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元気になりました。   

インフルエンザにかかっていました。
A型でした。
ご心配をおかけしましたが、今はもうほぼ元気です。

ただ、今日までは出勤してはいけない日になっていて、本日の初出勤は週明けに順延になりました。
インフル、蔓延しているみたいだし、もちろん伝染したらたいへんってこともあるけれど、出勤してB型をもらってきたりするのは絶対に避けたい。

・・あれ?
AとBは別々にかかったりしないのかな。
わからん。

熱は5日には下がって、今のところ、ノドハナアタマに残滓も少ないのですが、まだ身体がなんとなくふわっとしています。
体力が戻っていない感じです。
でも、6日あたりから、溜まった洗濯物とか、拭いていない廊下とかが気になって気になって、ふだんはそういう部分は全然神経質じゃないのになんだよこれ、と思いつつも、起きたらとにかくやらなくちゃと寝ていたものだから、昨日から妙に家事に勤しんでいます。

もちろん、3日と4日はほぼ絶食だったので、上述のとおり体力がなく、そうそう動きまわってるわけじゃないんですが。

しかし、出鼻を挫かれた年明けでした。
特にこれといってポジティブな展望や豊富で臨んだ2015年ではなかったとはいえ、気がついたら8日とはね。
1日2日は元気に過ごしていたわけですが、今となってはそれは去年の尻尾みたいだ。

インフルと診断されてから本格的に起き出すまでの、辛さのピークを過ぎた時間、布団の中で【インフルエンザあるある】をいっぱい考えて、元気になったらツイートしてやる!と思っていたのですが、今思い出すと全然面白くない!ふんっ!
それ全部より、年明けのお笑い番組に出ていたヒロシのネタ「麦茶を飲んでいたら『偉そうに!』と言われたとです」ひとつの方が百倍面白いと、比較してどうすんだよ、ということを比較する8日の昼下がりです。

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目つき悪し。

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目つき良し。
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by kuni19530806 | 2015-01-08 14:17 | その他

とりとめもない年のはじめ   

明けましておめでとうございます。

暮れから義父母がそろって風邪をひいています。
二人共、久しぶりの罹患です。
熱はほとんどないのでインフルエンザではないと思います。

義母はめったに風邪をひかない人で、もう10年以上、風邪らしい風邪とは無縁でした。
入退院を繰り返した昨年も、病院のナースや理学療法士、作業療法士の人たちに「体力がありますよね」と言われていました。
義父も、70代あたりはしょっちゅう風邪をひいていた印象ですが、犬を飼うようになってパタッとひかなくなりました。
1日3回のマロとの散歩が本当に健康のためによかったようです。
マロよ、ありがとう。
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そんなふたりも、もう91才と86才。
バリバリ高齢者であることは間違いありません。
風邪がきっかけで肺炎にでもなっては困るし、特に義母は、ちょっと寝込むだけでますます歩行状態が悪くなるのが予想されるので、早く治ってもらわねば。

そんなわけで、今日は出かける用事があったのですが取りやめ、昨日の紅白と、お笑い関係の録画を見ました。

紅白は、アナ雪関係と薬師丸ひろ子と中森明菜と石川さゆりと中島みゆきと松田聖子を見た。
女性ばっかりですね。

May J.ってよく知らないし、気持ちより技術で歌ってる感じに好感が持てないんだけど、紅白の扱いはかわいそうだった。
あれじゃ、前座というかバッタもんというか立つ瀬ないじゃん。
イディナ・メンゼルはやっぱりスゴくて、どうしても霞んでしまう。
気の毒。

薬師丸ひろ子の「Woman"Wの悲劇"より」好きです。
ユーミンの最高傑作ぐらいに思っています。

しかし、松田聖子を筆頭に、みんなアガってたなあ。
緊張すると、ノドが開かないということがすごくわかった。
石川さゆりも声があまり前に出ていなかった気がしたのは、緊張や体調の関係ではなく、音響のせいだったのか。
凄味は健在でしたが。

松田聖子は、キャリアはすごいし、若いときはすっごく歌が上手かったと思うけれど、もしかしたらそれに甘んじて練習を怠ったのかなあ。
ヘンにタメに走って、聞きづらい歌声になってしまって残念だ。

夫を見ていても、夫の音楽関係の知り合いの話を聞いていても、どんなに上級者でも、いや上級者だからこそ、日々、練習してるものなあ。
技術は意外とカンタンに錆びつくらしい。
これといった技術は持ち合わせていないが、この前久々に、本にブッカーをかけたら、ちょっと下手になっててショックだった。

そんなわけで、今年もよろしくお願いいたします。
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by kuni19530806 | 2015-01-01 23:55 | その他

健康診断と1990年頃の好きな顔ナンバー1の芸能人について   

雨で暗い一日だったけれど、昨日に比べて寒さは和らいだ感じ。
昨日は寒かった。
木曜日の学校に振替出勤だったが、暖房をつけても底冷えは解消されず、身体の芯がガチガチになってしまった。

学校って寒いのだなあ。
去年の春までの職場も、川べりで、作業室には窓もなく、風の音も相まって「ここは越冬基地かよ!?」と思う寒さだったけれど、デカいコンクリートの箱の学校の寒さはまた格別。
子ども達は全く平気そうだけど。


思えば、自分も小学生の頃は、寒いのなんてへっちゃらだったな。
福島市はとにかく西風が強かった。
北西にある吾妻山から吹いてくる風は吾妻おろしと呼ばれていて、北西方向に4キロの距離の中学に通っていた私は、中1のときは毎朝の自転車通学が辛くて、1時間目の授業ぐらいまでは力尽きてた。
通学路は田んぼの中の一本道で、周囲に風を遮るものは皆無、今思うと、中学方向が若干登りだったような・・。
マジで、中学生になったら太ももが逞しくなったのだった。
身体が小さくて、好き嫌いも多くて、虚弱だったけれど、あの中学生活があったから、その後はけっこう丈夫になった気さえする。


そんなわけで、今日は区の健康診断に行ってきた。
去年は、基本検診と一緒に受けた肺癌検診に引っかかってトラウマになりそうだったが、なんとか年内に間に合った。
もっとも、今回は肺癌検診はなし。
10月に呼吸器専門のクリニックでレントゲンを受けて、とりあえずのお墨付きをもらったので。

血糖値、上がってはいなかったが下がってもいなかった。
相変わらずのグレーゾーン。
でもまあ、去年より体重が増えているので、実は血糖値も上がっているかと心配していたので、よしとしよう。
コレステロール、中性脂肪はなぜか全部下がっていた。
体重の増減が生活習慣病の値と直に連動しているわけではないのだな。
でもとにかく私は血糖値が懸案だ。
もうこの状況は長い。
気をつけているつもりなのだけれど、と問診の医師に訴えたら、「だから横ばいなのかも」とのこと。

母親も血糖値が高かったのだろうか。
あまりきちんと健康診断を受けていなかったようなのでよくわからない。
もう今となっては。

それにしても、去年も書いたかもしれないけれど、検査終了時に自分の結果が冊子になって渡される(心電図は後日だけど)区民検診、なかなか優秀だ。
一昔前までは、近くの学校の体育館とかに受けに行ったものだけど。
隔世の感あり。


明日、更新の「いどばた。」がらみで、youtubeでいろんな曲を聴いていたら、「愛が生まれた日」に到達(?)。

藤谷美和子、どうしているのかなあ。
精神を病んでしまっているらしいと聞いてから、もう何年にもなる気がするが、ハタチぐらいのとき、千駄ヶ谷付近で見かけた藤谷美和子は本当にキレイで、肌も透き通るようで、圧倒された。
当時、彼女はまだ十代だったと思うけれど、一度見かけたことで、なんとなく注目していて、その後の活躍を好ましく思っていた。
そして、1990年頃は「好きな顔、なりたい顔の芸能人ナンバー1」だった。
「愛が生まれた日」で知った声も好感が持てた。

芸能界にいるには繊細過ぎたのだろうか。
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by kuni19530806 | 2014-12-11 17:35 | その他

レモンの思い出   

たまに行く最寄り駅前の喫茶店レモン。
正式には喫茶店ではなくフルーツハウスとなっていて、その矜持(!)か、フルーツサンドが美味しいと私の周囲では評判だ。
量は少なめですけどね。

この店はけっこう古い。
1980年代なかばにはあった。
現在は60代ぐらいに見えるご夫婦が、若いときからずっとふたりで切り盛りしている・・ということは、30代で始めたってことか。
よく続いているなあ・・いや、よく続けているなあ。
この30年の世の中と価値観と駅前の変化を考えると、驚異的と言ってもいいと思う。

レモンは、オシャレでも個性的でもない、昭和の香りのするお店で、カフェ、という感じではなく、ショーケースのサンプルも長い年月で色あせ、ちっとも美味しそうに見えない。
集客にはむしろ逆効果では?と思わないでもないディスプレイだが、常連さんで持っているお店には、別に関係ないのだろう。

ここのマスターは、知り合いの男性と声が全く一緒だ。
似てる、じゃなくて同一としか思えない声音。
顔は似ていない。
でも、痩せ型のところは似ている。

毎回、「いらっしゃいませ」という声を聞くたび、うっすらとフシギな気持ちになる。

ここは、夫と行ったり、友人知人と行ったりしていて、マスターが私の顔を特定しているのは明らかだが、常連扱いはされない。
そこが気に入っている。
実は一時期、常連っぽい扱いをされそうな時期があった。
ずっと以前のことだ。
いつもコーヒーを注文していたのだが、その日はわりと直前にコーヒーを飲んでいたので、めずらしく紅茶を頼んだ。
そしたらマスターに「今日はコーヒーじゃないんですね」と言われた。
私は一瞬怪訝な表情をしたのかもしれない。
無愛想に応じたつもりはないけれど、戸惑った顔をしたのかも。
マスターはそれを察知し、以後、一度もそういうことを言わない。

私はほとんどコーヒーにミルクは入れないのだけれど、必ずミルクを持ってきてくれる。
ちゃんとミルクポットに入ったのを。
それはそれでなんかアレで、たまに入れてみたりしている。
他では入れないくせに。


こんな風に、長年、一定の距離を置いて付き合ってきたレモンだが、実は私にはこの店を舞台にしたささいな、でも個人的には忘れられないエピソードがある。
これは、前にどこかで書いた記憶があるのだが、まあいいや。


30年近く前、お店はできたばかりで、私も今の家に住み始めてそんなに経っていなかった頃のことだ。
仕事が終わって家に帰って初めて、自分が家の鍵を持っていないことに気づいた。

その日、義父母は千葉の娘(義姉)のところに行っていた。
孫(私にとっては姪)のクリスマスプレゼントか何かを届けに行ったのだと思う。
そう、季節は冬だった。

私の帰宅時、基本的に、義父母のどちらかは在宅しているのが常だったし、帰る頃合になると家の鍵を開けておいてくれていたので(今考えると、かなり無防備だ。最近はしていない)私は「家の鍵を持って出る」に人より無頓着だったのだ。

帰宅したのは6時ちょっと前で、外はもう真っ暗だった。
家に入れないことに気づき、呆然とした。
夫はまだ会社員で、残業続きの仕事をしていたし、義父母も「夕食は孫たちと食べてくる」と言っていた。
近隣に、事情を話してお邪魔させてもらうほど気の張らない付き合いをしている家はない。
間が悪いことに、私はその日、手帳も持っていなかった。
携帯電話などない時代で、義姉の電話番号がわからない。
しかも、住所もわからず、番号案内に問い合わせることもできない。

とりあえず私は、近くのスーパーに行った。
今でこそ、我が家の周辺にはたくさんのスーパーがあるが、当時は忠実屋(!)一店しかなく、そこの営業時間は午後6時までだった。
今じゃ信じられない。
更に、家の周りはもちろん、駅周辺にも、ファミレスやファーストフードが全然なかった。
時間をつぶす場所がない。
閉店時間になってスーパーを追い出された私は途方に暮れた。

万が一、義父母が早めに帰ってきてはいまいかと家に戻り、暗い家にがっくりし、じっとしていると寒いので、駅に向かい、でも駅前も居場所がなく、目的もなくうろうろ駅前を歩いていると、あかりが見えた。
レモンだった。

その店は、一度だけ入ったことがあった。
私は勇んで駆け込むと、ココアを注文した。
熱い飲み物にほっと一息ついた。

身体の芯が温まると、頭は逆に冷静になった。
義姉の住所がわからないからと番号案内に問い合わせることを諦めていたが、千葉市の●●区まではわかる。
落ち着くと、うろ覚えだが、その先もわかる・・気がしてきた。
店のピンク電話を借りて104に電話をした。

わかる範囲の住所を伝え、絵に描いたように月並みな義姉のダンナさんの名前を言ったところ、104の女性は事務的な口調で「千葉市●●区××にその名前は7名います」と言った。
私はがっくりして電話を切った。

レモンには私しか客がおらず、電話のやりとりを聞いていたマスターと奥さんが「どうしたんですか」と聞いてきた。
私は事情を話した。
「ありゃー!それは大変だ。・・でも、申し上げにくいんですが、この店も7時までなんですよ。まあ、少し延ばすのはいいんですが・・」

そうそう。
あのときのマスターは若かった、と今になってあらたに記憶が蘇る。
細面の、あまり愛想はよくない奥さんも、今よりもうちょっと表情があった。

私は、「そうですか。すみません、もう一度電話を貸して下さい」と言うと、また番号案内にかけ、7名全ての電話番号を聞いた。そしてその時点で急にひらめいた。
「あの・・もしかしたら7丁目かもしれません。7丁目の人、この中にいますか!?」
いた。

はたして、それが義姉の家だった。
7人の番号は聞いたが、最初で当たった。
義父母はまだいて、すぐに帰るが、1時間以上かかるから、どこかで時間をつぶすように、と言った。

少し時間を延長してもらい、7時15分頃、レモンを出た。
頼めば、もっといさせてくれそうだったけれど、私が居たたまれなくなりそうで遠慮してしまった。

店を出、コンビニで立ち読みし、知らない通りに入り、見かけた蕎麦屋に入って、月見うどんをゆっくり食べて家に戻ると、あかりがついていた。


それから何年もレモンに足を運ぶことはなかった。
あの一件が行きづらくさせたようだ。
お店の対応は完璧だったし、すごく助かったのに、なんとなく足が向かなかったのだ。
申し訳ないけれど、そうなのだ。

次にレモンに行ったのは、ずいぶん経ってからで、あのときの話をいまさら出すのも憚れるような気がして、結局、あの冬の夕べの話は今日までしていない。
いつか聞いてみようか、と思いつつ、トータルで30年近く経ってしまった。

覚えているだろうか。
忘れているかなあ。
確率は五分五分ぐらいだと思う。

レモンに行くたび、マスターの声と、30年前のエピソードのせいで、私は少しだけ異界に足を踏み入れる気持ちになる。

もしかしたら自分は、そんな気持ちが気に入っているのかも。
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by kuni19530806 | 2014-12-08 15:57 | その他

卒業写真のあの人は   

高校時代を過ごした場所に行ったので、久しぶりに高校の卒業アルバムを引っ張り出して見た。
十数年・・いや、下手すりゃ数十年ぶりに開いた。

なんか、ゲラゲラ笑ってしまった。
前回(30代ぐらい?)に見たときは、笑ったりはしなかった。
確かそのときは、誰かの消息を聞いて、「その人、どんな顔をしてたっけ?」と確認するために開いたと思うのだけれど、そこに写るかつての同級生にも、その近くに写っている自分にも、特に感慨も可笑しみも覚えず、平坦な顔と気持ちでアルバムを閉じたのだったと思う。

でも今回は笑った。
年月の隔たりが、なにかのラインを超えたのかもしれない。
もう笑うしかないラインを踏み越えたのだきっと。

18才との年齢差があり過ぎて、でもそこに写る自分や、先日会った友達は、老けたけれど基本路線は全く変わっていないことが、やけにおかしいというか、愛おしいというか、少し情けないというか、要するに笑ってしまうのだ。

今回、宿を予約してくれた同級生男子(!)は、当時は「小さな恋の物語」のサリーに激似で、今アルバムを見ても似ている。
今回は会えなかったけれど、十年前ぐらいに会ったときはすっかりオジサンで、全くサリーには似てなかった。
電話で「元気?」と言ったら、「うん。でも髪はなくなった」だって。
飄々としたその言い方は相変わらずだった。


体育祭のリレーの写真が載っている真理ちゃんは「正しい走り方の見本」みたいで、当時から今に至るマジメな人柄がにじみ出ていて可笑しいし、喜多方から会津若松まで車で「輸送」してくれて鶴ヶ城に連れて行ってくれた友達のアルバムの集合写真の表情は、今回、お城を背景に撮った写真と全く同じだ。

もう、笑うしかないでしょう。

きっと、私も似たようなものなのだと思う。

すっかりオバサンで、かつて似ていたかもしれない何かにはもう全然似てなくて、無防備なスナップに人間性がにじみ出て、写真では驚くほど十代と同じ表情をしてたりするのだろう。

月並みな言い方だけれど、あのときがあるから現在(いま)の自分がいるのだ。

いろ~んなことがあって、貴重だったり、しなくてもよかったりする経験もいっぱいして、自分が損なわれるような恐怖を覚える瞬間も知り、至福の気持ちで世界に感謝したいと思うことだってあり(たぶん)、歯を食いしばったり、脳内をフル稼働したり、弛緩したり・・それこそ、十代の自分には想像もできない人生を歩んでいるはずが、同じ表情でカメラを見たりしているのか。

なんだ、そんなもんか人生って。
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by kuni19530806 | 2014-11-29 10:33 | その他

風邪2日目   

朝起きたら、平熱に下がっていた。
が、ノドは痛いし、頭痛も残っていたので、大事をとって今日行く予定だった甲斐みのりさんのトークイベントはパスさせてもらう。

でもまあ、洗濯も溜まってるし、冷蔵庫もカラだし、と家事をして買い物に行ったら、やっぱりダルい。
昼食後にまた熱を計ったら、やっぱり上がってた。

ふうー。

そんなわけで、午後からはおとなしくしていた。
明日は仕事だし。

こういうときは、バラエティ番組、しかも短め、を見るに限る。
タモリ倶楽部を見た。
飛び猫の回はもう3回見た。
あと、鉄道の回。
自分は鉄オタじゃないし、その予定もないのだけれど、タモリ倶楽部の鉄道の回は好き。

本当は、最近見始めた「ビッグバンセオリー」の続きを見たいところだけど、TSUTAYAに行きそびれている。

久しぶりの友達からメール。
「風邪をひいている」と返信すると、「私も。9月から治らない」と返って来た。
だ、大丈夫なの!?

猫のお尻のへんが好きだ。
歩く後ろ姿を見ていると幸せな気持ちになります。
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by kuni19530806 | 2014-11-03 17:40 | その他

土俵際のうっちゃりでも窮鼠猫を噛むでもなく   

このところ、義父がよく不調を訴える。
91才。
大正12年、あの関東大震災の年に生まれたいぶし銀である。
もちろん、over100で「どこも悪いところがない」という人もいるだろう。
現に、知り合いのお祖母さん101才はすこぶる元気だそうだ。
でも、1923年式というのはやはりかなりのオールド仕様。
そりゃあ、不具合も出るだろう。

義父は長らく高血圧で、降圧剤系の薬はもう20年以上服用している。
若いときに結核をやったので、肺に影があり、30年以上前に肺癌を疑われ、検査入院して無罪放免になったものの、70代なかばでまた引っかかり、都心の総合病院に3ヶ月おきに経過観察で10年間通い、「体力テストの数値は60代。疑わしきは切っちゃいましょう」と勧められたにもかかわらず、「手術は気が進まない」と拒み続け、結局「10年間全く影は大きくならなかった」と、80代なかばで放免になった。
ちなみに、60代前半まではがっつり喫煙者。

そんな義父の70代後半以降の健康の秘訣は、なんといっても愛犬マロだった。
今、計算したところ、マロが家に来たとき義父は75才だった。
それから14年間、ほぼ欠かさず、マロと歩き続けた。
多いときは日に3回も4回も。
間に盲腸⇒腹膜炎を併発、して1ヶ月の入院生活はあったものの、退院2週間後には、何事もなかったかのように歩いていたっけ。
入院中は弱気になり(寡黙であまり愚痴もこぼさないが、意外と痛みには弱い)「退院してももうマロとの散歩はムリだな」と言っていたくせに。

マロが死んでしまったとき、悲しさの次に家族によぎった感情は「お父さんは大丈夫だろうか」だった。
義父にとってマロとの散歩は、日課というより、人生の糧のようになっていたから。

でも大正の男は強く、義父はマロがいなくても歩く習慣を続けた。
マロとの散歩コースを歩くと、すれ違う人々にどうしてもマロのことを聞かれる。
だからルートを変えたのだ、と聞いたときは、ちょっと泣けてきたけれど、それでも歩くことはやめなかった。
一応、今も続いている。

でも、さすがにこのところの義父は年老いた。
腰椎すべり症で、足腰に痛みやしびれが頻発し、バランスも悪くなり、歩く距離も速度もめっきり下降した。
そして目。
もともと、右目の視力がほとんどなかったのだが、左目に眼底出血が起こるようになった。
正確に言うと、出血ではなく眼底腫れなのだが、腫れて水が溜まり、視力が衰える。

そこに注射を打つと、一気に腫れが引き、視力が回復する。
効果絶大だ。
が、数ヶ月経つと、また腫れてくる。
今、これを繰り返している。

最初の注射が今年の1月。
注射は効かない人もいるらしいが義父は本当によく効き、翌日には腫れが引いた。
それが4ヶ月続き、5月に再発し注射。
そして今回再発。
きっかり4ヶ月のレンジだ。

注射が効かない人はレーザーや手術になるらしい。
義父は効く、とはいえ、4ヶ月後に再発するなら根治術を、という選択肢もあるかもしれないが、逆に、レーザーや手術が効かない人もいるし、義父の場合、レーザーや手術が根治になるとは限らない。
であるならば、定期的な注射で凌いだ方が確実ではないか、という診たてだ。
あくまでも現時点での診たてではあるけれど。

そんなわけで、来週、3回目の注射をすることになった。
今までは日帰りだったが、翌日まで眼帯をし、その状態で通院する必要があるため、今回は1泊2日の入院にした。
ふだんは見える方の目に眼帯を装着してしまうので、移動が危険なのだ。
食事も満足にできないし。

今回の再発が発覚する前、先週は、足腰の不具合がひどくなったと訴え、義母がかかっている病院に急遽行き、MRIを撮ってきた。
めまいも訴えたので、足腰と脳のMRI。
脳の画像は「91才でこれは立派」と言われた。

そう。
認知症の症状はない。
ただ、判断力はさすがに鈍っている気がする。
今回の再発に関しても、目の調子が悪いから、と、家族に何も言わず、以前通っていた近所の眼科にひとりで行ってしまった。
注射をしている眼科とは別の眼科に。
それがわかって、あわててそこに行き、待合室でちょこんと座っている義父に「お義父さん、ここでは最近の経過がわからないから、注射をしてもらっている眼科の方に行きましょう」と説得して、タクシーを呼んで行った。
話を聞くと、義父には義父なりの考えがあって、「今日はとりあえず近所の眼科で診てもらおう」と来たのがわかったが、やはり判断力は鈍っているのだ。
そして、その根底には「家族(特に嫁)に迷惑をかけたくない」という気持ちがあるのだ。
それはすごくわかる。
ちょっとせつなくなる。

でも、義父がそう思って、ひとりで決めて行動すると、こちらがあわてたり、予定をドタキャンしたり、することになる。
それは義父だけでなく義母も同じで、この2年ほど、私はそういうことがすごくたくさんあった。
これからもあるのだろう。
そのことが、ひどく疲れたりする。
誰も、何も悪くないことがわかりきっていることと、ぐったりしてしまうのは別問題なのだ。

ときどき、ものすごくやさぐれて、自分のやりたいことを、やりたい時間に、やりたいだけやっているように見える人が羨ましくなる。
それが必ずしも楽しげじゃなく、ちょっと愚痴など入っていようものなら、けっこう批判的になる。
自分で好きなように動くことができるくせに、何言ってんだよこいつ、と。

文句を言うくらいなら放り出せ、という意見もあるだろう。
誰も私に「がっつり面倒を見ろ」とは言っていない。
もっともっと、夫(息子)にやらせろ、とか、義姉(娘)にも言いたいことがあるんだろ、とか。
私は2人に、多少の愚痴や弱音こそ言えど、特に要望を提出していない、する気もないのだから、ひとりで勝手に大変がって、ひとりで勝手にやさぐれている、まさに一人芝居なのだ。

週に2日の小学校の図書室の仕事にしてもそう。
義父と義母にかこつけて、不完全燃焼感を出している自分は、つくづくみっともないと思う。
仕事が中途半端、でもこれ以上日数を増やすと家のことと両立できない、仕事の日は疲れて家事をするのが大変だが誰もやってくれない・・云々。
ホント、情けない。

ただ、みっともなかったり情けない自分を否定するわけでは必ずしもないのだ。
自分は聖人君子ではないし、根性もないし、性格も悪い。
被害者意識は人並みぐらいあり、なまけものだし、僻み根性も旺盛だ。
それはもう今更、いかんともしがたいと思っている。
そういう自分とこれからも付き合っていくしかない、と。
ダメな自分を肯定しているわけではなく、受容しているというか。
肯定と受容は、私にとっては似て非なるものなのだ。

今の自分に願いがあるとしたら、あいまいな案件、よしとしない感情も白黒つけず腐らせず置いておける場所が自分にありますように、だ。
すごく抽象的だれど。
私は、自分以外の人間に「こうしたい」「こうなればいい」という感情があまり持てない。
いや、持つこともよくあるけれど、そういうときでも心の片隅では「ムリだよな」と思っている。
だから、どうしても意にそぐわぬ行動、言動をとる人とは距離を置くしかない。
距離を置かないなら諦めるしかない。

まるで諦めの人生みたいだけれど、実際にそうなのかもしれないけれど、そんなしょぼい、イベント性にも物語性にも乏しい日常でも、光輝くようななにかすごく満たされるような瞬間はあるはず、と信じたい。
現実では動かず、ルーティンワークを繰り返すような毎日でも、「自分のやりたいこと、したいことを我慢したくない」という人には負けたくない。

「負けたくない」なんて生臭い言葉を使うと、ここまで漂ってきたであろう諦観をひっくり返すみたいだけど、これはまあ、現在、あまりにくすぶっている自分を鼓舞させるためにあえて書いてます。
なんだか、この文章を「あ~あ、自分の今の生活はつまらん」で締めてしまうと、夫や義父や義母との生活を否定することになるもんで。

土俵際のうっちゃり!?
窮鼠猫を噛む!?

・・どっちも違うなあ。
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by kuni19530806 | 2014-09-20 15:01 | その他

パン屋のおじさん   

近所のパン屋のおじさんが亡くなった。
69才だった。
大柄で、宮川大助(宮川大輔ではない)似だった。
一昨日の夜、隣組(?)から連絡が来て驚き、とりあえずお線香を上げに行ってきた。

以前からおじさんは糖尿病で、昨年も義母が入院中、同じ病院に入院してた。
本人曰く「恒例の検査入院」で、屋上で偶然会ったりした。

おじさんは店ではさほど愛想のいい方ではないのだが、病院の屋上では元気でにこやかで「オレは糖尿病だからしょーがないんだよ。でも元気なんだよね。マツモトさんも早くよくなってよ」と義母に言っていた。
その言葉どおり、おじさんはすぐに退院して、店を切り盛りして、私が買いに行くと「おかあさんはどお?」と言っていた。

その後も、「通院のため本日はお休みします」と張り紙が出ていることが時折あったが、また糖尿病の検査かな、ぐらいに思っていた。
この1週間ぐらいも店は閉まっていた。
やっぱり、検査かな、と思っていた。

娘さんによれば、最近、糖尿病とは全く関係のない重篤な病気が発覚したのだそうだ。

以前ほど足繁く店には行かなかったけれど、それでも7月の上旬には店で元気なおじさんを見かけている。
なので、ちょっと信じられない。

私が今の家に越してくる前からずっとあったお店だ。
おじさんはパンを焼き続け、10年前に50代で奥さんを亡くし、その後もずっとパンを焼き続けた。
3~4年前に、パン屋さんのすぐそばのお団子屋さんのご主人が亡くなり、お団子屋さん自体の存続が危ぶまれたが、息子さん夫婦が店を引き継ぎ、現在も繁盛している。
それについて、パン屋のおじさんは「やっぱり近くの食べ物屋にはがんばって欲しいよね。ずっと一緒にやってきたんだからさ」と言っていた。
パン屋は存続するのだろうか。
息子がいるが、ちゃんと父ちゃんの仕事を引き継ぐことができるのか。

おばさんが亡くなったとき、私はお通夜の受付をした。
今回も頼まれた。
お通夜は明日だ。
悲しい。
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by kuni19530806 | 2014-08-18 16:09 | その他

手持ち無沙汰な夏   

なんかヒマだーと思っています。
世の中の、1日が24時間じゃ足りな~い!とおっしゃる多くの方々には誠に申し訳ないと思いつつ、なんだか手持ち無沙汰な夏です。
いや、家事はやってるのですよ。
手抜きもいいところですが、3度の食事と掃除洗濯、買い物、銀行や郵便局、義母のデイサービスとデイケアの送り出し(玄関先だけど)などは月並みに。

この時期、仕事が夏休みということもありますが、それを言えば、去年の今頃は一切仕事をしてなかったし、でもこんなにヒマだったかなあ・・と思って、ハタと気づきました。

父親が死んだからじゃん。

われながら不謹慎。
それを忘れてました。
去年の今頃は、けっこう足繁く東大宮の病院まで通っていたんだった。
遠かった暑かっためんどくさかった。
病院のそばにあったせいでよく涼んだ喫茶店ジュリアンは相変わらず時間をとめたような雰囲気でやっているのだろうか、やっているのだろうな。

なにが言いたいかというと、あんな日々も、1年経つと忘れてしまうんだなあということです。
私だけかもしれませんが。

甲子園が始まりました。
先日のアメトーークの高校野球大好き芸人があんまり面白かったので、そのときは「今年は見よう!」と思ったけれど、たぶんあんまり見ないのだろうな、例年どおり。

開会式も見なかった。
でも、ついyoutubeで2012年春の選抜の石巻工業の阿部主将の選手宣誓を見てしまいました。
これ、グッときたんだよなあ。
阿部君、いい顔してるよなあ。
同じアベシュショウでもあっちのアベシュショウとはエライ違いだ。
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by kuni19530806 | 2014-08-11 17:03 | その他

腰痛   

今朝から腰痛です。
40代なかばまでは、あまりその方面には縁がなく、腰痛を訴える人に対しては高みの見物的に「たいへんそうだなあ」と思っていたわけですが、今じゃもう・・これってやっぱり加齢なんだろうなあ。

がっつりギックリ!というのはたぶんまだ経験していなくて、全く動けない、トイレに這って行くような日が何日も続いたことはないのですが、あの、「今この瞬間から」と確実にわかるピキッとした感じと、そして続く「5分前の、昨日までの、先週の、自分はなんて平和だったんだろう」の数日間は、すっかりおなじみになりつつあります。

今朝も、ピキッとした違和感から30分ぐらいは「気のせいだと思う作戦」に出てみました。
これ、必ずやります。
ピキッとしてない、しかけたけれど動けているし、このまま何事もなかったかのようにうやむやに済ませることができる、と。
そして、やっぱりちょっと気のせいではないな、と思うと、次は「動いているうちにラクになる作戦」。
安静がいちばんだとはわかってはいますが、この時点で仕事を休むことはちょっと難しい。
物理的にも精神的にも。
たいしたことはないかも、と思うわけです。
今回も、まあそういうわけで出勤しました。
満員電車はちょっと緊張しましたが、それも7~8分だし、その後の徒歩15分がけっこう大丈夫だったので、この第二の作戦を一日続行可能か、と思いました。
が、ラクにはならなかった。
そんなにひどくもないけど。

twitterでもつぶやきましたが、今日に限って、女子に抱きつかれたり、職員室と図書室が離れている学校ということもあり校内の動きが多かったり、椅子がどうもよくなかったり、で、午後、だんだん違和感が増して、帰りはちょっとキツかったです。

こうなると、問題は明日なんだよなあ。
一晩寝ることが吉と出るか凶と出るか。
当然、次は「翌日、一気に軽減している作戦」をとりますが、たまに、寝ると悪化することもあり、勝負!です。
明日は、義父の眼科の通院に付き添わねばならず、いつもすっごく待たされるので、待合室の椅子も問題。
ダメな椅子は本当にダメなので。

とりあえず、今日は湯船には浸からず、足を高くして寝よ。
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by kuni19530806 | 2014-07-17 21:59 | その他