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ある意味、超!恥ずかしい写真   

大掃除とは無縁の年末だが、本棚があまりに乱雑で、前職を疑われる状況なので、そこだけ片付けた。

とはいっても、2つの本棚では家の本はとうてい収まりきらず、ほぼ全ての棚を2列使いという誤った使用法。
そして、隣の部屋とか廊下にも本が積まれていたりする。
ま、一応、本棚に入れていない本は「不要本」という括りではあるのだが、夫も私も、そこから本を物色していることが多々ある。
分別の意味、ないじゃん。
自分にとっては今現在の本棚が整理整頓MAXな状態。
この状態をキープしたいということで画像に撮ってみた。 
画像に撮ったらここに載せたくなった。
自分の本棚を見せる、というのはとても恥ずかしいのだが、まあ、半分以上は夫の本なのでいいのだ。
(恥ずかしさは減っても、個人情報流出という別問題が発生してるわけですけどね)


全体像。
右に映ってるサイレントベースのケースと手前のソファが本棚をかなり隠しているという使いづらいレイアウト。
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村上センセーコーナー。
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伊坂ワールド+わりと新刊コーナー。
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ほぼ夫のマンガコーナー。
「ピアノの森」歯抜けだが巻号順に並べるのは職業病。
この奥には私の愛読書、「エースをねらえ!」全18巻があるのだ。ふふふ。
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これまた夫の音楽関係本コーナー。
隣には昵懇にしてた頃の本の雑誌がだだっとある。
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by kuni19530806 | 2013-12-28 20:02 | その他 | Trackback | Comments(4)

カブり過ぎ、他   

前の職場に行ったことを書いた一昨日のブログ、一緒に行った元同僚Hさんと内容があまりにカブっていて笑った。

一緒に同じところに行ったわけなのでカブっていてもいいのですが、そのカブり方!
見たもの聞いたものの捉え方というか、気持ちというか、感想がカブってるのですよ、すごく。
ちょっと気色悪いくらい。

これを書きながら、Hさんが今、カブったことをネタにブログを書いてないよね、とちょっと心配!?


退院した義母、家に帰ってから歩行状態は良くありません。
やはり、リハビリ病院での集中的な訓練は大きかったのだなあと痛感してます。

なるべく一日一回は外歩きを、と土曜日も昨日も連れ出し、手押しショッピングカーで近所のスーパーに行きましたが、帰りは左足が上がらなくなって、休み休みの歩行になりました。
別に、休み休みはいいのだけれど、家だとどうしても運動量が減ってますます足が動かなくなり、休み休みの数が増え、それは転倒の危険が増えることでもあるので、心配です。

今日からはデイケアとデイサービスの生活が始まりました。
前回、7月の退院時と同じパターン。
まずは今日のデイケア。

本人は、デイケア施設の雰囲気があまり気に入らない様子ですが、リハビリをよくやってくれるのはデイサービスよりデイケア施設なので「どうしてもイヤならやめてもいいので、とりあえず行ってみて」とケアマネとで説得しました。

義母を送り出して、午前中は最寄りの図書館へ。
自転車がさすがにおシャカっぽいので歩いて行ってきました。
腰も今ひとつだし。


図書館近くのよくわからない、ムダにデカイ広場。
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道すがらのカモ達。
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スカイツリーの映りで空気の透明度がわかります。
今日はちょっと空気が濁っている。
pm2.5濃度がちょっと高いかも。

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by kuni19530806 | 2013-12-03 13:42 | その他 | Trackback | Comments(0)

8ヶ月ぶり   

元同僚の人たちと3月までの職場に行って来ました。
数えたら8ヶ月ぶり。
朗読会を聴きに。

木曜日にスクワットで痛めた腰が朝はまだ痛くて、お昼はみんなと一緒に食べるけれど、その後の朗読会はどうしようかなあと思っていましたが、歩行も食事も案外、腰が気にならなかったので、そのまま行ってみることに。
意外と大丈夫でした。

元の職場は駅からちょっと遠くて、お天気がサイコーなので歩いて行ったのですが、道すがらの建物がけっこう変わっていて、240日という時間の経過を感じました。

朗読会、良かった。
幸田文、藤沢周平、山本周五郎という渋いセレクト。
三人が三様に読んで、どの人もそれぞれすごく良くて、引き込まれましたが、最後の山本周五郎の「二十三年」の技量というか迫力がすごくて、先のふたつの印象が薄くなってしまった。
先のふたつもとても良かったのですが。

それにしても朗読を聴くってフシギな体験。
読むのとは全然違う・・その違いっぷりはやはり自分のポジションなのだろうか。
視覚と聴覚では、距離が違うというか、別物なんだなあ。
耳を介すると、もう文章ではなくなる感じ。

自分が係をやっていたときも、つい聴き入っていたつもりでしたが、純粋に聞き手になると、これがまた全然違うことに気づきました。

前の職場は、久しぶりのような、そうでもないような、変わったような、それほど変わらないような。
感慨はあまりなかった。
どうしてだろう。
もっと前、離職して3~4ヶ月頃に顔を出していたらもっと強い感想を持ったような気がしました。
いろんなことが凪ぎになった感じ。
今後また、波立ったりするのかもしれませんが。

前の職場で楽しく働いていた同僚たちとけっこう会えていることも大きいと思います。
それと、未練とか、やり残したこととか、後ろ髪ひかれることが、意外と「ない」のだなあと。
やるべき仕事を終わらせてこなかったという意味でのやり残しはありますが、そこに責任感や罪悪感はないしなあ。

卒業しちゃったのかなあ、私。
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by kuni19530806 | 2013-12-01 23:17 | その他 | Trackback | Comments(0)

長いグレーゾーン歴   

居住区の国保検診に行く。

以前は、区民検診というと、近くの小学校にレントゲン車が来て、体育館を間仕切りして行列を作って受診したものですが、今は昔。
近所の検査センターに予約して受けに行けます。
予約はwebでも可。
行くと、既に受診者のカルテと名入りのリストバンドができていて、そこに付いているQRコードで全て管理され、各検査に進むシステム。

基本検診だけ申し込んだところ、尿検査、血液検査、心電図、問診、で終了。
レントゲンは?と聞いたところ、肺ガン検診に組み込まれている、とのことだったので、急遽肺ガン検診も受診しました。

問診時には血液検査の結果がすでに出ていて、それを踏まえての問診だった。
早い!
帰りには、「きょうの健康診査ガイダンス 速報値」と称した小冊子が渡され、開くと、私の血液検査の結果が数字になっているばかりかグラフにまでなっていて、その結果に合わせたアドバイスが載っていた。

2年ぐらい前まで、私はコレステロールも中性脂肪も体脂肪率も高めで、血糖値もまるでその一端のようだったが、ここ1年、血糖値を下げるために、食事や運動に注意したところ、血糖値以外は軒並みグンと下がり、特に体脂肪率は、思わず三度見するぐらい低くなっていた。
30代の頃の値。
ひゃっほー。
家でのヨガ、スクワット、腹筋を最近マジメにやってるせいかも。

なのになのに、HbA1は下がらず。
上がりもしないが、下がらない。
また専門医に相談に行こうかなあ。
ただ、まだブラックではなくグレーゾーン。
長いなあ、グレーゾーン。
総括文言は「あなたの健康診断の結果は、『病気と呼べる段階ではないものの注意したい項目がある』です」だと。

健康診断が終わったから、というわけではないが、夕食は天ぷら。
ただし、野菜中心。
春菊と玉ねぎと海苔と舞茸と竹輪を揚げました。
かぼちゃも揚げようかと思ったが、大量になり過ぎるのでこっちは煮た。

食べ過ぎた。
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おまけ、昨日通りかかった場所。
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by kuni19530806 | 2013-10-07 20:37 | その他 | Trackback | Comments(0)

リハビリについて   

リハビリ病院に転院して実質5日、義母はわりと元気にリハビリに取り組んでいます。

一般病院とリハビリ専門病院って、基本的なことからいろいろ違うんだなあと勉強になる日々。
まず、一日のリハビリに費やす時間が違います。
一般病院は1時間、専門病院は2時間までやってもらえるらしいです。
今、なにげに「やってもらえる」と書いてしまいましたが、専門病院はそういう感覚ではダメなのでした。
患者も家族も、能動的なリハビリ参加が望まれます。
自分が設定した目標に向かっての訓練所、という感じかも。

一般病院や通いのリハビリ施設は、損なわれた機能の回復、もしくは現状維持という、わりと漠然とした目標に向かって、わりと漠然とした介助、が主眼のようですが、専門病院の目標は具体的です。
杖を使わずに外を、どこそこまで歩きたいとか、日常の家事を●●までやれるようになりたいとか。

そこに到達するためには、どんなリハビリをどの程度する必要があるのか、そもそも、現時点では目標に対してどの段階なのかが、数字になって定期的に評価されたりします。
もちろん、その評価は、目標によって違います。
家の環境や家族の状況によっても。
そのために、作業療法士や理学療法士に、家の間取りや段差、作業動線、家族の在宅時間などの申告をすることが必須だったりします。

家族のリハビリ見学も、ただぼおっと見ていることは許されず、階段移動の際に付き添うときはこのポジションで、ここに気をつけ、こういう事態に備える、的な具体的な説明があったりします。
うかうかしていられません。
逆に言うと、今まではうかうかしていたのかもしれません。
リハビリをするのは本人で、自分はそれを見守る立場、みたいな。
転倒防止は、本人のリハビリの頑張りと、手すりや段差への配慮、で対応するものだ、と。

でも、同じ家で暮らす以上、家族の努力も必要なのだなあと思い知らされている5日間です。
今までも、頭ではわかっていたつもりだった。
でも実はわかっていなかった。

こんな風に書くと、これからも自分は家に縛られ、外出もままならなくなることを覚悟しているかのようですが、そういうわけではありません。
覚悟はできていません。

義母がこの先どこまで回復し、どういう状態でリハビリ専門病院を退院することになるかはわかりません。
なので、そのときになって「最新情報」をもとにいろいろ考えることになると思います。
ただ、今の段階で、リハビリというものに対する認識を新たにした、ということを書きたかっただけです。
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by kuni19530806 | 2013-10-05 23:39 | その他 | Trackback | Comments(2)

家の写真   

父親のマンションに行く。

入院していた病院へ証明書を取りに行った帰りに寄ったのだが、主な用件は「ずいぶん前にもらっていた合鍵が本当にこのマンションのものなのか」を確認するため。(なんだそれ?)
確かにマンションのものだったが、合鍵は使っていないと抜きづらいものらしい、ということがわかった。

父親の祭壇と長兄の仏壇にお線香を上げたので、それが終わるまでベランダでぼんやりしたり、父親のアルバムを見たりしていた。
父親と全く音信不通だった期間の写真は見事なまでになかった。
処分したのか?と思ったけれど、きっと違う。
写真を撮ることがなかったのだ。
旅行にも行かず、人付き合いも一部の女性としかせず。
職場で写真を撮られることはあったのかもしれないが、それを積極的に欲しがったりはしなかったのだろう。
遺影は、入所していた老人ホームの誕生会で撮ってもらった写真を使ったが、これがなかったら、下手すれば40年前ぐらいの写真を使用するしかなかった。

なので、アルバムは、まだかろうじて「家族」が存在していた頃のものばかりだった。
特に目立ったのは、私が10才~15才まで住んでいた家の写真。
アルバムにやたらペタペタ貼ってあった。
その前に住んでいた家も父親が建てたものだったが、二度目のそれは、父親にとっては一世一代の家、という認識だったのだろう。
それが写真の数に表れている、と今回思った。
そして
写真を見てあらためて思ったが、成金趣味みたいな家だった。

福島市の北東部の、当時はちょっと辺鄙な場所だった。
今は仮設住宅が数多く建てられている地区だ。

当時、近くにはバスも通っていなかった。
いわゆる新興住宅地の初期の段階だった場所で、新しい家がポツリポツリと点在していて、ほとんど田んぼと宅地建設予定の造成地だった。
田んぼのど真ん中に昔ながらの農家の家が寂しそうにあるだけの。

当時はまだなかった、夢の東北新幹線と東北自動車道が近くを通るかもしれない、という噂もあった。

そこに父親が建てた家は、二階建てで、二階は息子二人のそれぞれの部屋とトイレがあり、一階は、応接間と茶の間とキッチンと父母の部屋と娘の部屋。
6DK。
庭は広く、全体に芝生が敷き詰められ、中央にはひょうたん型の池があり、錦鯉が泳いでいた。
何匹も。
庭の一角は物置と駐車場とちょっとした花壇。
南側はりんご畑、その先は栗林、そのもっと先は松川という川だった。

トイレは、当時には珍しい水洗。
自家浄水装置付きだったのだと思う。
応接間にはレザーの応接セットとステレオと、まdあ一般家庭には珍しかったクーラーがあった。
私と母は、応接間というより、クーラー室と呼んでいたような気がする。
そして娘の部屋にはピアノ。
母親が、寝起きの悪い二階の息子たちを朝起こすために何度も階段を上り下りしなくて済むように、キッチンでベルを押すと二階の廊下にピンポン!が響き渡るシステムも装着されていた。
私はそんな家に、小学校4年生から中学3年まで住んでいた。

小学校も中学校も遠かった。
特に中学は自転車で30分近くかかって、吾妻おろしという強風の土地柄だったその地で、朝はほぼ向かい風、しかもちょっと上り坂、を通学する日々だった。
最初の頃はその道のりがキツくて、毎朝半泣きしながら通っていた。
1時間目の授業のときは、まだ息が荒いままだったような記憶がある。
それでも、自分の個室と、広い庭のある家はうれしかった。
そして、後半の3年間、父親はほとんどその家に帰って来なかった。

そんな家の写真を、アルバムにたくさん貼っていた父親。
年老いてからも、折に触れ、開いてそれを眺めることがあったのだろうか。

エリート銀行員を「自分は人に使われる人間じゃない」と宣言して辞めて、脱サラし、まだ自分は前途洋々だと思っていた頃に建てた家の写真を見たりしたのだろうか。
事業に失敗し、一家離散し、一時行方不明になっていたせいで負債を長男に背負わせることになり、まるでそれを計算していたかのように、ほとぼりが冷めた頃に、何食わぬ顔で大手リース会社の経理課長としてサラリーマンに復帰した姿で長男に連絡し、泣いて謝って長男に一緒に暮らすことを同意させ、その長男を亡くし、次男に手を焼き、長女にすがった・・そんな自分をどんな風に思っていたのだろう。

いろいろあったがいい人生だった、と思ってたのではないだろうか。
そんな気がする。
いや、間違いなくそうだ。

浦和の空は高かった。
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そして、岩本町のアカシヤ(明石屋)は健在でした(*´▽`*)
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by kuni19530806 | 2013-10-03 23:52 | その他 | Trackback | Comments(4)

素人考えをプロに開陳してみた   

義母の主治医に呼ばれ、病状の説明を受けてきた。
一昨日は実父の主治医に呼ばれ大宮に行ってきたばかり。
ふつう、一日置きにやることじゃない。
しかも、どちらも「神田先生」。
紛らわしいっつうの!

義母の腰の痛みはとれない。
原因も不明のまま。
更に検査が追加されたのだが、やはり特定できず。

説明は16時からの予定が、呼ばれたのは17時半。
まあ、それは別にいいんだけど、義母の病室でいろいろ話したり考える時間がやたらあったせいで、神田先生に「血液検査の値がどれも正常範囲ということも含めて、やはり痛みの理由がわからない」と言われたとき、つい自分の素人考えを開陳してしまった。
「手術で神経の通り道が復旧して神経が回復してきたから痛みを感じるようになった、ということはないですか。手術してから先週まで一度も『痛くなかった』のは神経が機能してなかったから、ということではないのでしょうか」。

「それだと、痛みを感じる場所が手術した箇所より下、たとえば足になるはずだが、腰の上の方が痛いと言っている」と相手にされなかった。
まあ、そりゃあ素人の浅はかな考えですけどね。
でも、神経って繋がってるわけだから、もし腰の下部の手術で神経の圧迫が解消されて修復が進んだら、全体的に復旧して、腰の上部に本来の痛みの感覚が戻ってくる、ということもありえるのではないだろうか、とまだ疑ってる。
疑っている、というのもナンだけど、疑ってる。

Twitterでもつぶやいてしまったが、「あまちゃん」の春子さん(小泉今日子)の雰囲気が夫の姉に似てる。
顔は似てません。
あくまでも雰囲気。
そういえば、義姉ってものすごく美形で、特に数十年前の結婚式の写真は女優さんにしか見えない。
ユイちゃんに似てる?
隣の、礼服を着なれていない、小坊主にもオッサンにも見えるのは、弟。
若干、ハタチ(^_^;)
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by kuni19530806 | 2013-08-28 20:29 | その他 | Trackback | Comments(2)

秋の気配がする   

夫の母が腰の痛みを訴え、22日に再入院しました。
4月に手術をしたのは左腰ですが、今回は右側の痛みを訴えています。
MRI、CT、レントゲン、血液検査、尿検査をしましたが、原因を特定できず。
手術で歩行状態は改善されなかったものの、痛みがないことは不幸中の幸いだったので、ここに来て、足は良くならないわ、痛いわ、では、本当に報われない、と悔しいというか腹立たしいというか。
まわりがそうなのだから、本人はいかばかりだろうか、と。

大宮の病院に入院中の父親も、状況はよくありません。
こちらは、冷たい言い方をすれば想定内ですが、10日ぶりに会ったらまた症状が進んでいる感じで、もう長くはないのだろうなあと思いました。

そんななか、自分も、坐骨神経痛のような症状が出て、今日は一日キツかった。
おまけに、朝起きたら、右目の白目半分が真っ赤になっていて、今までもこの結膜下出血の経験はあるものの、あんまり真っ赤なので、父親の病院の帰りに、眼科に行ってきました。
検査と診察を丁寧にしてもらった上で「心配ありません」だったので、本当に心配はないのでしょうが、ビジュアルがあんまりひどいので気が滅入ります。
痛みもかゆみも見えづらさも異物感もないので、つい忘れてしまい、鏡を見てはビックリする繰り返し。
でも、さすがに人の目が気になるので、今日の外出はサングラスを装着しました。
うっとうしかった。
明日はどうしようかなあ。
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by kuni19530806 | 2013-08-26 22:04 | その他 | Trackback | Comments(0)

お盆   

今年のお盆は、諸般の事情でお墓まいりには行かずに家にいます。

隣家から、群馬から贈られてきたというトウモロコシをいただく。
5本もらって、3本茹で中。
寂しげな(?)2本。
甘くて美味しかった。
台所のテーブル、義父が「白くてまぶしい」とのことなので、テーブルクロスをしてみました。
ますます昭和くさくなったような。
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by kuni19530806 | 2013-08-16 23:15 | その他 | Trackback | Comments(0)

検査2回目   

8月だ。

義父の検査の2回目。
今日は、頚椎のMRIと、腰椎のCTを撮った。
結果は、先日の急な発作に直接結びつく原因は発見できず。
でも、脳の血管も、腰椎の分離も、頚椎も、加齢による多少の不具合はあるにせよ、大きな問題がなくて良かった。

担当医の説明は、今回もどうかと思うほど丁寧だった。
これが、分かりやすいのならいいのだけれど、専門的過ぎて分かりづらい。
合間合間に、ねっ!とか分かりますか、とはちょいちょい入れてくるのだが、ここで分からないをアピールするともっと長くなりそうで(本人的に噛み砕いてくれてもたぶんちゃんとは理解できないので)あいまいにうなずいてしまった。
要するにこういうことでしょ、的なことだけは理解できたので。

久しぶりに、本格的な理系の人と話した気がした。
そこそこ規模のある病院の院長なので、コミュニケーション能力がないわけではないのだろうが、とにかく思考回路が「理系」としか言えない感触。

初診の患者を質問攻めにするのも、わりとしゃべりっぱなしの印象だったのに、画像解析のときだけ一気に集中して手のひらを返したように寡黙になり患者を少し不安がらせるのも、その落差と患者の気持ちに本人はわりと無頓着そうなのも、なんか理系。
そのくせ、次の患者がまだいようが、正直、こっちが辟易するくらい詳しく説明してくれて、空腹と義父が疲れてやしないかと心配で「早く終わって欲しい」と思ったが、今振り返るとイヤな感じは全くなく、好感が残った。

義母が今回手術した病院に若干の不信感があるせいもあって、今後、義父が頼れる病院を模索中なのだが、今日の病院はいいかもしれない。
・・っていうか、埼玉の実父の付き添いで、去年の春~夏、浦和近辺の複数の病院に行ったのだが、どこも医者の感じが悪く、院内のシステムも分かりづらいところが多く、やっぱり病院はこんなものか、という思いを強くしたので、今日のところがよく思えるのかもしれない。
幸い、現在、実父が通院したり入院している病院の主治医は、ターミナルケア専門医のせいもあってとても感じがいい。

そんななか、気がつけば従兄の光ちゃんはいわき市医師会会長→福島県医師会副会長になってた。
福島県民の健康管理がきちんと行き届いていないこと、現在と将来の健康管理は福島県民だけに限定するべきじゃないことを、いろんなところで発信しているようだ。
きっと、その役割を担っての異動なのだろうな。
がんばれ、光ちゃん!

あの震災からしばらくの間、光ちゃんとはメールでやりとりをしていて、そのときに「今はそれどころじゃないだろうけど、少し落ち着いたら私の今の職場で、地震のこと、原発事故のこと、いわき市のことを話してもらいたいという気持ちがある」と書いたことがあった。
「交通費は出ないから東京に来ることがあったらそのついでで」とも。
光ちゃんからは「いいよ。ぜひ」と返信が来たが、その機会は持てずに職場を離れ、今日に至る。
私のやること、思うことは、いつも中途半端だ。

なぜ、今そのことを思い出したかというと、今日の医者がちょっと光ちゃんに似てる気がしたから。

・・・ってことは、バリバリ理系で、専門用語使っちゃう派の、どっちかっていうと話し下手ってことかも。
あらまっ。
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by kuni19530806 | 2013-08-01 23:26 | その他 | Trackback | Comments(0)