔しか浮かばなかった。
その後、顔写真を見たらドンピシャな顔なんで笑った。

生島3兄弟の1と2の間に位置する「姉」とその夫は昨年の震災で行方不明になり、数か月後に遺体が確認されました。
この本は、肉親が行方不明のままという極めて特殊な状況から書かれていますが、震災直後の著者の不安定な心理状態や、何か月も現場に行けなかった理由や、多くの後悔や絶望や、前を向いて生きて行くしかないと思い至るまでの経緯が、平易な言葉で語られていて読みやすいです。
複数の被災者の証言は、それがどんなに苛酷な体験でも「復興」の旗印に映るのは、当然ながら語り手達は生還者だからです。
並列に描かれている「姉」だけが生還者ではない。
著者の悲しみと悔しさが際立つ構成になっています。
読んでいて楽しい内容ではもちろんありませんが、私は読んでよかったと思った。


『女子アナ以前 あのころのわたしと、いま考えていること。』小島慶子。
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小島さんのインタビューを起こした人生指南書です。
コメントはどれも、ラジオや他の著作で語られていることですが、これを読むとあらためて「アウェイになってもキラ☆キラにこだわって続けて欲しかった」と思いました。


『絵になる子育てなんかない』養老孟司+小島慶子。
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二人の対談集。
養老さんってけっこう極論傾向の変わりモンっすよね。

私は子どもはいないけれど、これを読んだらなんだか気がラクになりました。
対談は震災後に行われているので、原発事故の話も出てきます。
原発事故後の日本は集団ヒステリー気味になっている感じもしていて、それは自分も例外ではないと思われますが、これを読んだら、少し肩の力が抜けた気がしました。
養老さんがとりたてて原発事故を楽観視する発言をしてるわけじゃないんだけど。
あ、全然してないです。
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by kuni19530806 | 2012-02-19 23:16 | 読書 | Trackback | Comments(0)

NHK周辺のテレビの話題、その他   

周囲では、小泉今日子と中井貴一(最初「喜一」って出た。全然イメージの違う同音異義語?だー)のドラマが人気で、みなこぞって見てる感じですが、私は見ようとしてもなぜか忘れてしまう・・と思ったら、ブラタモリと同じ時間帯だったのね。
今、我が家には録画という概念がない(おおげさ)のでキョンキョンドラマの視聴はムリと決定。

やっぱりブラタモリは面白い。
と言いつつ、これまたしょっちゅう見忘れるわけですけど。
タモリの面白さは、ラジオかタレント以外と絡んだときにこそ発揮されると長らく思っているもので、ブラタモリは後者の魅力が満々なので楽しいのだ。
NHKのくせに、フジテレビの往年のとんねるずの番組と聞き紛うごとき、スタッフのお追従というか媚びというか付和雷同的笑いが過ぎてちょっと邪魔ですが、今日も明らかにやり過ぎなCGも含めて、面白かった。

そしてピタゴラスイッチです。
正確にはピタゴラ装置。
DVDブック①②③でまとめてみるピタゴラ装置は圧巻です。
1巻あたりの時間は20分程度なのですが、いちいち感心してしまうので、濃密な20分です。
まとめて見ることの欠点は、どれもこれも素晴らし過ぎて、だんだんそれがふつうの感覚になってしまうことと、栗コーダーカルテットの奏でるテーマソングとBGMを聞き過ぎて、終盤はちょっとうっとうしさすら覚えること。
ゴメン、栗コーダー。

試作を含めた準備に膨大な時間を費やしているであろうことは想像がつく世界ですが(もっとも、想像の上を行く労作なのでしょうが)今回あらためて気づいたのは、使われている文房具や日用雑貨品のセンスがいいこと。
そういうもののセレクトセンスのいい人はとっくに気がついていたのでしょうが、私のような俗物的な末端構成員(何の?)は意外と見落としてました。

そうそう、私が以前ここで感想を書いた佐藤雅彦さんの『考えの整頓』がやっぱりすごく面白かったとちょっと前にメールをいただきました。
このピタゴラ装置を見てあらためて、佐藤雅彦ワールドは揺るぎないなあと思いました。
0655や2355も私の周囲では絶大な人気を誇っていますしね。
ちなみに、あの番組で使われている曲のほとんども栗コーダーカルテットの作曲です。

あ、うっとうしさを覚えたなんて書いたけど、栗コーダーのライブ、めきめきとまた行きたくなった。
できれば池袋の自由学園明日館がいいなあ。
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by kuni19530806 | 2012-02-10 10:34 | テレビ | Trackback | Comments(0)

エージェント6   

一部の方にはちょっとお騒がせしましたが、夫の手首は骨折もヒビもなく、捻挫というか打撲だった模様です。
見事に腫れてますが、まあ大事には至らなくてよかった。
利き手じゃないのも不幸中の幸いだった。

トム・ロブ・スミスの『エージェント6』上下を読む。
本日配信された たんぽぽ隊通信にまた乱入して、そこでもこのレオ・デミドフシリーズについて少し触れてますが、いやー今回も、前2作『チャイルド44』『グラーグ57』に勝るとも劣らない力作でした。
今回はこのミスでは3位だったようですが、ハードさではトップだったのでは?
他の海外ミスを全く読んでない分際で言ってますが。

このシリーズはなんだかんだ言って、毎回「愛」がテーマですが、今回も胸が締めつけられるような愛が描かれています。
具体的に言うと、1950~1981年という長きに渡るレオの愛と戦いの記録です。
しょっぱなこそ唐突に1950年のソ連が登場して驚くものの、その後、時系列が交錯することなく進むので読みづらさはありません。
前2作同様、どの瞬間を切り取っても緊張感いっぱいなので読んでいて疲れないこともありませんが、その上を行く面白さなので、ついついこっちも前のめりで読み走り、長さを感じませんでした。

なにより、今回はアフガニスタンのシーンが素晴らしかった。
壮絶過ぎて行きたいとは決して思いませんが、アフガニスタンに侵攻したソ連の生臭さはまるでノンフィクションみたいですし、その渦中の、長く無気力で神経症的でアヘン中毒だった駐留ソ連軍特別顧問レオが、アフガニスタンの兵士やソ連軍大尉、そして教え子のナラ、アフガニスタンの少女ザビらによって受動的ながら覚醒させられ、自分のなすべきことに目覚めていくあたりは、こっちも一緒にアドレナリンを分泌しちゃったっていうか、高揚感というか疾走感に乗せられたというか、ページをめくる指にもつい力が入ってしまう感じでした。

とはいえ、やっぱり読後は疲れたなー。
せつない話でハッピーエンドという終わり方じゃないし・・でも余韻がしばらく後を引いて、読書の醍醐味は十分でした。

前回も書いたと思うけれど、この作者、まだけっこう若いんだよね。
たいしたもんっすねえ。
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by kuni19530806 | 2012-02-07 20:40 | 読書 | Trackback | Comments(0)

だめんず   

職場で「だめんず」の話になって、気がつくと堰を切ったように、自分の父親と次兄がいかにだめんずかを語っていた。
仕事中だっていうのに。

このろくでもない身内二人に対して、言葉にしてみて初めて気づくこともあるのだ、と思う今日この頃。
特に次兄に関しては、今まであまり人に詳細を話したことはなかった。
理由は単純。
話すとムカつくから。
若いときは、家の恥だとすら思っていた。
でも最近になって、同じくめんどくさい兄弟を持つお友達とメールで「めんどくさい兄弟」を自慢・・じゃない、プレゼンし合うようになった。
そしたらすごくラクになったのだ。
同じ懸案を持つ者同士のシンパシーとか心強さ、今まで溜め込んできたものを吐き出したスッキリ感、ももちろんあるけれど、次兄のダメさを文字にすることで、これまでしてこなかった次兄の分析をし始めたのだ、私。

次兄は
心身が弱い。
プライドが高い。
見栄っ張り。
怠け者。
神経質。
気分屋。
短気。
被害者意識が強い。
お調子者。
自意識過剰。
自分を客観視できない。
飽きっぽい。
人の視線が怖い。
いつも自分以外が悪い。

そう。
そのへんの人々と一緒だ。
私もほぼ当てはまる。
ただ、このすべてに「人一倍」(二倍でもいいけど)か、時には「病的に」という接頭語が付く感じ。
私には付かないのか?と聞かれると、「付くかも」と答えるしかないわけですが。

この次兄の性質は、なにもあらためて分析するまでもなく、ずっとわかっていたことではある。
けれど、それを本人の具体的な言動とちゃんと結びつけて考えたことはなかった。

たとえば今回の長兄の七回忌だ。
次兄は直前まで「出る」と言っていたのに、3~4日前にドタキャンした。
表向きの理由は腰痛だ。
私は当初、「ああ、また」と思っただけだった。
今までにそういうことが数限りなくあったから。
そして、轍にハマるようにお決まりの腹立たしさを覚えた。
理由なんて理解したくないし、そもそも説明などつかないことでしょ、と。
でも、それを次兄の「自分でもどうしようもない(かもしれない)気質(もしくは器質)」と照らし合わせると、簡単に説明がつく。
誰にでも。
なんで今まで私は照合作業を怠って、ただむかっ腹を立てておしまいにしてたんだろう。
身内だからか。
腹立たしいのでそれ以上、次兄のことを考えたくなかったからか。
たぶん、そうなんだろう。

分析しても腹立たしさが緩和されるわけでは必ずしもない。
私はドタキャンを知って以来、次兄には連絡していない。
でも、分析すると自分がラクになることがわかった。
たとえていえば、お腹が痛くなって最初はその原因がわからなかったが、思い当たるフシにたどり着いたらラクになった、に似ているかも。
腹痛が治ったわけでもないのに、原因がわかった時点で、痛みが緩和されたような、あの感じ。
掌握感?

次兄はエラそうな妹に忸怩たる気持ちも持っているので、これから私が注意しなければならないのは、次兄にこの掌握感を悟られないようにすることかもしれない。

しかしめんどくさい。
でもめんどくさい身内を持つのは私だけじゃないし、自分だってかなりめんどくさい部分はあるし、今後、加齢や突発的な出来事で自分ももっとめんどくさい人間になる可能性は大きい。
自分がすごくめんどくさくなったときのために、今、あまりめんどくさいと大騒ぎしないようにしよう、でもするけど。

とりあえず、今、物理的にイチバンめんどくさいのは父親だ。(既に前言撤回)
あー、やれやれだ。
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by kuni19530806 | 2012-02-05 23:14 | その他 | Trackback | Comments(0)

キルトの家   

NHK土曜ドラマ「キルトの家」前後編を見た。
その昔、「男たちの旅路」にKOされた身としては、同じ脚本家、しかも同じ土曜ドラマ枠、見ずにはいられよーか、というものです。

「男たちの旅路」は鶴田浩二、桃井かおりがメインキャストで、数年間、年に1~2度、3話ずつぐらい放映されたと記憶していますが、当時十代の私には本当にインパクトのあるドラマでした。
鶴田浩二と桃井かおりの大ファンになったし(ただしドラマの役柄に限定のファン)、放映日の土曜の夜は数時間前から気持ちはもう男たちの旅路モードで、全員集合もうわの空で見ていた気がします・・たぶん。

桃井かおり扮する悦子が死に、岸本加世子や清水健太郎(6回逮捕で現在服役中←ユリオカさん情報)がレギュラーになる頃はあまり真剣に見なくなりましたが、それでもあのドラマの鶴田浩二は、当時のお茶の間向けのドラマの規定枠外のキャラクターとして一貫して新鮮であり続け、それまでは彼に対して「なつかしの歌番組にたまに出てくる、ハンカチでマイクをくるんで耳に手をあてて歌う怖そうでめんどくさそうなオジサン」という印象しかなかった私には、初めて「経験値の高い大人の男の渋さ」を感じさせてくれた存在でした。
あ、最後のフレーズはなんか予定調和な文章、まあいいか。

「男たちの旅路」の中で印象的な回は、桃井かおりの最後の回と、やはりあのシルバーシートです。
そして、今回の「キルトの家」はちょっとシルバーシートを彷彿させるドラマでした。

もはや語り尽くされている感がありますが、あらためて思います、シルバーシートは凄かったなあと。
志村喬、笠智衆、加藤嘉、藤原釜足、殿山泰司が勢ぞろい。
この5人が晩年(人によっては最晩年)、同じドラマに出るだけでも驚くべきことなのに、こぞって淋しい老人を演じ、一緒にバスを乗っ取るというストーリーでした。
でもそれがいかに凄い人選、役柄、内容かがわかるのは、下手すりゃ私がギリギリの世代かもしれません。

なぜか当時、我が家には殿山泰司の三文役者ナンチャラというエッセイがあって、それは今で言う「ちょっとエロい」内容で、子ども心に、殿山泰司はロクでもないジジイという刷り込みがされていましたが、シルバーシートを見て「ロクでもないわけじゃないかも」と思ったりしました。

なかなか「キルトの家」に話が進まん!
っていうか、正直、もう「キルトの家」の話はどうでもよくなってきました。

実は、ちょっと期待外れだったりしたのです、キルト。
そりゃあ、腐っても山田太一ですから、問題提起になる設定だし、印象的なセリフはいっぱいありました。
キャスティングも渋かったっす。
特に、あの緑魔子に謁見できるとは!

ナレーションもなく、唐突なセリフや行動で視聴者をちょっと困惑させ、でも後々その理由が解明されていく進行は、わかりやすさに慣れた身には一見新鮮で「これぞドラマ!」ですが、その解明方法が全部出演者、それも本人のセリフによる説明ってのがなあ。
山崎努の「魂の話をしよう」というセリフの意図も、松坂慶子が高齢者の世話に翻弄する意味も、杏と三浦貴大の過去も、「実はこういうことがあった。だから・・この気持ち、わかるでしょ」と涙ながらに語られると、その内容には共感を覚えても興ざめしてしまう。
若い二人には山田太一独特の言い回しもしっくりこなかった。
リアリティがドラマの全てではないと思うけれど、今、あんなしゃべりをする若い人はいないと思うし、それが気になり出すと、演じ手達が脚本家の駒に見えてしまって。

でも、ここまで文句を書いたくせに、見てよかったと思っている自分もいます。
山田太一のドラマはいつも「生きてくことのみっともなさと尊さ」を描いているなあと思っていますが、それが今回も強く感じられたから。
みんなみっともないんだから自分もみっともなくてもいいんだ、と思えたというか。

それにしても
山田太一自身も立派な高齢者なのねえ、もう。
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by kuni19530806 | 2012-02-04 23:34 | テレビ | Trackback | Comments(0)

チューサンかあ   

自分でちょくちょく髪にハサミを入れていたら、さすがに収拾がつかなくなったので美容院に行きたいのだけれど、寒くてなかなか行けない。
今、私のヘアスタイルは「カーネーション」の次女状態。
あの髪型が悪いってわけじゃない。
いくらなんでも自分の年齢ではありえんだろう、と思うだけです。

先週、久々にKさんと電話で話しました。
この日記にもたま~に登場するシングルマザーKさん。
Kさんとはもう30年来の付き合いで、娘のなっちゃんは今中三で高校受験間近です。
あ、Kさんとの付き合いの半分はもうなっちゃんが存在してるんだ!

あのなっちゃんがチューサンかあ、と、その昔、セカンドマザーを気どっていた私は思うわけですが、実はKさん母娘にはもう2年ぐらい会ってません。
なっちゃんが幼稚園ぐらいまでは、頼まれてもいないのに片道1時間半かけて足繁くKさんちに通っていた私でしたが、徐々に足が遠のきました。
理由はいろいろありますが、なっちゃんが大きくなって私はつまんなくなったんでしょう。
無責任なもんです。

でも今あらためて、もっと子ども時代のなっちゃんにくっついていればよかったなあと後悔しています。
後悔したってしょうがないのは言わずもがなですが、なんだかしみじみそう思っています。

ちなみに、なっちゃんは私を「自分の知っている人の中でサイコーに年齢より若く見える人」と査定しているそうです。
Kさんが「『お母さんと3才しか違わないなんて信じられない!』ってしょっちゅう言われて、正直ちょっとムッとする」と教えてくれました。

そのうちなっちゃんに、「未熟で無責任な人間は若く見える傾向があるかもしれない」と伝えよう。
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by kuni19530806 | 2012-02-03 20:37 | 友達 | Trackback | Comments(0)