2014年 12月 21日 ( 1 )   

猫を抱いて象と泳ぐ   

小川洋子『猫を抱いて象と泳ぐ』を読む。

しょっぱなからナンですが、村上春樹より小川洋子の方がずっとスゴイと思います。

正確な文脈は忘れましたが、以前、豊崎社長がtwitterで「どんなに断定的な書き方をしても、個人の見解は主観でしかない。それはあたりまえの大前提なのだから、いちいち『自分にとっては』とか、『思う』とか書く必要はないし、書いていないからと言ってナニサマだ!と目くじらを立てるのはおかしい」というようなことを言っていて目ウロコでした。
だからあえて断定的に大文字で書きます。

小川洋子の方が村上春樹より優れた作家だ。

どうして、このふたりを比較するのかというと、描こうとする世界に共通のものを感じるからです。

現実と似ているけれど明らかに違う、作者の脳内で格別な篩(ふるい)にかけられ、変換され、価値観や倫理観、時に法律や社会のしくみも唯一無二のものにとってかわった世界、という意味でも似ていれば、その変換方法も途中まで近いものがあるなあと思うのです。

でも、私にとっては、村上春樹さんのそれより小川洋子さんの方が、ごまかしてない気がする。

村上春樹はごまかしてるのか、というと、必ずしもそうではないのですけど、彼にとっては小説の肝になることが多い性や悪意、または独特な不条理に幻惑され、読んでいる最中はなんとなくその世界の磁場に絡め取られて腑に落ちても、読後しばらく経つと、「結局なんだったんだあれ?」と思ったりすることがけっこうあります。

その世界の磁場に絡め取られることは小説を読む醍醐味でもあるのですが、時に覚めた(冷めた)とき、違和感を覚えたりする。

小川洋子さんの小説にはそれがない。

今回の小説も、チェスという、自分には全く未知の世界が描かれ、アリョーヒンというロシアの実在の人物がモチーフとして物語の中枢を担っていて、幻惑される要素はてんこ盛りで、実際、自らの成長を止めたという意味では「ブリキの太鼓」的なリトル・アリョーヒンの存在も、マスターもインディラもミイラもお祖父さんもお祖母さんもみな現実離れしていて、唯一、地に足がついているのは弟だけ、という印象だったのですが、不思議と幻惑された感じではありませんでした。

自分の描きたい、描くべき世界に真っ向から挑んでいるなあという、静謐だけれども力強い「意思」を感じ、圧倒されました。
終盤は落涙。

いい小説でした。
a0099446_173994.jpg

[PR]

by kuni19530806 | 2014-12-21 17:44 | 読書 | Trackback | Comments(0)