2015年 01月 17日 ( 1 )   

文章4種4様   

私は文章を書くのが好きらしい。

「好きらしい」なんてイヤらしい言い方だが、誰に頼まれるでもなく、昔から「書く」のだけは自発的にやってきたので、好きなのだろう。
好きじゃないかも、と思うこともたまにあるが、それは書きたくないことだったり、体調が悪かったり、強制されたり、のときだけだ。
考えてみると、仕事にしていないからそんなことは滅多にないな。

紙媒体で仕事として書かせてもらった時期もあるが、それはほんの一時期で、図書館だよりを作っていたことを除けば、この十年強はほぼインターネット上で書いてきた。

現在は
ウェブのほぼ女性誌 どうする?over40
チチカカ湖でひと泳ぎ

③エンジェルフォールで修行中
twitter


で、まちまちの頻度、それぞれの長さ、形式、で文章を書いている。

閲覧者の数(④は単純にフォロアー数)で並べると
①>④>②>③ だと思う。

はダントツの閲覧数。
私は末端構成員だが、もう丸2年、楽しく書かせてもらっている。

他のメンバーは、書くこと、描くこと、家のこと、育児、勉強、もちろん仕事全般の、私からみればそれぞれプロだと思う人達で、読んでくれている人も含めて、生活すること、考えること、トシを重ねること、楽しむこと、に真剣でマジメで、でも堅苦しくない、頭脳明晰な人の構成比率が高いイメージだけれど、誤解をちょっと恐れて言うと、それって全方位的に素晴らしいことだとは思わない。

もちろん、大いに触発されるし、コメント欄も面白いし、ここの雰囲気が好きだから、参加している人たちに好感を持っているから、こそ自分も参加し続けているわけだが、だからといって、①を読まないような、その存在を知ったとしても食指が動かないような、いいね!とは無縁だったり、コメント欄に参戦しようとはついぞ思わないような、人々が、①を読んでくれている人より劣る、わかってないな、とは全く思わない。
あたりまえっちゃああたりまえだが、そういう人がいていいし、いるべきだし、それは、自分の近距離の人たちに対しても同じように思う。

・・あれ、この書き方、間違ってるような、すごく言葉が足りてない気がする。
まあ、あとで考え直したら修正しようっと。

でも、どんなことでも、続ければそれなりに迷いが生じたり立ち止まったりするものだ。
私はそうだ。
①に関しても、「ゾロメ女」はもう50回以上書いていることもあって、このまま続けるかどうか、ちょっと考えたりしている。

ネタ切れ、という意識はあまりないのだ。
それが面白いか否かは別として、書くことはいくらでもある。
ただ、まずテーマありきで書くことに、たまに疑問は感じたりしている。

つい、そのテーマにとって収まりのいい場所に持って行くために、着地点ばかり年頭に置いて書いてる、ことがあって(それが成功しているしていないは別問題)、それはなんだかしっくりこなくて、途中でやめたりもよくしている。
時間を置くと、また違った視点が見えてきて復活することもあるけれど。

で、今年も続けるのであれば、自分の心に本当にヒットした本についてだけ書くことにしようと思ったりしている。

続けていると、どこかで「こんなもんでよかろう」という、こんなもんでよかんべイズムが生まれ、じわじわと肥大する気がする。
本人には気づきづらかったもして。

そのせいか、それが鼻につくのか、なんだか最近、人の書評というか本の感想があまり面白くないのだよ。
プロアマ問わず。
特に、自分は読書に関して一家言ある、と自負している人のそれがつまらないと思うことが多い。
グッとこないのだ。

もちろん、グッとくるこないは主観的で、私の「グッとくる」が私以外にはつまらない感想でしかないことも充分に有り得るが、そんなことを危惧し出したらなにも書けないので、今年は自分の「グッとくる」嗅覚を頼りにやってみようかと思う。
しくじって、即刻や~めた!になるのかもしれないが。(なんだ、この最高にかっこわるいエクスキューズは!?)

本を読むことに意味があるとしたら、想像力というか選択肢を増やすことなんじゃないかと思う。
なんの選択肢かは上手く言えないが、それが増えると生きやすくなるわけでは決してない。
私は、小説を読めば読むほど、いろんなことがわからなくなる。
答えはひとつじゃない、どころか、答えなんて存在しないよな、と思う。

でも、そう思うことが自分には必要なのだ。
ひとつの事実には百の背景があるかもしれない、あるのだろうとできれば思いたい。
同時に、ひとつの背景で百の事実が生まれることもある、とも。
難しいけれど。
そして、自分の周りもそう思う人が多いといいなあと思う。


に関してはもう、自動運転感覚。
蓋を開けないとどう展開するか、私もまゆぽさんも全くわからない。
常識とか良識をタテにしないことぐらいかな、気をつけているのは。
腹に一物がないこと、この上なし。
でも内心、「すっごく面白いぜオレタチ」と気色の悪いことはたまに、よく、思ってる。
そして、ある意味、ここでの自分を信頼してもいるのだ。
これも気色悪い言い草か。


は、きっとこのままだ。
ここは、リアルなお知り合い、リアルではなくても、もう長い付き合いの方にしか告知していない。
うっかり読んでいるいちげんさんもいるのかもしれないが、日々の閲覧者数を見る限り、ほとんどいないと思われる。
閲覧者数は一桁だったりするし、そのことに安心している。
たまに増えると不安になったりして。

いくらほとんど告知していないとはいえ、公開している以上、全てに門戸を開いて発信されているわけなので、「ここでしか書けない」的なことを書く場所にしているのは間違っているとは思うのだが、している。
そして、だから楽しい。
なので、これからも大々的には告知しない。
①で、よくコメント欄に書いてくださる方々に告知しようと思ったこともあったが、しなかった。
これからもたぶんしない。


問題はだ。

私は、twitterの140字という字数上限でつぶやくことが好きだ。
最近では愛猫ミィ嬢の写真upにも積極的だったりする。
フォロアーの人達の、直球や変化球や超スローボールなつぶやきにハッとするのも大好物。
でも、そこ止まりなんだよなあ、好きなのは。

リアルなお知り合いから返信があったり、思いがけない人からリツイートされて、途絶えていた音信が復旧するのは楽しいのだが、①経由以外の、twitter上でしか知らない人にはまー興味がないのだ、私。

最近、しばらく音信が途絶えていた友人と久々に会ったり、ネット上やメールでのやりとりはしていない友人知人と電話や年賀状などで連絡を取り合ったり、テニスで久々に会った人々と旧交を温め合う会話をして思った。
彼女ら彼らより、twitterのフォロアーの方が自分の近況を知っているのって自分はしっくりしないな、と。

もちろん、twitterで晒している(曝している?)自分の情報なんてたかが知れているし、そもそも情報の種類も質も違うのだけれど、やはり自分は、twitterに関しては、宙に言葉を放つ感覚がイチバンしっくりする。

誰かが反応してくれるのはうれしいけれど、たまにでいいなあ。

twitter、やめればいいのかな。
でも好きなんだよね。
そんな矛盾を自覚しているから、「④は問題だ。」と思うわけなのだ。

ネット上だけの、本名は知らない知り合いは要らない、と思ってるってことか。
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by kuni19530806 | 2015-01-17 13:24 | インターネット | Trackback | Comments(2)