2012年 05月 01日 ( 2 )   

下地   

昨夜(日付では今日か)ここに書いたこと、なんだか誤解を招く言いぐさだったかも。
その証拠に、「なんか、あった?」と早速メールをもらった。
心配されるような種類のことはなにもないけれど、書く下地になったことはある。

このところの私の懸案はほぼ父親のことだ。
もちろん病気自体を案じてはいる。
案じている、ではなく、案じてはいる、と書くところに屈折した親子関係のもやもやがあるわけだが、今なにが苦痛って、父親の「彼女」から頻繁にメールや電話が来ることだ。
電話だと最低1時間は父親の悪口を聞かされる。
ほぼ1日おきのペースでこの苦行が続いている。

私より父親の近くに住み、私より父親に強い感情があり、私より父親を案じている彼女の存在は今ものすごくありがたい。
彼女の存在がなければ、私は今の頻度の倍ぐらいは父親のところに顔を出さなければならないだろうし、それはかなりハードだし、この先、近い将来、必ず訪れるであろう父親の入院に対しても、彼女の「私ができるだけ付き添う」という意志表明がどんなに心強いことか。

でも、苦痛なんだよね、電話で「いかにあなたの父親は身勝手で見栄っ張りでうそつきで気分屋か」を聞かされ続けるのは。
それが本当にそうで私も同感でも、もう聞きたくねー。

何度、「そんなに不愉快な人間ならほっとけばいいじゃないですか」と言いたくなったことか。
私は計算高いので言わないけどね。

悪いけど、ふたりの間のことには興味がないのだ、私は。
歴史を語られて、「それなのにあの人は」と言われても、はあ、としか言えない。
それが高じて、前回の文章になった、かもしれない。
[PR]

by kuni19530806 | 2012-05-01 22:23 | その他 | Trackback | Comments(0)

すべて真夜中の恋人たち   

川上未映子の『すべて真夜中の恋人たち』を読む。

この本を読むような土俵にすら上がってないようなことを臆面もなくカミングアウトすると、私は人の色恋沙汰に本当に興味がないみたいです。
だからといってこの小説が面白く読めなかった、というわけではないのですが、これを書いている今現在、映画『バッチギ!』で主役をやっていた俳優の二股三股が話題になっていて、「そりゃあ、2人にほぼ同時にプロポーズするのはマズイだろうとは思うけれど、当事者や、その案件でとばっちりを受けたりして実害を被った人以外に、彼に文句を言う『権利』のある人間なんているんだろうか・・っていうか、どーでもいいじゃん、誰が誰を好きでも好きじゃなくても」としか思えず、まあ、ここで「権利」なんて言葉を使ってしまった自分もどうかと思うわけですが、なんだか、いろんな人が恋愛に限らずいろんなことに対して「自分も一言コメントする権利がある」とぎゃあぎゃあアピールしてる感じがそこここでしてうるせえ!と思う昨今なので、あえて、使ってみました。
・・ああ、文章メチャクチャですね。

実は今、職場には社内恋愛的気配が複数個所あり、面白いです。
面白いなんて書くと、「色恋沙汰に興味がない」と矛盾してるんじゃね?と言われそうですが、私の中ではしてません。
そういう気配を感じたり、画像として見たりすること自体は「いいんじゃな~い」と思うし、あわよくば応援の気持ちすらあるのです。
ただ、興味はない。
明らかに醸し出されたり垣間見えるモノは情報として受け取るし、その素材で料理したり咀嚼させてもいただくけれど、自分から取材したり憶測や想像をめぐらせたり進捗を気に病んだり・・ばかりか、率先してスポークスマンになったり、みたいなヒトの恋路における生産活動はしません。
ずっと、みんなそんなことの生産活動なんてしないよね、だって自分のことでも自分に波及しそうなことでもないんだから、と思ってきました。
でも、どうやらそうでもないらしいことが中年になってからわかりました。
これは、「中年だからわかった」ではなく、「中年になってから、周囲のそういう事例を複数知った」という意です。

どうも、他人の色恋での生産活動が大好きな人はけっこういるらしい。
ネタとして盛り上がることのできる芸能人のそれはわかるけれど、それ以外でも。
芸能人ではなくても、恋愛とあらば、ソッコーでネタ扱いに昇格(降格?)するのだろうか。

それと、自分が「興味がない」と言い切ってしまう理由は、人の感情はとどまっていない、と思うからです。
たとえば、自分が誰かを今「好き」だと思っていても、その気持ちがずっと変わらないかどうかなんてわからない。
むしろ、この世には変わらないものなんてない、を前提にした「とりあえず今は好きだ」という感情の方が自分には信じられる。
何十年も結婚しててナンですが(結婚してるから、ともいえる)、自分も自分以外も、明日の気持ちなんてわからないに決まっている、としか私には思えないのです。

要するに、人間関係は全て今の積み重ねで成立している、としか自分は思えないので、まるで未来永劫変わらぬ気持ちの言質をとるような迫力でこぞってヒトが知りたがる(←この文章もどうかね)「好きなの?恋なの?本気なの?」的疑問(どちらかといえば詰問)には昔からすごく違和感があるのです。
でも、いちいち「今は好きだと思う。でも明日はわからない」などと発言するのもどうかと思うので、そのあたりはテキトーに「好意を持ってるのは間違いない」とか言ったりして。
いやらしい言いぐさですね。

あ、この本のことを書いてないじゃん。
面白かった。
でも好きではありません。
a0099446_17491396.jpg

[PR]

by kuni19530806 | 2012-05-01 00:48 | 読書 | Trackback | Comments(0)