<   2010年 05月 ( 19 )   > この月の画像一覧   

サフィーナはサフィーンの妹   

40代のおしゃれを追求している見ず知らずの方(ご本人は48才)のブログに
<「オバサン化」を過度に意識した諦めにも 
過度なアンチエイジングにも 
自分を取り巻く周囲への「侮り」が潜んでいるかも。>

とあって、けっこうな目ウロコでした。

私が常日頃、もやもやっとしている正体の一端はこれですね!

たとえば自分が「どーせオバサン」的発言をした際に感じるであろう違和感は、自分がオバサンであることへの違和感ではないんですよね。
だって、実際、オバサンだから。
それより、「どーせ」という言葉(実際は使わずニュアンスだけの場合もあるけど)に醸し出される、オバサンと呼ばれそうな見た目や世代を侮蔑する風潮に当事者の自分が加担しちゃった、みたいなところに引っかかりと居心地の悪さを感じるのであまり使いたくないっていうのがあります。

それはそのまま過度なアンチエイジング指向にも言えることで、若く見えることに固執するのは「どーせ」と言うのと同じだなあ、と。
加齢を否定しているわけですからねえ。

そんななか、クルム伊達公子さんの活躍は、自分の中の「エイジング」という概念(アンチエイジングではなく、あくまでもエイジングです)に一石を投じ続けています。

あの、あのサフィーナに勝つなんて!
最近、世界ランキング1位だった人ですよ。
いくらケガからの回復中とはいえ、そういう意味では伊達さんこそ満身創痍。
ま、伊達さんの場合、満身創痍のときにこそ強い人なんですけどね。
グラフに勝ったときも、足を痛めて、1セットめは0-5まで追い込まれたんでした。
それってスゴイことだよなあ。
調子のいいときに調子のいいことができるのは、ある意味、当然で、調子の悪いときこそ、人間の真価が問われますもんね。
もー、私なんて全然ダメだもんなあ。

伊達さんは特別。
比べてもしょうがない。
確かにそれはそうなんだけど、少なくても、自分を取り巻く周囲への侮りとは無縁のポジション、という意味では、凡人も見習えるかも、と思ったりして。

キレイゴトを言ってます?
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by kuni19530806 | 2010-05-30 23:16 | その他 | Trackback | Comments(0)

ロスト・シンボル   

ダン・ブラウン著『ロスト・シンボル 上下』を読む。
2010年3月発売ですから、バリバリの新刊ですね。
買ったのではなく、前の職場の上司に貸していただきました。

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『ダ・ヴィンチ・コード』は読みましたが、『天使と悪魔』は未読です。
なので順番に読まないと繋がらないんじゃ?と思いましたが、そもそも第1弾が『天使と悪魔』で、『ダ・ヴィンチ・コード』は2作めなんですねー。
最初から順序が違ってたんだわ。
そういえば、『ダ・ヴィンチ・コード』を読んでるときに、「前の事件では・・」的な描写があったような。

前作同様、壮大というか、どこまでが事実(史実)でどこからがフィクションなのかよくわからない世界です。

今回は、宗教象徴学が専門のハーバード大学教授の主人公ロバート・ラングドンが、スミソニアン会長の歴史学者ピーター・ソロモンに呼び出され、ワシントンDCに赴きます。
そして、かの地でまたノンストップで翻弄されまくることとなります。

今回のキーワードはとにかくフリーメイソン!
この本を読むことでフリーメイソンという組織(概念?)の歴史や現状に詳しくなったような錯覚に陥りますが、これまた「どこまでが事実でどこからがフィクションなのか」わかりません。
でも、少なくても現実のフリーメイソンにとっては、これってありがたくない小説なんじゃないでしょうかね。

読んでいる最中は面白かったです。
でもなあ。
かなり強引過ぎだし、ちょっと破綻してる気もするんですが、それは私の読解力不足かなあ。
それにしても、アレがアレっていうのは、いくらなんでも当事者は気づくでしょ。

キャサリンの研究に関しての描写も残尿感。
もっともっと本筋に絡んで欲しかった。
純粋知性科学研究所というのは実在する、という但し書きがありますが、それに関しては非常に興味が湧きました。

これもトム・ハンクスで映画化されるんでしょうか。
されるんでしょうね。
なんだか、話題書籍の映画化の主人公は全部トム・ハンクスじゃね?
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by kuni19530806 | 2010-05-28 23:30 | 読書 | Trackback | Comments(0)

私は珈琲派   

というわけで、昨夜はよく寝ました。
今日は予定していた用事がなくなったので、筋トレ付きのヨガを1時間強やって、近所をぶらぶらと散歩しました。
もやもやしたりしてイヤな気分が抜けないときは、ひたすら寝るか、身体を動かす、ですね。
我ながら単細胞~♪
他には、カラオケやバイオリン練習やとっておきのDVDを見る、も有効ですが(あくまでも単細胞~♪)せっかくの好天なので、窓を開けてヨガをして、外に出てみました。

家から徒歩15分ぐらいのところに、以前から気になっていた喫茶店がありました。
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駅からも幹線道路からも不便なひっそりした住宅街の中の本当に目立たない場所にあって、でもそこだけ世田谷区や目黒区っぽいっていうか(発想が貧困ですけど)。
満を持して、そこに行ってみました。

いい感じでした。
おしゃれ過ぎず、流行りのレトロなカフェ過ぎず。
女性がひとりでやっているようで、明るくて、でも落ち着いた色調の、とても清潔感のあるお店でした。
珈琲(コーヒーより珈琲って感じです)にとてもこだわりを持っているらしく、その証拠に、自家焙煎機というのが店の奥にデン!とあります。
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お飾りで設置しているわけではなく、ちゃんと使い込んでる感じ。
このフォルムが美しい!
焙煎機がイチバンよく見える席に座ったので、じいーっと観察してしまいました。

メニューの珈琲の種類はとても多くて、でも若干小腹が空いていたのでカフェラテを頼んでみました。
空腹にブラック、はちょっと胃に来ちゃうんで。

こだわりの店の珈琲にありがちな濃厚さではなく、ライトなカフェラテでした。
ふつうの珈琲は焙煎ランク別に頼めるらしく、メニューに深煎り、中深煎り、中煎り、浅煎り、とありました。
私なんぞはよくわかりませんけどね。
珈琲1杯の値段はお高め。
基本のが5百円です。

70代ぐらいの男性がふたりいて、旅と病気の話で盛り上がっていました。
常連にならない程度なら、また行ってもいいな。

珈琲といえば、以前読んだ斎藤薫サマのエッセイに、<女には“珈琲を飲む女”と“紅茶を飲む女”の二種類しかいない>みたいなのがあって、それ自体はベタな括りだし、特に新機軸でもない内容だったのですが、最近、気づいたのは、自分がその女性の二大派閥を事前にかなりの確率で察知できるようになったということ。
この人は珈琲だろう、彼女は紅茶派だろう、はだいたい予想があたりますね。

ファミレスのドリンクバーあたりでは、珈琲も紅茶も飲むしホットもアイスもフルーツ系も全部いっちゃいます、の「雑飲派」も多いですが、基本の二大派閥は雰囲気でわかるし、更にいえば、私の友達は圧倒的に珈琲派が多いです。

斎藤薫サマの文章にもあって世間的にもわりと認知されている、「珈琲派は大雑把で物事にこだわらない」「紅茶派は繊細」という傾向には血液型程度の信憑性しかないと思っていたのですが、予測できるってことはやっぱりある?
そして自分の周囲は圧倒的に珈琲派、ということにはやはりなにがしかの規則性を感じたりします。

そもそも、珈琲派だけど紅茶も飲む、はふつうですが、紅茶派だけど珈琲も飲む、は少なさそう。
紅茶派はたいてい「珈琲は飲めない」とおっしゃいますね。
消去法で必然的に紅茶を選ぶことになった、という人も多そう。

これって、資質や気質が嗜好に出るってことでしょうか。
それとも、身体に悪そう→口にするべきじゃないのは当然、と思うタイプか思わないタイプか、ってことかな。
飲料に限らず、好きなものより、嫌いなものでその人の嗜好がよくわかるってことも多いし。

あ、書いているうちにどんどん、珈琲好きは大雑把、紅茶派は繊細、というベタな括りの信憑性が高くなってきた気がします。

やっぱり、そういうこと?
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by kuni19530806 | 2010-05-22 23:33 | お出かけ | Trackback | Comments(2)

もはや虚無感   

4月からこっち、仕事での感情のメインは
貧乏くじを引かされたような腹立たしさと
どうなるんだろう、オープンに間に合うんだろうかという不安感と
度重なる玉砕感です。
なんなんですかねーこれ。

私は特に、ものすごくマイナー思考な人間ってわけでもないと思うのですが、どう考えてもポジティブになれない状況なのです。
あまりにお先真っ暗感ばかりに苛まれるので、もしかしてこれは更年期的鬱かしら?と疑いたくもなりますが、どうもそういうわけではなさそう。
なぜなら、一緒に同じ仕事をしている、私より数段若くて数段明るくて数段優秀な女子達の方が、むしろ私以上に鬱々としているから。

昼休みの会話といえば
「立地条件が悪いなら中を工夫するしかないのに、あれもダメこれもムリって言われて、やる気になるかっつうの!」
「オープン前から暗雲立ちこめるロクでもない話ばかり聞かされて、人も足りず、協力を求めれば『上を通さないで勝手なことをした』とか『人は足りてるはず』だって怒られるし」
「しかも、いずれ同僚になるのがわかっている関係者に頼んでるのにねー」
「ドン!(机を叩く音)どこが足りてるんですかっ!」
「ちょっと残っていると、管理職に『早く帰れ』と督促されるし」
「それで、頑張れ頑張れと言われてもねえ」
「しかも私達はオープンしても日々の窓口業務には立てないんだよねー。よりによって、『日々の窓口業務こそ大事じゃね?』を公言している人間ばかりが何故、このポジションに?」
「私なんて、前に自分のブログに『窓口業務をやらない図書館員なんてくそくらえ』と書きました。ま、くそくらえとまでは言ってないけどさ」
「私だって、他の区で働いてて、窓口は外部に委託にするというから、辞めてこの区に来たんですよー」
「よりによってねえ」
「それなのになぜか、私達の次に、来年オープンするリニューアル館の人達は今までどおり窓口業務をやれるんだってさ」
「意味がわかんねーっつうの」

いわゆる、気分は八方塞がり。

そのままだと本当にキツいので、せめて平常心でやれるように、自分を鼓舞したり、お友達もなにかと励ましてくれるのですが、少し頑張ろうと思うそばからネガティブな話が次から次と出てきます。
「なにかを作るっていうことはこんなに妥協の連続なのか」と暗くなるばかりの毎日です。

そしてここに来て、今までの鬱々とした気分は単なる予告編、軽いジャブだった、と思われるようなストレートパンチに見舞われました。
もう、ムカつくとか妥協のレベルではありません。
開き直って笑い飛ばす気にもなれない。
虚しい~。

こういうときはひたすら寝るしかないですね。
明日から連休なのが不幸中の幸いです。
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by kuni19530806 | 2010-05-21 23:50 | 仕事 | Trackback | Comments(0)

愛は苦手   

山本幸久『愛は苦手』を読む。
表紙が印象的。
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タイトルのイメージをストレートに出していますね。

短編集です。
厳密には連作短編じゃありませんが、8編のヒロインがみんな40才周辺で、ある日、ふとしたきっかけで立ち止まって自分と向き合うハメになる、という点で括れば、同じグループの小説達です。
っていうか、山本幸久さんはこういうのを描かせたら本当に巧い!
特に、会社が絡むと秀逸。
なので8編の中では、オモチャ会社の宣伝部の管理職である可憐がヒロインの「町子さんの庭」と、元フリーライターで、専属で執筆していた出版社の社員と結婚した主婦静子の物語である「たこ焼き、焼けた?」の2編がとても活き活きとした筆致に感じられました。

それと、善良で誠実に仕事人生を送ってきた男性を描かせても素晴らしい。
私が「傑作!」と騒いでいる『床屋さんへちょっと』もそうでしたが、この中の「象を数える」にもそんなお義父さんが出てきます。
これがいいんだよなあ。
70代後半のお義父さんがヒロイン(できちゃった結婚をしたばかりの息子の嫁。42才)に戦争体験の話をした後に言う臭いセリフがステキです。
ちょっと長いけど引用。
<真紀さん。私はね、一生懸命、働いてきた。女房のため、息子のためだ。そしてね、自分が一生懸命働くことが、笑わないできいておくれよ。世界の平和に直結すると思っていたんだ。働くことによって、自分が幸せになって、他人も幸せになる。そしてみんな幸せになって、世界が平和になる。建具屋がなにを言ってると思うかもしれない。だけどね、自分が鉋をかけるたび、釘をうつたび、ドアの開け閉めの調整をするたび、平和に一歩近づいたと本気で思っていた。でもやがてそうではないことがわかった。いくらがんばっても世界は平和にならない。(後略)>

今年、山本幸久さんの本が何冊出るかわかりませんが、きっとまた、善良で誠実に仕事をしてきた老人が出てくる小説があることでしょう。
楽しみだ。
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by kuni19530806 | 2010-05-20 23:25 | 読書 | Trackback | Comments(0)

また、うさんくさい病名をつけられる   

私の持病(らしい)咳喘息をまた発症しました。
たいしたことはないのですが、ここ2週間ほど、咳が出始めると止まらなくなるので医者に行ったら、「マツモトさんは咳喘息をお持ちですからね」と言われ、一応レントゲンを撮り、「異状はありません。やはり咳喘息でしょう」という診断でした。

最初の発症は8年ほど前の秋。
風邪を引いて、他の症状は治まったのに咳だけが止まらず、2ヶ月くらい咳に悩まされました。
原因はわからず、咳止めも漢方薬も全く効かず、難儀しました。
就寝時に咳き込むことが多く、睡眠不足になったせいか、へとへとになり、その後、帯状疱疹も発症。
当時は「咳喘息」という概念がなかったようで、かかりつけの医者の診立ては「気管支喘息の前段階」でした。

やっと回復し、その後、しばらくは咳とは無縁になり、「いったい、あれはなんだったのだろう」と思っていましたが、2005年の春にまた発症。
この年は花粉の飛散が非常に多く、花粉症の症状のひとつで咳込んでいるかと思いきや、花粉が終わっても咳だけは止まらず、また同じ医者に行ったところ、今度はソッコーで「これは咳喘息ですね」と言われました。

セキゼンソクー!?
なにそれ?
うそくせー病名!
それって症状&症状じゃないの?
なんだか「あなたは『けいれんふるえ』という病気ですね」と言われたみたいな。
テキトーに言ってるだろ感がないか?

私は怪訝な顔をしたらしく、医者はまるで言い訳するように、「この名前が付いたのは最近ですが、とても増えているんですよ。肺や気管支の炎症での喘息ではなく、咳自体が引き金になる喘息です。若い女性に多いようです」
若い女性!?
いや、もちろん、ニンマリとなどしませんでしたとも。

医者は、自分がもともと呼吸器が専門の医師であることをそれとなく・・というより露骨に表明し、咳喘息がいかに今、キテいる旬な病気かを力説しました。
が、私はそのネーミングがどうしてもうさんくさく、ただ単に「咳の原因も治療法もわからないからテキトーな病名だけを付けてごまかしてるんじゃね?」という眉唾気分が否めませんでした。
だって、よりによって「咳喘息」。
直球過ぎてふざけてるみたい。
せめて「非気管支喘息」とか「咳誘発喘息」とかさ。
どっちもどっちか。

なにしろこのときも完治まで2ヶ月ほどかかりました。
アルトリコーダーの上半分みたいな形状の吸入式喘息治療配合剤(悪名高いステロイド系です)を処方され、咳止めや気管拡張薬も服用しましたが、なかなか手強かった。
とにかく、治まるにはかなりの時間が要するようです、この咳喘息と称する眉唾病は。

しかしその後、この病気はめきめき知名度を上げました。
前回とは別人のようで、今ではネット検索でもたくさんヒットするようになり、今日の診察室でも医者は、心なしか前回より自信ありげに「咳喘息ですねっ!」と査定した気がします。

アルトリコーダーの上半身っぽい吸入治療剤は前回よりヴァージョンアップされていました。
名前は「タービュヘイラー30吸入シムビコード」。
・・覚えられないっつうの。

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あ、ちなみに、咳が出るだけで元気です!
今日もバイオリンの練習をしてきました~♪
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by kuni19530806 | 2010-05-18 23:00 | その他 | Trackback | Comments(0)

顔が違う鼻が違う目頭違う目的違う ゴメンね   

タイトルは、山口百恵さんの「イミテーションゴールド」の替え歌の替え歌です。

今日の読売新聞の家庭欄の杉山愛ちゃん。
美人。
こんな顔、してたっけかなあ。
現役時代は日焼け止めを塗るくらいですっぴんで試合をしていただろうし、私も化粧前と施行後ではかなり顔が変わるのでナンですが、化けるもんですね。
っていうか、やっぱりお直し?
こんなに、パッチリ二重じゃなかったもんなあ。

この前、古い雑誌を見たら、まだ売れていない頃の伊東美咲が出ていて、全然違っていた。
鼻がね。
一般人の鼻でした。
aikoという人もフシギな顔をしているなあと思っていたけれど、昔のCDのジャケットではふつうの顔だったし、安めぐみの目頭の切れ込みはもはや傷だし、そういえば15年前ぐらいの内田有紀全盛期(?)、看護学校の司書をしていて、看護雑誌のバックナンバーで無名のモデル時代の内田有紀がナースのかっこうをしている写真があってビックリしたっけ。

ん?
内田有紀って書いてあるけど、同姓同名の別人だわ、かわいそうに。
んー!?
も、もしかして本人?
そういえば、輪郭とか笑い顔に面影がある!
すげー。
あんな風に変われるなら私も整形してえ!

と思いました。

そんななか、ちらっと最近の玉置浩二の画像を見たのですが、どこがどうとは言えないものの、おもいっきり顔が変わっていませんか?
いや、顔立ちは同じなのですが、微妙なさじ加減が全く違っていて、化粧でごまかせないせいか(昔はごまかしていた人ですが)、トーンが別人。
それでなくても話題満載の物件ですが、よもや顔まで!
なんだろうなあ、あのキャラは。
こっちはお腹いっぱいだからもういいよ、と思うのに、次々にネタを提供してますね。
それも全て、昭和の影を色濃く引きずっているようなネタ。
昭和の影は色濃く引きずっていただいていいのですが、セレクトがいちいちねっとりしてるっていうか。
しかもハズしてる。
ネタ的にはど真ん中のストライクなのに。

本人には必ずしも濃厚なイメージがないのに・・いや、それは私がこの物件にあまり興味がないだけか。

さっき、やりすぎコージーをちらっと見たら、友近が妙に濃厚なエロいキャラをやっていました。
それに比べて光浦さんはまるで高校生。
万年乙女って感じ。
永遠ではなく、万年。
バービーはますますアンタッチャブル山崎にそっくりになってきたし(柴田はどうした!?)森三中は全員、妙に貫禄というより風格が出てきて揺るぎない感じで、たまにしかテレビを見ないといろいろ面白いなあと思ったことでした。
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by kuni19530806 | 2010-05-17 23:13 | げいのうじん | Trackback | Comments(0)

1Q84   

村上春樹『1Q84』book1,2,3を読む。

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自分の1980年代は村上春樹と共にあった、と言っても過言ではなく、特に『風の歌を聴け』から『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』あたりまでは、短編やコラムも含め、彼の作品は繰り返し繰り返し、ひとつにつき、最低でも5回は読んでいました。
特に『風の歌・・』は20回ぐらいは読んでいますし(もっとかも)人にあげるために、文庫版を5冊ぐらい買ったかもしれません。
それまでの私は、人に本をプレゼントする、という習慣はあまり持ち合わせていなかったのですが、これは特別で「この小説、なぜかたまらなく好きなんだよね」と言いつつ人にあげる、というのを何名かに敢行しました。
本当に「特別な作家」だったのです、私にとって村上春樹は。

あの『ノルウェイの森』も、店頭に並んだまさに初日に購入し、一気に読みました。
が、初めて「ちょっとしっくりこない」と感じました。
いや、もちろん、すっごく面白かったのですけれど。

それが、最初は当然ながら自分の中だけの違和感だったのですが、作品が社会現象的ベストセラーになるにつれ徐々にすり替えられ(たぶん)、「私の村上春樹がみんなにわかるわけはない」的間違った違和感になった気がします。
メジャーデビューして一気にブレイクしたバンドのマイナーの頃からのファンが、「私だけのものじゃなくなった」と距離を置くみたいな?
村上春樹はノルウェイ以前も決してマイナーではありませんでしたけどね。

とにかく、それ以降は、新刊が出れば読むけれど、それまでのようにやみくもに「村上春樹、大好き!」と言わなくなりました。
ねじまき鳥もカフカも、つまらなくはなかったけれど、そんなにのめり込めず、好きな作家は?と聞かれてストレートに彼の名前を挙げることは少しずつなくなり、「世界の終わり・・・までの村上春樹は好き」みたいな、ちょっとイヤラシイ回答をするようになりました。

そして『1Q84』です。
予備知識はほとんどなく、読みました。
3巻、読み終わった現在も、書評的なものは全く読んでいません。
いろいろ、穿った読まれ方をしているんだろうなあと思うと、腰が退けて。
と言いつつ、自分もその一員なわけですが。

これを読んで、『ノルウェイの森』で感じた違和感の正体があらためてわかったように思います。
性と残酷さ、だったんだと。

人間にとって、性的なものと残酷なものは避けて通れない。
そして、それを表現する文学もいっぱいある。
村上春樹も、わりとそれを正面から描いてきた。
もちろん、村上春樹というフィルターを通してですが、ノルウェイ以前のフィルターと以降のそれとは、変わったように感じられたんです、私には。
自分はノルウェイ以前のフィルターの方が好みだった、ということなんでしょう。

『1Q84』も私にとっては「以降のフィルター」です。
でも悪くなかった。
その肝は、私が違和感を感じるフィルターを採用しつつ、村上春樹の小説の大きな魅力である「気分」や「雰囲気」も損なわれていない、から。
というより、きっと志しの高い小説なんですよね、これ。

人は変わるし、小説の確固たる世界観、なんて単なる幻想とも言える。
この小説は、なにかに突き動かされて書いた感が漂っている。
そして、登場人物も作者も、物語の中に埋没したり逃げているわけではない、という矜恃を感じる。
長さだけではなく、内容も含めた「超!大作」だと思います。

でも、その矜恃はプロの小説家にとっては当然だし、なにも村上春樹センセーだけが頑張っているわけではない。
そういう意味では、ふつうの小説だとも思います。

正直、何百万部も売れる小説ではないと思うし(万人ウケする話ではないでしょう、という意味)、書くに至った経緯になにがあるにせよ、この小説は、良くも悪くも、お勉強は出来て難しいことを考えたり文章にできたりはするけれど一般社会生活のスキルの低い「偏屈な万年大学院生の脳内妄想」みたいです。
でも、それこそが村上春樹の持ち味だと思うし、今回、語り手に「僕」という一人称が登場しなかったり、登場人物1人1人にきちんと名前が振られていたり(奇妙だったりもしますが)、実在の固有名詞や地名がいっぱい出てきても、往年の「どこか所在をあいまいにする感」は健在です。

穿った読み方をしたい人はすればいい。
自分なりの解釈で、感動したり、がっかりしたり、眉をひそめたり、世をはかなんだり、明日への希望を抱いたりすればいい。
どんな読み方をしようが、読むたびに解釈が変わろうが、いや、読むたびに解釈が変わることこそ、物語を読む醍醐味だし、それを思い出させてくれたという意味では、やはり村上春樹は凄いよな、と思いました。

大人になって、好みの気分や雰囲気だけを糧に現実はやっていけない、と思いつつ、村上春樹にはそれを求めたがる1980年代の村上ファン(私ですけど)なんてどんどん裏切って、性と残酷さを、他の誰もマネできない筆致でこれからもがんがん書いて、エルサレム賞でもノーベル賞でも文化勲章でも、気安くとって欲しいものだと思います。
本屋大賞はダメです。
主旨が変わっちゃいますから(笑)。

あ、内容には全く触れなかった。。。
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by kuni19530806 | 2010-05-15 23:58 | 読書 | Trackback | Comments(0)

緑が目にしみたもので   

毎度おなじみの「すいか」ネタで申し訳ありませんが、ドラマの中で、3億円横領で逃亡中の馬場ちゃん(小泉今日子)が、小林聡美扮する同僚の早川基子にどこか田舎の公衆電話から電話をしてこう言います。
「ハヤカワ~、緑が目にしみるってホントだぞ」

昨日、ブックフェアに行く際、外堀通りの緑があまりに美しく、誰かに電話してこのセリフを言いたくなりました。

トシと共に、花鳥風月に容易く感動してしまうのは何も私に限ったことではないらしく、周りの友達からも「中年になったら桜が咲いただけでものすごく感動するようになった」とか、「新緑を見てると泣ける」「晴れているだけで生きていてよかったと思う」または「若いときは雨といえばうっとうしいものでしかなかったのに、最近は家の中で雨音を聴いていると心から幸せだと思う」などという声を聞きます。

これって、若いときは幸せを感じる瞬間がイベント、つまり非日常がらみであることが多いのに対して、トシを重ねると、なにげない日常こそが幸せだと気づくからじゃないでしょうか。
そして、日常がつつがなく進行していることの何よりの証しが、季節をきちんと感じ取れること、つまり自然の変化にちゃんと気づける毎日だと人は思うらしく、花が咲き、緑が芽吹き、雨が降り、風が吹いて、もしかしたら台風が来ても「感動」してしまうのかも。

オメデタイ話だ、毎日に余裕がなくてそこまで脳天気にはなれない、などと言うなかれ。

自然にやたら感動してしまうのは、年齢と共に身近に死も経験したりして、自分自身もそれをいつまで目にできるかわからないと思うようになるからじゃないでしょうか。
要するに「生の終わり」がうっすら念頭に浮かぶようになるから。
実は、実にシビアな話、だと思うのです。

若い頃は、今が永遠に続くような錯覚はあたりまえで、それこそが脳天気ってことでしょう。
脳天気じゃいられない年齢だからこそ、自然を脳天気に愛でる気持ちになる、そういうことなんだと思うわけですね。

つつましい日常が送れることを願うばかりの日々です。
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by kuni19530806 | 2010-05-14 23:08 | その他 | Trackback | Comments(2)

ブックフェアに行く   

図書館向けのブックフェアというものに行ってきました。
場所は市ヶ谷の大日本印刷研修会館。

ブックフェアでは、主催する図書館関係業者や出版社が「これは“買い”ですよー」と推奨する本(実際はもちろん「売りたい」本)が1点ずつバーゲン会場のような場所に多数展示されています。
それぞれの本には、それを特定できる情報が掲載された短冊が差し込まれているので、「ホント、これは“買い”かもー」と思ったら1枚抜きます。
1冊の本には、複数の人が抜けるように同じ短冊がいっぱい差し込まれてるわけです。
会場を回って収穫した短冊をまとめてドカンと係に渡すと、それのリストを作成してくれます。
あとは、リストを職場に持ち帰ってチェックし(既に自分の館で持っている本を選ぶ場合も多々あるもんなので)、購入決定となるわけです。

ブックフェアというと、図書館関係者はこぞって行こうとします。
なぜなら、そうやって現物を見て本を発注できる機会がそうそうないから。
ブックキャラバンといって、業者さんが行商よろしく本をワゴンに積んで図書館に回ってくることもありますが、これはワゴン車1台分が相場なので規模が小さい。
もちろん、いろんな方式を採用したりして、現物を見て発注をあたりまえに実施している図書館はいっぱいあるでしょうが、我が居住区の基本はそれが出来ていないので、図書館関係業者が週刊で発行している新刊情報からの発注がベースになっています。
「ダ・ヴィンチ業界版」みたいな雑誌を見て本を選ぶわけです。
机上の空論が基本、っつうの?
なので、そもそも「ああ、現物を見て本を選びてー」という慢性的な飢餓感、みたいなものがあるわけですね。

しかもブックフェアには、書店や倉庫に行って現物(短冊ではなく本体)を引き抜くのとは違って、ワンクッション置けるという利点があります。
それはどういうことかというと、現物引き抜きは、引き抜いた時点で「お買い上げ」が確定してしまうので、既に自分の館で持っていた、などといううっかり発注をしがちですが、ブックフェアは短冊を抜いた時点ではリストにするだけなので、それを持ち帰ってチェックできるわけです。

なので、ブックフェアはその筋の人間には人気・・・たぶん。

本日は児童書のフェアだったのですが、まさにちょっとしたバーゲン会場のような混みようでした。
9割がたは学校図書館関係者だった模様。
時期的なものもあるみたい。
小中学校には、年度の初期にどっと本を選んで夏休みに備える、みたいな基本の流れがあるらしいので。

とはいっても、たいていの図書館はフェアを「棚の補強」と捉えています。
「うちは読み物と自然科学の本が薄いから、フェアではそこを重点的に」みたいな。
なので、今回の私達とは主旨が大きく違います。
我々は現在、新館丸ごとの本選びをしている最中で、このひと月半、机上での本選びに終始していた・・・挙げ句の満を持してのフェアです。
しかも予想通り、予定よりずっと進捗が遅れているので、このときとばかりに、フェアでは、大人買いを超えた超人買い!?をしました。
周囲が、ひとり10枚~20枚程度の短冊を袋に入れて会場内をうろつく中、我々(3人で行きました)は、受付でもらった透明の短冊収納袋に短冊が入りきらず、はみ出し、明らかに奇異な目で見られました。
最後にリスト作成の列に並んだときも、かなり注目の的でした。

そんなわけで、本日はまんまと主催者の魂胆に乗っかり、2時間半で3千冊、約6百万円分の児童書をリストアップしました。
はあ、疲れた。
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by kuni19530806 | 2010-05-13 23:10 | 仕事 | Trackback | Comments(0)