2015年 04月 05日 ( 2 )   

伯父の訃報4   

まりちゃんのお店の入店の儀式はいつもと同じ。
ドアを開けると、まりちゃんが元気に「いらっしゃいませ」と言い、私が「まりちゃ~ん!お久しぶりです」と厨房に声をかけて、「Mちゃん!なんだべ!いっつも急に」と言うお決まりのやりとり。
今回もそうでした。
ただ、今回は前回からあまり間があかず、しかも最近は携帯でやりとりもしているので、そんな中、連絡もせずに急に来た私をまりちゃんがちょっといぶかしがるように「なんかあったの?」と。

「あったんだよ~。去年の秋、ここに来たときに一緒にお夕飯を食べた伯父さんが急に亡くなっちゃったんだ」
それに対してのまりちゃんの返答は「うぢのおかあちゃんもだよ~」でした。
え~!?((((;゚Д゚))))

去年の秋、友人3人と喜多方に行き、まりちゃんのお店で伯父伯母従兄と会食をしたことはこの日記にも書きました。
伯父はまるで生き仏か仙人のようで、ニコニコ元気に微笑んでいましたが、まりちゃんのおかあさんもちらっと元気な姿を見せてくれたのでした。
風邪気味で「みなさんに伝染しては申し訳ない」と近くには来ませんでしたが、声は力強く、いつもの「まりちゃんのおかあちゃん」でした。
そのまりちゃんのおかあさんが?
まりちゃんのおかあさんも?

そうだよー。2月に急に。
病気があるのはその前にわかったんだけど、トイレで倒れただあー。
とのこと。
82才だったそうです。
なんてことでしょう。

まりちゃんの甘味処は、まりちゃんとおかあさんでやっていました。
メインはまりちゃんですが、繁盛しているお店なのでひとりでは切り盛りしきれず、おかあさんが手伝っていました。
かきいれどきの夏場は人を雇ったりもしていたようですが「やっぱ、気つかうべ。だがらなるべく自分でやりっちだ。おかあちゃんも手伝ってくれっから」と言うのを聞いたことがあります。

大変だったね、まりちゃん。
そして、これからも大変じゃないか、まりちゃん。
私が泣きそうになりながら言うと、彼女は「大丈夫だあ。今は気が張って大丈夫なんだべって言われっけど、Mちゃんのことどか思い出してんだよ、私」
あたし!?

そうだあ。
お母さんの看病をしに喜多方に帰って来たときの頑張ってるMちゃんを見てっから、私。
あんどき、ああ、自分にもいつかこういう日が来るんだなあって思っただ。
Mちゃんのお母さんはちょっと早すぎだけど、あのどきのMちゃんを見てて、なんかこういう言い方もへんだけど、自分もそういうときが来ることがイメージできたの。
あれがら、いろんな友達の親が亡くなるのを見て、少しずつ覚悟してきたっていうか、後悔しないようにお母ちゃんに優しくすっぺど思ったり、病気がわかったどきも、迷わねで「在宅で、店をやりながら看ます」って言ったんだよ私。
お母ちゃんも入院したくねえって言ってたし。

夜、ひとりで寝でっと不安になって「やっぱり病院にお願いした方がいいがも」と思ったりもしたけど、店の隣の部屋でお母ちゃんを看る方が病院と往復するより自分には合ってるって思ったし、そのためには体力つけなきゃど思って、スクワットとかピラティス始めただ。
そういうのに詳しいお客さんに教えてもらって。
足に筋肉もついただよー。
お母ちゃんには活かせなかったんだけど。


まりちゃん、エラいね。がんばったねえ。

んだよー、がんばってっぺ。
なんで自分にはいろいろ降りかかってくんのがなーと思ったりすっけど、わたしは大丈夫だ。
お店があるがら救わっちる。

私、母親のときはこのお店にしょっちゅう来て、弱音ばっかり吐いてたなあ。
恥ずかしいよ。

んなごどねえよ。
わたし、Mちゃんがあんどき言ったことどか、すごく覚えてて、今回もいっぱい思い出したんだよ~。

時間はあっという間に過ぎました。
まりちゃんに駅まで車で送ってもらい、私は東京に帰って来ました。
2日間、あまりにいろいろな濃い感情を味わったので咀嚼しきれず、列車に乗るやいなや目を閉じ、まるで記憶を遮断するように、うつらうつらしながら東京に戻ってきたのでした。

終わり


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by kuni19530806 | 2015-04-05 16:30 | その他

伯父の訃報3   

眠れずに朝を迎えたとはいえ、告別式の朝はお天気もよく、寒すぎず、爽やかでした。
セレモニーホールには20人からの親族が宿泊して賑やか。
故人の妻である伯母が11人兄弟ということもあって、顔の知らない親族もいっぱいいました。

告別式は朝9時半から。
最初に聞いたときは「早っ!」と思ったし、実際、その時間開始で日帰りはムリなので一泊にしたのですが、泊まったら泊まったで、みんな朝は早いし、大勢がうろうろしていて落ち着かないし、結局、8時には宿泊者のほとんどが会場前のラウンジに集合してしまい、地元の参列者も1時間前ぐらいから続々とつめかけ、「1時間前倒しで始めてもいいんじゃね?」ぐらいの雰囲気になりました。

喜多方で生まれ育ち、戦争に行き、無事帰り、喜多方で酒屋を継ぎ、結婚し、子どもを育て、隠居し、喜多方で逝った伯父だったので、たくさんの人が告別式に来ました。
同級生はもう少なかったかもしれませんが、とにかく、お焼香の列が長く続く告別式でした。
孫達がひとりひとり別れの言葉を述べました。
全員に「じいちゃん」と呼ばれていた晩年の伯父は、なんだか生きている間もすでに仏様みたいな雰囲気でした。

告別式の親族の席順は決まっていて、イスに名前を書いた紙が貼ってあったのですが、私は2列目で、伯父の孫の隣でした。
私の後ろに、伯父の妹である叔母とそのご主人。
私より年長の従兄も私の後ろです。
あれ?これでいいの?私、前過ぎない?

途中で気づきました。
私が座っている席は、母親が生きていたら座っていたであろうT橋家の長女の席だと。
母親は40年近く前に離婚して実家に戻り、自分の兄(伯父)より15年も早く死んでしまい、その息子である私の兄も9年前に逝ってしまった。
私は、自分の母親と兄の代わりに伯父の葬儀に来た意識は全くありませんでした。
それでも、結果的に、私は母親と兄の代理という役割でもあったのだ、とそのときはじめて気がつきました。
生きているということ、生きていくということは、先に逝った人間の分も生きるということなのだなあ・・途切れないお焼香の列を眺めながら、そんなことを考えていました。

告別式が終わり火葬場へ。
15年前の母親のときも同じ火葬場でした。
当時と全く変わらない建物を見てあらためて、伯父と母親、たぶん祖父母もこの同じ場所で灰になって空と大地に還っていくのだなあと思いました。

私の伯父の法要はここまで。
そのまま、なるべく早い列車に乗って東京に戻るつもりが、時刻表を見ると、約2時間先まで電車がありません。
それじゃあここに行くしかないと、友人まりちゃんの甘味処に寄ることに。
そこで私はとても驚かされることになります。

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by kuni19530806 | 2015-04-05 14:58 | その他