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カテゴリ:読書

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    [ 2012-05-12 22:18 ]
  • すべて真夜中の恋人たち
    [ 2012-05-01 00:48 ]
  • 風が強く吹いている
    [ 2012-04-25 23:31 ]
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    [ 2012-04-15 23:25 ]
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    [ 2012-03-15 22:24 ]
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    [ 2012-03-12 22:01 ]

飼い喰い

内澤旬子『飼い喰い 三匹の豚とわたし』を読む。

周囲にファンの多い内澤さんだが、私は読むのは初めて。
そう、『身体のいいなり』も『世界屠畜紀行』も未読です。
そして『飼い喰い』を読んだ後に思うのは、やっぱり上の2作は先に読んどくんだった、です。

私はしょっちゅう同じことを言ったり書いたりしてる人間です。
持ちネタが少ないってことと、それ以前に最近、誰に何を言ったか言ってないかがとみに覚えていられなくなっているので、前に言ったり書いたりしてるかもしんないけどまあいいや、がデフォルト化しているのが「実情」だったりします。

でも、自分の発言は公式記録(?)には記されていないけれど、書いたことはこうしてここに残っているわけで、たま~にあらためて読み返すと(このエキサイトブログの機能がいろいろ変ったせいもあって、うっかり読み返す、その頻度は増えたかも)自分は人や世界に対して特に言いたいことはないものの、しょっちゅう考えてしまっていること、変わらずに思っていること、はあるみたいだなと気づいたりします。

その代表選手(!)は「人生はハイリスクハイリターンだ」と「人は点でなく線で生きてる」だと思われます。
そして、この『飼い喰い』であらためて感じたのは後者。

『身体のいいなり』と『世界屠畜紀行』を先に読むべきだった、と強く思ったのもそのせいです。
内澤さんがこの本を書くに至った経緯やこの本で記されたり描かれている出来事は、正直、この本だけでは私レベルの読み手に伝えきれていない気がします。

いや、この本が「独立した1冊」である以上、内澤旬子さんになんの予備知識がなくても他の著作を一切読んでいなくても、これのみで著者が表現した、そして読者が受け取ったもので充分という考え方はあるし、それは正しいとも思うのです。
それこそ、想像力の出番だ、とも言えるし。

ただ、誰より著者自身が、この本を「すでに自分に関する知識のある人に向けてしか書いてない」気がしてしょうがなく、それはこの本の肝である「喰うために飼う豚に名前をつけてなかばペットのように育て、でも最後はやっぱり屠って喰う」の「屠って喰う」瞬間に顕著な気がします。
もちろん、屠る部分の気持ちや考察は『世界・・』で深く掘り下げているのでしょうから、今回はそれを踏まえての次の段階、的なことではあるのでしょう。
私もなにも「豚をつぶして喰うとき、もっと書き手が感情的になると思った」と期待していたわけではない。
著者の屠殺に対する立ち位置というか気持ちは、この本1冊だけでも察せられるし、この本の肝は「屠って喰う」であると同時に、その前の「喰うために飼う豚に名前をつけてなかばペットのように育て」でもあることが十分に理解できる。

でもでも、それはそうでも、やはり私にはどうしても「いちげんさんは相手にしません」感が否めなかった。
なんでですかねー。

ちなみに、もし、書き手や売り手や業界関係者やファンに「なに、難癖つけてんの?他の著作を読んでからこれを読むのが当然でしょ」と言われるとしたら、私はそこには大々的に反論する用意があります(こわっ!)。

いろいろ書きましたが、いろいろ凄い本です。
本の雑誌の6月号の内澤さんと服部文祥さんの対談を読んだらあらたにいろいろ(いろいろばっかだ)補完されたので、あらためて「すげえ本だ」と思っている昨日今日です。
私も、あの「自然に感謝」を全ての免罪符にして、それでなにもかも許される・・ばかりか、自分は誰よりわかってる、と勘違いしてるみたいな輩に以前からすごく違和感があったし、この本の172ページの【「健やかに育て」と愛情をこめて育てることと、それを出荷して、つまり殺して肉にして、換金すること。動物の死と生と、自分の生存とが(たとえ金銭が介在したとしても)有機的に共存することに、私はある種の豊かさを感じるのだ。大規模化して薄まっているとはいえ、やっぱり畜産の基本には、この豊かさがある。そのことを、食べる側の人たちにも、もっともっと実感してもらえたらいいのに。】という文章には、深く深く感じ入りました。
171ページまで、正直ちょっと「内澤さんって強い以上にどっか鈍感な人かも」と思っていたことを心から申し訳なく思った。

下世話方面で気になったこと。
いろんな登場人物が出てくるのに、南駄楼さんが後半「配偶者が」と一度だけ一瞬だけの登場だったこと。
いろいろ邪推してしまった。

by kuni19530806 | 2012-05-12 22:18 | 読書 | Trackback | Comments(0)

すべて真夜中の恋人たち

川上未映子の『すべて真夜中の恋人たち』を読む。

この本を読むような土俵にすら上がってないようなことを臆面もなくカミングアウトすると、私は人の色恋沙汰に本当に興味がないみたいです。
だからといってこの小説が面白く読めなかった、というわけではないのですが、これを書いている今現在、映画『バッチギ!』で主役をやっていた俳優の二股三股が話題になっていて、「そりゃあ、2人にほぼ同時にプロポーズするのはマズイだろうとは思うけれど、当事者や、その案件でとばっちりを受けたりして実害を被った人以外に、彼に文句を言う『権利』のある人間なんているんだろうか・・っていうか、どーでもいいじゃん、誰が誰を好きでも好きじゃなくても」としか思えず、まあ、ここで「権利」なんて言葉を使ってしまった自分もどうかと思うわけですが、なんだか、いろんな人が恋愛に限らずいろんなことに対して「自分も一言コメントする権利がある」とぎゃあぎゃあアピールしてる感じがそこここでしてうるせえ!と思う昨今なので、あえて、使ってみました。
・・ああ、文章メチャクチャですね。

実は今、職場には社内恋愛的気配が複数個所あり、面白いです。
面白いなんて書くと、「色恋沙汰に興味がない」と矛盾してるんじゃね?と言われそうですが、私の中ではしてません。
そういう気配を感じたり、画像として見たりすること自体は「いいんじゃな~い」と思うし、あわよくば応援の気持ちすらあるのです。
ただ、興味はない。
明らかに醸し出されたり垣間見えるモノは情報として受け取るし、その素材で料理したり咀嚼させてもいただくけれど、自分から取材したり憶測や想像をめぐらせたり進捗を気に病んだり・・ばかりか、率先してスポークスマンになったり、みたいなヒトの恋路における生産活動はしません。
ずっと、みんなそんなことの生産活動なんてしないよね、だって自分のことでも自分に波及しそうなことでもないんだから、と思ってきました。
でも、どうやらそうでもないらしいことが中年になってからわかりました。
これは、「中年だからわかった」ではなく、「中年になってから、周囲のそういう事例を複数知った」という意です。

どうも、他人の色恋での生産活動が大好きな人はけっこういるらしい。
ネタとして盛り上がることのできる芸能人のそれはわかるけれど、それ以外でも。
芸能人ではなくても、恋愛とあらば、ソッコーでネタ扱いに昇格(降格?)するのだろうか。

それと、自分が「興味がない」と言い切ってしまう理由は、人の感情はとどまっていない、と思うからです。
たとえば、自分が誰かを今「好き」だと思っていても、その気持ちがずっと変わらないかどうかなんてわからない。
むしろ、この世には変わらないものなんてない、を前提にした「とりあえず今は好きだ」という感情の方が自分には信じられる。
何十年も結婚しててナンですが(結婚してるから、ともいえる)、自分も自分以外も、明日の気持ちなんてわからないに決まっている、としか私には思えないのです。

要するに、人間関係は全て今の積み重ねで成立している、としか自分は思えないので、まるで未来永劫変わらぬ気持ちの言質をとるような迫力でこぞってヒトが知りたがる(←この文章もどうかね)「好きなの?恋なの?本気なの?」的疑問(どちらかといえば詰問)には昔からすごく違和感があるのです。
でも、いちいち「今は好きだと思う。でも明日はわからない」などと発言するのもどうかと思うので、そのあたりはテキトーに「好意を持ってるのは間違いない」とか言ったりして。
いやらしい言いぐさですね。

あ、この本のことを書いてないじゃん。
面白かった。
でも好きではありません。

by kuni19530806 | 2012-05-01 00:48 | 読書 | Trackback | Comments(0)

風が強く吹いている

三浦しをん『風が強く吹いている』を読む。

いまさら、な感じがしないでもないけれど、実は今月に入ってどうしても読み進めず途中で挫折した本が3冊もあり、なんだか挫折癖がついてしまった気がして、「好みかどうかは定かではないがとりあえずぐいぐい読ませてくれそう」という基準でこの小説を選びました。
不純。
そして、なぜにその動機で出てきたのが今まで全く読んだことのない三浦しをんなのかは自分でもよくわからない。
本屋大賞の余波だったりしたら、自分もこれで案外、初心(うぶ)だわ!?

私は特に箱根駅伝には興味がありませんでした。
これを読んだからといって即「来年の正月はTVで見るぞ!」と強く思ったわけでもありません。
でも、「来年の正月は見るかもしれない」とは思った。

20代の後半、私は小説のようなものを数点書いてみたりしました。
文学賞に応募したりもしました。
うち1個は3次に残りました。
3次まで行った、か、3次どまりだった、か、どっちで書けばいいんだろう、と今ちょっと迷いましたが、どっちでもいいんだよな、そんなのは。

その小説のようなもののテーマはスポーツだった。
スポーツを崇高視してる話。

そういえば、数年前に職場の広報紙に書いた「キャッチャー・イン・ザ・ライブラリー」というお話も、スポーツがテーマだった。
私はそういタチなのかもしれない。
自分が今まで真剣にスポーツに打ち込んだことがない・・からこそ、憧憬の念があるのかもしれません。

そんなこんながあるせいか、『風が強く吹いている』はなんだか、昔自分が書こうとして書けなかった小説の完成版のような気がしました。
この感想って、ある意味ものすごく図々しいかもしれない、とは思うんですが、そう思っちゃったんだからしょうがない、と開き直ってここに書く。
そして、数行前で「完成版」と書いたけれど、この三浦さんの小説が完璧だと思うという意味ではないことも付け加えておこう。

瑕疵はいろいろある小説だと思います、これ。
まあ、多くの人が「リアリティに欠ける」的なコメントはしただろう。
でも、私が思う瑕疵はそっちじゃない。
私が思う瑕疵は志を邪魔しない瑕疵、だからどうでもいいのだ。

そうなの。
志のある小説だなあと思うのです。
自分が昔書きたかった小説は志のある小説なのだった、と思い出したのです。
そういう意味でも読んでよかったです。

by kuni19530806 | 2012-04-25 23:31 | 読書 | Trackback | Comments(0)

シンプルな暮らしの設計図

柳沢小実『シンプルな暮らしの設計図』を読む。

ビックリするほどピンと来なかった。
現在、巷に数多く出回っているいわゆるシンプルライフ、ミニマムライフの提唱の本で、片付けの基本やコツが書かれているのだが、金子由紀子さんや大平一枝さんのような「持続はしないけれど読んでいる間と読み終わって数時間はやる気になる」もなく。
もしかしたら、すでに他の著者で読んで「知識としては知っている」ことばかりなので新鮮味がなかったのかも。
知識としては知っていることと、自分がやれることの間の乖離はすっごいわけですけどね。

まあ、ぶっちゃけ、誰の何でもいいから、自分をその気にさせたいだけ。
こういう分野の本は見事に自分に「残らない」中で、後藤由紀子さんの『hal日和』はけっこう効いてる。
相性、なんでしょうか。

by kuni19530806 | 2012-04-15 23:25 | 読書 | Trackback | Comments(0)

あめりかむら

肉体的にはけっこうヒマなのに気持ちはドタバタしていた。
ドタバタというより、ジタバタかも。
なんだか、子どもの頃の夏休みの終盤みたいだ。
宿題はあらかた終わったけれど、実はいちばん気が重いモノが残っていて、ぐうたらしながらも落ち着かないあの感じ。
夏休みと違うのは、その終わりの日がはっきりわからないこと。

まわりくどい言い方をしてしまったが、夏休み=父親の小康状態、を指す。

いろいろあったが、父親は知り合いの女性の「私がめんどうを見る要員に加わりましょう」という申し出を受ける気持ちになってきたようだ。
私としてはこんなにありがたい申し出はなく、それを拒否した父親には当初ものすごくうんざりしたわけだが、押しが強くにぎやかな女性との会話を自分が繰り返すうちに徐々に「父親の気持ちもわからないわけでもないな」という気持ちになってきて、しかも余命いくばくもない人間に自分の都合で無理強いする加減もよくわからず、父親と申し出者双方からの電話攻勢でいろいろめんどくさくなり、うっとうしいようなじれったいような情けないような気の毒なような割り切れないような割り切ることに決めたような、数日を過ごしていた。
落ち着かない最たる理由はそこでした。
が、女性から「呼び出しがあったんですよ」と、ちょっと華やぎすら感じられる連絡があって、ホッとした。
まだ一歩めだが、とりあえずホッとしたのだよ。
双方の気持ちはわからなけれど。
特に、女性の気持ちは正直、全然私にはわからない。



石田千『あめりかむら』を読む。
自分より年下で、こういう世界をこういう風に紡ぐ女性には羨望にも似た感情を抱くが、同時に「作者が自分に都合よく作り出した世界で登場人物も駒に過ぎない感じがすごくしてしまう」というおよそ好感とは言えない気持ちも湧いて、二律背反な(?)読後感。
やってることに間違いはないし、印象も悪くないし、一目置きたいし、どちらかというと好きなタイプなのに、なぜか好きになれない人、みたいな小説。
それは私の石田千さんに対する気持ちってことなのかなあ。

by kuni19530806 | 2012-04-12 21:49 | 読書 | Trackback | Comments(0)

白いしるし

Eテレの「ららら♪クラシック」がけっこう面白い。
「N響アワー」が終わったのは残念だけど、巷のその声を反映してか、この新番組でもわりとN響の演奏をやってくれる。
むしろ、他の交響楽団や弦楽四重奏と対比できて、あらためてN響の正当性ぶりというか優等生ぶりというか(韻を踏んでみました)がうかがい知ることができる感じ。

本日のテーマはモーツァルト。
映画「アマデウス」でグリグリと印象が強固になった世のモーツァルト象に疑問を投げかける番組構成。
それ自体、ベタな切り口ではあるけれど、つい「どーせ天才でしょ」で思考停止してしまうモーツァルトなので、意外な側面を垣間見ることができて面白かった。


西加奈子さんの『白いしるし』を読みました。
濃厚な、それを白で喩えるなら練乳のような恋愛小説です。
ヒロインは32才で絵を描く夏目香織。
妙齢です。
白い絵を描く間島昭文に恋をします。
間島には恋人がいます。
夏目はそれを知りつつも自分の気持ちを押さえられません。
玉砕覚悟の恋です。

直球勝負のコイバナですが、濃厚なわりに粘ついてはいません。
後味も悪くない。
ついでにいうと、エロくもない。
まるで、十代のような恋、ともいえる(十代の恋がエロくない、という意ではない。あくまでも雰囲気)。

西加奈子さんって巧い人なのだなあ。
大阪弁が効いているってもある。
間島の描写など、こりゃあ「あかん」、一定の女子は持ってかれるだろ、と思うもの。
ふたりを出会わせる瀬田の側面が私はちょっと違和感あり、でした。
人にはいろんな面があるだろ、とは思うけれど、なんだか。

恋愛ねー。




突然ですが、今日買った紙芝居は以下2点。





by kuni19530806 | 2012-04-08 23:11 | 読書 | Trackback | Comments(0)

もう、ビニール傘は買わない。

新年度も4日目。
職場は全く変わりばえしないので新年度の実感が湧きません。
今更、新しい環境で新しい人間関係を構築するのはすっげえめんどくせーので「全く変わりばえしない」のはとてもありがたいことではあります。
危惧すべきは、こうなると私のようなユルい人間はなあなあになって失態を犯しがちなので気をつけよ。
既にいろいろやっちゃってるし。

大平一枝著『もう、ビニール傘は買わない。』を読む。
副題は「暮らしと自分を変える60の習慣」です。
巷の賢いミセスを席巻している(?)シンプルライフ提唱の本、という括りでよろしいかと思います。

こういう暮らしの敵(に近いモノ)は、百円ショップ、買いだめ、タダでもらえる景品、電子レンジ、電気炊飯器、そして透明のビニール傘・・とだいたい相場が決まっています。
味方は、糠床、手作りジャム、玄米、マイ水筒、せいろ、自然素材の服、手ぬぐい、フリマ、ナチュラルメイク・・あたりでしょうか。

シンプルライフは文字どおり質素な生活が基本中の基本ですが、すて奥(すてきな奥さん)系の、やみくもな節約生活とは違います。
これぞというモノには大枚はたくことはやぶさかではない。
食器をはじめとした什器類はむしろ、庶民感覚より一桁多いぐらいのお値段の「作家さんの器」を吟味して選んだりしています。
食材も、最優先が「安全で安心できること」なので、安いからという理由で買ったりは決してしません。

こういう本を書く方々は総じて「自分はずぼら」「めんどくさがり」「整理整頓下手」と自己評価します。
確かに、細かい整理が苦手でめんどくさがりだからこそ、ポイントを決めてモノを買い、数を増やさないで暮らすことに工夫を凝らす、というのは大ありかと思います。
わかるよわかるよ。
私も同じ・・と言いたいところですが、どうして自分はシンプルライフができないのかっちゅう話です。

貧乏性、もしくは真正貧乏で、「好きなモノには大枚はたく」という英断が下せない。よって場当たり的にモノを購入してしまうから、でしょうか。
それは確実にあるな。
ズボラとかめんどくさがりとか下手というレベルと基準が、シンプルライフを実践している層と自分とでは違い過ぎるから、でしょうか。
それも残念ながらありそう。

でも何よりの違いは、私におけるシンプルライフの提唱者である、この大平さんや金子(由紀子)さんや後藤(由紀子)さんやあおきみさんや一田憲子さんや柳沢小実さんって、頭が良くて体力と気力がありそう。
そして、真面目でちょっと頑固そう。
これだな、自分に欠けてるものは!?

そして今ふと思った。
私は家ではすごくずぼらで時間にもいい加減で、気がつくと自室で横たわっていることが多いけれど、仕事では案外そうでもないこともある。
特に、仕事で本棚を整理整頓させるとけっこう早いよ、私。
まあ、それが仕事だからといえばそうなんだけどさ。
時間も守るし、どっちかっていうと過剰に早く「1人集合」してしまう方だ。

そうか。
考えてみると、上で列挙した方々は、シンプルライフを実践することが「仕事」なわけだ。
となれば、職場では違うスイッチが入っているかのような私と同じく、日常がスイッチオンモードってことなのかもね。
しんどそうではあるけれど、ここが肝かも。
怠惰な非シンプルライフから脱却するには、私もそれを「仕事」にすればいいんじゃない?

自分が本当に脱却したいか、が次の肝だな(^_^;)

by kuni19530806 | 2012-04-04 23:37 | 読書 | Trackback | Comments(2)

できることをしよう

本日は今季最高の花粉飛散量だった気がする。
風も強かったし。
ああ、鼻が目が身体がカユイ~(>_<)

『できることをしよう。―ぼくらが震災後に考えたこと―』糸井重里・ほぼ日刊イトイ新聞/著 を読む。

最後の糸井重里ロングインタビュー以外は、震災後のほぼ日刊イトイ新聞のコンテンツを書籍化したものです。
震災後、特に震災直後は、ネット界隈の情報があまりに錯綜していて不安でたまらなくて、とりあえず「ほぼ日の情報を自分のよりどころにしてみる」ぐらいに頼ったりしたので、今読むと当時を追体験しているみたい。
特に最後のロングインタビューは、3/11以降の「今日のダーリン」の解説的な感じもあるので震災直後をすごく思い出しました。

やっぱり、良くも悪くも「抜け目ない人」だよなあ、糸井重里って。
癪に障るっていうか、ちょっと信用できない感じが逆に信用できるっていうか(笑)。
直球と変化球の使い分けが絶妙な人だなあとは以前から思っていましたが、震災以降、直球の球種もいっぱい持ってるなあと思った。
言葉をもて遊ぶプロだなともあらためて感じた本でした。

これを読んで、本当にいろんなことを知りました。
「福島の特別な夏。」なんて、福島出身者には地理的歴史的背景も含めてかゆいところに手が届く素晴らしいレポートでした。
自分の母校もちゃんと登場してたし。
相双連合の1校、相馬農業高校の隣に住んでいた幼い頃の自分もじわじわ甦っても来ました。
クロネコヤマトや西條剛央さんがどう動いたか、も具体的に知ることができた。
ほぼ日、ありがとう!と素直に思います。

なんだかんだ言っても、ほぼ日は興味深い組織(?)です。
知り合いにひとりぐらい関係者が居てほしいくらいです。
職場の同僚約1名に「ほぼ日に就職する気ない?」と唆しているんだが・・・。

あ、そういえば、一年前の職場のイベントは、そもそもはほぼ日経由でお願いしたんだった!
繋げとけばよかった!?
でも、仲介をして下さった人の名前(ハンドルネームだけど)を間違えてメールしたんだっけなあ、私。
ずいぶん経ってからそれに気づいたんでした。
失礼な話だ。

最後に、樋口可南子さんは想像以上に大人みたいだ。

by kuni19530806 | 2012-03-21 20:27 | 読書 | Trackback | Comments(0)

眺望絶佳

中島京子『眺望絶佳』を読む。
短編集です。
スカイツリーと東京タワーの往復書簡(書簡・・かな)の間に、東京を舞台にしたと思われる短編が8つ入っているという凝った構成です。
短編はどれも、現実と夢のはざまのような、幻惑されて自分をちょっとどっかに持っていかれそうな、それでいてリアルな息遣いが聞こえるかのごとき、摩訶不思議な味わいのあるものばかりです。
いくつかの短編には、ちょっと前に新聞の社会面を賑わせていた事件や話題を彷彿させるものがあったりしますが、その観点で言うと際立っているのは、「亀のギデアと土偶のふとっちょくん」です。
震災の日の東京が描かれています。
そして最後の東京タワーのスカイツリーへの復信。
印象的です、とても。
中島京子さんという、私にとっては稀代の書き手が東京タワーをイタコにして語らせた現在の東京、もしくは作家の心のありようのような気もします。
ちょっと揺さぶられました。

一部引用。
<わたしたちにはなにもすることができません。ただ、でくの坊のように立ち続けているだけです。立つこと以外に、我々にできることはなにもありません。
それでももう一度、あなたに言いたい。
あなたとわたしは立っていなければなりません。
照っても降っても、荒れても凪いでも、常に堂々と立っていなければなりません。それだけがわたしたちにできることであり、立ってさえいれば人々はわたしたちを見上げて安心し、明日を生きる活力を身に蘇らせることができるのです。
いつかわたしたちは不可抗力で、立っていられなくなるかもしれない。それでもその日が来るまでは、わたしたちは立ち続けなければなりません。>

by kuni19530806 | 2012-03-15 22:24 | 読書 | Trackback | Comments(0)

平成娘巡礼記

月岡祐紀子さんの『平成娘巡礼紀 四国八十八カ所歩きへんろ』を読む。

無意識に「さん付け」してしまったのは、先日、瞽女三味線ライブに行ったことと、仕事関係でこれからもお目にかかる予定だからです。

そういう贔屓目(?)抜きにしても、この本は予想外に良かった。
これは、今からほぼ十年前、月岡さんが24才のときに挑んだ歩きへんろの記録です。
本(文春新書)の刊行は2002年8月。

これを読むと性善説を信じたくなってしまいます。
とにかく、四国の人々がこぞって優しい。あたたかい。
おへんろさんのサポートを、地元の人々は「お接待」と称して、当然のことのように生活に組み込んでいるようです。
それを素直に瑞々しい感受性でキャッチする著者の気立ても心地よい。
特別、文才とかを感じる文章ではないけれど、的確な描写と構成でとても読みやすいです。

瞽女三味線を継承しているからといって、佇まいから孤高・・みたいなことは全然なさそうな、感情豊かで妙齢なお嬢さんが、芸に精進する、ある種の決意表明で歩きへんろをする、というのが清々しい。
そして十年後、月岡さんは実際にたいした表現者になっているわけで、その原点がこの歩きへんろだったりするのかなあと思うと、読む側の感慨もひとしおです。

人は優しくもなれるし、優しさを失うことも容易くできるのだろうな。
四国八十八カ所巡礼の旅に出たくなった。
この本を3月11日に読み終わったというのもちょっと感慨深いかも。

by kuni19530806 | 2012-03-12 22:01 | 読書 | Trackback | Comments(0)