2012年 01月 21日 ( 1 )   

七回忌   

福島市で兄の七回忌をしてきました。
またまた日帰りコースです。
せっかく福島に行くのだから一泊ぐらいして、長らく年賀状だけのやりとりになっている中学時代の友人に会ったり、あわよくば郡山や会津にも足を延ばして・・と思わないわけでもないのですが、なんだかいつも日帰りです。

昨日の東京の雪も我が家近辺には波及せず、結局冷たい雨に終始しましたが、本日、新幹線に乗ったところ、宇都宮を過ぎたあたりから一気に外は雪化粧になりました。
風景が様変わりしてちょっとビックリした。

那須塩原、新白河、郡山あたりは吹雪といってもいいぐらいの降りで、こりゃあ福島もいかばかりか、と思いましたが、福島はさほどの大降りではなくてよかった。
法要後のお墓参りの頃はちょっとボサボサ降っちゃいましたけどね。

今回は、私と夫と叔父夫婦の他に、従兄夫婦と兄の友人も来てくれて、一周忌や三回忌より賑やか(←ってふつうは言わないか。まあいいや)でした。

ツイッターでもつぶやきましたが、兄は1990年代、福島市にいたことがあって、当時はよく従兄夫婦のお宅にお邪魔しては、夕食をごちそうになったり、風呂まで呼ばれちゃったり、休みの日は一緒にドライブに行ったり、していたそうです。
親しくしていたことは兄本人からリアルタイムを含めて何度か聞いていましたが、今日初めて、兄以外からその頃の話を聞くことができて、なんだかしみじみしてしまったことでした。

ふたりと今日話して
ふたりは私が思っていたよりずっと兄と親しかったんだなあ
そして、兄が亡くなった後も兄のことを折に触れ思い出してくれていたんだなあ
と思いました。

特に従兄の奥さんは、私が声をかけることをずっと待っていてくれたのでした。
それを知ったとき、ありがたいやら申し訳ないやら、でちょっと言葉につまりました。

言っても詮ないこととは知りつつ言いますが、私はずっと兄の死について罪悪感を持ってきました。
今でも完全に消えていません。
それは、病院の選択と治療法について、です。
もうほんとに後悔だらけで、いまだいちいち具体的に挙げる気にならないほどです。
なので、従兄にしろ兄の友人にしろ、兄が亡くなってから、積極的に連絡をとろうとしませんでした。
兄の死を惜しみ、闘病生活を断片的にでも知っている人こそ脳裏をかすめるであろう「病院を変えるべきだった」という言葉を聞きたくなかったから、です。
同時に、ほんのわずかですが、兄に近しいと自負する人々に対して「あのとき、みんななんでもかんでも私に押しつけずに、黙ってないでなんとか言って欲しかった」という逆恨みにも似た感情もありました。
・・・ほんのわずか、ではないかもな。

一方で、私はわかっていたのです。
兄が転院せず、最初に入院した病院にこだわった理由のひとつは私だ、と。
転院の候補先は不便な場所にあったので、そこに移ったら私の負担が増える、と思ったのです。
私は兄のその気持ちがわかっていたし、実際に当時の自分はものすごく疲れていて、「転院したら自分はどうなるだろう。体力的に続かないかも」とも思いました。
だから、転院を進めた際に兄が「ここでいい」と言ったとき、私は「本当にいいの?」と言いながら、実は少しホッとしてもいたのです。

私はずっとそのことを後悔してきました。
同時に、その後悔を兄の死とは切り離したいとも思ってきました。
なので、従兄や兄の友人と兄の話をしたくなかった。
自分がツラいから。

七回忌にみんなを呼ぼうと思ったのは、いろんな意味で自分の後悔や罪悪感など取るに足りない、と思えるようになったからです。
本当に「いろんな意味で」。
そして、去年の震災で、親戚の安否がしばらく確認できなかったり、自分自身も不安で不穏な気持ちで日々を送ったことで、それまでついいろんなことに対して「そのうち」とか「次の機会に」と思ってきた自分の足元が大きく揺らいだ、ということもあります。

従兄夫婦が、兄が福島在住当時よく通っていたという飯舘村の喫茶店「椏久里」の自家焙煎珈琲を私のために持って来てくれました。
椏久里は辺鄙な場所にあるにもかかわらず有名で大変な人気店だったそうですが、全村避難で飯舘村から福島市野田に移転を余儀なくされました。
でも、移転先でも変わらず繁盛しているそうです。
従兄と奥さんは、それをわがことのようにうれしそうに私に話してくれました。
従兄は「Kちゃん(兄)に教えてもらった珈琲の淹れかたは椏久里のやりかただったんだよねー。今でも守って淹れてるよ」とのこと。

従兄夫婦に今日会えて本当によかった。
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by kuni19530806 | 2012-01-21 21:39 | お出かけ