<   2010年 02月 ( 21 )   > この月の画像一覧   

チャイルド44   

遅ればせながら、トム・ロブ・スミスの『チャイルド44』(上下)を読む。
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実は、昨日の文京シビックホールの往復の電車の記憶がほとんどありません。
この本の佳境だったので。
よく、間違わず、乗り越しせずに行って来れた(ら抜き)もんです。

2008年の「このミス」の海外編1位です。
このミス離れも著しい昨今、それは全く知りませんでした。
ある日ふと「そういえば最近、ずっしりした海外ミステリを読んでないなあ」という<読み応えのある翻訳ミステリ飢え>を感じ、お知り合いのレオさんのこの本への推薦の弁に惹かれ、手にとってみました。

スターリンの圧政下の1950年代のソ連が舞台です。
KGBの前身である国家保安省の捜査官レオ(レオさん、奇遇ですよね!)が主人公。
レオはエリート中のエリート。
ちなみに、当時のソ連のエリートの必須条件は能力、理想を体現する見てくれの良さ、そしてなにより揺るぎない国家への忠誠心です。
それは、善悪の概念や人間としての良心とは別・・どころか、たいていの場合、まるで真逆な、残酷で非道な選択や行動を、国家のためとあらばなんの迷いもなくとれること、を指します。
レオは一見全ての面で盤石なエリートでしたが、狡猾で希代の悪役キャラの部下ワシーリーと捜査の過程で激しく衝突し、それを機に彼の謀略にはまり、直接的には妻をスパイとして摘発しなかった罪で、妻と共に辺鄙な町の民警に飛ばされます。
そして彼はその町で、妻の本音と向き合うことになると同時に、理想の社会主義国家では起こり得ないとされる連続殺人事件の存在に気づきます。

凄い小説です、これ。
イギリスの29才の作家の処女作だそうですが、この全編ひりひりするような、いっときもダレない緊張感がなにより凄いです。
特にしょっぱな。
この小説は1933年の、劣悪な環境と圧倒的飢えに苦しむウクライナから始まるのですが、その章の緊張感たるや。
そこでガツンとやられちゃいます。
小説に癒やしを求める人はそこで百%退散するしかない。
その後に続く1953年の描写も99%は闇です。
一縷の、まさに1%のなにかに向かって物語は進むわけですが。

小説のリアリティって、史実に忠実だとか描写が正確とか登場人物の行動や心理にシンパシー、もしくは説得力がある、なんてことでは全然ないんですね。
もっと、なんていうか、書き手の真剣さというか、姿勢のリアルさにかかっている気がします、私にとっては。
ウエットで抽象的な言い草ですけどね。

それにしても、国って組織は怖いです。
1950年代のソ連に限ったことではもちろんありません。
人は、後ろ盾が大きければ大きいほど自らの思考を止めて残酷になるものですが、宇宙戦争でも勃発して地球防衛軍でも組織しない限り、いつまで経っても人心をこぞって間違わせるという意味では国がその最たるものってことなのでしょうか。
時代や思想に関係なく。
スターリンなんて昔は、その容貌で「岡田真澄に似てる」ぐらいの認識しかなかったわけですが、社会主義の理想国家はかくあるべし、という国家の威信のためにはここまで暴走するものなんだあと、今更ながら震撼しました。
スターリンのいる国や組織は今でもそこここにあるのだろうなあと思うと、まさにブルッと震えます。
後半、特に列車のシーンや犯人との対決の場面も読ませます。
読後、ちょっと疲れましたが。

つけたし。
この小説は恋愛小説でも、家族小説でもあります。
続編が出てます。
読もうっと。
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by kuni19530806 | 2010-02-12 23:37 | 読書 | Trackback | Comments(2)

栗コーダーカルテット   

栗コーダーカルテットのライブに行く。
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場所は、文京シビックホール小ホール。
ここは去年、友達に誘ってもらってお笑いのライブに行ったところです。
そのときも小ホールでした。
複数の地下鉄の駅から外に出ずに行けるので便利です。
私は、都営三田線春日駅使用。

ライブは16時からでしたが、その前にこのビルの25階のスカイレストランでランチを食べました。
このフロアには展望ラウンジもあります。
今日はお天気は良くありませんでしたが、真下に後楽園遊園地や小石川後楽園や東京ドーム、ちょっと先には新宿の高層ビル街、サンシャイン、そして現在、日に日に成長しているかの東京スカイツリーなどが一望に見渡せ、なかなかな景色でした。
この文京シビックセンターというのは文京区役所が入っているビルで(区長室は16F)、展望ラウンジは無料で昇れます。
夜景は素晴らしいに違いない。
カップルばっかりかもしれませんけどね。

しかし、確かに東京スカイツリーはちょっと不気味かも。
周りに高い建物が全然ないのに突如出現している感じなのが原因ですかね。
今の背丈(289メートル)でこんだけ不気味なんだから、これが完成したあかつき(600メートル強だそうです)にはさぞや異次元感が醸し出されることでしょう。
ゼッタイ、UFOがランドマーク(?)にするね。
お友達曰く、三角形なので角度によって違った形に見えることが不安感を助長してる、とのこと。
あのお化け煙突を彷彿させますね。
東京スカイツリーは「東京なんぞに住んでて安心してちゃダメだべ」というプロパガンダが裏コンセプトなのかも!?

あ、肝心の栗コーダーのライブの話。
良かった。
毎回思うし書いてますが、確かな技術に裏打ちされたユルさはかっこいい。
リズムとか全く狂わないし(あたりまえ?)、ひとつひとつの楽器はほぼ小さくて4人しかいないのに、すごく音が厚くて深い。
生で聴くとホント感動します。
聴きながら自分で勝手に背景をつくって、ちょっと涙が出そうになりました。

今回のホール、キャパ300ぐらいが栗コーダーのライブスペースの上限ですね。
今日もアンプやマイクを通してはいましたが、生音感が大事なリコーダーやウクレレ、ギターあたりは、これ以上のキャパになると、アンプの種類やボリュームが変える必要があるだろうし、それだと栗コーダーの持ち味が消えると思います。

それにしても客席は幅広い年齢層でした。
小学生からかなりのご高齢まで。
ご高齢、けっこういました。
祝日の16時始まりというのは、小学生と、私を含めた中高年から上にはありがたい時間設定です。
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by kuni19530806 | 2010-02-11 23:24 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

レッスン・ノート2010の4 毅然に一募金!   

一日中、暗い空でした。
東京に住んでいると、冬は青空が基本、みたいなところがあるので、いくら寒くてもお天気的で気が滅入るというのはあまりありません。
それはありがたいです、とっても。
寒暖の差は別として、空の色味(?)が不安定になると、春が近づいてきた気がします。
もう2月も中旬だもんね。
これからまだまだ寒くても、それは明らかに「冬の後半」だし、そもそも日はずいぶん長くなったしさあ。

今日のバイオリン練習はがっつりやりました。
3時間がけっこうあっという間。
ダレることもなく。
なかなかの充実度。

練習後は和風ファミレス夢庵に行きましたが、ここはランチはいつ行っても駐輪場はママチャリで溢れていて、店内では子どもが走り回ってる。
廊下が板張りなので、うるさいです。
レジ付近に絵本は置いてあるし、チビッコは走りたくもなるだろ、という作りだし、ある程度、その手の客を想定した仕様にはなっていますが、自分達の会話に夢中で子どもが騒いでも知らん顔の母親達はどうなの?と毎回思います。
もはや「この店は走らせとけ」「そういう店になってるんだからいいだろ」みたいな客の慢心やおごりや甘え(どれも微妙に違う?)を感じますね。
廊下は滑って危ないのに、なにやってんだ、親達。
そんななか、今日はウエイトレスの女性が子どもに注意していました。
けっこう厳しげに。
その毅然とした雰囲気が、注意のための注意ではない感じでよかった。

それが麗しかったことと、先日、母親や兄のメモリアルな日にはお供えとかだけじゃなく、なにか別なこともやろうと決意(?)したこともあって、帰りはレジでハイチの募金箱に募金してきました。
コンビニとかにあるこういう箱に、小銭は入れたことがあるのですが大銭(!)はありませんでした。
なんか、ホントにちゃんと現地に行ってる?とか思っちゃって。
でも、そんなことを疑い出したらキリがないしね。
今回は、「あのウエイトレスさんのいる店だから信用しましょう」と思いました。
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by kuni19530806 | 2010-02-10 22:30 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

ゴールデンスランバーあれこれ   

私の好きなエポックTVスクエア
http://giana.exblog.jp/8331102
の中に、おぎやはぎの矢作が「ショパンの『別れの曲』はどんな場面にも合うんだ」と主張する回があって、他のバカ3人が(このコメディは、矢作以外は全員アタマのネジがゆるんでいる設定なのです)それを聞いていろんなシーンを想定してみてはいちいち別れの曲をかけ、「ホントだ!合う!」と真剣に感動するのですが、ビートルズのゴールデンスランバーも別れの曲系ですね。
別れにしろ出逢いにしろ希望にしろ絶望にしろ、どんなシチュエーションで流れても合いそう。

私は「状況や心理状態によって違った印象になる、解釈のしかたが決まっていなさそうな」曲が好きなので、そういう意味でもゴールデンスランバーは好みです。

ゴールデンスランバーといえば、今発売されている「ダ・ヴインチ」はゴールデンスランバーというか堺雅人大特集です。
マルベル堂もビックリの「堺雅人フォトカード」までついています。
ポーズがスゴイです。
御三家も新御三家もジャニーズも韓流スターもビックリのアイドル的ポージングです。
堺雅人はいつからそんなポジションになったのでしょうか。

実は私、この「ダ・ヴィンチ」を買いました。
買いの理由はこのフォトカード。
いつのまに堺雅人派に!?と思われそうですが、違います。
別に私は彼のファンではありません。

私は職場で雑誌担当をしています。
雑誌担当は毎朝、納品されてきた雑誌の装備をします。
バーコードをつけたり、補強をしたり、付録をつけたり、と。
我が職場は「ダ・ヴィンチ」を買っているので、先日、私がこれの装備もしたわけですが、フォトカードを本体に貼ったところ、これが大失敗。
ダ・ヴィンチは本体の紙の質が悪く、製本レベルも良くない雑誌なので、デフォルトから雑誌がちょっと歪んでいます。
そこに無理に厚手のこのカード(けっこう大きめ)を貼ったものだから、貼った本体の部分がしわくちゃでぐじゃぐじゃになってしまった。

もちろん、言い訳です。
雑誌担当歴も3年になろうというのに、今更「失敗しちゃったあ」もないもんだ。
でも、実際にしくじったんだからしょうがない。
で、一度は「ゴメンゴメン」と思いながら最新刊としてふつうに雑誌の棚に出したのですが、どうも気になってしょうがない。
それで翌日、自分で一冊買って、もう一度装備し直して、バーコードやICタグをそのまま貼り替えて、雑誌を差し替えました。
最初のしわくちゃダ・ヴィンチを自分のものに。
でも、堺雅人のフォトカード自体は特に損傷はありません。
なので、それはファンだという同僚に進呈しました。

ちなみに、ダ・ヴィンチのロングインタビューによれば、堺雅人さんは、ゴールデンスランバーは、村上春樹の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』の影響を受けている気がしているそうで、そっちも演ってみたいそうです。

ゴールデンスランバーといえば、職場で作っている図書館だよりの正真正銘の最終号の制作に最近着手しました。
私は性懲りもなく、そこでまたくだらないパクリ小説もどきを書きつつあります。
タイトルは「ゴールデンスランパー」。
邦題(?)は「黄金の不振者」です。
私は今まで図書館だよりで、「イン・ザ・ウール」「羊をめぐる暴言」「博の愛した数式」「キャッチャー・イン・ザ・ライブラリー」「博の愛した数式&キャッチャー・イン・ザ・ライブラリー 番外編」と5編の小説もどきを書き、何度も最終回を謳っていますが、今回は自分が作る図書館だよりそのものが最終号なので、本当の最終回になります。

ゴールデンスランバーの贋作(←と名乗ることすらおこがましいですけどねゴールデンスランパーには、今までの5編を読んだ人にしかわからないエピソードも多い上に、登場人物の名前は全部、勝手に本家ゴールデンスランバーからもらった上に、
「優男」
「宅配便ドライバー」
「痴漢は死ね」
「オズワルド」
「人間の最大の武器は習慣と信頼」
という本家のキーワード(?)も拝借し、そこに、今までの「図書館の分類の数字のゴロ合わせ」も入れるという、我ながら盛り込み過ぎな超!欲張り小説なので、たぶん、面白さなど二の次、三の次です。
だったら、盛り込むのを減らして面白くしろよ、という話ですが、減らしません。
っていうか、減らせません。
そういう性分なので。
完成前に言い訳三昧で見苦しい限りですが、そんなわけですのでよろしく(と数名の人々に言ってみる)。
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by kuni19530806 | 2010-02-09 21:51 | その他 | Trackback | Comments(0)

ローマの休日   

偶然見たテレビ第二弾。
BSで「ローマの休日」を見る。
やっぱりこの映画のオードリー・ヘップバーンは魅力的ですわ。
もう、キラキラ☆☆って感じ。
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王女としての最初と最後のたたずまいや表情の違い・・後者の哀愁を帯びた感じが切なかったです。
最後の会見のシーンは、名場面だなあ。
アン王女はあの後、ローマで得た恋心と思い出にどう折り合いをつけて生きていくんだろうか、と思ってグッときました。
・・なんか、素直に見たわね~アタシ。

今日は夫の父母の結婚記念日&亡き実母の誕生日です。
結婚記念日の方は、何年か前(忘れた)に無事金婚式もすませ、母は足の不調、父は血圧不安定、はあるものの、基本的には元気でほがらかで、それはもうありがたいことだと思っています。
ここ10年強のふたりの健康の秘訣は完全に駄犬マロの存在ですね。
面倒見のいいふたりにとって、自分達が全面的に面倒を見なければいけない、自分達を百%頼る者がいる、というのはこんなに生活に張り合い・・おおげさに言うと「生き甲斐」をもたらすものなのか、感動さえします。
去年は曾孫も生まれて、ふだんは電車で外出を億劫がるふたりも、曾孫の顔を見るためならば、と先日もいそいそと出かけて行きました。

そして実母。
亡くなってもう10年になろうとしています。
今でもたまに死んでいることを忘れます。
もう誰もいないのに、実家だった会津がニュースに出てきたりすると(今は大雪でタイヘンらしいのでしょっちゅうテレビで見かける印象)、ふと母親がまだそこで祖母のお店を引き継いでやっている錯覚に陥ります。
店など、もう15年前に辞めているのに。

でもこうゆう、現実と思い出の混同、それと願望や妄想の交錯みたいなものが、人を救っているんでしょうね。
常に1日24時間、「あの人はもういない」とか「あれは終わった」などの現実を突きつけられて暮らすのはしんどい。
過去や思い出を自分に都合良く改竄するのは人間の本能みたいな気がしますが、肉親や家族の死をつい失念するレベルでの情報操作もそれに近いのでしょう。

現実を受容したり諦めることはもちろん必要だけれど、それだけでは世知辛い。
まさに辛いですもん。
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by kuni19530806 | 2010-02-08 23:59 | 映画 | Trackback | Comments(0)

徹子の部屋コンサート   

CSで偶然、「徹子の部屋コンサート」を見る。
面白かった。
葉加瀬太郎の「チャールダッシュ」はかっちょよかったし、南こうせつは相変わらずの南こうせつっぷりだったし、清水ミッチャンは化粧は濃かったけれど芸は凄かった。
第二部の加山雄三や水谷豊はあまり興味がなく、そのあたりでフェイドアウトしてしまいましたが、特に葉加瀬太郎のバイオリンを生で聴きたい!と思ったことでした。

しかし、徹子さんは本物の魔女ではないでしょうか。
今、「魔女」という言葉が本来の意味とは違って、アンチエイジング的使われ方をしていますが、その最たるものが徹子かと。
浮世離れ感が魔女の魔女たるポイントですよね。
そういう意味では、ただオバサンなのに若く見える、じゃ物足りない。
美容や身体のメンテナンスに力を入れている様子が透けて見えるのも魔女っぽくない。
お直ししてます!これやってあれ使って、頑張って維持してます!みたいなのは魔女ではありませんね。
相応の魔界感がないと。
あと、孤高なイメージ。
轍はついてない。

私の中では、徹子や浅丘ルリ子、浅田美代子あたりが魔女っぽい。
なんか独自のルートを歩いている・・というか、一般的なルートが見えていない感じ。

今回の徹子も凄かったです。
ミニスカ履いてましたもんね。
大屋政子と違って、見るに堪えるところが凄かった。
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by kuni19530806 | 2010-02-07 23:44 | テレビ | Trackback | Comments(0)

塩野七生と朝青龍   

最近、気が強い年配女性が気になるのですが、今月号のGrazia(ついにスペルを覚えました。何も見ないで書けるようになりました)の塩野七生さんもいい味出してます。

相変わらず立ち読み情報なのでかなりいい加減ですが、<人を惹きつける!“モテ力”の磨き方>というトホホなタイトルの特集に登場なさって、「大切なのは密室」とおっしゃっていました。
キャプションを二度見しちゃったよ。
密室って!?
女性誌のインタビューの小見出しでそんな単語を見かけるとは驚きました。

要するに「外野の意見だのなんだのに邪魔されないために、孤独な場所に籠もって自分を見つめる時間が大切」だという意味での「密室」発言だったようですが、密室とは参ったね。
密室は定員一名の個室とは限らないのだから最初から外野のいる密室もあろうて、と思うのは若輩者の屁理屈でしょうか。
いずれにしてもさすが塩野七生、伊達に長年ローマ人を物語ってませんね。
っていうか、それより個人的にすごくビックリしたのは、彼女がシオノナナミさんだったこと。
ずっっっっと、シオノナナオさんだと思ってました。

このインタビュー、どっかの外人男性(←アバウト過ぎる括りだ)がインタビュアーなのですが、ナナミさんはド迫力のアイメイク&アルマーニで会見に臨み「私、今までの人生で美しいと言われたことなどありません。おほほっ」などとコメントなさっている。
んなこと言われてもね。
よしんば「だろうな」「やっぱりね」と思ったとしても、もちろん言えない。
ほぼ誰に対しても言えないっすよね。
特に、その力の入ったいでたちと背負っている塩野七生というビッグネームを考えれば、「まさかっ!?」とか「またまたご謙遜を」と返すか、おもいっきり笑って、気の利いたジョークを拝聴しました的リアクションをとるしかないでしょ。
勝負の決まっている、相手に対しては退路を断ってるようなコメントを臆面もなくジョークっぽく持ってくるのがスゴイぞ、ナナミ。
いいなあ、この気の強さ。

話は飛んで、同じ「気が強い」んでも、朝青龍は気の強いバカですね。

バカは揶揄ではありません。
何かをとことん究めるってことは、バカか変人じゃないと無理だ、ぐらいに思うので。
ただ、その何かが相撲なら良かったんですが、彼はガキ大将、だった気がする。
北の湖とか千代の富士とか貴乃花は典型的な「相撲バカ」という感じですが、ドルゴルスレン・ダグワドルジはジャイアンなんですよ。
あの、単純さ、異常な負けず嫌いさ、わかりやすい感情表現、口より手な感じ、反省はするけどすぐ忘れそう、でも義理堅そう、親に弱そう、その場しのぎの言い訳を平然としそう、先のことなど考えずに今の楽しさを最優先しそう・・・。
やっぱ、朝青龍は剛田武だ。
そんな彼に規則や品格を求めてもね。
たとえ頭では理解しても、身体がついてこないでしょう。
相撲は道かもしれませんが、ガキ大将は本能ですから。
しかも担任が、オテンキの小ボケ先生みたいな高砂親方だしな。
「おまえたちに一言だけ言っておく。・・・オッパイ」みたいな。
そりゃあ、学校の品格品格とうるさかった元副校長の内舘牧子センセの逆鱗にも触れるよ。

朝青龍は、精神力や修行の賜物ではなく、もっと根源的な、本能が命ずるままに、ある意味、無理なく強くなった人だと思うので、横綱としての器の種類が違います。
大きさではなく種類。
今、世間で論じられている朝青龍への賛否は大きさと種類を混同しているとしか思えないので、双方がずっと平行線のまま相容れないに決まっているし、論じてもしょうがない。
そして、表面上だけであれ、今の相撲界が本能ではなく道にこだわる以上、あの希代の横綱の居場所がとっくになかったのは自明の理です。
暴行事件は、居場所のなさを察知したガキ大将たる彼のプライドというかレーゾン・デートルが限界点に達した、そのあがきみたいなもんかもしれません。

ガキ大将が大人になることを拒み、ガキ大将の本能でこれからも突き進むなら、総合格闘技に行くでしょうね。
あのストッキング被り顔はヒールにはうってつけだ。
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by kuni19530806 | 2010-02-05 14:42 | げいのうじん | Trackback | Comments(2)

ジーンズ考   

私はジーンズが好きです。
中学生の頃、手持ちのストレートを流行りのベルボトムに加工して(ミシンで膝~ふくらはぎ部分を細く縫って、裾に向かって徐々に幅を広げる荒技)ご満悦だった頃から数十年、自分のファッション遍歴(!)はジーンズ抜きでは語れません。
今はユニクロやスーパーの激安ジーンズも侮れませんが、私の二十代~三十代の頃は安いジーンズはあまりなく、あってもいかにもチープ、店頭の時点で既に膝が出てるぐらいのイメージ(あくまでもイメージです)で、洋服にお金をかける方では全くなかった私も、ジーンズだけは、リーバイスやエドウィンを履いていました。
そして今、四十代も終わろうとしているこの今、あらためて、自分にとってのジーンズを考えてしまっています。
それはトシのせいでは必ずしもない。
手持ちのジーンズが軒並みキツいからです。

そりゃあ、太ったさ。
私の場合、ヨガを精進(!)するほど胃腸の調子が良くなって食が進み、しかも食い過ぎてもお腹をこわすこともなく、よって体重が増えるという逆転現象がもはやデフォルトで、「ヨガやってるんで太りましたけどなにか?」の領域です。
更年期のホルモンの関係か基礎代謝量の変化か、単に食べ過ぎのせいなのかはわかりませんが(きっと全部が理由だ)ヨガの合間に腹筋を百回しようが、臀部を引き締める動きを強化しようが、体重は減らないのみならず、胴回りから下が妙にガッツリ逞しくなった感じで、そこにもうスレンダーになる見込みなしと思えるような状況。
食事が美味しくて、臀部にぷよぷよではなく引き締まった自覚があるならいいじゃない、と言われそうですが、ジーンズ的見地からいうと、ちょっとマズイ。
手持ちのジーンズがキツいことだけではなく、あらたに購入したジャストフィットなジーンズを履いても、今ひとつしっくりこないのです。
以前とシルエットが違う。
ガッツリのせいで、以前より下半身の主張が強いから悪目立ちする、とでもいうのか。
「下半身の主張が強い」って誤解を招きそうな表現ですけど(笑)。

ひがみ根性で言うわけ・・では多少ありますが、あまりに細い足にもジーンズは似合わないと思うのです。
種類にもよるのでしょうが、ジーンズは、内側からその存在を主張する足や腰や尻とセットで履くものだと思います。
だからある程度の肉の存在感は必要かと。
でもその主張のしかたなんですよね。
上向きでライトにぱんと主張するのならかっこいいのですが、今にも生地の隙間から肉がにゅるっと顔を出しそうっていうか、全方位的なベクトルでの主張は重い。
ジーンズ姿が軽快にならない。
やっぱジーンズはさ、たとえヒールやミュールを履いてても、フットワークが軽そうじゃないとかっこ良くないと思いませんか。
ちょっとしたフェンスぐらいなら飛び越えちゃいます、という感じで履かないとね。

たまに、スタイルが良くておしゃれでかっこいいジーンズなのにかっこよくない、という人がいますが、きっと動きがダメなんだよね。
ちょっとした動作が鈍そうだとジーンズに履かれてるように見える。
ジーンズは運動神経とコミで履くものなのかも。

で、ハタと気づいたわけです。
私の、自分のジーンズ姿に対する懸念はそのあたりが肝だと。
体型どうのこうのより(もちろん、その体型の変化に由来するんでしょうけど)軽快に履けてない感じが最近、すごく気になっていたんだわ。
身体を動かしてないわけじゃない。
筋肉はむしろ付いた。
でも身体のキレというか軽快さはちょっと欠けてきた。
それはやっぱり、老化現象なんだと思う。
ネガティブな思い込みとか開き直りでの話ではなく、それは加齢による抗えない事実なのです。

ババアになってもジーンズを履いていたい、というひそかな願望を抱いてきました。
今も抱いています。
数少ない、好きと思えるファッションアイテムなので。
でもその願望はきっと、「いくつになっても軽快に動いていたい。運動神経をなくしたくない」という気持ちの表れでもあったんだなあ。

なのであらためてジーンズ考。
ずっとジーンズを履き続けたいと思うなら、もっとジーンズを履こうっと。
できれば、腰や尻や太股を隠さない堂々とした履き方で履こう。
最近、つい長めのトップでケツ周りまで覆っちゃう自分がいるので。
ガマの油方式で、曝せば多少ライトになるのではないかと・・ならないかね。

あ、覆と履って字、そっくりですね。
屈と屁レベル。

字は似て蝶でも、履くことと覆うことは違いますね。
覆わずに履け。
ちょっと上手いことを言ったつもりだよ、自分。
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by kuni19530806 | 2010-02-04 23:39 | その他 | Trackback | Comments(2)

浮かんだ順にオン書きしてみました   

今日も寒いです。
昼間もキンと冷えてました。
立春?なめんなよ!という感じです。

特に大好物でもないくせに、寒いと「ああ、甘酒が飲みたい」と思います。
私の中に、甘酒=身体がすごくあったまる という刷り込みがあるようです。
確かに、寒いときの甘酒の最初の二口ぐらいは至福の旨さ。
あとはたいてい惰性で飲むんですけどね。

恒例の確定申告の準備を始めました。
これに関しては全く集中力がありません。
30分ぐらいやると飽きます。
どうしたもんでしょう。
単純作業っちゃあ単純作業なので、ラジオを聴きながら<ながら族>(死語か?)でやっています。
今日の「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」は清水ミッチャンだったのでそれを聴きつつ、その後は「小島慶子 キラ☆キラ」も聴きつつ。

でも・・なんかダメかも。
ながら族が苦手になった。
ラジオにも、エクセルへの数字の入力にも、どっちも集中できないのです。
いつのまにか、手が止まってラジオを真剣に聴いてるし、ちょっとめんどうな入力ではラジオが邪魔。
キャパが狭くなったのかも、自分。

昨日、美人デュオの相方からたくさんのお野菜とお米をいただいたので、大根と里芋を煮、カボチャも煮ました。
家中、根菜の香りです。
台所付近だけ匂いで温かいです。

最近、ますます肉が要らなくなりました。
もともと食べないでしょ!と言われそうですが、ハムとかウインナーやハンバーグやギョウザは食べます。
でも、最近はそういうのもあまり要らなくなった。
もたれるとか不味いとか思うのではなく、ただ単に、あまり食べたいと思わない。
ヨガの影響!?かと思いましたが、加齢のせいなんでしょうね。
ご飯のおかずは豆類と野菜と海苔があればいいや、という感じ。

しつこいけど、やっぱ、寒いなあ、今日は。
私は重ね着好きなので、寒い方がおしゃれ心が触発(?)されます。
職場では動き回るので冬でもけっこう暑くなります。
ですから出勤の日の装いは着脱が容易なカーディガンやパーカーが基本。
出勤30分後にはたいてい上を脱いでますが。
最近は汗っかきになったので、どんなに寒い日でも、途中で薄着になれない厚手のセーターなどを着て仕事に行くことはありません。

そういえば、世間全体も厚手のセーターの人が減った気がする。
東京のような暖かい地域だけのことだろうか。
ざっくりしたセーター、ビジュアル的には好きなんだけど、あまり見かけない。
女性のざっくりセーター姿、好きなんですけどね。

前に、どっかの女性誌で樋口可南子さんが手編みのざっくりセーターにジーンズで登場してて、それも私服らしくて、かっこいいなあと思いました。
確かに、ざっくりセーターには潔いくらいのショートカットが似合うかも。
それも、「またいつでも伸ばせます」的なおもいきりの悪いボブ系のショートより、耳も輪郭もうなじもこの際(どの際だ?)つつみ隠さず全部お見せします的ショートこそ、ざっくりセーター似合う髪型選手権のチャンプかと。

私、さっきから「ざっくりセーター」と連呼してますが、これって一般に流通している言い方でしょうか。
急に不安になったもんで。

ああ、お腹が空いた。
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by kuni19530806 | 2010-02-04 17:23 | その他 | Trackback | Comments(0)

レッスン・ノート2010の3 自分の将来が楽しみ!?   

恵方巻きはやりません。

2月の上旬って、私の中では一年でイチバン寒いイメージなんですが、ここ2~3日、その期待を裏切らない寒さです。
部屋に設置している石油ファンヒーターの灯油もどんどん消費されてる。
それにしても、灯油ファンヒーターじゃダメなのかな。
石→灯 でちょっと印象が柔らがない?
イメージ産業の分野じゃないからソフトにする必要はないのか。

今日のバイオリンの練習は、10年ぐらい前にアルバイトをしていた図書館があった建物でやりました。
建物自体は3年ぐらい前に建て直してすっかり様変わりしているのですが、建て直しをしていない周囲もけっこう様変わり。
賑々しかった商店街の衰退を見るのは淋しいです。
海老焼きそばが美味しかった中華料理屋も、意外と高級感があったお鮨屋も、化粧品屋も、複数のコンビニすら、みんななくなってしまった。
そこがなんだったか忘れてしまったシャッターの壁が随所にある。
図書館もリニューアルされて、旧図書館にあった段差とラビリンス感は当然のように払拭。
旧図書館はもともと図書館として建てられたところではなかったようで、ヘンな作りでした。
本の並べ方も個性的だった。
事務室は奥まっていて、昔の学校の職員室のような雰囲気でした。
どうでもいいけど、休憩時間には毎日、山のようなお菓子が出て食い切れなかったなあ。

バイオリンの方は、音楽室での3時間練習もすっかり板につき、今日も充実の内容でした!たぶん。
最近、家では全く練習していない・・どころか、ケースを開けることもほとんどないので、目に見える技術の向上はなかなかありませんが、難易度の高い曲へのチャレンジが大リーグボール養成ギブスになっているのはやはり間違いないようで、以前から弾いていた曲でしょっちゅうひっかかった箇所が意外にするするっと弾ける(あくまでも自分的に)ようになっていてビックリします。

バイオリンとヨガを結びつけるのもなんだかアレですが、どちらもたま~に無心になる瞬間がありますね。
ナチュラルハイっていうの?
無心に似て非なるモノに「ぼんやりする」もあって、バイオリンの場合は楽譜を見失うのがそれなのですが、ぼんやりではない・・その証拠に楽譜はちゃんと追えていて、でも楽譜と音しかないみたいな、集中力が高まった感じ、とでもいうのでしょうか。

ヨガでも、特に何も考えず、考えないことを意識するんでもなく、ただ気持ちよく身体を動かせるときがあるんですよね。
覚醒しているのは身体だけ、それを遠くから見てる、みたいな。

私は瞑想的領域には足を踏み入れていないので、そこに精神論は浮かびませんが、むしろ、すごく気になることがあった日とか、最初は心身いずれかに力が入って凝っているときの方が集中力を高めるにはいいみたい。
とっかかりは邪念が多いので故意にひとつひとつのポーズに集中しようと意識・・しているうちに、邪念は置いてかれて集中力だけが一人歩きし始める、とでもいうのかなあ。
これって、バリバリ精神論っすかね。

もちろん、私の集中力など筋金入りのヨギーニやプロの演奏家や高度な技術者から見れば些細なモノでしょうが、こういうのがバージョンアップすると、憑依や降臨になるのかしらん、と将来がちょっと楽しみです。

それにしても、「愛を奏でて」(海の上のピアニスト)はホント、切ないメロディだなあ。
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by kuni19530806 | 2010-02-03 22:37 | 音楽 | Trackback | Comments(0)