2014年 03月 31日 ( 1 )   

「笑っていいとも」最終回を見る   

「笑っていいとも」の最終回の後半を見る。

予想どおり、けっこうぐだぐだで、最後の最後にタモリがなんていうかと思ったら「明日も見てくれるかな」だった。
当然、客席は「いいとも!」。

「笑っていいとも」は明日はもうやらないけれど、後番組にエールを送る、という意味では全然間違っていないエンディングだったと思う。
けれど、周囲というかマスコミというか、は「今日までどうもありがとう」的な最後を期待したのだろう。

タモリ自身も何度も言っていたが、夜グランドフィナーレがあるので、最後といっても実感が湧かないのだろう。
グランドフィナーレがなくても実感なんて湧かないんだろうけどさ。

長く続いてきたものの最後って、「最後だ」「もう明日からはこうじゃない」と何度も何度も口にしたり思っても、リアルタイムでは全然ピンとこないのだよな。
そして、数日、数週間、数ヶ月経って、ある日突然、喪失感に襲われて呆然としたりする。
数ヶ月はまだしも、時には数年経ってたり。
人の死もそう。
私にとって、母親や兄がいまだにそうだったりする。
「そういえばもういないんだった」と突如、発作のように思い知ってガックリして、一方で心の一部では「いまさら、何言ってるんだろうね私は」と苦笑していたりするのだ。

「笑っていいとも」も「終わった」という事実だけを表面だけで認知して、実感を伴わないまま何ヶ月も過ごすのだろう。
そしてある日、ものすごく寂しくなる。
ここ数年は全くちゃんと見ていなかったくせに、なくなってずいぶん時間が経って、初めてあったことに、なくなったことに、気づく。

タモリブームが来そう。
30年以上続いた番組が終わってブームが来るって皮肉といえば皮肉だけど、たとえは悪いが「亡くなってその人のスゴさが再評価される」に近いのかも。

最近でいえば、大瀧詠一とか安西水丸とか、突然の訃報に驚いて、近しい人が業績とか人柄についてコメントしてるのを読んで、「あー、そんな人だったんだ知らなかった残念だなあ」と思うわけだが、そのときに必ず「亡くなってあらためて興味を覚えるって淋しい話だ」とも思ってしまう。
そういう、うっすら苦い後悔、みたいなものを、タモリはいいともを終わらせることで「間に合わせてくれた」みたいな気がする。
故人をしのぶんじゃなくて、今そこにいる人のスゴさをあらためて知ることができて、間に合ってよかった。



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by kuni19530806 | 2014-03-31 21:02 | テレビ | Trackback | Comments(0)