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チチカカ湖   

半年ぶりに更新しました。

第61回は「最近、見直したもの」です。
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by kuni19530806 | 2010-08-30 12:34 | インターネット

引きこもってTV   

昨日は1ヶ月ぶりの夜間外出をしましたが、また今日から仕事以外では当分引きこもり生活になりそうです。
昨日の経過観察で、骨がくっつくにはもう少し時間がかかると言われてしまったのだ。

クリニックに併設されている治療所で、前回から、あの松井秀喜やベッカムもやったという、骨折の超音波治療を始めました。
超音波用のゼリーを塗りたくって、美顔ローラーみたいな機器を骨折箇所に7分間あてがうだけなんですが、療法士の方によれば、「これを毎日やれば骨の付きが確実に早くなる」そうです。

毎日はムリだなあ。
通っている整形外科は家から徒歩15分ぐらいかかって(現在の足だと倍かかる)、自力で往復するのはちょっとキツいのです。
もっと近場にもいくつか整骨院があるので、「超音波やってますか?」と問い合わせてみたのですが、どこも×。
医師がいる治療院じゃないとやっちゃいけないとかあるのかも。

仕事の帰りに寄ることも考慮中ですが、職場からのバスの便もよろしくありません。
毎日通うことでかかる足への負担と、治療の効果を天秤にかけると「微妙」だと思っちゃう。
タクシーで往復するかも迷い中。
生まれて初めて真剣に「車を運転できればよかった」と思っています。

今日はだらだらとテレビを見てました。
BS2の夜の「映画音楽に乾杯!」は久々にじっくりTVで歌を聴けた実感がありました。
ときどき、CSTBSチャンネルのエレカシのライブに浮気しつつの視聴でしたが、大隅賢也のやたらなハイテンションっぷりや、初めて見た動いている井上芳雄とか、八千草薫さんのインタビューと若かりし頃の映像(華やかだったんですねー)などなど、見どころ満載。

今陽子さんも出てました。
ピンキーを見たのは何年ぶりだろ。
すっかりミュージカル女優さんになってたんですね。
容姿にお直し感がなく(やっていたとしたら高度なテクだ)、溌剌として加齢にムリがない感じで、若いときより美人度がグンと増してるような。

世の中高年女性誌も、黒木瞳や萬田久子や桃井かおりばっかり特集してないで、ピンキーや兵藤ゆき姐の加齢マジックを掘り下げればいいのに。
ピンキーあたりは具体的なことを言ってくれると思うんだけど。
問題があるとしたら、同じエイジレスでも、世間はピンキーやゆき姐を目指してないかも、ってことでしょうかね。
奥村チヨとか。
目標にしたいイメージではないんでしょうね。

10時からはソロモン流を見ました。
船越は邪魔ですが、時々面白いです、この番組。
特集する人間を「賢人」と呼ぶのはどうかと思いますが。

今回は、築地御厨というレストラン向けの青果店の内田悟さんという人の特集でした。
いや、面白かった。
内田さん、キャラがはっきりしていてテレビ向きですね。
野菜の見分け方や調理法など、勉強になりました。

無性に茄子が食べたくなった午後11時過ぎの私。
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by kuni19530806 | 2010-08-29 23:55 | テレビ

最年少   

20代のときに私もよく会っていた夫の学生時代の部活友達との飲み会に急遽呼び出され、私も参加してきました。
車で行くというので“便乗”したのですが、仕事と通院以外の外出は久しぶりだったのでいい気分転換になりました。

会場は、柔道部だったのに優男Fさん、が2年前からやっているという荒川区西尾久の<和心かふぇ湯屋>というお店。
東京女子医大の東医療センターのすぐそば。
最寄り駅は都電宮ノ前ですね。
日暮里舎人ライナー熊野前駅からも歩けるそう。
熊野前というと、私の中では「元気が出るTV」の熊野前商店街ですが、もう世間的には忘れ去られているんでしょうか。

<和心かふぇ湯屋>は、甘味処というか、和風バーというか、隠れ家的ダイニングというか、とにかくなかなかステキなお店でした。
ママのM代さんは、昔っからきっぷのいい姐御肌の人でしたが、このお店の女将として、ますますかっこいい本物の姐御になっていました。
クワバタオハラのオハラ(結婚してない方)を江戸っ子にした感じのビジュアル。
若い頃から妙に迫力があって、かっこよかったんですよねー。

お料理はどれも美味しかったし、最後に煎れてもらった珈琲も満足!
夜だったので、自家製シフォンケーキが食べられなかったのが心残りでした。
オトモダチと都電荒川線沿線散策ツアーを敢行したアカツキには必ずこの店でランチがてらケーキも食べよう!
と固く心に誓いました。

飲み会は中年酔っぱらいまみれでした。
私達が参戦した頃は既にみんないいかげんできあがっていて、中年酔っぱらいの話のしつこさに辟易しつつも、なつかしくて、やたら可笑しかった。
「その話はもう今日3回目だっつうんだよ!」とか「どっちが先に結婚したとか、もう25年前の順番なんてどーでもいいよ!」「うるさい!そんなにデカい声で言わなくても聞こえます!」とか、ずっと酔っぱらいのオッサン達にダメ出ししてた感じ。

そういえば、10人以上の男女の飲み会で、自分がいちばん年下って最近じゃあかなりレアケースで新鮮でした。
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by kuni19530806 | 2010-08-28 22:44 | お出かけ

でも性格は直らない   

今回の骨折、不幸中の幸いだったのは、1ヶ月前でも1ヶ月後でもなかったことです。

1ヶ月前だったら、新しい図書館の本選びの佳境で、休んだり、定時にとっとと帰ったりしづらかっただろうし、したらしたで、よけいな罪悪感に苛まれたに違いありません。

そして1ヶ月後だと、ちょうど新館への引っ越しのごたごたにかかっていたはず。
引っ越し先は交通の便が悪い所で歩く距離も今より長いし、それでなくても引っ越しというのはじっとしていづらいイベントなので、つい調子こいてうろうろして足の具合を悪化させていたかもしれません。

まだ完治していないので「不幸中の幸いだった」などと総括するのは時期尚早ですが、あんまり暑いんもんでねー。
暑いときにこんな蒸れ蒸れ足カバーを装着してなきゃなんないとは。。。と嘆きたくもなりますが、そういうとき、仕事的にはこの時期でマシだったと自分に言い聞かせて、慰めているわけです。

本選びの佳境、と書きましたが、7月末に大量の発注データを購入先(厳密には購入先ではないのですが)に送りました。
一般書(大人の本)だけで6万冊です。

新しい図書館がオープンするのは12月ですが、集書作業を含めた諸々の準備を考えると、大口での本選びのリミットは7月末だったのです。

その後もだらだらと本選びは続いています。
6万冊を発注してももちろんそれが全て入るわけではありませんし。
現段階で既に、8千冊以上の事故伝(絶版や品切れ、出版社倒産などの理由で入らないことが確定した本の連絡)が上がってきています。

ちなみに、文学関係の本の事故伝は新潮社が圧倒的に多いです。
在庫を持たない経営方針なんですかねー。
昨年一昨年ぐらいの、私達にとっては「新刊」が軒並み入りません。

なので、それらの代替本や、日々、刻々と(?)出版されている新刊の選書に抜けがないよう、全体数と分類ごとのバランスを考えながら、ああでもないこうでもないと本選びをする毎日です。

私なんて、とりたてて本の知識が深くもなければ、およそ緻密さに欠けるいいかげんな性格なので、大口発注を終えた現在ですら、「私が選んじゃってよかったのかなー」という思いでいっぱいです。
いやむしろ、選んじゃった、もう取り返しのつかない今だからこそ、「あわわわ」と思っています。

事故伝のリストを見ると、しょーもない本がずらずら並んでいて(「図書館的に良書か否か」とかいう基準のしょーもなさではなく、上中下の中だけ発注してたとか、鮮度が大事な実用書なのに5年前のものを選んでたとか、シリーズの一部が抜けてたとか)自分のツメの甘さを思い知らされています。

事故伝にこんなにあるんだから、それ以外にも・・・8千:6万として、しょーもない本は7.5倍分はあるってこと?

怖っ!!
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by kuni19530806 | 2010-08-27 23:28 | 仕事

バイバイ、ブラックバード   

骨折以外は元気です(笑)。

伊坂幸太郎『バイバイ、ブラックバード』を読む。

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この小説は、双葉社の「ゆうびん小説」という企画で書かれたそうです。
6編の連作短編集ですが、短編1話につき50人の当選者に郵送されたそうな。
ちなみに、送られたのは5編。
この本の最後の1編は書籍化に当たっての書き下ろしだそうです。

この企画、編集者の「ある日、小説がポストに届いていたら、楽しいに違いない」という思いが発端だそうです。
250人のポストにある日、小説が届いたわけですね。

双葉社といえば・・30年近く前の「漫画アクション」をけっこう読んでました。
ビックコミックやヤングジャンプよりちょっと通好みで、バラエティに富んだラインナップの漫画雑誌でした。
大友克洋やいしいひさいちもいれば、「博多っ子純情」や「じゃりン子チエ」もあって。
その中でも私は、山本おさむの「ぼくたちの疾走」が好きでした。

それと、アクションは、アクションジャーナルというコラムがすごく面白かった。
TVブロスのブロス探偵団というミニコラムをその昔、ナンシー関さんが書いていたように、アクションジャーナルも、今ではビッグネームが無名時代に書いていたりしたんだろうか。
調べればわかるだろうけど、まあいいや。

話はズレましたが(毎度のことだ)
そんな双葉社の時代の趨勢とは逆を行くような、アナログでアットホームである意味、アバンギャルド(アで統一してみました)な企画のこの本、中身もなかなか前衛的で先鋭的。
だって、五股をかけてた男の話っすよ。

この星野一彦君を、全然イケメンではない、善良で優しくてまじめで計算ができない男、にしたところがいかにも伊坂幸太郎さんですね。
星野君の女性版は『オー!ファーザー』の知代さんってことになるでしょうが、彼女とはまたちょっと違うタイプって感じです、星野君。

それにしても
伊坂幸太郎って、複数の相手と付き合うってことに願望だか憧憬だか経験だか、なにか格別な思いがあるんすかね。
まあ、だいたいの人は願望や憧憬が「ある」のかもしれませんが、それを小説にする手口(?)が妙に肯定的というか優しい。
ついついこっちも、「好きになったんだからしょーがないか」と思ってしまう。

それを真っ向からぶった斬る存在として登場するのが繭美という女ですが、もうマツコデラックスのビジュアルしか浮かびません。
映像化されたらぜひともマツコでお願いします。

この繭美は、トラブルに見舞われた(らしい)星野君を「あのバス」という名の処刑場に案内するのが仕事の、まるで死に神のような役目です。
しかしその前に、星野君は5人の恋人に別れを告げたいと申し出る。
繭美がその行脚に監視役として付き合う。
それが短編5編というわけです。

繭美のハンパじゃない悪目立ちっぷりと、星野君の無防備で計算外のキャラと、5人のそれぞれ個性的な女性、そして郵便では届けられなかった終章が効いているので、かなり面白い小説になっています。
私の「伊坂幸太郎モノのベスト5」に入るかも。
そして、その功績は繭美かもしれません。
最初は、なんてヤな女だ~と思って読んでたのに。

できれば、繭美シリーズを立ち上げて欲しいものです。
おためごかしの善意や常套句、安い正義感をぜひともドンドンぶった斬って欲しいです。

そうそう、この本で、マツコ・・・じゃなく繭美が「バス」の行き先の例として登場させるのがギアナ高地のテーブルマウンテンです。
固有名詞こそ出てきませんが、エンジェルフォールにもちょっと言及したりします。
シンパシー。
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by kuni19530806 | 2010-08-26 22:36 | 読書

時間はこっくりさんだ、という極論   

カーター元大統領って、まだご存命だったんですね。
なんだか、すっごく昔に大統領をやってた気がするけど、そうでもないのだろうか。
それとも、かなり若いときに大統領になったの?

大統領や総理大臣経験者って、どうしても在任中を人生のピークと見てしまうせいか、その後の余生感が際立って、失礼ながら、退任後はリアルタイムで生きている感じがしない。
日本でも、たまにテレビに映る中曽根あたりは、まるでヘンな記憶再現装置が動いてるみたいだ。
老け方もなんか人工的だし。

総理大臣時の印象の薄い人はそうでもないんだけどね。
森とか安倍とか細川とかは、総理大臣だったことが幻みたいなもんだし。
真新しい幻の鳩山さんは、総理大臣後は引退するんじゃなかったのかな。
政治家のコメントなんて信用するな、などというベタな見解で世間は納得していいんですかね。

とにかく、自分周辺以外の時系列って、年々めちゃくちゃになるという話です。
20代の自分のことをそんなに昔だと思ってないのに(ずうずうしい!)、当時の事件や流行は遙か昔の歴史上の出来事みたいだ。
ちょっと前、日航機の事故から25年と知って驚いたように、自分の時間軸は膨張したり収縮したりしているので、生きてる人間を故人にしたり、年齢を読み違えて進んでいます。

そもそも、時間は進むもんなんでしょうか・・・なんて言い出したらキリがない上に、時間というものの概念や知識に乏しい私は、すぐに行き止まりにぶつかるのが必至。
なので考察は止めておきます。

と言ったそばから、今ケーブルTVで見かけた兵藤ゆきが全く昔と変わらないので、またぞろ時間について考えてしまいそうです。
元気が出るTVの頃と全く同じ容貌、スタイル、声、テンションで、ペットについて語ってるよ、ゆき姐。
人の、特に女性の、加齢の認識を根底から覆すっていうか、なんだか仙人みたい。

兵藤ゆきさん、ちょっと見ない間は宇宙ロケットに乗ってぐるぐる地球を回っていたのかもしれませんね。
そうするとトシをとるのが遅くなる、とアインシュタインの本に書いてあった気がするし。

・・・やっぱり、時間は進むものじゃないですね。
もしかしたら、人が時間という帯に自主的に軸を付けて時間軸にし、そこに掴まって自力で移動してるだけなのかもしれません。
こっくりさんみたいに「勝手に動いている」と思いながら。

なあんて。
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by kuni19530806 | 2010-08-25 22:39 | その他

こっちへお入り   

平安寿子『こっちへお入り』を読む。

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落語小説です。
30代OL江利が、友人の友美に影響されて落語教室に通い始め、どんどん落語にのめり込む、という噺です。

あとがきにもありますが、作者の落語への偏愛から生じた物語です。
しかも作者の落語の知識はそんなには専門的でないと思われます。
でも、だからこそ、落語入門書としては最適。
専門家や筋金入りのマニアの落語論などより、読後、ずっとずっと落語を聴きたくなると思います。
私はそうでした。
で、youtubeでいろいろ見ました。
志らくの「芝浜」とか、志ん朝の「愛宕山」「元犬」とか。

志らくさんの後に見ると、志ん朝さんの滑舌の良さ、上品さが際立ちますね(笑)。
それでも私は志らくさんがいちばん好きなんですけど。

小説の方に話を戻すと、なんだかまっとうなセリフが妙に心に沁みました。
今、自分がくすぶった状況だからかも。

実家の相続のことで弟や両親と揉めた江利が、自己嫌悪に陥って落語教室の講師の楽笑さんに愚痴をこぼします。
そのときの楽笑さんのコメントは、聞きようによっては陳腐ですが、ハッとしました。

<「人生は難しいです。いろんなことが起きる。人はそういうとき、その問題をどうやって解決すればいいか、具体的な対策を知りたがる。でも、一番大事なのは、心の持ち方なんじゃないでしょうか。悪いこと、心配なこと、つらいことが起きたとき、どんな心の姿勢でいるか」>

<「思い通りに行く人生なんて、ない。誰もが、自分のバカさ加減に泣かされるんです。その繰り返しが人生じゃないですか。だから、噺の世界ではバカが立役者なんです。(後略)>

ちなみに、youtubeの志ん朝さんの落語の中では「井戸の茶碗」にとても心が洗われました。
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by kuni19530806 | 2010-08-22 22:34 | 読書

捨て猫という名前の猫   

通院日でした。
週に一度レントゲンを撮って経過観察をしています。
初診を含め、3回目。

骨折後、2~3週間ぐらい経つと、仮骨というものができはじめるそうですが、最初はレントゲンには映らず、もやもやっとした影のように見えるらしいです。
残念ながら、私の骨折箇所にまだ影っぽいものは見あたりませんでした。

骨折にはいろんなパターンがあるわけですが、私のは、骨が1本完全に折れているわけではなく、全体の3分の2ぐらいの亀裂です。
ただ、ヒビではなく完全に折れ口同士(?)が離れてしまっています。
ってことは、もやもや影の面積もけっこう必要ってことなんでしょうか。

まだ、道は長いのかなあ。


樋口有介『捨て猫という名前の猫』を読む。

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わが偏愛作家ユースケの柚木草平シリーズ第7弾。
このところ、従来の軽妙洒脱なタッチをちょっと離れ、けっこうシリアスだったり、時代小説にも手を染めているユースケさんでしたが、この柚木シリーズ最新作は久々の往年ユースケワールドです。

饒舌で女好きな主人公の周囲は今回も強気な美女まみれ。
これでもかこれでもかと、個性的な「美女」が登場します。
柚木草平は彼女達にいつも呆れられ怒られていますが、それ以上に好かれている。
これは男(だけの)の理想のハードボイルド!と鼻白らむくらい、女性陣は草平を憎めないと思っているのがありあり。
その守備範囲はどんどん広がり(特に下に向かって)、今回はあららの領域まで!?

ライトで、でもシニカルで、変化球みたいで直球だったりする作者の煙幕文体は相変わらず好きですが、今回はちょっと胃もたれ。
この食感の違いは、今回は作者が自分の技巧に酔っている気がしちゃったから。

それと、セレブにしろIT業界にしろ昨今の嫌煙風潮にしろ、小説の中で作者が主人公の言葉や展開を借りて批判するのは自由だけど、特にITに関して、たぶん作者自身ほとんど知識がなく、先入観や気分で批判しているのが露骨。

私だって、ITナンチャラのことは全く知らないし、それこそ気分で「そんな業界のヤツらはどいつもこいつもロクでもないに決まっている」ぐらいに思っていますが(ホントか)、一般人がそう思うことと、小説家がこういう小説にしてしまうことは全く違うと思うんですよね。

知識がないことは年齢を言い訳にできないし(年齢のせいにするなら「書くな」ですしね)、たとえば女性に対する二重底以上の深い(?)物わかりのいい描き方が突出して個性になっているいろんな意味でのお約束ワールドだからといって、自分が嫌いな分野に対する掘り下げ方が浅過ぎたりベタ過ぎていいのかって話です。
小説なんてどれも偏見だらけだけど、「オレの世界ではオレの嫌いなものは悪」的な許容領域をちょっと出ちゃってる気がしました。

アナログな中高年が溜飲を下げる、みたいなカタルシスはあるにせよ。

ま、それもこれも含めた、欠点だらけのユースケワールドこそ愛おしい、という考え方もあるとは思うのですが。
なんだかんだ言って、憎みきれないろくでなし、ですからね、草平さんは(そしてたぶん作者も)。

ちなみに、このタイトルはいただけません。
まず、ふつう誰も読もうって気にならないでしょう。
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by kuni19530806 | 2010-08-21 20:33 | 読書

さよならの扉   

平安寿子の『さよならの扉』を読む。

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夫を亡くした仁恵(ひとえ・48才)とその愛人だった志生子(しおこ・40代前半)の奇妙な交流の物語。

専業主婦で、ぼんやり暮らしてきて、思ったことをだらだらしゃべるのが癖で、考えることが苦手で、娘にも馬鹿にされ、夫の死に悲しめず涙ひとつ流さなかった、そんな仁恵が、夫の死後、唯一、執着するのが志生子。
でも、嫉妬とか復讐の対象としての執着ではなく、イヤミや皮肉を言ったり時に高飛車になりつつも、やたらなついてしまう、好かれたいと思ってしまうという執着。
もちろん、志生子はそれが不気味だし腹立たしい。
けれど、弱みがあるという立場上、完全に仁恵を拒否し切れず、翻弄され、苦い思いを味わいつつも付き合わされるハメになる。
そして・・・。

平安寿子さんですからね、そりゃあ、ある程度覚悟はしていましたよ。
でも、その上を行く展開でした。
どうしてこんな痛くて、キツくて、でも面白い物語を作ることができるんでしょう。

ものすごく斬新だったり、誰も思いつかない設定、とかいうのではありません。
むしろ、下世話な、平日午前中のフジテレビが再現ドラマとして採用しそうな、身近で、でもちょっと現実離れした話です。
よくわからないでテキトーに言ってますが。
元バレーボール選手の川合とかこぶ平(私の中でアレは正蔵じゃなくまだこぶ平)が司会をしてる、視聴者のどーでもいい体験談をドラマにする番組、ありますよね。
もうやってないのかな。

とにかく、設定はそんな感じなのですが、みるみる平ワールド全開です。

なにより、会話力、かなあ。
蘊蓄のある会話はもちろん、気の利いた会話すらほとんどないのですが、予測不能なんですよね。
で、妙にリアル。

登場人物も、みな立体的というか血が通っている感じ。
完全に脇役の仁恵の2人の娘の思考回路までありありと伝わってくる。
志生子の母親の冷淡さにも説得力があるし、父親の弱さ、甘さ、憎めなさも癇に障るくらい。
いかにものステレオタイプなのは後半に出てくる高山ぐらいですね。
あ、そもそも仁恵が一見、誰よりもステレオタイプの主婦なんですが、アタマの回転が鈍そうで空気が読めないこの仁恵こそがいちばん底知れないかも怖いかも、と思わされます。

いちばん魅力的なのは、しょっぱなに死んでしまう、仁恵の夫であり志生子の愛人でもある卓己(53才)ですね。
彼はその後、ふたりの女性を通して語られるわけですが、その描写が秀逸。
スゴイ!

さすがだなあ、安寿子さん。
若い女性や、たとえば人を血液型で判断するような輩にはゼッタイ書けない小説ですね。
さすが和製アン・タイラーだわ。

ただ、どの小説もそうですが、今回も、あまりに生々し過ぎて、好き嫌いが分かれると思います。
特に仁恵さんは、およそ好きにはなれません。

でも、そんなヒロインを造詣して、ここまで面白い小説を書いちゃうんだから、ホント、やり手だなあ。
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by kuni19530806 | 2010-08-20 23:53 | 読書

長い備忘録   

しかし今年の夏は本当に暑いですね。
日中の最高気温はさておき、夜も気温が下がらないのが不快指数MAXです。
一昨日なんて、夜7時直前のNHKの天気予報で、平井さんが「渋谷はこの時間、まだ32.4度あります」と言ってました。
最近、日没が早くなったし、7時といえば夕方というより、もう夜。
なのに気温が32.4度ってなんだか不快というより不気味だ。

そんなわけで、私のギプスシーネ生活もますます暑さとの闘いになってきました。
本ギプス(?)と違って、着脱可能で外してお風呂も入れる(シャワーだけですが)なんて、ギプスシーネ(副え木ギプス)はラクだしマシ、ガマンしろ、なのでしょうが、そうはいってもやはりこの時期の半ギプス+包帯ぐるぐる巻はちょっとした・・・っていうより、かなりの罰ゲームです。
相変わらず、ふくらはぎは攣るし、指は浮腫むし。

骨折なんてするもんじゃないですよ(あたりまえだ!)。

でも、足をケガすると、ふだん気づかないことに気づきますね。
まず、室内を歩くのと外を歩くのは全く違うということを思い知りました。
しばらく仕事を休んだり、通勤もタクシーか夫の車、という生活をしていて、それでも、家の中や職場では歩いていたので、自分では「歩きづらいけど歩ける」ぐらいに思っていました。
ところが、いざ単独で公道に出てみると、怖い。
痛いんじゃなくて、怖くて歩けない感じなのです。

まず、申し訳ないけれど道路の点字ブロックが怖い。
あの突起に左足がハンパにかかると、グキッといきそうになり、点字ブロックの歩道では足がすくみます。
ホント、申し訳ありません。

それと、傾斜全般が怖い。
歩道と車道の境目はゆるやかなスロープ(?)になっていて、それが歩道全般まで波及しているところが存外に多いものですが、ここを歩くときの足の裏の力の調節加減がけっこう難しいのです。
これも、ケガするまでは気づかなかったなあ。

あとは、バスの優先席が怖い。
今朝、生まれて初めてバスの優先席に座ったのですが、都バスの優先席は車体の前半分の左側で、進行方向向きの席ではなく、電車のように車体の内側向きの席です。
そして、構造上の問題なのでしょうが、足をイスの下にほとんど入れられないのです。
よって、ほぼ通路に足を投げ出すかっこうになります。

朝のバスはけっこう混んでいて、停留所ごとに人がドカドカ乗り込んでは降りていくので、その人々に足を踏まれそうで怯えました。
ま、目立つ分、そんなことはないんでしょうけど、歩道で人とすれ違う際も、なんだか怖いんですよね。

でもこれが、人が私の足に確かに視線を向けたな、と確認できれば怖くないのです。
認識されたのがわかれば安心する。
ただし、たとえ視界に入っているだろうなあとは思っても、気づいているんだかいないんだか確信が持てない人が至近距離を通るときはやたらビクビクしたりしてしまう。
見ず知らずの人間同士の微妙なリアクションっていうんでしょうか、それって思いのほか大事だなあと思ったりしました。

このご時世、面識のない人間に対しては、たとえ明らかにその人に目立つ箇所があっても、基本的にはなんの反応も示さないことが礼儀みたいになっていたりします。
特に東京はそうかもしれません。
たとえば、障害を持つ人でも芸能人に対してでも、その人が自分からなにか言わない限り「特別扱いしないことが大人の正しい対応」っていうか。
それは基本的には間違ってはいないんだと思ってました。

でも、以前、重度の障害を持つ子ども達とディズニーランドに行ったとき以来、自分の中での認識に少し変化があった気がします。
それを今回、思い出しました。

車イスの子ども達にはミッキーやミニーなどのキャラクターが頼まなくても勝手に寄ってくるので(←この言い方にトゲがある?)それ目当てに他の子ども達もいっぱい集まってくるわけです。
ちっちゃい子ども達のことですから、障害やチューンナップされた車イスがめずらしい。
これはもう、ふつうに「めずらしい」わけです。
で、じっと見つめて「この子ヘンだよ」と率直に感想を述べたり、自分の親やこっちに「なんでこんなのに乗ってるの?」とか、車イスの装備を指して「これはなに?」とか聞いてくるわけです。

そのときの親の反応はたいてい以下のふたつに分かれました。
①あわてて「いいからこっちに来なさい」と言って、子どもを車イスから離す
②「お身体の具合が悪いみたいだから、それを守ってる機械だよ」とやんわり説明して、子どもを離す

ま、ふつう②の方に好感が持てますよね。
私もそうでした。
②がある意味、「正しい」親のリアクションかと。

でも、中に、一緒に質問してきた母親がいました。
特注でキーパッドが付いているSクンの車イスを私は押していたのですが、子どもが「このボタンは何をするの?」と言い、母親がこちらに「ご迷惑じゃなければ教えてもらっていいですか」と。
それは一見、特にディズニーランドという場所柄、なんだかやけに現実的で夢のない(?)デリカシーに欠けた質問のようにも思えました。
でも、Sクンはふつうに「ボクはこっちの指しか動かないから、このキーボードで少し(車イスを)操作するんです」と答えました。
質問してきた母親は、適度な感情で「そうなんですか」と言うと、子どもに「わかった?」と聞いて、ふたりでお礼を言って離れて行きました。

これって、あまりできることじゃないと思います。
在るものを無いってことにして、なんのリアクションもしない方が、もしくはわかったことにして距離を置く方が、「大人」みたいだし、何よりカンタン。
私は差別なんてしてませんよ、フラットに接してますよ、の表明にもなる。
でも、本当にそうですかね。

関心を持つってことはデリカシーがないことなんだと思います。
ある種の大人の人々は「デリカシーがない」と思われることを極度に嫌う。
恐れる、と言ってもいいかもしれない。
だから、反応しないこと、関心を持たないこと、が都合のいい落としどころになり、そうすることがデフォルトになっている。
でもそれって、思考停止だよね。

ギプスシーネで通りを歩いていると、私の足に視線を向けて、ちょっと道を譲るようにすれ違ってくれる人がいますが、実はこれはものすごくありがたいのです。
バスを降りるとき、私の足をちゃんと見て降りてくれる人にも感謝したい。
ただでさえ、いろんなことに注意を払わざるを得ないことに慣れていない私としては「そっちに対する注意はこっちでやるから、こっちのことは気にしなくていい」というサインを出してくれるのは、注意事項がひとつ減るわけで、とても助かるのです。

相手はそこまでの想像力を働かせているわけではないのかもしれません。
でも、少なくても、私は今まで、ケガをしている人にそういうサインは出してこなかったと思う。
それは、デリカシーのない人間だと思われたくなくて・・・かもしれません。

ふつうでいいんですよね。
ふつう、がイチバン難しかったりするけれど、驚いたら驚いた顔をすればいいし、興味を持ったら聞けばいい。
気遣って、気づかないふりをするのも大人の接し方だけど、反応しなさ過ぎなのも過剰反応かも、と思ったりして。

自分が今、こんな状況だから思うことなのかもしれませんが、こんな状況じゃなくなってもきちんと覚えていなくちゃかっこ悪いと思って、ここに備忘録として書いてみました。
それにしては長過ぎるし、まとまりもなさ過ぎだけど。
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by kuni19530806 | 2010-08-19 22:55 | その他