<   2011年 10月 ( 15 )   > この月の画像一覧   

タイ   

ほぼ季節ごとに開催されている前の会社の職場呑み会。
職場自体は統合?廃合?だかよくわからないけれどもうなくて、みんな全国各地はもとより、海外まで網羅した範囲でちりぢりになっている。
なのに、というか、だからこそというか、同窓会的なものがいまだ存続していて、6年も前に退職している私のような人間(しかも非正社員)まで誘ってくれる。
ありがたい。
苦痛な職場だったらもちろんそんな風に思わないが、けっこう楽しかった。
給料は安かったし、年度末の忙しさはハンパじゃなかったし、愚痴もいっぱいこぼしつつ働いていたけれど、ネガティブな感情は基本、長くても数日単位で忘れてた。
なにより、自分の「ちょい毒を含んだネーミングセンス」が培われ発揮できるくらいは働きやすかったのだ。

2011年は、2月に冬の同窓会があって、春は震災関係で開催されず、夏はめずらしくイタリアンバイキングだった。
そして秋。
今週の予定だったので楽しみにしていたが、急遽中止決定。
実はある程度、予測していたけどね。
理由はタイの洪水だ。

在職中、自分の部署のシマに、全く異業種の部署が1年ほど間借りしていたことがある。
前の会社は規模がデカく、部署が違うとまるで別会社で、あいさつぐらいはするものの背中合わせの人の名前を知らない、なんてことはあたりまえの範疇だった。
2千人規模が働く本社だったせいもあるけれど、デカい社食もいっぺんには入れず、フロアごとの交代制で昼休みをとっていたし、何十人も乗れるエレベーターが10台ぐらいあった。
私はいろんな会社を経験しているけれど、その中でもイチバン規模がデカかったと思う。
4年半、デカい会社ならではの、面白かったり珍妙な経験もいろいろさせてもらいました。

そうそう、シマの話。
異業種の間借りは、もともといた私達の部署で席替えをしてその部署を受け入れる形だった。
私は隣の席に移り、そこには間借りしてきた部署のUさんという若い男子が座った。
お隣さんになるので、私はちゃんと「はじめまして。マツモトと申します、よろしくお願いします」と名乗った。
Uさんはモジモジした男子に見えた。
下を向いてもごもごと「こちらこそ」らしき単語をつぶやき、全くこっちを見ようとしない。
ま、いいけどさ、私はオバサンだし(しかし今よりは10才ぐらい若かった)、でも最近の若い子はあいさつもちゃんとできないのかよ、とそのとき思った。

なのに、最初はそんな感じだったのに、Uさんはそれから数時間経つと、何度かちらちらとこっちを窺うそぶりを見せた。
しかし、何も言わない。
気になったが、気のせいかもしれないのでこっちも様子見。
でもやっぱり何か言いたげ。
そのうち、Uさんの反対側の隣に座る社員が私を見ながら笑いつつ言った。
「U、だから言えばいいじゃん」
な、なんだ?
早々に告白かあ?

「あの~、これ」
Uさんが観念したように自分の机のサイドにある引き出しの一番下をおもいっきり開ける。
手前はカラだが、奥半分にはぎっしり書類やカタログが詰まってた。
全部、私のだ。
席替えのときに出し忘れたのだ。
半分だけ開けて、出して、それでキレイにしたと思ったのよ。
急いでたしさ。

あ、ご、ごめんなさい!
と、反射的に殊勝に(!)謝ったが、周囲が口々にUさんのモジモジぶりを茶化すので、私もつい口車に乗って「そうですよ。んなこと、とっとと言って下さいよ。言い淀まれるとむしろこっちが悪いみたいじゃん!」と意味不明のコメントをしてしまった。
むしろこっちが悪いって、最初から私の不注意なのに。
Uさんは一瞬ものすごくビックリした顔をして私を見たが、私のコメントで私に対する自分のスタンスを決めたらしく、「なんで僕がマツモトさんに怒られきゃならないんですかっ!」と笑ってそこでそれまでのモジモジっぷりを全面的に終了させた。
その後、Uさんと私は他の人達に「仲いいね」と羨ましがられるくらい、よくしゃべるようになった。

Uさんはタイ語がぺらぺらだった。
なんでしゃべれるのかと聞いたら「必要に迫られて」という答えだった。
その「必要」は、当初はもちろん仕事で長期滞在させられてという意味だったろうが、彼は向こうでタイ人の恋人ができたのだ。
Uさんは小柄で童顔で、当時は見るからに若僧だったが、彼も今は30代なかばのはず。

彼は今、タイに行っているか、行ってなくても今回の洪水のことで奔走してるね、間違いなく。
タイ人の彼女とは結婚したのだろうか。
名前も教えてもらい、デートの話も聞いたりしたっけ。
名前、忘れちゃったけど。
Uさんに教えてもらったタイ語もなにひとつ覚えていない。
生きることは忘却することだわ。
[PR]

by kuni19530806 | 2011-10-31 23:51 | その他 | Trackback | Comments(0)

最近読んだ本   

たかのてるこ著『ジプシーにようこそ!』

北尾トロさんがラジオでお薦めしていた本です。
ジプシーに関して、私は全く知識がなくて、この本でいろいろ学ばせてもらった・・つもりでしたが、読み終わった今、既にほとんど忘れてる!
なんてこった。
残ったのは、ジプシー=ヤンキー説。
これはやけに説得力がありましたよ。

たかのさんの行動力に脱帽、そして読みやすい文章に好感は抱きましたが、カメラマンの「タカハシくん」と一緒の旅だと最初に告知されているのに、あまりにも1人の体なのが気になって気になって。
たかのてるこを全面に出した本、そういう手法だとは理解しつつ、でもなあ。
偽タクシーにぼったくられたり、言い寄られて貞操の危機に直面したり、別な人へのお土産を勝手に開けられその場で食べられたり、などなどのシーンで、当然タカハシくんは一緒だったはずなのに、たかのさんが孤軍奮闘している書き方しかしていないのが不自然でしかたなかった。
1人で切り抜けた的描写を読んじゃうと、いくら「手法」でも、そこにいる人をいないかのように都合よく抹消して書くのを罷り通すなら、それ以外のエピソード(特に破天荒部門)のリアリティにも欠ける気がして。
かと思うと、ホームステイした年配女性のカティさんに「タカハシくんと結婚しなさい」と言われて、「私たちは身内みたいなもんだから、あり得ないよ!」とコメントしたり。
突然、登場させられてもなあ。
ここでは出して来るんだ、みたいな。
タカハシくんの存在が中途半端過ぎて、せっかくのジプシーワールドにのめり込めない、残尿感ありの本でした。

a0099446_8392551.jpg




ポール・ギャリコ著『猫語の教科書』

こういう遊び心満載の本を久しぶりに読んだ気がします。

なんだかんだ言って、私は特に猫派を標榜する者ではありません。
人間以外の動物に関しては、来る者は拒まず去る者は追わず派です(ナンノコッチャ)。
自分に接近してくる動物にはたいていころっと参ってしまう。
猫に限らず。
公園の池で自分の近くに来てくれるなら、カメでも鯉でもミズスマシでも「いいヤツだ」と思ってしまう、カンタンな人間なのです。(蚊やハエ関係は除く。勝手言ってすまぬ)
でもなぜか人間に対してはあまりそうでもありません。
寄ってこられても、いいヤツじゃないのもいっぱいいる、と学習したからでしょうか。
あ、よけいな情報は要りませんね。

ふだんは猫を特別視してない自分ですが、大島弓子さんの『綿の国星』は大好き。
猫を介して妄想力を膨らませるというのは好きなのです。
猫はそういうものの入口っぽい。
なので、この『猫語の教科書』も好きです。

・・猫好きって、もしかしたらみんなこのあたりが肝だったりする?
妄想、想像好きの総称なのかな。

a0099446_8401237.jpg

[PR]

by kuni19530806 | 2011-10-30 23:38 | 読書 | Trackback | Comments(0)

小暮写眞館   

午前中なんだか体調がぱっとしなくて、外出の予定を取りやめた。
昼前には復調して取りやめたことを後悔するほどだったのだけれど、おかげさまで(?)後半を一気に読めましたよ、宮部みゆきの『小暮写眞館』。

宮部小説を読むのは久しぶりです。
20世紀まではやたらシンパシーを感じていて、刊行をチェックして前のめりで読んでいましたが、21世紀になるとそこまでは執着しなくなり、世間のほとぼりが冷めてきた頃に読むというつき合い方になりました。
この本も刊行は昨年です。
でもいまだに図書館の予約の列は長いです。
国民的作家だもんなあ、宮部センセ。

相変わらず、巧過ぎです。
この過剰なほどの巧さが、ちょっと宮部センセから自分が距離を置くようになった大きな理由だった、と思い出しました。
巧過ぎて文句言われちゃ本人はたまらんでしょうが、彼女の場合、巧さと滲み出る善良さが、国民的作家になったゆえんであり、同時に、ごく一部の層が距離を置く理由でもあるのでしょう。
それでも、善良さがイヤミにはならない本当に稀有な人だとは思うんですけどね。

相変わらずなのは、巧さだけじゃなく、登場するほとんどの10代が宮部みゆき的大人の思う理想の10代だというところです。
ずうずうしいですが、この「宮部みゆき的大人」には私も交ぜてもらいます。
理想ですよ、この主人公。
でもこんな10代達、そうそういません。
理想であると同時に、うっとうしいヤツらでもある。
居て欲しいと思うことと、実際に近くに居たらどう思うかは、またちょっとだけ別で・・・。
自分を鑑みるせいか、10代の「わかっている」感に懐疑的だったりもするもので。
でも、それらを丸ごと踏まえて、この素材(?)で2010年に小説を発表するというのは宮部みゆきという作家のチャレンジだったんだろうなあと思い至りました。

だってね、今までさんざん言われてきたんだと思うんだよね。
「宮部みゆきの書く小説に出てくる人間は善良過ぎる。特に10代の男の子は大人から見て理想的過ぎる」って。
私は勝手に、『模倣犯』はそれに対する彼女のひとつの回答というか、抵抗だったのではないかと思っています。
私はこんな人間も書けるんだよ、という。
あの胸くそ悪い登場人物は、あたかもそれまで性善説を唱えていた著者が性悪説の存在を認めた、みたいな印象でした。
もちろん、『模倣犯』以前も、宮部センセの小説には悪役はいた。
いたけれど、あのインパクトは圧倒的だったので。

圧倒的な悪役を提示することで、いわゆる市井の、彼女がデビュー当時から一貫して描いてきた名もない、括りは不適切かもしれないけれど、社会的弱者というかブルーカラー周辺の人々の、それこそ善良さ、そして悲哀が際立った、というのは、もちろん宮部センセの狙いだったのでしょうが、「であっても」なのか、「だからこそ」なのか、私には宮部小説の魅力がちょっと薄れた気がしました。
善良過ぎると文句を言われ、人物造詣の裾野を拡げれば魅力が薄れたと言われ、作家も大変だ(笑)。
でもね、なんか「頭で書いた小説」って感じがむしろ強くなったんだよねー私には。
気持ちじゃなくて頭。
上手く言えないんですけど。

その後の小説(とりあえず時代小説は置いといて)も読んできて、「他の作家と比較すれば面白いのは明らかなんだけどなんだか物足りない」と思ってきました。
もしかしたら「宮部みゆきレベル」に馴れ過ぎて、通常のそれじゃ物足りなくなった、というのもあるのかもしれません。
なので、今回も、ふつうの宮部みゆきレベルなのか否か、とおそるおそるページを開いたフシはあります。

そうでもあり、そうでもなかった。
ただ、「私は自分の王道を書く」という強い決意が感じられた。
それが、この厚さであり、書き下ろし連作短編というスタイルであり、花菱英一君という主人公であり、心霊写真というモチーフなんだと思いました。

今までの小説も決してやっつけ感はなかったけれど、この『小暮写眞館』は際立って丁寧に描かれた印象が終始あります。
それは、登場人物ひとりひとりに心を寄せ、たとえ予定調和に映っても流れを寸断させず、人間の行動心理をあいまいさも含めて逃げずに書く、みたいな意味での丁寧さ。
それはものすごいことだと思います。

だから、巧過ぎ!理想の男の子!と思うのと並列に、あっぱれ!です。

蛇足。
私は数年前、職場の広報紙に「キャッチャー・イン・ザ・ライブラリー」という短編小説を書きましたが、読んでくれた方に向かって書きますけど、これって宮部センセのばったもんぽいって思わなかった?
当時、自分では宮部センセを意識してなかったと思うんだけど、『小暮写眞館』を読んだら、なんだか自分でそう思ったのです。
ばったもんとはいえ、ずうずうしい見解っすかね。

a0099446_11223561.jpg

[PR]

by kuni19530806 | 2011-10-29 23:50 | 読書 | Trackback | Comments(0)

空が青い効果   

美人デュオ(だからユニット名ですってば)練習日。

家庭の事情等々で一時は存続を危ぶまれた美人デュオだが、ここ数ヶ月は月に2回程度のペースでバイオリンを鳴らしてる。
練習場所はほぼ地元近くのカラオケ館。
受付で名前と人数と年齢を書くシステムだが、もう年齢を書くのはやめた。
最初は律儀に・・っていうか意地で書いてたけど、なんかその必然性が感じられなくて。
最初から感じてないっちゃあ、なかったけどさ。

カラオケの部屋って窓がなくて閉塞感溢れる(?)ところが多いけれど、受付で「なるべく明るい部屋をお願いします」と言うと、窓のある部屋にしてくれます。
昼間は窓のある部屋に限る。
物理的な「譜面が見えづらい」云々はもちろんだけれど、気分が全然違う。

今日は快晴で、青空を眺めながら優雅に(!)練習しました。
駅前の店なので、3Fの窓からは駅周辺が見渡せます。
3Fより高い位置にある駅のホームの様子や(なぜか名称的には地下鉄)、交番でせっぱ詰まったようにおまわりさんに道を聞いている人の姿や、バス停付近ではしゃぐ高校生の大群などなどが、まるでドキュメンタリー映画のなにげないシーンみたいに次々と映し出されて、でも自分はそれを見るのが目的ではなく音を出しに来たわけで、だけど時々ちらちら見ちゃう、みたいな。
平和な気分というより、自分が今ものすごく恵まれた時間を過ごしている、という気持ちになった。
それもこれも、空が青い効果だと思えた。
[PR]

by kuni19530806 | 2011-10-27 23:36 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

アリスイとアシュケナージ   

NHK「ダーウィンが来た」が面白かった。
キツツキの仲間、アリスイの特集でした。
アリスイは「蟻吸い」で、ものすごく長い舌を使って、文字どおり蟻を吸うのです。
その舌の長さは、身体の比率の数値でギネスブックにも載ってるほどだそうです。
しかし、ここで疑問。
ギネスブックの基準ってなんなん?
たとえば、世界一寝ない人と、世界一縄跳びが飛べる人と、長い舌部門のアリスイ・・って全く「記録」の次元が違うと思うんだけど。
まあいいか。

今回の目玉は、このアリスイが自分の巣を奪取しに来たコムクドリに対して、威嚇のために「蛇のマネをする」というものでした。
ちなみに、蛇はアリスイの天敵だったりします。
自分が最も怖れる敵の姿を真似て巣を守るって、まさにダーウィン的!
恐怖を利用してライバルを蹴落とす方法を思いつくって、なんだか「進化」な感じだ。
アリスイの舌が伸びたことも、その背の模様が蛇のそれに似てることも、おもいっきり進化で擬態だもんなあ。

アリスイとコムクドリの空中攻防もすごい迫力でした。
濃密な30分。

N響アワーは、アシュケナージ指揮のショスタコーヴィチでした。
アシュケナージ、動きがお茶目だ。
フルートの若い女性が、姪の結婚式で演奏してくれた姪の友達のフルート奏者だった気がする。
そうか、N響の団員になるってことはそういうことなんだ。
[PR]

by kuni19530806 | 2011-10-23 23:44 | テレビ | Trackback | Comments(0)

珈琲   

私はコーヒー好きです。
この「好き」はレギュラーコーヒー、しかも煎れたてのみに発動します。
煎れたてにやたらこだわります。
煎れたてじゃない、煮詰まり臭のあるコーヒーを平気で出す喫茶店(シャノアールとかドトール)は許せません。
金返せ!と思います。

自分は、レギュラーコーヒーで煎れたて、にはこだわるものの、そうであればあとはどのコーヒーもほぼ美味しいと思う方だと思っていました。
人にもそう言っていました。
が、撤回。
やっぱ、違うわ。

お土産でもらった長野の丸山珈琲は香りが違う。
a0099446_10514480.jpg

これは私がふだん飲んでいる生活価格のコーヒーと比較しての違いで、もしかしたら世の中には丸山珈琲よりもっと香り豊かなコーヒーがあるのかもしれないけれど、さしあたっていつものよりは段違いに美味しい。

とにかく香り。
我が家の1Fの台所で煎れると(コーヒーフィルターで煎れる方式です)、2Fまでの階段が全部コーヒーの香りに満たされます。
ふだん飲んでる生活価格のコーヒー(←しつこい)では、そうまで香りません。

家でコーヒーを煎れるってアロマテラピー的な行為でもあることを発見。
脱臭効果、まではよく聞きますが、飲み終わってもしばらくは台所と階段がコーヒーの香りで満たされるって気分がいい。

喫茶店でコーヒーを飲む精神的効用もすごくあると思うけれど、家をふだんと違う香りで満たす精神的効用もかなりあることに丸山珈琲で気づきました。
ま、我が家のように、デフォルトは犬くさかったりする家は尚更かも。

と思ったら、先日買った「街とコーヒー。」が特集のku:nelにも丸山珈琲が載ってました。
a0099446_10521883.jpg

ふ~ん、フレンチプレス式か。
それで煎れたのを飲んでみたいものだ。

どうでもいいことだけど、このku:nelにしろ、Hanakoにしろブルータスにしろ、特集のタイトルに句点「。」を入れるよね。
どうでもいいと思いつつ、気になってた。
これ、必要なの?
マガジンハウス的には要るのか。
モーニング娘。みたいな?
でも「銀座案内。」ってヘンじゃない?
[PR]

by kuni19530806 | 2011-10-20 23:50 | その他 | Trackback | Comments(0)

いつだって大変な時代   

堀井憲一郎『いつだって大変な時代』(講談社新書)を読む。

「小島慶子キラ☆キラ」火曜日の神足裕司がクモ膜下出血で倒れ(意識を回復したそうです)、そのピンチヒッターとして登板しているのが堀井ずんずん憲一郎です。
私はラジオで堀井さんの言ってることがいちいちよくわかります。
わかる=賛同では必ずしもないのだけれど、小島慶子さんがたまに堀井さんの発言に対して「う~ん、なんだかよくわからないけど流しちゃお」と番組を進行していることに気づくぐらいは、わかる。

彼の一貫したポジションは俯瞰係、もしくは、群集心理にもの申す係、でしょうか。
ライターとして(ジャーナリストだなどとは本人が少しも思ってないでしょうから)、何か大きな出来事があったり、誰もが同じ方向を見がちなときに、「ちょっと待ちいいな。ほんまにそうやろか?それでええん?」と言う係です。
数冊の著作しか読んでいないのに勝手に断定していますが、彼の書き手としての本業(?)はたとえ調査報告や落語評論であったとしても、ポジションはそれだと思うのです。

先日読んだ『若者殺しの時代』(講談社新書)も面白かったですが、今回のもすごく良かった。
良かった、というのはいろんな意味を含んでいます。
腑に落ちた。
目からウロコが落ちた。
気が楽になった。
などなど。

ちなみに目次は
第1章 歴史は繰り返し美しく歪められる
第2章 科学とはただの妄想かもしれない
第3章 19世紀的ハイテンション気分の果て
第4章 個性の尊重で世界はどんどん歪んでいく
第5章 子供の名前を自由に付けてはいけない
第6章 無縁社会はみんなの努力の結果である
第7章 政府も東電も「他者」ではない
第8章 だから、いつだってふつうの時代
終 章 ほんとに大変なときのために

です。
引用したい箇所がいっぱいありますが、キリがないのでしません。

腑に落ちた一例。
「本当に戦争反対だと思うなら、大東亜戦争の被害者に戦争の悲惨さを語らせてもあまり意味はない。戦争を支持した人、気分的に戦争に加担した人に当時の気持ちを語らせることの方が大事だった。それを反省もさせずに拾っておけば、当時の世論形成の基幹が見えただろう」とか。
おいそれと語ってくれないだろうけど、という但し書き付きですけどね。

最後に、今、不安な人は第7章を読むべきです。
不安じゃなかったり、原発事故に対する自分のスタンスに迷いのない人は読まなくていいと思います。
私は、なんだか気が楽になりましたよ。
a0099446_111692.jpg

[PR]

by kuni19530806 | 2011-10-19 23:14 | 読書 | Trackback | Comments(0)

7ヶ月経った福島   

兄のお墓参りに福島市へ行く。
来年の1月は7回忌なので、その打ち合わせも兼ねて。

福島市に行くのは一昨年の10月以来。
2年ぶりだ。
去年は、前半と終盤は仕事が繁忙モードで、中盤は骨折で、行けなかった。
繁忙モードっつったって、まるで休めなかったわけじゃないし、福島市なんて軽く日帰りで行けるわけだから、行けなかったのではなく行かなかった、が正解なんですけどね。

そして今年。
このブログにも書いたような気がするけれど、3月11日は実は福島行きのために有給休暇をとっていた。
でも行かなかった。
理由は自分でもよくわからない。
会おうと思っていた福島在住の友達の都合が悪くなった、が直接の理由ではあるのは確かなのだけれど、それがわかった後、「でもせっかく休みをとったからやっぱり行ってお墓参りだけちゃちゃっとして来よう」と思った瞬間があったのも事実。
11日の朝、家人と「あら?今日は福島に行くんじゃなかったっけ?」「う~ん。なんだか急にめんどくさくなって」という会話をしたし。
「お兄ちゃんが『来るな』って守ったんだよ」は、福島市飯坂温泉に住む叔父さんのコメントです。
そうなの?
そういうのと無縁の半生だからなあ。
単にめんどくさくなった自分、ってだけなんだと思うけれど、あんなことがあるとこじつけたくはなりますよね。


福島県内各地に住む友達や親戚から「浜通り以外は表面上は変わらないし穏やかそのもの」と聞いていたので、私はうかつにもなんの心の準備もしていませんでした。
でも、震災以来、初めての自分には福島市は以前とかなり違って映った。
墓石がまだズレたままのお墓があり、屋根瓦が修復されていない家が目立ち、幹線道路に突然「本日の放射線量」の掲示があり、除染終了、もしくは途中の青い養生シートが目立つ学校が多い。
私には違和感ありありだけれど、もう地元の人には見慣れた風景で、だからこそみんな「変わらない」と言うのでしょう。
「表面上は」に軸足を置いた「変わらない」なのかもしれない。

私が十代の始めに住んでいた家の近くには仮設住宅がびっちり建っていました。
車で通っただけでしたが、あんなにたくさんの仮設住宅を見たのは生まれて初めてです。
そして、叔父の家にはふつうに放射線量計測器がありました。
町内会に1個ずつ配られているとのこと。
試しに計らせてもらった。
同じ家の中でもけっこう違う。
1階より2階が高く、木々が近くにある方の部屋が高め。
数値は、東京の、たとえば我が居住区で発表される値のほぼ10倍のラインで推移しているようでした。

こういうことを毎日毎日、文字どおり「日課」にして考えながら暮らすことを科せられているのは、ふつうに考えればストレス以外のなにものでもない。
だから避難する人は多いし、避難しない人は、自分の一部を麻痺させたり、開き直ったり受容とか諦観したりしてるんだろう。
どれもふつうの状況ではない。
もちろん、人はいろんなことから逃げたり麻痺させたり開き直ったり受容したり諦観したりして暮らしているわけだけれど、終わりが見えないそれを地域全体で共有して7ヶ月というのは、本当に他に類を見ない状況だと思う。

どうしてこんなことになってしまったんだろう。
なるようにしかならない。

叔父と叔母が数時間の間に複数回口にした言葉です。
除染には、小中学校規模で1校あたり三千万、高校レベルだと四千万の費用がかかるそうです。
しつこいですが1校あたり。
同じ市内でも、線量の高低差がものすごくあります。
叔父は、農作物はもちろん花火や橋の欄干の加工が福島だと知って拒否した西日本に対して露骨に不快感を示しつつ、市内の線量の高い地域に対しては平気で差別的な発言をしていました。
責められはしません。
東京に住む自分だって、23区内で線量が高いと言われたときに思うのは「福島に比べればどんだけマシか」だもの。
会津の人は「同じ福島でも会津は大丈夫だから」と観光を誘致してる。
避難区域>福島市>会津>東京>西日本、みたいな「序列」で考えてしまう。
しかたのないことだと思う。
でも、なんだか日本中のそういうのが丸ごと「哀しいなあ」と思ってしまいました。

友達と福島駅前の商店街をぶらぶら歩きました。
子どもの頃は活気を呈していた(ような気がしてた?)すずらん通りは、平日というのを差し引いてもあまりに人がいなくて、ここが本当に県庁所在地なのかと疑いたくなる閑古鳥っぷりでした。
これはなにも震災後に限ってはいないようですけどね。
でも、子どもの頃から聞き覚えのある、岩瀬書店、西沢書店、あきたや楽器店、日野楽器店、ナンジョウ手芸店、中合デパートなどなどは健在でしたよ。
全て老朽化していたけど。
中合デパートの「福島物産展」はあまりに小規模で人が少なくて、ちょっとシュンとしちゃったなあ。
一角で、福島民報(←地方紙です)の震災関連でこの7ヶ月間の頑張ってる人達の記事がたくさん掲示されてましたが、それも複雑な気持ちで眺めてしまいました。
上手く言えないけど。


帰りの新幹線は山形新幹線のつばさ号でした。
夜というのを差し引いても東北新幹線より車内が数段薄暗い感じで「中高年に厳しい!本が読みづらいじゃん!」と思いましたが、降りるときに気づいた。
座席ごとに読書灯がついてた。
パソコン用のLANケーブル(?)もついてた。
最新型車輌だったのねー。
ごめんね、つばさ。
[PR]

by kuni19530806 | 2011-10-17 23:58 | お出かけ | Trackback | Comments(0)

あの人の効用   

ものすご~くダラダラした土日だった。
食事してはうたた寝して・・というより、うたた寝の合間にご飯を食べてた感じ。
うちヨガだけはかろうじてやったけどね。

夫不在で仕事も休みで、でも外に出ず、テレビも見ず、本当に寝てばかりでした。
寝過ぎて調子を崩しそう。

去年の今頃はものすごく忙しくて、おまけに骨折だのジンマシンだの、身体も大騒ぎで、秋の記憶などほとんどありませんが、今年はうすらぼんやりと仕事をしていて(来月は今年度最大のビッグイベントがありますが)生活にピリッとしたところはないものの、その分、やけにキンモクセイの匂いをかいでる秋だ。
マロの散歩に行っても、しょっちゅうキンモクセイの香りに出会う。
こんなにわが町内会にはキンモクセイがあったんだあとビックリな2011年の秋です。

さっき、ヒマに任せて、ニコニコ動画で6月のウインブルドンのクルム伊達公子vsヴィーナス・ウイリアムズの試合を見た。
ダイジェストですが。
凄かった。

私、ホントに伊達さんには励まされるんだよね。
特に落ち込むことに直面していなくて、ふつうに日常を暮らして、ちゃんとごはんを食べて、なにかあれば笑ったりはしゃいだりときめいたりしたとしても、生きていれば日々、ふて腐れたりがっくりしたり自信をなくしてる。
たとえそれが、出したメールになかなか返事が来ないとか、腹筋をいっぱいしたのに体重が減らないどころか微増してるとか、自分がおとなげなかったとか、誰かによけいなことを言っちゃったとか、はた目にはとるに足りないことでも。
そういう事実そのものより、そういう些細なことを気にする「そんなはずじゃなかった自分」に裏切られた落胆が大きいかも。
そういう、どよどよしたものがボディブローのように少しずつ自分を消耗させるっていうか、その消耗が活性酸素を生み、心身を錆び付かせて劣化の温床になるっていうか、とにかく、日常ってそうじゃないですか(文章が乱れちゃってますけど)。

そういうとき、伊達さんは効くんだよねー。
理屈抜きで、どよどよやもやもやが飛ばされる感じ。
なぜ効くのか分析するのも野暮なくらい。

まあ、飛んでも消えてなくなるわけじゃないからまた戻ってくるんだけど、短い時間でも「一掃された」という感覚がすごく自分には大事で、私なんてすげえ単純だから、もうそれでリセットされた気満々です。

そんなわけで、今、私は元気になりましたよ。
[PR]

by kuni19530806 | 2011-10-16 22:29 | その他 | Trackback | Comments(0)

Q健康って?   

よしもとばなな『Q健康って?』を読む。

チネイザンとかホメオパシーとかレメディとかロルフィングとか、要するにボディーワーク?代替療法?の知識が全くない私には、正直ちんぷんかんぷんでした。
何度かネットでそれらの言葉を検索しつつ読んだけれど、この本自体には用語集的なものはないので、不親切な本っちゃあ不親切です。
いちげんさんお断り、もしくは、よしもとばななの世界に傾倒してない人は読まなくていいよ、みたいな。

ただ、根底にある「身体が丈夫なこと=健康 というのではない」という考えにはとても共感するし、その手の施術者というかセラピスト達(中には著者の夫もいます)の話す健康の概念にはいろいろ考えさせられることもありました。
言ってることの意味がわからない箇所も多々ありましたが。

でも、なんといっても、後半の著者の知人の末期癌闘病記は壮絶で凄絶。
ボリューム的にはふつうに単行本1冊にはなるであろうこの手記を、この「健康本」の中に組み込んだのは、よしもとばなな著にするとそれだけ読者が増えるという計算も働いたからでしょうが、こっちはそこまでの手記を読む覚悟ができていなかったので、突如始まったそれは正直キツかった。
あまりにものすごい話で、次から次と危機的状況の描写が続き、でも不屈の精神でその女性「るなさん」は試練を乗り越え続け、一時は余命2週間とまで言われたのにそれでも諦めず、前向きな内容で手記が終わっているので、実はこれは全て著者の創作かと勘繰ってしまいました。
が、さっきよしもとばななさんのブログを読んだところ、先月るなさんに会った話が出てきて、実在する人で現在もご存命なのだと知りました。
それすら創作?と疑うことも可能ですが、そこまではねえ。

とにかく、ものすごい強さ、ポジティブさ、です。
とんでもないコメントをする医者も出てきます。
その内容があまりにすごいことが、フィクションかと思った理由でもあります。

読み終わったら疲れた~。
その証拠に、15時に読み終わって3時間、爆睡してしまった。
起きてビックリした。
a0099446_20505838.jpg

[PR]

by kuni19530806 | 2011-10-15 20:51 | 読書 | Trackback | Comments(0)