カテゴリ:読書( 225 )   

夜の木の下で   

昨日は参った。

義父の眼科に付き添ったのだが、3~4時間の拘束は覚悟していたものの、12時半に家を出て、帰って来たのは18時半だった。
怒涛の6時間コース。

通院している眼科は今月から新しい場所に移って、今までのように、受付と眼底カメラ、診察と視力検査、の待合室が一緒でカオス状態になっていない分、ゆったり人が少なく見え、こりゃあ今回は早く終わるかなあと思ったら甘かった。

義父の担当医は院長で、院長だけ午後の診察が15時開始だった。
どうも、午前中の診察がメチャクチャずれ込んだらしい。
緊急オペとか、多い人なのだけれど。

義父は15時半に診てもらったが、その前の視力検査で、前回より視力が極端に落ちていることがわかり、でも原因がわからず(眼底カメラなどでは問題なし)、最初の診察後、急遽、造影剤を入れて血管の状態を調べることになり、それにけっこう時間がかかり、その後、また診察があり、造影検査でも異常が認められず、とりあえず様子見になり・・・で、なんだかんだで18時を過ぎていた。

私はその間、ほぼ座っているだけだったが、座っているだけって疲れる。
腰痛もぶり返してしまった。
病院の待合室は、読書も進まないし。
みんなは進むのかな。
私はダメだ。




湯本香樹実著『夜の木の下で』を読む。

湯本さんは『夏の庭』しか読んだことがなかった。
『夏の庭』は確か今から20年ぐらい前の小説だが、めきめきと児童文学の名作になり過ぎて、すごく好きなのだけれど、ちょっと勝手にひとり歩きしているイメージ。
比喩が正しくないかも、ひとり歩きって。

私にとっての2作めの今回の湯本さんの本は短編集。

表紙の色味がとても好きだ。
『夏の庭』の表紙は緑系だった気がするが、湯本さんの文章には緑や青が似合うなあ。

長いスパンで書かれた短編を集めた本だし、連作ではないが、トーンは揃っている。

テーマがあるとすれば、死と隣り合わせの生・・というか、生と死に境目などない、かな。
それが一貫して描かれている感じ。

そして、兄弟、姉妹の独特の距離がもうひとつのテーマのような気がする。

誤解を恐れずに言うと(少し恐れてるけど)狡いテーマだ。
地味だけど磐石というか。
でも、死を扱っても、湯本さんの小説には初期の吉本ばななのような鼻につく感じはない。
もちろん、全て私の主観ですが。
あ、断るまでもないか。

死んでしまった双子の弟と隠れたアオキの木の「洞窟」について書かれた「緑の洞窟」と、事故に遭って意識不明になった弟を思う姉の目線で語られる表題作「夜の木の下で」が好き。

この2作は15年の時を隔てて書かれているのも感慨深い。

「思い」と「思い出」は違う・・というとあたりまえみたいだけれど、「思い出」と「思い出す」も浮かぶことが違うなあ。

私は2006年に兄を亡くしているけれど、これを読んだら、兄に対する「思い」と「思い出」と「思い出す」を書き出してみたくなった。
それぞれ、浮かぶことが違って、しかもタイミングや自分の精神状態で、思いも思い出も思い出すも変わってくる。

変わるっていいなあ。
終わってないってことだもんな。
終わってないって、自分の中では生きているってことだ。

若いときには気づかなかったそんなことが、あたりまえのようにわかるようになる。
不思議だ。
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by kuni19530806 | 2015-03-24 20:33 | 読書 | Trackback | Comments(0)

恋するソマリア   

高野秀行著『恋するソマリア』を読む。

面白かった!
前作『謎の独立国家ソマリランド』で基本的知識を得ている分、今回はすんなりその世界が理解でき(たような気分になれ)、なんとなれば、旧知の人たちに再会した心持ちにもなれ、グングン読めた。
今回は本の雑誌社刊行じゃないんだ、という一抹の残念さ、みたいなものはあったにせよ。

しかし高野さんは文章が上手いなあ。
内容にインパクトがあるので文章は見過ごされそうだけど(そうでもないか)、すっごい文才だと思う。
そして、喩え上手。

腰痛を秘境に喩えて、そこを探検するというテイにした『腰痛探検家』にも唸ったけれど、今回の「ソマリアに恋した自分」という設定も秀逸だ。
的確な喩えをすることで、こんなに状況がわかりやすくなるかとびっくりした。

更に、今なにかと問題や話題になっているイスラム教について、なぜ、民主化するとイスラム厳格派が選挙に勝つのか、それは日本でもおなじみの「宗教は選挙に強い」「宗教にはお金がからむ」あたりまではなんとなく予想できたけれど、そこにはもっと複雑な心理が交錯して、それは世俗的な、宗教による規制を嫌うインテリ層は理想に走りがちで仲違いしやすいとか、イスラム厳格派に反対する層がデモを行い、政府に弾圧されることで、ますます国を不穏にしたり、エジプトのように、非民主的な軍と非イスラム派が結託して、正攻法、民主的な手続きで政権を握ったイスラム厳格派政権を弾圧するという、ねじれた事態にもなっている、などなど、日本の報道だけではなかなか想像できなかった「現実」もこの本で少しわかった。

それはなんとなく、今の日本にも当てはまる流れでもあるような気がするのがとても引っかかる。
「規制を嫌うインテリ層は理想に走りがち」あたりとか。

理想に向かって走らなくてどこに向かって走る!?と言われると、とっさに返す言葉が見当たらないんだけど。

話は変わるけれど、今回のル●ネのCM騒動は気持ち悪い。
あのCMを作った人は相当バカだと思うけれど、ここぞとばかりに声高に理攻めの正論で批判してる人々も苦手だ。
自戒の念も込めて思うのだけれど、今自分は誰恥じることなく正しいことを言っているという感覚は、正しいこと以外を丸ごと排斥する気がする。

それって、本当に世の中をよくするのかな。

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by kuni19530806 | 2015-03-21 11:20 | 読書 | Trackback | Comments(2)

東京プカプカ⇒洋子さんの本棚⇒狗賓童子の島⇒さすらい猫ノアの伝説   

最近、読んでいた本。
忘れそうなのでとりあえずタイトルだけ。
感想は書きたい。
『狗賓童子の島』は、 【帰って来たゾロメ女の逆襲】で取り上げたけれど、読了直後にバタバタと書いたので、数日経った今はちょっと気に入らないところもあるのであった。
なので、あらためてここに書きたい。

中野翠著『東京プカプカ』
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小川洋子・平松洋子著『洋子さんの本棚』
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飯嶋和一著『狗賓童子の島』
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重松清著『さすらい猫ノアの伝説』
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by kuni19530806 | 2015-03-15 17:33 | 読書 | Trackback | Comments(0)

てらさふ   

朝倉かすみ著『てらさふ」を読む。

『肝、焼ける』『田村はまだか』の朝倉かすみさん、自分と同世代で、デビューは決して早いとは言えない朝倉さんに、勝手に親近感を覚えていました。
力のある、予定調和ではない小説に好感もあって。

これは、昨年発表された小説。
Twitter文学賞で、朝倉さん自身がこの小説に投票してました。
『てらさふ』朝倉かすみ 文藝春秋 自作。いままで書いたもののなかでいちばん好きだった。でも多くのひとに読んでもらえなかった。ちょっと絶望した。
というコメントで。
それで読んでみました。

北海道のオモタイという町に住む中学生、弥子。
大人からみれば、よくいがちな、十代特有の自意識肥大症を患っているとも思える彼女ですが、「なにかをやりたい」弥子の前に、「どこかへ行きたい」転校生ニコが登場して、ふたりの脳内世界が、実際に外に動き出します。

モノを書くということに才覚を示す弥子は、偶然見つけたある女性の昔の文学賞の応募作品を、ニコを世に出すプロデュースに利用します。
それはどんどん上手く行き、やがてニコは・・そして弥子は・・という物語。
(↑なんだ?この下手なあらすじ紹介的な文章は!)

う~ん。
力作だし、時折、心に響く箇所もありましたが、正直言って、好きな小説ではなかった。
なんでだろう。
朝倉かすみさんの小説はどれもある種の「意地の悪さ」があり、それが魅力になっているように思うのですけど、それはあくまで、どうしようもない、市井の人間の弱さ、哀しみをバックボーンにしてる気がします。
でもそのバックボーンがこの小説には感じられなかったからだろうか。
いや、違うかも。

もしかしたら自分は、「十代」とか「少女」特有の思考形態に理解が足りないというか、あまり理解しようとしていないのかもしれない。

きな臭いエンディングに対しても、ただただ後味の悪さを覚えてしまった自分は、結局、弥子を肯定することなく、最後まで否定し切ってしまったのかなあと思った。

タイトルの「てらさふ」は、自慢する、みせびらかすという意味だそうです。
衒さふ。
私はてっきり「照らそう」だと思ってました。
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by kuni19530806 | 2015-02-28 23:57 | 読書 | Trackback | Comments(0)

敬語で旅する四人の男   

麻宮ゆり子著『敬語で旅する四人の男』を読む。

初めて読む作家。
Twitter文学賞で投票している人がいて、タイトルにそそられました。
こういうタイトルを持ってくるセンス、好きかも、と。

特に親しくもない、最初は初対面だったりするアラサー男性4人が、佐渡、京都、鳥取、熱海を旅します。
ジャンルはロードノベル?

厳密には、全行程が4人というのは佐渡だけですが、他の場所も、なんだかんだ言って不参加者もからむ設定。

4人それぞれが旅ごとにメインを張って、脇役のときのエピソードが前面に出たり、意外な面を見せたりします。
そういう構成、好みです。

時々、展開がわかりづらかったり、このエピソード要らなくね?というのもあって、ちょっと引っかかるところがないわけでもなかったけれど、全体的には好感が持てる小説でした。

明らかにアスペルガーな斎木の描写も、ものすごく掘り下げているわけではないけれど、うわっつらで描いている感じはなく、私などはついつい「ビッグバン☆セオリー」のシェルドンをイメージしてしまった。
斎木クンとアルエさんの回は、実は私はイマイチでしたが。

佐渡のときはチャラい感じだった仲杉クンがメインの鳥取編は、少女マンガっぽい展開でちょっと胸キュン(死語!)になりました。

映像化されたら、4人は誰がしっくりするか、ついつい考えてしまいます。
斎木クンは高良健吾かなあ。
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by kuni19530806 | 2015-02-16 20:18 | 読書 | Trackback | Comments(0)

沈黙博物館   

小川洋子著『沈黙博物館』を読む。

そうかー、小川洋子さんは15年も前にこんな小説を書いていたのか。

私は「クラフト・エヴィング商會」のことはよく知らなくて、去年行った世田谷文学館の展示で見たもの、そこで知った情報が全てなのだけれど(そのときの感想はこれ→)この小説はまるでクラフト・エヴィング商會じゃないか、と思った。
装丁もクラフト・エヴィング商會の二人だしね。

でも、単行本と文庫本の表紙は違う。
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相変わらず、「優れた村上春樹」という読後感。
今回は特に『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』の「世界の終わり」の方が脳裏をよぎった。

先日読んだ『ことり』でも感じた、平穏さと不穏さの混在が醸し出す独特の不安感がすごい。
閉じているからこその平穏、閉じているからこその不穏、その共存がこの作者の一貫したテーマなのかもしれない。

すごく恐れ多いことを言うが、もし小説を書くとしたら小川洋子さんみたいな小説がいいな。
「小川洋子さんみたいな」と言ってる時点で終わっているわけですが。

関係ないけど、先日のお出かけ先の画像も貼っておこう。
楽しかったから。
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by kuni19530806 | 2015-02-10 21:06 | 読書 | Trackback | Comments(0)

去年の冬、きみと別れ   

中村文則『『去年の冬、きみと別れ』を読む。

図書館から「予約の本がご用意できました」と連絡が来たが、このタイトルに全く心当たりがなく、でも自分が予約したことは間違いなく、どういう経緯で「読みたい」と思ったのか思い出せないまま読んだ。

中村文則さんは名前だけは知っていたが初めて読んだ。
そして、正直、自分はもうこの人の小説は読まないだろうと思った。

そう思ったこと自体も忘れそうなので、その備忘録のためにここに読んだことを記しておこう、というのもどうかと思うけれど、それが正直なところだ。

狂気って、復讐って、こんなにわかりやすく表現できるものではない気がする。
わかりやすさが作者の力量なのか、とも思いかけたけれど、途中までの意味ありげなシーンやセリフが、終盤、語り手の「語り」によってのみ解き明かされる構成は、腑に落ちつつ納得できないというか、むしろ途中までの不穏さを台無しにするというか。

あ、これ以上、やめとこう。
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by kuni19530806 | 2015-01-28 17:05 | 読書 | Trackback | Comments(0)

ことり  その女アレックス   

最近、読んだ本。

小川洋子著『ことり』。

感想を、15日更新の『帰って来たゾロメ女の逆襲』に書きました。
今週の木曜日です。
よかったらご一読下さいまし。
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ピエール・ルメトール著『その女アレックス』を読む。

感想はtwitterの転載。
スミマセン。

去年の海外ミステリベストを総ナメにした文庫を買った。確かに凄い小説で一気読みしたけど「超面白かった!」とか「大満足」とか、興奮した陽の感想は全く出てこないな私は。暴かれる悪意、残酷さ、悲しみがたまらなくて、元気な感想を嬉々とした文脈で書いている輩は不快なくらい。もちろん極論です。

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by kuni19530806 | 2015-01-12 17:40 | 読書 | Trackback | Comments(0)

ワーカーズ・タイジェスト   

津村記久子『ワーカーズ・ダイジェスト』を読む。

今年はホントに、津村記久子さんばかり読んでいた印象。
最後(たぶん)も津村さん。

これも良かった。
表題作と、「オノウエさんの不在」が収められているが、どちらもグッとくる。
この、ウソくさくない世界はなんなんだろう。

全然ポジティブじゃなく、どちらかといえばネガティブに思えるのだけれど、なんだかじわじわと励まされる。

会社という組織の理不尽さや残酷さやアタマの悪さや停滞っぷりや時代錯誤感、そしてそこで働くことのキツさ、諦め、ちょっとした風穴、などなどが、大きな事件ではなく、日々のルーティンを軸に描かれているのだが、読後感が清々しい。

具体的にはなにも解決していないし、登場人物に特に爽やかさは感じないのだが、だからこそ、みんなそんな風にがんばっているのだなあと心強く思うのかもしれない。

津村さんの小説を読むと、特に専門知識を持たない事務職や営業職が肯定されている気がするのだきっと。

お茶を入れたり、コピーをとったり紙やトナーを入れ替えたり、数字の入力、電話の応対、ちょっとしたお使い、備品の管理、集金、支店や業者さんとのやりとり、新人や派遣社員の指導、苦情受付、出張の手配、冠婚葬祭や親睦会のあれこれ、交通費の精算、などなどの、専門職や技術職では決してメインではない、これといって名前のない仕事の価値を、認めてもらったような、、あらためて認めようと思い直すような、そんな気持ちになる。

それが高じて、そういう仕事を自分が経験してきて良かった、その職種特有の理不尽さの感触を実際に知っていることはいいことだ、とすら思える。
だからこそ、今の自分がいるのだ、ぐらいに。
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今日のスポーツクラブ。
①準備体操後、ラテンエアロ(1時間)を初体験。

汗だく。
意外とバテなかったが、中盤からはステップがよくわからず。
飛び跳ねたりはしない、ローインパクトの動きだが、1時間、ほぼノンストップでステップを踏むので、かなりの運動量だと思う。
ただ、黙々と走ったり自転車を漕いだりするよりは楽しいかも。

しかし、ラテンエアロってやたら腰を振るのね。
続けたら、さぞやくびれるだろう。
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by kuni19530806 | 2014-12-26 20:50 | 読書 | Trackback | Comments(0)

猫を抱いて象と泳ぐ   

小川洋子『猫を抱いて象と泳ぐ』を読む。

しょっぱなからナンですが、村上春樹より小川洋子の方がずっとスゴイと思います。

正確な文脈は忘れましたが、以前、豊崎社長がtwitterで「どんなに断定的な書き方をしても、個人の見解は主観でしかない。それはあたりまえの大前提なのだから、いちいち『自分にとっては』とか、『思う』とか書く必要はないし、書いていないからと言ってナニサマだ!と目くじらを立てるのはおかしい」というようなことを言っていて目ウロコでした。
だからあえて断定的に大文字で書きます。

小川洋子の方が村上春樹より優れた作家だ。

どうして、このふたりを比較するのかというと、描こうとする世界に共通のものを感じるからです。

現実と似ているけれど明らかに違う、作者の脳内で格別な篩(ふるい)にかけられ、変換され、価値観や倫理観、時に法律や社会のしくみも唯一無二のものにとってかわった世界、という意味でも似ていれば、その変換方法も途中まで近いものがあるなあと思うのです。

でも、私にとっては、村上春樹さんのそれより小川洋子さんの方が、ごまかしてない気がする。

村上春樹はごまかしてるのか、というと、必ずしもそうではないのですけど、彼にとっては小説の肝になることが多い性や悪意、または独特な不条理に幻惑され、読んでいる最中はなんとなくその世界の磁場に絡め取られて腑に落ちても、読後しばらく経つと、「結局なんだったんだあれ?」と思ったりすることがけっこうあります。

その世界の磁場に絡め取られることは小説を読む醍醐味でもあるのですが、時に覚めた(冷めた)とき、違和感を覚えたりする。

小川洋子さんの小説にはそれがない。

今回の小説も、チェスという、自分には全く未知の世界が描かれ、アリョーヒンというロシアの実在の人物がモチーフとして物語の中枢を担っていて、幻惑される要素はてんこ盛りで、実際、自らの成長を止めたという意味では「ブリキの太鼓」的なリトル・アリョーヒンの存在も、マスターもインディラもミイラもお祖父さんもお祖母さんもみな現実離れしていて、唯一、地に足がついているのは弟だけ、という印象だったのですが、不思議と幻惑された感じではありませんでした。

自分の描きたい、描くべき世界に真っ向から挑んでいるなあという、静謐だけれども力強い「意思」を感じ、圧倒されました。
終盤は落涙。

いい小説でした。
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by kuni19530806 | 2014-12-21 17:44 | 読書 | Trackback | Comments(0)