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心残りのイチゴ   

兄の命日がもうすぐです・・・と書いてからまた1年が経ちました。
今月の25日で丸4年になります。
そうか、兄が亡くなったのは前回の冬季オリンピックが始まる直前だったんだなあ。
いまだに、「ああそういえば、Kちゃん(私は兄を名前で呼んでいました)はもういないんだっけ」とよく思います。
母同様、「実はまだ生きてて『なんだ、死んでなかったのか。長い夢を見てたよ』と思ってほっとする」という夢も今も時折見ます。

死にしろ失恋にろ、別れの喪失感や傷は時が癒やしてくれるものだし、癒やしてくれなきゃやってられませんが、それはあくまでも総体的に、であって、何年経ってもふとしたきっかけで、まるで最近のそれのように現前に突きつけられて愕然とする瞬間がある、というのはきっと誰しも同じなのでしょう。
笑えるようになって忘れる瞬間も増えて、「元気になった」は本当だし、自分でも一山越えた、と思っても、同時に全く越えられていなかったりするし、そもそも越える必要などないのかもしれません。
年を重ねるっていうのは、そういうことに気づくことだし、別れを自分の一部と受け入れていくことなのかも、と思ったりします。

2006年の元旦、夫と2人で兄の病院に行きました。
兄は元気で、「まさか1日に揃って来てくれるとは思わなかったよ」とうれしそうに言いました。
私も夫も、わざとらしいことが言えないことにかけては過剰なタイプなので「ヒマだったから」と応え、くだらない話をべらべらして「また来るよ」と病院を出ました。
帰り道、「あんなに元気なら正月はウチに来てもらえば良かったなあ」「そうだよね。年末に誘ったときは『自信がない』って言ってたけど、大丈夫そうじゃんね」という会話をしました。
夫が兄とふつうに会話をしたのはそれが最後でした。
夫はあの日の兄のことをしょっちゅう思い出すそうです。

「人との日常」の最後はたいてい無自覚です。
もちろん、これが最後と自覚する別れは多々ありますが、そういう自覚的な最後は日常とは別物だったりします。
「元気で」「ありがとう」「さようなら」などという言葉や会に、その相手との本当の歴史はあまり反映されないものです。
だからたいてい、別れてしばらくして、「思えばあのときが」と振り返ることになります。
「あの人とはもう会えないんだなあ。最後に会った日の前の日が最後だったんだなあ」と、ちょっと不条理な感慨を抱いたりします。
たとえその相手がさほど親密ではなくても、あらためてちょっと呆然としてしまったり。

これって、日常のことは日常でしか本当には思い出せないということなのかもしれません。
そうとなれば、セレモニーやイベントで別れの門出を祝う理由は、もしかしたら、その前回の「本当の別れ」を指定しやすくするため、だったりして。
こんなことを思うのは私だけか。

私も、兄とふつうに会話をした「日常の最後」を明確に覚えています。
それはシアワセなことですが、その会話が
「食べたいのある?イチゴとか」
「今あるならもらおうかな」
「あ、じゃ買ってくる」
「ないならいいよ。あるんなら、と思っただけだから」
「すぐそこだから行ってくるよ」
「わざわざ行かなくてもいい。今度、来るときで」
「そお?買ってくるのに。じゃあ、この次ね」
だったのがいまだに心残りです。
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by kuni19530806 | 2010-01-18 23:25 | その他

万歩計生活半月報告   

このところ、寒いですね。
東北出身ですが根性がないので、寒いのは苦手です。
もちろん、暑いのも痛いのも痒いのも眠いのもダメです。
痛いといえば、最近、口内炎が頻繁にできてうっとうしいです。
ビタミンE不足?と疑われますが、それより、モノを食べててしょっちゅう唇の内側を噛んじゃうせいです。
よく噛むんだよなあ。
歯の噛み合わせがズレてきたのかなあ。
それ以前に、落ち着きがない?
噛んでも、ビタミンが足りていれば即、口内炎にはならないのかもしれませんが、私はこう見えて皮膚が弱いので(敏感というより、全般的に薄いらしい。だからたぶん粘膜も面の皮も)ダメージに弱いのです!
高らかに宣言するほどのことじゃないけどね。

今年に入って万歩計を付けていますが、単純なので歩数が増えるとうれしい。
で、今朝は今の職場二度目の徒歩通勤をしてみました。
一昨日の帰り、雨で自転車を職場に置いて帰ってきたもんで。

5キロ弱ぐらいの距離でしたが、意外と歩数は伸びず、6千歩ぐらいでした。
そんなもんなのか。
昨日は新宿~九段下をぶらついて1万2千。
本日は、帰りは自転車でしたが、なんだかんだで同じく1万ちょいでした。
この半月の最高歩数日は成人の日。
通勤は行き帰り共、自転車でしたが、1万5千。
ものすごく忙しかったわけでもないし、特に動き回った自覚もないのですが、ちょこまかはしてたかも。
考えてみると、土日祝の職場では、5分間座りっぱなしってないかも。

やっぱ、この仕事は肉体労働だわ。
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by kuni19530806 | 2010-01-14 22:24 | その他

年賀状   

自分が元旦配達の期限内ばかりか、年内にもロクに投函したことがないくせに「よく言うよ」かもしれませんが、年賀状をもらうのってやっぱり嬉しいです。
たとえ、何十年来、賀状のやりとりしかしていない付き合いだろうが、会ったこともない子どもの写真で来ようが、年に一度の安否、消息確認ってなかなかいい習わしだと思います。
ふだん、会ったりメールのやりとりをしている人でも、たまに直筆のやりとりってのもオツ。
毎年、お正月期間だけ「やっぱ、いい習慣だよ、これ。年末にめんどくさがってゴメン」と思います。
今年も思いました。

もらった中では、今から13年前、CREAのコラムグランプリの表彰式で知り合った美形のNさんのコメントにニヤッとしました。
最初に文藝春秋社でお目にかかって、その後、何度かお会いしましたが、いっぱいコイバナしたなー。
楽しかった。
また会いたいっす、Nさん。

それと、ちょうど10年前に辞めた看護学校の学生さん数名から今も年賀状をもらえるのもうれしい。
なぜかこのエリアはわりと子だくさんで、私が辞めるときに卒業したSさんも既に3女の母。
Sさんは今は前橋在住で、卒業以来、一度も会っていませんが、毎年、欠かさず年賀状をくれます。
今年の年賀状にも「I看を卒業してもう十年になります。マツモトさんがいてくれた図書室がなつかしいです」とあって、オバサンはちょっと涙ぐみそうになったことでした。

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トシ食ったよなあ、自分。
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by kuni19530806 | 2010-01-04 22:29 | その他

更年期の言い訳   

内職は、一言で言うと「間違いを見つける」仕事なのですが、見落とし、見誤り、そもそもの理解不足、があまりにも多くて、ちょっとヘコんでいます。
ヘコんだって詮ないし、そういうミスを減らす方法は決まっているので、ここにぐだぐだ書くこともないのですが、「あ~あ」と思ういちばんの理由は、数日、数週間前、単位での自分の行動が、昔より信頼できないってことなのです。

昔から、ミスや物忘れや勘違いは人一倍多い人間でした。
熟考するタイプではなく思いつきで動いてしまう方で、でもそうじゃない自分は「らしくない」ぐらいに思っていて、かと思うと、妙に臆病だったり心配性だったりもするので、勘やその場の勢いで動く自分を内省的な自分がフォローしてバランスをとる(ちゃんととれてなかったけど)な感じで長年やってきた、と。

でも最近、「いくらなんでもこれは忘れないだろう」「ここは気をつけないと」「スルーするなんて信じられない」レベルの、慎重になるべきことをちゃんと最初から自覚している、明らかに心配性な自分担当、のことができなくなっているのです。
しかもその後も、忘れたりミスした過程に全く身に覚えがないというか、あのときの自分は自分じゃなかった、ぐらいなことを言いたいほどの「完全失念」が多いです。

昔は、うっかりミスや勘違いはしても、後で振り返ると、ある程度、経緯をシミュレーションできたというか、要するに、想定内のミスが多かったのですが、今はもうラビリンスというかブラックホール!
覚えてねーよ、自分はこんなにダメだったっけ!?のオンパレード。

これかー。
これが加齢、衰えってことなのかー、と。
ミスそのものより、加齢にヘコんでるってことなのかもしれません。

唯一、希望の光(?)は年上の友達の「一時期、なんだかアタマの中に霞がかかっているというか、判断力が鈍るわ、注意力が散漫になるわ、物忘れは激しいわ、と思える時期があって、自分もトシをとったのかなあと思ったんだけど、何年かしたら、すうっと晴れて、戻ったのよ。もちろん、若いときとは違うけれど、ずいぶんアタマがすっきりした。今思うと、あれが更年期だったんだと思う」というコメントです。

私もこれだわ、これ。
更年期障害の障害にはいろ~んな事例があるようですが、私のこれもそうで、ってことは一時的な問題で、いずれ晴れる?という淡い期待を抱いています。
…そうでも思わないとやってらんないっていうかさ。

更年期云々というより性格の問題。
単にトシくって前より図々しくいいかげんになっただけで、もう治らないよ、というもうひとりの自分の不治宣告の声も聞こえてきたりもしますが。
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by kuni19530806 | 2009-05-22 08:59 | その他

三つ子と遊ぶ   

今日は休みでした。
午前中、玄関前でひなたぼっこをしている駄犬マロがうるさいので見に行ったら、原因は隣の子ども達とその友達でした。

我が家の隣んちには三つ子ちゃんがいます。
全員女の子。
つい3~4年前に生まれたような気がしていましたが、今日聞いたら小学校1年生だって。

オフィシャルな近所付き合いはほぼ夫の両親に任せっきりで、近隣の人々の名前すら把握していない駄嫁の私ですが、今日は三つ子ちゃん+その友達2名と1時間以上、真剣に遊びました。
っていうか、マロに興味津々の子ども達と、それが苦痛でしょうがないマロ本人(?)との仲介役をしなくちゃならなかったし、おまけに、5人のうち2人は無鉄砲な怖いモノ知らずで、車道に平気で飛び出して行くので、危なくて離れられなかったのでした。

縄跳びをさせられたり、ホッピング(っていうんですか)にチャレンジさせられたり、こっちが親より年長なんだからさ…と思いつつ。

ああ、くたびれた。
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by kuni19530806 | 2009-01-06 23:44 | その他