カテゴリ:お出かけ( 94 )   

柴又黄金のコース、他   

最近、忙しぶっていてナンですが、別な場所に書いた数日前の記録。
↓↓
出勤したら、図書担当の先生から

「1時間目と3時間目と4時間目に1年生のオリエンテーションをお願いします」と言われました。

ひゃあ!来週の約束だったのに~。

今日はまず、その仕込み(オリエンテーション用紙芝居作り)をするつもりが、急遽、それなしでの本番。

と、途中までできていたのに。

あと小一時間で完成するのに。




しかも、2時間目にも3年生が図書室に来て、紙芝居を完成させることも

1時間目の失敗(?)を立て直す策を考えるヒマもなく

その合間に校長先生(女性)に「今月号の図書だより、まだもらってないんだけど~」と言われ

(そりゃそうだ。まだ出してないからよ)

作ってはあったので汗だくで600人分印刷して、クラスごとに数えて

午後は、PTAの図書係の連絡ノートの

「先週のノートにも書きましたけど、学級文庫の運営計画はどうなってますか」の返事を書き(大作)

3年生のオリエンテーションの日程を調整し、どさっと届いた図鑑の装備と登録をして

ヘロヘロで帰宅・・・。
↑↑↑
とまあ、こんな感じ。

それでも、慣れた、ずいぶん。
何より、子どもの前で話すことに慣れた。

昨日は、友達と柴又散策へ。
私は見てないんだが(というか、一度も見たことがないんですが)モヤさまで最近、柴又をやって、友達が急に行きたくなったとのことで、当初、会う予定だった人形町から変更になった。
考えてみると、私は柴又に一度も行ったことがなく、とてもいい機会だった。
お天気もちょうどよかったし。

帝釈天⇒山本亭⇒寅さん記念館&山田洋次ミュージアムという、黄金のトライアル(?)訪問。
っていうか、柴又に行ったらまあまあたいていの人はそうでしょう、みたいな感じだけど。

山本亭が存外によかった。
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そして「寅さん記念館」はすごく楽しかった。
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葛飾区、いい仕事をしてるじゃないか。


ところで、今日会った友達は、この春、30年ぐらい(たぶん)勤めた会社を辞めた。
いろんな思いがあるだろうけれど、すっきりした顔をしていた。
だんなさんと、大事にしている犬と、夫婦の親のこと・・そしてもちろん自分のこと、を考えながら、少しのんびりして、そして仕事をまた探すのかもしれない。

ひとつの会社に30年!
あたりまえだが私とは違う人生だ。
でも、「自分と対象的」だとも思わない。
同じ会社で働き続けることも、転職を繰り返すことも、フリーになることも、家のことに従事することも、「優先順位を考えて決める」という意味では同じことなのかもしれないし。
自分の友達には意外と、ひとところで働き続けている人、が多いことにいまさらながら気づく。
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by kuni19530806 | 2015-04-23 22:01 | お出かけ | Trackback | Comments(0)

伯父の訃報   

3月28~29日で喜多方に行ってきました。

母方の伯父が亡くなったのです。
90才という年齢ですし、心臓に持病を持ち、今までニ度、なぜかどちらも旅行先で倒れたとのことなので、傍目には「ある程度の覚悟はしていただろう」ですが、覚悟なんてできないもんです。
それは自分の経験でもよくわかる。

伯父は、自転車に乗って近所のスーパーに行くのを日課にしていたようで、その日も出かけ、スーパーの駐輪場で倒れ、そのまま逝ってしまったのでした。

救急車が到着し、心肺停止状態であることがわかると、救急車は近隣の中心都市である会津若松市の大きなA病院に連絡をとり、そこからドクターカーを走らせてもらい、途中で合流して、伯父はドクターカーの中で専門的な蘇生処置を施されたようです。
それでも残念ながら戻ってくることはなかった。

伯父が住所や名前や連絡先を携帯していたことと、伯父の長男(私の従兄)Rちゃんは地元で小児科医をしていて、偶然にも週に一回A病院の小児科で診察を受け持っていたことで、Rちゃんのところにはドクターカーから直接連絡が入り、蘇生が叶っていないことを知らされたそうですが、Rちゃんは、近所に住む自分の母親にはそのことを電話では伝えられず、ただ「お父ちゃんがスーパーの店先で倒れて救急車でA病院に向かっている。今から車で迎えに行くから、お母ちゃんも準備して待っていて」と言ったそうです。

それを聞いた伯母は、自転車で転倒してケガをしたのだろうと思い、まさか心肺停止とは思わず(当然です)、入院の準備をせねば、と、下着や洗面道具を集めはじめたそうですが、それが終わらないうちに息子の車が到着し、「まだ入院の準備ができないからもう少し待っててくれ」と言ったとのこと。
Rちゃんはそれを聞き、意を決して「お母ちゃん、その用意は要らないと思うよ」と告げると、伯母は一瞬きょとんとした顔をし、「そうか。わかった」と答えたそうです。

そして車は30分ほどでA病院に到着。
連れて行かれた場所は、診察室でも手術室でも集中治療室でもなかった。
そして部屋に入って、あまりのことに驚き言葉を失った伯母。

そう。
伯母の「わかった」は、Rちゃんの意図したことを察したのではなかったのでした。
入院の必要がない軽いケガ、もしくは、A病院は病院で指定された入院着や洗面道具しか使わせてもらえないのかと思った、だったようなのでした。
なんだか、そういう「非常時はことさら自分にしっくりする解釈をついしてしまう」ってものすごくわかる。



去年の11月、私は急に思い立って、友人3人と喜多方に行き、伯父伯母、Rちゃんと一緒に夕食を食べました。
それまでは何年も喜多方には行っていなくて、伯父にとって私はイチバン不義理な姪だったのに、そんな私が、甥姪の中で元気な伯父に会った最後の人間になったのでした。

去年の11月の伯父はとても元気そうで、終始ニコニコしていました。
私に「元気でやってるか。うんうん。ならいいんだ」と言った伯父。
一緒に喜多方に行った友人のひとりが、会食の数分間を動画に撮影してくれました。
そこには、好々爺の見本みたいな伯父が映っています。
行ってよかった会えてよかった動画を撮ってもらってよかった。


今回、連絡をもらい、義母のデイサービスへの送り出しを済ませ、土曜日の午後に喜多方に到着しました。
そのままタクシーでセレモニーホールに行くと、ちょうど納棺式が始まったところでした。
そこには、見慣れない若者がたくさん。
全員、伯父の孫でした。

伯父にはRちゃんを筆頭に、Hちゃん(男)、Fちゃん(女)と3人の子どもがいますが、3人にはそれぞれ、2人、3人、3人の子どもがいます。
少子化のこのご時世にはめずらしいことに、伯父は8人の孫がいたのでした。

末っ子のFちゃんが私より2才年上なので、その子供たちもみな20代~30代前半。
伯父にはひ孫もふたりいて、どちらも最近生まれたばかり、そのうちのひとりRちゃんの長女のAちゃんの子どもは、伯父が亡くなった翌日に初めてひいおじいちゃんに会いに来る予定だったそうです。
伯父はそれを心待ちにしていて、認知症でもないのにそれまでの一週間は毎日伯母に「Aと子どもはあと何日で来るのか」と聞いては呆れられていたそう。
今回倒れたスーパーも、伯父は、やって来る孫とひ孫のために何か買おうとして行ったのではないかと言われています。


Aちゃんは18才まで喜多方で暮らしていました。
15年前、私の母親が喜多方の病院で危篤状態になったとき、夜中だというのにRちゃんと一緒に病院に駆けつけてくれて、私の母親の足をずっとさすってくれたのが、当時高校生だったAちゃんでした。
それ以来、15年ぶりに会うAちゃんは、顔立ちは高校生のままながら獣医になっていて、乳飲み子を抱きながら号泣していました。
(続くかも 続かないかも
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by kuni19530806 | 2015-03-31 21:34 | お出かけ | Trackback | Comments(1)

ラカグ&昔勤めていた会社   

神楽坂に行く。
21才~27才まで働いていた某公益法人(現在は一般社団法人)の会社がそこにあって、今もそこで働いているかつての職場の先輩で、長年親しくしているKさんに面会に。
私の古い友達には「なっちゃんのお母さん」と言った方がとおりがいいかも。

なっちゃんが生まれたときのことを書いて、私はCREAという雑誌のコラムの賞に応募してグランプリをもらったのだ。
そのなっちゃんが今年は大学受験だってよ。
CREAは遠くなりにけり、です(まだあるけど、心情的に)。

Kさんはいつもすっごく大変な人生で、今もそうだ。
私は手をこまねいているばかりで、早、付き合い出して30余年になる。

たった1時間の面会だったけれど、行ってよかった。
そのうちの20分ぐらいはネコの自慢をしていた気がする。

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ラカグ正面。ウッディー!


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ラカグ側面。別モノみたいだ。


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ラカグ背面。もっと別モノ感。


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かつての会社はそのままでした。
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by kuni19530806 | 2015-01-26 17:42 | お出かけ | Trackback | Comments(0)

銀座   

銀座に行ってきた。
到着したのは昼前だったが、すでにすごい人出。
でも東銀座方面の裏通りに入ったら人がまばらになった。
福井料理のお店でお昼。

久々のメンバーで話し込んだ。
楽しかった。
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教文館書店は毎年恒例のこれ。


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メインは、ミキモトのツリーを見ること、だったが、こっちのインパクトが凄かった。
ブルガリの白蛇。
正直、悪趣味だと思った。



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夕暮れの空がキレイだったが、大勢の人はみなクリスマスツリーを撮るばかりで注目されてない。
しかも、自分のこの画像では美しさが伝わらん。
まあ、いいけど。



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一応、今回のメインのツリーも。
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by kuni19530806 | 2014-12-23 23:12 | お出かけ | Trackback | Comments(0)

深川散策   

12月12日、深川散策。

まず清澄白河駅近くの「深川江戸資料館」へ。
江戸的なものは好きだけれど、区の施設だし・・と期待度はふつうだったが、裏切られた。
いい意味で。
思っていたのより10倍ぐらいは大掛かりで、100倍ぐらいお金をかけてる感じがした。
江東区、お金持ちなのか?!みたいな。
だったら小学校も・・以下自粛。

平日で来館者が少なめだったこともあってか、入るなりボランティアのガイドの人がすかさずやってきて、ずっとガイドしてくれた。
入口のすぐ近くの屋根にネコがいるのだけれど(もちろん本物ではない)、それが定期的に鳴く・・のかと思いきや、センサーが作動して、人が入ってくると鳴いてお知らせするらしい
その鳴き声でガイドさんがやってくるシステム・・・ということを後でガイドさんに聞いて知った。
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江戸の深川の町が再現された館内は、とにかく、家の中に入っても、モノを触っても、引き出しを開けても、写真を撮っても、全てOKというのがすごく麗しい。
触ることを想定してるせいか、作り物の、たとえば野菜、こんにゃく玉、の手触りもわりと本物に近くて、リアリティがあって面白かった。
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商家、職人の家、川べりの船宿(宿というより休憩所)、蔵、屋台の蕎麦屋、お茶屋(違う呼び名だったかも)、火の見櫓、長屋、トイレ、ゴミ捨て場、などなどまでが緻密に再現されていた。
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ガイドのオジサマの「教えたい!」「言いたい!」の前のめりな姿勢が、来館者によってはどうなのか微妙だけど、ただ館内を巡るのとは違って、小さい草履や「久松るす」のお札の意味、船宿の台所が意外に狭いこと、厠の扉が関東と関西では違うこと、などを教えてくれて楽しかった。

後半、あまりに空腹でちょっと上の空になってしまって、申し訳なかった。


深川名物の深川飯(炊き込みご飯の方)を食べた後は、深川東京モダン館へ。

ここは、昭和のはじめに東京市深川食堂としてオープンしたところだそうで、現在はこのあたりの観光案内所の役目を担っているらしい。
「モダンな食堂」は土日のみの営業だそうで、垣間見ることはできなかったが、建物がオシャレで、階段などもステキだった。
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by kuni19530806 | 2014-12-14 21:00 | お出かけ | Trackback | Comments(0)

顔面遊園地 ナンシー関 消しゴムの鬼   

11月22日、渋谷PARCOで開催していた『顔面遊園地 ナンシー関 消しゴムの鬼』に行く。

PARCOの告知を貼ろうとしたけれど、25日までだったから貼れなかった。


そうか、ナンシー関が亡くなったのは2002年だったのか。
2003年だと思っていた。
っていうことは、13回忌に合わせての開催だったのか。
ってことは、2008年に同じ場所で開催された大ハンコ展は、7回忌だったってことなんだな。
当時は認識していたのかもしれないけれど、今、腑に落ちた。

2008年の展示の方が面白かった。
それは自分の気持ちのありように由来するのかもしれないけれど、ナンシーの仕事部屋が再現されていたり、ゆかりある人々のいろんなコメントが流れていたり、随所に遊び心・・裏を返せば、ナンシーの不在がまだ生々しかった。
5年以上経っても、自分を含めてそうなんだあと、ある意味、衝撃だった記憶あり。

今回、やはり「この世界はナンシーを喪ってしまったのだ」感はひしひしと覚えたけれど、月日の分、諦観は強くなった。
その諦観と、それをヨシとするのはまた別で、6年前より「それじゃマズイだろう」は上回っている気もしたのだけれど、ナンシーの死を受け入れてしまっている世間、関係者、自分がいた。


twitterでもちょっとつぶやいたけれど、ナンシーの死後、ナンシーと交流のあった人々の仕事が気になる。
今回の展示の主催者の町山広美右衛門とか。

ナンシーの対談相手の中でも、私は町山さんがいちばん好きだった。
『隣家全焼』や『堤防決壊』。
リリーや大月教授との化学反応も好きだったけれど、女同士特有のシニカルさは、ナンシーものにはちょっと貴重で、暴走っぷりもなんだか歯止めが効かないデンジャラスな感じがあって、読んでいてワクワクした。

正確な文脈では覚えていないけれど、町山さんが他の媒体での自分の文章や発言を恥じたり、「ナンシーに怒られるのは覚悟」と開き直ったりしていることがけっこうあった気がする。
そういうことにもシンパシーを覚えた。

今、町山広美のナレーションをたま~に聞くことがあって、そのたび「これ、ナンシーが生きててもやってたのか」と思う。

要するに、私がそのナレーションに違和感を持ってるということなのだけれど、ナンシーでもないくせに、ナンシーの威を借りて批判ポジションに立ちそうになるわけだ。
われながらかっこ悪いので、ギリギリで気づいてやめるけれど、ここで書いちゃったら、やめてないのと同じだ。
バカ。

バカついでに書くと、糸井重里と妙に昵懇な最近の清水ミッチャンにも、ナンシーの威を発動しそうになる今日この頃。

実は、ナンシーが生きていたらいちばん読みたいのは、最近(特に震災以降)の糸井重里評なのだ。

私には、どこかうさんくさくて、でもなんだかんだと気になるほぼ日の世界観(!)を、あのコラムを、ナンシーに看破して欲しい気持ちがある。

でも、この感情のめんどくさいところは、同時に、ほぼ日に安心させられている自分のいるところで、そのあたりも含めて「ナンシーがいればなあ」と思う。
あらためて思っちゃう。


ナンシーを見てランチを食べた後は、誘ってくれた友達ご推薦の喫茶店に行く。
マメヒコというお店だった。
こだわりのお店っぽかった。

オーダーしてからかなり待たされたが、「このお店の雰囲気は待つことも楽しいでしょ」的お店の自負を感じた。
実際にそうだったけど。

一緒に行った友達は、話が面白くて、洞察力があって、そういう人との会話は「ふだん使っていない自分の脳を動かしている」自覚があって楽しい。
だから、待たされてもいいわけだけどね。

カンボジアプリンが美味しかった。すごいボリュームだった。
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友達が食べた焼きリンゴも相当なシロモノだった模様。
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by kuni19530806 | 2014-11-26 10:08 | お出かけ | Trackback | Comments(0)

喜多方記録⑤   

お昼前の磐越西線の上り会津若松行きが来なかった。

五十島(いがしま)駅付近で落石のため、というアナウンス。
落石!?

五十島は、喜多方と新潟(磐越西線終点)のちょうど中間ぐらいの場所で、新潟県東蒲原郡阿賀町の駅だ。
行ったことはないが知っている。
なぜ、知っているかというと、「いがしまのおばさん」なる伝説の人物がいたから。

このおばさんが、どういう血筋に当たるのかは全くわからないのだが、とにかく母方の祖父の親戚で、嫁に行った先がお金持ちで、でもものすごく吝嗇だとかなんとか、私の子どもの頃、ほぼ伝説になっていた。

五十島で水害があり、家が流されかけたときは、手伝いに来てくれた善意の人を「お金を盗られるから」と追い返しただの、お札を庭に並べて干しただの、真偽が定かではない話を漏れ聞いた。

なにしろ、伝説だから。

とにかく、ひどく山奥らしい、五十島。
そういう意味では、落石もさもありなん。

駅員さんに聞くと、実際に落石があったわけではなく、落石の警報が鳴ったということらしい。
でも、詳細はわからないようで、もしかしたら実際に落石があった可能性も否めない。
復旧の見通しを聞いても「わかりません」で、友人の「こういうことはよくあるのですか」という質問には「めったにありません。1年に1回ぐらいです」とのこと。

けっこうあるじゃん!!

とりあえず、会津若松で会う予定の、磐梯町在住の友達に電話を入れる。
たぶん、もう磐梯町の家を出、若松に向かっているはずだから、状況を説明せねばならん。
そもそも、電車が止まってるって、帰れるのか、私たち、みたいな。

友達の判断は早かった。
「止まってる?じゃあ、喜多方に迎えに行くから、そこで待ってて。ひとつ用事を済ませて行くから、40分ぐらいかな」

ありがたく好意に甘えることにし、帰りの乗車券を喜多方~東京⇒会津若松~東京に変更した。

そして、友達の車で会津若松に行き、5人で鶴ヶ城でお昼を食べた。
お城は紅葉がすごくキレイだった。
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バタバタと観光し、3時過ぎの郡山行きに乗って、新幹線に乗り継ぎ返って来た。

落石の影響で会津若松~郡山の電車の遅れも懸念されたが、定刻どおりに到着し、よかった。

これで記録は終わり。


いろんな思いが交錯した2日だった。

自分がかつて3年間暮らした家のこと以外にも、50代なかばの現在と10代なかばが時に共存し、その間の数え切れないほどの帰省、母親の、交通事故、側溝への転落による骨折、そして死に至る病、のときのことなども思い起こされた。

そして、喜多方の閑散とした街並みに、まるで現在すら過去のような寂寥感を覚えた。
市内全体が過去を生きているような。
もちろん、そんなことはないし、それは失礼な話なのだけれど。

でも、最後に立ち寄った会津若松がやけにわかりやすい、リアルタイムな観光地に映ったので、なおさら喜多方の寂しさが際立った。

それはそれとして
とても楽しかった。
大げさだけれど、奇跡のような時間だった気がする。
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by kuni19530806 | 2014-11-23 20:23 | お出かけ | Trackback | Comments(0)

喜多方記録④   

あまり眠れなかった。
でもそれは想定内。
枕が変わった初日は眠れないのだ、私。
暖房の音も意外とうるさかったし、寝たり起きたりしていたら朝になった。

部屋の窓を開けて飛び込んできた風景。
会津の初冬の朝という感じ。
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早めに目が冴えてしまったので朝風呂に行く。
これぞ温泉の醍醐味。

予想より美味しかった朝食。
黒豆の納豆と、やまめの甘露煮、そして大根と油揚げとウチマメのお味噌汁が美味しかった。
ウチマメ、福島に住んでいる頃はよく食べたけれど、すっかりその存在を忘れていた。
また食べたい。
見かけたら買おうっと。
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食後は、非体調不良の1名を残して近場を散策。

旅館の前の小山(だと思う)をちょっと登ったが、足元が滑りそうな帰りが怖くて早々に引き返す。
4年前の左足骨折以来、足元が滑ることに、異常に恐怖心を覚える私。
あの、骨が折れていつまでもくっつかないトラウマはデカい。
引き返した地点の風景。
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旅館の前まで下り、今度は道なりにちょっと上に歩いてみる。
温泉神社の大杉があるというので、行ってみる。
けっこう階段が多い。

見事な大杉だった。
樹齢千年を超えているらしい。
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短い時間だったが森林浴をして気持ちよかった。
そして、10時の送迎バスで喜多方駅へ戻り、駅前の超有名喫茶店「煉瓦」でコーヒー。
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昼ちょっと前の磐越西線で会津若松に行って、そこで別の高校時代の友人とお昼を食べ、ゆっくりし、3時過ぎの会津若松発の列車で郡山に出て、そこから一気に新幹線で戻る・・はずが、そうは問屋が下ろさないのであった。
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by kuni19530806 | 2014-11-21 15:08 | お出かけ | Trackback | Comments(0)

喜多方記録③   

夕食は友達まりちゃんのお店、うららで食べた。

数日前の日記にも書いたが、今回の宿や食事などは、事前にまりちゃんにアドバイスをしてもらった。

彼女のアドバイスで朝食のみで宿を決め、夕食は喜多方市内でとることにし、ではどこに?とまりちゃんに相談したところ、あそこはこんな感じ、あっちはこういう風、と説明され、ふんふんと聞いていて、「じゃあ、どこがおすすめ?」と問うたところ、まりちゃんがしばし黙考の後、ぼそっと「うぢの方がうめがもしんになあ」とつぶやいた。

まりちゃんのお店は甘味処と銘打っているが、実はメニューが幅広い。
おにぎりも鍋焼きうどんもピザもある。
そして、アルコール類は持ち込みしてもらって、宴会も承っている。
その料理も美味しいと聞いたことはある。

今回、私を含めて4名のうち半分は肉が苦手だし(はい、その半分は私です)お酒は特に所望しないと思うし、美味しくてのんびりできて、事前に参加表明をしている伯父伯母従兄の家から徒歩数分と近いうららは、まさに渡りに舟、なのだけれど、いくら友達とはいえ、甘えていいのかなあという思いはあった。

しかもまりちゃん、食事をしたら熱塩温泉の宿まで車で送ってくれると言う。
熱塩、喜多方市内から、車で15分強、タクシーなら5千円ぐらいかかるのだ。

そんなに甘えていいのかなあと、まりちゃんとの電話口で私が躊躇すると、彼女は「いいんだよ~。私もいろんな人にお世話になって今日まで来ただから~。私も楽しいよ。みんな楽しい方がいいべ」。

そんなわけで、甘えることにした。
千円で美味しいお弁当を作る!と宣言してくれたまりちゃん。

私は写真が下手なので、美味しさが伝わらない気がするが、本当にすごく美味しかった。
郷土料理こづゆも作ってくれたし、ご飯にはお赤飯も乗っていた。
絶品はずんだ餅。
枝豆が粗くつぶしてあるところがすこぶる美味しい。
これぞ、心づくしだ。

ちなみに、お米もかつての同級生で農家をやっているAちゃん(女子)の手によるものだっだ。
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そして、うららの真骨頂、デザート。(自分が頼んでいないモノも含む)
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いやあ、美味しかった、なにもかも。

看板メニューのかき氷は、伯父伯母従兄が頼んだ。
ちょっと味見をさせてもらったが、きめ細やかな氷で噂に違わぬ美味しさ。

まりちゃん、もう20年以上もこのレベルを保持してがんばっているのだなあと思ったら、ちょっと泣きそうになった。

まりちゃん、いろいろあったしなあ。
私もいろいろあったけれど、ほぼ親兄弟のことだった。
まりちゃんにはずいぶん弱音を吐いた。
そんなあれこれが、一瞬だけれど文字どおり走馬灯のように駆け巡り、消えた。


シアワセな夕食を済ませ、8時頃に熱塩温泉、山形屋へ。

夕食をつけない分、部屋のグレードを上げた。
私の中に「3人にいい旅館だったと思ってもらいたい」というスケベ心が発動したのかもしれない。
広くてキレイな部屋だった。

同行者3名のうち、1名が風邪で、ちょっと調子が悪そうだった。
うららの夕食は完食していたが、1日の疲れが出たらしいのと、熱塩までの車に酔ってしまった模様。
もしかしたら、朝からこちらが思うより調子が悪かったのかも。

一緒に新しい図書館を作る仕事をしていたときも、いちばんの繁忙期にいちばん無理をして体調を崩していた1名。
そのことをちょっと思い出す。

とりあえず一眠りするというので、3人で温泉へ。

チャコール・バーデンという炭床低温サウナなるものがあるというので行ってみる。

まったりして気持ちよかった。
ちょっとだけ汗ばむ程度で、特に下半身がホカホカして心地よい。
ちょっと寝てしまった。
偶然だが、このサウナは、やはり高校時代の友人で、現在は郡山市在住のSさんの会社で作ったものだそうだ。
いや、何かと繋がりがあるなあ。

その後、通常の大浴場へ行った。
熱塩温泉のお湯は、その名のとおり、塩分が含まれていてしょっぱい。
身体も浮く。
そして、浸かった部位がツルッとするのを実感できる。
顔もお湯をかけるとツルスベ。


1時間以上経って部屋に戻ると、1名は起きていた、ちょっと復活していた。
そこからトランプの大貧民大会。

言いだしっぺは体調不良の人。
全員がほぼまんべんなく大富豪~大貧民を行き来し、日付が変わったので就寝。
これがヤング(!)なら夜通しやるところかもしれないが、平均年齢は40を超えてるし(私が上げてるわけですが)、やはり風邪の人は心配なので、私が寝よ寝よと言ったのであった。
明日もある、と。
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by kuni19530806 | 2014-11-21 14:38 | お出かけ | Trackback | Comments(0)

喜多方記録①   

喜多方に行ってきた。

日曜日、東京発8時の新幹線に乗り、郡山で磐越西線に乗り換え、会津若松で更に新潟行きに乗り換え、喜多方に到着したのは11時ちょっと過ぎ。
自分が上京した頃の、東北新幹線がまだない、喜多方~上野、急行で直通5時間の時代に比べれば近くなったけれど、それでも中通りに行くことに比べれば、同じ福島なのに格段に遠い。
今、浜通りはもっと不便だったりするわけだけれど。

そうそう。
8年前にはあった、郡山~喜多方の直通快速は消滅していた。
在来線1本で行けるというのと、乗り換えあり、というのでは、イメージが違う。

そんな諸事情のせいか、それとも時代が諸事情を誘発したのか、喜多方は閑散としてた。
駅舎はキレイになったけれど、降り立ったときの寂寥感は以前より増した気がした。
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これが駅前?!みたいな。

お昼は同行者のリクエストで喜多方ラーメン。
ネットのクチコミと地元の親戚の評価が一致した松食堂へ。
それまでの寂寥感がウソのように、その一角だけ、突如人口密度が高くなっていた。
行列!
でもそれは松食堂の列ではなく、隣の超有名店坂内の列。

そんなわけで、松食堂には並ばずに入ることができた。
ラーメンは美味しかった。

ラーメンのあとは、隣の古民家カフェに入る。
予定していたわけではなく、流れで。
これが正解でした。
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椅子席がふさがっていたので、別室である畳の部屋に通された。
最初は寒かったけれど、石油ファンヒーターが点火され、一気に温まり、写真のコーヒーは美味しかった。
友達んちに上がり込んだような気分で、なぜか部屋にいたカマキリを眺めたりしながら、まったりした。

聞けば、昔は料亭だったそう。
自分が住んでいた頃には全く気づかなかった喜多方がそこここにあることを実感。

店を出、高校時代に見慣れた景色や新しい景色を眺め、今回の主目的であるお墓参りへ。

これが予想だにしない展開へ。

次回に続く。
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by kuni19530806 | 2014-11-19 22:11 | お出かけ | Trackback | Comments(0)