<   2011年 09月 ( 14 )   > この月の画像一覧   

美STって・・・   

バナナマン日村の顔がなんとなく変わったような気がしていたけれど、そうか、歯を取り替えたのね。
チュートリアルの福ちゃんもそうだけど、歯を整えるとかなり個性が消えますね。
健康、アンチエイジング、ビジュアルの観点からも、歯並びはきれいに越したことはないし、私もあわよくば取り替えたい派の先頭集団に位置する1人ですが、勝手に第三者的見地からコメントすると、人工的なそれはのっぺりして面白くないもんだなあ。
歯並びに面白さなど全く求められてないことは承知で言ってますけど、歯並びってその人間の(よけいな)情報として他者にけっこうな分量で記憶されると思うから、それが不意にフラットでキレイになったりすると、それまでの情報のスペースのみが残って、がらんどうに感じる、ような気がします。

その、がらんどうというか余白がもしかしたら清潔感なのかもしれないなあ。
よけいな情報の少ない人の方が清潔感がある、よね。
ニオイとか際立った体型も情報だけれど、顔面でいうと、凹凸(ニキビ、吹き出物ともいう)とか色ムラ(シミともいう)とかテカリ、髪だと、白髪とか枝毛とか。
そういうのが少ない人の方が、ビジュアル的な意味での(ニオイはちょっと違うけれど)清潔感はある、気がする。

でも、そういう清潔感って「だからどうだっつうんだ!?」でもある。
身だしなみに適度に気をつけている人には好感は持てますが、気をつけ過ぎている人はめんどくさい。
自分が周囲からどう見えるか、周囲にどう見て欲しいか、に過剰になってる人って、明らかになんだか間違えてますよね。
「明らかに」と「なんだか」を同じ文節で一緒に使う私がいちばん間違えてますが。

なあんて、こんな見解をいまさら書くのもアレなんですが、「美STORY」、あらため「美ST」なんていう雑誌を立ち読みしたら、青臭い見解を声高に述べる恥ずかしさの方がよほどマシ、と思っちゃったもので。
自分が中年で加齢まっしぐらに暗澹たる思いがあるのでそれに抵抗したい気持ちはものすごく理解できる、からこそあえて言いますけど、美容やアンチエイジングに過剰に邁進してるのってやっぱり恥ずかしいです。

もっと他にやることがあんだろ。
くだらないことも含めて。

とりあえず
ピン子と小雪の対談がいちばん気持ち悪かった。
どーでもいいよ、その迎合しまくりの他己紹介。
小雪、コメントがいちいちズレてますね。
それもイヤな感じのズレ方だ。
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by kuni19530806 | 2011-09-28 23:56 | 雑誌 | Trackback | Comments(0)

聞かれてもいないのに漫画遍歴を語る   

「エースをねらえ!」の後編(宗方コーチの死以降)をじっくり読んだ数日間でした。
やっぱ、超大作だわ、これ。
そして、濃いわ~。
エグさやうさんくささや予定調和やステレオタイプのいずれかがキライな人はその独特の風味に拒否反応を示すかもしれませんが、むしろその全部がキライな人は相殺されて大丈夫かも・・って自分で書いててわかんねーぞ!

今でこそ、私はほとんど漫画をたしなみませんが、子どもの頃は漫画三昧だったなあ。


小学校の2~3年のときに住んでいた福島市笹谷は郊外の新興住宅地で近くに本屋さんはありませんでしたが、目の前に雑貨屋があって、その店頭で雑誌を売ってました。
今でもたまに見る、あの店先のマガジンラック方式です。
市の中心部にある本屋が週に何度かその店に雑誌を持ってくるわけですが、私は文字どおり電信柱の陰から、紫とクリーム色のツートンカラーの本屋さんのバンが納本に来るのを、毎週火曜日の午後、今や遅しと見張って待ちかまえていたものです。
週刊少女フレンド読みたさに。
そのうち、お店の人も私が「見張っている」ことを知り(そりゃそうだ。毎週、まだ梱包を解く前に買いに来るんだから)、「来たらおうちに届けてあげようか」と言ってくれましたが、小二にそれは荷が勝ち過ぎて(?)「いいです。買いに来ます」と答えた記憶あり。

細川千栄子とか里中満智子、青池保子あたりの漫画をむさぼるように読んだなあ。
あ、望月あきらの「サインはV」を忘れちゃいけませんね。
クリスマスの懸賞で、当時少女フレンドのカバーガールをしていたエミリーちゃん(現、鳩山弟夫人の鳩山エミリー)が選んだんだか着用していたベルベットのワンピースが当たったこともあった。
それは田舎のハナタレ少女にとってはものすごいデキゴトだった・・はずなのに、そのワンピースを着た覚えが全くない。
ワイン色で、丸襟の部分だけが白の、福島じゃ売ってないようなおしゃれなワンピースだったことは覚えているんですけど。
どうしたのかなあ、あれ。
サイズが合わなくてしまい込んで、そのまま忘れちゃったのかも。


小四~中三は、同じ福島市の御山というところに住んでいましたが、前半は「りぼん」で、後半の中学時代は雑食になりました。

「りぼん」は、もりたじゅん(本宮ひろ志夫人)の「キャー!先生」ぐらいしか印象に残っていないけれど、当時はやたら好きだった。
付録もよかった印象。
集英社は商売が巧いからね。
その後は、中学の友達の影響で、「愛と誠」とか「エースをねらえ!」とか「スケバン刑事」などを単行本で読むようになり(思えば、友達の家は金持ちだったなあ)、必ずしも少女漫画一辺倒ではなくなりました。
・・・そうだよ、「エースをねらえ!」は私が中学校のときに連載されてたんだった。

そして喜多方での高校時代は、別マに傾倒してました。
くらもちふさこの「おしゃべり階段」が連載されていたときに自分も高校生だった、というのはおおげさですがとてもシアワセな符丁(!)であった、ぐらいに思っています。
高校時代は下宿屋をやっていた祖母の家に居候していたので、同宿の女子高生にいろいろ漫画を借りました。
「はいからさんが通る」とか「生徒諸君!」とか。
あれ?生徒諸君じゃなくてナッキーはつむじ風だったかな。

りぼんの田淵由美子や陸奥A子も好きでしたが、やっぱり私の第1位はくらもちふさこさんでしたね。


今回「エースをねらえ!」を読み返して、自分にとっての肝のセリフを一言一句違わず覚えていることに自分でビックリした。
後半はそんなに読んでいないと思っていたのに(それでも10回は下らないか)。
そのたびごと、真剣に読んだってことかなあ。

20代の後半、自分がちょい危機的状況に陥ったときも、「エースをねらえ!」を読んだっけなあ。
もしかしたら後半はこのときに買い直したのかもしれない。
もう赤茶けて劣化がひどいです。

また買い直そうかなあ。
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by kuni19530806 | 2011-09-27 23:23 | その他 | Trackback | Comments(2)

オーケストラ部の演奏を聴き、ディープな猫カフェに寄る。   

職場の同僚のお嬢さんの学校の文化祭に行って、オーケストラ部の演奏を聴いてきました。

中高一貫校の文化祭!
現在の私からはいちばん遠い場所みたい。
演奏、よかったです。
上手い!
90人という大編成。
コントラバスも7人もいましたが、同僚のお嬢さんがいっちばん真剣な顔で弾いてた。
真面目さがビシビシ伝わってきました。

なんだか訳もなく感動してしまいましたよ。
『船に乗れ!』的恋愛模様や楽器同士のなんだかんだがあったりするのかなーと下世話なオバサン目線をちょっと持ったりして。
演奏は40分ぐらい。
時間どおりに始まって時間どおりに終わるという、とても好感の持てる演奏でした。

行きは最寄り駅からバスで行きましたが、帰りは歩いてみました。
途中、喫茶店に入ったのですが、これがもんのすごくディープな猫カフェでしたよ。
今、ネットで検索してみたけれど、ほとんど情報がありません。

通りを歩いていたら、ドアのガラス越しに店内の猫と目が合いました。
いわゆる「ガン飛ばし」ってヤツですか。
そりゃあ、入りますよ。
デカい身体で不敵な面がまえの猫のくせに、いざ店内に入ったらゴロニャンと甘えてきました。
でも、写真を撮ろうとすると顔をそむけられました。
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店はカウンターのみ。
6席ぐらい。
アンティークというか古民家というか薄汚いというか(店の半分はなんだか倉庫っぽい)、でもママさんはすっごく感じがいい。
こっちが座ろうとするやいなや、申し訳なさそうに「うちはコーヒーしかなくて、ミルクも砂糖もありませんけど大丈夫ですか」と言う。
「はっ!?・・ああ、大丈夫です」と答える。
微妙なタイミングでの告知。
ま、私はふだんからどっちも入れないからいいんだけどさ。

カウンターには、猫の置物が所狭しと並んでいます。
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可愛い系ばかりではなく、こんなものも。
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そして「こんな猫をもらってやって下さい」の告知板。
大きな写真付き。
どの猫も可愛い。
心が動く。
じいっと見入っていると、ママさんに「よかったらホント」と言われる。

ガン飛ばしの看板猫、写真には映ってませんが、足がおもいっきりグウで可愛い。
入口にいるのが飽きたのか、いつのまにか客の足元を堂々と通り、奥の寝床へ。
目で追ったら、奥にももう1匹いました。
こっちはいびきをかいて寝てました。

しかし、すげえ喫茶店だった。
ホットとアイスを頼んだら、お会計は1250円でした。
個別の値段は聞きそびれました。
予想、アイスコーヒー550円、ホット700円。
なんか、すっごくホットコーヒーにこだわりがある感じだったので。
アイスはやっつけ感あり。

ママさんに最寄りの駅までの道を聞いたら(実はちょっと迷っていた)、「けっこう遠いですよ。あ、今、地図を描きますね」と描いてくれました。
なぜかシミだらけ(コーヒーのシミと信じたい)のメモ用紙でした。

帰りがけ、奥から麿赤児みたいな、思わず二度見しちゃいそうな迫力のある男性が出てきて、すごく丁寧に「ありがとうございました!」と言いました。

なんなの!?いったいなんなの、この店。
店名は「と庵」。

誰かこの店を調べてくれぃ!
と思ったら、情報を発見!
これ。

あれま、素晴らしいHPがあったんじゃないの!
ここまで書いてきた「魔窟感」が否定されそうな明るい内容のHPですけど、文章はこのままUPする!
だって、怪しいお店だったもの。

コーヒーは美味しかったです。
ま、私は煎れ立てはほとんど美味しいと感じるレベルでのコーヒー好きなんですけどね。
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by kuni19530806 | 2011-09-25 20:04 | お出かけ | Trackback | Comments(0)

ノアの羅針盤   

アン・タイラー『ノアの羅針盤』を読む。

久しぶりだ、アン・タイラー。
1990年代はけっこう読んでいたのに、世紀が変わってご無沙汰していました。

面白かった。
さすがだわ、と思いました。

結婚歴2回、娘3人、孫1人を持つ、独り暮らしの60才の男リーアムが主人公です。
リーアムは高校教師の職を突然干されます。
彼はそれに抵抗することなく人生をセミリタイアすることにしますが、生活の基盤を縮小すべく引っ越したその夜に強盗に襲われます。
ケガは大したことがないものの、強盗に遭って格闘までしたらしいのにその記憶が一切ない、そのことが彼をとても混乱させます。
それをきっかけに彼は「記憶」ということについて考え始め、その流れで38才のユーニスという女性と知り合い、娘達や元妻や孫と接することも増え、自分の今までの人生をあらためて考えるようになります。

あらすじはこれだけです。
強盗に襲われたことを別とすればこれといった事件もないし、スーパーマンもとびっきりのハンサムや美女も聖人君子も、誰ひとり登場しません。
老いの入口に1人立たされた、人付き合いが不得手で孤独な男のちょっとした日々が描かれているだけです。

でもすっごく面白いんだよなあ。
地味な日常を平易な言葉を使って綴り、登場人物は特に個性的でもなく、気の利いたことを言わせたりもしないのに、唯一無二の世界を描いている、そんな感じです。

今回は、若い人が読んでも面白くないかもしれない。
若くないからこそ沁みる気がする。
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このところ、「エースをねらえ!」を読み返しています。
もう何回読んだかわからないので、ランダムに取り出している感じですが、今読んでも私には色褪せない世界です。
なりゆきや諦めや思いつきやいい加減さで構成されている計画性のかけらもない私の人生ですが、「エースをねらえ!」に触れると心洗われ、人生にとって大事なことを思い出しそうになります。
うっかり全面的に思い出すとそれはそれで暗い気持ちになりそうなので、この「思い出しそうで思い出さない」(「思い出せない」ではなく「思い出さない」)という微妙な、でもちょっと襟を正したくなるような心持ちのまま、読み続けたいと思っています。

それにしても、真面目だったり責任感が強かったり常識がある人ほど生きづらい世の中ですね。
人は簡単に「肩の力を抜いて」とか「心配してもなるようにしかならないんだから気にするな」とか言いますが、そんなことができるなら苦労しないわけで。

10年後20年後はもちろん、1年後の自分を考えるのも一切止める。
そのかわり、1ヶ月後の自分に「1ヶ月前の自分よ、ありがとう」と言ってもらえるように日々努力してみる、というのはどうでしょう。
どうでしょう、って誰に言ってんだ!?ですが。
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by kuni19530806 | 2011-09-24 22:03 | 読書 | Trackback | Comments(2)

最近読んでた本(タイトルだけ)   

堀井憲一郎『若者殺しの時代』
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薄井ゆうじ『爺爺ライダー』
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松本哉『貧乏人の逆襲!-タダで生きる方法』
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高山なおみ『今日のおかず』
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後藤由紀子『ワードロープと日用品』(二度目)
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by kuni19530806 | 2011-09-23 22:40 | 読書 | Trackback | Comments(0)

余波?   

台風の直撃はやっぱり凄いもんですね。

職場の目の前のお宅の一部が崩壊するのを偶然目撃した。
実際にそういう瞬間を見たのは生まれて初めてかもしれない。
家って「そうそう壊れるもんじゃない」という固定観念というか先入観があるせいか、いざ目の当たりにすると、なんだか現実離れした外側の世界(なんの外側かは不明だけど)のデキゴトのように感じられる。
もちろん、あのトタンの一部がこっちに飛んできたりしたら危ない!というリアルな意識は働くのだけれど、非現実的に思える風景は人を棒立ちにさせるのですね。

3月の津波でも、人々はそんな感じではなかったのだろうか。
もちろん、今回自分の見たモノと津波は規模が違い過ぎるけれど、非現実の極みのような現実を突如見せつけられたら、「ああ~」ぐらいしか言えないのが今回ちょっとだけわかる気がした。
私も言ったもん、「ああ~」って。

台風で仕事が休みになった夫が車で迎えに来てくれたので助かった。
勤務終了時間から小一時間も職場で待機していればかなり風雨は収まったのだろうけれど、今振り返るといっちばんの台風ピークに職場を出てしまったよ。
下手に様子見してるともっとひどい状況になるかも、とも思ったりしたので。

同僚の方々を何人か家や駅まで送ったのだが、車高のあるワゴンのせいか、風による揺れがハンパじゃなかった。
突風が吹くと、車がズズッと滑るんですねー。

視界はほとんどゼロだし、道路には折れた街路樹がかぶさってるし、交差点では大きなプラスチックケースが舞ってるし。
本当にヒヤヒヤものでした。

ところで
区内の東部~南部~中央部を巡回しただけなのに、行く先々のランドマーク的なものがこぞって図書館で笑った。
っていうか、台風の最中、あえて区の下半分の図書館巡りをしたみたい。
そもそも、出発点が図書館だし。
出発点も含めると4館を巡りました(?)。
どの名称にも方角が入っています。
しかも、そのうち2館は方角が2個入っています。
しかもそのうちの1館は同じ方角が二度出てきます。

なんだかな。

台風で気づいた居住区のネーミングのやっつけっぷり。
これも余波か。
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by kuni19530806 | 2011-09-21 23:33 | Trackback | Comments(0)

福島の友達に会って思ったことあれこれ   

今月限定で上京している福島市在住の友達に会う。

今年の2月にお笑いライブに誘ってもらって横浜で会って以来です。
あれから7ヶ月。

あの頃は平和だった。
本当にのうのうとしていた。
最大の懸案は「来るべき花粉飛散期を少しでもラクにやり過ごすにはどうしたらいいか!」だった気がします。

友人からは、地震の日のことや、その後の日常や、保育園での仕事のことをいろいろ聞きました。
福島市が地震の直接の被災地と言えるかどうかは微妙です。
その後の原発事故でのポジションも微妙です。
福島市や郡山市は、警戒区域の住民が集団で避難している・・のに、場所によっては警戒区域の現在の放射線量よりは高い地域があったりする。
郡山市在住の友達も言っていましたが、人々の立場、深刻度、考え方、行動は、同じ「市内」でもかなり温度差がある模様です。
これが、原発にもっと近い浜通りや、関東圏あたりとほとんど放射線量が変わらない会津地方だと、もっと温度差が小さいんだろうと思います。
危機意識の高低差が少ないっていうか。
福島市や郡山市って、なんだか、福島県全体、日本全体の縮図みたい。
原発に対する意識の「差」だけじゃなく、都市部と農村部、両方あることも。

この温度差、高低差のやっかいなところは、ひとりの人間でも、心理状況や体調や授受した情報の種類、言い回し、周囲の言動や行動によって、振幅が針が左右に大きく揺れがち、というところだと思います。
5分前は「ここで頑張ろう」と思っていた人が、ネガティブな情報ですぐ「やっぱり避難した方がいいかも」に変わることも日常だったりすると思う。

正解がわからないから不安になるし、周囲や環境に影響を受ける。
あたりまえです。
それで、疑心暗鬼になったり、共同体の中でまで差別ができたり、全てのやる気が失せたり。
これは本当に、福島市や郡山市だけじゃなく、いまや、県全体、東日本全体の実情なのだよなあ。

愛知での「福島産の花火を打ち上げない」決定のニュースを見て、いろんなことを考えました。
最初は「なにそれ!?」「過剰反応!」「これぞ風評被害!」「愛知なんてだいっきらいだ!」ぐらいに憤りましたが、愛知や先々月ぐらいの京都に限らず、形は違えど日本中で類似デキゴトはいっぱい起こっているのかもしれない、と思った。
無意識下でもきっと。
だとしたら、その風潮や心理に一石を投じるためにも(心理の善悪は別として)、こういうインパクトのある、分かりやすく批判しやすい事件を大々的に起こしてくれた愛知に感謝だわ、と思ったり。
考えるきっかけになりますからね。

もっと安心して暮らしたい、怖い思いはしたくない、子どもを守りたい、そういうあたりまえの気持ちの固まりこそが世の中を動かす、そう思いたいので、原発がらみで人々が「考える」きっかけになる事例が増えるのは悪いことではない、と思ったりしています。


友達との話でとても印象的だったこと。
「なんで“福島”原発だったんだろ、とみんな言ってる」

大熊町にある原発を福島原発と呼ぶ方式を日本中で採用すれば
女川原発は宮城原発だし
柏崎刈羽原発は新潟原発だし
浜岡原発は静岡原発だ。
でもそうは言わない。
大熊原発とも言わない。

福島原発ではなく、大熊原発だったら福島県のイメージはずいぶん違っていたのではないか、と福島県民が思ってしまうことを誰が責められましょう。
海外に対しても。
FUKUSHIMAがこんな形で世界中に知れ渡ってしまうなんて本当に本当に悔しいだろうなあ。

それと
話していて募金についても思うことがあった。
相馬市の震災孤児等支援金って募金しやすくないですか?
募金しやすい証拠に、こんな私でもうっかり募金してしまいましたし、ここには海外からもかなり振り込まれているそうです。
具体的だし、相馬市に直で届くことがわかるのは麗しいと思う。

もっと、こういう具体的な支援の口座を作ればいいのに。
もし「福島県除染支援金」の口座ができれば私は振り込みます。

使い道が不透明な募金はもういい、という気分になっているのは私だけじゃないと思う。
はっきり行き場所がわかる募金をしたいのよ。

除染支援金設立に誰か動いてくれないかなあ(こういう他力本願がいちばんダメだっつうの!?)。
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by kuni19530806 | 2011-09-19 23:34 | その他 | Trackback | Comments(0)

ふだんの表現者   

空は高くて、夕暮れはぐんぐん早くなって、セミに替わってスズムシが鳴き出して、十五夜と十六夜の月は度を超した美しさで不穏な気分になるくらいなのに、すんなり秋になりませんねー。
しつこいぞ、夏。
季節も人も、去り際の見事さがその存在を輝かせるのに。
往生際が悪いったらありゃしない!
「2011年の夏はちょっとしたストーカーみたいにねちねちとしつこかった」という総括が私の中では今のところ最有力。
こんな自分の総括を発表する機会はまずないけどさ。

仮性ギックリは思いのほか早く治ったのですが、昨日今日と妙に眠ダルい。
夏の疲れか。
職場には、1日のエネルギー配分が不得手なのか、朝はいつも元気いっぱいで、午前中も昼過ぎもいちばん元気なのに、夕方になると電池切れのように静かになってしまう、ある意味、愛すべき(笑)同僚の方がいますが、その方はスパンが1日だから分かりやすいだけで、これが1年だったりすれば、電池切れで「なんだかあの人、最近ちょっと元気なくね?」になっちゃいがちなのが夏の終わりなのかも。
よく、肌は秋の始めに一気にトシをとる、と言いますもんね。
えっ!?言うよね。

つい先日、職場の広報紙を創刊したのですが、特集は3月のはじめに開催したフードスタイリスト飯島奈美さんトークイベントの再現です。
再現、とはいっても、そこは紙媒体。
当然ですが別物です。
ちなみに、事前にご本人の許可をいただいていたのに、私のミスで当日はイベントの模様を録音し忘れちゃったんだよねー。
イベント直後に、私と一緒に進行役をしたHさんがものすごい勢いで覚え書きを書いてくれました。
感謝!
それを見ながらの紙面作り、となりました。

迷った末に、飯島さんが事前に用意して下さった何十枚という写真の解説の場面はほぼ根こそぎ端折りました。
1枚1枚について本当に丁寧に解説をして下さって、イベントではメインともいえ、参加者にもかなり好評だったのですが、それを入れたら紙面が膨大な量になるし、なにより、そこをがっつり広報紙に使ったらなんだか「違う」気がして。
上手く言えないんですけどね。

きっと自分は、イベントから半年も経って、明らかに時機を逸しているのにあえてその特集で広報紙を創刊する意味、というか理由、というかモチベーション、を自分の目論む方向で設定したかったのです。
日常という。
3月6日という、「まだ平和」なときに開催したイベントを今特集するからには、「ふだん」とか「日常」を際立たせたいと思った。

ふだんや日常は、うっかりすると軽視してしまいがちだけれど、本当はものすごく貴重なのだということをその直後にガツンと思い知らされてしまったので、それが伝わりやすい紙面というのを最優先にした、んですね。

作っているときはそんなに作為的ではなかったけれど、今思うとそんな感じ。

なんでこんなことを急に説明(言い訳)しているかというと、今日、ひょんなことから別所哲也が飯島さんをインタビューしたラジオ番組のポッドキャストを見つけ、聴いたからです。
月~木の帯で4回に分けて放送されている(もちろんまとめ録りですが)番組でけっこうボリュームがありました。
それを聴いていたら、自分が飯島奈美さんを招聘したいと思ったことも、イベントのタイトルを「ふだんのごはんは、すごい威力だ。」にしたことも、イベントから半年も経っていまさらながら広報紙で取り上げたいと思ったことも、全て腑に落ちる気がしたのです。
それは「飯島奈美さんは『ふだん』の表現者」だから。

自分的にはすごく納得してスッキリした。
このスッキリ感、人には伝わりづらいだろうけれど、このブログは備忘録なので書いておくのだ。

ご静聴ありがとうございました。
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by kuni19530806 | 2011-09-14 22:46 | 仕事 | Trackback | Comments(2)

特別な時間を生きるということ   

しかし今日はあぢかった!
午後からバスで区内の本社(←便宜上、こう書く)にちらっと行きましたが、道中一瞬クラッときた。
一瞬でしたけど。
ここに来て熱中症行きのドアを開けかけました。



明日で半年、そして10年。
双方の報道量が俄然増えてきた。

半年、かあ。
時間に対する気持ちは伸縮しますね。
もうそんなに?まだそんな?が日々交錯する感じ。
そんななか、今間違いなくあるのは「特別な半年だった」という感慨です。

本当に、本当に私達は特別な時間をもう半年やってるんだなあ。
直接の被災者じゃない自分は、最近はうっかりすると何事もなかったかのような錯覚に陥ることがあり、その錯覚頻度は時間の経過と比例して増えている、と思う。
人はそうそう長く非常時態勢を続けられないのだろうし、その錯覚はきっと息抜きで、きっと必要なのだ。
たとえ被災者でも。
被災者こそ、かも。
自己防衛本能、と言ってもいいのかもしれない。

けれど
これからも確実に続く原発事故の影響や大きな地震を示唆する不穏な報道は、まるで居眠りをすると自動的に流れる電気ショックの如く、錯覚モードに入りかける自分に警鐘を鳴らし揺り起こし続ける、はず。
耳を塞ぎたくても。
しばらくは忘れていたいのよ、と思っても。
そこに選択の余地ない。
きっとそれが「特別な時間を生きる」ということなのだろう。

そして、これからも私達は生きている限り、「特別な1年」「特別な2年」をやっていくしかないのだ。
残念ながら。
その覚悟というか受容というかちょっとした諦観が、今、自分に出来る数少ないこと、と思ったりしている。

「特別な時間じゃないとき」は無頓着だったり念頭になかった、電気の使い方だとか、細々した義援金振り込みとか、報道の取捨選択・・飲み込み方とか怒り方とか、しょうがないこと、しょうがなくないことの仕分けとか、今後もきっとずっと続くし、続けていかなくちゃ、という覚悟とでもいいましょうか。


だって違う世界に来ちゃったからね。

あ~、桃源郷のようだった福島市北部の春の風景を思い出すと涙が出ます。
こっちの世界にもあの平和な風景がありますように。
(夜、書いてるのでつい叙情的)
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by kuni19530806 | 2011-09-10 23:49 | その他 | Trackback | Comments(0)

高良クン、串田さん、糸井夫人、その他   

今朝の「あさイチ」は、「おひさま」の和さんこと高良健吾クンどっぷりでした。
彼は数日前、「スタジオパークからこんにちは」にも出てたな。
「おひさま」はもうすぐ終わるというのに、ここにきてのNHKの高良プッシュの理由はなんだ?
いずれにしても、スタこんもあさイチも、女子アナのはしゃぎっぷりはベタでした。
有働さん、「どんな女性が好き?19才年上は大丈夫?」と露骨なピンポイント攻撃に出て、ムリヤリ(?)「20才ぐらい上までOK」というコメントを引き出してました。

高良健吾クンは、私は映画「フィッシュストーリー」で初めてみました。
そして「南極料理人」。
前者はロッカーの役で、ブルーハーツのヒロトを彷彿させる坊主頭と目力と歌唱にインパクト大でした。
後者の「兄やん」もよかったですけどね。

今日見て、声がSMAPの草彅君に似ていると気づいた。
腕相撲が強いのは個人的にポイントが高いなあ。

「おひさま」、ちゃんと見てるわけではありませんが、出ている役者さんの清潔感度が高い気がする。
内容も清潔な感じではありますが、演じ手がこぞって生臭くない。
演じ方も含めて。
いちばん生臭いのは、現代の陽子さん(若尾文子)の話を聞く斎藤由貴かも。

ヒロインの舅役の串田和美さんは、自由劇場の頃から知っていますが、今はこういう方向の役をやるんだねー。
確かもう70才ぐらいなんじゃないかなあ。
30年ぐらい前に40才ぐらいだったはずだから(←なんだこの注釈は)。

一時期、「ロバート・デ・ニーロを日本人にしたら串田和美」と思ってましたが(演技力とかではなく、顔とか声の雰囲気)、善人が似合うなあ。
確か、孫一さんの息子だよね。

樋口可南子さんは相変わらず「凜としてる」という形容詞がお似合いの美しさだ。
糸井夫人っていうのが微妙だけど!?

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婦人科健診の結果が来て、異常なしでホッとする。
実は何年も受けていなかったので、ちょっとドキドキだったのだ。
今年はピンクリボン(乳ガン検診推進)の10月を心穏やかに過ごせます。
去年まではちょっと責められてる感があった。
毎年受けてれば手遅れにならなかったのにねーというシチュエーションを妄想したりもして。
そういうこと、現実にいくつか知ってますしね。
だったらちゃんと毎年受診しろよ、ですけど。
なかなかねー。
ガン健診って苦痛な過程が必ずある。
消化器健診ももうすぐだ。
気が重い。
早く錠剤式胃カメラが一般的にならないもんかな。
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by kuni19530806 | 2011-09-09 14:37 | テレビ | Trackback | Comments(0)