2012年 01月 28日 ( 1 )   

茗荷谷の猫   

最近、寒いなあ。
零度ってこんなに身に沁みる気温だっけ?
今朝の私の体感温度は軽く氷点下だったことでした。

東京で最初に一人暮らしをしたとき、暖房器具はコタツしかなくて、寒くて耐え切れないときはやたらお湯を沸かしてた。
コンロ使いで暖をとってたのですね。
当時その話をバイト先でしたら、職場のおばさまが不憫に思ったようで「家に使わないガスストーブがあるからあげる」と言ってくれて、その方のお宅まで取りに行ったのでした。
お宅は確か国分寺で、おばさまの雰囲気はごくごく庶民的だったのに、家はなかなかの邸宅だった。
出してくれた紅茶のカップが、縁が金ではない藍色系の花柄で、上品で好みだなあと思ったことを今でも覚えています。

いただいたガスストーブはなぜかアパートでは使えず、でもそれを言えなくて、バイト先では「おかげさまで部屋があったかくなった」と嘘をついていました。

結婚して別なアパートに引っ越して、晴れてそのストーブは使用可能になったのだけれど、そのときはもう転職をしていたのでおばさまとは会うこともなく・・よしんば辞めずに会えていたとしても、そのタイミングで「ガスストーブってあったかい!」とあらためて言うのもおかしく、ストーブの前でぬくぬくしながら、まあ、これでよかったのだろうよ、と子どもなんだか大人なんだかわからない感想を抱いた若干23歳の私でした。


木内昇『茗荷谷の猫』を読む。
木内さんの本をこのところわりと立て続けに読んでいて、これが3冊目です。
読んでる順番は、書かれた時系列を全く無視してます。


すごい!すごい!と思いながら読みました。
タイトルや表紙の雰囲気から、もっと・・なんていうか抒情的な短編集かと思いきや、一筋縄どころか二筋縄でもいかない、クールなようなアツいような、リアルなような幻想的なような、とにかく「こちらにわかった気にさせない」フシギな連作短編集でした。
ある意味、オープンエンドって感じ。
こういうの好きなんだよねえ、私。

幻想的な小説でありつつ、実在の小説家が出てきたりしますが、それが内田百閒だったりします。
私は内田百閒をほとんど読んだことがないので、その名前に漂う一般的なイメージだけで言いますが、ありありとあの内田百閒、というのが絶妙です。

短編それぞれは独立した話として読めますが、共通する人物や場所、建物が不意に立ち現れます。
その加減も巧い。
こういう小説を読むと、玉砕感も覚えます。
こんなの書かれたら、自分なんて・・みたいな。
・・・の部分が自分でもよくわからないんですけどね。
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by kuni19530806 | 2012-01-28 20:18 | 読書