2015年 03月 31日 ( 1 )   

伯父の訃報   

3月28~29日で喜多方に行ってきました。

母方の伯父が亡くなったのです。
90才という年齢ですし、心臓に持病を持ち、今までニ度、なぜかどちらも旅行先で倒れたとのことなので、傍目には「ある程度の覚悟はしていただろう」ですが、覚悟なんてできないもんです。
それは自分の経験でもよくわかる。

伯父は、自転車に乗って近所のスーパーに行くのを日課にしていたようで、その日も出かけ、スーパーの駐輪場で倒れ、そのまま逝ってしまったのでした。

救急車が到着し、心肺停止状態であることがわかると、救急車は近隣の中心都市である会津若松市の大きなA病院に連絡をとり、そこからドクターカーを走らせてもらい、途中で合流して、伯父はドクターカーの中で専門的な蘇生処置を施されたようです。
それでも残念ながら戻ってくることはなかった。

伯父が住所や名前や連絡先を携帯していたことと、伯父の長男(私の従兄)Rちゃんは地元で小児科医をしていて、偶然にも週に一回A病院の小児科で診察を受け持っていたことで、Rちゃんのところにはドクターカーから直接連絡が入り、蘇生が叶っていないことを知らされたそうですが、Rちゃんは、近所に住む自分の母親にはそのことを電話では伝えられず、ただ「お父ちゃんがスーパーの店先で倒れて救急車でA病院に向かっている。今から車で迎えに行くから、お母ちゃんも準備して待っていて」と言ったそうです。

それを聞いた伯母は、自転車で転倒してケガをしたのだろうと思い、まさか心肺停止とは思わず(当然です)、入院の準備をせねば、と、下着や洗面道具を集めはじめたそうですが、それが終わらないうちに息子の車が到着し、「まだ入院の準備ができないからもう少し待っててくれ」と言ったとのこと。
Rちゃんはそれを聞き、意を決して「お母ちゃん、その用意は要らないと思うよ」と告げると、伯母は一瞬きょとんとした顔をし、「そうか。わかった」と答えたそうです。

そして車は30分ほどでA病院に到着。
連れて行かれた場所は、診察室でも手術室でも集中治療室でもなかった。
そして部屋に入って、あまりのことに驚き言葉を失った伯母。

そう。
伯母の「わかった」は、Rちゃんの意図したことを察したのではなかったのでした。
入院の必要がない軽いケガ、もしくは、A病院は病院で指定された入院着や洗面道具しか使わせてもらえないのかと思った、だったようなのでした。
なんだか、そういう「非常時はことさら自分にしっくりする解釈をついしてしまう」ってものすごくわかる。



去年の11月、私は急に思い立って、友人3人と喜多方に行き、伯父伯母、Rちゃんと一緒に夕食を食べました。
それまでは何年も喜多方には行っていなくて、伯父にとって私はイチバン不義理な姪だったのに、そんな私が、甥姪の中で元気な伯父に会った最後の人間になったのでした。

去年の11月の伯父はとても元気そうで、終始ニコニコしていました。
私に「元気でやってるか。うんうん。ならいいんだ」と言った伯父。
一緒に喜多方に行った友人のひとりが、会食の数分間を動画に撮影してくれました。
そこには、好々爺の見本みたいな伯父が映っています。
行ってよかった会えてよかった動画を撮ってもらってよかった。


今回、連絡をもらい、義母のデイサービスへの送り出しを済ませ、土曜日の午後に喜多方に到着しました。
そのままタクシーでセレモニーホールに行くと、ちょうど納棺式が始まったところでした。
そこには、見慣れない若者がたくさん。
全員、伯父の孫でした。

伯父にはRちゃんを筆頭に、Hちゃん(男)、Fちゃん(女)と3人の子どもがいますが、3人にはそれぞれ、2人、3人、3人の子どもがいます。
少子化のこのご時世にはめずらしいことに、伯父は8人の孫がいたのでした。

末っ子のFちゃんが私より2才年上なので、その子供たちもみな20代~30代前半。
伯父にはひ孫もふたりいて、どちらも最近生まれたばかり、そのうちのひとりRちゃんの長女のAちゃんの子どもは、伯父が亡くなった翌日に初めてひいおじいちゃんに会いに来る予定だったそうです。
伯父はそれを心待ちにしていて、認知症でもないのにそれまでの一週間は毎日伯母に「Aと子どもはあと何日で来るのか」と聞いては呆れられていたそう。
今回倒れたスーパーも、伯父は、やって来る孫とひ孫のために何か買おうとして行ったのではないかと言われています。


Aちゃんは18才まで喜多方で暮らしていました。
15年前、私の母親が喜多方の病院で危篤状態になったとき、夜中だというのにRちゃんと一緒に病院に駆けつけてくれて、私の母親の足をずっとさすってくれたのが、当時高校生だったAちゃんでした。
それ以来、15年ぶりに会うAちゃんは、顔立ちは高校生のままながら獣医になっていて、乳飲み子を抱きながら号泣していました。
(続くかも 続かないかも
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by kuni19530806 | 2015-03-31 21:34 | お出かけ | Trackback | Comments(1)