カテゴリ:その他( 195 )   

ご無沙汰・稲子   

一年ぶりにここに書いてみる。
この一年、このブログは全くの放置状態だったが、久しぶりに開けたら、ちゃんとあってホッとした。
あたりまえっちゃあ、あたりまえだが、自分の可動範囲外にも世界は存在し続けているってことで(なんのことだか)。

そうか。
一年前は、お勝手口のカオスに突然猫が住み着いていて大変だったのだなあ。
あれから一年過ぎたのか。
あのときもさんざんテンパったが、今年もいろいろテンパった。
去年の10月はまだ肺の病気は発覚していなかったわけだし、一寸先は暗闇だ。

近況はここ(⇒)でも書いているけれど、さすがに、内々な感じでは書いていない。


で、久しぶりのエンジェルフォールだが、今日は、木曜日のパート勤務校の学芸会なのだ。
実はこっそり見に行こうかと思っていたのだが、夫が急に仕事になって断念した。
ああ、残念だ。
見たかったなあ。
勤務校の町内会の今日のTwitterに、学芸会のtweetがあって、画像を食い入るように見ている。

肺の病気の方は、9月の下旬から、わりと攻めの漢方薬を飲み始めた。
もう一個、私には懸念する、こちらは生活習慣病があって、漢方薬局に行ったら、まずそちらを指摘され、ふたつの病気のための二種類の漢方薬を服用することになった。
一種類は朝と夕、もうひとつは、昼食前と就寝前。
もはや、漢方薬を飲むことを幹とするような生活である。

いろいろ調べて、料金的にはちょっときついけれど、「治る」ことを期待してもいいかもと判断し、パート収入はそこに全てつぎ込むつもりで、えいやっ!と始めた。
しょっちゅう病気のことを考え、悪化の一途の気分で生きて行くのはイヤだから。
要するに、ヘタレなのだ。
それを自覚しているからこそ、まずは一年はやってみようと。
西洋医学で根治薬があれば当然服用するが、ないので。
病院への定期通院は続けて、そこで画像や検査値で効果を見つつ、になる。

漢方薬を飲み始めた時期と、義父の入院と退院後の混乱の時期が完全にバッティングした。
一連の義父の状況は正直、自分にとっていっぱいいっぱいで、肉体的にも精神的にもかなり厳しく、それに比例するように、咳もひどくなった。
露骨だよ、自分。

今月上旬の定期検査では、CTの影の状況は一年前より悪化していた。
でもそれは、病気の進行なのか、一時的な炎症なのかわからないらしい。
主治医に家庭の事情を説明したところ、「ストレスなどのダメージで症状が悪化するのもこの病気の特徴なので、今回の影はそのせいかもしれない」と言われた。
その後の漢方薬局の薬剤師の見解も同じだった。
なので様子見。

それから半月、このところ、義父の心身が落ち着いていることもあってか、私の咳も落ち着いてきた。
そして、これはこの2ヶ月、一貫してそうなのだが、私は食欲旺盛である。
快食快便。
快眠ではないけど。

ストレスがわりと胃腸にくる、と思い続けていた。
その証拠のように、実母や兄が病気のときはしょっちゅうお腹をこわしたり、食欲不振になっていた。
が、今回はそれがない。
漢方に処方されている、滋養強壮、免疫力向上の効果があるという風参、紅参のせいかもしれない。
体重は増えたが、身体はちょっと軽くなった。

そんなわけで、始めた以上、漢方の薬剤師の見解は基本的に信用しようと思っている。
一日四回の漢方薬はめんどくさいが、スムーズに動く身体とほぼ平常心を保てる気持ちあっての人生、と今は痛切に思うので、しばらく続けるつもりである。
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by kuni19530806 | 2016-11-26 10:34 | その他 | Trackback | Comments(0)

伯父の訃報4   

まりちゃんのお店の入店の儀式はいつもと同じ。
ドアを開けると、まりちゃんが元気に「いらっしゃいませ」と言い、私が「まりちゃ~ん!お久しぶりです」と厨房に声をかけて、「Mちゃん!なんだべ!いっつも急に」と言うお決まりのやりとり。
今回もそうでした。
ただ、今回は前回からあまり間があかず、しかも最近は携帯でやりとりもしているので、そんな中、連絡もせずに急に来た私をまりちゃんがちょっといぶかしがるように「なんかあったの?」と。

「あったんだよ~。去年の秋、ここに来たときに一緒にお夕飯を食べた伯父さんが急に亡くなっちゃったんだ」
それに対してのまりちゃんの返答は「うぢのおかあちゃんもだよ~」でした。
え~!?((((;゚Д゚))))

去年の秋、友人3人と喜多方に行き、まりちゃんのお店で伯父伯母従兄と会食をしたことはこの日記にも書きました。
伯父はまるで生き仏か仙人のようで、ニコニコ元気に微笑んでいましたが、まりちゃんのおかあさんもちらっと元気な姿を見せてくれたのでした。
風邪気味で「みなさんに伝染しては申し訳ない」と近くには来ませんでしたが、声は力強く、いつもの「まりちゃんのおかあちゃん」でした。
そのまりちゃんのおかあさんが?
まりちゃんのおかあさんも?

そうだよー。2月に急に。
病気があるのはその前にわかったんだけど、トイレで倒れただあー。
とのこと。
82才だったそうです。
なんてことでしょう。

まりちゃんの甘味処は、まりちゃんとおかあさんでやっていました。
メインはまりちゃんですが、繁盛しているお店なのでひとりでは切り盛りしきれず、おかあさんが手伝っていました。
かきいれどきの夏場は人を雇ったりもしていたようですが「やっぱ、気つかうべ。だがらなるべく自分でやりっちだ。おかあちゃんも手伝ってくれっから」と言うのを聞いたことがあります。

大変だったね、まりちゃん。
そして、これからも大変じゃないか、まりちゃん。
私が泣きそうになりながら言うと、彼女は「大丈夫だあ。今は気が張って大丈夫なんだべって言われっけど、Mちゃんのことどか思い出してんだよ、私」
あたし!?

そうだあ。
お母さんの看病をしに喜多方に帰って来たときの頑張ってるMちゃんを見てっから、私。
あんどき、ああ、自分にもいつかこういう日が来るんだなあって思っただ。
Mちゃんのお母さんはちょっと早すぎだけど、あのどきのMちゃんを見てて、なんかこういう言い方もへんだけど、自分もそういうときが来ることがイメージできたの。
あれがら、いろんな友達の親が亡くなるのを見て、少しずつ覚悟してきたっていうか、後悔しないようにお母ちゃんに優しくすっぺど思ったり、病気がわかったどきも、迷わねで「在宅で、店をやりながら看ます」って言ったんだよ私。
お母ちゃんも入院したくねえって言ってたし。

夜、ひとりで寝でっと不安になって「やっぱり病院にお願いした方がいいがも」と思ったりもしたけど、店の隣の部屋でお母ちゃんを看る方が病院と往復するより自分には合ってるって思ったし、そのためには体力つけなきゃど思って、スクワットとかピラティス始めただ。
そういうのに詳しいお客さんに教えてもらって。
足に筋肉もついただよー。
お母ちゃんには活かせなかったんだけど。


まりちゃん、エラいね。がんばったねえ。

んだよー、がんばってっぺ。
なんで自分にはいろいろ降りかかってくんのがなーと思ったりすっけど、わたしは大丈夫だ。
お店があるがら救わっちる。

私、母親のときはこのお店にしょっちゅう来て、弱音ばっかり吐いてたなあ。
恥ずかしいよ。

んなごどねえよ。
わたし、Mちゃんがあんどき言ったことどか、すごく覚えてて、今回もいっぱい思い出したんだよ~。

時間はあっという間に過ぎました。
まりちゃんに駅まで車で送ってもらい、私は東京に帰って来ました。
2日間、あまりにいろいろな濃い感情を味わったので咀嚼しきれず、列車に乗るやいなや目を閉じ、まるで記憶を遮断するように、うつらうつらしながら東京に戻ってきたのでした。

終わり


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by kuni19530806 | 2015-04-05 16:30 | その他 | Trackback | Comments(0)

伯父の訃報3   

眠れずに朝を迎えたとはいえ、告別式の朝はお天気もよく、寒すぎず、爽やかでした。
セレモニーホールには20人からの親族が宿泊して賑やか。
故人の妻である伯母が11人兄弟ということもあって、顔の知らない親族もいっぱいいました。

告別式は朝9時半から。
最初に聞いたときは「早っ!」と思ったし、実際、その時間開始で日帰りはムリなので一泊にしたのですが、泊まったら泊まったで、みんな朝は早いし、大勢がうろうろしていて落ち着かないし、結局、8時には宿泊者のほとんどが会場前のラウンジに集合してしまい、地元の参列者も1時間前ぐらいから続々とつめかけ、「1時間前倒しで始めてもいいんじゃね?」ぐらいの雰囲気になりました。

喜多方で生まれ育ち、戦争に行き、無事帰り、喜多方で酒屋を継ぎ、結婚し、子どもを育て、隠居し、喜多方で逝った伯父だったので、たくさんの人が告別式に来ました。
同級生はもう少なかったかもしれませんが、とにかく、お焼香の列が長く続く告別式でした。
孫達がひとりひとり別れの言葉を述べました。
全員に「じいちゃん」と呼ばれていた晩年の伯父は、なんだか生きている間もすでに仏様みたいな雰囲気でした。

告別式の親族の席順は決まっていて、イスに名前を書いた紙が貼ってあったのですが、私は2列目で、伯父の孫の隣でした。
私の後ろに、伯父の妹である叔母とそのご主人。
私より年長の従兄も私の後ろです。
あれ?これでいいの?私、前過ぎない?

途中で気づきました。
私が座っている席は、母親が生きていたら座っていたであろうT橋家の長女の席だと。
母親は40年近く前に離婚して実家に戻り、自分の兄(伯父)より15年も早く死んでしまい、その息子である私の兄も9年前に逝ってしまった。
私は、自分の母親と兄の代わりに伯父の葬儀に来た意識は全くありませんでした。
それでも、結果的に、私は母親と兄の代理という役割でもあったのだ、とそのときはじめて気がつきました。
生きているということ、生きていくということは、先に逝った人間の分も生きるということなのだなあ・・途切れないお焼香の列を眺めながら、そんなことを考えていました。

告別式が終わり火葬場へ。
15年前の母親のときも同じ火葬場でした。
当時と全く変わらない建物を見てあらためて、伯父と母親、たぶん祖父母もこの同じ場所で灰になって空と大地に還っていくのだなあと思いました。

私の伯父の法要はここまで。
そのまま、なるべく早い列車に乗って東京に戻るつもりが、時刻表を見ると、約2時間先まで電車がありません。
それじゃあここに行くしかないと、友人まりちゃんの甘味処に寄ることに。
そこで私はとても驚かされることになります。

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by kuni19530806 | 2015-04-05 14:58 | その他 | Trackback | Comments(0)

伯父の訃報2   

会津では法要時に「歌詠み」という風習があります。

会津にある三十三観音、それぞれの歌を、独特の節に合わせて、隣組の有志の叩く鐘に合わせ、関係者こぞって唱和するのです。
たぶん無尽講と縁があるような風習だと思います。
きっと会津に限らず、いろんなところでやっているのではないかと思われます。

今回も、お通夜の前にきっちり行われました。
これはけっこう長く、節が間延びしていて眠くなる感じだし、三十三だけかと思いきや、番外編もあり、子どものときは苦痛でした。
座りっぱなしなので足もしびれるし。

現在は、地方も自宅での法要が減り、よって畳に正座することもなく、足のしびれ問題は解消されつつあります。
若いときと違って、詠まれる歌の意味にしみじみしたりもします。
そうとなれば、情緒のある風習に思えるものですね。



歌詠みに続く通夜は、会津の場合、親族とごくごく近しい人だけで行われ、友人知人はほとんど来ません。
通夜ぶるまいで、こじんまりと故人を偲ぶ習わしです。

そして私はそこで、おもいがけない人から声をかけられたのでした。



伯父は、約50年間、喜多方で酒屋を営んでいました。
今は親族に店を継ぐ人がいなくて権利を他の人に譲ってしまいましたが、そもそも祖父は酒をつくる杜氏をしながら酒屋をやっていて、長男である伯父が店を継いで、昭和の時代を生き抜いたのでした。

伯父の二人の息子はどちらも医者になりました。

国立の大学とはいえ、息子(年子)を同時期に、親元から離れた場所の医学部に通わせることは、伯父伯母にとっては経済的にかなり大変だったと思います。

このふたりの兄弟が、本当に笑っちゃうほど仲がよくて、子どもの頃から一緒に肩を組んで学校に通っていたとか、片方が医者を志すと決めたら、もう片方がせっかく入った国立大学(当時は一期校と呼ばれていた)を辞めてしまって、同じ大学の同じ医学部をめざすことにした、とか、とにかく仲良しエピソードに事欠きませんでした。

そういえば、ふたりが中学生のとき、親は忙し過ぎて子どもに対して干渉する余裕もないのに、ふたりともよく勉強が出来て、しかも運動部でも頑張っていて、休みとなれば楽しそうに酒の配達の手伝いをしていることを知ったふたりの中学校の校長先生が、どんな子育てをすればそんな子が育つのか、伯父のところに「取材」に来たことがある、と聞いたことがあります。

・・でき過ぎてウソくさい、いやらしいほどの話ですが、本当にそうだったんだよなあ。

私から見れば、子どもの頃は他の従兄より田舎臭い、ヘラヘラしたふたりに見えたけれど、親が必死で働いている姿を目の当たりにし続けることの威力はすごいのかもしれません。
夏休みは当然のようにふたりは親を手伝ってた、そういえばホントにそうしてた。


今も営業中のT酒店。
「夢心」は、祖父が杜氏をしていたお酒の名前です。↓↓
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私が高校生の頃の伯父の酒屋で従業員をしていたのが、当時、30代ぐらいだったタナカさん。
声をかけてくれたのはそのタナカさんでした。

「Mちゃんだべ?覚えでっかよ?」と言われ、すぐに思い出しましたが、私はタナカさんとは高校卒業以降、一度も会っていないし、正直、私はタナカさんのことを、以来一度も思い出したことがないし、まさか先方も私のことを覚えているとは思いませんでした。
「タナカさん!よく私のことを覚えててくれましたね」と心底ビックリして言うと、「そりゃー、覚えでるよお。変わってねえものお」と。

えっええぇーーー!?
変わったべしたあ!
35年以上も経ってんだがらああ(思わず会津弁)。

続いて、もうひとり私に声をかけてきた男性がいました。
「Mちゃん、僕のこと、覚えでっかよ?」
「Mクン!」
私が高2の春休みにアルバイトをした時計屋(伯父の奥さんの実家)の息子Mクンでした。
彼は私より2才下の、いつもニコニコしている男の子でした。
「私のこと、覚えていてくれたの~?」
「うん。ウチでアルバイトしてだべえ。そりゃー、覚えでるよお。変わってねえものお」

ん?最近、いや、つい今しがた聞いたようなセリフ。
あの、しつこいようですけど、35年ぶり以上なんですけど。その間、一度も会ってないんですけど。

でも、タナカさんとMクンに声をかけられて本当にうれしかった。

高校の同級生や近しい親戚以外にも、35年の時を経ても自分を記憶にとどめていてくれた人がいるとわかることが、こんなにも心に灯をともしてくれる心持ちになることとは。

それは私の、ちょっと独特の環境での高校時代のせいもあるのかもしれませんが、既に親がなく、帰るべき実家はない喜多方を遠くに感じるばかりのここ数年だったからこそなおのこと、二人がなんの迷いもなく「Mちゃん!」と声をかけてきてくれたことが心に沁みました。

その日の宿泊はセレモニーホール。
伯父さんが安置されている添い寝部屋(というのか?)になぜか私も押し込まれ、男女入り混じっての雑魚寝の落ち着かなさと、人の出入りの激しさと、絶やしてはいけない線香の煙と、再発した腰痛のせいで、ほぼ一睡もできず、朝を迎えたのでした。
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by kuni19530806 | 2015-04-03 12:45 | その他 | Trackback | Comments(0)

閑話休題   

花粉の時期、お腹がゆるくなって困ります。
ここ数日、特にお腹が不穏です。

ネットで調べると、体内に入った花粉が胃腸の粘膜に付着して胃腸症状が出ることもある、的な記載があります。
周囲にも、同じ症状を訴える人がいます。

私は、それが花粉の症状なのか、服用している鼻炎薬の副作用なのか、花粉症の時期はどうしても自律神経が乱れがちになるのでそのせいなのか、ずっとわからず、今も実際のところはわかりません。

今回は、3月の初旬から腰痛があり、何度か鎮痛剤のロキソニンを服用したし(鼻炎薬とはズラした。そして今は腰痛からは開放された)、喜多方に行って、不規則でジャンキーな食事をしたり、喪服で足が冷える自覚もあったし、で・・もう、原因候補が多すぎる!

明日は丸一日研修なのだけれど、下痢止めを飲んで行くべきか迷い中。
勝手にトイレに行けないしなあ。

ふだんはなるべく薬をのまないようにしていますが、花粉の時期は一年分、のんでるかも。
ああ、やだやだ。
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by kuni19530806 | 2015-04-01 16:34 | その他 | Trackback | Comments(0)

すごい私たち!?   

昨日は東京図書館制覇!というサイトを運営している竹内庸子さんの講演会に行ってきた。

竹内さんとは7~8年前から面識があって、一時期は、竹内さんに勤務先の愚痴を聞いてもらったり、竹内さんからもプライベートな話を聞いたり、懇意にさせてもらっていた。
住んでいる地域もわりあい近かった。

けれど、竹内さんは数年前に都の西の方に引っ越し、その頃からめきめきと「図書館の目利き」というか「図書館マスター」的ポジションになった。
講演をしたり、メディアにもよく登場したりするようになり、自分が公立図書館を離れたこともあって、最近はあまり連絡をとることがなかった。

でも、かつての同僚が勤務している図書館で竹内さんの講演会があると聞き、ふと「行ってみようかな」と思った。

自分は今、公立図書館で働いてはいないし、竹内さんが支持する昨今の図書館のイベントに必ずしも諸手を挙げて賛同する者でもないのだけれど、一度、彼女の話をきちんと聞いてみたいと思っていたのだ。
特に、公立図書館を辞めてから。
外側にいる者だからこそ、そして内側を知っているからこそ、理解できる、あるいはできない、ことがあるかもしれない、と思って。

そして、自分が知っている(つもりになっている)竹内庸子さんという女性が人前でどんな風に話をするのか、ということにも単純に興味があった。

行ってよかった。
竹内さんのまっすぐな感じと、自分の言葉で語ろう、これも伝えたいあれも話したい、という前のめりなちょっと不器用なところに好感が持てた。
そういえばこの人は前からこういう人だったよなあと思えてなんだかうれしかった。

そして、自分が最近の図書館に感じる違和感もあらためて浮き上がって見えたような気がした。

このことに関してはもっとちゃんと考えて言葉にしたい。


いろいろなことをやっている図書館の実例で、自分がかつて開館準備から関わった図書館の「お散歩MAP」も登場した。

地の利が悪く、最寄り駅から徒歩20分強で周囲1キロの円の半分は川になるような図書館に来てもらうために、私と同僚が考えた図書館のキャッチコピーは「散歩のついでにT図書館」だった。
誰にも聞かれていないのに「健康をテーマにします」とした。
だって、そうでもしないと誰も来そうにない立地条件だったから。
そして、周囲のお散歩MAPを作ることにしたのだった。

描いたのは絵心のある同僚Hさん。
私たちのすごいところは(笑)、そのMAPの拡大版を開館の日にエントランスに張り出し、「あなたのおすすめスポットを教えてください」と表記し、付箋を置いたことだ。
詳しくは当時の日記を⇒ 

私たちのもっとすごいところは(苦笑)、その付箋の情報をもとに、改訂版を作ったことだ。
写真を撮り、MAPに付け加えた。
楽しかった。

それが今回、竹内さんに紹介された。
講演会に一緒に行ったのは奇しくもHさん。
自分たちの仕事が紹介されているとき、私は隣のHさんに小声で「いい仕事するよねー」と言った。
Hさんは照れたように見えた。
私も照れて言ったんだけどね。

講演後、竹内さんに挨拶に行ったら、開口一番、「別にマツモトさんがいたからあのMAPを紹介したわけではありませんからね」と言われた。

いや、別にどっちでもいいんです。

自分は思いつきで動くだけの、決して能力のある図書館員ではなかったし、あの日々に戻りたいとも今はもう思わないけれど、あの付箋付きMAPを久々に思い出せて、なんだか現在の視界のくもりがちょっと晴れた。
もうそのことだけで十分でした。
その一点だけでも、本当に行ってよかった。
そして、今、図書館に残っている、あるいは残っていない、かつての同僚たちもみな、視界がくもったりしても、たまにあの頃を思い出して、ちょっと晴れやかな気分になることがあればいいなあと思った。


いつまで過去の栄光(?)にすがってるんだよ!と言われそうだが、いいのだ。
私は過去にすがります。
ネガティブな過去だって不本意であっても抱えて暮らしてる。

だってさ、過去の喜怒哀楽の延長が今の自分だとしか思えないからさ。
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by kuni19530806 | 2015-03-01 21:25 | その他 | Trackback | Comments(0)

くだらねえな自分、だけど。   

義父母と暮らして、今年で丸30年だ。

結婚したのはその2年前なのだが、同居は1985年の6月からで、引っ越しの正確な日付も覚えている。
その日が自分の誕生日だったから。

義父母も夫も私も、そして同居の際に立て替えた今の家も、30年ですっかり年をとった。
そうだよなあ、なにしろ30年だもの。

義父母の健康状態はここ数年はとても不安定だが、基本的に命にかかわる病気は患っていないし、寝たきりではないし、認知症でもないので、切迫した状況ではない。
それは百%いいことだ。
でも、このところ、家での自分の精神状態はあまり良好とはいえない。

ちょっとしたことに苛立つ。ため息が出る。なんだか、家に縛られている気がする。

そういう、被害者意識に近い鬱々とした気持ちに対しての対処法はわかっている。
もうこの生活もけっこう長いから。
そして、常に鬱々しているわけではなく、特に具体的に何かがあったりしたわけではなくても、理由なく気持ちが上向くことがあるのも知っている。

それを繰り返し、言ってみれば「騙し騙し」この生活を続けてきたのだけれど、だんだんリフレッシュが効かなくなってきたみたいだ。
くたびれている。
飽きているのかもしれない。

ありがたいのは、全く体調は悪くないことと、常に気鬱なわけではないこと。
こういう状況だからこそ、定期的に家を離れる必要を感じて来年度も今の仕事を続けることにしたし、スキあらば友達に会いに、何かを見に、数時間でも出かけようと画策しているし、スポーツクラブにも週2を目標に通っている。

そして、今の自分には、本、なにより小説を読むことが必要とあらためて気づいたりもした。

世の中が本当に物騒で、きな臭く、でも、だからといって、ネットで声高に騒ぐ気にはなれない。

Twitterで、特に文章を書くことをなりわいにしている人が、自分に近い考え、心にヒットした意見をやたら次々とリツイートしていることにはなんだかとても違和感を覚える。
簡易理論武装に見える。
自分の意見じゃない分、ちょっとカッコ悪く思える。
気持ちはわからないでもないけれど、なんだか子どもの頃の自分を見てるみたい。

自分の脳裏に浮かんだ感情や考えをまっさらな状態で人に言うのは躊躇するくせに、自分と同じような意見を聞いたとたん、突然、水を得た魚のように饒舌になる。
私も前からそう思ってた!と。
後ろ盾を得て、強気になる。

たとえ、その考えや感情そのものには共感できても、その姑息さに引く。
子どもの頃の自分に大人の自分が引いてどうよ、ですが。

かといって、まったく世の中の不穏さには触れずに、世界はまるでなにも変わっていない風なツイートを繰り返す著名人にもちょっとモヤモヤとしたりする。
狡いとすら思う。
日常は日常として存在するわけだから、は理解しつつ、日常を隠れ蓑にしてないか、と思ったり。

それって、要するに、自分が動揺している、気持ちが落ち着かないってことなのだろう。
だから、振幅大きく心がざわつく。

当然だけど、家のことと世の中のことは結びついている。
今の自分の閉塞感も危機感も動揺も苛立ちも、内と外が連動してのこと、なのだ。
共鳴し合って、悪い意味で相乗効果になってしまっているような気がする。

結論を急いじゃダメなのだなと思う。
現実だけが世界の全てじゃないと思うこと、目に見えるもの、耳で聞こえるもの、はとても大事だけれど、それと、肌で感じる押しの強いものだけで世界を判断してはいけない、と折に触れ思うことが、その奥や裏側にあるものに想像を働かせることが、あらゆる意味で自分を、自分を末端構成員とする世界を、救う数少ない糸口のような気がする。
そして、そのためにはフィクションが大事だと思った。

全然上手く言えていないけれど、友人のTwitterの言葉を借りれば「他者への想像力ひとつとっても、今ほどフィクションが必要とされている時代はないんじゃないか。じっさいどんな「実用書」より実用的だと思う。そのために読むわけではないけれど結果として。」だ。

そしてそして、海外ドラマ「ビッグバンセオリー」は今の自分には強い味方だし、ネコは可愛いし、夫は情緒が安定してよく話をするし、ネガティブな話を聞いてくれる友人もいる。
好きな文章を書かせてもらってもいる。

じゃあ、あとはどうすればいいの?


私はきっと、私こそがきっと、義父母の老いを受け入れられていないのだ。

足腰が弱るとか、耳がますます遠くなるとか、物忘れが激しいとか、そういうことはいいのだ。
私が落ち込むのは、ふたりが年老いて、今まで清らかだと思っていたふたりの人間性のメッキが剥がれたような気持ちになる自分の底意地の悪さに対して、なのかもしれない。

とにかく優しかったふたりが、徐々に自分のことでいっぱいいっぱいになり、意固地になり、気分が変わりやすくなって前言撤回を繰り返す、それを毎日目の当たりにすることが哀しい・・というより、正直うんざりなのだ。

それはしょうがない、誰だって年をとればそうなる・・わかっています。
30年間暮らしてきたのだから、わかりすぎるくらいだ。

でも、温かでほがらかで穏やかなふたりが恋しい。
もちろん、その要素がすべてなくなってしまったわけじゃないし、今でも、そのへんの91才、86才に比べれば相当残っている(そのへんの高齢者に対してなんて失礼な言い草!)。
私を誰よりも気遣ってくれる。

きっと私は、25年間、甘やかされ過ぎてきたのだろうなあ。
言葉や態度で庇護されまくってきたってことなのだろう。
ちょっとしたことで感謝され、当てこすりもひけらかしもなく、恩着せがましいことを言われたことは一度もなかった。
義母はがさつでおせっかいで無神経なところもあるけれど、一貫して善意の人だ。
義父もこの上なく優しかった。
今だって、悪意のかけらもないのだ。
そう言い聞かせて受け入れるしかないのだろう。

そうは思いつつ、溜め込んでいたものをいったん外に出したく、これを書きました。
書いたらスッキリした。
くだらねえな自分、とも思った。
書いて初めて「自分はこんな風に思っていたのか」とびっくりもした。

お目汚しでスミマセン。
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by kuni19530806 | 2015-02-13 18:57 | その他 | Trackback | Comments(0)

2月を迎えて   

朝から辛いニュースが駆け巡っていますが

悲しみや悼みや憤り、恐怖をどんなに感じても
集団ヒステリーになるなよ、みんな
それじゃISISの思うツボだし、これからも同じ土俵に上がり続けることになる
報道はそこを言うべきなんじゃないか

などと思っています。



そして、モデルの雅子さんの訃報にとても驚きました。
1980年代、アンアンが好きだったので、デビュー当時からその存在を認識していました。

浮世離れしているけれど、甲田益也子さんほどではなく
田中久美子さんほど威圧感はなく
当初、よく一緒に特集されていたとよた真帆さんのように
早い段階でタレントにシフトチェンジせず。

その後、たおやかにますます静的なイメージになり
唯一無二の独特の雰囲気の存在感で
ほぼ30年、一貫して気になるモデルさんであり続けていました。

最近は「大人のおしゃれ手帖」とか「ナチュリラ」とかに
よく登場していて、年齢を重ねても雰囲気は不動だなあと思ってました。


毎年毎年、明けるたびに、「今年はよい年になりますように」と心から願うのになあ。
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by kuni19530806 | 2015-02-01 12:02 | その他 | Trackback | Comments(0)

元・門外不出   

図書館の分類の3桁の数字をゴロ合わせにする性癖については、他の場所でもカミングアウトしていますが、最近、訳あってその門外不出のゴロ合わせを思い出す作業をしました。
全部は思い出せませんでしたけど。

公立図書館で働いていた頃に考えた(このうち1個は友人の作品)ものばかりですが、どこにも保存しておかなかったので、ここに貼っておこうっと。

159      異国(159)の言葉か「人生訓」
361      寒い(361)学問「社会学」
489      弱く(489)ないでしょ「哺乳類」
498      よくは(498)ならない「予防医学」
592      ごくつ(592)ぶしの「日曜大工」
640      悩み無用(640)の「畜産業」
712      無いに(712)に等しい「彫刻史」
774      名無し(774)じゃなれない「歌舞伎」界
783      悩み(783)無用の「野球」少年
795 796  泣く子(795)を殴ろ(796)う「囲碁将棋」





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by kuni19530806 | 2015-01-30 16:06 | その他 | Trackback | Comments(1)

いまさらなお礼   

2000年、母親が死んだときはたくさんの友達にお世話になった。

その中のひとりである友人から先日、「お母さんが亡くなって14年だなんて本当に早いものだね」とメールが来た。

私は昨年、季刊レポという雑誌のライター募集に応募したのだけれど、書いたのは母親のことだった。
その友人は、最近それを読んでくれて、「面白いお母さんだったんだろうなあ。一度お会いしたかったなあ」という感想をくれた。

私は母親と上手くいっている娘ではなかったが、確かに母親はある意味、面白い人間だった。
でも、そう思えるようになったのは、残念ながら母親が死んでからだ。
そしてそれはキツい。
一貫して「被害者意識丸出しの、気分屋で子どもっぽい、面白みのかけらもない母親」と思っていられた方がずっとラクだ。
きっと、母親を若干肯定的に思い出せるようになったのは、自分が本格的に中年になったからだろう。

年齢を重ね、一人暮らしで、健康面と経済面に不安があれば、そりゃあかなりの孤独感を覚えるだろう。
そして、子どもに救いを求めたりもするだろう。
でも、子どもは親の孤独感、寂しさ、つまりは弱さ、に理解が足りない。
少なくても私はあまり理解しようとしなかった。
「自分はなんて不幸なんだろう」という被害者意識に凝り固まった母親をうっとうしいとさえ思っていた。
そういうアピールを感じれば感じるほど、どんどん冷淡になった気がする。

寂しかったんだろうな、母親は。
そして、私が思うよりずっと体調が不安定だったのだ。
母親は若い頃からしょっちゅう具合が悪いと言っていて、そのわりに早食いで運動が嫌いで栄養のことも気にしない、病院にもきちんと行かないようなタイプだったので、私は電話で愚痴をこぼされるたびに「具合が悪いならちゃんと病院で検査を受ければいいじゃない」と言うだけだった。
本気で心配しなかった。
母親から電話がくるたびに、自分が暗い気持ちになるのがイヤだったのだ。

ここ数年、母親のことであらためて後悔と自責の念にかられることがまた増え、だからといってどうしようもなく、そのたびに軽く落ち込んだりしているのだけれど、上述の友人の「一度会いたかったなあ」にちょっと気持ちを持って行かれた。

会ったってどうってことない、むしろがっかりさせたり不快な印象を与えたかもしれない、と思いつつ、その言葉がとてもうれしかった。


そうこうしているうちに、もうすぐ長兄の命日だ。
あれから9年かあ。
はっやいなあ。
生前はすごく年上だと思っていたのに、年齢を追い越しちゃったぜ。

兄は2006年までの世の中しか生きていないから、東日本大震災を経験せずに逝ったのだなあ。
小学生の時期のほとんどを福島県浜通りで過ごした兄が生きていたら、私とは違う心痛だったのだろう。
原町市(現・南相馬市)の友達や恩師とは大人になっても連絡を取り合っていたみたいだった。
そして、兄は福島市で働いているとき、コーヒーを飲みにわざわざ飯舘村に行っていたらしいのだった。

兄が亡くなったときも、私は本当にいろいろな人にお世話になったのだった。
上述の友人にも。

いまさらですが、みなさん、あのときは本当にありがとうございました。
私はなんとか元気です。
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by kuni19530806 | 2015-01-20 22:08 | その他 | Trackback | Comments(0)